つらつら - 2009年08月31日(月) おもしろいなあ。 世の中おもしろいものがたくさんある。 そしておもしろい人がたくさんいる。 うれしい!特におもしろい人がいることを知るのは、すっごい楽しい! そのおもしろいものをワクワクと楽しんでいくと、「あれ?知ってる、この感じ」と思う。ここ1年はそういう感覚が時折出てくる。 いい感じだ、つかんだぞう!と思うと同時に、知ってる、と感じる。 昔こうだった、ってわかる。 現在、自分から自分にしていた制限がひとつひとつ消えて行って、そうしたら、昔は自分に対して制限なんてなかったことに気づいた。 幼い頃を思い浮かべると楽しかったなあ〜という感じなんだけど、それはなるほどなわけだ。 そして、現在は楽しさ上昇中。 思い出しきったら、その後はどうなるんかな。向こう側には何があるんかなあ。 わたし、ここ2年くらいの自分のやってきたこと、自分のためだと思ってた。おもしろいからやってたんだけど、おもしろく感ずるのは自分のためだからだと思ってた。 「思ってた」と言っても、かといって人のためかといえば、そうでもない…。 今の感覚としては、人に「コレ」を伝えるための道具にできるというものを、せっせと学んでいたみたいだ。 伝えたい「コレ」を今、がつがつと楽しんでます。 わたし的メインイベントをほぼタダで勉強中のような…。いい世の中だ。 「コレ」は、昨日の日記で書いてた「わたしは何に癒されるのか」という答えでもあるような気がします。 京都の先生に感ずるものは、頭だけの理解ではない実践者だからなのかなとか。 9月はちょっとハード仕立てなので、今は楽しさ満喫期間が波として来ているのかなというくらい楽しい。 まあ、もう波が下がっている時でもそんなに下がらないか、すぐ浮上するんで問題なーし。 しっかり楽しもう! ... つらつら - 2009年08月30日(日) 半年くらい前かなあ。 本屋に行って「ああ、この本お勧めされてたなあ」と思ったけれど、パラパラと読んで本棚に戻した本がありました。確かその日は他にも欲しい本があって、別にすぐに読まないだろうからいいや、と買いませんでした。 今日、またその本を書店にて手に取ってみたところ、「こんなおもしろそうな本をよく買わずに帰ってこれたなあ…」と感心しました。そのくらい感覚として数ヶ月で自分が変化しているのだと思います。 といいつつ、今日も買わずに帰ってきたんですね。いやあ、今回も他に欲しい本があって…。 ところが。 帰ってきてから気づいたのですが、同じ本が2冊ある…。 (+_+) 安いわけじゃないので返品してきたい…。 ただ行って帰ってくるのもなんだから、ということで、とうとう買ってくる予定に。 わたしは片づけが得意な方ではないため、本屋さんは「わたしの本」をタダで保管・管理してくれているところ、と勝手に想定しています。わたしは欲しいとなると読む時間を考えずに買いすぎたりするし。 (以前まで積読・積ゲームタイプでした) 「あれ全部わたしの本」と想像しただけで、わたしはすんごいうれしい♪ので、幸せな妄想を楽しむと。 早く読みたいので蔵書から引き出してこようと思います。 わたしはどういうことで癒されるのかな?と思う出来事がありました。 勉強になります。 わからない時は、京都の先生を思い浮かべるとなんとなくわかる…。 あの感覚を、人に伝えられるようになれたらいいなあと思う。 近々、なるけどね! 自分が、これ素敵だ!って感じる情報を選んで、自分のものとして使いこなして、そうしてやっとわたしは重い腰を上げるのだろうなと思います。 技術・テクニック以外のあの感覚を、伝えられるようになったらゴーです。 ... つらつら - 2009年08月28日(金) なんというか…。 ひとつのことを「わかったぞう!」と思うと、 「はい、じゃあ次はコレね」 「こっちからも見てみよっか」 「応用編〜」 「発展形〜」 「はい、次は実験してみよ〜」 と関連した情報がぞくぞくやってくるような…。 えーと。多くて整理がつきませんが。 とりあえず、意識的なところでわかっている(覚えている)もの…。 「ザ・チケット」っていうデジタル書籍を読みました。 これはちょっと、わたしにとって、とてつもなく!おもしろかったです。 まだ読み足りない!ちょっとわたしにも実験させて、って感じ。 願望実現に興味がある方にお勧めです。 そういう系統をいくつか読んできてはいますが、すっごいシンプルで頭でも納得しやすく、読み手が自分で「本当にそうなのか?」と一旦整理することができるように書かれていて、すばらしいなと思いました。 わたしは「とりあえずやってみよう」ということに対して、一応やってはみるけれど、正直いまいち納得しきれていないから、どこかタラタラと力を抜いて走るみたいな感じだったので、とてもおもしろく読みました。 ちょっとだけ立ち読みもできます。 どうしてコレを読もうと思ったのかは忘れました (^^;) で。 アロマのスクールに行ったら、「普通はハッピーな感情を感じてから脳内モルヒネが出ますけど、逆に、脳内モルヒネ分泌を促すアロマを嗅いだら、ハッピーな感情が出てきます」みたいな話がありました。 なんか「ザ・チケット」に書いてあったことと、どこか繋がっているよねえ…と思って。 だから、あれ?なんかあるのかな?と思って。 なんかのお知らせですか?と。 で。 そもそもの始まりってなんだ?となんとなく思って、ちょっと過去を振り返ってみました。 思い浮かんだのが、先日あるコメントを見て「あれ?なんか変だ」と感ずることがあったこと。 その方の何かが矛盾していることを感じるんだけど、それがなんだかわからない、ということがありました。 なんだろう?何が変だと感じているんだろう? 当事者にこれかな?あれかな?と突っついてみても、そこはクリアな感じ。 わからんなあ。あまり突っついても失礼だよなあ。と考えるのをやめました。 その答えはわからないまま、この間タロットにて「質問を出したら、あとは任せておけばいい」という考えが、自分から言葉として出て。 妙にこのことを覚えてて。 それが「ザ・チケット」のオマケ部分の内容に繋がっていて、ああやっぱりそうよね、質問だけでいいのよね、とささやかにあったものが強化されて。 さらに「ザ・チケット」はどんどん展開して行っておもしろくなって、最後までじっくりと読んだところで。 今度は、アロマもそうだよねーみたいなとどめを受けて。 振り返ってみたら、ああ、あの時の答えだ、とわかったみたいな。 5日前に疑問に思った答えが、「ザ・チケット」に出てました。どんどん展開しておもしろくなったところに出てました。 まだ自分も実行してなかったのに、知識としてもデジタル書籍を読んで「ほお〜」と思ったばかりなのに、それ以前に、人の姿を見て矛盾としては感じるもんなんだなあ、と思っておもしろいなあと思いました。 たぶん、矛盾してない方も見てるからだと思います。意識には上ってないけど。 知識は後付けだなあって確認できますね。 でも、頭で整理されるとさらにおもしろいし、意図に迷いがなくなるんだよなあ。 ううむ。 わたしはわたし自身を見て、矛盾してるなー、って思うのかもなー。 読んじゃったから、もう思わないかなあ。 ... つらつら - 2009年08月27日(木) 最近、自己探求系のものばかり読んでいたので、ちょっとここらでリセットしようということで。 第5回本屋大賞2位の「サクリファイス」を読んでみました。(今頃) 青春小説は好きなので、どんなかなあとわくわくしながら読みました。 内容は自転車ロードレースが舞台で、主人公は自分が勝ちに行くことにあまり喜びを感じないような青年。勝利を得たことで起きる状況に、逆に違和感を感じるような青年。 いやー、おもしろかったです。全くロードレースを知らないんですが。 登場人物の石尾さんの、ひとつもブレのないところにすごいなと思いました。 自分に対して完全に許可をし、だから周りにもその許可を完全に行った行動をしています。 「ぼくの勝利は、ぼくだけのものではない。」というクライマックスの文に、涙が出ました。 わたしはどちらかといえば、サポートをしてその人が輝くことに喜びを感ずる主人公の気持ちがわかる感じで読み始めました。 だからこの結末には、この今の場所よりも更なる高み、光り輝くところに飛び立つような感覚を主人公とともに味わえた感じで、とても気持ちがよかったです。 やー、読んでよかったー。 ... つらつら - 2009年08月26日(水) またちょっとヤマがあって抜けました。タロットで遊ぶようになったからヤマが来たかな。 わたしの場合は精神的にくるだけで、日常的に何が起きたというわけではないんだけど、これまではそうなる意味・原因がわからないから対処の仕様がないという感じでした。 いろいろ関連しているものはあるんだろうけど、ひとつの原因として「その日に見た夢」が関係していたことに、この間気づきました。夢ですか。 なんか落ち込んでるなーと、その感情を感じていたら、あーそういえばこういう夢を見てそれと繋がってない?みたいな。 どうやら夢で表現されたデトックスのブツを、また再吸収してみたわけだ。 まあ、おかげで意識的にもポイできたからいいですかね。 タロットで遊ぶようになったら、「自分がどうしたいのか」ということをたくさん考えるようになりました。 タロットでの質問形式が、「なんで?」よりも「これを望んでいるけどどうしたらいいか」というものの方がパワフルな答えが返ってくるということだったので、そういう質問形式にしようとすると、自然と「わたしは何を望んでいるのか」と考える方向に行くわけです。 質問を考え出すと、びっくりするくらいどんどんあって…。 自分がこんなに質問を抱えていたのかとびっくり。 タロットが届いてから、毎日1時間以上ひたすら引いているのですが、いまだに質問したいものが消化し切れないです。質問の答えでまた次の質問が出てきたりするからもあるんですが。 全部聞きたいけど眠いから今日はここまで、みたいな感じでいつも終わります…。 たぶん、思考がぐるぐるしがちなわたしは、この「質問を出す」という行為だけで大分いい感じなんじゃないかと思います。 質問すること自体、「こうしたい」という自分の望みを提示したら、あとは質問の答えを得るだけ、気負わず任せる、というルートだし。 これって宇宙へのお願いの仕方だよね。 タロットは無意識部分の自分と対話している感じでやってるんですが、すごーくわたしのことをわかっている答えをくれます。 例えば、こうなりたい、だからなんかしなきゃ、どうしたらいい?とあわあわしていたわたしに対しては、「あえて何もするな」と言ってきました。 「何もしない」と意図的に決めてみると、それまでの自分がどうしてそういう行動をとっていたか、どのくらい効果的だったかとかわかるし、全体でものが見られるようになって、わたしが「何もしない」ことで動くことを見ることができたというか、理解できたりしました。 とにかくとても楽に感じたんですね。 「わたしにはどんなパートナーがいいの?」ってこの間聞いてみたのですが、タロットが「こういうひと」と伝えるイメージに、「ええ〜?そりゃ魅力的だけどさー」と反論したら、じゃあこういう人は?と出してきて、また反論したら、価値観の合う人って収まったんですね。 それで、やっと楽ちんな感じの答えを出された、とその質問を終えたのですが。 最初にこういう人、といわれた人の時に感じた感覚がいちばんガツンとくるんですね…。 全力で行かないといけないというか、面倒だと感じたんだけど魅力的で。このカードが出た時、頭もすうすうして、なんかエネルギー的にもすごく伝えてくるって感じるんだけど、でも、意識のわたしは「魅力的だけどめんどっちいよー」と却下したくなる。 一方、価値観が合うのがいいなーと思うんだけど、それだけだと比較すると薄い感じ…。なぜー。平和でいいじゃーん。 …っていうか今気づいた。 こういうひと、と示された特徴全てを持っている人がいちばんいい。そして、その全てを持つひとっていうのはありえる…。 ということで。 ちょっと面倒くさく感じるけど魅力的で、どこか価値観が共通している人〜と意識してようかと思います〜。 恋愛のパートナーかどうかは知りませんが。 ... つらつら - 2009年08月21日(金) また「ぼく地球」を読んでのネタですが。 紫苑が自分の未来世である輪の生活を見て、両親がいる、と。変な感じだ、と少しくすぐったそうに言うシーンがありました。 わたしは幼い頃、自分の家と、親戚の家とどちらにも住んでいました。 だから、両親がふたりずついるんだね、おうちがふたつもあるんだね、と言われていて、わたしもそう思っていました。 どちらのおうちも自分の好きな時に行ける、自分で好きな方にいられる、と。 幸せでした。 それだけど、紫苑のどこか根っこを持たない感じと同調するのですね。 ひとつの家族を密に過ごしてないから、「どちらのうちも自分がいなくても幸せだ」とそれでどこか思うようになったのかな?って、ちらと思ったり。 でも一方で、「どちらにも欠かせないと思われるのはしんどい」とも思うし。 まあ、よくわかりませんけど、いろいろあるのねえと思う次第。 幸せな家族のかたちはいろいろなんだべな。 もしも紫苑と同じように、前世のわたしが求めていたものが今生で手に入っているのだったら、今のわたしはそれをしっかり味わわないとなんだかなあよねえ、とも思う。 考えないことによって物事がわかっていくのに、わかったものによって考えたくなるのがわたしの悩ましいところです…。 (-_-;) まあいいや。流れに任せるから教えてけれ。 ちなみに、昨日の新月のアファメーションは、 「わたしは、わたしが大好きな人が幸せを感ずることをサポートすることができます」 「わたしは、感情を素直に表現することができます」 でした。 だけど、できない自分もオッケーだ! できなくても大好きだよーん♪ ... つらつら - 2009年08月20日(木) 怒涛のように「ぼく地球」を読破しました。泣きまくりです。 で。 えーと…。 つい数日前の日記で、こういう思い込みが自分にあったことに気づいたということを書きました。 “「わたしは、自分が愛する人をわたしの力で幸せにすることができない」” “わたしの大好きな人だから、「わたしとじゃダメだ」と思ってしまう…。” 「ぼく地球」を現在のわたしが読んでみて気づいたんですけどね…。 おもっきし、これと同じ気持ちの方が登場人物にいらっしゃいますね…。 ああ!はたから見るとこんなか! ということで、紫苑とたいそう同調しながら、そしてそんな自分を客観視しながら読みました。 変な感じでした。 そして。 見事な流れに拍手を送りたい…。 思い込みが自覚できたら、つかさず「偶然」トリビュート作品を見つけ、読みたくて読みたくて仕方なくなって、他の積読を後回しにして全巻読破することになったと…。 パチパチパチ…。 うれしいしおもしろいんだけど、正直ちょっと微妙な気分がわきました。(;¬_¬) いや、ありがたいんですよ。 その調子でお願いしたいけど。 うーん。 どうしたもんだ、この気持ち。←追いついてください ... つらつら - 2009年08月19日(水) デトックスしましたー。朝起きたら何だかよくわからないけどスッキリ。 昨日、「ぼくの地球を守って」のトリビュート本を本屋で見つけて、おおー懐かしい♪と購入。「ぼく地球」はもうすっかり話の内容は忘れているのだけど、読んだ時の印象はずうっと覚えていて、1度読んだらさようならしてしまうことの多いわたしの本棚に、ずうっと残っているマンガ。 で。 トリビュート本を読んでみました。 あ、あれ? これって…。 そして今日は、すっかり内容を忘れた「ぼく地球」を本棚から出して読み始めることに。 ああっ。 ええ!? まだ前半だけですが、そこまで読み終えて何も言えなくなってしまいました。 こういう話だったのか…。 持っている知識が増えたりすると、ものの捉え方って全く違った側面を感じ取ることができるようになるのだなあ…と改めて思いました。 ちなみに、すでに朝起きた時に気分的には解決していたのだけれど、頭的に(意図としてできる分野で)アプローチ法が載ってたりなんかして。 むむむ…って感じです。 昨日は、「有る」ということによって欠けてしまっていたものを見つけて。 そして今日は、欠けていたものに気づいていれば、それを創造することが可能ということを知りました。 マンガの中で、なかったから心に描くというシーンがあって。 でも、「ない」というところにフォーカスしながら遠く思い描くのではなくて、心に描いたその情景をしっかり味わい感じ取るのであれば、「有る」ということでもあるのだと、わかることができました。 おもしろいもんです。 ... つらつら - 2009年08月18日(火) 思い込み解放キャンペーン中です。 意識的には気づいていなかったことだけど、自分に存在していることはよく理解できる思い込みがぼろぼろ出てきてます。出てきてみてもそう思い込んだ原因はわからないんだけど、原因自体は大したものではないだろうから放っておいてます。 今日も、昨日と関連した思い込みが出てきて…。 なんじゃそらー!と自分で驚いてしまいました。その思い込みに。 わたしは今まで結婚したいと思ったことがありません。 あ、結婚式に招待された時は別。多分幸せオーラを感じるからか、素敵だなーいいなーって思います。 でも、日常的にはあまりそういうところがなくて、まあ結婚したい相手が出てきたらそう思うんだろう、くらいに捉えていました。 今日出てきた思い込みを感じてみると。 「結婚する自分」は否定しているっていうような感覚がでてきました。 結婚は、他人のことであって自分がすることではないという感覚。 …思い当たることは結構あって。 例えば過去に、デートしたりなんかして、まったりした幸せな日常の結婚生活みたいのを、ほんとに軽く男性に言われたとしても、さーっとわたしは引いてしまっていました。 普通、好意を持っている人に言われたらうれしいんじゃ…。 興味深いのは、「それをわたしは与えることができない」と感じて、その後、離れようとする感覚…。 露骨に口数が少なくなったり、距離を持った話し方をしだしたり…。 わたしは、わたしがいなくても「幸せ」は機能すると思っているような感覚があって、それなのに「わたしをパートナーに」というのがしっくりこない。 自分の大好きな人だから、「わたしとじゃダメだ」と思ってしまう…。 なんなのよ…。 (-_-;) そういうわけで、好きな人と一緒にいたい自分と葛藤が起きるわけですね…。 頭では突っ込みいれますけども…。 わたしがいないと幸せじゃないことを望むのかよ、とか…。 でも、感覚は充分にわかる。そういうことではないということも。 このもともとの原因は予想がつかないでもないんです。 でもそれは幸せなことでもあって、というか今まではその幸せな部分しか意識的な部分にはなかったことで、全く気づいてなかったことで。 だから、その原因に関してはどうでもいいんです。 ただ、「わたしの感受性がそれを原因にした」んです。それだけだ。 さてと…。 「わたしは与えられる」という許可を自分に出さないとねえ。 ... つらつら - 2009年08月17日(月) おまちかねのタロットが届きました! ということで、戯れてみました。 タロットをシャッフルしながら今を意識して瞑想…。 脳みそ緩めて…、その時はマインドのお仕事は休んでもらって…。 カードを引く。 恋愛面を主に(笑)カードを引きまくりです。 練習になるわあ♪ っていうか。 なんかすごく納得するカードが出るので、ひとつ質問したら次の質問が出てきます。 「じゃあこれはどういうものなの?」 「それなら、わたしはこういうことを希望するけどどうしたらいいんだろ?」 「今のまま続けていったらどんな結果が予想される?」 「この状態をクリアするにはどうしたらいい?」 どんどん出てきます。 質問を考える時点で、「ああ、わたしはこう思っているんだ」ってわかることもあるけど、実際カードに示された意味を読むと、…自分が意識していなかったところを指摘されて、でも納得できて、そうだなあと。 同じ質問をして引いたりしますが、違うカードが出るけど、違うカードなのにどちらもその質問に対してだと似たことを示していたり。 ある2回聞いてみた質問では、質問の答えのカードはあまりうれしくないようなカード(終わりだったり、後悔していたり)なんだけど、その原因のカードはどちらもピッカピカに光り輝いていて…。 まだリーディングがうまくできないため、うーん、大きく見ればいいことみたいだけど…よくわからないなあ、と受け止めたりしている状態です。 いろいろやってみていて、こういう質問もしてみました。 わたしには今まで結婚を意図して相手を探そうとしたことはないのだけど、もしもそういう気持ちで過ごすことに思考を転換した場合、どのような結果が予想されますか、と。 カードの答えは。 「計画・安定・帳尻が合うことがいちばんうれしい」 その原因は。 「分析的・事実に基づいて決定を下す、誠実さや教養に惹かれる、男性に頼らない、シングル」 うーん。 (^^;) 「契約」自体が目的になってるような感が…。 あんまり心地よくない…。 で、それならばと。 今の自分がそれがいいとやっていることではあるけれど、ワクワクする気持ちで過ごしてパートナーを得るにはどうしたらいい?と聞いてみました。 カードの答え。 「決断力をもって行動する、ガードを緩めて自分の気持ちを表に出す」 ふんぎゃー。自分の気持ちの表現…。心がけているけど苦戦してて…。 補足カード。 「家庭内の幸せ、ある関心を共有することで結びつく、感情的な成熟が結果に良い影響を及ぼす、感情が癒されれば好転、恋愛観をもっと広い視野にすると良い、ハッピーエンドは約束されているから理性的な範囲を逸脱しない」 フム…。 まあ、そんなこんなで夢中で、この2日ばかりカードを引いていて。 マインドデトックスの効果なのかなんなのか、突然自分の持ってた大きな思い込みに気づくことになりました。 ほんとに久々に、気まぐれな自分が出てきました。 突然に気分がダウン。 ダウンしつつも「久しぶり〜!懐かしい〜」とか楽しんでいる自分もいるんだけど…。 で、頭的には何の原因も思いつかなくて。(←わたしが自分がわからない理由…) でも、突然悲しくなって、その場にいるのが辛くなって離れました。 この感情はなんだろう?と感じてたら、 「わたしは、自分が愛する人をわたしの力で幸せにすることができない」という、ものすごい思い込みが出てきました。 だから突然、感情を止めようとしたりするところが出たりするんだ…。 なんか、遠くで幸せそうな姿を見つめている、そんなイメージ。 自分はそこに関与していない。自分の大切に思っている人が幸せそうなのがうれしいけど、わたしにはできないことだった、って思っている、そんな感覚。 なんかそういうコンプレックスが、自分にある。 思い返してみれば、幼い頃からずっとある思い込み。 頭では、「幸せはその人自身が選ぶもので、周りがその人を幸せにするわけでは…」と思うけど、ハート(インナーチャイルド?)は納得してないのね。 幸せにしてあげたかった。 幸せにしてあげられなかった。 そう思い込んでいる。 幸せそうな姿を見て、うれしいだけの気持ちではない自分。 どこか自己犠牲になっている。 わたしのマインドはどうも理想が高くて…。 そしてマインドくんだけひとりでスタスタ行ってしまう感じで…。 理想は高くていいけど、ハートちゃんがいいたいことを目線を同じ高さにして聞いてあげて、みんなが納得してみんなで理想に向かえればいいなあ。 そういうわけで、ハートちゃんの話を聞いてみる。 幸せにしてあげたかったね。 幸せにしてあげられなかったと感じているんだね。 悲しかったね。 と耳を傾けてみた。 「悲しかった」と泣いているので、よしよししてあげている。 笑顔が戻るまで、よしよししててあげようと思う。 ... つらつら - 2009年08月15日(土) わかった!と思っても、それが正解かというとそうでもない、というか、自分にとってしっくりするものがどんどん変わっていきます。 昨日の日記、いやー、その解釈ではないだろうよ、と今日のわたし。 反射したことは「本能」「無意識的部分」だということ。 反応することは「意識的」な行動だということ。 だからわたしは時間稼ぎをしたわけではなく、本能的な行動から結果的に時間を稼げて我に返った、って感じだろと。 ちょっと突っ込みたくなった。 (^^;) もっと、自分の行動を意識的にしたいな、無意識に行動している自分がまだあるなら見つけたいな、って感じです。 自分に力を与えるってこういうことなのかなと思いました。自分に対して、「できるよ」という許可。 昨日の夜、お腹がとても主張してきたので、そういうことなのかなと思いました。ひたすらヒーリングしました。 おかげで第三チャクラはそういえば、そういう意味だったな、なんて改めて思いました。 ... つらつら - 2009年08月14日(金) 学生の頃、わたしは驚くのが先に来て、咄嗟に助けることが出来なかったということがあります。 先日あるサイトにて、自分の危険を顧みず人を助けた方についての記事を読んで、その時の状況、自分の感情の流れが一気に浮き上がってきました。そしてそれは解放につながりました。 解放されて気づきましたが、わたしはすっかり閉じ込めていたのでした。 (その記事を読むまで、自分にそういうことがあったことすら忘れてました) その頃のわたしは、自分の咄嗟の行動を嘆いていました。 でもそれが元となって、自分に対して「行動することができる」という許可も与えなくなりました。理想と自分とのギャップから、行動できないものと思い込ませていました。 そのことを、長いこと時間がかかって、先日やっと気づくことが出来ました。 で。 今日、とある本を読んでいたらこんなことが書かれていました。 「第二次世界大戦中も、自分の安全性は一切意識しないで行動する人たちがいました。つまり、サバイバルモードに入っていないので、彼らは死なないのです。彼らは反射しているのではなくて、反応を返しています。生死の問題を越えたところで行動する人たちが、ヒーローと呼ばれます。」 わたしは自分の「反射」に対して、嘆いていたのだなあと気づきました。 実は昨日も、反射的に行動したことがありました。 「あれ?わたしがそれをするという方法もあるのに、なんでそうしようという考えと繋がらない行動をしているんだ?」とふと我に返ったことがありました。 反射と反応は違うということ。 反射した自分と、反応する自分。 咄嗟に助けることができなかった学生の頃も、昨日の自分も、その反射の自分から自分を取り戻し、その後にした行動は、好きなものです。 それを含めて大きく眺めると、反射することでわたしは考える時間を稼いでいるだけだということに気づきました。 どう行動すればいいか、どう行動したいか、整理するための時間稼ぎをしてた、それだけのこと。 それをわたしは嘆いて、自分に許可を出すことをやめて、…はあ、そうでしたか。 お盆だからご先祖さまからのサポートを身近に感ずるのか、とても癒されました。 ありがとうございます。 ... つらつら - 2009年08月12日(水) アロマの自主学習をひたすらやってます。 いまだに、いつのまにか頭でっかちコースになってしまうのが癖で、その証拠というかまたちょっと疲れてきたので、積読とかネットでふらふらとか、別のことをふらふらしてみました。 まずネットにて。 京都のヒーリングの先生が、シャスタからの遠隔セッションをするので参加予定です。 今年のそのセッションには「天使の呼びかけが大きい」そうで、へー、とあまりよくわかっていないながらも、そうなのですかーとブログでの紹介文を読んでいました。 わたしはもう結構前に、そのセッション参加は決めてしまっています。 そして、そのブログを読み終えた後、ヒーリング受けている時のような感覚に…。 なんすか…?眠いんですけど…。 で。今度は積読本にて。 アカシックから情報をおろす方法にはいくつかあるという文を読んでいて、そこにタロットカードもありまして。 そうですねー、そうでしょうねー、と知ってる情報を読んでいる感覚で読んでいて。 そして、またネットへ。 あるヒーラーさんのサイト。 わたしは、このヒーラーさんが使っているタロットカードにとても惹かれていました。ネットで初めて見た時から、なんだかとても気になり続けていました。 カードの絵に惹かれたといえばそうです。 でも、たった1枚のデザインしか知りませんでした。 カードワーク自体には、わたしはこれまで興味が全くに近いくらいなく、カードの類を手に入れる時は、カードの絵が好き♪とかエネルギーを感じてみたい!とかそんな感じでした。 今までわたしが入手していたのはオラクルカード。オラクルカードだったら一枚一枚にメッセージが書かれている解説を見ればいい。 でも、タロットだと自分で読み解かなきゃいけないような気もするし、…それよりも何よりも、正直言えば、わたしはタロットにいい印象がありませんでした。 悪い印象というよりは…怖い印象、強い印象、うまく言えないけど、…例えば擬人化してイメージしてみたなら、あまりタロットカードさんとはこれまで仲良くなりたいとは感じたことがなかったんですね。 嫌いじゃないんだけど。 そんなわけで、全く「自分がやる(やりたい)こと」とは感じたことはありませんでした。 積読本をちょっと読んだ後だったこともあって、もうちょっと突っ込んでそのタロットカードを今日は調べてみたんですね。 他のカードはどんなデザインの絵なのかわかったりしないかなあ、とか思って。 えー。 結果を言えば、その紹介されているサイトを全て読むことができませんでした。 …さらに眠くなって。 他のカードのデザインを見ることはなんとかできました。 やっぱりどの絵もすごく好き…。 だめだ、好きだ、これだ。 ということで、購入することにしました。 そして、購入手続きをネットサイトにて行った後に気づきましたが。 この間の夢、カードの夢だったな…。 夢ではオラクルカードだったけど。絵も全く違うんだけど、でも関連しているような。 夢の中で感じたのと今日感じたのとで同じだったのは、「繋がる」感覚と「間違いなくわたしはこのカードが好きだ」という感覚。 違っていたのは、今日見てたカードの場合は「怖くない」ってこと。 夢の中のカードよりは繋がらないで済むから怖くないってことなのかしら。それとも? そして、今まで持っていたタロットカードに対する、怖いような感じも全く受けないのです。 輝き、うれしい、この目の前に見えるきれいなものに向かっていけばそれはわたしの道だ、という喜び。 状況だけを見たら怖いもの・嫌なものとなりうることでも、美しい輝くものに感じるから怖がらずに喜んで・楽しんでそこへ行ける、という感覚…。 あ、タロット怖いって感覚の理由も、何かわかった。 きれいなものに向かっていくというよりも、怖いものを見て怯えながら、もしくは、怯えずとも、怖いものに対して注意を向けながら進む、って感じがあったんだ。 後者も、「ただ、自分との位置関係を見る」みたいな感覚なら問題ないんだろうけど、そう感じてなかったんだなあ…。 意識として「怯えずとも」って表現したことも、そこに怯えが全然ないわけでもないんだろうな…。だから怖いものを見るのが怖い。 ちなみに。 「そのカードを持つ」とイメージした時の自分が、夢の中でのものと、今回現実世界のカードでのものと比較してみると、全く感覚が違っています。 現実世界のカードの方だと、誰かに対してヒーリングをしている時のような感覚に変わるから怖くない感じ…。 それはどんな感覚かって言うと、ただ見てるだけというか、思考も感情も渦を巻かずに、ただ静かに客観的になってる感じ…。 とにかくまあ、何だか昼間のわたしもその日の夜のわたしを予想できないような、そんな感じで進んでいて。 わけわからないけど、もはやそれを楽しめてるからいいか…。 連れて行っていただこうじゃないの。 カードさん、早くうちに来てくださいませ。お待ちしてます〜。 追記。 おもしろいなあと感ずるのは、わたしがやりたいと思っていることのために勉強したいことがいくつかあったのですが、それらがこのタロットのことを身につければ全てクリアされるということに気づいた…。 あれも、これも、習いにいかなくていいんだ…。 すごいなあ。 (^^;) ... つらつら - 2009年08月10日(月) 今日、夢を見て、泣きながら起きました。 もう夢の内容は覚えてないんだけど、「大きな古時計」の歌が出てきて泣いたみたい…。 わたしは幼い頃からこの曲を聞いたり歌ったりする時、悲しい、でもうれしくて、泣きたくなるような気持ちになって、ぐっとそれを我慢するということをよくしていました。 何でもないのに泣くなんておかしいから、それに「どうしたの?」って聞かれても自分でも理由がわからないから、ぐっと我慢をしていました。 すっかり忘れていた、そんなことを思い出しました。 「感情を表現しないようにしよう」って決断する理由って、いろいろあるんだなあ…と思いました。 理由がないといけない、説明ができないから、か。 へえー。 そして、その寝起きの状態のまま、PCで「大きな古時計」を検索し、こちらのページに行き着き、朝から号泣。 仕事から帰ってきて改めて読んでみたのですが、もう何で号泣したかわからないです。 わからんなー…。 でも、小さい頃この曲で泣いてた人って結構いるみたいです。 なんかあるのかね? ... つらつら - 2009年08月09日(日) 夢日記です。 神社をデートしたですよ。 見た目はわたしの知ってる人を借りてますが、性格や行動が全くその人ではないから変な感じでした。 いやー、どきどきしましたねーw で、自分の恋愛時の感情の癖にフォーカスすることができました。あー、そういえばそういう感じー。 これはあれかな、男女心理のブログを見てたからかな? もう1個、夢日記。 雑居ビルみたいなところのエレベーターを上がって屋上みたいなところに行き、そこから歩いて階段だったか坂を登って、お目当てのお店に行きます。 そのお店は魔女おばさんのいるお店。 その夢を見ている最中、「ここ、以前にも○○さんと来たことある!」と思い出す。今回はひとりで来ました。 薄暗くて、近くに行かないとどんなものが置いてあるかがよくわからない。おもしろいものがいっぱいあるなあー、と手に取ったりして眺めていると、奥から恰幅のいい店長・魔女おばさんが現れました。 「エレベーターはまだ動いていたのかい?」 魔女おばさんに尋ねられて、はい、と答えます。雑居ビルのエレベーターが動いていないとここまで来られないんですね。 「管理人め…、時間になっているのに止めなかったな」 とつぶやく魔女おばさん。 あれ?もう閉店の時間だったのか…。 帰らないといけないかなあ、と思って魔女おばさんの様子をうかがうが、どうやら追い出されないみたいなのでそのまま物色を続ける。 オラクルカードがテーブルにたくさん並べてある。 現実世界のオラクルカードと違っていて、例えば女神のカードも絵がやさしい天使系のおねいさんの絵で、欲しい欲しいと言うわたし。 わたしは、強いおねいさんよりも、きれいなおねいさんが好きです。 サンプルのカードがたくさんあるが、きちんとそのカードのハコに対応するカードが入っていなかったりした…。あ、そのカードはこっちのハコね、と入れ直しを手伝ったり。 お店で、そんなちゃんと入ってなくて…いいのか? オラクルカードは、魔女おばさんの娘さんがたくさん紹介してくれた。 しっかりしたお姉さんって感じのお姉さん。わたしよりも年上っぽい。 お姉さんがいちばん気に入っているオラクルカードを紹介してくれた。 写真で、変な男の人が写ってて、色はとてもビビットでカラフル。ケーキに乗ったカエルの頭にイチゴのデコレーションとか…。 わけわかんないんだが…。 お姉さんは、個性的でしょー♪とケラケラ笑っています。うーん、どんなメッセージがこめられているカードなんだ…。 魔女おばさんがわたしに勧めてくれたのが、ほわ〜っとした優しい絵のオラクルカード。ちょっと長めの長方形をしている、この中ではいちばん新しく出たカード。 わたしも、「それ新しいカードですね! 出たのは知ってたんですけど、手に取って見たことってないんですー」と喜んで手に取らせていただく。 絵から感じるものがとても素敵で、いいなあ〜、これ欲しいです〜、と手に取って絵を見つめていると…やばい!その絵から感じられるものが…怖い! 優しい絵がほよほよ〜と水面が動くように動いて、…何が見えたとか確認するのも怖い感覚を得ました。 どうやらそのカードは「上」とつながりやすいらしくて、そして使えば使うほどつながりやすくなるらしくて、まだ初めて手に取っただけなのに、こんなに「わかっちゃっても」困る!対処ができないから怖い!と、欲しいのはこれだけど、手に入れたくはなくなりました。 まだ早いよ…。 魔女おばさんも、そんなわたしの様子を見たからか、「やっぱ、やめておきな」と。 ちなみに、現実世界(顕在意識)のわたしは怖いと思っていないため、「え?怖いのかい?」と内側のわたしを見てる感じでした。 そして、「いつになるかわかんないけど、火・木以外はお店開いてるから、何か教えようか?」と提案される。 わたしは、エンジェルリンクも受けるんだけどお金足りるかな…なんて思いつつも興味が勝って、「やりたいです!」と答える。 女性のお客さんが2人、店内に入って来た。知らない人。 店内の時計を見ると、23時。 え!?もうそんなに遅い時間なの? エレベーターまだ動いてるのかなあ。帰れるかなあ。 と心配してきたら、夢から覚めました。 昨日は夜勤明けだったので変な時間に寝てたのですが、その起きた時間が23時でした。 おもしろいもんだ。 無条件の愛について。 男女の心理の違いの書かれているブログを見てて、男女それぞれの愛の形が書いてありました。 女の人の場合、相手が困っていようと困っていなくても、助けてあげようとする。 男の人の場合、相手が困っていなければ見守る程度で十分で、助けるのは放っておく。 ブログでは、女性の場合を「無条件の愛」と言ってたけど、わたしはもう一歩進んだものだと思っています。 相手が(意識的な面で)困っていようと困っていなくても助けてあげようとするけれど、でも相手がそれを求めていない場合は見守る。 ようするに、男性と女性のそれぞれの愛の形が組み合わさったものだなあと思いました。 男性性と女性性の統合ってそういうことかなあ。 追記 メンタル系が好きなので、アロマの心理的なセラピストさんとかもいいなあ〜と思ったのだけど、それを調べているうちに。 「あなたが心理学とかやりだしたら、得意の頭でっかちさんになって呼吸浅くなるんだからやめときやー」 「心理学の読み物とか読んで、あははーおもろーい、とやってるくらいで充分」 「学費とか交通費とかと自分の気持ちを比べてみればわかるでしょ?」 と、あっさり却下されました。 確かに、京都行きよりも安いはずなのに、あっさり却下だ…。 答えが早く出るようになったものだ。 ... つらつら - 2009年08月08日(土) わたしは心理学的なものも好きですが、読み出したらとまらなくなってひたすら現在ネットで読んでいるのは、男女の心理の違い的なもの。 織田隼人さんという方の過去ブログを読んでいるところです。 おもろい。 そしてわたしはこれで、自分が心理的な部分で男性っぽいことをこれまた自覚しました。 (^^;) もちろん女性の心理に当てはまるものもそれなりにあって(よかったねえ)、「ああ〜、なるほど。そういうことなのか〜」と読んだりしてますが、何気に男性の心理とされているものにも多く当てはまっているような気がします。 例えば、わたしは1日のおしゃべりノルマはないし。 言われてみれば、相手が話している時は聞いていることに専念して、話をする順番を待っている感じだし。 (そして待ってる間にいいたかったことを忘れることも多い…) 異性と付き合うのに理由を必要としないし。 (最近、あれ?と思っていたところでした。好きになった理由を聞かれても、わたしは「頭ではわかんないけど、なんとなく」なので…) 自分の余裕がなくなった時はひとりになろうとするし。 共感とアドバイスなんて、とっさに反応としてアドバイスをしてしまってから「ああしまった!今はただ共感してあげればよかったのに!」と反省することも多かったり…。 (女性に対して) 先日の夢にも出てきましたが、「困っている時でも自分で何とか解決しようとする」というのも男性心理。 …。 ふうむ。 わたしの魂の本質は男性性だろうなあ、と思うデスよ。 そして、今回女性に生まれてきたのは、「受け入れる」などの女性性を高める為だろうなあと思うデスよ。 何事も、守りよりも攻めていく方向のが得意ですし。 男性と話している方が楽だという理由(女性は共感タイプなので、本音の意見が聞けなかったり)も、女性と付き合う男性は大変だなあと感じた意味も、うちの母は女性的なんだなあということも、もーすっごいわかりました。 精油を買いに行きました。 今回は、今まで自分では使ったことのないものへの挑戦です。 ちなみにニューフェイスさんは、パルマローザ、マートル、シダーウッドアトラス、レモンバーベナ、ジャスミンアブソリュート。 きっかけは、この精油はハートを開かせるらしいとか、センタリングさせるらしい、とか調べていて、そうなると体感して「ほう〜、そういうことか〜。この感覚がそうなのね〜。」と知りたくなりまして、欲しくなりました。 (わたしはそんなんばっかり) もちろん知識面だけで手に入れたわけではなくて、サンプルをくんくんしていい香りと感じたので買って来ました。 特にレモンバーベナは、レモンに似ている香りなんですが、そうらしいからと香りの組み合わせにレモンを代用していたものと比べてみて…いやあ、すごい、レモンバーベナの方が調和するというかしっくりします。 (香りを組み合わせる人ってすごいなあ) ネットではくんくんできないし、やっぱりお店に置いてあるというのはありがたいなあと感じます。 わたしは単独で焚くというよりも、2〜3種を組み合わせて焚くので、新しいものにチャレンジする時は、単独で嗅いでみてOKだったら、その香りとの組み合わせをみるのに、購入予定のないアロマの小瓶の蓋まで開けて併せてくんくんします…真剣に選んでいるので許してもらおう作戦。 ラッキーだったのは、精油の外側のハコが汚れてしまっているために、600円弱で購入できたブルガリア産ローズのアブソリュート! ホントは2000〜3000円くらいするんですよ〜。いやーん、ハコが汚れているからってなんなの!ステキ過ぎ♪と喜び勇んで手に入れました。 新たに手に入れた精油に関しては、まだ全く「なんとなく」という知識すら追いついていないので、調べてみたいと思いまーす。 楽しみ〜。(^o^) 相手の状態に合わせて作れるような調香師的なことが出来たらいいなと思っていて、レイキヒーリングにそれを組み合わせたりできるようになりたいな。 ヒーリング後のグラウディングのために、ハンドマッサージもいいなあと思ったりね。 香りを感じて受けられるし、終わった後にも自分で手をくんくんできるし、いいなあって思います。 こいつ、習う気だな(笑) とりあえず、今のわたしはアロマの香りをプンプンさせていることであろう…。 焚きまくりぎみなので、髪の毛からも匂うし、蓋して置いておいたペットボトルの水すら、なんだかほんのり甘くておいしくなってます…。 ... つらつら - 2009年08月06日(木) アロマを体感の日々でございます。 チャクラごとに対応する、ブレンドした精油というのも売っています。 ひとつひとつ香りを嗅ぐことで、その香りから感覚を体感し、チャクラに対応しているという意味を感覚で納得し覚えるってのもおもしろいなあと惹かれました。 でも、ブレンドで使われている主要精油はほとんどわたしも持っているものだったりして、そうなると高く感じたりして。 精油の値段が高いって感じるわけではなくて、そんなにあっても「使い切れないよ」と。 個別の精油はそれはそれで持っていたいし、香りの保存がきく期間というものはあるわけで、使い切れずに変質させてしまうのは避けたい。 ということで、第一チャクラ対応の精油ブレンドはこの精油で〜、第二チャクラ対応の精油は〜、と書き出してみました。 ブレンドに使われている全部の主要精油は持っていないのだけど、まあ同じである必要はないし。 感覚をつかめればよいというか、あるもので自分に馴染むブレンドを作れるじゃんというか。 そう、自分で組み合わせて使う気。 そんなわけで、書き出した精油ブレンドの組み合わせを、それぞれくんくんしてみました。 自分としては少し意外だったのですが、第三チャクラ対応と第六チャクラ対応のそれぞれの精油ブレンドの組み合わせの香りは、そんなに惹かれませんでした。 意志力と洞察力に別に惹かれてないということよね。 今は他のものを得る時期なんかなー。 ちなみに、第二チャクラ、第七チャクラ対応の香りが、とても惹かれる感じでした。 確かにインナーチャイルド取り組み中だし、わたしは身体の調子が悪い時は下腹部が冷たくなってしまうので、ごもっともと思います。 わたしがよくかかる口内炎。 理由はさまざまあるんでしょうが、そのシステムのひとつにわたしはとても覚えがありました。 「胃と腸の間のドアが固く閉まってしまう」 自分に受け入れがたいものが自分のすぐ側まで迫っている!とストレスを感じている時に、身体はそう反応するんだそうな。 消化(胃)と吸収(腸)の間の扉を固く閉ざして、自分に吸収しないようにする、と。 そんなわけで、第二チャクラの香りが心地よいのもとてもよくわかります。 第七チャクラ対応の香りも、最近脳みその使い方を変えてみていて、ただ整理するために使ったりとか、脳みそがゆったりくつろいでるイメージ状態で直感を使おうとしてみたりしているので、これまた納得です。 (ちなみに直感って脳(身体)が過去の経験から導いていることで、科学的に証明されてもいるらしい) そうやって、ひとつずつ試していってます。 なるほど〜、この感覚か〜、と味わったり。 確かにこの香りから簡単にイメージできるなあ〜、と感心したり。 この精油の組み合わせって試したことなかったけど、こんないい香りになるんだ!とわくわく発見したり。 自分がどうしていつもオレンジの精油をよく使い、その他の精油の惹かれるその理由がわかったり…。 おもちろい。 香りのブレンドを目的に合うように導ける人ってすごいなあと思います。 ... つらつら - 2009年08月05日(水) 今日は、自分の思い込みや周りの人の思い込みによく気がつく日でした。 自分の思い込みは、しばらく前から自分の感情や反応に対して注意を向けている割に、いまだに「ああ〜!そういうとこある!」と新たな発見的に気づいています。 道のりは長い。 そして、今日もたくさん見つかって。 現在のわたしの状況を作っている様々なわたしの思いこみが、わかってしまいました。 うーん、わかってしまいましたねえ。 昨日今日と、引き寄せの法則を実践していて、とても幸せな時間を過ごしています。 「その考え方は素敵だなあ」と、引き寄せの法則の考え方とか知識とかを得ただけで満足していて、実際には実践してこなかった期間がもったいなかったかなあと思うくらい幸せで充実した時間を過ごしています。 引き寄せの法則の実践。 実際に何があったとかいう状況の旅ではなくて、感情の旅を楽しむということ。 自分が幸せだなと感ずる状況をイメージし、その幸せな感覚を状況が伴っていなくとも常に身につけておく。 イメージトレーニングみたいなもんですね。 現在できないものや手に入っていないものを「ない」と思うのではなく、もうすでにできている、手に入っていると、感ずる。 現実を見ていないということではなくて、現実がそうであると認識をしていても、感情は欠乏に焦点をあわせない。 これから自分が向かうところ、自分が向かいたいところに焦点をあわせる。 幸せな感情の中にいることを実感していると、自然と感謝の気持ちも出てきたりして、とてもよい感じ。 で。 その副作用として、いつも何気なく出てくる感情やそれに伴う行動(反応)の中で、自分自身を傷つけていたものに気づきました。自分の行動が、自分自身に嫌がられている。 自分のためにやっているつもりだったのだけど、違うみたい。 気づいてしまったので、なんとなく使いにくくなってしまいました。 方法変えなきゃなー。 ... つらつら - 2009年08月04日(火) 今日は久々に自分だけに使える休みだったので、充分くつろぎました。 「ライアーゲーム」DVDを一気に見たりして、時間を贅沢に使ってみた。 きゃー。松田くんやっぱりかっこいいわあ〜♪と、ほくほくして。 松田くん演ずる秋山のセリフにも、またうっとりし。 ナオちゃんは、真実を見られるようになって、相手の言っていることを信じるというよりも、相手自身を信じる、ってスタンスになったら最強だなあと感じたりして。 (以前見た時の感想もそんなだっけ?) やあ、おもしろかった。 ちょっと買い物にも出かけて。 精油が欲しいなと。 太陽神経叢(胃の辺り)とハートの間のブロックを取る的な効果があるといわれている、キャロットシードを買ってこようかと思って、試供品のふたをくんくんしたら、…おえー。 あんまりいい香りに感じない…。 確か、わたしの好きな柑橘系と相性がいいということで、併せて嗅いでみる。 …おえー。 どうもわたしには合わないようで…。 身体的には欲しいなと思うんだけど、買えませんでした。好きな香りが必要な香りって言うし、きっと必要じゃないんだろう。 で。 今度はべチバーを、くんくん。 それほど好き♪って香りでもないんだけど、嫌いでもないし、わたしの好きな柑橘系と合うらしいし、効用も、地に足つける上に瞑想にもいいという感じで、それぞれのチャクラのバランスも取ってくれるらしいし、何より胃の辺りに来る負のサイキックな影響が受け難くなるらしいので、気になっていたのでした。 お店に並んでた柑橘系と併せて嗅いでみて、使いそうな感じがしたので購入。 早速、家に帰ってから焚いてみた。 しゅごい。 えろい。 えーと。それがべチバーの蒸気をかいだ正直な初めの感想。(^^;) 確かに催淫作用ってのも紹介されてるけど…、あまり気にかけていなかったので、わお、って感じです。 初めの印象でそれだったので。 あとは…。 身体にしっかり自分が入ってるような力強い感覚と…、一気にリラックスさせてくれる感じ、そして安心するような感覚からか眠くなるし、でもエネルギーが充実している感覚、そしてお腹もすごい平気な感じ…っていうか、いつもこんなにわたしのお腹は頼りなかったんだってくらいガードされる感覚がしました。 すっごーい。(^o^) なんというか、今までこの感覚を知らない!という興奮がありました。 嗅がなくてもこの感覚を覚えてられるようになるため、しばらくの間、続けて嗅いでみようっと。 ... つらつら - 2009年08月03日(月) 物分りの良い、というのは思考停止から来るのかもなあ、と思いました。 わたしは頭でぐるぐる考える傾向があるのだけど、物分りが良くてそれがしんどくなるんだなあということにも気づきました。 思考停止というのは、「自分で考えようとしない」とか考える量ばかりのことではなくて、もっともポイントとなってるのは「本当に自分が望むところに行くための方法を考えることをやめること」なのかなと思います。 なんでやめるのかっていうと、「嫌われたくないから」。(伝家の宝刀だな) わたしの場合、なんかいやだな…と感じたことがあっても、頭で「忙しいからなあ」「時間をかけていられないのもわかるしなあ」「そういうものなのかもしれないし」なーんて理由付けられることを見つけると、いやだなと感じたフィーリングをどこかにやってしまうようなところがありました。 というか、頑張って理由付けをしようとしてしまう部分がある。 なるほど…。 これ、子供の頃のくせなのかもしれない。 大人の人に自分の感情を伝えた時に返ってきた答えを、わたしは無意識に覚えているのかもしれない。 何度も何度も自分の感情を訴えてうるさがられる(嫌われる)のはいやだから、前に言われた答えを覚えておいて、それに当てはまらないようだったらやっと「感情を訴えられる」みたいな…。 書いているうちに、おもしろいことも気づきました。 もしも、何度も何度も自分の感情を訴えてもうるさがられなかったら、もしくはうるさがられることに対してわたしが「いやだ」と感じていなかったら、わたしは人に伝える時にその方法を使っていたのかもなあと。 もうひとつ気づいたのは、「うるさがられない」という時点でひとつわたしの望みが叶っているために、そこで思考停止になるらしいなと。 確かに表面にあるその望みもわたしの望むものであるので、そこである程度満足してしまうというか…「方向間違ってなかったなー♪」みたいな。 でも実はそれはフェイクの宝物で、その奥、コアとなる部分に大きな大きな宝物があることにまんまと気づかずにダンジョン去ってたよ、みたいな。 宝箱の取り残しありますよー。 で。 自分だけのことだったら「がまん」で済んでいたというか、自分がしんどいだけで済んでいたから、そのままだともしかするとわたしはつぶれてしまう可能性があったわけだけど。 (実際しんどかったし) ありがたいことに、こういうこと(心理学とか脳科学とかスピリチュアルとか自己探求とか)におもしろいと感じているから、自分が無意識に使っていた戦法に気づこうとしている。 そしてもうひとつありがたいことに、家族の存在があります。 家族が他の人にされたことを見て「いやだな」と感じた時、今までの自分の戦法を使っていたくない、と初めて感じました。 もっと自分から離れている人だと、「自分の戦法」とは切り離されるっていうか、正義感なのかなあ…、「おかしいと思う!」と意見したりが普通に出てくるんだけど、それが自分の親とかだったりするとおもいっきり自分と重ねてるのね。 もしくは、(インナーチャイルド的に)いちばん嫌われたくないひとだから、表現する前に顔色を見る(嫌われる発言でないか気にする)というシステムが働くのかもしれない。 とにかく、その程度に気づいて、まずびっくりだったけども。 うーん、自分のことも同じくらい大切にしようね…とも思いました。 自分の感じたことを、自分の伝えたいと感ずる表現で伝えていく。 よちよちと行っています。 ちなみに、昨日ぼそっと書いていたおふたりの共通点がわかりました。 やさしさ、みたいですね。 わたしもやさしいと言われる方ではあるんですが、わたしが惹かれるやさしさを持っている方たちのようです。なんていうか、雰囲気がやさしい感じっていうのか。 そして、よく見つめていると、それぞれのやさしさの感じは違っていて…。 片方の方はピンク色のやさしさってイメージ。存在しているだけで、見ているだけで、かわいいなあ、と周りが癒される感じ? 子犬を見ている時のようなやさしい気持ちになるんですね。 以前、オーラリーディングで言われましたが、わたしの父親もピンクっぽいなあと、とても納得します。 もう片方の方は紫っぽいやさしさ。 自分の感じとっているものをよく見つめてみて気づいたのだけど、わたしが自分でも高めたい、と感じているやさしさは紫っぽい方のやさしさが大きいかな。 昔リーディングしていただいた時に、ピンクも紫もわたしにある色だったから、どちらにも惹かれるんだろうなあとは思います。 自分にあるから、共鳴する。 どうやったら高まるのかはわからないけど、その方々と接した時の自分のうれしいような、落ち着くような感覚を、なるべくいつも身につけて生活してみようかなと思います。 また実験くんです〜。引き寄せの法則を使ってみよう〜。 ... つらつら - 2009年08月02日(日) よく眠る日々を過ごしております。 先日ヤマを越えたと日記に書きましたが。 確かに感情的なヤマはあの時に越えていました。 でも。 おもしろいものだなあと感ずるのは、「感情を吐き出す」のと「伝えたいもの」との違い。 この間のヤマを越えた時、わたしは伝えたいことを紙に全て書きました。言いたいこと、自分が持っている気持ちをぜーんぶ。順番なんてばらばらです。 そう、わたしが口下手なのは、いいたいことが一辺にたくさん出てくるから。 Dを言う前にA〜Cを伝えないと理解しにくいんだけど、いちばんいいたいことがDで、でもそれを伝える前に話を終えられてしまったり、わたしもそれらのことをまとめ切れなかったりして、不完全燃焼になることが多いのでした。 だから、それらを出し切った時点で、わたしはもう終わったと思っていました。 それを、今度は「相手に伝える言葉」にします。 Iメッセージで伝えます。 順番も整えて、客観的に読んで自分がもっとも伝えたい感情、状況が伝わる文章で書いているか、そしてその文章をわたしは好ましく思うか。 このいわゆる清書の段階で、またも自分の中に何かが起きました。 吐き出した時に使った言葉の裏に隠されてた、気づいていなかった自分の感情。 わたしがもっとも伝えたいものは何だったのか。 そして、吐き出した言葉から感じられることだけがわたしの伝えたいことではなくて…。 そして、お父さんが生きている頃の母親と今の自分が重なって、あの時お母さんも似たような感じを受けていたのかも…と派生したりして。 清書するのにすごい時間がかかりました。 (昨日やっと終わった…) そしてお腹を壊す、と…。わたしは自分が脱皮する時にお腹を壊すのだろうか…。 整理整頓の効力みたいなものを体験しました。 理由がわからなく惹かれる方がいます。ふたりほど。 なんか落ち着く…。 なんかうれしい…。 なんでだろ?と左脳で考えたところでわからないので、その人からどういう感覚を受けて心地よいのかを、感覚を思い出して味わったりしてます。 ふたりの共通しているものってあるのかなあ。 それとも、それぞれに違うもので惹かれているのかなあ。 どっちにしろ、わたしもその方たちが持ってる「それ」が欲しい、高めたいんだと思うな。 「それ」が何だかわからないけど…。 (^^;) でもわたしにとって素敵なものみたいです。 ...
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