肩の力を抜けと言われても意識的に抜けないんだよ。 一瞬抜けたとしてもまた力が入るんだから、意識的にできるものには限界があるってこと。 なんかわからんけど潜在意識やら環境の作用やら自分の力ではどうにもならんことが作用してるんよ。 知らんけど。
でもそれでええやんか。 俺の力の及ばんものが世の中には山のようにある。 ってか、力なんてほぼほぼなんにもなくてさ、あるのは微妙な存在だけ。 だからさ、自分にはできるとかさ、自力で解決してみせるとかさ、能力を開発するとかさ、あまり考えんでいいよ。 やるときはやるしやらんときはやらんし、あまり自分の意志の力とか考えないほうが良いよ。 まかせちゃえよ。 知らんけど。
あーもう。 しなければならないことなど本当はない。 正しいとか間違いなどということも本来何もない。 心を解放した。 世の中がどう反応するかなんて知らん。 迫りくる世の中の暗黙の了解に距離を置きつつ、仕方のないことはやるし、やりたいこともまたやる。 意志とか関係ねぇ。 そういうものなんだ。そういうもの。 どういうものかは知らんがそういうもの。 書きつつ解放しているのだ。 開いているのだ、中の詰まりをほじくり返して外に出そうとしているのだ。 溜まった何かよ、抑圧された何かよ、外に出ておいで。 押し付けられる情報や規範はうんこだ。 うんこは汚いし臭い。 本来水に流すものだ。 あー、土に混ぜると肥料にもなるから、間接的なら勝ちはあるか。 まあ、それはそれで良い。 朝起きれなかったのではない。 起きたくなかったのだからそれはそれでええやんか。 掃除しなかったのは面倒だからで、それはそれでええやんか。 いずれ起きるし、どこかで掃除するんだから。 その時を待てばいい。 しなきゃいけないなんてことは世の中にねぇ。 馬鹿と言われたら。 ハイ馬鹿でーす。この世の中では。と思ってりゃいい。 すいませんなんて言うな。 愚か者と言われたら、イエス愚か者であると思っとけ。 基準は必要だろうな。 世の中がそれなりになるためにはな。 でもよ、俺はその基準に規定される筋合いはねぇんだよ。 誰がなんと言おうと俺の中のオレはオレの中にしかいないから。 俺基準だ。 社会の基準とずれてたら、ずれたままでいいのだよ。 ずれてんな。 って思っておけばええやんか。 ずれてるから社会側に調整しなきゃなんてしんどいわ。 ま、しらんけど。
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