Small Talk 〜雑談〜

2010年04月22日(木) ヒエラルキー

企業の形態の違いと
育った環境と感覚の違いと
畑違いの業界と、覚えきれない製品の理系用語…

疲弊。

よく考えたらヒエラルキーのある企業で働くのは初めてなんである。

1社目は、10年もしたら各自
フリーのライターになるなり在宅ワーカーになったり
各々勝手に生きていく。ヒエラルキーや役割分担も希薄で
一人で業務全般を負う。

2社目は、フリーランスでいようにも、
一人で金額を立て替えられないのと、
会社形態にした方が銀行などから
信用されやすいから会社設立したようなもので
実質はフリーランス数人、プラス、アシスタントの私。

2社とも、比較的自由人が多かったのだが
今度はそうはいかねぇ。
課長は部長に絶対服従、部長は専務に絶対服従。
仕事の領域もキッパリ決まっている。
しかも超ドメスティックだ。

あなたは私と同質であるべきなのに、どうしてそうじゃないの、
社会人やってたんでしょう、非常識だ、と
同質性が前提の、お局イジメをくらったりしていた。
会社形態のある企業が、企業の全てと思うなよ、と思う。

私は世界の価値観がひとつしかないと信じきって
それを押し付けてくる行為が、私にとっては不愉快だ。

でも、複数を体験してみないと差異はわからないとも思う。
色々なものが存在しているのを目の当たりにして
初めてわかるのかもしれない。
だから帰国子女には特別枠が設けられているのかもしれない。

私にとっては、色々なものが混在するのは当たり前だったし
その色々が、あまりにもかけ離れている差だったりしても
それでも平気だ、別に気にならない。
気質的に合わなけりゃ距離をあければいい。
それでも共存はできる。サバンナの水飲み場のように。
基本的に皆、そうなのではないかと思っていたのだが

どうもそうじゃない発想の人間も多いのだな?

---------------------

同じ会社でも、規模によってこんなに形態が変わるとは。
企業が大きくなると、個人事業主っぽさが希薄になるというか
回る金額はでかくなるけど、個人の仕事の範囲は限定されるもんなのか。

先日、イジメがあまりにひどいので、上層部と人事に相談したところ
パトロールのように他の部の人々が顔を出すようになった…

不思議とそれだけで私は安心する。
違う人々が流動することが、私の呼吸をラクにする。
また、人の目があるだけで、お局の態度が違う。
どうもお局は、その場に居る人…好き嫌い関係なく…
距離を置くことができないらしい。
ずっと喋り続けている。
嫌な奴には叫んで絡んできながら接近してくる。
好きな奴には喋りながらべったり、片時も離れない。
これは土着性というよりも、性格なんだろうが。

------------

土着の人と接したことは、人生で殆どない。
私は遊牧民で、土着の生活を知らんのだが
何よりも遊牧性を理解できない人々の中で、
土着性を求められて生きるのがつらい。

こちらは理解しようと努めるが
悪いが私の心の土壌は、混沌の大地インドだ。
色々なパターンがあって、この日本の、この企業の土着性も
混沌の中のひとつとして測るしかできねー。

でもインドでインド人は土着民として生きている。
私はインド人ではなく、カーストから離れた部外者として接していた。

遊牧民とは部外者みたいなもんだ。
そこに「居る」、此処こそが私の属す場所だ、そういった感覚がない。

流れる人の中で、自分も流れながら居たからか
人に付くこともなく、土地に着くこともない、
流れをともにしていた家族は逆に有害だった(今は向上したが)
そりゃ、この世に未練もなくなるわけだわな。

とてもややこしい。
帰国から10年、今頃カルチャーショックに気づく。
気づく余裕すらなかったし、旅人やフリーランスが多い環境では
それを意識することはまずない。

距離を取らずに入り込むというのは
やったことがないので、大きな試みかもしれない。

大きな試みなんだが
それと仕事の大きな違いも同時進行なので
ほんと敵わん。せめてどっちかずつだと助かるんだが
…でも同時なんだわな。カルマのなせる業か。
あーめんどくせぇ。


 < 過去  INDEX  未来 >


カドタカラ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加