Diary?
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安い中華屋で餃子と押し豆腐でビール飲んで、締めに半炒飯食べながら考え事をしていたら涙ぐんでしまったのでそのことを書きます。
なんだか長いことこうやって中華料理屋さんに一人で入って食べているなあと思って、最初はいつだったろうと思い出してみたらそれは18歳の頃だった。実家を出て下宿生活を始めて、初めて寝込んだ時だ。
年季の入ったアパート、当時の大阪では文化住宅と呼ばれていた古い集合住宅の窓からは、小さな中華料理屋が見えていた。でもまだ一人の外食に不慣れな18歳女子はそこに入る勇気はなかった。特に高くもなく普通の価格だったと思うが、自炊の貧乏学生には少し贅沢でもあった。
歳とともに治まったが、当時は年に一度はスパークする扁桃腺を抱えていて、それは下宿生活を始めようが容赦なく巡ってくる。高熱に喘ぎながら「何か食べなければ」と思うものの、まだ冷蔵庫も買えていなかったし、コンビニもどこにでもある時代じゃなかった。朦朧としたまま外に出て、向かいの中華料理屋に入って玉子スープを頼んだ。熱はまだ下がらなかったけれど、なんとなく「これで大丈夫だ」と思った。
少し元気が出て、店を出たところの公衆電話から実家に電話をした。いやー扁桃腺腫れて熱出て参ったわー、うん、今近くの中華屋さんで食べたから大丈夫。なんてことを母と話した。アパートに帰って布団に倒れ込み、ぐっすり眠った。翌日、朝早くからドアがノックされて何事かと急いで出てみたら父が立っていた。母が持たせたであろう、全く脈絡のない様々な食品とともに、車を3時間飛ばしてやってきた。そして午後に用があるからととんぼ返りで去っていった。私、かわいがられてたなー。
困っていると突然父が現れる現象については、兄も経験していた。兄は京都市内でアパート暮らしをしていたことがあったのだが、まだ若く貧乏でエアコンを買う余裕が無かった。ご存知かと思うが京都の街中の夏の暑さは殺人的で、さすがに兄も消耗し体調を崩していた。そして実家への電話で暑くて暑くて参るわー、などと愚痴ったところ、週末の朝早くにドアがノックされ父が立っていたそうな。軽トラの荷台にエアコンを積んで、さらに助手席には実家近所の電気屋のおっちゃんを乗せて。車で2時間。電光石火でエアコンを取り付けると二人は去っていったという。おにいもかわいがられてたなー。
とにかく私は18歳で初めて一人で玉子スープを飲んでから、街の小さな中華料理屋さんで食べ続けている。何度も引越しをしたけれど、どんな町にもたいてい個人経営の小さな中華屋があり、特に素晴らしく美味しいわけでもなく普段の食事を供している。そういうところで炒飯など食べながら、ドアを開けたら父が立っていたあの朝のことを時々思い出すんだろうなと思う。
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