アナウンサー日記
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2002年08月25日(日) |
舞台「セーラームーン・ミュージカル」を見た。 |
ワタシ・・・恥ずかしながらコレ、滅茶苦茶楽しみにしてたんです(爆)。
テレビアニメーションのセーラームーンは、ほとんど見たことがなかったし、実のところそれほどの興味もなかったのだけれど・・・「首都圏では数年前からオリジナル・ストーリーのミュージカルが大変な人気で、チケット入手も困難なほど」という話を聞くと、自分がもともと舞台をやっていたこともあり(!?)、いつのまにかもう見たくて見たくてたまらなくなっていたのであった。
とはいえ、さすがに東京大阪まで見に行くほどの財政的余裕も家族の同意(笑)もなく、あきらめていたのだが、今年ついに!長崎公演が行われる運びとなったのであーる。
さて公演当日の今日。胸ふくらませて会場の長崎市公会堂に行くと、ロビーにはセーラームーンのコスプレをした子供や一部大人(爆)がいたりして気分も高まる。なるほど、これは一種のファンのお祭りなのだ。お祭り本番を前にわくわくした人々を見るのもいいものである。ところが会場に入ると全体の入りは6割くらいか。うーむ、もったいない。他の地域では完売状態なのに。来年の公演予定地から長崎市が外されたら困るじゃないか!とひとり憤慨したりする(←もう来年も見るつもりダ)。
本ベルがなり、客電が落ちて暗くなると、ウチの3歳児を含めあちこちで「怖いよう」と叫ぶこどもが続出。だが、一転して照明が降り注ぎ、カラフルな衣装の出演者たちが登場すると、あっという間に寝てしまったウチの子供を除いて(爆)、みんな舞台上の世界に吸い込まれていくのであった。
公演は休憩時間をはさんでおよそ3時間の大サービス。ストーリー的にはちょっと低学年の子供には難しかったり、説明不足だったりするところもあったが、まあ、ミュージカルを見に来るほどの熱心なファンには説明不要な部分なのかもしれないし、ワタシ的にはもともと「ダンス・レビューショー」を見に来た気分だったので、大満足であった。
それにしても、パンフレットで出演者の年齢を見てびっくり。サポートメンバーは皆ベテランの舞台俳優たちだが、主役のセーラー戦士たちは小学生とか中学生、せいぜい高校2年生くらいの若さなのである。その若さであのダンスの上手さ・・・舞台に上る前には、かなり厳しいオーディション及びハードなレッスンをくぐり抜けて来たと見た。自分も大学時代、ミュージカルでタコみたいなダンスをやったりしていたが、彼女らには到底及ばない。若いけれど、さすがは「プロ」なのだ。スタイルもいいし(爆)。なんで同じ日本人なのに、あんなに足が長いんだろうなー。みなさんまるで、少女漫画の登場人物のようなシルエットの美しさであった。
最後に、マジで感動した歌詞の一部を忘れないうちに書き留めておく。
・・・未来さえ輝けば、どんな過去もいい思い出に変わる。
来年のインターハイ長崎大会・通称「長崎ゆめ総体」に向け、テレビ「報道センターNBC」で週一回放送している特集コーナーの取材で、長崎西高校に行った。
長崎西には、一昨年、インターハイに向けて県内唯一の水球部が新設され、水球専用プールも建設されている。
佐賀県出身の坂本監督は、日本体育大学卒業。大学日本一、そしてオリンピック日本代表メンバーに選ばれた一流選手だが、とても腰が低く、何よりも焼けた肌に白い歯が爽やかな絵に描いたようなナイスガイだ。
水球の取材はワタシも初めてだが、驚きの連続であった。
まず、プールの深さが2メートルもあること。つまり、選手たちは1時間に及ぶ試合時間中、ずーっと泳ぎっぱなしなのである。もちろんキーパーも、ゴール手前でずっと立ち泳ぎをしてボールが来るのを待っているわけだ。西高水球部では、夏休み中の1日5時間の練習中、ずっと水の中につかりっぱなしだ。坂本監督いわく「食事とトイレの必要がなければ、まる1日でも泳ぎ続けることができる」ということだ。
圧巻は水中からのジャンプだ。プールの底に足をつかずに、バタ足だけでジャンプするんだからすごい。ヨーロッパのプロ選手は、ジャンプした瞬間に股の間から向こう側が見えるくらい高くジャンプすると言う。さらに一流選手になると、一番高く飛び上がった状態で強烈なバタ足をして、なかなか水面に降りてこないという・・・まるでイルカショー並である。うーむ、人間の運動能力って限界がないんだなあ。
ヨーロッパでは、水球はサッカーと並ぶほどの人気競技で、高度な運動能力と超人的な体力が要求されることから「キング・オブ・スポーツ」とも呼ばれているそうだ。
取材は、坂本監督を始め部員の皆さんの協力でスムーズに進行。海パンを借りて水中撮影を敢行した杉野カメラマンの美しい映像と、山口カメラマンのすばらしい編集で、5分あまりの充実したレポートができた。皆様、ありがとうございました。
2002年08月13日(火) |
ハッピー・バースデー |
きょうは一人娘の明夏里(あかり)の誕生日だ。
仕事で帰宅が遅くなってしまったが、家族3人でお祝いのケーキを買いに行く。最近は夜9時〜10時まで開いている店が増えているので助かる。
さて、近所の某大手スーパー内のケーキ屋さんカウンター。うちの子はひどい偏食でどうせケーキなんか食べないので(爆)、1300円くらいの一番小さいお誕生ケーキを選ぶ。
若い女性店員が「チョコのプレートにお名前お入れしますよ」と感じよく聞いてきたので「じゃあ、あかりって入れてください。ひらがなで、あ・か・り」「ローソクはどうしますか?」見るとカウンターの小さな黒板に、ローソク(小)5本入り40円と書いてある。「じゃあ小さいのをひとつください」
帰宅し、「あかりちゃんケーキだよー」とそれなりに盛り上がりながら私と妻でケーキの箱を開けると、ケーキのてっぺんのプレートには「お誕生日おめでとう・あかり」と書いてあった・・・。一瞬呆気にとられる。おいおい、呼び捨てかよ(笑)。普通、客が自分の子供の名前を呼び捨てにしても、ケーキ屋さんは「ちゃん」をちゃんとつけるもんじゃないのか!?
さらに、ローソクの入った小さな袋を開けると・・・中には、小さな青いローソクが一本だけ・・・。あのう、うちの子はきょう3才になったんですけど。はっと気づいてレシートを見ると、「ローソク(小)8円」となっている。つまり、黒板に書いてあったローソクの値段は5本入りで40円だったから、あのカウンターのお姉さんは、わざわざバラ売りで1本だけ売ってくれたわけだ。こっちとしては、当然一袋のつもりで「ひとつ」と言ったわけだし、うちの子がいくら小柄だと言っても満1才には絶対見えないと思うし・・・なんで、そんなややこしい勘違いをしたのだろう?
大笑いの私と、マジギレ状態の奥さんであった(笑)。
あ、肝心のケーキの味は、なんだか今イチでした・・・それには私もがっかり。
「流星の夜」とは、ワタシが大学時代に書いた、ミュージカルの脚本のタイトルである。クラブ内の「脚本コンペ」に出品されたいくつかのホンの最後の2作まで残ったが、結局決戦投票で破れ、日の目を見なかった幻の作品だ。・・・うーん、絶対こっちの方がいいお話だったのに(笑)。しかしワタシの作品を破った男は、今も自分の劇団を率いて東京でバリバリ芝居をやっている。彼はいつか一世を風靡するだろうと思っているのだ。
それはさておき、今夜は年に一度のお楽しみ「ペルセウス座流星群」の極大日・・・もっとも流星が多いと予想される日だ。当然、恒例の流れ星研究会を行うこととなる。
深夜12時。長崎市内某所に集合。ラジオ局スタッフ・プラス村山家3人で総勢10人。車に分乗し、流星スポットへ。
着いた。長崎市北部の真っ暗な山上には、ワタシたち以外にもすでににわか天文ファンの姿がチラホラ。ついでに熊切アナウンサー親子も到着。
ところが・・・肝心の空は思いっきりドン天・・・。
仕方ないので時間つぶしに、前もってワタシが探していた(笑)付近のカブトムシスポットへ。こちらでは、黒光りする2匹の大きなカブトムシがお出迎え。一同、大人になってひさしぶりに天然のカブトムシを見て感動。良かった良かった。
さて、林を抜けて再び観測地点へ戻ると、雲の切れ間から星空が見えている。しばらく見上げていると、一分間にひとつくらいのペースで流星が流れ始めた。一同「わー」とか「きゃー」とか「見逃した!」とかわめきながら観測。
結局、一晩中上空のどこかに大きな雲があり、完全な快晴にならなかったのは残念だったが、それでもずーっと曇り空だった昨夏のペルセウスに比べると、今年はずいぶんと流れ星を楽しむことができた。
一人娘の明夏里(あかり)は、流星群出現とともに、明けて13日、3才の誕生日を迎えた。
2002年08月07日(水) |
日本という国には、希望だけがない |
正しくは「この国には何でもある。本当にいろいろのものがある。だが、希望だけがない」・・・これは佐世保市出身の作家、村上龍氏の作品中の言葉である。
今夜のニュース23に村上龍氏がゲスト出演し、筑紫キャスターと対談した。
対談の中で一番印象に残ったのは、村上氏の「これからは、知識もスキルもない若者が増えていく」という言葉だ。こうした若者たちは、常にイライラを抱えていて、いつも暴発しそうになっている。したがって、世の中は荒れていき、右傾化も進むだろうという分析だ。「それを避けるためには、全国各地にバスケットボールコートやサッカー場をたくさん作り、力を持て余した若者たちがカタルシスを得られる場所を提供すべきだ」と村上氏は提案した。・・・ただし、「大変な費用がかかるし、無理だろう」とも付け加えた。
村上氏は対談を「日本に希望がなくても、あなたに希望があればいい(あなたが希望を抱いてさえいればいい)」と締めくくった。もはや終身雇用が崩壊し、これまで会社がもたらしていた安心感が無くなった以上、シアワセのモデルは存在しない。国も会社も、夢を与えてはくれないのだ。
考えてみれば、そもそも夢は自分で見るものなのだ。そんな当たり前のことに気づいていないひとは、案外多いのかもしれない。
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