Akira Jimbo's Diary DiaryINDEX|past|will
ロザーハムでのクリニックの翌朝、ベイクドビーンズとソテードマッシュルーム、ベイクドトマトとスクランブルエッグの朝食。典型的ブリティッシュスタイルです。昔、カシオペアのジャイブジャイブのレコーディングの時にベイクドビーンズを初めて食べ、思わず吐き出しそうになりました。今はそれなりに食べられます。けっこう美味しいかもとも思います。それは味覚の進化なのでしょうか、退化なのでしょうか。どうも退化のような気がします。鈍化というか。ホテルを出て、モーターウェイを300キロ南下。TIRENESS WILL KILLとかKEEP YOUR DISTANCEとか、交通標語は万国共通。ヒースローにほど近いギルドフォードという街へ。もう少し先まで行くとポーツマス条約で有名なポーツマスです。ポーツマスはPORTSMOUTHと綴る事を知りました。口の形をした港という意味です。はーなるほど。音楽学校ACMを訪問。素晴らしい設備です。ドラム課生徒さん対象のアコースティックドラムのみのワークショップ。いい感じでした。終了後、空港にほど近いホテルにチェックイン。インターネット接続一日15ポンド。ポンドはユーロに輪をかけて高いのでたまりません。繋がずに寝ました。一夜明けた今朝、ヒースローよりスコットランド グラスゴーへ。ヒースローでの機内持ち込み荷物は一個に限られるので要注意。ラップトップは大きなスーツケースに入れ、音源モジュールの方を持ち込みます。1時間ほどで到着。村上春樹のエッセイ「もしも僕らの言葉がウイスキーだったなら」で、グラスゴーからアイラ島に向かう飛行機がマクベス卿の心のようにグラグラ揺れたといった記述があり、すごく小さなイメージがありましたが、普通の大きな国際空港でした。3車線のモーターウェイが走り、見た感じはロンドン近郊とさほど変わりはありません。市内中心部のホテルにチェックイン。今日は移動日で演奏はないので、すぐ近所のショッピング街 ブキャナンストリートを散策。中村俊輔の所属するセルティックのオフィシャルグッズショップでパーカー買いました。俊輔人形、俊輔キャップなど中村グッズ多数。レジのおばちゃんに今夜の試合に行くのかときかれました。もちろん行きません。この寒さの中では観戦する方も大変です。(めちゃめちゃ寒い)美味しそうなにおいに誘われスタンドでフィッシュアンドチップスを買い、ホテルに戻って食べました。油っぽくて最悪でした。夜、明日のスコティッシュドラムデイ会場のグラスゴーロイヤルコンサートホールを下見。3000人収容の素晴らしい会館です。出演は僕、マルコミネマン、ジョンブラックウェル、スタントンムーア。マルコは以前東京で会いに来てくれた事がありました。生で見たことがないので楽しみです。明日がこの長いツアーの最終公演です。明後日の早朝に発ち、ロンドンヒースロー、フランクフルトを経由して帰国します。
デブレツェンからブダペストに向かう途中にあるCegledという小さな街にドラムミュージアムがあります。1930年代から現代に至るドラムセットの変遷を目にすることが出来る貴重な場所です。コレクションの量も半端ではなく、ドラムに特化した展示としては世界最大と断言してもよいのではないかと思います。オーナーはミュージアムの裏で内装業を営み、訪問者があるとドアを開けてガイドツアーをします。壁にサインして来ました。超ヘビー級ランチをご馳走になった上、僕の名前の入った特製ケーキまで用意してくれて恐縮しました。ドラマーだったら一生に一度は訪れたい場所です。ブダペストは8年前に初めて来た時と同じ会場でのクリニック。超満員の盛況で大いに盛り上がりました。
スロバキア コシツェからハンガリー デブレツェンにやってきました。陸路で国境を越えるとパスポートに車のマークのスタンプを捺されます。飛行機のマークのスタンプは既に沢山捺されていますが、車マークは少ないのでちょっと嬉しいです。クリニック主催ディーラーがランチに招待してくれました。僕ら日本人は胃袋が小さくてあまり食べられないから、オーダーし過ぎないでくださいねと念を押したにもかかわらず、ハンガリー料理各種盛り合わせの巨大なお皿が運ばれて来ました。がーん。食べきれないくらいのご馳走でもてなす習慣があるのかもしれません。揚げ物と焼き物中心の超ヘビー級メニュー。げっぷ。音楽学校内でクリニックを行いました。シャイなお客さんでした。終了後の夕食も超ヘビーコース。主菜をなんとか8割方食べて、一息つく間もなく、主菜と同じくらいのてんこ盛りのデザートが出てきました。名前を忘れてしまいましたが、クリームとチョコとお酒の量が半端ではなかったです。撃沈。明日は首都のブダペストに向かいます。
コシツェでのクリニック、入場制限するほどの大盛況で、アンコールを2回ももらいました。すごい盛り上がりでしたが、質問コーナーでは誰からも手が上がりませんでした。英語が自信なかったのかな。現地語トークは絶好調で、カタカナで書いたカンペを読んでいるだけなのですが、非常に驚かれます。カタカナは日本文化が生んだ実に素晴らしい表音システムだと思います。もちろん表記不能の場合も多いですが、色々と独自の記号を開発しているので、かなり現地の人に近いニュアンスで表現することが出来るのです。終わってから年配のおじさんがスロバキア語で話しかけてきました。小学生の頃はテレビもラジオもなく、5キロ離れた学校まで毎日歩いて通いました。冬場は日暮れが早く、オバケの出そうな場所があったので、怖い気持ちを抑えるためにバンドネオンを弾きながら帰ったそうです。毎日弾いていたのでそれなりに上達し、7歳の時に人前で弾いてかなりの金額のお金を手にしました。音楽で稼いだのはそれ1回きりだったそうです。職業の選択肢も限られていたのだと思います。自由化してまだ20年足らず。僕と同年代の人は30歳まで社会主義体制下で暮らしていた事になります。そう考えると不思議な気持ちになります。
しばしご無沙汰したしました。ポズナンからプラハに移動し、楽器フェアに参加。ステージは巨大な駅舎のような空間にあり、天井までおよそ20メートル、しかもガラス張り。残響は6秒。トンネルの中で叩いているみたいです。初日はセットアップのみで、2日目から演奏。渋滞を避けて路面電車に乗って会場へ。1時半からと聞いていたので、サウンドチェックの為に11時からスタンバっていましたが、ちゃんとマイクが立ったのが1時過ぎ。サウンドチェックをしようと思ったら、隣の部屋で別のイベントが始まってしまいました。仕切り悪し。どうも時間が相当後ろ倒しになっているようです。成り行きにまかせるしかありません。1時間以上押してスタート。どっかーんばっしゃーんという感じでどうなるのかと思いましたが、お客さんはそれなりに集まってそれなりに熱心に聞いてくれました。終了後にドラムの周りに人垣が出来ます。新型ラック、トリガーなど、相当珍しかったのだと思われます。隣でドラムサミットというチェコのドラマー3人が代わりばんこに演奏する催しが始まりました。演奏のレベルは高いとは言い難いです。夜はスタッフ全員で伝統チェコ料理 ホスティネツ ウ カリハへ。ガイドブックにも一番最初に出てくる有名店。アコーデオンとチューバの流しのおじさんデュオが回ってくると、レストラン中が大合唱になります。肩を組んで踊り出すグループも。すごいノリで、素面の僕には全くついて行けない世界でした。3日目の午前中にミニ市内観光。プラハの街並みの美しさは、ヨーロッパでも3本指に入ります。旧市街の広場の天文時計前に12時5分前に着きました。土曜日ということもあり黒山の人だかり。みんなどんな仕掛けがあるのかと待ちかまえています。12時の鐘が鳴りました。上部の窓が開き、中で聖人の人形が回っています。横の骸骨が地味に手に持った鈴を振ります。ものの30秒ほどで鐘が鳴り終わりました。どよめきが起こります。え?これでおしまい?というどよめきです。おみやげ店にてボヘミアンガラスの小物とフランツカフカTシャツ購入。カレル橋を渡り、トラムに乗って会場へ。どっかーんばっしゃーんは変わりませんでしたが、いい感じに盛り上がって無事終了しました。チェココルナとポーランドズロチとユーロのコインが財布の中でごちゃごちゃです。そして今日はチェコエアラインのプロペラ機でスロバキアのコシツェにやってきました。小さな空港を出ると見渡す限りの草原。遠くまで来たことを実感します。社会主義時代の画一的な団地の建ち並ぶ区域を抜けて旧市街へ。オペラハウス横のホテルにチェックイン。主催ディラーが夕食に招待してくれました。僕らの為にわざわざジプシー楽団を手配して生演奏付きの豪華ディナー。おもいっきりヘビーなスロバキア料理です。前菜からして日本の主菜の2倍の量。メインは鴨のローストで、特別な日にしか食べない特別な料理。歓待してくれるのは大変嬉しいのですが、僕ら日本人の胃袋はあなた方とは違うんですよといいたくなります。ぽっこり出っ張ったお腹をかかえて外に出ると、日中より10度以上気温が下がっているようです。澄んだ空気に星が綺麗でした。
ボッホムでのクリニック終了後デュッセルドルフに連泊。2泊目の朝も和定食たべました。焼き物はサバ。同じ魚が続かないように、きめの細かい心配りです。大いに関心したのもつかの間、チェックアウトの時に和定食は別料金であることが判明しました。2日分で60ユーロ。今のレートだとおよそ1万円。い、い、いちまんえん、、、が、がーん、、、朝食2日分でそれはあり得ないでしょう。思わず絶句。最初にきちんと説明があって然るべきです。ワイヤレス接続も一日20ユーロだし。(たまたま隣のビルのワイヤレスが入ったので無料で泥棒接続していました)一挙にイメージダウン。世界ぼったくりホテルリストに名前を書き込みました。どんよりと曇った肌寒い天気です。デュッセルドルフよりミュンヘンへ。クリニック主催ディーラー ミュージックショップは、総合楽器店としてかなりの規模を誇ります。シンディーブラックマンのクリニックとバッティングして集客が心配されましたが、ほぼ満席の盛況。静かなお客さんでした。終演後スタッフとビアガーデンへ。オクトーバーフェスの数日前。オクトーバーフェスはここミュンヘンで10月の最初の2週間催され、とにかくビールを飲んで飲んで飲みまくるというイベントです。毎年特製ビールが造られます。お店ではフェス前にもかかわらずこの特製を出してくれました。もちろん僕は飲みませんでしたが、アルコール度数がかなり高く、ジョッキ一杯でかなり酔っぱらうそうです。マッシュルームスープ、きのこがこれでもかという感じにどばーっと入っていて美味しかった。スープだけでお腹いっぱい。さらにソーセージの盛り合わせとザワークラウト。半分食べるのがやっとでした。そして今朝ミュンヘン空港よりポーランド ポズナンへやってきました。旧東欧圏独特のやや重ための空気を感じる美しい街。クリニックは盛り上がって無事終了。名物のズーレック(酸っぱいスープ)と鴨のロースト焼きリンゴ添え、お腹いっぱい食べました。
ボッホムという小さな街にあるかなり大きなドラムショップ ハウスオブドラムスの主催で、お店の近くのパブにてクリニックを行いました。始まる前に近所のイタリアンレストランでミネストローネとスパゲティーポモドーロ注文しました。なかなか料理が出てきません。数日前に近所のイタリアンレストランでマフィアの銃撃事件があったのだそうです。料理が遅いのと何か関係があるのでしょうか。クリニックの集客は厳しかったですが、盛り上がってアンコールもらいました。
ギリシャ総選挙前日、バスケットボールヨーロッパ選手権セミファイナル ギリシャスペイン戦当日という悪条件にもかかわらず、アテネでのクリニック、集客もよく盛り上がりました。夕食はシーフード。厨房まで行って、冷蔵庫を開けて焼いてもらう魚を選びます。前菜のサラダ、カラマリ、たこ、小エビの揚げ物あたりで既に満腹。メインの魚が出てきた頃には既に時計は11時をまわっていました。
アテネ行きのフライトが夜だったので、ミュンヘン市内まで出てミニ観光しました。スーツケースがもう致命的にだめになってしまったので(取っ手が収納不能)空港内の旅行用品店でサムソナイトのニューモデル買いました。壊れた方はそのまま引き取ってくれました。5年ほど一緒に世界中を旅したので、記念に写真を撮ろうと思ったら、もう係員が持ち去った後でした。なんと手際の良いこと。きちんとお疲れ様をいえなかったのが残念でした。
ドイツオーストリー国境の町ブルグハウゼンにいます。ブルグはお城。その名の通り丘の上にお城があります。小さな美しい町です。お昼過ぎに到着し、旧市街の広場の地元料理店にてキャットフィッシュのグリル食べました。ドイツ人はクリーム好きなので、グリルといってもクリーミーなソースがどばーっとかかっています。付け合わせはジャガイモ。どかーんとお腹にたまります。クリニック主催ディーラー ミュージークマイジンガーは畑の真ん中にどっかーんと大きな店舗を構えています。イベントスペースも完全なライブハウス仕様になっており、素晴らしい設備です。今日は初めてヤマハの新しいラックシステムを使ってセットアップしました。未来的ルックスでかっこいいです。始まる前にホテルのレストランで炭酸水をたのんだら、瓶入りのゲロルシュタイナーが出てきました。クリニックはまずまずの集客で、ドイツにしては盛り上がって無事終了しました。ほぼ9割ドイツ語で進行。あと一息です。明日はミュンヘンまで出て、ギリシャ アテネに向かいます。
お昼にウィーンに到着。さらに車で30分ほど走り、バーデンという小さな街で行われたヤマハディーラーコンベンションに参加しました。会場のホテルは築300年は経っていると思われる古い建物。今日はここに泊まるのですが、一部屋一部屋に名前が付いています。僕の部屋はカールラドウィックです。天井高は5メートル近くあり、既にスチーム暖房が入っています。夕方に演奏。アンコールを貰ったので、追悼の意味を込めてバードランドを演奏しました。ホテルに置いてあった新聞の一面に大きくジョーザビヌルの写真が出ています。こちらが地元なので。高校3年の時にウェザーリポートのヘビーウェザーを聴いた衝撃は今でも忘れません。FMステーションという雑誌で、ウェザーリポートとカシオペアの対談という企画がありました。新宿の京王プラザホテルの一室で僕らが緊張して待っていると、ウェザーの面々が入ってきました。ジャコが抜けてオマーハキムとビクターベイリーが加入した頃です。何を話したらよいかわからずにもじもじしている僕らに、話しやすいように逆に色々質問してきてくれたのがジョーザビヌルでした。気配りの人だったのだと思います。ジャコがいたころのウェザーは、本当に魔術的な吸引力を持ったバンドでした。新宿厚生年金会館とスイスのモントルーで2回、生のステージを見られた僕はラッキーだったと思います。時間が流れ、時代が流れて行くのを実感します。合掌
ハンブルグから車で1時間ほど走り、リューベック市郊外のサウンドハウスという楽器店にてクリニックを行いました。急遽決まった割には集客もまずまず。親子連れが多かったです。ドイツではグワーっと盛り上がることはまれで、静かに熱心に聴くパターンが主流。今日も静かでしたが質問が絶えずになかなか終われませんでした。始まる前に近所のモンゴリアンレストランで食べた鴨の揚げ物、超ヘビーで思いっきり胃がもたれました。野菜不足はいかんともし難いです。トマトジュースを飲むように気をつけるのですが、これがまた塩がきつくて不健康。困ったものです。終了後ハンブルグまで戻り、空港近くのホテルにチェックイン。明日はオーストリア ウィーンに移動します。
お昼にエルベ川の船着き場横のレストランにて、シュリンプテールスープ飲みました。日本人好みのいい味出してました。ハンブルグ名物と書いてありましたが、地元の人に聞くとそんなの知らないと言います。ハンバーグステーキもハンブルグの名物というわけではありません。雨がザーっと降ってきたかと思うとぱたっと止み、ちょっと晴れ間がのぞいたかと思うとまたすぐに真っ黒な雲に覆われて、、、といった感じの不安定な気候。クリニック主催ディーラー ジャストドラムスは、第二次世界大戦時にナチスドイツが作った砲台の中にあります。砲台はシェルターの役目も果たしていたので、壁の厚さが3メートル。戦後、イギリス軍がダイナマイトで爆破しようとしましたが、びくともしませんでした。重く、暗く、巨大な墓標のような建物。お店はかなり大規模で、イベント用ステージも常設されています。集客は今ひとつでしたが、7割方にわか仕込みのドイツ語で進行しました。結構通じていたと思います。夜はかなり冷えます。夕食は本格イタリアンレストランにてご馳走になりました。明日はベルリンに行く予定でしたが急遽変更になり、リューベックというやや小さな街でイベントを行うことになりました。
しばしご無沙汰いたしました。トルコのアンタリアからイスタンブール経由でマドリッド、そこから車で400キロほど北上し、ログロニョという小さな街で行われたスパニッシュインターナショナルドラムフェスティバルに参加。デビッドガリバルディーも来る予定でしたが、親戚に不幸があり、急遽トムブレックラインがピンチヒッター。その他に地元ドラマーと、業界きってのお調子者 ドンフェミュラーロというラインナップ。なんと3000人お客さんが来ました。ドラムフェスティバルで3000人というのは僕も初めてです。始まったのが10時半。12時半を回った頃、僕とトムはお先に失礼しました。ラテンの国を乗り切るポイントは引き際です。タイミングを逃すとそのままエンドレスの世界に突入してしまうので。
今日は長い一日でした。お昼にチューリッヒ市内の楽器店とドラムショップに挨拶してから夕方空港に向かい、トルコ航空アンタリア行きのチェックインカウンターに行くと、ぐねぐねと長蛇の列。それなのにカウンターは一つしか開いていません。これは軽く1時間は覚悟しなければいけません。こういうときこそカラマーゾフです。カラマーゾフ的どろどろの人間模様に巻き込まれる事に比べれば、チェックインで1時間待つなどまったくなんでもないことだと思えるからです。たっぷり1時間かかってカウンターにたどり着きました。係員の女性は容赦なくオーバーウエイトに課金します。みんなごねるので、余計に列が進まなくなるのです。1キロ8スイスフラン。僕は素直に払いますといったら、かわいそうに思ったのか、6キロオーバーを4キロオーバーにまけてくれました。アンタリアはヨーロッパでは有名な観光地で、機内は観光客で満席。トルコ航空の機体、かなり痛んでます。お手洗いの水は離陸前から流れないし。左側のエンジンのすぐ横の席でやだなー。結構揺れました。翼に錆が浮いていて、ぽきっと折れるんじゃないかと心配しましたが無事着陸。万雷の拍手が起こるのはトルコ的といえるのでしょうか。明日、ヤマハのディーラーコンベンションで演奏します。ホテルのボールルームでセッティングを済ませてから部屋に入りました。なんと無料のワイヤレスランが飛んでいるではありませんか。素晴らしい。久々にゆっくり日記が書けます。でも夜中の2時を回りました。ちかれたびー。もう寝ます。
チューリッヒから車で40分ほど走った小さな村に、ミュージックプロダクティブという大きな楽器店があります。家賃の高い市内よりも、郊外にゆったりとスペースを取って、お客さんには車で来て貰おうという考え方です。日本でも郊外型のお店が増えていますし、アウトバーンの整備されたヨーロッパでは理にかなっています。しかしのどかな環境。お店のすぐ前にきれいな小川が流れ、澄んだ冷たい空気に家畜のにおいが混じっています。決して不快ではありません。裏は緑深い森です。トウモロコシ倉庫を改造し、1階が売り場、2階がオフィス、3階がイベントスペースになっています。スイスで初めてのクリニック、おとなしいお客さんでしたが熱心に食い入るように見ていました。終わるとドラムの周りに人垣が出来ました。カラ兄、ようやくスメルジャコフ登場です。なんだかドロドロの人間模様に突入していきます。濃いなー。
チューリッヒにやって来ました。しかし早速荷物が出てきません。救いはここで3泊する事。1泊だったらスーツケースは東京の自宅に送り返されてしまうかもしれないのですから。これは非常にラッキーな事です。ものは考えようです。しかし不便。これではパンツも替えられません。しかたがないのでカラマーゾフの兄弟の続きを読んでいます。フョードル・パヴローウィチ・カラマーゾフの最初の奥さんがアデライーダ・イワーノヴナ・ミウーソワで、2人の間に生まれたのがドミートリイ。2人目の奥さんがソフィヤ・イワーノヴナで、この2人の間に生まれたのがイワンとアレクセイ。もう頭がごちゃごちゃです。でもなんだか引き込まれます。ホテルではワイヤレスが飛んでいるものの、1時間で25スイスフランのカードを買わなければなりません。日記を書くのも分刻みです。長たらしい名前をずらずら書いている暇などありません。(ずらずら書いとるやないか 似非関西弁)なんとかウィチという名前がすごくたくさん出てきます。思わず小川軒のレーズンウィッチを思い出してしまいます。先ほど1時間ほど散歩しました。美しい街です。日曜なのでお店はすべて閉まっていますが、人はやたら出ていました。観光ガイドもなにもないので、どこがなになんだかさっぱりわからず、暗くなって来たので水を買って戻りました。荷物今日中に届くかな、、、
ドイツのハノーバーにいます。昨日夕方に到着し、そのまま会場へ直行。大型楽器店PPC主催のドラムナイト。8人のドラマーが入れ替わり立ち替わり演奏します。キャパ600人のテントに立ち見の盛況。僕の出番は最後で23時スタート。始まる前にバックステージでセッティングしているときは時差と疲れでフラフラしていましたが、いざ始まったらやたらと元気でした。7時間遅れなので、夜の11時は日本の朝6時。ちょうど体が起きてきたのかもしれません。ろくにチェックも出来なかったのでトリガーのエラー続出でしたが、怒濤の叩きまくりで大変に盛り上がって無事終了しました。ヨーロッパ乗り打ち、思ったより楽勝でした。今日はPPC店内で12時と16時にワークショップを行い、早めにホテルに戻ってきました。インターネット接続は一日15ユーロ。レートは現在160円強ですから、およそ2500円のぼったくり状態。なんとかならないものでしょうか。1ヶ月旅したら破産してしまいます。カラマーゾフの兄弟読み始めました。ドストエフスキー イコール ものすごく気むずかしい人という先入観がありましたが、導入部を読むとユーモアのセンスもあって身近に感じました。しかし登場人物の名前が難しい。関係性を見失わないようにするのが大変です。アレクセイ・フョードルヴィチ・カラマーゾフが、フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフの三男だといわれても、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよと言いたくなります。やはりハードル高いです。でも今回は1ヶ月ありますから、バー・スメルジャコフ会員になれるように頑張りたいと思います。皆さん、応援してください。(どうやって?)明日はスイスのチューリッヒに移動します。
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