Small Talk 〜雑談〜

2014年01月20日(月) それでも

生き直すことに疲れる。
私がリアルだと感じるのは
不幸だったあの頃の感覚。
違うものにリアルさを感じるのムリ。

記憶を書き換えるなんてムリ。
書き換えないと幸せになれないと。
幸せになる為に頑張るっておかしい。
私の物の感じ方を変えないと
幸せにならないなら
自然体では、
自分が自分のままでは、
幸せになれないなら
別の何かにならないと
幸せにならないならさ

もう不幸でもいいです。
前みたいにズルズル落ちてしまえばいい
言葉も感情もお金も健康も仕事も失くして
また死んでいた頃にまで戻ればいい。
もう其処から這い上がりたくないから
そのまま其処で死ねればいい。

不幸だったから挽回して
幸せにならなくちゃいけない、という縛り。
すごく苦しい。
でもすごく悔しい。
散々不幸だったから、
後は幸せしか入れちゃいけない
それ以外は受け容れたくない
だって沢山味わってきた

自然体で最初からエスカレーター式に
幸福になっていく人々と
私は持っている感覚が違う。
私は彼らの感覚は持てない。

ものすごい切迫感。

不幸でもいいよと自分を赦すことが
逆説的なんだけど、
一番自分が楽になれることを知る。



2014年01月18日(土) 手応えさえあれば、と

最近、おしゃれになろうと決めてみた。
お友達と一緒に、服を買いに行ってみた。
すごく、すごく嬉しかった。
お店のお姉さんに泣きついて
コーディネートの方法を教わったり
雑誌を買ってみたり。

職場の同僚とおでかけしたり、
飲みに行けることの喜び。

眩しい世界だった。
その世界の人たちは、
仄暗い世界に対しての想像力が欠如しているというのは
今も何となく思う。
経験は、想像力にわかりやすく繋がっていて。

私の人生は、キラキラとは程遠くて
眩しいものの前では焼けてしまう。
焼き尽くされてしまうのだ。
そこにいるのが当たり前だと
その辺りがピンとこないのだろうな、と。
その人々の中でそれを感じることの、孤立感。
前提が噛み合わないことで一方だけに生まれる掻痒感。

私の周りには、ワケありの人が多かった。
キラキラの前では焼けてしまうのは、その人たちも同じ。
仄暗いから、繋がれたんだと思う。
私は繋がりたかった。
一人寂しいのは嫌だった。
でも、薄暗い澱みの中に居続けるのは嫌だった。
私たちはネガティブさで繋がっていたけど、
そんな利害ファクターで繋がりたくなかった。
かといって、キラキラした世界の住民には気後れする。
それでいて、仄暗い人たちに感じる同族嫌悪のようなもの。
馴れ合いのような、負け組になり続けるような。

私は、何処に行きたいのか。
何処に辿りつきたいの?
落とし所が見つからない。
自分にフィットするポジションが何処なのかが見つからない。

私は、「甘んじる」ことが、どうやら相当気に食わない。
仄暗さもキラキラも、両方渡り歩いてみたかった。
行き来をしたかったんだと思う。
暗い感情も味わい尽くしたかった。
だからしっかり味わい尽くしてみたりして。

最近は
のんびり参鶏湯を作ってみたり
ザクロのコールスローを作ってみたり
おでんを大量に作ってみたり
ウチに友人をお招きして、ご飯を食べたり。

体重が増えてきたから、ウォーキングをしたりして。

クリスマスは落ちて自殺グッズを揃えていた。
眠剤、ロープ、紙おむつ(垂れ流し防止に)。
正月は弟の結婚指輪を見て
これまた気持ちがグズグズに落ち込んだ。
落ちるのなんて良くあること。
死にたいのもよくあること。

卒業から10年目の、同窓会。

つい今週になって
人が結婚していても、子供がいても、
エグられるような気持ちにならなくなれたんだ。

最近気づいたことがある。
私の欲しかったものが何か。

自分の人生で
自分の意思が介入されないことが悔しかった。悲しかった。

イメージに向かって生きたい気持ちはあった。
だけど、イメージそのものになりたい訳ではなく
しっかりした手応えが欲しくて、完璧さを求めただけ。

欲しかったのは完璧さではない。
歪でも欠けていても問題はない、手応えがあれば。


自分のイメージ通りに自分を動かしたかった。
自分の手綱を、自分に引き戻したかった。


長い期間に亘って自分が麻痺していたこと、
させられていたこと、が悔しかったのね。

私が欲しかったものは
伴侶でも結婚という制度でもない。
金と仕事は欲しかった。
自分がやりたい事をする為の基盤になるから。

自分で自分の手綱を引いている手応え。

誰かに食わせて貰いたいのではなく
誰かに結婚して貰いたいのではなく
誰かの子供を授かりたいのでもなく

「自分」の輪郭を感じて
生きていることを感じていたかった。

だから
イメージしたことを「やれる」自分になること。
やりたい、と思ったら動けること。

イメージそのものになりたかったのでは、なかったんだ。
イメージ通りにならなくても、
望んだものが与えられなくても、良かったんだ。

イメージになることが、目的ではない。
自分が納得できれば、全てオーライ。
それを他者の抑圧なんぞで封じられるのが、
自分を殺されることが、
その内、自分で自分を殺すようになっていくことが
耐えられなかったんだねー。

納得がしたかったの。
納得と手応え。
自分の納得がいくのはどういう場所なのか。
どういう行き先なのか。
何となく流れ着くんじゃなくて。
自分を知りたいということ。
自分の欲求に対して、忠実であり続ける。

頑固というか、すごく強い「自分」が居るよ。
信念があったら、貫き通すような。

でもね
全てが叶わなくてもいいのだ、と。


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