Small Talk 〜雑談〜

2007年07月30日(月) おきざり

普通の、すくすくと育った人ならば
3歳までに与えられて、クリアできている問題を

私はこれからクリアする。
しかも、自力で。

私の親には、それを与えるアビリティはない。
それって、その人の素質にも左右されると思うのね。

人を受け入れる能力と
人前で主張する能力と。

最初の3年で、後者を満たすと
満たしてもらった充足感で、前者も出来るようになると。

私は、素質として前者は最初からあるみたいだ。
でも、後者の経験もないと、
どうしても心の中がスカスカになってしまう。

受け入れて、
受け入れて、
受け入れて、

人生は、モノローグだった。
人なんていらなかった。
喋ったらラクになるから、とかつての彼は言った。
私には会話に価値があるとは思えなかった。
うちの会話は、一方的なものだったから。
ダイアローグに、意味を見出せなかった。
今もまだ、見出せないでいる。

そういう経験がない人には、ダイアローグを
重視しない側の事情が見えないんだろうと思う。

誰も受け止めてくれないから、
黙ってひとり、頭の中で、モノローグだけの世界に住んでいる。
でもやっぱりそれでは、寂しいものがあるんだ。
私はもう、疲れた。

でも、喋って、喋って、喋り続けるサイドもまた
モノローグだけの世界で、空しさが積もっていくみたいだ。

受け入れられて、受け入れる。
それが基本なんだろうな。

…欠けちゃってる場合は、どう補填すればいいのかな…

でも誰かに頼りたいと思うほど、最初から私は人を信用していない。
「どうせモノローグを、私に延々と一方的に語るんでしょう?」
そう思ってしまう。



2007年07月28日(土) 育つこころ

適応障害のストレス源は、母だった。
これまでストレスに感じなかったのは、私が感情を消していたから。
でも密かに感情は蓄積されていて、このたび爆発。
実に26年分。
この爆発により感情が出てきて、出てくるようになってきたら
ストレスをストレスとして、前より感じられるようになった。
もうストレスを感じないではいられない。

こころが育つ時期になったんでしょう。

私には、人を理解するとか、許容するとかいう素質があるため
ついつい我儘な人でも受け入れてしまうのですが
親がコドモだったことも、子供の私は許してあげて(無意識に)
子供なのに親のポジションをやってしまった…

でも子供ですから、子供がオトナ役をやるってのは限界があるんですわ。
それだと中身を成長させるヒマがないんですわ。
私が、ちゃんと幼少期にメンタル面で成長していたら
自分にストレスになる位まで、人を受容することはなかった。

自我がロクにないから、どこまでも人を受け入れすぎて
本当は「これ以上は譲れません」ってラインよりも
内側まで入れてしまった。
自分がなかったから、ラインを引けてなかったのな。
そりゃ潰れるわ。

私の本体は「優しい子供」で、オトナを演じていたわけで。
これから優しい大人になる為に、子供の部分を育てなければなりませぬ。

コドモ属性の強い大人や、子供そのものがいると
私が自動的に「オトナ」を演じてあげてしまうため

暫くそれらから距離を置いて、自分を育てるんです。
幸い、自分は「人を受容・ケアする属性」なんで、
自分自身のケアもできるはず…

まー偉そうに言ってますが
要するに暫く自分の為だけに、自分のことしかしないって事です。



2007年07月22日(日) 恐ろしい事に気づく

根本的に間違っているみたいだ。
生きることのスタンスが。

困った。
気づいてしまった。
私には、感情があまりない。
特に「喜怒哀楽」の「哀」がない。


私は私そのものでも肯定される
その経験がない。

だから、役に立たなくなった時が消える時だと信じていたのか。
だから、消えないように、沢山の役に立てる
スキルを付加しようとしていたのか。

転院した先で、「あなたの母親は未熟な人ですね」と言われる。
…精神的に未熟な、子供みたいな人が母になると
子供は、子供らしく、人間らしくいられなくなる。
だって気に入られないと、怒られるんだぞ?
思う通りにならない子供は子供じゃないんだよ、彼女にとって。
…彼女の狭量さの証明なんだけど、それは。

感情を最小限まで消すことで、生きてこられたのか、私は。

今日の文章も、ほら、また、主観がない。
分析だけだ。感情が出せない。だってどう出していいのか…
よく、「もっと頼っていいよ」とも言われる。
でも、「頼る」習慣がない。わからない。
ありのままの私でよりかかることが、出来ない。
だって今の自分は「頼らない」のがありのままなんだもの。

別れた相方は、もっと感情を出せと言った。
私は、ああ、理解されてないなと思った。
私をちゃんと見てくれ、感情が出せない人もいるんだと。
出せるものなら出している。無理して出そうとしても辛いだけ。
出せと言われても、今更出せない。私は貴方と違うんだ。
世界は貴方と同じ人間ばかりで構成されてるなんて思わないで。
ちゃんと現実を見て。

でも、彼の、主観の強さは、私にとって目からウロコだったし
「理由なく存在していていい」って絶対的な自分を持っていることが
とても羨ましかった。私にその発想はない。
でも、その価値観を持てと言われても、持ち方がわからない。

来週カウンセリング行ってきまーす。



2007年07月08日(日) キレる子供

ゲームのやりすぎとか、環境ホルモンとか言われてるけど

対人関係での争いが嫌いで、
自分にとって居心地のいい平和な空間を作るために
我慢して、相手を優先させて、
我慢すると考える時間が出来るから
妙に理性的になって、理屈詰めになって

(本人も無意識に)押さえ込んでいた感情が
溜まって、ある時いよいよ臨界点に達して
コントロールできなくなって、暴発して

いい子が突然「キレる」

なーんて場合もあるんじゃないのか?…と、思った。

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私の場合は、抑えすぎて抑うつ状態になって
それでも「今までどおりの私」(←実はひそかにストレスが溜まる)を
周りに望まれて、希死願望が出てきたけど、死ぬのを選ぶ前に

キレた(脳が)んだと思われる…
まぁ、私のケースは、誰かに危害を加えるとかじゃなくて
涙が止まらなかったり、すんごいうつに陥ったりするだけなんだけど
(とことん争いが嫌いだなぁ)

「今まで普通にやれてたのに、どうして突然?」と
壊れている本人も、かなり不安になってしまう。
(それってつまり、無理してる状態が「普通」になってただけかも)
今まで理性的だったから、余計に、理性がきかなくなって
私は壊れてしまったのか、と思うんだけども
大丈夫、壊れたんじゃない。
この状態では「壊れるのが当たり前」だから。
だからどっちかというと、バランスが著しく崩れただけ、に近い。

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今まで、「優しいね」とはよく言われたけど
何だかピンとこなかったのね。
だって平和なのが好きなんだから、それを保つのに私が犠牲になっても
結局「平和にしたい」私の気持ちは叶えられてるんだし…と。

違う。
人に優しすぎた。
自分を削るのは、自分には優しくないってことだ。
人に優しく、自分に厳しくしすぎた…

「もっと自分を大事にしてあげていいのに」とも言われたんだけど
それが何を意味してるのか、ピンとこなかったのね。
それがわかった。
こういう状態まで追い詰めてしまうなんて
自分に優しくなかったってことだ。
なまじ「我慢」が出来てしまうから、ついつい
ストレスのはけ口を探すことを怠っていた…ってのもある。

もともと、つい周りに適応しちゃうんだけど
もう「適応障害」だから、適応できないのね。
自分のことしか出来ない…否、
自分のことすらまともに出来ない

周りを見渡す能力が麻痺しちゃってるので
TVも見ると苦痛だし、小説も読めないし(活字中毒だった私が)
音楽も聴けないし、会話もあんまりしたくないし
鼻歌も出てこない(今までトイレでも自然と歌っていたのに)

もう全てシャットアウトして
こちらから発信することもなく

ただ、うつの人はそんな自分を「駄目人間だ」と責めたりするんだけど
私は、デフォルトが感情淡白&理性的、なので
「あ、これは典型的な抑うつ状態だな」
「死にたい私も、何も出来ない私も、セロトニン分泌が狂ってるだけだ」
「これは、変に自己否定すると、泥沼で余計にうつが加速する」
「駄目な自分を受け入れることが大事…って、このことか」

なんて、かなり冷静に見ていた。
だから、悪化はしない。
…この性格ってどうなんだろうな…

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薬を続けて一ヶ月経って、ようやくセロトニン分泌が安定してきたから
少しこうやって「考える」ことが出来るようになったんだけど

また「考える」「理性的」な生活に戻ったら
私はうつに逆戻り。
ほどほどに感情入れていかないと…

でもほぼ反射的に「理性」が作動しちゃうから
作動させないようにしたいんだけども
作動させないことに「適応」する能力も今、ないからさぁ

何もできないのよねぇ…困った。

とりあえず、性格直すのは難しいけど
セロトニンが安定していると、狂うことはないので

すなわち、適度な運動、陽射しを浴びる、夜更かししない、
呼吸は吸って吐くんじゃなく、吐いて吸う…などなど

それで体はどうにかなるんですよ。
問題は…「我慢しなくなること」にどう馴れていくか。
我慢しないってことは、それだけ主張する「自分」がいることだから

「適応障害」の意味がよくわかったし
薬が出るまで追い詰められたのも良かった。
多少のことだと、我慢できちゃうから。

もう後がない位に追い詰められて良かった。
やっとこさ我慢してた事に気づいた。
崩壊する前に、ギリギリのところで
「『私』はもう限界ですー!」と出てきた自我も偉い。
私の本能は偉い(笑)

自我がもっと弱っていたら、元が頑固な性格じゃなかったら、
私は多分、自殺していた。何となくうつに流されて、自殺出来ていた。

普段はなりを潜めているけど、どこかにすげー頑固で、
すげーたくましい「自我」を内包してるなぁ…


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