日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年04月30日(土)

かぜっぴきです~

うー。のどがいたいー。はなみずー。

スクール疲れかなー。

最近ブログに書くことがあんまりない、というか、ブログ書く時間をとるなら呼吸法の時間を!みたいになっているw
マイブーム呼吸法がもうちょっと落ち着いたら書くのかも(^_^;)

のどがいたくて、呼吸法1日1回になっている。
(鼻呼吸、のどが渇いて痛くなる)

からだにやさしくしたい。一方で、からだが抵抗してるのかなあと思っちゃったりも。

いいやー、抵抗しても受け止めるから思う存分やりたまえ。
抵抗に疲れたら(体調がもどったら)またやるのでよろしくね☆



ツイッターでリツイートしてるけど、大友良英さんの芸大での講演「大友良英/文化の役目について-震災と福島の人災を受けて-」がとてもよかった。
おっしゃっていたこと、福島の感じとかわたしもそう感じていることばかりで、そしてそれを言葉にしてくれたので、いやあその通り!と思いました。

これを見て、そういや母のくちぐせは声をひそめて「めったなことを言っちゃだめ」だったな。。。と全然関係ないことも思い出した。
それに、そうかなわたしはちがうけどな、と感じた時、わたしは賛成も反対もせずにただ聞いているのだけど、大友さんみたいに言えるといいなあ、って思った。
自分がそうありたいんだな。
どうしてただ聞いているのかしら?と思ったら、人数が多い相手に伝えるという部分で、なにかに自信がない模様。自分の発言への責任かなあ。

なんというか逆転裁判とか好きだからなのか、あのわくわくを現実で体感できるチャンスでは!とわくわくしてしまうわたしなのです。

ゲームと現実をごっちゃにしている?
でも、使えるものは使おうって感じなんだー。あのスカッとする感じ、体感するぞう!


...

つらつら - 2011年04月27日(水)

呼吸法でなのか、スクールでなのか、両方でなのか、へろっと疲れています。。。('д')
ひさびさに口内炎大発生するし、のどもイガイガ。想定内ですけどもー。

呼吸法3日目。1日2種類を選んで実施中。
まだまだテキストその1に書いてある呼吸法、1周目終わりません。
とりあえず観察しているのは、自分のからだの反応。
呼吸法によって違うのか、それとも回数こなして慣れが関係するのか、観察するため、全て3周はする予定ですw
それぞれ大体受け取る感覚がわかったら、あとは自分の好きなのとか、その日にやりたいものをやろかなと。

ちなみにテタニーと耳鳴りは出なくなりました。
呼吸法によっては出るのかもしれないけど、スクール中に比べて月曜火曜と段々出方が軽くなって、今日は出なかった。
呼吸をいっぱいしても貧血にならなくなったということだよね。

意識して、ひたすらのんびり過ごしている現在。


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つらつら - 2011年04月25日(月)

今日から呼吸法をつづけてみることにした。
つづけるといっても、ひとつのものをずっとというわけじゃなくて、いくつもあるなかから選択する感じ。
実験くんです。

まずは、うらぎりを手放す呼吸法。
手と太ももに若干のテタニーが出た。あとは耳鳴りというか、さらさらとした音が聞こえた。
気づいたら歯を食いしばっていた。
なかなかしんどい。

そして、正しくある必要性を手放す呼吸法。
なぜか感情が出てきて泣く。
それから耳鳴りさらさら。
右手がなんか緊張しているのがわかる。リラックス~と思っていても力が入るみたいだった。

ふうむ。。。

けっこう違うものだなあ、自分が反応しやすいのはどの呼吸法かなあ、と興味が出た。
ちょっとメモっといて傾向を見ようー。

しかし、普段、呼吸あんまりしてないんだな、と実感する。
呼吸して腕と足が筋肉痛。。。別に呼吸しているだけなんだけど。


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つらつら - 2011年04月24日(日)

4月のスクール2回目行ってきました。

つかれた!

おもしろいんだ。想像以上。
スクール中もひたすら自分見てます。
でも、つかれるんだ。想像以上。

ということで、ねむい。
身体にやさしく、せざるをえない。

身体に声かけ。
おつかれー。いやあ、よくやったねー。もんだげるよー。もみもみ。またやるからよろしくねー(笑)

習ったことを復習する暇がないくらい、やること(宿題)がぱんぱん。やりたいこと(呼吸法それぞれ)がぱんぱん。

意味づけない。
これがいちばんわたしにとっておおきなアドバイスだったかなー。
いやあたくさんありすぎ。
メモ追いつかないので、書くの諦めた部分もアリ。時期が来たら復習する。

情報多いと、ブログを書く気がしない(^_^;)


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つらつら - 2011年04月19日(火)

待ちに待ったスクール、行ってまいりました。4期生どすー。
今回は3日間。

呼吸法のおかげでからだ(背中とおしり)が筋肉痛。。。
WSでもうやったことがあることとか、聞いたことがあることとかも多い中で、また新たに聞くこと・わかることも多くておもしろかったです。

とはいえ、1日目はなぜか終わった後、きぶんがどんより重かったけど。。。
(理由がこれとわからない)

自分の体験を書こうかと思ったんだけど、いつものように書いていったら、今自分にあるこの感覚じゃなくなってしまいそうで、どうしたらまたこの感覚に戻って来れるのかとかよくわかってないから、まだなんかあまり書く気にならない。

その中で書きます。(書くのかよ)
この感覚でなくなる理由は、なんとなくわかってる。
感情の物語にはまるから。物語、好きなんだよなー。


ワークしていて気づいたことは、自分から悲しみの感情がよく出てくること。
なぜか悲しい。
悲しいと一緒にときどき怒りも出てくるけど、悲しいがほとんど。

で、悲しいの下から、ほんのちょっと、顔を出したもの。
あわーいピンクのような、さわさわふわふわというような、雑に扱うとすぐに汚したり風合いがなくなったりしてしまいやすいような、そんなものが見えました。

服に例えたら、汚したら目立ちやすそうだし、汚れないようにとか汚れを取るとか保管とか、お手入れ面倒だからと言って買わないようなタイプのもの。
どうやらそれを持っているらしい。

ううむ。面倒か。。。

世の中に、悲しいことがたくさんあふれていて。わたしはそれを味わいたくないから葛藤にしているっぽいなとも思った。

子どもを産む理由とか、いくつかのお話、悲しくて仕方がなくなってしまった。

悲しい、悲しい、と味わっていたら、
「現実は悲しいことがたくさんある。いちいちそれに泣いていてはいけない。泣いていたら何もできない。」
という自分の思い込みを見つけた。

悲しいこと、ちゃんと味わおうと思った。
味わって、味わいながら行動しよう、と思った。
味わいたくないから葛藤にしているのなら(ひとつの仮説)、味わっていい、悲しんでいい、その上で動こうと思った。

そしてもうひとつ気づいたのは、悲しいと喜びの感覚が似ているということ。うまく言えないんだけど。
ワーク中、笑っているのに泣いていた自分を見て、そう思った。



ちなみに2日目の昼。グラウディングを高める呼吸法をした後のこと。
携帯電話がこわれた。
充電は朝までしていたので、98%だった。
ワークが始まるからと電源を切ったのだけど、暇ができたからメールチェックしようかなとふたたび電源入れようとしたら、うんともすんとも。

充電池を入れなおしてもだめ。

ホテルロビーのパソコンで、電源が入らない場合を検索したら、充電器を差し込みながら電源を入れてみる、とかあったのでやってみたものの、充電すら機能しない模様。

ということで、1日半くらいネット世界から決別。

まだ買ってから1年経っていないため、保証書を持って携帯ショップへ。
ところが、携帯を買ったお店は地震でお引越しの模様。
他にどこあったかなーと記憶をたどって、確かあそこそうだったような。。。違うメーカーさんだったかな、と車を走らせると、そこでよかった。

携帯ショップで点検。
充電器をつないでもやはり反応しない。
そこで、充電池を換えたら電源がついたらしい。
それなので、機能しなかった充電池を機械にかけて点検してもらった。
そしたら充電池、なんの問題もないと。
で、なぜか使えるようになってかえってきた(^_^;)
98%の充電が、ほとんど放電されてた。。。

店員さんの話によると、まれにあるらしい。

でも、まあ、機械系はなんとなくそういうことあるよなとは思っている。
もともと静電気持ちやすいひとではあるのだけど、それがなにか関わるのかも関係ないのかも知らないけど、ワークしたりすると機械がなんか作動がいつも通りにいかなかったりとか、現象として、よくみる。
不思議なものだ。


ちなみに、スクール前に「柳沢教授の生活」のベスト盤を、気が向いて買っていた。他の本を買うついでに目にとまった。

以前、読んだことはあって、おもしろいなあと思ったことはあったのだけど。
今あらためて読んだらば、「自分自身でいるってこういうことだな」ってしみじみ思った。
芸術家は芸術家でいればいい。女王様は女王様でいればいい。


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つらつら - 2011年04月15日(金)

夢にて、「香水を嗅ぎなさい」と言われた。地に足着くらしい。ふうん?



自分が、話ができなくてさみしい、と感じるルートに気づく。「話ができない」と思い込むルートに気付く。

好きな人と好きな人が話している時は、楽しそうだなあと思うだけで葛藤しない。
話しづらいと感じている人同士が話している時も、特に興味を引かないので葛藤しない。

でも、好きな人と話しづらいと感じている人とが話していると、さみしくなるらしかった。

気づいたら、さみしくなくなった。
逆に、わたしはこの人を気にいっているのだな、と気づいた。
この人を話しづらいと感じていたのだな、と気づいた。

で、そう気づいたらこれまた、話しづらい人に対する気持ちも変化した。話しづらいと感じなくなった。
おもしろい。

ちなみに恋愛だと逆っぽい。
好きな人同士が話していると葛藤がでてきてたっぽいw ほおほお。




自分がポジティブ側から見ていることは自覚している。
検証の方向は、ネガ側からでもポジ側からでもかまわないと思っている。
自分の仮定がどういうものにしているかに気づくことができるのはうれしい。気づいたら、それは思い込みではないかを検証してみる。

ポジ側の例。
たとえば、放射線科の先生が何人かやめているんだけど、と話が出た。
「ってことは、ここがあぶないって知ってるからだよね…」と心配するセリフを聞く。詳しいひとがやめてしまったということは…と不安に。
わたしは「先生の場合、これまで浴びている量もあるだろうし、治療の線量だとかなり多いだろうし、累積の健康への影響を判断しての行動としてもベースが違うのでは…」というようなことを答えた。
そもそも論点が違う可能性もあるけどもー。

その話をしていて、今放射線治療をしている患者さんって、どんな気持ちなんだろうなあと、ふと思った。




さて、今日は早く寝るぞ。


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つらつら - 2011年04月14日(木)

ニュースを聞いて、かなしいなとかつらいなとか感じていた。
人の感情を意識するニュース。

対岸の火事として見ているのだったら、たぶんそこで終わるかもしれない。
想像して、同調して、募金してみたりとか、そんな感じ。
自分の体感ではない感じ。想像の体感。

今回そうではないためか、おかしな発想が自分から出てきて、そうきたか…と思った。

出てきた発想。↓

こういうことが書かれた物語って、もうありそう。
先人に、こういうことを体験している人たちって、もういそう。
事実がどう、というものではなく、何かが起きた時に人の感情は、行動はどのように動くか、感情が関わっているもの、という意味で。
そういうの、もう出ていそう。

それを読みたい。
読んで、実際と照らし合わせてみたい。
昔の人のやったことと照らし合わせてみたい。
物語からヒントが見つけられるのなら、試してみたい。
今感じるものと同じことが書かれていたなら、今よりも高い目線から大きく物事が見られるような気がする。

人間が繰り返しやすいこと。
書いてあること。
それを実際に「体感」できるとも言える。感情を振り回されたりする必要はない。

自分がその世界に入ったらどんな感覚か。
本じゃなく、想像じゃなく、実際そこにいるとどんな感覚か。

RPG好きとしか言いようがないな、と思った。
好きなのだったら、使わせていただきます。

まず初めに、デフォーの「ペスト」を読んでみようと思います。
感想を読んでいたら、人の反応の仕方がすごく似てる。
恐れ、デマ、パニック。そのとき人はどう生きるのか。同著者のロビンソンクルーソーもついでに読んでみる予定。


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つらつら - 2011年04月13日(水)

むっきゃー!と怒っていたこと、怒るパターンになってたことがあった。

「どうして忙しいのに何度もわたしに声をかけるのか!」(他にも人がいるのに!)
って怒るパターン、よくあった。

まあ、「どうして!」っていうような時は、大抵は相手の気持ちを聞こうという感じじゃなくて、相手を否定しているよなー(苦笑)

今日同じことを経験した。

でも少しずつ過去のことになってるみたい。このパターン。

嫌だな、って感じた時に気付いた。
そして、観察した。
観察してたら、どういう鏡かがわかった。

相手の方は、わたしが忙しいかどうかは気にしていない。もしくは、忙しい時は忙しいと伝えるだろうという感じか?

だけどわたしの方は、どうやら相手の方が忙しいかどうかをまず見定めるような癖がある。
忙しくないかを問うし、それを聞く前に聞いて確認できるかどうかもまず自己判断している。

今日はじめて、そういうことを自分がやっているのだということを自覚できた。

自覚していなかったため、わたしとは異なる行動をとる方に怒っていたようだ。
自覚してれば、怒ることないんだろうなあ。たぶん、また忘れるだろうけどわかったぞう。

観察。
とにかくこの1ヶ月は、特に観察しまくりのような気がする。意識的にならざるを得ないというか、「わたしはこれをする」とか「わたしはここにいる」とか、決めている感覚が多いなあと思う。そうしようと意識してというよりも、そうしないといろいろな価値にまみれて混乱しやすいので、やらざるを得ないという感じ。

うーん。これで疲れているのもあるのか?


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つらつら - 2011年04月12日(火)

なんというか、いろんな意見があるなあと思う。
いろんな意見があるのを知るのが好きだから読んだりするけど、自分の意見は自分の意見ではっきりさせておこう、と思う。

こちらのブログを読ませていただいてもそんな感じ。
いろんな意見があるなー。

変な部分にいちゃもんつけられていたり、情報が正確でないと言われたり(それを求めるか…)、ニュアンスの取り違えで誤解されてるっぽかったりも多いけど、この方の「引け目を感じるな!」という部分にわたしは同意です。
コメントを読んでて、いちばんこの方が言いたい部分を聞いてないひと、結構多いなと思った。ちゃんと受け取っている方も多かったのはうれしかったなー。(コメントの書き方も違う感じがします)

なので、「ひとの話を聞くこと」について思った。
言葉を聞いて、自分のいちばん気になること(言いたいこと)をコメントしてるひと、「言おうとしていること」を聞きとってそれに対してコメントしているひと、がいると。

話変わるけれど、どなたかが書かれたコメントにあったけど、「福島県民が風評被害を被害者意識で~」みたいなのはわたしも感じた。
県外の人がどうこう、とかニュースで聞く前、というか地震当日に不安がってた人を見て、おいおい!と思った。ってことはご自身も他県でそうだったら同じことをするってことなのだろうな、とも思った。

ま、とにかく、あんなふうに自分の意見を言えてるブログに、すごいなと思ったのでした。

あと、そこのコメントを読んでて「いつでも戻れるから逃げろ」みたいのがあったのだけど。

それに悲しくなった自分がいた。

うーん。なんというか、言うのが難しい。
場所に対してはいつでも戻れる、みたいに思えるけど、離れたら戻れないものがあるような感覚がある。
当たり前にあったつながりかなあ。

旅行気分で離れるというのも自分の中ではアリだけど、あんまり離れたい気がしないんだよなあ。。。
自分ひとりが移動、っていうんだったらどっちでもいいというか、別にこだわりがないんだけど、母を思うと腰が重くなるかも。
自分が、行きたい!とか行きたくない!とか、はっきり意見があったら関係ないんだろうけどねー。
どっちでもいいからなー(^_^;)

ちゅうても、まだ離れる必要性を感じていないため、いるけどねー。
(ちゃんと毎日放射線量チェックして、累積大丈夫そうか計算はしてるのでご安心ください)




今日は、怒りをぶつけられてびっくりした。
怒りをぶつけられたのだけど、相手の方が受け取ったことは自分が伝えようとしていたことではなくて、その相手の言い分はその通りだなと思ったのもあって、「?? そうだね。」という感じ。
いきなり怒られるとびっくりするー。
びっくりしないようになれたりするかしら。大きな声でびっくりするようなものだからむずかしいか?

あー、でもここもクリアしたいなあ。
違う意見や新しいアイディアだったりを伝えたら、相手の反応にびっくりするかもしれないから言えない、じゃ、やだもん。




あ、地震、無事です。
最後に言うことじゃないか。
震度5以上は怖いですが、時間が長くないなら大丈夫。
身体が怖がる震度ではなくなってしまったな。(寒くなったり震えたりしなくなった)
今怖いと思うのは、地震による建物が壊れて~とかの影響だったりとか、頭部になにも落ちてこないで済むかとか、冷静なそっちの怖さ。
感じる怖さではなくて、頭で考えた怖さだな。

なので今日は、震度5の中、すたすたと普通に歩いて扉を開けました。


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つらつら - 2011年04月10日(日)

MOTHERの実況プレイをちょこちょこと見ている。楽しそう。

高木正勝さんの動画を見ている。
色が好きでたまらない。
音も好きでたまらない。

聞いていたら思い出したこと。
ピアノの音が好きだったこと。
小学生の頃、友達のピアノ教室についていってたこと。(4か所くらい)

それなのになんで習ったりしたいって思わなかったのだろう?親に頼んだりもしなかったなあ、と思ったけど、お金にならなそうだからと思ったことも思い出した。
いくつの頃からそういう思考を持っていたのだろう。

せつないもんだ。

まあ、自分で弾くものという感じでもなかったけどね。
オルガンあったけど、それほど弾かなかったしな。
ピアノの音じゃないからというのもあるけど、自分で弾きたいかというと「?」という感じだ。

今も弾きたい感じはないし。
この感じだとたぶん、せつないのはピアノを弾かなかったことではなくて、「お金にならなそうだから」ってその時期で既に当たり前のように思ってたってとこだわ。当たり前て。。。

うーん、でも違う意味で見てみると、「弾きたい」って感じじゃないからお金になりそうではないわな(^_^;)
一方で、ピアノの音を聞きたい、という欲求には素直だったなあ、とも思う。

問題なし。

そん時はそん時だ。
今も好きなものを好きなだけ、聞いちゃる。浴びるほど。


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つらつら - 2011年04月09日(土)

ほんと、わたしは同じことをぐるぐると行動しているなあ、と思う。

自分の感情を意識していると、あれ?この感情、他の時にも知ってるぞ?みたいなのに当たる。
「すてきだなあ」はもうめっぽう味わって過ぎてしまうので、後からも注目するのは「いやだなあ」というものなのだけど。

ってことは、味わってないってことかw

いやだなあとちゃんと見ていると、とっさにやりたくなる行動を留めておくことができる。
とっさにやりたくなる、でもそれはわたしのやりたいことではなかったりする。
やりたくないけど、何かを恐れていて、それをどうにかしたくてやりたくなってしまうこと。
喜びからではないこと。

というか、いやだなあと思う必要もなくて、ただやらなければいい、ただ自分を表現するだけでよいのだなあと思う。
相手の行動や感情を否定することもなく、ただ、わたしはこうする、わたしはこういうひとだ、と伝えるだけでいい。

わたしは以前から、相手の人の行動や感情を否定したくなくて、ずっと甘んじていた。

でも、相手を否定しなくてもできるのだ。
ただ、自分を知っていればいい。
やっとそう気づいてきた。

昔できなかったことが、今できるなあと感じるのはうれしいです。
いやだなあ、と感じても、あれ?これできるぞう?と気づくのはうれしいです。


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つらつら - 2011年04月08日(金)

地震慣れてきた、驚くけど怖くないぞう、と思ってたけど、昨晩震度5強の地震。
5以上はやっぱり怖い。身体が、怖いっていう。
身体が怖いよーと伝えてくるのと、頭で怖いって思うのとがどうやらわたしは別々にあるみたいで、ときどき「大丈夫って落ち着いてていいのか?」と思うことがある。
もっと身体の「怖い」ってのを聞いてあげた方がいいんじゃないか?とか。
身体の叡智を使えていないんじゃないか?とか。

でも、怖いから行動、ってなるとおかしなことにもなりそう。
とりあえず、怖いよねーって身体をよしよしと触ったりしてあげることしか思いつかないから、それだけをしている。
どうつきあっていけばいいのかなあ。。。




昨日はたくさんたのしいこともあった。

いつも行ってた美容室が使えない状況になって、美容師さんもおこさんが小さいので大事をとって県外へ避難中なため、行ったことのない美容室へ行ってみた。
髪を切ってもらうとか、頭を洗ってもらうとか、スタイリングしてもらうとか、。。。なんか、もう、しあわせ実感してばかり。ひと月前までは何にも感じてなかったのにね。


夜は高木正勝さん×鈴木慶一さんのライブを見た。かぶりつきで見た。

そもそもは、ゲーム「MOTHER」シリーズの音楽を演奏するということで、「MOTHER」が大好きなわたしは楽しみに見始めた。

「エンディングまで泣くんじゃない」って、ゲームのコピーを何度も参加者ツイッターで流れていたけど、もう最初から泣いてるおいら(^_^;)
だめだー。頭で覚えてないけど、身体がゲームでの感動なり感情なりを覚えてて、勝手に泣くのよー。

で、高木さんや慶一さんのゆるーい感じとか、あったかーい会場の雰囲気とか、流れてくるコメントの、いいひとばっかりしかいないんじゃないの?的な感じとか、最前列のどせいさんとか、味わっていた。

何曲か「MOTHER」の曲が演奏されて、その後に高木さんのオリジナルの曲を演奏。

高木さんの曲ってまったく知らないんだー。
曲をBGMにして部屋の片づけでもしようかなー。PCから目を外して読書でもしようかなー。

と思っていたんだけど、やー、無理だった!
すごいんだもん(^_^;)

「MOTHER」が高木さんのピアノを始める原点みたいな意味、すごいわかった。
音楽でわかった。

ひとつのものにいろんな違う感情がいっぺんにあるような感じ、例えば、狂気と美しさと怖さと、でも愛にやわらかに包まれる感じと喜び、望むもの、。。。言葉にしにくいんだけど、そういうのをいっぺんに味わってるような感じ。
いいとかわるいとか、味方とか敵とか、そういう風にわかりやすく分けられない感じ。

「MOTHER」シリーズでも感じたそれらが、高木さんのピアノや画像からも感じられた。
なんかもう、どんどん自分が浄化されていくのもわかった。コメントで流れた、PKヒーリングΩにひどく納得。

この辺りまで、自分を楽しませるために見ていた。地震からのいろんな緊張を取るためにみていた感じ。
ここまでは、切り離して自分を癒してたみたいな感じ。

でも。

いのり。
そうだった、あの曲はいのりのメロディーだった、ということに気づいた。

いのりがどんな力を持ってるか、この番組を見ていたひとたちは「MOTHER」を知っているひとが多かっただろう。ということは、ほとんどの人が知っていたと思う。いのりが、どうなったか。
ここで一緒に参加しているほとんどの人が、いのりの力を知っているんだ…、と思った。

みんなで歌った。みんなでいのった。
すばらしい夜だった。
いろんな祈り方があるね。

最後のクレジットも、うれしかったしすごかったね(笑)
クレジットだけで1時間以上かかったなあ。すごいことになってたけど、対応してくれる皆さんはすごいなあ、すてきだなあ、と思ったのでした。
わたしも自分の名前、見つけた!

もちろん「MOTHER」をまた遊びたくなった。今遊んだら、何を感じるだろうって、10年に1度プレイしているようなw

そしてもちろん、高木さんのCDも買うぜ。

誰かのつぶやきでハッとしたのは、これタダで見てるんだよね。。。というもの。わたしも一般会員なのでタダで。
これ、タダだったか…と思った。
プレミアム会員になって500円でもう1回見ても、全然安いけどね!
だけど、PC前でトイレに行く間も惜しむような感じは1度だけかもしれないなあ。
よい時間だったわー。


...

つらつら - 2011年04月06日(水)

これまでしていなかったことをしてみた。
別に何ということはないこと。
そういうルールがあったわけでもないこと。

でも、ずっとそうしてきたし、みんなそうしてきたから、なんとなく「どういう反応になるかしら」とも思いながら、やってみた。

なんでそうしようかとしたかというと、自分がそうしたかったから。
居心地の良さ、自分が望んでいるものは?と考えたら、そうしたかった。
とりあえず、今日、そうしたかった。
昨日思いついた。今日やってみた。

とてもよかった。居心地がよかった。わたしはこういう時間が好きなのだなあと思った。

それを味わっていたら、ひとつ気づいた。
わたしの行動を見て、誰かが被害者(加害者)意識になるのを恐れていた自分に気づいた。
誤解されるのが嫌いというのが関連しているんだと思う。

まあ、気づいちゃったから。
まあ、加害者や被害者になりたいのは自由だなあと。
そこに自分が負担に思うことないなあと。
ちがうよ、って説明すればいい。

でも、改めて思うと、その説明ができなかっただろうなあと自分を振り返ると思う。
そうか、説明できるようになってきたか。。。


...

つらつら - 2011年04月05日(火)

映画館も昼間だけ営業始まったらしい。
SP見たいー。



原発が話のネタになることが多いけど、話している時にときおり自分が何かを怖がっているような時があることに気づいた。

何が怖い?


Q、原発自体?
A、いやあ、知ろうとしてるというか、いい案は?どうしてだめ?他には?といろいろ読んでる感じで、怖がってる感じではない。
逆転サヨナラホームランにならんものか、どれが好きか、サーチ中みたいな感じ。


Q、自分の考えじゃないものを自分の考えのように言ってしまいやすいところ?
A、うーん。もしかしてそうかなあと思ったけど、自分の考えじゃないことは「聞いた」「読んだ」「本当のところはどうなんでしょうね」という感じなので、ちょっとちがうか。


なんだろなーと感じていたら、どうやら1対1で話している場合はその怖い感じはこないようだった。
皆でわーっと話している時かー、と意識を向けてみた。


そうしたらわかった。

本(「今、この瞬間だけに生きよう。」)で読んだばっかりだった(笑)
同じパターンだー。

原発だったり、それに携わっている人だったり、国だったり、そういう人たちをつるしあげるような感じになることが嫌い。あーんど怖かったようだった。まじょがり。

これってどうなのよ…?( ̄- ̄;)と思ったりすることはあるけれど、そこで、わたしもーとか、こういう嫌なとこもわたし知ってるーみたいなのとか、そうして盛り上がるのを見ることは嫌い。


と、わかったら怖くなくなった。
同じことが起きてても、怖くない。ただ起きてるって感じだ。
言い合いに参加しなくても怖かったから、参加してないと思ってたけど参加してたんだな、これは。(^_^;)
お化け屋敷のネタがわかってると怖くないってのと一緒なんだろか。



今日はそれとは別件で、嫌だなと思ったことがあった。

なんで嫌なのかな?と見たら、「何度言ってもわかってもらえない(被害者)」「何度言ってもわかってくれない(相手のひとがわるい、って気持ち)」「わかるように伝えられない(無力感)」、それが悲しいみたいだった。

どうして悲しいの?
そう聞いてもこれは答えが出てこなくて。
落ち着いた今は、自分でなくなってる分離してる感じが悲しいのかもなと思っているけれど、その時はまったくわからなくて。

仕方ないから、ただ、悲しいなー、わかってもらえないの悲しいなー、と味わっていた。

でも、もう悲しいのを繰り返すつもりはなくて。
かといって、その人を責めるというのはちがうなと感じていた。その人のやることが嫌いなだけだから。
その人にとっては、楽しいことだろうことも理解できるから。

わたしは、それがわたしにとっては嫌なことだということを伝えた。
それがその人にとっては楽しいことでOKだということも。
ただ、それだから難しいなと感じているということも。

通じました。
自分の気持ちを理解してから、それを正直な感覚で話すってすごいね。
正直に伝えてよかったです。


...

つらつら - 2011年04月03日(日)

トークライブ本「今、この瞬間だけに生きよう。」購入!
まだ読み終えてないけど、読み返したい部分メモ。
P96~106、P147~160



3月19、20日に受けた、千さんの遠隔WSのメッセージカードが2枚届きました。
(宅急便で!ありがとう!)

カードを見たら、超さむくてしかたなくなりましたw

初め、メッセージを読みました。

ふむふむ。そうだねえ。わかるわかる。
でもそれってどういうものなのかなあ。
意識向けて探すかー。

と思いました。

そして、それぞれのはがきの写真を見ました。
教会が写ってるカード。
きれいだなーと思いました。

次に、メッセージと写真を組み合わせて感じ取ってみました。


アウ! _○/|_


一撃くらった気分に。

わたしがメッセージを見て、これから探そうとしていたものは、写真から受け取る感覚、そのままそれでした。

これか。。。

と思ったら寒くて仕方がなくなって、風呂へ。
風呂からあがってもう一度見たら、・・・また寒くなりましたとさ(^_^;)

あたたかい日に見ようかな(笑)


...

つらつら - 2011年04月02日(土)

そっと手を合わせる。
自然にそうなる。
ただそうする。ただ感じる。
海岸へ向かってお祈り。



あれ?なんかいやだな、と思ったことがあった。
いやだな、と感じている時は、わたしの場合愛想笑いになるのでわかりやすいみたいで、なんで嫌なのかわたし自身がわかって伝える前に、気づいて対応してくれることも多いようだ。

で、なんで嫌なんだろうなーと感じた。

それをすることがいやなのか?と確認するとそうでもない。
でも、いや。

どうやら、それは自分で決めたことであるならOKのようだ。
それを「当たり前」とするのは違う、と感じて嫌だったようだ。

自分の気持ちだけで動いていい部分とオフィシャルな部分とがあるように思う。
例えば、会社として用意できないことを、個人のがんばりにあずけるのが当たり前、という考えに近い。

それをわたしがするならば、「公のもの」とはしない。個人がやったことにする。
個人を押し付けたり押しつけられたりすることが、わたしは嫌いなのだなあとわかった。





先日嫌だなあと思っていたこと。
ただスルーすればいいだけだったことに気づく。
えさに食いついてたのだなあと思った。
別に、証明しなくていいのだな。同意しなければいいだけだった。

なっるほどー


...




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