俺は何にも期待しないことにしている。
それだけに期待していないことが起こるとめちゃくちゃ楽しい。 または、めちゃくちゃむかついたり、めちゃくちゃ悲しかったりする。
期待通りに行くことがそんなに気持ちの良いことだとは思わない。
人から期待されるのも嫌。 期待されるとやる気は極端にうせる。 期待されていないとめちゃくちゃ頑張る。
ひねくれもんだわな。 でも、それでいいのだ。だって「生きてる」って感じがするもの。 予定調和な人生の何が楽しいのかって思うよ。
この世の中ね、みんな「それなり」を目指すでしょ? 「それなり」ってのは自分の他人に対するエゴと、それとは裏腹な人に認められたいという変な媚びの妥協点だと俺は思うわけですよ。
期待を捨てるということは他人に対する自分のエゴを捨てるし、人から認められようともあまり思わんのですよ。 誤解する人も多いけど、「期待されていないとめちゃくちゃ頑張る。」ってのは期待されよう頑張るわけではなくて、人の目のないところだから自分のために集中できるってことなんですね。
いつからこんな世の中になったのか分からないけど、みんな甘い期待を抱いて生きてるわけでしょ?そんなの捨てちまいなと俺は思う。
期待を捨てれば本当にフォーカスされた自分の生命を感じられるのだから。
本屋で『人生の目的』というタイトルの本を手に取った。 中身はかなりスピリチャルワールドで、宗教的な内容だったが、 タイトルに惹かれて買ってしまった。
以前から『幸福とは何か?』『生きてる意味とは何か?』に関する本には目がない。分かるものなら分かりたい。ただ、それだけのことなのだ。
この人生とか幸福とかを考えるあたり、人間の『傲慢さ』をキーとして考えてみた。
いきなり言うが、俺は人間はあくまでも動物でしかないと考えている。
考える能力があり、物質を加工しモノを作ったり火を使ったりできるのは人間だけで、それが人間と動物の違いなのだ。と人間を特別なものとして捉える知恵は教えられてきた。言語学でも、人間はまったく意味のない音に意味を与えられる唯一の優れた動物だと言われている。(人間以外の動物の場合は音そのものが意味になる。人間の場合は音に意味を与えないと意味がわからない。)
この考え方は人間の傲慢だと思うのだ。
鳥は労せず空を飛ぶ。これは鳥に遺伝的に備えられた能力だ。 人間も飛行機という道具を作り空を飛ぶようになった。しかし、空を飛ぶという能力を人間自身が持つことは絶対にない。あくまでもそのような道具を作る能力を持っているだけなのだ。
能力があるかないか?
最初から備わっているかいないかの問題で、人間が他の動物より優秀で特別な能力を持っているとは思わない。だから、道具をもたない人間はライオンや熊に対してはただただ無能だ。
人間はあくまでも動物であるということを前提にすると、面白い疑問が出てくる。犬にとって『犬生の目的』はなんだ?猫にとって『猫生の目的』はなんだ?鳥にとって『鳥生の目的』はなんだ?人間にとって『人生の目的』はなんだ?
俺は『人生に目的なんてない。』と断言する。
現代の人間の悲劇は『生きる』ことそのものに重点を置けないということだ。 自分にとって意味があるかどうかを考えると「全てのことは意味がある」という答えと「全てのことは意味がない」のどちらかにしか答えは出ない。
以外と犬や猫など、生きることそのものに飢餓感を感じない環境で育っている動物にもそんな悩みがあるのかも知れない。
現代人は生きる意味を失って精神を害している。なんてテレビで言っているのを聞くと虫唾がはしる。生きる意味を追い求めてるから精神を害しているんじゃないか?そんなわけのわからない意味があたかもあるようにいうから精神を害するのではないか?
俺はただ生きる。自分の心が導くままに。嫌なら辞めるし、嫌でも辞めたくないなら辞めないし、好きなならやるし、好きでもできないならやらない。そこに大きな目的なんてあるものか。生きること自体が目的そのものなのだから。
急な仕事で名古屋に一泊出張。 仕事の内容は「謝る」「許しを乞う」というもの。 まあ、内容は聞かないで。
ホント、嫌な仕事でした。 二度とやりたくないという気持ちと、俺の入った会社は 何をしてるんだ!?という自分の会社に対する不信感で 一杯になった。
「社会貢献」というのが入社当時の目標だった。 今でも変わらない。いくら企業が利益を追求したって そこには社会の求める何かを提供しなくてはならない。 それが求めるものに受け入れられるには「信用」が必要だ。
ところが今、俺の会社は「信用」をわざわざ失う事をしている。 「謝る」ことで許されるのか?まがいなりにも企業だぞ。 自分のことしか考えない「私利私欲」に走る企業は、 みんなから「信用」を失う。それは「ビジネスモデル」とか 「儲かる構造」なんかと比較にならないくらい大事な ビジネスの要素だ。これって当たり前のことではないのか?
今日ほどこの会社をうらんだことはない。 会社の信用の失墜=その会社にいる人間の信用の失墜だ。 俺はそんなのただの一度だって許さない。
すべては「社会貢献」だから。 俺の私利私欲は究極の「滅私奉公」だから。 信用ってそうやって得るものじゃないの?
2001年06月08日(金) |
おかしい!としか言いようがない。 |
今日はホントに悲惨な事件が起きたね。
「病み」が「闇」の世界を作り始めてる。
精神的支柱が無いんです。
そしてだれもそれを求めない。
ダサいらしい、面倒くさいらしい、成功を導かないらしい。
ホントくやしい気分で一杯です。
2001年06月03日(日) |
笑顔とか思いやりの一言とか... |
自転車が歩道を走ってるくせにベルをチリンチリンと歩行者に向かって鳴らすことほど、むかつくことはない。
ちょっとしたことで「ありがとう」「すいません」が言えない人が多い。
すまん、俺は外国生活が長かった。かぶれているのかもしれんが言わせてくれ。
幸せになりたかったら、そういう小さな心遣いを怠るな。
個人主義とか合理主義の欧米の方がよっぽど『小さな幸せ』を意識的に実行してる。
日本以外のアジアのほとんどが、それ以上に『小さな幸せ』を習慣として生活している。
ひろ〜〜〜〜〜〜〜〜い心を持とうよ。
なに焦ってるんだよ? なに急いでるんだよ? 他人は敵じゃない!
なんとなく以前書いていた日記をタイトルだけ変えて復活させて見ました。 ただし、今後毎日書くとは限らない日記ですが...
自分で最近の自分は「うつ病」「自閉症」の毛が、いや、気があるような毛がしてならない。人としゃべるのが億劫で仕方がない。飲み会が苦痛なぐらい。外見は至って普通なのだが、内面は至って苦痛なのだ。
こういう病気の場合、本人が気付かないどころか、周りの人もよく分からないから「毛の持ちよう」、あ、いや「気の持ちよう」だと軽く結論付けるらしい。
自分でもよくこれがホントに「うつ病」とか「自閉症」の兆候なの?って疑ってしまうが、本を読んだりNHK教育テレビの「今日の健康」とかを見る限り、俺は極軽度ではあるが、「うつ病」「自閉症」の症状が表れているのだ。
そして周りの人間は「毛の持ちよう」だという。いやだから「気の持ちよう」だって。分かってもらえない事の方が多い。
症状としては、部屋の掃除だってしないし、ごみはポイポイ床に放るし、出したものは出しっぱなしだし、外にでるのも億劫だし。そして、何よりもうまく人とコミュニケーションができなくなる。つらい。会社じゃ俺はお馬鹿さんみたいだ。
思うに、俗に呼ばれる「さえないサラリーマン」ってのはみんな幾分「うつ病」「自閉症」の毛がある人なんだと思う。毒されているのか?この唯物主義というか経済資本主義の忙しくて世知辛い世の中に。そういう生活ではない昔の農耕主義的な生き方がぴったりくる人だって一杯いるはずなんだが。
俺は文句ナシに後者のタイプだな。
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