日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年02月28日(月)

職場で過ごす時、自分にこんな感情の流れがよくでていた。

自分の取りかかっている仕事をとられたくない。
じゃまされたくない。
わたしばかりやらされる。
やりたくないことをやらされる。

そしてなんだか緊張している、と。

出てきた感情や体感を見つめるわけですけど。

現状は、周りの人はただ手伝おうとしたり手を貸したりしてくれてることだったり、わたしが忙しいことを表現してなかったりしてたり、あまりその感情とそぐわない感じで。
(わたしは、自分の感情と思考にギャップを感じることは、たびたびある)

だから、まあ実際はどうあれそう感じてるのだなあと感じた。
それから、よしよしとしながら、誤解かもよと自分と話し合ったりした。

そうしているうちに気づいた。

わたしはひとりでコツコツする仕事の仕方が好き(得意)ということ。

現在、みんなでチームプレーで全ての仕事をする感じで行っている。どの仕事もできるのはいい、という価値観。それもわかるから受け入れていた。

入った時からそれを求められていたし、当時伝達がうまく機能していなくて自分で気づかないと、できないことが現れた。できない時に注意されたりもした。
周りの会話を常に意識していなければならない。

わたしはそれがしんどかった。他の人はそれが得意なのか、改善する気はないみたいだったこともしんどかった。

そして、今それは必要ないのにまだ使ってたことに気づいた。
他の人が改善するのを、改善したい人が出てくるのを待つ必要はないよなあ、とも思った。

周りの状況がどうであっても自分の仕事を変えずにする、ということはわたしは嫌なことだった。
だから、みんなで仕事をする方法を選んでたということ。

もういいな、と思った。
仕事の仕方を変えよう。
周りを意識してかつわたし自身でいるのがわたしの正直。ひとりで行う仕事の仕方を意識してみようと思った。

そうだね。
わたしはひとりでコツコツ行うことが好きだよね。
できない、って思ってたね。

全部のことができることもいい。それをやめたい、という感じもないから、ずるずる来てしまった。(なじみやすいしなあ)

でも。
それをしながら自分の好きなある一点をコツコツやっていくこともできるよ。

好きなことが、できるよ。
わたしの好きなことが、できるよ。

と思ったら、とても解放された感覚がした。喜びの感覚。

嫌と感じることをこれまでずっとみつめてきたけど、自分の好きなことをみつめるのもなかなかくるなあ、と思った。

これ、「前世ソウルリーディング」の影響もあるなと思った。
こう感じるよね、これが好きだよね、これが苦手だよね、こうしてみたらどうかしら、…。

これまでそれを自分で探していた。
今回は、本を読んでそれを自分の感覚ではどう感じるかを確認するだけ。
探す感覚で読みながら、でも遠くまでえんやこら出かけたり自分とは違うものまで見たりする必要がない、という感覚。

でも、自分で探す感覚を身につけていない時に読んでも、同じものを受け取れないってことも、感覚でわかる。

無駄がないね。



そんなわけだからか、昨日(2/28)は眠くて眠くて、21時くらいにこたつで寝たら、そのまま朝を迎えた。

そして、夢を見て泣きながら起きた。

こんな夢。

今、山の中には犯罪者が逃げ込んでいてうろついているらしい。
でも、食べていくために父とともに山に入る。わたしは10歳前後くらいの女の子。

慣れていないから、きのこのことが全くわからないけど、きのこをとるため。

黒の革の上下を着た橋爪功さんに会う。左手には大きな袋いっぱいのきのこ。
この人がニュースで言ってた犯罪者だ、と感じつつ、いい笑顔をしていて嫌いではない。

父がやっと見つけたきのこ。
でも、これ食べられるきのこなのかな…と思っていると、橋爪さんがそれは毒きのこだよと教えてくれた。
もっと上の方に行かないと、ここにあるのは食べられるのはあまり生えてない、と教えてくれた。
一緒に行ってくれるらしい。

父と橋爪さんが木造の小さな家?小屋?の中で話しているのを横目にしている。

そこにはベッドがあって、菌らしいものがぽつぽつと生えている。

これ、使えるんじゃないか、ここに菌を塗って栽培できるぞ、みたいな話をしている。

そうしたら、そのベッドに母が横たわっている。
お母さんのベッドできのこを栽培するんだー、ってお母さんと話す。
そうしたら、ずっとお母さんといられる。
お母さんがいなくても、ずっとお母さんといられる。
お母さんのきのこ…。

そこで目が覚めた。
目が覚めるとともに思った。
あのお母さん、死んじゃってるんだと。
なぜかぽろぽろ涙が出てきた。

感情的には、父が亡くなった時と同じような感覚。
ああ、なんかあるんだなあ、と感じた。


夢辞典で調べる。

犯罪者…自分をごまかし、能力を制限すること。恐怖心をもとに、自分の作った法則に縛られること。

山…全体的に把握する能力。明瞭、魂の気づき。山を登っているのは、正しい方向へのぼっている。

黒…自分にある無意識の未知の側面。恐れによって拒絶したもの。

革…頑丈さ、強さ、本能的な活力。

食べるために…こころ、感情、身体、精神、いずれにも栄養が必要なために。

きのこ…テレパシックなシンボル。思わぬ幸運や運命の好転を暗示。

ベッド…意識と無意識の間に架かる橋。能力のみなもとへ戻ること。人生で重要な役割を果たす場所。

幽霊…理解していない自分の側面。

死…古いものが終焉を迎えている。成長。開花に必要なもの。


全体的に傾向があるな。
恐れ、なんだろうな。誰かの終焉に会うことを恐れているのかな。遠からずっぽいけど、はっきりはわからない。

まあいいや。行くしかもう、ない。


追記。
あー、ニュースでやってた「犯罪者」か。
なるほど。鏡ね。

それから、きのこ。ネットを見てると男性という意味もあるので当てはめてみて、爆笑した。
そうかー。山をのぼらないとだねー。
採りに行ったつもりが栽培してるけど。
まあ、どうであっても食べられるきのこがいいです。←下ネタじゃなくってよ


...

つらつら - 2011年02月27日(日)

DS「大神伝」をプレイしていた。
方向キーの上を押そうと思ったら、何をあろうか電源ボタンを押してしまった。
きやあああ。
変な悲鳴をあげた。しばらく精神的回復に努めた。

おもしろいけど、ストーリーの部分で自分との考え方にズレが見える。
そうかい、とただ見てる感じになるなあ。




3月も引き続き、片づけ月間に決定しました。
ゲーム優先してたため。つい。
ただし、やる気は落ちてない。
3月の燃えないゴミの日は9日!

片付いた部屋では、2リットルか3リットルのポットも新しく買ってホットはちみつ飲んだり、アロマオイルでマッサージしたり、ヨガやったりするんだー。
ビジョンはバッチリ。




せっけん、どうやら顔を洗う時がもっとも至福らしい。
たぶんだけど、緊張しないんだと思う。というか、これまでの洗浄剤には、香りや肌の感覚で緊張してたっぽいなと思った。
緊張しなくていいから、ほわ~っとしあわせな感覚なのかも。
まだ髪は洗ったことないけど、そのうち洗ってみよう。

ボディゲルは、徐々に身体のこわばりが少なくなってるかな?いやいや、まだ変動範囲内でしょ、くらいの実感。観察続行。




「前世ソウルリーディング」を読み始めてみた。
なんかじわじわくる。

正直を意識するようになったから、あーそういうとこあったなあ、今は違うよ、でもその気持ちわかるなあ、って感じで自分のところを読んでいた。

その気持ちわかるなあ、をずうっと読んでいるうちに(結構ページがある)、じわじわと泣きたくなってきた。
知ってるなあ、この感じ、って泣きたくなってきた。
そうなんだよなあ、って泣きたくなってきた。
できなくて悲しいとか、わかってもらえてうれしいとか、そういうんではなくて、わたし、質的にそういうとこあるよなあ、って読んでたらじわじわ来た。

そんな感じで、まだ自分のところ(3か所ある)のひとつすら全部読めていない。
ざっと最初だけ見ただけ。

でも、自分のテーマが見やすいなと感じた。自分のくせが見やすい。
しばらくずっと自分の感情を、気持ちを見てきて、そこから導かれてものが書かれていたりもある。

3つあるうち、「今の自分の力や自信になるテーマ」では、確かにそういう部分はあるけど、できるな、できてるな、って感じる。
読んでいて、そうそう!って元気になる感じ。影の部分を言われても、わたしこれ結構大丈夫、なんて思えたりする。

「心理的な変革のテーマ」では、言われればとてもわかることなのだけど、わたしにとってはあまり意識を向けられないものだな、と感じた。
そこでのポジティブな面はわたしも気にいっているもので、ネガティブな面は確かに居心地がよくなくなるものなのだけど、もともと好きなもの、やりたいものが過剰になってそうなっているっぽい。

これ以上になると居心地が悪いものになる、ってことはわかっているのだけど、ついついそのままやってしまいがちだったもの。
やってしまうのは、それが好きだから、それに対してわたしは価値を持っているから。

だから、すこし難しいかも?と思った。まだ取り組んでないけど。
好きだけど、調整しないと嫌いなものになる。
好きだから、全力で行きたくなってた。
セーブ・調整できるかなー。どきどき。

とりあえずはまず、読み終えよう。
「統合」のテーマはまだひとつも読んでない。

ちょっと読んだ上でのただ今のテーマ。「自分で自分の価値を認める。他人の認知を求めない」

クリアしてきてるけど、前に気づいたとは違うことでこれが関わっているものを今日気づいた。
なぜか最近気になってたことだったのだけど。

これも自信関連か…と思った。
これまでなんで嫌なのか理由がわからなかったものだった。
成長しながらも、同じテーマにまた戻ってきたのだな。

お、すごいな、と思ったのは、「心理的なことに興味を持つけど、それを直接仕事にしたりは楽しくない」みたいな記述。

そうなんだよ。心理学、ってよりも現実・日常・健康面に使いたいんだよ。


...

つらつら - 2011年02月26日(土)

母が気力ダウンのため、肝油を持っていく。
ビタミンDはうつっぽい時いいらしい。
効能を読むと、なるほど、太陽にあたることを勧められるような症状が見られる。太陽にあたると、ビタミンD増えるらしいものね。

ほとんどごはんを食べないらしい。
それだから、その分体力が落ちて普通は出てこないアレルギー(じんましん)が出たのではないか、とグループホームさんの見解。

なるほど。断食効果か…感覚を繊細に…。

ふと、積極的にそれを行う方向で考えてしまった。(^_^;)

話を聞いていて気づいたけど、母も5の人だったなと。
自由を求めてる。
でも「~してはならない」「~できない」とか自分で設定してストレスにしている。

わたしも思うけど、管理・世話するのには楽だろうとか思っちゃうんだろうな。
みんなで一緒に揃えて、みたいなのが。
でも、母は5の人。そこにどっぷりというのは、違う。

もともとはやさしい気持ちだったり、がまんできなくないから、って感じなのだろうなと思った。母のがまん。

もうがまんの限界なのだろう。
うるさいじいさんの脇から、入居時からずっと席替えしてないことも。
がまんの限界。いいね。もうがまんは終わりだ。

だから、食べたくないなら食べなくていいよ、食べたいものだけ食べてればいいよ、と言ってきた。食べないといけない、とストレスになってるみたいだったから。
食べないでいて、栄養を摂るために鼻からとかお腹に穴あけたりとかになる人もいるよ、ということも伝えた。
その上で、自分で決めるならいいと思う。自分で決められる自由があるって自覚ができたらいいなと思う。

まあ自分次第だなあと思い、それを母に伝えつつ、グループホームの方へも母が言っていたこと(母は言えないところがある)や思ったことを面談表にばーっと書いてきた。
母は自分でやるのは難しそうだけど、そこをフォローしていただけたらいいなと。

それが母の役目なのかもしれないね。
周りの人は一緒にやることになって、それで気づく、みたいな。

いいじゃん。


...

つらつら - 2011年02月25日(金)

昨日は眠くて仕方がなかった。
19時半には、もうとてつもなく眠かったけどお風呂もゆったり入りたくて、22時くらいになっちゃったら頭がぐわんぐわん。
寝ろという話だ。

寝不足というわけではなくて、たくさん気づいたことがあったりしたからかな?

それともただ単に、新しく買ったばかりの敷布団に早く寝たかったのか…。
(しっかりしてるのに、ふわふわでした!)

それともボディゲル効果か…。
(ヒーリング受けてるみたいに、身体が動いたしな)

それとも「前世ソウルリーディング」の本が届いたからか…。
(ドラゴンヘッドに興味を持って買ってみた)



昨日気付いたこと。


これまでのゆるモードは、カチカチの振り子の反対側だったことに気付いた。
だからミスしてみたり、気づきにくくなってたりしてたんだな。

なんで気づいたかというと、新しく手に入れた石鹸を使ったからです(笑)
とても気持ちがよくて、なんであわーいベビーピンクっぽい気持ち(?)になっているんだろう、みたいな感じでしあわせで。
軽く、やわらかく、あかるく。
それがとてもしあわせでゆるんだのだけど、これまであったゆるモードとは違っていたから気づいたのでした。
おもしろい石鹸だなあ。

この身体の感覚を思い出せるようにしておこう。
身体の感覚で導こうと思った。



あとは、これまでと気づきの感覚が違う気づきも。
自分が望むもののために、自分がそれをできなくてもいい。
可能性やどうするとわかるか、それらに気づくために視野を広げよう、と思った。
そうしたら、職場のPC下の書類を片づけ出したわたし。
確認しようと思って、資料がすぐに見つからないんでは、だめー。

内容は、書いてあるから覚えなくていい。
どこを調べればいいのかがわかっていれば、覚えなくていい。



あとは、職場で背中が痛くなる感じがあったのだけど。
(ひゅ~ってみるみる痛くなっていく感じ)
どうやら、「仕事を取られたくない」「やらせられる」みたいな思い込みがあったみたい。

取られたくないって。。。
今この仕事はわたしがー!と思うようだった。

それを見ていたら、「わたしは自分で必要な仕事を見つけられない」という思い込みに続いた。

うーん。そうなのね。

で、「わたしのせいだ」ともしていたようだ。だからカチカチ。

いやー、リラックスしてればいいじゃん。
緊張させたくないので変えよう、と思った。そして、それをしていたのはわたしだったな、と理解した。



そして、今日の気づき。

仕事を取られたくないわたしが出てきたので、観察。
仕事を取られるんではなくて、手伝ってもらっている。。。
別に、仕事が見つからないならやらなくていい。。。

でも、ある仕事をしていて代わりにやってくれるといわれた時に「仕事減っちゃったね」と他の人に言われて、「そんなことないですよ。ありがたいなあ~」と答えた自分の言葉で、あ!と気づいた。

いや、あの、仕事、減ってるよね?(^_^;)
「そんなことない」は、仕事減っちゃ困るからだね。。。
…じっくりいこう。

ちなみに、「わたしは自分で必要な仕事を見つけられない」という思い込みは、「自分らしさ」のテーマにもつながっている。

この時の必要っていうのは、「誰かにとって」必要な仕事、なので。
自分がやりたいこと、気になることは見つけられる。

職場ではぽんぽんがカチカチになることも多い(物理的な感覚)ので、なんでかな?と意識してみた。
自分らしさを錆びつかせることをしてるのかな?と。

そうしたら、「そういうつもりではない」と感じることが多い、という返事が来た。

相手の人は、その人自身を表現しているのだよ。
その人がそういうことに興味が向くひとで、今はそう表現をする状態なのだよ。
何度言ってもなかなかわからんなー、と思った。

そして、「何度言っても同じことするよなあ」というのは、わたしは母にも昔から思っていて。
同じじゃん!と思ったら、とても寛容な気持ちになりました。
自分にやさしく~(笑)

しかし、わかってもらえない&誤解されると自分自身でいられないと思っているのはなぜなんだろうなあ…。
わかってもらえなくとも、誤解されたとしても、どんな時でも自分自身でいたいものだ。


お金があればいい、という言葉を聞いた。
愛があればいい、ということだな、と聞いた。



何を話したらいいかわからなくなるよ、と言われた。
若い男の子と。

あ、わたし、それないな、と思った。
それで困る感じ、ないな、と思った。
昔あったけど、今ないな、と思った。

今のわたしは、何も話すことがなかったら話さないだけだ。話したいことがあれば話す。
相手がどういう人か、とか意識せず、「話したいかどうか」だけだなあ、と気づいた。

いつの間に!(^o^)


...

つらつら - 2011年02月23日(水)

ひとつクリアするとまた次の出題がくるようで。

展開が速いためか、明らかに変わっていることがわかる。
以前、嫌だと感じたことが何も感じないことがあったり。
人への接し方や話し方が変わっていたり。この人と話す時、こういう会話の仕方じゃなかったよなあ、みたいな。

母の件でまたも次の出題。
母の表現がきっかけなんだけど、でも嫌だったのは母に対してというわけではなかった。

これまで意識したことがないものの場合、嫌だなという感覚はあるんだけど、ちゃんとそれに意識を向けないと何が嫌なのかがわからない('д')

なので、嫌だなーと感じていた。そうしたら、わかった。
いくつか組み合わさっていた。

ひとつはこれまでもあったこと。
っていうか、よく考えたら子どもの頃から嫌いなことだった。

ネガティブなことを、くどく言われ続けるのが嫌い。
これが嫌いなために、母に対して怒ることが多かったことに今頃気づいた。
母も、そしてわたしも、わたしが怒ることがいけないこと、としていたことにも気づいた。
そうだよなあ。怒ってる原因、わかってなかったもんなあ。

現実的な対応をするために必要以上なことを言われているように感じる。
っていうか、脳の働きがダウンかー(^_^;)

どうして嫌い?
だんだん力が抜けていくから。いつまでも留まっていて飛び出して行けないから。
なるほどね。

ふーん。
そっか。
その人の表現、と見れていれば、これ、わたしは力抜けないかも…。
わたしは飛び出していいんだよ。相手の人が留まっていたいだけなんだよ。わたしが連れて行かなくてもいいんだよ。一緒にとどまっていることもないんだよ…。

そこが寂しいのかな。

感じとこう。

子どもの頃からのも、そうだ。
母は好き。でも、母のすることに嫌いなことがある。
好きな母が自分を表現している。それを嫌ったところで…なあ、と思った。

あとは、情に訴えて操作しようとする人が嫌い。
これも、その人の表現。
今日の場合で言うと、その人から見える母という形で、その方が自分を表現している。

はーん。

で、わたしは母に何をしたいか、母とどう過ごしたいか、だな。

あと気づいた、もういっこ。
自分のことを言われる場合は「この人の表現」と相手の人を見るようになってきてるのだけど、母のことを言われた時にそう見れなかったことに気づいた。

母、重要人物だわー。


...

つらつら - 2011年02月22日(火)

昨日はお酒が抜けず、頭と身体がゆるかった。
ゆるいのはうれしいのだけど、これまではこの状態だとミスしやすかった。気づきにくくなるんだよなあ。

ゆるモードでも繊細に感知できるひと、にすればいいのか。自分を。
…片づけだな。




先生が苦手、というもの。もう1回見ることになった。
先生自体に問題がなくても(相手を緊張させるような方でなくても)、自分がそう感じることがあることに気づく。
状況整えてきますねー。

それで、「先生」にいわれると、早くしなきゃ!とか答えなきゃ!とか焦る、緊張する自分に気付いた。
おもっきし小学生の自分だな。思い出したのは、九九の暗記で順番にさされて緊張していた自分。すっかりそんなこと忘れてた。

りらっくすー。

この時を思い出すと、「間違えたらあかん」が出てくる。
なんで間違えたらだめ?と聞くと、「わからないと正直に言っては怒られるから」という答えが来た。

正直に言うことがだめなこと、と思ったようだ。だから緊張してたんだな。

でも、今のわたしがそれを見るとわかることは、「わからないとそこで止まること、思考停止すること」がやらなくていいことで、わからないってことは正直に認めていいということ。
というか、わからないことを認めないと先に行けない。。。

どうするかわからない時は、アドバイスもらってみたり、もしくは思い切って間違ってみるとかw

表面的に早く終わることを望んでいるような行動をすることがあったのだけど(無意識)、それもこの緊張につながっているような気がするな。




他人のことではなく自分のことを表現している、ということがわかってきたのか、「この人はこう世界をみているのだなあ」と見られるようになってきている。

アドバイスをされたとしても、この人はこう信じているのだなあ、…ということは自分をそう思っているんだなあ、とかアドバイスではなく別のものを見ている時がある。

前までは、興味のある人、自分にとって重要としている人の言葉は全て取り込もうとしてた感じがあるんだけど、「この人はこうなんだ」「自分はこうなんだ」と見れてきてるのか、好きなものしか取り込まなくなっているなあと思う。

いろんなひとがいるのだな、と本当にわかってきた。
みんなそれぞれ取り組んでるんだなあ。

そして、AさんとBさんが仲がいい、という場合に、どちらにも共通している価値(というのかな)があったりすることにも気づいた。
それを憧れている人、逆に否定している人、どちらも同じものに対して強い感情を持っているのだなあ、と少し前に思った。
それだと仲が良くなりそうもないんだけど、ねえ。おもしろいなあと思った。

おもしろいけど、自分を通して興味を持つようにしよう。
自分がいちばん、わからないしおもしろい。でも、いちばんわかる!


...

つらつら - 2011年02月19日(土)

今日気付いたこと。

話術師になりたかったのだなあということ。
でも、葛藤があったのだなあということ。

話術で人や自分を楽しませたい。
そして、楽しませるのには「たくさんしゃべらないといけない、自分の気持ちに正直なこと以外も言わないといけない」と思い込んでいたことに気づいた。

なあんだ。正直な話術師ってありだな。たくさんしゃべること、ないじゃん。
自分を楽しませるぞ。

これで、コンプレックスってのは矛盾があるものをいうのだな、と思った。
こうなりたいけど、そうなれないと「思い込んでいる」こと。それをコンプレックスというのかなと。

逆に言えば、コンプレックスを感じているということは、頭で考えなくとも「どうなりたいのか」という望みがすでにはっきりわかっている証明でもある。

そして今、そうでないと思ってるということ。
そうでないというのも、…あやしいよねー。
話術で人を楽しませたいっていう自分の望みに反してた思い込み(条件)に気づいてから見てみたら、あやしい!と、とても思った。




自分にやさしく。
もうずーっとそう自分に伝えているものの、やさしくない自分が顔を出してびっくりした。

上司と話していて、仕事の件で「それをやっても楽になるのはわたしだけなんですけどね」と答えた自分に、…あ、と思った。( ̄- ̄;)

それでいいがな!

じーぶーんーにーやーさーしーくー

それを置いといても、これは自分のためで、これは他人のため、区別してるのはなぜよ。
影響しあってるし、自分のためにしたことが意図せずして誰かに役立つことも多いってわかってんのかな。




お昼休み中に職場のTVで勝負脳ってのをやってて、おもしろかったのでかぶりつき。
潜在意識を使うってやつ。

終わり(ゴール)を意識したとたん、脳の活動は落ちるのだそうだ。意識したとたん、「もう終わった」と認識するのだそうだ。
すんごくわかる気がした。
もちろん、それに行動の方も伴うことになる。

脳の機能が落ちるのは「終了」の他に、「ネガティブ」「強制」なのだそうだ。あー。納得。

ゴールをゴールの向こうに置く。全力疾走のまま、ゴールに届く。行きつきたいゴールがあったら、それと一緒にゴールの向こうも意識しとこうっと。

「諦めたらそこで試合終了だよ」
なるほど。



まねして生きてきたなあ、ということをしみじみ思った。
何があったわけじゃないんだけど。
相手がこういう人だから、とか考えずに自分のままの態度でいたら、あれ?なんかいい感じ。
それで、まねして生きてきたなあ、と思った。

わたし自身が楽だってのは予想がついていたのだけど、それは「ちゃんとしたものではない」と思うものなのだけど、それでもいいんだ、まねされる場合もあるんだ、と思った。

たぶん、子どもの頃。
まねしたら、喜んでもらえた。
まねしたら愛される、と思い込んだのかな。

何度でも思うぞ。
自分自身でいくでー。


...

つらつら - 2011年02月18日(金)

現在、ゆるモード(^o^)

背中がカチカチ山になっていたので、緩めんことにゃ!と積極的にゆるめました。
今日のアロマ風呂は、ラベンダー+カモミール+オレンジ+ローズ。
カモミールとプチグレンで迷いましたが、カモにしてみました。

わたしってば影響受けやすいなーと思うのは、「大神伝」をプレイしてとてもゆるむから。
基本がほのぼのしていて、そこで謎ときしてみたり、チャレンジしてみたり、ってのが楽しくて楽ちんの模様。
日常もそれでいくのがいいのだろうな。
というか、最近は謎ときしたいっていうよりも直観使ったパズルをしたいっていうような感覚なんだけども。
てきとーに触ってたらピッタリした!みたいな。

「逆転検事2」の方では自分の葛藤部分をたくさん見れたけど、「大神伝」はその点ゆるんだまま。

花を咲かせたり、緑が空気を一掃したり、自分の感じた幸せが誰かのパワーになったり、かわいいし、大好きだーってハートからなんかが溢れさせながら遊んでる感じ。
だだもれ。
その感覚がしあわせな感じだし、最近カチカチ山だった背中や肩のこりがなくなっていく感覚がする。

だいすきだなーと感じながらゲームをするのは、とてもしあわせだな。
子どもの頃だとか、シンプルなものだとか、自分にもあるそういうとこ、大切にしようと思った。

まだまだクマ公と遊ぶのだ。


...

つらつら - 2011年02月17日(木)

今日は背中と右足の甲が痛くて、まあ、もう、そうですかって感じでひたすら緩めるぞと意識。

足の甲の意味を調べたら、過去の信念とのこと。で、痛みがある辺りはコミュニケーションとか関係性。
オッケイ! 過去の方法は手放しちゃる!と意識しながら過ごした。

したらば、あーどうしたらいいかわからんよー、過去の方法がよかったとは言わないけども、それを取り上げたら何をしていいかわからんー、という感情。
悲しい~不安~となんか気持ちが落ちてきたけど、まあいいやと観察。
もうこれまでの方法、続ける気ないもーん。

そうしているうちに。
周りの状況やら関係性やらに嫌だと感じた場合、それって自分を嫌ってるのと同じだ、ってふと思った。

周りは自分の鏡っていうけど、そういう「情報」とか自分が嫌った内容・理由を見るとか置いといて、誰か(何か)を嫌った時、同時にそれは自分が自身をも嫌っていることなんだなって、なんというか感覚として感じた。

それで、周りの状況や関係性などで嫌だと感じた時に、わたしはどのような感情とともに周りを見るかを思い出してみた。

そういう風な感情を通して自分を見ていた?と確認してみたら、とてもしっくりしてしまった。。。

もうしなくていいなって思った。

そしたら。

これまでは、ここで自己否定するというパターンで、しない自分が出てきた。いつもと違うから気づいた。
気分が落ちてない時ならそれもわかるのだけど、今日はベースが落ち気味だったので、それでも「しなかった」自分に、おお!と思った。

嫌だ、と感じた。そうしてその後で、嫌い続けることはないなって思った。
そうして、本当にただ、わたしではないものを見る感覚で見てた。でも一方で、わたしを見ているように見てた。
自分をなくすほど取り込まず、でも自分を慈しむように、周りを見た。

ただそうなんだって、見た。
怖がる自分も観察した。でも、その怖さから続いてたパターンから離れた自分も見た。

自分をどういう感情とともに見ていたか、これからどう見たいのか、そしてそれが周りを見る目にも関わるということが今日はわかった。

うーん、わかったぞう。



そして、逆転検事2クリア。
つづきまして、大神伝をプレイ始まりました。カプコン祭り?


...

つらつら - 2011年02月16日(水)

今日は、「周りの価値感」という得体のしれないものを信じている自分をいくつも見た。

自分自身の価値ではそれを感じていないけど、周りの価値感を通すとそうだというもの。

周りの人の価値感=自分の価値観ではないし、周りの人の価値感が自分を決めるわけでもないのに、それを信じていた自分にいくつか気付いた。

今日は身体に筋肉痛(?)もあるしで、のんびりと録画してたドラマを見たりゲームで遊んだりしてたのだけど、どちらからもカタルシスを味わう。
登場人物と重ねて、わたしもこれムカつく!とか、逆にとても感動してみたりとか、何がわたしにそう感じさせたのかなとそこを見つめたらそうなった。

逆転検事2は、ただいま5話。
イチヤナギくんの気持ちがなんかすっごいわかって泣けた。これまで全く興味を示してなかったのに、大好きになっている。
自分で自分の生きる道を見つけるってのは、やっぱカッコイイし、わたしも!って思う。
イチヤナギくんの背中を追いたくなるとは予想外だなー。そして、予想外、そこがまたよい。




夢。

屈強な感じの黒人の女性になってた。ボディーガードというか、危険物やなんかも取り扱う感じ。
「おれはこのためにやっている、お前たちとは違う、おれらを見習っていいぞ」みたいな言葉にわかってもらえない感を感じたり、誤解をされたりすることに胸を痛める。

自分の真実を保つため、常に自分のハートを意識し、呼吸も意識している女性だった。

がんばってる感じがするなー。
でもすごくわかるなーと思った。
理解されたい気持ちと、自分の真実を生きたいという気持ち。その辺でがんばってる。

自分に繫がってる気がしたので、夢の中のわたしのバイザーやるならなんて言う?と意識した。

与えられるのを求めるのでなくて、与えちゃえばいいのよね。
質的にはどっちも同じだもんね。たぶん。

自分自身のまま相手を理解していけば、自分の真実を生きるだろうし、ぎぶみーな感じもないかな。


...

つらつら - 2011年02月15日(火)

逆転検事2、3話目クリア~。
なんだかんだとおもしろく遊んでおります。

わたしはゲームがマイブームになると、なんかふわっとしてくる。
それ、これまではあまりいい方向に行ってなかったものだった。好きだけど困ったもので、それが自己否定につなげてたりしてたな、と今思う。

けど、そのふわっとしたもの、否定するんではなくて、自覚していればいいのだなと思った。

ふわっとした感じ、これ、「楽しい」の一種だろうな。
でも揺るぎない感じではないから、そこに溶け込んでしまうとあまりよろしくないっぽい。例えれば、借り物の「楽しい」に溶け込んで、自分じゃないものになるというか。(わたし、なじみやすいからなー)

そのふわっとした「楽しい」に自分をなくして溶け込むんではなくて、これを自分に組み込むといいのだな、と思った。
自分を自覚したまま、それとコラボする。それで、あらたな自分を見られるといいよな。




ハッピーバレンタインの昨日は、辛甘・胡椒味のチョコレートケーキがなかなかインパクト大でした。
口に含むと胡椒の香りが広がります。
つぶ胡椒入り。カリッとした歯ごたえ、ナッツだよねと思いなおしたのに、ほんとにつぶ胡椒だったとは。。。




2月中旬になってあれだけど、今月の目標~

1、自分自身をちゃんとお世話する
2、自分自身をもっと知り、その状態で周りと調和する
3、比較しない、でも違いを見て自分が望むものをはっきりさせる
4、これまでの自分を受け止め、今の自分で過去の自分をフォローする
5、本まで片づける

あと2週間弱ですが、やるでー。


...

つらつら - 2011年02月12日(土)

自分見るネタが多すぎて、なんともはやです。そして、それがうれしい自分って…(^_^;)

うれしいってのも変わってきてるなあと思う。
以前はそれをしないとしんどくて、しんどくなくなるのがうれしい・快感って感じだったけど、最近は感情をいつまでも引きずらないからホントに遊びだw
逆に、感情を味わってそこからどんなおもしろいものが導かれるかと追っかけている感覚。

感情って身体とホントに密接だなと感じた。
感情が高まるのにつれて、身体の反応が感じられる。
その時に起きたこと、感じたことによって、身体の反応に違いがある。
これがおもしろかったです。

ここ最近で、これの何が嫌だったんだろう?と見つめて出てきたもの。

まず、「わたしはできないとか知らないとかで自己否定(無力感)をし、自分自身でいられなくなる」というもの。

誰かがばかにされたりしてるのを見て嫌だったり、正しさにこだわったりする時の感じ、それも自分の持ってる無力感を刺激するからなんだろうなあと思ったりした。

自分自身でいられなくなる感覚を感じた時に、身体も意識してたら両掌がマヒしたような感覚になった。
動くけど、手に力が入らない感じがする。Oリングテストみたいね。

で、次の日になってもおかしかったから、ちょっと湿布を貼って、で、手の反射区を調べてみた。

小腸の反射区がぼんやり熱く膨張している感じになっている。
で、小腸の意味も調べてみた。

親密さ。
他の人を理解しようと努める意欲。誰(何)を受け入れるか、誰(何)と関わらないかを理解する。

膨張しているのは、受け入れ過ぎ、深入りし過ぎ、意思の疎通が困難、という意味。

どんなことが起きた時にその感覚になったか、というのと照らし合わせたら、すんげーわかった。

スポンジ課題中だったわけね…。ホントに全部取り込もうとするなあ。。。
受け止める方法が好きだから吸収していいけど、ちゃんと絞れー。吸収する前に、汚れものを水洗いしてくれー。



後は、他の人のミスを何度も見ちゃったのだけど、その時に右腕と右肩と右手のひらが痛くなった。
右肩は、大体わかる。自分でやってくれよ!って時にカチカチになる。巻き込まれるって被害者意識の時。自分は関係ない、って逃げたい時。
そこで逃げずに葛藤しながらやるからカチカチになる。逃げたら逃げたで嫌だけど。

で、それも見てみた。

手のひらは上記のスポンジでしょ。
肩は責任だったかな。

上腕は?と調べると、「他人を寛大に受け止めて大切に思えるほど自分に満足しているか」という問いの模様。うう。

前腕は?と調べると、関係性とかコミュニケーションで、手を伸ばすタイミング、手を引くタイミング、みたいな感じ。わかるなー。



「先生」というものに対して恐れがあることも気づいた。
職業が先生でも怖くないんだけど、「先生」というものしか見えない、その人自身が見えていない時に、恐れが出てるらしいことも気づいた。
だから、知らない先生から電話で問い合わせが来るのとか怖かった模様。
(気づいちゃったけど)

先生は、どなったりぶったりするから怖いのだそうだ。それは…学校の先生だね。小学生の記憶だな。
他の子がそうされているのを見ても怖かったなあ。嫌だったなあ。

そしてこれをクリアしたら、もっと正直になれる気がした。
怖いと、ばれないようにとか、隠したいとか、その場しのぎみたいな思考も来るような気がする。
OK。怖いと逃げ腰になるよね、と理解。



とられる、という思い込みも発見。
だから、がんばっちゃうんだなーと。まあ、観察しとくべ。



自分が気づいている時のサポートの仕方がわからなかった。
だから、スポンジぶよぶよにしてしまってたわけだけど。

このままだとこうなるだろうな、と感じた時。
これまでは、知っているのに何もせずにいて、後から結果がそのまま来るのはいやだ、と動いていた。恐れ混入です。

なので。ちょっと変えることにする。忘れなければやろう。

このままだとこうなるな、と感じたら、それなら自分はどういうことを望むのかをイメージする。
それが叶っている状態でわたしは行動する。
それだけ。
結果に投資しない。
相手のことはその人に任せる。



今そこにあるものとは、別の世界を優先したがる自分にも気づいた。
いろいろやろう。でも、今にいよう。今、自分がいちばんやりたいものをやろう。


...

つらつら - 2011年02月10日(木)

やり方を、こうかああかと検討するよりも、根本を見ると検討しなくていいことに最近よく出くわす。
迷っている根本、何がしたくて迷ってるのか、何がしたくなくて迷っているのか、それを見るともう検討作業をする気がまるで出てこなくなる。




わたしがやりたいと思っていたこと。
ぼんやりわかってきても、どうもこれ!と思うものが見当たらないなあ、と思っていた。
そしてそれにいちばん近いものは、もうわたしは過去にやっていたことに気付いた。

その時にわたしは、
これではだめだ、まずはこれができるような自分になる! やり方とかじゃない、まずはわたしだ!
と思った。
最後に感想を言い合ったりした時も、それがわかったことが大きい経験でした、と感動しながら言った覚えがある。

わたし、順番というふうに見るとぐちゃぐちゃですなあ、と思った。
結果を先にやってみて、これにはこれが必要だって後から準備している感じにも見える(^_^;)

この前の日記にも書いたけれど、わくわくと自然に動くと、結果のために何かするって感じではないようす。

逆に、結果のために行うとしている時わたしはわくわくしていないし、誰かの要望を「そのまま」応えようとしているだけだなあ、とも気づく。おもしろくなーい。

誰かに求められたものがあったとしても反射的に応えずに、それがわたしのわくわくとどう繋がるかって一度確認することが大切なんだろうなあ、と思う。


過去の経験はもうまるで眼中になかったので、まるで気づかなかったのだけど一貫しているものだねえ。
これ、子供の頃までさかのぼったら、なお、根本的なものがわかるんじゃないだろうか、と思ってみた。

写真とかで客観的にどんな印象を受けるか、と感じてみると、今のわたしとだいぶ違うことはわかる。
いいなーと思うのは、軽い感じなのに真剣で夢中。そうかと思ったら、にぱーっと笑う。
いいなー、あれ。(自分なのだが…)




わたしはどうやら「眠らせてもらえなくてイライラ」みたいな状況が多いような…と感じた。

わたしは眠るのが好き。
職場もわたしが入った頃は夜勤はなかった。

グループホームからの電話、今、嫌だと感じていることの根本は「睡眠」に関わっていることに気づいた。
なぜか、母が具合がよくないとかの時って、わたしは夜勤とか夜勤明けの時。
病院に連れて行くとなると、夜どころか日中も眠れない。つらい。

ちょっと前までは、そうやって時間を使いやすくしてくれているサポートなんだな、と思っていた。日中動けるからね。その分、夜に寝ればいいし。
けれど、ずうっと続くとですね、逆に、時間があれば(無理がかかっても可能ならば)自分のことを差し置いてやろうとしている自分がしんどくなってきた。
わたしはいつもぐっすりタイプのせいか、寝てないと、喉は渇くし、思考は動かないし、判断力にも気を使うからか頭も痛くなる。
でも、少しだと特に何も考えることなく、がんばってやってしまってた。役に立つのうれしいから。

しかし、やっぱ、見ることになるんだ。

で。
しんどい自分を見れたのも、わたしの場合、まずその前の段階があった。

あれ?なんか計算してる自分がいるぞ?って、自分を見つめたことから始まった。

そこを否定しなくていいけど、その計算している感じ、感情はなく、ただの計算機になっているような感じをじっくり感じて、どういう時にこのモードのわたしは入っているかと問うた。

何かに対して怒っている感覚。
かつそれが、現状では望めないと感じている時に怒っている、という感覚。

ちゃんと感じようと思った。
何を望んでいるんだろう。自由?

そうしたら、でてきた。わたしが望んでいたもの。

自分が何をしたいのかを表現したり、何をしたいのかに意識を向けること。

それをせずに、条件反射的にパッと周りのことをしてるから怒りが出るらしかった。
自分で何を望んでいるかをわかっていて、それでやるのだったら問題ないっぽい。

なので、自分が何をしたいかをまず見つめることが今、へたっぴなんだな、と認識をした。

今日もそんな感じで、2日前の夜、突然母がじんましんになった。
でかゆくて眠れなくて、日中におふろで倒れて、とか、昨日の夜勤前に連絡が入った。

で、今日寝不足のまま、専門医を調べて病院へ。
明日休みというわけでもないため、これでイライラしていた。
イライラしてるなーと見つめていた。

そうしてわかったのは、「一生懸命やったのに!」というような怒り。

それを感じていたら、そのふたごちゃんとして「一生懸命やったから。。。」というのもあるなあ、と気づいた。

おもっきり結果に投資しておりますな。こういうふうにわたしは投資しているのだなあ。

投資することなく、ただ楽しめばいいのさ~。

…と書いたら、なんかいやーな予感が。
それなので、「一生懸命」の語源を調べてみた。

フ。なるほど。
そんなふうにやることないわー(^o^)

ちなみに。
母を送った帰りの車の中で自分のイライラを見つめていたのだけど、信号待ちの時にふと看板が目に入った。

結婚相談所の看板。

大きな字で、
「結婚しよう 県内一の安さ」
と書いてある。。。

微妙だよ!と笑えた。
ありがとう、看板!


...

つらつら - 2011年02月09日(水)

グループホームからの電話が苦手だった。

以前は、母のことで重くなって嫌だったのだけど、1月にあれだけ見たから解決してきているのか、今は大丈夫そう。

それなのにまた苦手だ、と感じたので確認してみた。

何が嫌なのかなーと見つめたら、他意はないのかもしれないけど「今日は夜勤明けですか?」とか聞かれるのが嫌のようだった。

そう聞かれるのの何が嫌なのかなーと見つめたら、質問されたら答えないといけない、とカチカチになるらしかった。
実際、身体がみるみるうちにカチカチになっていったので、それを観察した。
ふだん、電話で起こされてたとしても、またすぐに眠れるタイプ。眠るには困らない方なのだけど、カチカチになると眠るのどうでもよくなるというのもわかった。

よく考えたらそうかも。
寝る時って体温が下がる。
カチカチになってる時って、逆に身体を温めたいもんな。

わたしが持ってた、質問されたら答えなあかん、という思い込みに対して、否!と返してみた。
聞かれても質問返ししてみたりしたらどうでしょ。「何かありましたか?」と聞く。

で、ちょっとゆるんだので、どうしてそう思い込んでいるのかを見つめた。

質問されて答えなかったらどうなるか。

いい人に見られるにはこうだというものが、どうやらわたしの中にあって、それから外れることを恐れているから、「答えないといけない」と思い込んでるらしかった。

答えないといけない、と思うということは、答えたくないというのもあるということ。

いい人と同時に出てきたものが、「答えたら自由がなくなる」という恐れ。

状況にわたしは自分を任せていたんだなあ、ってはっきりわかった。
自分で自分の自由を作り、本当の自分を誇りを持って見せる、ということができてなかったんだなあ、ってわかった。

わかったら、すごく泣きそうになった。うれしくて。

ちゃんと自分のスペースを作ろう。
ここまでは受け取る、ここからはやめておく、と「自分で」決めよう。

「今は電話に出ても対応ができない」という時は、初めから公共モードなどにしておく。

6年前のリーディングの意味が、やっと今わかった。。。
そっか、無意識だと全部取り込もうとしてたからだ。

スポンジの水を切る。


...

つらつら - 2011年02月08日(火)

幻想の話。

Aさんにほめられるよ、と友達に言われて喜んだ。
でもなんか違和感があった。

ほめられて喜ぶこと?

とその感情を味わった。でも、ただうれしいだけだった。

ふーん、それじゃないのかー、と思っていたらわかった。

実際にAさんにほめられたら喜ぶ、うれしい気持ちはOK。
実際にはほめられたりしてないし、なにも起きていない。そこが違和感ってことだったw

実際に起きていることを見よう、と改めて思った。




「伝えた方がいい」と思うことがあった。
義務という感覚。
もやもやしたものはないが、やりたいという感じでもない。
ただ、伝えないという方がもやもやするので伝えた。

(「伝えないとなんでもやもやするんだろう」と後で感じてみようっと!)

おかげで自分のパターンなり性質なりにいくつか気づいた。

わたしは自分の気持ちなり考えなりがまとまらないと、言わないようだ。
…というか、言えないともいえるけど(^_^;)

相談という方法。
わたしにとっては、自分の気持ちがまとまった状態になってからするものと思っている時と、気持ちを共有したいから行うものとしている時(注意が必要…)とがあって、今回は前者。
いちばん伝える必要があるだろう人ほど、ちゃんと自分の考えなりが固まってから言おうと思うところがあるなあと今日気付いた。

わたしは基本的に考えや興味がコロコロ変わるところがあって、変わりながらその中で揺るぎないものを確認するというか、だからちゃんと固まってから伝えるようにしないと周りを混乱させるような気がして言わない、というとこも、あるな…。どうやら。
(書きながら整理)

それ、相手の方、求めてなかった。昨日書いたのと似たパターン。
つーか、昨日のあれも予告編(予習編)だったんじゃないのか…?( ̄- ̄;)

それなので注意をされた。確かにわたしの場合、相談が抜けることが多い。突然に報告、みたいな。
ううむ。難しいなあ。
予告報告とかできるといいけど。

決める前によろしくお願いしますとか、お伺いを立てるってことが必要なのか、なあ。
実際的に、仮に言わなくてもそんなに問題が起こるわけでもないと思うのだが…と思っていた部分もあったり。
その程度のことも皆にうかがわないといけないということなのかしら。そんなに負担かけることかなあ…。だって普通にこれまでもやってるよね、みんな。

それに、一応以前から伝えてはいるんだよ。よろしくねって。

だから、何を求められているのかよくわからなかった。
おれに言えってことだったのだろうか…。
いやそのつもりで今日話したのだけど。。。

慮りたいとも思いつつ、よくわからない。どうしようもない。

と思ったことがありました。
うーん。

ちなみに、わたしの忘れっぽいところは切り替えが早いからだということもおかげで気づいた。
こんな質問をされた。
「自分のやりたいことをやるのはいいし、それを決めるのはいいけど、その相談はなしで決定したことの報告という形を取って、それをダメと言われたらどうするの?」
それに対するわたしの答え。
「その時、考えます」

実際そうなった時に初めて、自分の感情がどう動いて自分が何を求めているかがわかるだろうし。

この質問で気づいたのはまだあって、わたしは変えるっていうことに対して周りよりも抵抗があまりないのかもなあと。
相手の方は着実にベースを積み重ねる感じなので、方法が違うし不安になったりすることも違うだろうから、こういう質問が来たのかな?と思った。

うん。
ある部分は正直に伝えられた。
まだまだの部分は、こうやって書いて整理して次の時にトライです。

読み直したら、もうひとつわかった。
わたしにとっては、これからが相談だったんだ。こうしたいと決まったこと、それが通りますか、という相談。

そっか。



昨日、市場で販売されているゲームを久々にして職場に行ったら、久々なフィーリングを感じた。
楽しいんだけど、ふわふわしてて、責任から腰が逃げてるようなフィーリング。これ嫌い。物事うまくいかないし。でもこの感じ、昔よく味わってた。

これじゃないフィーリングにしよう、と最近のフィーリングを意識して戻った。

最近、むっしょーに楽しい。
楽しいものがいっぱいあるから。どれからやろう!みたいな。
昨日それでタロットを一枚引きで引いたら、「平均的に全てちょっとずつやる」というのがいちばんよかった。

ちなみにゲームに集中コースだと「火のナイト」。楽しそうだけど、極端な感じ。タロットの勉強(本読み返し中心)集中コースだと「風のキング」。やっほう!かっちかち!かっちかち!
その通りですーw

そんなわけですが、その「楽しい」の場合はふわふわしていない。逃げる感じもない。まあそうだわね。いわば自分自身がゲームのキャラクターですから。

外側の「楽しい」にのめり込むとふわふわするのかもなーと思った。
3に直で行ってもだめなのかも。
1+2は3、で行くと楽しくて仕方ないしどーんといられるんだろうなあ。

と自覚しながら遊ぼうw



わたしの身体のパーツで目に留まりやすいのは、どうやら「手」のようで、ほめられることもそうでないことも、まあいろいろ表現されることが多い。

今日の場合。

「あれ?そんなに指、細いんだね」

うん、そうだね。自分で見てもよくわからないし、ちびっこだしバランス的にこんなもんだと思うけどね。

「わたし、もっとまるっこい手をイメージしてた」

まるっこい。ああ、指が短い感じ?

「そうそう、あの小動物の手みたいな。猫の手みたいな。」

ああ、それはなんかわかる。わたし、小動物系だもんな。見た目。

「肉球とかありそうだもん」

それはない。ヒトではない。


...

つらつら - 2011年02月07日(月)

片づけ2日目、のはずだったけど、本とかDVDとかゲームとか売ったくらいで終わりー。
その代わり、夕方から友達とごはん&遊んだ。

今月の休みは片づけに使うつもりだし、なんかやる気が落ちないので大丈夫と思われる。

買ってきたゲームも少しだけプレイ。
うーん。おもしろいことはおもしろいけど、自分の推理の方が先に行ってたり、なんでこれには誰も突っ込まないんだろうとか、いまいち歩幅が合ってない感じで前編終了。
今のところ、作った側はどういう答えを求めているのかを推理している感じ、というのが正直なところ。
そのうち、のめり込めるといいなー。



たんす整理して気づいたこと。

持っている服を平均的に着ようとしている自分。
いろいろ着たい自分がいる。

そして、その割に実際の行動は決まった数着をぐるぐると着回していて…、どうしたいのだろう?と自分に対して思った。

気づいたから放っておこう。



連休で怒ったりトラブルとかもなかったので、過去の嫌だったフィーリングを思い出して予習復習をしてみた。

わたしの「誤解されたくない」とか「理解して欲しい」は、逆に言えば「相手を理解したい」だなあと思った。

そして、何かあった時の説明をいいわけと評する自分もいて、それをどちらが正しいのかとかどうでもよく、そう思うよなあと感じていた。

そうして少しわかったこと。

わたしは相手に対して、どういうことが起きていたのか伝えることを求める。知りたいから。
だから逆の立場の時、わたしも説明をしていた。それは問題解決に必要と思っていたから。
でもそれは時に、うまくいかないとか、自分がいいわけしたなとか感じるような時があった。

どうやらその理由のひとつは、その時相手の方がわたしに求めていることは、わたしを理解するための情報ではなく、「わたしがもう失敗を起こさないこと自体」。
それにずうっと気づかなかった。

わたしを理解するのはわたしがやればいい話だ。

そのような方には状況を説明するのではなく、これから自分がどうしたいということを伝えることが求められていたと気づいた。

おお。これ、自分自身でいないとできないな。自分をわかっていないと言えないな。
そして、相手は何を求めているのかを知ろうと思った。

これまでわたしは「決めつけられている」と感じていた。
おお、出た。被害者意識。
決めつけられても、誤解されても、自分でいればいいんだよなー。

…いいんだよなー。うう。
決めつけられても、誤解されても、自分でいれば何も起きないよなあ。
相手が聞こうとした時に伝えることができるし。

うーん。もうちょっと感じとこう。


...

つらつら - 2011年02月06日(日)

ふえー。
片づけ1日目しゅーりょー。

いまだなんともいえない散らかりが、わたしの背後に広がっている。
でも、物のポジショニングがだいぶ決まってきた。

こんまりさんの片づけ本を頭に入れつつ、こんまりさんとは違う方法でやっています。
ぜーんぶ出してしまわないとポジショニング関係により気が済まなかったので、服からとは一応思っているけれど、がーっと隠してあったものを外に出すことからやりました。

そして掃除機かけて、押し入れシートを敷いて、最近使っていないコンシューマーゲーム機をしまいました。PS2は明日売ります。
ソフトは…一部手放せない。
理由。気にいっていて、手に入れようと思ってすぐに手に入らないかもしれないから。また遊びたいしね。
本体にはあまりときめきが薄いので、次にゲームしたくなったらPS3を手に入れる。

片づけをして気づいたこと。

わたしは箱ティッシュを買う必要がない。(もらうので充分量)

片づけしてうれしかったこと。

読みたくて買ったけどまだ読んでいない本の表紙を見て、また購入したようなうれしさを味わった。

服をたたんで、服に「そうじゃないわ…」とダメだしされ(てろん、としてしまう)、こう?こう?と試して正解にたどりついたこと。

これ、使わないけどデザイン好きだし置いておきたいなーと思うと、物が居場所を教えてくれたこと。

いくらか小銭を見つけて、ずっとこの部屋にこもってて社会に出て行ってなかったお金を解放することをイメージしたこと。

スペースはこれだけなんだよねー、入らないなー、と思うと、これまた入るよと教えてくれたように感じたこと。パズルみたい。




大河ドラマ「江」の織田信長が、わたしが豊川さん好きだというところをおいといても、よかった。今日は泣いてしまった。

自分を持っていて、相手にも自分自身であることを望む信長公、よかった。
美しいものを知っていて、自分が憎まれ役を引きうけても調和を願う、これ6そのままだなあとも。
最期まで明智光秀をある意味で信じていたところが、うれしくて悲しかった。
意思の疎通ができていたなら、どんな歴史になったのかね。




今日は、エジプト関連のツイッターを読んでも泣けてしまった。
TVで報道番組をつけても、全くおもしろいと感じなくて消してしまう。報道の仕方だろうか。コメントだろうか。
なにをするわけじゃないけど、それを知っておこうと思う。



先日のイベントが終わってからこの1週間、読みたい本はタロット関連だった。
もうちょっと勉強しようとか思ったわけでもないのだけど、いちばん今おもしろく感じる本はと思うと、タロットの本だった。

前にイベント参加した時はどちらも「解放されたー」って気分になって、しばらくタロットいい!って感じで、逆に読む気になんて全くならなかったのだけど。
今回はそうではなくて、へんなのー、と思ってた。過去を基準にして。

そうしたら、先日のイベントと前にやったイベントの時に受けてくださった方で、ある会社のオーナーさんがいらっしゃったのだけど、3ヶ月に1回タロットしてほしいというオファーがイベント企画者さんの方にあったとのこと。

うれしい!
あーんど
ひええー!

わーたーしーでーいーいーんーでーしょーかー('д')

聞くところによると、言い切ってくれるところが気にいったとのこと。
社長さんらしい理由だ。

勉強します!
つーか、勉強させていただこう。

あ。
タロット勉強熱、いつものごとくこれの予告編フィーリングだったのかしら。



追記。

風呂に入ってる最中と湯上り時、自覚してないということは多いものだなと、ぽんぽんとふたつばかり出てきたので思った。

自分とは関係のないと思っていたものが、よくよく突っ込むととても覚えがあったりするのだなあと。

以前、地に足着かずにふわふわしてる自分に気づいて却下したものがあった。ふわふわの他にももやもやするから、これはわたしの行く方向ではないんだろうと思った。

今にいてその却下したものを見ると、その自分であるには今の自分はOKが出せないということは同じだった。
OKが出せるというのは、自分がもうひとりいた時にOKと感じる自分かということ。今はそれほど(苦笑)OKとはいえない。もっと、と望む。

うまくいえないけれど、それは今が足りないとかじゃなくて、ただわたしの希望するものには値していない。

OKが出るのはどういう状態?

その質問をして、わかった。
わたしは、外側の状態をイメージしたから、ふわふわもやもやしたのだと。
OKが出るのは、わたしの状態だった。

そのOKの状態のわたしをイメージして、却下した外側の状態をどうかと問うとOKが出た。
楽しいと。
もしそれを選ばないとしたら、他にもっと楽しいことがあるのだろう、みたいな。

なんかすごいわかった。
やっぱりわたしは内側から行った方が楽だ。外側のために内側って感じじゃあないもんな。
おもしろいことに、内側のために外側をやってたりするけどね。。。


...

つらつら - 2011年02月05日(土)

フリゲ「world rewinder」を突然プレイしたくなり、クリア!
結局やってやんのー。

明日と明後日で部屋を片づけます!
そして、逆転検事買ってきます!(エサ)
零の軌跡はどっぷり長丁場になりそうな気がして、なかなか手を出せないでいます!
(そんなことしてる間に新作出ちまうんでは…)
ま、本のが今のところ先に読みたいのがあると。

感想~

久々に、意識的に考えることで頭かちかちになりましたw

全貌が見えてきても、どのようにしたらベストエンドに行けるか見当がつかず、なんかぐるぐる時間を回り過ぎてどこにいるかわからなくなったw

ので、途中いったん睡眠を挟みました。
っていうか、夜勤明けだから普通に寝ました。。。(初めから寝れ)

プレイヤー側では覚えている、何が起きているか大体わかっている。
そうした時にそれを理解していないゲーム内登場人物に、有効な情報は何かを選別し与え、必要な行動を促す。これが結構むずかしかった。

伏線に注目してたし、どちらかというと「覚えよう」としながらプレイしていたので、全貌の理解はしやすかったけど知っているのに知らない場合になにが必要かがもう、難しくなっちゃって。
記憶したい!の勢いがついちゃって、逆の気持ちになかなかピントを合わせられずギクシャクしましたw

相変わらずおもしろい作り方をする作家さんだなー。
本気で遊べてうれしいです~

そして、ガイドさんってのはすごいもんだなーと違うことも思ったりしました。

もういっこは片づけ後に楽しもうね!お願いします!(自分に)



数のこと、知れば知るほどおもしろい。

わたし、8のひとって結構気になるひとだった。
8の魅力を充分に発揮しているように感じられるひとは大好きだし、信頼できる。
逆に8なのに!って思うと「なんなの…がっかりだよ」みたいな。。。(勝手)

なんでかなーと思っていたのだけど、たぶんだけどちょっとわかった。
わたしが1と2(11)と5を持っているからかなあと。(生年月日と名前から出した数)

1と8。
どちらも王様っぽい。
でも1は自分がーって感じで、8は組織化する感じ。
自分でできるパワーを8に感じるのに、人任せだったりその魅力を出しきってないと感じると、あの国とは…とか感じるのかもしれない(?)
自分と違う方法であっても、8に感じられるたっぷりのパワーを発揮しているかを見ちゃうんだろうなー。

2(11)と8。
どちらも他者を意識するらしい。
2は受け取る側で、8は組織化だから与える側。
だから、受け取るものがうれしい人がいいということかな。

5と8。
どちらも他からの影響が自分に関わるらしい。
5は、他者からの影響を排除して(笑)自分を貫く。
8は、他者を組織化し動かす。
お互いが、動かされたくない、動かしたい、ってなるとうまくいかなそう。
どんな状況でも自分で、組織化された場所にどっぷりつからないけど関わることができる5だといい感じ。
個人個人をよく見て組織化、ポジショニングしていく8だと、5もうまく使えるw

うーん、なかなか興味深いなと思ったのでした。



追記。
読み返して、おわ!と思ったこと。
わたしの持ってる数と書いた、1と2と5。
足したら8だった(笑)
2を11と変えて足してみてもどっちでも同じね。合計17で、1+7は8。

偶然?…とか言ってみる。


...

つらつら - 2011年02月04日(金)

「人に言えないことやってるの?」とこそっと聞かれた。
どんなことじゃ。

わたしが自分に正直にやっていたことでそう思ったようで、正直でいたらわたしはここにいられないの?この人にとっては正直にやることは人に言えないことなの?とぱっと思ったが、客観的に見てわたしが言わないからだな、と思った。

別に秘密主義というわけではないし、言えないことでもないんだけど、どう言っていいかわからない、というのが正直なところ。
例えばアロマセラピストになりたいからアロマを勉強とか、そういう感じでもないし、ってわたしいろんなバージョンあるなw

どう言っていいかわからない。
そこを見つめることにした。


Q、どうして方法論になってるの? 言えばいいだけじゃないの?


A、誤解されることが怖い。
そして、相手の感じることを自分がどうこうすることはできないし、したくない。
まだ自分でもよくわかってないから、説明すると長くなるしその割に伝わらないような気がする。話が長くなるのは嫌い。

あと「言う」という発想がわたしからあまり出てこない。それに対してなにも感情的にはない。聞かれれば答えるし、必要なことは伝えていると思う。


Q、ふうむ。
言う言わないではないのだな。
誤解されること、怖いね。相手に自分が思ってほしいように思わせるなんてしたくないね。

自分、だんだんわかってきたところだもんね。うまく説明できないと思っているんだね。

話が長くなるのはなぜ嫌いなの?


A、話が長くなると、お互い自由を奪うような気がした。
でもはじめに「自分でもよくわからないから、話長くなるけどいい?」って聞いてみてから話すといいのかもなあ。

…って言っても、「言う」発想が出てこないから相手に聞かれた場合だけど。

あとねー、周りを見ててこうも感じてるみたい。
本人に確かめずに、というか事実よりも話が楽しい方がいいのだろうな、と感じるような話している姿を見るから、噂、思い込み、憶測で言われたくないって感じているみたいね。

誰かにそうしているのを見ているから、ああここで半端に言うとわたしもそうされるな、って伝えないみたい。


Q、でも、人は鏡に映る自分を見るしかないんだよね。


A、(衝撃)
そうか、…別に何を言われても何を想像されても、わたしがわたしでいられればいいんだ。
相手は自身を表現しているだけだった…。そこにびびんなって話だ。


なかなかこれまたよちよちだなー。



家に帰ったら考えてみようと、仕事に関して3つくらい質問を書いていた。
まあ考えるといっても、それに関して浮かんでくることをただ連想して書き出してみる感じなんだけど。
(考え出す、ひねり出すという感じではない)

今日は、さあてその件に関して意識を向けてみよう、なんてせずとも、書いておいただけで答えが来た感じ。

わたしのしたいことは今の場所でできることだと思っていた。
基本、身体の仕組みとか興味あるし。自分で人体実験好きだし。

でも、医療以外のことでもできる、というか、医療の前の段階だなあと思った。わたしのやりたいこと。
でも、完全に医療と離れるという感じはない。予防医学って感じか。
そして、今の職場を離れるって感じも、違う。少なくとも今は違う。フツウに考えてもそうだな。
来年、わたしは手放す時期&調和の時期に入るようだから、そこではっきりするであろう。たぶん。

自分で違和感を感じた時に、自分でできることをすること。自分の感覚を信じられること。
形となって病院で発見できる前に、形となる前の違和感で手放すことを選ぶ。
そういうことをやりたい。

でも、教えるとかちゃんとしたのは無理。楽しいと感じないからそれはわたしのやることじゃないと思う。
真剣に遊ぶ感じで、それができるといいなーと思う。

と、まあうすらぼんやりだけど、自分のやりたいことがわかった。
相変わらず、形はどんなか全く見えないけど、まあいいや。またもっとはっきりしたり、その時その時で変わったりするだろうから。

それに、なんか楽しい。


...

つらつら - 2011年02月03日(木)

蟲師の漆原さんの「水域」を読んだ。

下巻を読んでいる時、泣けてきた。
自分の気持ちを見つめるのが好きなので今回も、どこで反応してわたしは泣いているんだろう? これは悲しいなの?うれしいなの?なんの感情?と見つめた。

わたしに引っかかったのは、まず罪悪感。
だから、作中の人物が自分に正直にと意識できていたならどういう行動になっていたのだろうか、とぼんやり思った。
罪悪感って、自分がそうしたい、もしくはそうしたくないのをがまんしたから出るものだと思ってるので。

そして、そっとしておきたい思い出や大切なひと。
あまり深く追うとそれを壊してしまうようで追えないような感覚。
思いやること。

罪悪感とやさしいきもちがまじりあっていて、それにわたしは反応したようだ。

眠りに落ちる時のような、柔らかい感覚。
そして、じじい好きにはたまらない作品でした。



「~させられた」という言葉を聞くと違和感を感じるようになったなあと思う。変なこと言ってるなあというか。
それを受け取ると決めてるのは自分なのにね。



職場のロッカーで聞こえてきた会話にも違和感。
なんとも正直ではない会話が聞こえてきた。
しかしながら、初めはマンウォッチングで興味あって聞いていた。

お!正直に動くのか?と途中思いきや、それはただの取引だった。
相手にばれないくらいに正直、ばれてもいいかなとかの迷い。

つまらん。

一緒にいたい人、おもしろいと感じる人が、自分の気持ちに正直でいようとする人になってるなあ。



Aさんに対して、うるさいなーと思ったのだけど、同じ内容を伝えてきたのにBさんの伝え方ではそう感じなかったことに気づいて、その違いを見つめた。

どうやら、ただ自分の希望を伝える方の場合、何も感じない模様。

わたしを批難したり、今後もそうだと決めつけるような伝え方の場合、うるさいらしいw

うーん、わたしの側としては事実だけ見ればいい感じかな。
相手の人は相手を批難したり、今後まで決めつけるように伝える人。
わたしは、その中にあるわたしが関係していることを聞く。

ちゃんと分別できるようになるぞー。
ごみはごみ箱へ。いるものだけ手に取る。



自分が一緒にいたいなと感じる人といることについて、ちらっと考えた。

それからわたしはどのように仕事をしたいのか、それは今の仕事でどう組み込めるか、もしくは難しいのか。やりたいことをやると、それはどんなこと?

わたし、なにをやっていきたいんだろう?
「なにを」っていうか、「どういうふうに」やっていきたいんだろう、かな。どんな感覚だ?
そして、そのやりたいふうにできる具体的なものはなにがあるのか、って感じか。

これまで意識したことなかったなと気づいて、ちょっと、がくー。



久々に、言ノ葉迷宮さんサイトに。なぜ行ったかわからないがふらっと。
おおー。
知らないものが2作品あるぞ!
ということで、早速DL~。わくわく~。

…ゲームやりたいナー。
部屋を片付けたらやろうね☆


...

つらつら - 2011年02月02日(水)

今朝、シャワーを浴びてたらいろいろ頭に浮かんできた。

うわー。こんなにいっぱい風呂で出てきても、メモ取れないよー。
ブログネタいっぱいだけど、恐ろしい文字数になるよー。

と思った。
我が家でいちばんスピな場所は風呂であろう。。。

で、午前中は母を病院に連れて行ったりしてなんやかやして、午後に家に帰ってきて、さあてゆっくり書きますか、と思ったら、あれだけ出てきたのにひとつも覚えてない。
まじか! すげー(^o^)

でも、一度出てくればもう大丈夫だってこともわかる。
わたしはよく自分にQ&Aをするけれど、一度答えを出しきったものは、その後でまた解決したはずのものが出てきて、そして一度出したはずのその答えを忘れてしまっていても、ただその時に出た感情を感じればいい、みたいな気分。

例えれば、一度クリアしたゲームをもう一度やってるみたいな感覚w
まだクリアしてない時の感じ、初めての時の感じがない。

まあ、もうクリアしなくても、前クリアしたしねー、しようと思えばまたできるだろうしー、みたいな気楽さ&自己信頼がある。

ゲームなんだなあ、わたしにとって。
要は、考えちゃうんじゃなくて考えるのが楽しいことなわけね。
推理とか、アドベンチャーとか、RPGとかを「わたし」でやっている。



なんか、思いきりサポートされている。
1月は、やれることやる、って思ってたからだろうか。
やったけど限界があったことが、他の方のサポートで限界がなくなったり、そして母の通院も4月からはスクールあるし、わたし1人では無理と兄に相談してサポートを実現可能にしたとたん、これまで4週に1回水曜日の通院だったのが、8週に1回水曜日の通院でよくなった…。

ちょっと呆けますな。



どうやらわたしは「いいひと」に見られるようだ。
引き寄せるひとにいいひとが多いので、そう思う。

でも、時々わたしの好みとは違う「いいひと」も引き寄せることがあった。
今は何が起きていたかがわかるけどね。
わたしを見てそう見えるものが、わたしはそれをしたいものというわけじゃなかったりね。
違うお目当てのためにやってた結果がそれなだけなんだけど、みたいな。

タロットもそうだな。
占い師になりたいとかでなく、わたしは精神的なものだったり、自分の内面を見ることだったりが好きで、だから人を理解できたりとか自分を見つめたりするのにいいツールのタロットに興味があって、習いに行ったり本読んだりしている感じ。
興味が結果じゃないんだよね。一方で、その結果に惹かれるひとを引き寄せてることもあって、それに気づけたことはよかったなあと思う。

わたしはスピも好きなのだけど、ときどきどうも真綿で首を絞められるような気持ちのするものがあった。
やわらかいんだけど、息ができないというか。やさしいようで圧力が、という感じというか。

ロハスもそう。決して嫌いじゃないし、むしろ好きなんだけど。あれ?この人のロハスはあまり惹かれないかも?みたいな。

何かなーと見てて、好まないものの引き寄せでなにが起きてたかがわかった。
ある部分は共鳴している、でもある部分では共鳴していない。
どこが自分と共鳴していて、どこが自分と共鳴していないのか、ってわかっていれば何も問題がないということがわかった。

スピやロハスで共鳴しなかったものは、大抵これ。
何かに反対しているもの。何かを拒絶しているもの。何かを警告しているもの。

反対とか拒絶は、まあ「戦争反対」とかね。
何かを警告は、まあ「わたしは危険人物ではありません」とかね。

そうじゃないといいながら、その質を持ってる感じがある感じ、わかるかなあ。それが嫌い。

えーと、ある考えに反対したり拒絶したりするから、そもそも戦争って起きるんじゃないの?みたいに思うわけ。なのに戦争反対ってどゆことー。

たとえば、信頼している人に「わたしは危険人物ではないですよ」と言われたらぎょっとするであろう。
え!あなたをそんな風に考えなきゃいけなかった?みたいな。
だから、危険人物ではないですよと言われて安心する人が近づくのだろうなあと思う。うまくできてる。みごと引き寄せ。
あと、危険人物かどうかくらいわたしに決めさせろ!と思うのであります。


...

つらつら - 2011年02月01日(火)

昨日のぷんすかを振り返ると、とても自分中心・自分目線でいいなと思う。

長い間、本来なら感情を出す時間に客観的にみようとしてたけど、そんなのは後でOK。

で、今日眺めてみて思ったのは、自由を制限されたように感じてぷんすかしてるとこもあるなと。
自由を得るには、もっと自分を表現・表明していくといいっぽいな、と感じた。なるほど。

そして、誰に対しても表現したいって感じではないと…。

表現するべき、必要、というのが出てくる。これって、表現したくないってことだよなあ。


Q、なんで表現したくないの?


A、わたしの好きなそれがすてきなものだと、感覚としてわかってもらえる相手のような気がしない。
つまらないものとされることが嫌。


Q、自分が好きなものを感覚でわかってもらいたいんだね。
好きなものを否定されることが嫌いなんだねえ。

でもー。
たとえ感覚でわかってもらわなくても、たとえ自分が好きなものを好きになってもらわなくても、わたしがそれがやりたいということが伝わればいいかもよ?

やりたい、ってより「やること」が伝わればいいかも。
覚えている? 11は方法だよ。

自分がどうしたいのかを伝えれば、自分に自由を感じさせられるし、相手にも自由を与えられるよ。
自分の好みを理解させたり一緒に好きになったり、させようとしなくていいよ。相手にも自由を与えよう。
感情を伝えなくていい、事実だけ伝えてみよう。



なるほどー。

答えているつもりが、いつのまにか答えられている感覚にw

以前は自分がどうしたいのかがわからなかったし、自分を後回しにしているところがあったから、やりたいことをやると決めることができなかった。

その辺、今もよちよちだけど。
でも少しずつ、歩くことができるようになっているのを感じられるのはうれしい。

ゆりかごの中から出てきた。
いま、テーブルつかんで立ってるくらいかな。


...




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