フォーカシング年次大会に参加しました - 2016年09月19日(月) 今回のフォーカシングの年次大会は、福島県いわき市で開催でした。 わたしは県民なので「お?近いぞ?」ということで、高速道路を運転して行ってきました。 いわき駅前に自分で運転して行くこと自体、それから高速道路でいわき方面に行くこと自体が初めてだったので、そちらでまずすごく緊張しました。 年次大会自体が初参加。 これまで自分が興味あって行くものって、興味が沸いたらすぐ行きたいというのもあって基本的にはぼっち参加なので、この辺には不安はなかったのですが、これまで車で走ったことのない道を運転するという緊張がすごかったです。 え?駅前って何車線?駐車場ってどの辺りにあるの?とか、それが感覚で分からない不安。 ブーンと運転して1時間15分くらい。1時間半まではかからない。 下道なら長時間連続運転はありますが、高速道路を連続して1時間近く走ることも初めてで、思っていたよりも結構疲れました。タイヤが水にとられないように気を付けるくらいに雨が本気モードで降っていた、というのも大きいかもしれません。 会場に着いて、ここにいる方々はみんなフォーカサーなんだなあ、と思ったらなんだか変な感じがしました。 変な感じというのは、これまで自分が経験したことがなかったことを経験してる、そのつなぎ目にいる感じ。 わたしは、ボディワークを習っているジャックさんのところでフォーカシングを学んだので、周りがみんなフォーカサーという環境がまず初めてでしたし、カウンセラーさんだらけという環境も初めてでしたし、学んだのがジャックさんからなので「日本の」フォーカシングの感じもどんななのかがよくわかりませんでしたし。 開催の初めのあいさつ等を聞いている時はまだ運転後の緊張のままでした。 その後の小グループに分かれて行うホームグループの時に、自分の体を感じる時間をとっていただけたので、それまであった緊張がゆるむ感覚をそこで得られました。 ホームグループで今感じていることなどをお互いに話し、聞いていくという時間を過ごした後は、いくつかの会場に分かれて自分の参加したいセッションを選んで参加します。 どれかに参加しないといけないわけではなく、今の時間は特に各会場で参加したいと感じないなとか、のんびりしてたいなとか、あるいは誰かとセッションしたいなとか、過ごし方はその時の自分の感覚で自由に選んで過ごせます。 二日間ありましたが、一日目はわたしは高橋さんの「キャリアとフォーカシング Part3」、池見さんの「僕は瞑想と心理療法をどう見ているのか」に参加しました。 「キャリアとフォーカシング」のほうは、相手に聞いてもらうこと、自分の言った言葉を映し返してもらうこと、それによって段々と自分の中にあったものがはっきりしていくその感覚を感じられて、やっぱりフォーカシングはいいなあと思いました。 その上、わたし的には発見でしたが、スーパーヴィジョンの時のような「聞くことによる作用」も感じられました。人の話に耳を傾ける行為をしている、そういう姿勢で聞いていることが、自分に対しても作用してくる、自分にも耳を傾けられるという感覚。 その感覚は、「フォーカシング」をしている時に感じるのは初めてでした。 「僕は瞑想と心理療法をどう見ているのか」のほうは、池見さんの、フォーカサーとして固定しない、という考え方に触れました。 ここが自由とかあるの?って思いましたが、自分がボディワークをする時も、相手の感覚を聞き、同じ個所から同時に感じられる自分の感覚を伝えていて。 それを今もどこかでわたしは分離させてるなという感じと、あとは「言葉でそれを行うのは難しい」と扱っていたことに気づきました。 いやいやいや、スーパーヴィジョンでできてることだよ!と気づいたり。この辺りがつながっていなかったなあと感じました。 確かに、言葉だけだとボディワークよりもイメージに入った時に気づきにくくなりそうな感じがあるし、話を聞いてもらえてる感じを受けられなくなる状況もあり得るから簡単とは言いにくいのですけど、難しいってことにすることはないなと思いました。 言葉で、言葉だけでもできることを、今よりももっと高められるんじゃないか?と思いました。 また、「アップデートする仏教」という本が話の中で紹介されていたので検索したところ、kindleで¥451だったため即購入しました。楽しみ。 一日目は終わる前から、もう超眠くて。 さらに大雨の中、高速を運転して帰り、22時には寝たかったのだけどなかなか寝る段階に行けず、24時近くに就寝しました。 二日目の朝に起きても頭が重い?というか、眠さは取れてなくて、また高速道路を運転して行くのしんどいなー二日目はやめとようかなーという感じでした。 でも状況は行くことに整ってたし、ガソリンも入れた。体調は本当に無理というほどではない。 この眠気は自分の中で何か起きてるっぽいな、とも思ってたのでもうひと押しすることにしました。 近日にまた連休が取れているというのもありました。休みたいならこの時に自由に時間を使って休めるから行っとこう、みたいな。 結果を先に言うなら、行ってよかったです。本当に。 行かなかったら得られてなかったんだなあと思うと、グッジョブと思います。朝の自分の判断グッジョブ。 二日目は、ホームグループから始まりました。そこで気持ちの準備が整って、各セッションに参加しました。 ちなみにそこで同じく郡山市から来ている方がいらしたのを知りました。下道を通って二時間かからずに来ているということを聞いて、その日の帰りは下道で帰りました。 自分が思っていたよりも時間がかからず、疲れず、楽で、ああなんだ、これなら下道で来ればよかったなと思いました。 次にいわきに行く時は下道で行こう。 わたしが二日目に選んだセッションは、越川さんの「私と職場とフォーカシング」、田村さんの「夢フォーカシング」。 「私と職場とフォーカシング」のほうでは絵を描きました。職場の人とか状態とか、自分がしっくりくる色で、形で、画材で、描いていきました。 描いていた時はそんなつもりではなかったのに、それが別のものに見えてきて気づきにつながったりとか、二人組でワークしたのですが自分の描いた絵を相手の方がどのように見えるかを伝えてくれたことで、ええ!とびっくりして、それが気持ちの切り替えになる感じを体験しました。 全体的な気づきも、自分の視野がどれだけ狭くなってたかがわかった、というところでした。 「夢フォーカシング」のほうは、出店された田村さんを終始おもしろいおじちゃんだなあと思いながら聞いてました。話し方もおもしろいですが、話す内容にまたとても興味を惹かれました。 ここがわたし的には今回のメインイベントでした。なので長々と書きます。 わたしはデモを受けさせていただきました。わたしにとって恐かった夢を扱っていただきました。 その恐れの感じを感覚したらザワザワとした感覚でした。そのザワザワとした感覚は恐れと一緒にありました。 でもセッションをしていくうちに、ザワザワはあるけどそこに恐れがなくなり、次にはポジティブなもの、ザワザワが「体をより感じられるエネルギー」みたいなものに感じられるようになって、そうして変化する過程を経験しました。 普通に個人的にセッションを受けに行ったなら別でしたが、今回はデモで残り時間がわたしが気になったのと(わたしのデモで時間使っちゃっていいのかしら、と心配しだした)、もうそこで結構変化を感じられていたので、そしてこれ以上変化するのかしら?だいぶ変化したし満足したけど、と思ったので、希望するなら続きができましたがそこで終えました。 そのあと解説の時間になったのですけど、それを聞いていたら「うわ!」って感じるところがあって、あのまま進んでいたらわたしは泣いたかもしれないなー、もっと変化あったわと感じました。 やばい。先生のあの感じ、あのいろんな方向から突っついてみるのが楽しそうな感じで見つけられてしまってたわと。うわ、楽しそうに突っついてる!みたいな、それで自分もそれにつられて楽しくなってるみたいな。 楽しいって大事だな。 帰ってきてからもじわじわと動きがある感じがしていました。 二日目は日中の早い内に終わったのですけど、もう眠さは最高潮で。 夕方17時には、数時間眠ろう、と横になりました。 横になってセッションを思い出してたら、ああー!と思って、忘れたくなかったのでメモを取りました。 ひとつは、自分がそれを選んでたということ。 受け入れて自分の気持ちをふらふらさせること自体を刺激的と感じるというか、おもしろいと感じるところがあって、それで選んでいるのにしんどいとか恐いとか文句を言っていたということ。 もうひとつは、わたしの夢の状況に対して「通報するよね」と先生が言ったのですけど、その言葉を思い出して。 それを聞いた時は、その発想はなかったなあと思っただけだったのですが、発想が思い浮かばなかったのは自分のせいにしてるからだわと思いました。 ドアの鍵が壊れたのは単に壊れただけなのに、ドアが閉まらないのは単に閉まらないだけなのに、それが元で何かが起きたら自分のせいにする、そういう感じの思考パターンがあるなーと。 ドアが閉まらないこと自体に恐れや不安があったのですが、それも話している時はまだ自覚がなかったなあって思いました。 その後の展開の強い恐れのほうにばかり、注目していたなあって。 メモを取って、起きたら22時過ぎでした。 通常の寝起きくらいには眠かったけど、かなりスッキリ。 夢フォーカシングで、ある意味夢を覚えてなくてもできる、というお話しがあって、だから早速、その時の寝起きの名残りを感じてみました。 「わたしが信じてたそれは何だ?」。寝起きの名残りを言葉で言うならそんな感じ。 この二日間で、わたしがこれまで信じていたもの、大事にしてたものではない別のものが提示され続けていた感じがありました。 これまでのものはどうでもよかった、こっちのほうがいいわというのを見た「感じ」はあるのだけど、それが何かがわからない。どこでそれを感じたのかもわからない。 わからないから細かく触ってる、そんな感じがあるなあって、それを名残りとして感じました。 ここしばらく「わからないから勉強しなきゃ」と思っていたものがあったのですけど、その中にぽーんと入れられて、はいこれね、と中に入った感じはこんな感覚がします、と感覚させてもらってた感じもありました。 本を読んで自分で学ぼうとしていても、自分の中からこの感覚は呼びだせなかった。これまで体験してないから、自分だけでは呼びだせなかったわと思いました。 同じものを感じてるとしても、「今、何を感じています?」と問われることで、また新たにそれを感じてみるというところに持っていけました。 全体を、改めて、今、感じてみる。 間を置くことをしないと、いくら感じていても、結局過去に感じたことをそのまま続けて持ってきちゃうんだなと思いました。 これまでもそれは知っていたはずなのですけどねー。知っていても意識してそれを使っていなかったなあ、ということと、使ってもらったことで体験したことで得られる説得力がすごい。 「本人があまり重要に扱っていないもの、話に出ていないものが大事」というお話しも出ていました。これは本当にすごいと思ったことです。 昨日今日を通して、その通りだったと感じますし、セッションでそういう「本人があまり重要に扱っていないもの、話に出ていないもの」に関する質問を投げかけられた時の、あの執着していた気持ちが別の視点にスイッチする感じとか、興味や好奇心がワクワクと出てくる感じ、それに、「あ、これはすごい」って思いました。 わたしは夢と現実はつながってるものと思ってるところがあります。 セッション受けた後の今もそうかなと思っています。 でも最終セッションで、「夢は軽々しく扱うもの」というアイディアがわたしに投入されました。 映画を見るみたいに楽しんでたし、重々しくも扱ってないつもりでしたが、ここまで軽くは扱ってなかったぞ?みたいな感じで、物事に意味づけない、と思っているけれどできてはいなかったので、その辺りをごそっと持っていかれた感じがあります。 わたしは夢と現実はつながっているものと思っているところがあるので、その軽さを夢に使っていたら現実にも影響するなあ、と感じます。 こういう思考が出てきた時に、「あ、そうか」ってなって、「そう、その辺だわね。これからわたしが新しく使っていきたいものは。」って感じました。 寝起きの名残りにあった、「わたしがこれまで信じてたそれは何だ?」という問いの答え。 問いと答えは一緒にあるって本当だなあと思います。 こんな感じで、どんどん寝起きの名残りが消化されていきました。 そして着地したな、ここだな、って感覚。 二日間を振り返ると。もっとデモが見たいぞというのと、もっと使えるようになりたいぞというのと、ああ!フォーカシングってこんなおもしろかったんだ、わたしのこれまで思ってたよりももっともっとおもしろいものだったんだ、もっと進めるんだ、というのと。 この満足したわたしを、そしてさらに開いたわたしをどう満足させようかという感じの現在です。 ... 映画「君の名は。」観てきました。 - 2016年09月02日(金) よかった! すごいよかった! なんなのでしょうね。今夏の日本映画はすごいですね。 シンゴジラも映画館で上映中の内にまた観たいのだけど、こちらももう一回観たいと思いました。 パンフレットは売り切れていて、明日に入荷のようなので明日以降にまた行かねばなるまい。 初めての経験だったのですが、この映画の上映が始まるとき、手違いで別の映画が始まりました。 え?と思って、でもここの部屋を案内されたよな、時間も合ってるよな・・・、と思い、周りもザワザワして来て、そして行動の素早い方々数名がスタッフの人に伝えてきてくれて、改めて本編が始まる、ということがありました。 そういった出鼻をくじかれる、ということがあって、映画を見るのに影響させたくないから気を取り直そうとするけどもやっとしている、そういう自分の感覚を感じながら見始めました。 映画の始めの頃は、なんだかんだとリア充よのう、と思ったり、シンゴジラ見に行ったほうが良かったかな、と思ったり、気が散ってた感じもあったし離れて見ていたような感覚があります。 映画を見終わった後。 そういうことがあったことをすっかり忘れていました。 よかった・・・素晴らしかった・・・。しかなかった。 あ、そういえばそんなことあったね、そんなこと思ったねって感じ。 偶然、映画館の入り口でこれから「君の名は。」を見ようとしていた職場の方にすれ違ったのですが、「よかったですよ、よかったです・・・」と去りました。 よかったことは伝えたいけど、自分の中でまた持っていたい、そんな感じ。新鮮に味わってほしい。 わたしの泣くポイントって自分でもよくわからないことが多いのですが。 (よくある感動させようとしてるシーンでは何とも感じない) 久々に映画館で涙がこぼれました。 うるっと来たら眼の中にまた入れる、ということを外で映画を見ているときはするのですが、入れる暇がなかった。たーたーって出てくるので。 表情は変わらず、涙はあごの下まで伝わってくる勢いで出てくるため、涙を拭いてるのか汗を拭いてるのかよくわからないという。 表情が変わらないってことは、感情とはまた違った涙なのかな。 そんな感じで、初めは何に泣いているのかわからなかったのですけど、しばらくしたらこの感覚に似ている、と思うものを思い出しました。 以前、瞑想で「内なる自分に出逢う」というものをしたのですが、その時の感覚と同じだなと思いました。 同じだなと思うことで、なるほどな、と思いました。 人と人とが出逢う。人が自分自身に出逢う。 これでなぜ泣くのかはよくわからないのですけれど。 時間は直線ではない、という考えかたもこの映画で思い出しました。 糸と糸が交わった点。 重なった部分。 重なった時間。 今という瞬間。 シンゴジラとはまた別の感覚で、3.11の頃に自分が感じた感覚を思い出すということができました。 どちらの映画もだけど、それは決して嫌なものではない。 いろんなことを感じていたのだなと振り返ることができたし、当時感じていた思い出したいことを思い出せたという気がします。 当時忘れていたことも思い出せた、みたいな感覚もあります。 この辺は映画の内容とも重なりますね。 何かあるのは感じている、思い出したいことはなんなのか。 また思い出していきたいなー。 こんな感じなので、映画の紹介文に「恋愛映画」と書いてあったのを見て、あ、恋愛、だっけ?そうか。そうだっけ。となんか変な感じもあります(^_^;) ... メンタルヘルスについての研修会 - 2016年09月01日(木) 終業時間となり、残務当番だったので機械をシャットダウンしてあとは帰宅する予定だったのだけど(そして3回目シンゴジラを見に行こうと思ってたのだけど)、10分ほど前に研修会に向かった上司から電話が入った。 「研修レポート書かなくていいから来ない?」 何の研修会かといえば、メンタルヘルスについて。 そんな!絶対好きじゃないか!と、二度返事で速攻向かった。 やっぱりおもしろかった。。。幸せ。。。 プレゼンスのお話だなあって思いました。 あんなわたし好みの研修会をタダで受けられるなんて(教育費として出していただけて)、いい時代です! ちなみに、どんなお話があったのかというと。 ・パターン化すると疲労につながる。 ・どうもうまくいかなかったり、自分のすることで誰かが怒っていたりする時は、パターン化している可能性がある。 ・大きな問題になってから解決しようとすると大変。 ・自分のパターンを知る。自分は平日にどう動いているか、休日はどうかモニターしてみる。そして自分にどんな原則があるか見てみる。 ・価値観が異なる人と必要なことはコミュニケーション。変えられるところ、譲れるところ、お互いの原理原則を知る。 行動の優先順位をつけ、お互いの折り合いをつける。 今、どこまでやるのか。 ・「あれが気になる」「もうちょっと上手くいかないかな・・・」と見ていると、プラスのことやもうできていることが見えにくくなる。 ・正解を求めるのではなく、実験をする。 ・時間を楽しめるかどうか。嫌なことがあってもそれにどう関わるか。 ・年を重ねることを拒否する、精神的なアンチエイジングへの疑問。(肉体的な意味でのアンチエイジングではない) エイジングを楽しんでみる。 ・抵抗することが鬱につながる。 ・パターンが固定化すると、「つまらない」「何か面白いことないかな・・・」と言い出す。 「この年齢になったからこうしてみようか?」と実験してみる。 ・パターンを変える。 順番を変える。やり方を変える。表情を変える。声のトーンを変える。 そういった少しの変化で脳が活性化する。 動きをいろいろ作ってみる。 ライフスタイルを作っていく。 ・いつまでも同じ状態にいる人、いつまでも同じ状態にいる自分を助けるようにしていく。 ・中年期のメンタルヘルス。 できるようになってきたことがある。一方で、できなくなっているように感じている。 実際は能力を身に着けてきている。それをどう使うか。 働き方、生活の工夫。変化したならこれまでとは別なものに変えて実験していく。 ・楽しむ、参加する、チャレンジする ・過去を手放さず、ストーリーを作りたがる。 「こういうことがあったから、こうなんだ」 逆に、未来を先取りして不安になるパターンも。 ・事業所のストレスチェックの取り入れ 個人のデータは個人のものだが、職場としては「組織全体としてどういうデータなのか」ということが大切。 誰かは問題がなく、誰かはストレスフルになってる、などのそのバランスがどうなっているか。 ・「若いから」「年取っているから」ではなく、それぞれができること、その人ができること、今できること。 ・ストレスがあっても、自分のクリエイティブさを出していく。 ・たとえ病で長く生きられないとしても、人生をどう生きるか、それを選ぶ力は誰にでもある。 こんな感じです。 それと、ひとつわかったことがあって。 プレゼンシングソマティクスの施術をやりたいなーと思っているけどなかなか行動にはならないままのわたくしですが。 わたしが楽しいのって、1対1ではないんだよなあって。 人と話したりすることは1対1の方が好きなのだけど、「その人を」「その人のために」とかそういう「個に向かって」という感じでは動機としては発動しない。 職場のみんなでそれを意識して、できなかったり難しかったりしながら、深いところで共通して皆が求めているそれを意識して取り組む、みたいなのにときめくし、職場で教育されたことがその人の子供に自然に伝わって社会全体が教育されていく、とかそういうことにときめく。 全体の流れ、それを見られる、みたいなことが動機になるのだよなあ、とわかった。 (「で?」みたいな感じではあるけど、わかった) ...
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