思考過多の記録
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2015年04月04日(土) 悲しい仕打ち

 新年度になった。
 僕はそれと同時に仕事を失った。
 今派遣で働いているのだが、その仕事が昨年度で終了したためだ。いや、正確に言えば、仕事自体は終わっていないのだが、派遣先の会社が「外注費」として計上したのが昨年度までで、年度替わりと同時に予算がなくなったからである。
 派遣とは、所詮はそういう存在なのである。
 厚労省の役人が「今まで派遣はモノ扱いだった」と発言して問題になったが、ある意味それは正しい認識である。
(ただ、今度の法改正がその状況を改善するものになるとは到底思えないが。)



 職場はみないい人達ばかりだったが、僕が唯一嫌な思いをしたのは、派遣先が仕事を発注していた会社の営業担当の対応だった。
 僕の派遣先は教科書の出版社で、僕はそこで指導書の中に入るテストのようなもののデータ作成を担当していた。慣れない作業でいろいろと大変だったし、必ずしも意図通りの仕事ができていなかった面もある。
 その中で、紙面に入る図形などの図版の作成を、S印刷という会社にお願いしていた。担当のH氏に原稿を渡し、それを説明したり、H氏が持ってきた図版を点検してまた戻したり、という遣り取りをしていたのだが、このH氏の対応が、営業職とは思えないものだった。
 まず、電話の遣り取りで、こちらが「お世話になっております」と言っても、それに対して「お世話になっております」と返してくることが殆どなかったのだ。いつでもすぐに要件に入る。ある時は、こちらが話を継ごうと思ったら、何も言わずに電話が切れた。
 そして、対面でも常に「クレームです」という態度。愛想笑いすら見せたことがない。
 極めつけは、僕が仕事上で送ったメールに対しての返信で「挨拶文は省略します」と書いてきた。



 これまでの四半世紀にわたる社会人経験の中で、こんな失礼な営業担当にお目にかかったことはこれまでに一度もない。確かに、こちらからお願いすることは多く、その割には単価が安いのかも知れない(それは僕が決めたことではないのだが)。また、結果として無理難題を突きつけていたり、最初の話とは違ってきたりしていることもあっただろう。そのことで、現場とこちらからの要求の板挟みになってしまっていることはよく分かった。こちらも、申し訳ないなと思いながらお願いしていたところもある。
 しかし、それを態度に出すのはどうかと思う。ましてや、社会人のイロハとも言える「挨拶」を欠かすのは決定的にまずい。いつもにこにこしていろとは言わないが、最低限の礼儀というものはあるはずだ。ましてや、S印刷にとってはこちらはクライアントである。とにかく仕事をさくさくこなしたい、余計なことに割いている時間はないといわんばかりの態度は、こちらに不快感を与える。早く仕事を進めなくてはならないのは確かだが、挨拶に要する時間は秒単位で済むはずだ。それすらも惜しむというのはどういうことなのだろうか。



 おそらくH氏は、僕が途中で辞める派遣(非正規)だと知っていた。だから、どこかに僕を軽んじる気持ちがあったに違いない。クライアントとはいえ、正規の人間ではないのだから、すぐにいなくなる。責任もない。それだけの人間なのだ、と。
 まさに、彼の中で僕は「モノ」に近い存在として認識されていた。そう思われても仕方がない態度だった。なお、彼は僕よりも年下だと思われる。
 たとえ非正規とはいえ、クライアントの人間に対してこのような接し方をする営業がいるということは、S印刷は営業職に対して、そして社員全体に対してどんな教育をしているのだろうかと思ってしまう。もし僕が派遣元の会社の正社員だったら、二度とS印刷に仕事を頼みたくないと思うに違いない。
 営業職とはそういうものである。その一挙手一投足に、その人の人となりが現れるだけではなく、会社の体質が現れる。少なくとも、そう理解されてもおかしくない立場なのだ。営業に限らないが、外部の人間と会う場合、その人は自分が所属する会社(組織)を背負っていることになるので、それを自覚して行動・言動に注意しなければならない。そんな基本的なことも、H氏は理解していないようである。それとも、派遣ごときにどう思われようと関係ない、ということなのだろうか。もしそうなら、あまりにも悲しい。



 2月に上演した「Retweet」という作品の中で、主人公の派遣で働く女性が、
「派遣で働いたということで軽んじられている。悔しい」
とTwitterでつぶやく。
 まさにそれを僕は身をもって体験した。
 一方で、2003年の作品「癒されない女」では、主人公の女性が、自分の下で働く派遣社員の仕事ぶりに対して不満を抱き、愚痴を言うくだりがある。
(これを書いている時、僕はまだ正社員だった。)
 どちらも真実であると僕は思っている。
 こうして働く者は分断され、互いの利害は対立し、互いに不信感を抱き合う。
 こうなれば、資本家の思うツボである。
 互いに手を繋ぎ合うことのないまま、互いを敵だと思い込まされ、資本家に搾取されていく。




 僕はこれからも派遣として働くことになるだろう。派遣でなくても、非正規で働き続けることになるのはほぼ間違いない。
 好き好んでこの雇用形態を選んだわけではなく、病気による退職という、やむにやまれぬ事情からである。
 それも自己責任だというのだろうか。
 非正規だというだけで、これからもずっと、こんな悲しい思いをしながら生きていかなければならないのだろうか。


hajime |MAILHomePage

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