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活動についてのお知らせと身の回りのこと

2024年10月14日(月)

お知らせとその理由。これからのこと



 やまなかふぇ楽しかったですね!!(挨拶)

 あれを雑記に書かねば、これをお知らせせねば……と考えているうちに怒濤の日々に飲み込まれ、色んなことを置き去りにし、気付けば長い長い日本の夏が一段落つき、とうとう秋がやってきたと聞いております。というかその秋すらあっという間に去りそうと聞いてびっくりしています。ハイスピード四季。
 ひとまず何かを書かねば、書かねば……と思い続けているうちにもうどこから書けば良いのかわからなくなってきたので、手っ取り早く現状についてのお知らせを先に書きます。

 わたくし瀧沢一留は家庭事情により当面の間歌唱その他のご依頼を請けたり、自分名義の作品を発表したりといった活動をお休みさせていただきます。
 悪しからずご了承くださいませ。

 理由を申し上げますと、数ヶ月前から家人の仕事の都合で海を越え、マレーシアに居住しているからです。帰国時期は家人のお仕事次第なのではっきりとはわかりませんが、少なくとも3年はこちらに居る予定です。
 住環境の関係でノイズの乗らない録音は出来ないことが予めわかっていたのと、持ち込み荷物の制限の都合でオンライン会議に参加できる程度の音声機材しか持ってこられなかったのとあり、こちらに居る間はきっぱりお休みの看板を掲げることにしました。

 もともとここ数年はコロナ禍による環境の変化から始まった精神的なものと私自身の仕事などの都合で積極的に音楽にウェイトを置くことが出来ず、消極的に開店休業みたいな状態が続いていたので、これまでとほぼ何も変わらずではあります。
 でも、これまでは自分のやる気が戻れば撤回できる状況でしたが、今後のことは環境的な事情が要因で、かつ年単位でこの状況が続くことは確定しているので、改めて申し上げておきたいなと思った次第です。


 私事と言い訳にはなってしまうのですけれども、2020年以降家庭事情による生活環境の変化にコロナ禍が重なり、自分の身の振りをどうすれば良いかわからなくなってしまって、気が塞いだり、元々のコミュニケーション苦手の性質も相俟ってそれまで交流のあった方々とも疎遠のままになってしまったり……といったことがありました。過去形にしていますがコミュニケーション不得意人間なのは相変わらずなので現在進行形です。すみません……。
 連絡取ってない方を避けてるわけではないのだけど、特に何か活動できるわけでもないのに連絡しても何を言えばいいのかわからない……みたいな、人付き合い苦手人間によくある(と信じたい)用事がないと連絡できないという現象です。機を逸し続けているうちにどんどん連絡しづらくなりとうとう海を越えてしまいました。

 2022年の11月の日記にもそのあたりのことが書いてありますね。
 この時に「これからはずっと日本にいる、ようやくこれからのことを考えられるようになってきた」と書いていて、事実この頃はそれまでに抱えていた仕事や生活の上での不安が一部解消されて、腰を据えて今後のことを考えようというタイミングだったのですが、その後仕事などの関係でまた目の前のことしか考えられなくなったりして身動き取りづらくなっているうちに時が過ぎ、今は再び海の向こうで手探りで生活する日々を送っています。
 人生何があるか本当にわからないものです……。
 そんな感じで、ここ5年くらいの私は世の中の変化や家庭の事情に左右され思うように自分の舵取りができないみたいな感覚がずっとつきまとっていて、身体を壊さず病まず生活を続けていくことに集中していたので、音楽からは大分心が離れてしまっておりました。

 ただ、余裕のあるときにスマホアプリのトピアで歌の配信をちょこちょこお試しでやっていたことをご存知の方もいらっしゃるかと思います。(上述の2022年の雑記にも書いていますね)
 これについて、「これからは配信活動をやっていきます!」と宣言してしまうと定期的にやらなければとか、なにか面白いことを喋って見に来てくれる人を増やさなければとか、人気の曲を覚えるべきとか、架空の「べき、ねば」が自分の中に増えてかえってハードルが上がって続けられなくなってしまいそうに感じたので、特に大きな声で「やってます。みんなきてね!」とは言い難いのですが、気楽にふらっと歌ってたまたまやってきた誰かが耳を傾けてくれる場があることって自分にとって救いだな、誰も来なかったとしてもひととき歌うことだけに没頭できる時間を作ると気分がすっきりするなと思ったので、これからも不定期に続けていきたいなと思っています。気の向いたときに聞きに来ていただければ。
 ただ、生活サイクルとご近所への配慮などの制約があり、土日や日本で社会人をしている方が聞きやすい平日夜間などのタイミングに合わせた配信はできないことを先に申し上げておきます。これは私が頑張って調整できることではないので、できるときだけ予告無しにいきなりやります、という形になってしまいますが、たまたまタイミングの合うときに配信してたらラッキー、くらいの気持ちで気の向いたときにBGM代わりに聞いてください。

 いまだ手探りで生活している状況ではありますが、そろそろそんなことも考えられるようになってきました。

 配信といえば、3月のやまなかふぇの振り返りツイキャス配信も出来ていないままです。(やまなかふぇ前の宣伝配信を私のミスでうっかり消してしまったので、振り返り配信という形でまたやりますと宣言したままでした)
 すみません、忘れていません。覚えています……!
 覚えていたのですがあの頃既に渡航準備が慌ただしくなりつつあるタイミングで、なかなか着手できないまま半年が経過しました。本当にすみません。
 ……月日の流れのあっという間であることよ。
 ツイキャスはトピアとは違って準備をしてからでないと配信できないのですぐには動くことはできず、気長にお待ちくださいという形ですみません。お願いします。
 ツイキャスはもしやれるならアーカイブを残す方向でチャレンジするつもりなので、こちらも明るい時間の配信になってしまうと思いますが、リアルタイムで見られなくてもあまり気にせずアーカイブを覗きにきていただければと思います。

 ツイキャスのアカウントはこちらです。ツイキャスでログインしてフォローしておくと通知が届くようなシステムだった気がします。
 今は渡航直前になきさんとリハスタでお歌を歌って遊んだときのアーカイブがありますよ。聞いてね。
 https://twitcasting.tv/ichiru_info

 あとツイキャス含めトピアなどの最近はじめた配信まわりのこととかはプロフカードにまとめてます。
https://profcard.info/u/qajQCfthPOaq9fBzngsCERUVbjK2

 Twitter API問題の関係かログインできなくなっちゃったので微妙に書き直したい部分があったりしますが、内容そのものに変更はないのでひとまずこちらをご確認ください。


 以上、お知らせとこれからのことでした。
 お休みという体裁を取るけれど、完全に気配が消えるわけではなくなんとなくひっそり生きてる感じになりますよ。



ここ最近の生活のこと(真面目かも知れないお話)


 そしてここ最近の身の回りのこと。
 ここの雑記やSNSで私生活や自分の考えていることについて触れるのは近年は避けるようにしているのですが、どこかに書いておきたい気持ちがあるので書きます。
 長くなるのでこの先は気の向いた方だけお付き合いください。

 マレーシアと聞くとどんなイメージが浮かびますか?
 常夏の国? 物価が安い? 食べ物が美味しい? 海辺のリゾート地?
 恥ずかしながら私は家人のマレーシア赴任の話が出る以前は上記のイメージすらすぐには出てきませんでした。
 余暇があればお家で過ごすのが第一選択、必要以上の外出はせず国内旅行にすらほとんど行かないお家大好きな人間にとって、海の向こうは想像の外の世界。お隣の国より更に向こうの国ともなれば、創作ファンタジー小説の架空世界よりも心理的な距離は離れておりました。

 しかしながら自分が生活することになる土地となれば話は別。
 あまりに知らないことだらけなので、渡航が決まってから少しずつマレーシアのことを調べてみました。
 マレーシアは1950〜60年代にかけてイギリス領から独立した国で、それ以前の歴史の中ではほんの数年間ですが日本の占領下にあった時代もあるとのこと。近年経済発展が目覚ましく、現在は海外移住したい日本人人気No.1の土地だそうです。知らなかった……。
 英語留学の需要があったり、外国人向けにマレーシアでの収入がなくても取得できるノマドワークビザがあったり、仕事してなくても資産があれば長期滞在できるビザがあったりして、リタイヤ後に海外生活したい富裕層の方にも人気なのだとか。
 ですが、私が現在生活しているのは日本人の居住地として人気の華やかな首都クアラルンプールから遠く離れて、陸続きの隣国タイの方が遥かに近いあたり。土地開発の真っ只中にある地方で、緑が多く、海辺のリゾートのイメージもなく、山の麓とか森の縁とかそんな雰囲気の土地です。近所の森には猿の集団が住んでます。(でもマレーシアは都会でも猿の集団は珍しくないとかなんとか…)
 てんやわんやで渡航してきてからそろそろ4ヶ月が経過しようとしていますが、私はこの土地でいまだに自分と家人以外の日本人を見かけたことがありません。
 そんなところで生活しているので、事前に目を通したマレーシア在住日本人の華やかな海外生活の紹介記事はほぼ別世界のお話でした。都会ではイオンや飲食チェーン店など日本企業のお店が多いから日本の生活用品は大体手に入るし日本食も食べられるから心配ないよなどと言われていますが、こちらはクアラルンプールとは東京⇔青森間くらい距離の離れた地方の町。生活も環境も住んでいる人たちの割合も手に入るものも大きく異なり、ある程度の予想はしていたとはいえ、どのくらい異なっているのかは実際に生活してみないとわからないもので、想像以上の隔たりがありました。
 こちらに来る際に「これがないと困るなー」というものは可能な限り想像して荷詰めして持ってきたつもりでいたのだけど、「これくらいなら向こうでも用意できるでしょう」とスルーしたものが以外と入手できなくて困る!とかあるある。

 それから、言語について。
 マレーシアでは公用語はマレー語だけど英語も通じるよ、中華系の人は中国語で話しているよという紹介記事を読んだので、なら義務教育レベルの英語と独学の中国語である程度はなんとかなるかしらと期待していたのですが、全くそんなことはありませんでした。
 英語留学の受け入れが盛んな首都のクアラルンプールのあたりでは状況が異なるのだと思いますが、私が住んでいる土地はマレー系の方が人口比8割くらい。会社勤めの家人はマレー系・中華系・インド系の方々が一緒に仕事をしている環境にいるので職場ではほぼ英語で過ごしているとのことですが、マレー系コミュニティが形成されている自宅近辺において生活のメインはマレー語です。いかにもよそ者な人間に対しては英語を使ってもらえることもあるけれど、発音の癖が日本人に馴染みのある英語とは異なるので渡航してから1ヶ月くらいは98%聞き取れませんでした。(最近は半分くらい聞き取れるようになってきました。慣れってすごい!)
 中華系の料理店に行くと店員さんは中国語でおしゃべりしているけれど、そちらも土地の言葉がミックスされているようで私には聞き取りが難しく、英語を使ってもらう方がお互い第二言語なので寧ろわかるくらい。まーとにかく何語であっても言葉が通じない。そして私が話す英語もマレーシアの人の耳に馴染んだ英語(マレーシアにローカライズされた英語なのでManglishと呼ばれたりするみたいですね)とは発音の癖が異なるので、なかなか聞き取ってもらえなくて、英語よりも単語レベルでしか喋れないマレー語のほうがスムーズに通じるという世にも奇妙な状況です。
 結論:この土地で意思疎通したかったらマレー語を身につけるのが一番早い!
 そんな事情で、ここしばらくはずっとマレー語の勉強をしています。

 ただ、マレーシアはそもそもの成り立ちから多民族国家という事情があり、自分たちとは様々な面で異なる存在に対する寛容さのようなものを感じる場面が多々あります。明らかなよそ者に対しても親切とか、初対面かつ言語が通じなくても迷惑そうな顔をせずどうにか意思疎通できるよう工夫してくれたりとか――それでも文化や生活様式の差みたいな部分が埋められず「何言ってるのかわからないよ???」となる場面も間々あるんですけど、そんな時も「ま、いっか」みたいな空気であっけらかんと引き摺らない様子でいたりとか。

 そんなとき、私は「言葉が通じなくてもコミュニケーションを諦めないで欲しい」という言葉を思い出します。
 耳の聞こえないろうの方が仰っていた言葉です。
 私は渡航前の1年間、仕事の上で必要があり地元のろう協会の方々から日本手話を教わっていて、そのやりとりの中で伝えられた言葉です。
 例えば職場やお店や街中で、ああこの人は言葉(音声言語)が通じないなとわかると、私達音声日本語を母語とする聴者は「自分じゃわからないからわかる人のところに行って」とスッと線を引いてやりとりを拒絶したり、そもそも目を合わせてくれなかったりして話しかけるな空気を醸し、関わらないようにしてしまう。そうすると聞こえない方は些細なことを伝えたいだけだったりしてもそもそも聞く姿勢すら取ってもらえなかったり、知りたいことを知れなかったりして、疎外感を味わってしまうのだとか。
 聞こえに困難のある方々と関わる前の自分に心当たりがありすぎて耳の痛くなる言葉です……。
 言い訳になるけど、これって拒絶のつもりはなかったりするんですよね。
 様々な事情があるはずだし自分の事情を正当化するつもりもないのですけれども、
「言葉がわからないと力になれないし、お互いストレスを感じてしまうかもしれないし。言葉がわかる人とやり取りしたほうがお互いスムーズでしょう」
 時にはそんな気遣いで身を引いただけのつもりだったりしたことがあるように思います。
 でもその対応を取られた側にはその気遣いって伝わってなかったりするし、そんなことの積み重ねでダメージが蓄積されていたりするんですよね……。
 そしてこれ、同列に並べると怒られるかも知れないんですけど、日本語しかできない日本人が街中で突然異なる言語で話しかけられたときに思わず取ってしまう反応に近しいものがあるなとも思うんですね。心当たりのある方いないでしょうか……。私はあります。かつて通勤で利用していた新宿駅の地下通路あたりで、うわあお困りの方がいるけど私じゃ力になれそうにないからこっちに来ないで〜〜〜となったこともあれば、スマホを駆使してなんとか道案内を頑張ってみたこともありますし、頑張ったけれど全くどうにもならず時間が足りなくなってごめんなさいしたり……。そして最終的に力になれなかった己を不甲斐なく感じて、次から出しゃばるのはやめようなんて思ってしまったり……。
 ろう者や聞こえに困難のある方が日々直面する生活上の障壁は社会の仕組みの問題も孕んでいるので一概に言葉が通じないというだけでは説明できない様々な側面があるのですけれども、そのごく一部には言葉が通じない海外から来られた方が直面する困難に近いものがある、と感じることがあります。(あくまで一部の話です)

 翻って、私は今ろくに言語を習得しないままマレーシア生活が始まってしまった異邦人です。もし私が非日本語母語話者で移住先が日本だったら、日々少なからずこういった疎外感を味わっていたのではないかなと思います。
 でもここマレーシアにおいて、私は言葉が通じないことを理由にコミュニケーションを拒絶されたことがほとんどありません。実は一度だけ飲食店で経験があるのですが、その時は別の方が対応してくれたので結果的に問題ありませんでした。
 日本人に様々な気質の人がいるようにマレーシアの人も様々な気質の方がいるでしょうから、たまに「言葉がわからないよそ者は相手しないよ」とされてもまあしょうがないよなここはあまりよそ者のいない土地で我らよそ者看板提げて歩いてるような風体だし…と思うのですが、しかし驚くほどに頻度が低い。デフォルト多民族多言語多文化国家の慣れと懐の深さを感じます。
 これって自分と家族しか頼れる存在のない異国の土地では身に染みるありがたさだなと思いました。異質な存在であることを理由に排除される不安を、少なくとも平時は意識せず生活することができます。この「排除される不安」というのも、ろうの方が話されていた言葉です。
 そしてろうの方が繰り返し手話学習者たちに求めていたことはこういうことなのかなと、想像による共感でなく我が身を通じた経験として理解の入り口に立った気がしています。
 言葉が通じてコミュニケーションが取れればそりゃあ文句なく有り難いのだけれども、たとえ共通の言葉がなくてもジェスチャーなり身振り手振りなり表情なり時には紙に絵を描いてみたり、なんらかの非言語的コミュニケーションで諦めず目の前の相手に向き合う姿勢をお互いとり続けることが出来れば、最終的に十全な意思疎通は果たせずともそれで伝わるものはある。
 そういうことだったりするのかなあ。

 ちょくちょく顔を合わせる近所の屋台のご主人はあまり英語が流暢ではなくて、初対面から今に至るまで挨拶+お互い片言の英語と単語レベルのマレー語の会話しかできていないのですけれども、顔を合わせれば挨拶して他愛のないやりとりをして、何言ってるかわからないまま笑い合ったりしています。おしゃべり好きな方で地元のイベントや歴史や風土や色んなことを教えてくれて、でも細かい部分はよくわからなかったりして、日本はどうなの?って質問されたりして――多分お互い何を言っているのかわからないタイミングの方が多いと思うのだけど、それでもそんなに残念な気はしないし、また顔を合わせればきっとお互い様々な他愛ないことを話すと思います。
 本当に、こういうことなのかも知れないなあ。


 私はまだこの土地で生活を始めたばかりでわからないことだらけですし、わかったつもりでいることの中にもきっと全然わかってないことがたくさんあるはずで、これからもっと知識や経験を増やすうちにまた考えることも変わっていくのだと思います。
 でもとりあえず異文化の土地で生活を始めたばかりの所感として、今こんな感じです。ということをどこかに書き留めておきたくて、今回の長文になりました。
 誰の目にも留まらなくても公開する勇気。

 戸惑うことは多いですが貴重な人生経験であることは間違いないので、何かに役立てようとかそういう気持ちは横に措いて、ただただ自分の中の栄養として様々な経験や感じた心の動きを蓄積していきたいな。
 そんな気持ちで日々の生活をしっかり噛みしめて生きてく所存なので、今後は(今後も)たまに見かけるくらいの自己満足なペースでひっそり歌っている人になりますが、元気に生きてるなーと見守っていただければ幸いです。

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