父親が死んでしまったことに比べれば
心電図が止まるのを見たときに比べれば
最後の握手をしたときに直感した事に比べれば
病院に運び込まれた姿を見たことに比べれば
臨終を告げられたときに比べれば
何をされてもそれ以上に悲しいことは存在しないし
何をされてもそれ以上の苦しみはないから
僕の心は響かなくなってしまったから
何一つ苦しくない。
その代わり心躍るようなことも無い。
何をやってもどこか他人事。
だから仕事も苦しいとは思わない。
1人でいることも、時には寂しいけど、それでも平気。
誰かを抱いて紛らわそうとも思わない。
抱いた後の“上辺だけが満たされた”虚しさはいらない。
残りの家族が亡くなるまでは、今のまま、持ちこたえられる。
僕のように「誰かの代役」ばかりやっていたら
結婚なんて出来るとは思えない。
だから僕がこの先も独りで過ごし
残った家族が僕独りになってしまったら、
僕は家族のもとへ早く逝きたい。
今年の命日は静かに過ぎました。
家族と過ごさなかったのは初めてなのかな。
仕事で残業をして
帰りにいつものバーでお酒を飲んで、
バーテンのWさんに転職祝いのシャンパンを頂いて
いくつかの共通点で盛り上がって、ほろ酔いで店を出た。
お店近くのTV塔を見上げたら、11時15分。
通りも静かだったから、少しだけ目を閉じた。
実家に電話し、電車に乗って帰路に着く。
そんな命日。
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