日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2010年03月29日(月)

今日のあるとき、「がっかりのフィーリング」を感じた。
あー、がっかりしてる。がっかりするんだなー、と感じた。

ついでに、なんでがっかりするんだろ?と思ってみた。

したらば気づいた。
わたしは「それをできない」と思っているからがっかりしている、ということに気づいた。
できないから、ではなくて、「できないと思っているから」のようだ。

それで、できるぞ、やりたいぞ、と変換して同じ場面にいたと想像してみた。
すると…がっかりどころかワクワクするということに気づいた。

そうなのか。やりたかったのか。

実際にそれをするかしないかはまた話が別で、重要なのは自分に許可を与えることだってことを改めて感じた。

オートマチックにそうやって「わたしはそれをできない」とかのフィルタを使う機序、興味あるままです。
「わたしはそれをできない」のフィルタを通すと、がっかりフィーリング。
「わたしはそれがしたい」のフィルタを通すと、ワクワクフィーリング。

全然違和感なく、がっかり用フィルタが出てきても全く気づかず、ってすごいわ。
意識的にフィルタを選択できるようになるっす。
「今日はドラマチックにがっかりフィルタにしてみよ♪」とかね。


...

つらつら - 2010年03月28日(日)

昨日の日記に「なんで怖いかな?」と書きましたが。
一晩寝たらさっさと答えがわかりました。
実はもう答えのわかっていることしか人は疑問に思わないのかもなあ、と思う今日この頃。

四魂という4つのタイプがあるというものを最近読んでいました。
無料でテストできるしー、ってことで自己診断したりして。
「なんで怖い?」の答えはそれを読んだ時にわかっていたみたいです。そして、初めて「なんで怖いんだろ?」という疑問が生まれたのかもしれません。


わたしの四魂タイプは、“智親”でした。
ちなみに4つのうちの他の2つは愛と勇。
それぞれの説明を読むと、なるほどなあって思います。


智の強い人は、「面白いかどうか」「わかるかどうか」「美しいかどうか」「本物かどうか」という真善美を峻別する観点が基準となっています。つまり、人生で求めるものは「真理」の追究であり、そのために物事を観察、分析し工夫するという視点を持っています。
この智の強い人は、世の中に真理と深遠さ、進歩をもたらす尊い使命があります。

親の強い人は、自分のグループの「仲間かどうか」「利益があるかどうか」という観点が基準となっていて、人生で求めるものは仲間の「平和」です。そのために「自分の役割を果たす」という視点を持っていて、たとえその役割が苦手なことでも仲間のためなら実行します。
この親が強い人は、世の中の平和と調和を保つ尊い使命を持っています。

愛の強い人は、「自分は相手に何をしてあげられるだろうか」という観点が基準となっています。話す相手が自分にとって好ましい人であることが前提となっており、相手を好きか嫌いかまず判断して、好きな人なら「この人のために何ができるだろう」という観点で行動します。つまり、人生で求めるものは相手との共感や思いやりに基づく「幸せ」であり、そのために相手を「理解しよう」とし、自分も「理解されたい」という視点を持っています。
この愛が強い人には、人を助け育て、世の中に幸せをつくる尊い使命があります。

勇の強い人は、目的や目標を達成することが価値の基準となっており、人生で求めるものは「達成」であり、そのために「行動する」という視点を持っています。とにかく達成に向けて行動することが大切であり、「やってみないとわからない」という考えが強く、物事を進化、発展させるためには、行動こそが大切なのだという視点から世の中を見ています。
この勇が強い人は、世の中を革新していく尊い使命を持っています。



それぞれどの質が強いかによって、愛情表現の仕方が違うだろうなと思います。
わたしだったら、相手を理解すること(智)や居心地のよい場を作ること(親)って感じに表れるだろうし、愛タイプなら「オンリーユー♪」って関係を作ることがそうだろうし、勇タイプなら相手のために何かを達成するってことが愛情なのかなあと。
四元素として当てはめると、智は風、親は土、愛は水、勇は火って感じかな。

で、「なんで怖いかな?」の答え。
感情が揺らされたり揺らしたり、誤解したりされたりが、なんで怖いかなと。
どうやらそうすると、わたしの愛情表現の「智」や「親」が表現しづらくなるからかなーと思うわけです。
まあそれだけですよ。

ちなみにわたしから「愛」タイプの強い人を見ると、「つじつまが合っていない」「人によって接し方に差がある」と感じることがあります。
智(分析)と親(調和)の見方ですね。

そういえば昔は、愛タイプの強い方に翻弄しました。そして、自分の要素に少ない部分ゆえに、いちばん多いと思われる智が興味を示すらしく(「この人おもしろい」と思う)、親しい友人に必ずいました。
大勢の愛タイプのグループの中にわたしが入ると、いろんな視点からの好き嫌いが見れるからおもしろいなーと思いながら、人の関係性の調整役になってたような気がします。

怖いんだったら、いつもパターンとして使っているんではない愛情表現を使ってみればいいだけよね〜。
自分のパターンから出よう。

…でもねー。
わかった!と思ったことをこうして文にしていくうちに、「そうだけどそうでない」という感覚になりました。
頭で理屈に変換する情報が、「わかった!」の情報よりも少ないのだと思います。
ということで、どこかちょっと違うみたいですよw



今日見た夢。
かわいいなあ〜と、母性的な感情を感じることを自分に許す夢でした。
現実にも「かわいいなあ」と感じている人が出演したのだけど、現実面でそれを表現することをわたしは自分に許可していないため、とても心地よい夢で充分に楽しんだし、目が覚めてからも体感としてしっかりとあります。
それと、なぜかゲーム話をしていたような夢も同時上映…。最近は全くゲームしていないけど、それでもやっぱり好きなんですよーみたいな。
誰と話していたんだろ…。


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つらつら - 2010年03月27日(土)

エンニオ・モリコーネのCD(海の上のピアニストやニューシネマなどの映画音楽)を聞いていたら、ふと見たTVでもエンニオ・モリコーネの曲が流れ、アマゾンからもエンニオ・モリコーネのCDの宣伝メールが来ました。
CD欲しいかも。でも今は、お金を費やしたい目的が他にあるのでやめときます。



昨晩は眠くて眠くて…9時にはもう目を開けていられなくて。
そうしたら、こんな夢を見ました。

学生時代の友人が夢に出てきました。
その夢でわたしは友人A(男性)と楽しく話してました。恋愛的な感じは現実でも夢でもないのだけれど、素の自分でいられるから楽しいし楽ちんでした。

友人Aの彼女の友人Bが現れました。友人Bともわたしは仲良しです。
でも友人Bがその場に現れたことで、わたしの友人Aに対する接し方が無意識に変化しました。
友人Aに対しても、友人Bに対しても「気持ちを揺らすようなことをしてはいけない」「勘違いさせないようにしなければ」みたいな。

現実に友人たちにそう思っていたかは別として(顕在意識ではその記憶はない)、そのように自分が他人に影響することにたいして怖がる部分が自分にあるのが、客観的に見れました。
知ってるなー、って思い。

なんで怖がってるかなーと思ったけど、よくわからない。
そんなわけで、「逆に」してみました。

「気持ちを揺らすようなことをしてはいけない」
→「気持ちを揺らされるのが怖い」

「勘違いさせないようにしなければ」
→「勘違いするのが怖い」

うーん。あるなー。
ということで、さらに変換してみました。

「気持ちを揺らされるのが怖い」
→「気持ちを揺らされるできごとは楽しい」

「勘違いするのが怖い」
→「勘違いは意識が拡大するきっかけになるし楽しい」

怖がっていたものが楽しいものだ、と言われても内部のわたしはまだ「?」という感じですがw、怖くないよ、というのが浸透するといいなあと思います。

しかしなんで怖いかな…。


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つらつら - 2010年03月15日(月)

人に伝えるのって難しいなーと思います。
伝えているうちに、自分の伝え方を客観的に見て、何かこれ違う…とか感じ始めたり。その解決法を知っているはずなんだけど、言葉として出てこなかったり。
まだまだ勉強中だなーって思います。

でも、そのうち自分が感じているそのままを伝えられるようになれればと思うです。まあ別に伝えようとしなくてもいいというか。勝手に伝わるといいなというかw
いつも実践できる感じだといーなと、改めて思います。

空気が春っぽくなってきたので、意味もなくウキウキする今日この頃です。

地震ぐらぐらデトックス。


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つらつら - 2010年03月10日(水)

日記を書く時間も取れないくらいですが(呼吸法はしている)、充実しています。
いやー、もやもやがスッキリしました。
そして、アロマってすごいなーと改めて思いました。
ゲリーさんのワークショップ後、アロマの香りの感じ方が変わって、なんか必要ないや〜と離れていたんですが、また必要になって実感。
ワークショップに参加したことで、わたしに何が起きていたのか、それも興味ありです。

今は時間の隙を見ては「神の使者」を読んでいるところ。
ちなみにこれを読み始めたとたん、もやもやは最高潮になったのでした。まあ今やスッキリですけど。

読み始めてから、罪悪感を選択しないこと、被害者意識・加害者意識になっている時にそれに気づいて選ばない・手放すこと、をせっせと行っています。
ゲリーさんの本を読んでわかっていたつもりだったものが、「神の使者」を読んで改めて「そういうことかー」と整理された感じですかねー。

やー、しかし。
意識してみると、頻繁に(何でもないことで)被害者・加害者意識になってて笑えます。
そして、これからどうなるんだろ?とも思います。

変わるのはわかる。
わかると変わる。


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つらつら - 2010年03月02日(火)

喜びでいっぱいになった!と思ったら、また葛藤とご対面。

・・・ (^^;)
まあいいや、流れに任せよう。

葛藤手放しのために呼吸法してますが、なんかそれで浮かび上がったものの、手放すにはもうちょっとなの!っていうものに関しては、感情を出すと後押しになるような感覚がしています。

ということでってこともないですが、バンクーバーオリンピックの閉会式オープニングで笑い泣きです。
シルクドゥソレイユが好きな方で見逃してたら、見るべしです。

さっすがクラウン! 大好き!


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