つらつら - 2011年05月28日(土) 基本的にわたしはいつも、悩んでいたり、迷っていたりすることはあらわさず、自分の中で練って練って答えを出す。 な、の、で。 自分でいることをやめる、つまりいつも使うこのパターンをやめてみるべと、誰かに相談というか、話をしてみることにした。 それで気づいたのは、どうして自分の中で練って練っていたのかということ。 相談する人は相手の人に決めてもらおうとしていると、どこか思い込んでいたところがあるみたい。 なんでそう思ってたのだろう??? 決めるのはわたしとしても、その過程で誰かに話を聞いてもらうのもいいなと思った。その方がいい感じもする。 ということで。 誰に言おうかな〜とタロットを引いて、いちばん穏やかで着実な感じがするカードの方に話した。カードそのままの感覚を得た。 でもおもしろいことに、胃のあたりの位置の背中側が痛くなったw 第3チャクラだよねー。自己だよねー。 で。 ええ〜?なんで? 正直にリラックスして自分の思っていることをそのまま言えたし、反対されたりもなかったし、自分そのままだったと思うんだけど。 と、振り返ったところ、納得。 その「思っていること」そのもののベースがおかしかった。 ずうっとがまんしていたことをこれからもがまんし続けるって設定上になりたっているものだった。 そこには期待も存在していて、「きっとこうなるだろうから、それまでがまんしよう…」というもの。 そして気づいたのは。 「きっとこうなるだろう」はもう年単位でそうなっていないという事実。 それをまた続けようとしている自分。 あほらしい。 ということで、さあどうするかどうしたいか、ともう一度整理する予定。 スクールの宿題中。 おもーくなっていた。 全然重くなる理由がわからなかったのだけど。 実際、はじまってみたら幸せ気分や新たな視点を味わってばかりだし。 あの気分の重さはなんだったのか、観察中。 ... つらつら - 2011年05月27日(金) 時間はまだある。 なんとなく、ちゃんと取り組めるように時間を用意されたような気がした。けっこうある。 数週間後の自分はどうなってるかな。少しは変わっているかな。 じっくり時間をかけて決めよう。 どうするか自体は問題じゃないなあと感じる。 どのような自分の内部の反応・感情からそうなったか、が重要だなと感ずる。 ... つらつら - 2011年05月22日(日) 5月のスクールに行ってまいりました。 つーかーれーたー。 今回はしんどかったなー。 自分の興味がある分野なので、とってもおもしろいのだけど、すんごいきらいーと思いながら2日間過ごしました。昨日は最高潮にへろへろでした。 授業、多数決を使わず決定っていうのがうれしい。できたねーっていうのがうれしい。 自分のジャッジメントをさんざん見ることになった。 それは子どもの頃からのものだってのも気づいた。 ジャッジが自分からたくさん出るほど疲れるねー。 ゆっくりしたホロトロ(呼吸法)をしました。ゆっくりなのに、涙とはなみずがたれながしw でもおかげですっきり! 瞑想でも涙がだらだらー。 しるがたくさんでたな。 そして今回やる宿題、…気が重い。 わたしの場合、やりたくない理由は特に見つからないのだけど、それなのに気が重い。 ということで、今日はとりあえず寝ます。 振り返ったり宿題にとりかかるのは明日からにしよう。 ... つらつら - 2011年05月18日(水) マッサージに行ってみた。 ひさびさ。 2時間コース。 ゆるんだ。 自覚してない部分までめっぽう疲れていたことを知った。マッサージされている時、あれ?この感覚は…という感じ。 あぢー(*゚ェ゚*) マッサージの仕方が好き。 頭があっちいったりこっちいったり。あとは呼吸を合わせて、お任せ。それほど痛くしないし。 マッサージよかった。でも落ち着かない部分もある。 ふたつあって、ひとつは自分の問題。 もうひとつはたぶん、個人でやってるひとじゃないと難しいかもしれないなと思うので、できればそのうち個人ではじめてくれたらうれしいなと思う。企業としてそれができるのだったら、わたしも就職したいかも。 また行ってもいいなー。 ただいま水分、がぶがぶ飲んでいる。流してしまえー。 反射的に反応したことがらをみていたら、信用を失うことが怖い、という自分に気づいた。一度信用を失うと、もう二度とわたしの話を聞いてもらえない、という思い込みがあった。 信用を失いたくないから、信用を失うようなことをしていたという矛盾した自分に気づいた。 ただ落ち着いて、自分を信用できる行動をすればいいだけだな、と思った。 今日母が言っていて、へえーと思ったこと。 わたしが幼い頃、よく親戚の家に行っていたのだけど。 母と別れる時にわたしは悲しそうな顔をしていて、それがかわいそうだった、と言われた。わたしは行きたくなかったのに連れて行かれる、みたいな。 で、わたしの方の感覚としては、親戚の家に行くのは大好きだった。わたしは行きたくなかったわけではなくて、お別れ自体が悲しかった。 だから、母と別れる時も、逆に親戚の家から実家の方へ戻る時も、はたまたいとこたちが夏休みに遊びに来た時に東京へ戻る時も、どれでも悲しかった。 ふうむ。 すんごい興味深いなと思った。 近くにいたおじいさんの話が聞こえてきた。 「幸せなんだー、まだ幸せ残ってるんだー」 と本当にうれしそうに自分自身について言っていた。 おじいさんの奥さんは若い頃に、4人の小さい子を残して亡くなってしまったのだそうだ。 おじいさんはおじいさんになってから病気になったのだけれど、お孫さんと息子さんと住んでいるのだそうだ。 「ふたりぶんだから」って言われているのだそうだ。 それがいいわるいとかじゃなくて、おじいさんがどのように生きてきたかが、なんとなくわかるような気がして興味ぶかいなと思った。 ... つらつら - 2011年05月15日(日) からだに疲れがあるので、今週はからだにやさしく期間ということで。 第一弾。 生活の木にて、おなか用オイルと肩用オイルを購入し、塗り塗り。症状としてはお腹と肩よね、と思いつつ香りに惹かれるもの、とくんくんしたわけですが、ちゃあんとおなか用と肩用が欲しいによいなのよね。 第二弾はマッサージ2時間コース予定!(マッサージひさしぶりだー) 週末にスクールがあるので、それまでに出しとこかというもくろみ。 現在、講義のメモをまとめている。 まとめていて、実生活で「おおう、これできてないぜ」「あーそうか、習ってたねえ。本番はそんなの飛んでっちゃってたなあ」と併せてみている。 実践で使わないとな。使えてなかったことがわかったのは、やる気出る。 ほんとに好きなんだなあ、と思う。 知りたかったことばかり。 ゲリーさんは相手と異なる自分の意見を話す時に、相手の人の答えを否定しないよなあ。さりげなさすぎて見逃す。 んで、ホロトロ自宅で実施。 ずっと前も「この呼吸法はすごいな!」と思って自分ひとりでやってみようと思ったんだけど、できなかった。 しんどいから。 少しやったら途中で「…やめよう」と思いはじめてやめる。 で、今回は授業を動画で復習できるため、それで一緒にやってみた。 励ましたりダメだししてくれたり、ナビしていただけるので。 かちかちになった。 授業でみんなとやった時のが感情は出てきた。まあなに出してるか知る必要ないしな。 呼吸も自分ひとりだと途中から肋骨の方に空気が入れられなくなってきてた。授業中だとメンターさんがチェックして声かけ・アドバイスしてくれるからありがたい。 それでも、かちかち度合いはなかなかです。耳鳴りも。なみだも。はやくかちかちにならないくらいになろう。 かちかちの強度もからだの位置によって違っていて、興味深いのでメモった。 ホロトロは、からだに疲れがたまってたし、それと繋がってるかもだけど先日の誤解の件がまだ自分の中で「もやっ」てるみたいだったから、出してしまいたい!と今回やる気まんまんでした。 からだの抵抗なのかリリースなのか、腹こわしましたが。 (パンくらいしか食べてない) すごいわー。 呼吸法したら、あっちゅー間にすっきりした。 …しばらくホロトロ期間でもいいなー。 口だけの可能性。そして、これ、からだにやさしく?なのか?とか思ったり。 あめとむち期間? ... つらつら - 2011年05月13日(金) 誤解をされたらしい。 「こういうこと言ったの?」と聞かれて、?となった。 完全に違っているわけじゃなくて、確かにそのようなこと(わたしはそれは苦手なことなのでやりたくないな、と思うということ)を言ったけれど、相手の方がとるような意味で言ったわけではない、というたぐい。 まあ、大抵はこういうときは、相手の方に直接言ったわけではなくて、間に人が入っている場合なのだけども。 直接確かめずにムカつかれてもな、と思うのでした。 でも、今回なにげに誤解されてよかったなあと思うのは、みっつある。 ひとつは、葛藤がどんなふうにできていくのかがわかったということ。 そういう意味じゃないけど嫌だと言ったことに対して批判された、協力しない、など反応された時、そもそもの自分の素直な気持ちを言わなくするという方法に移ってたな、と。嫌だという気持ちは表現せずに、我慢して協力するという方法。 今は違うけどね。違うから、それはやらない、って決めてるから気づけた。 もうひとつは、 やりたくない=やらない と受け取られるのだなあ、ということ。 わたしの場合はそれ、イコールではない。 やりたくない場合、どうしてやりたくないのかを見ていく。なにがやりたくないことなのか。 やりたくないことをやらなくて済むように工夫したらやりたくないことじゃなくなることもあるし、やっぱりやりたくないことと判明してそのままやらないと決めることもできる。 今回の場合、わたしが早起きが苦手ということが原因なのだけどね。 あとは、誤解されるのもなんとなくわかるなあという感覚が出てきた。だからあんまり気にならない。 相手の方を見て、ああ気にしてるみたいだな、と眺めている余裕があるくらい。 (正直、嫌だなとは感じたけどねー) だって、けっこう違うもんね。ひとによって受け止め方とか自分が何に価値を置いているかとか。 あ、まだあった。気づいたこともうひとつ。 わたしにとって睡眠が人生をだいぶ左右してきたということ。 たとえば高校以降、進学先・住む場所の決め手は、睡眠時間をとれるかどうか、というものであった。 わたしにとって睡眠ってなんだ? (わかったら、ちがう疑問が出た) ... つらつら - 2011年05月12日(木) やりたいことたくさんでブログ書けないでいます(^_^;) まず、宿題に追われています。 週一で締め切りが迫ってくるw ←あまりのぎゅうぎゅうさに笑ってしまう もうひといきで、とりあえず一週間宿題なし期間に入れるぞ!と自分プッシュ中。ふうふう。 それから、スクールの復習。これは自分がしたいからなんだけど。 講義の映像とメモを見ながら復習。 それを見ながら気づいたもの。 そうじゃないかなあ、と思ってみたらそうだったのだけど。 質問をしたのだけど。 質問した声よりも、最後にありがとうございましたと言った声は小さいはず、と思ったらその通りで。 なんでそう思ったかというと、ゲリーさんから質問の答えを聞いている最中、なんだか居心地が悪くなったから。 で、いつものように自分の気持ちを見つめたわけですが。 小学生の頃の教頭先生の思い出と繋がった。 誤解されて怒られた思い出。 でも、別にゲリーさんに誤解されたわけではないし、どなられたわけでもない。 なんで重なったんだろう?と思った。 たどっていったら、「自分が想像していなかった応答が来て、それはわたしがしていないという内容だった」という共通点があった。 ゲリーさんはわたしがそれをしていないと言ったわけじゃなくて、言われてることを聞いてたらわたしはしてないなと思ったわけなんだけど、教頭先生に怒られた時と同じフィーリングだった。 それが、なんというか、うわあ!と思った。 2人はこんなに異なる表現をしているのに、受け止め方が一緒くただ!と。 その上、「経験中、リリース中はわかろうとしない方がいい」という言葉も、すごくその通りと思うことになった。 わたしの場合は、「わかろうとすること」自体が生き残り戦略に使ってたことだということがよーくわかったから。 教頭先生に怒られたことでも、「わたしはわるくないけど、怒られないで済む言い方がわかっていたらよかった」と強く思ったし、怒られないためにはわかることだ、と思った感覚があるなと思う。 わかることは楽しいことなのだけど、別にわかろうとしなくて良くて、ただわかるのを楽しむ仕方ってどうするんだっけ?みたいな感覚になっている。。。 ... つらつら - 2011年05月06日(金) のどが治ってきたなあと思ったら、今度はお腹をこわした。 自分を大事にしてないとお腹をこわすことが多いので、それかしら。 今日は朝から思考のベースが腹立たしい感じがあって、 ええい!面倒だから出しちゃえ!思いきって外側に表現しちゃった方がわかりやすい! と思ったのですが。 …違うものも面倒だから出したのですね、今思えば。 自分の考えには注意しよう(*゚ェ゚*) まあおかげさまでいろいろわかった。自分ができるようになりたいことで、今できてないことが多数見えた。 (それがまた腹に来るわけだ。自分にやさしく〜) スクール、映像で復習。 こんなこと言ってたっけ、とメモったところにさらに付け足してメモる。メモるだけですうっとした感覚になる。 (というか、メモを読むだけで感覚が変わる) けっこう話を覚えていないのだけどw、ある人の質問の時に自分の感覚(からだ)が変わって、なにに反応してるのかなあ?と思った。 本を読んでも、この感覚になることがある。(読んだ本による) ああ!宿題もしないと! やりたいことがたくさん! 日曜はドミューンもチェックしたいし。 アーへ(´д`へ)(ノ´д`)ノコリャコリャ とりあえず今日は呼吸法して寝ます! じゃあねん☆ ... つらつら - 2011年05月05日(木) んんん! あ、あ! のどの調子がまだ本調子でないですが、かぜ治ってきました〜。 痛みはだいぶなくなって、もう少しかなあという感じ。 呼吸法はそれでも毎日やっていましたw かぜまっしぐらの頃は無理するとおもっきしせきこむ&きもちわるくなってました。あほだ。 で、この呼吸法はどう?飴なめてからだとどう?とか様子を見ながらやってました。 いやー、まだ習慣がついていないから、完全に休むとほんとにやらなくなる可能性があるので。 まだ、のどの様子を見ながらやってるかんじです。 でも、呼吸はぐーっとたくさん吸って吐いてしている。 だけど、テタニー出なくなった。耳鳴りしなくなった。 からだ、慣れてきたねー。 今は手のひらがじんじんしたり、みけんがもにょもにょする感じで時間が終わることが多いかな。 スーパーの半分が地震で使えなくなったところがあるのだけど。 使える半分で営業しているので行ってるのだけど。 なんか、ださい! というか、ふるくさくなってるんだけど! なんで? なにが違うの? と思った。 変わったのは配置とか、あとはちょっとぎゅうぎゅうに置いてある。 本屋スペースがなくなった。 うーん? 本屋、関係あるかなあ?なんだろ? と眺めていた。 出入り口を入ったとたん、惣菜がどーんと置いてあったりとかの影響もあるのかな。 どうやら、「衣食住」が間近にどーんと迫ってる感じ、それをわたしはださいと感じるみたい。 本屋がなくて、空間もなくて、色が氾濫してないところが少ない。 まあ、力強いんだけど。不安な人はいいかもしれない。 でもわたしの好みではないため、しばし同じチェーン店の地震の被害をあまり受けなかったお店へ通おうと思うのでした。 ではこれから呼吸法をばして、夕食! 食べ終わりました。 記事を読んだ。 うしが人によって、「こう言ってるに違いない」としゃべらせられていた。 事実に沿っているけれど、でも事実以外の自分が想像したことがたっぷり入っている頭の中にあるもの、それに対して怒っている人。 気持ちに同調するけど、なんだかなあと思うのも正直なところです。 でも、なんだかなあと思いつつ同調もするから、とても中途半端なところにいる。 それでOKだと思う。 だけど、わたしもこういうふうに話したいなあと思ってる。 ...
|
|