2003年09月30日(火) |
横浜市立小学校体育大会 |
今日は横浜市立小学校体育大会。 横浜市の小学校6年生たちが、横浜国際総合競技場でリレーやダンスを繰り広げる。
またまた昨日、そのために胸につける学校名が書かれたゼッケンを縫った。 友達は四隅しか縫わなくて、子どもに「もっと縫って」と言われたらしい。 私は左と上と右だけ縫って、下は縫わなかった。 それでもすっごい時間がかかって、一針一針、私なりに丁寧に縫ったつもりだ。
今回、夫はヘタクソなんて言わなかった。
まあ、見もしなかったけど。
「ついてりゃいいんだ」
と慰めとも聞こえる言葉だった。
朝から人身事故があったせいで、電車は遅れ、スタートも1時間ほど遅れたようだった。
うちの子は全員での競技にしか参加しない。 だから昼くらいに新横浜に着き、現地に向かう。
ものすごい強風で、ほんと前に進むのがやっとのほどだ。
最後に一列になって音楽が流れる中で、端から端まで歩くという大イベント?がある。 歩きながら、手を足下から救うように頭の上まで、まるで両手でボーリングのボールを投げるような動きである。
2003年09月28日(日) |
今頃になって「僕の生きる道」 |
「僕の生きる道」がリアルタイムで見られず、夫が本を買って読み、面白かったのでDVDを買おうということになった。 最初はオークションで少しでも安いものを、と探していたが、新品と大して変わらないので、見たらまたすぐ売ればいい、そういう考えで購入に踏みきったのである。
夫が読んで面白かった本は、私も読むよう勧められ、既に読んでいた。
夫は泣ける、と言っていたが、私は感情移入ができなかった。 なんかうそくさい、みんないい人過ぎっ、そんな冷めた気持ちで読んだ。
太田哲也さんの本、リバース、クラッシュを読んだ時も、本当はもっとドロドロしているんじゃないのか、とか、書けないほどの内容もあったんじゃないのか、と思いながら読んでいた。書いている部分は一部でしかないし、誰も傷つけないような書き方にきっとなっているはずだと思ったから。それも、実話で本人が書いているからそこ、感慨深いこともある。
「僕の生きる道」、もともとテレビが最初で本が後に出ているのだから、台本を読むようなもの。 テレビで見たら、やっぱり「みんないい人」であった方が楽しかったりするし、前向きに生きられる。
まず始めに登場人物をリサーチしてから読んだ自分は、DVDを見ても、自分が想像していた通りに演じている役者さんたちに満足感を覚えていた。 ただ、小日向さんが医者という設定での深刻なセリフを、一体どんな顔してどう言うんだろう、と違和感があったが、やはり小日向さんなりのコミカルさが入った感じだったので、こんな医者いねえよ、と思いつつ見ていた。ま、それが面白かったりもするんだけど。森下愛子さんのキーパーソン的役所も、ちょっとこのシーンどうなのかなあ、と思って見ていると、やっぱり物足りなかったりしたが、おバカっぽく泣きじゃくるシーンは、なんだそりゃ、とあっけに取られながらも、泣けてしまった。
矢田亜希子さんの泣きシーンは、いまいち泣けなくて、その矢田さんが出るたびに、
「かわいい」「かわいい」と言う夫にむかつき、
「なんだか、たとえタレントとはいえ、そう何度も『かわいい』を連発されるとムカツクんだけど。」
と言うと笑っていた。
「あ~あ、昔は私のことも『かわいいね』とか言ってくれたのになあ。」
「ママは、かわいいよ。」
「そんなんじゃない、顔をじっと見るたびに『かわいいね』って一日に何度も言ってくれたじゃん。」
「そんな何度も言ったらありがたみがないだろ。」
ふーん。
結婚前の夫は、誰にでも「かわいいね。」と言えるような人だったので、ちょっとしらじらしい気もするが、言われれば悪い気はしないやね。
夫は、赤井先生役の菊池均也さんが出るたびに、
今日は子どもたちの運動会。
6時半に学校の門が開くため、席取りの父兄たちがその時間までに長蛇の列を作る。 去年は夫が仕事で来られず、私が席取りをした。 その前は夫が席取りをした。
以前は席取りでも喧嘩したことがあった。 並ぶのが嫌いな夫は、そこまでして行かなくてもいいだろう、という気持ちなのである。
その気持ちもわかるんだけど、あちこち見るために人をかき分けて走り回るより、特定の場所でゆっくり見られる方が楽だし、要するにディズニーランドのファーストパスのようなものだ。先に並んで取っておけばいい。
昨日のうちから、席取りはどうする? 私が行こうか?という話をしていた。
夫は朝だけ仕事場に顔を出さなきゃいけないということで、 「7時に家を出られればいいから、6時半に門があくなら間に合うから俺が行くよ」 と言った。
私は朝5時に起きてお弁当の用意を始める。
夫を5時15分に起こし、かなり眠そうな夫に、 「先に行って並んでいようか?」 と言ったが、大丈夫、とのこと。
門が開く1時間前に行き、30番目くらいだとメールが入る。
朝は冷え込むし、財布も忘れて行ってしまった夫が少し心配になって、門が開く10分前に行ってみる。 毎年、この季節の朝5時台は、かなり寒かったりするのだ。
いつものことだけど、門が開いて校庭に入った瞬間ダッシュする。夫は足が速いので、20人抜きくらいはするかなあ。目指していた場所に一番乗りに入った夫の左右で、どんどん後から来た人たちがシートを広げていく。夫の後から夫の横に来てシートを広げようとしている人がいる。あっ、危険、っと思って、一気にロープを飛び越えて陣取る。広げて入ろうとしていた人はあきらめて後にまた下がる。夫と二人でシートを広げ、砂場のしめった砂をビニールに入れ、重石としてシートの四隅に置く。
前回もあったんだ。 夫だけが行ったとき、夫とその隣のほんの50cmもないんじゃあないか位の隙間に細長くシートを敷いてた人が。夫が帰ってくるなり「これくらいだよ。これくらい。」と両手を使って説明してくれた。いつも大袈裟に笑わそうする夫のこと、まあ、話半分に聞いて行ってみると、想像していた以上だった。 なんたって一番可笑しかったのが食事の時だ。 家族で縦に並んで食べている。 笑うのをこらえるので必死だった。
ここんところずっと娘と息子の部屋も私が片づけている。 娘は一瞬いるだけでどうしてこんなに散らかせるのか、という位、出したら出しっぱなしでみるみる散らかっていく。それを娘がいない間に片づけるのである。最初は手出ししないはずだったが、それが喧嘩するのももう嫌になったのだ。
とにかく私は夫とのことも解決していなくて、娘に対しても腹が立っていた。
娘も今まで以上に反抗した。
片づけなさい、とか口うるさい私に対して、うざったくて仕方がないのだ。
私は子どもに言ってはいけないことまで口にした。
午前中、友達から電話があって、一緒にプールに行くことになった。
1時間みっちりプールで歩いたり泳いだりして、すっごくへろへろになった。
すっごく楽しくてストレス発散にもなった。
とにかく夫には結果が出てないのでゆっくり話したい、とメールした。
夫からは何の返事もなく、帰ってからもふつーに優しかった。 美味しいみそ汁を作ってくれたりして、話す雰囲気じゃあなかった。
とにかく楽しい話ばかりした。
2003年09月23日(火) |
マーチングバンド県大会 |
昨日から決めかねていることがあった。
今日は息子のマーチングバンド県大会だが、娘の塾は朝からある。 塾には行かせた方がいい、という夫と、 休ませても見せたい、という私と、 意見は食い違っていた。
夫は、こんな大事な時に塾を休ませてまで行かせる意味があるのか。 と思っていた。
だが私は勉強よりも「やる気にさせる」ことが大事だと思ったのだ。 娘は、もともと、中学に入ってからもマーチングバンドを思いっきりやりたい、ということで受験を始めた。マーチングバンドで全国大会に行く、それが夢だったはずなんだ。 それなら、それだけの実力がある団体を自分の目で見るべきなんじゃあないのか、と思ったのだ。 自分が出場する時は、真ん前で他の学校の演技をしっかり見ることなんてできなかったのだから。 目先の勉強より、ここに入りたい、こんな風になりたい、その気持ちを強くすることが、ミスを少なくする最大武器になるんじゃないのか、と思ったのだ。
明日は息子のマーチングバンドの県大会である。 連絡網で、もう一度制服の名前を確認するよう指示がある。 制服は、最初に7000円払うだけで、後はサイズに合わせて1年ごとに変えていく。 部員の中で順繰り使っていくということだ。 よって息子の制服にも今までの先輩の名前が書かれていて、その制服をどの先輩が着ていたのか一目瞭然なのである。 運動会のハチマキにも名前をカタカナで縫いつけていたし、今度もそれをやろうと縫った。
私ははっきりいって裁縫は得意ではない。 1cm縫う間に13回も手に針を刺してしまうほど、へたくそなのだ。 だけどへたくそはへたくそなりに頑張ってきたつもりだ。
体操着の名前の縫いつけも、水着の名前の縫いつけも、やらなければならないことの最低限は頑張ってきたつもりだ。
夫は私が縫った名前を見て、
「ほんとへったくそだよなあ。」
と言った。
「へたくそでも頑張っててかわいいなって思わない?」
と言ったら、
「全然!10年以上も主婦やって何にも努力してこなかったんだなあ、と思って。」
と言った。
ここで本当はどうするべきだと思う?
本当のこと言われたんだから笑っていればいいじゃん、と言う。
でも、私は泣き出してしまった。
「言われて嫌だったら努力しろよ。」
そんな風にしか考えていないんだ。 そういうことを言う夫が嫌でたまらなかった。
私はまたこれで離婚を考えた。
アイロンがけが苦手でも、唯一、学校の給食当番のかっぽう着はアイロンがけをしてきた。 やらなければならないことは頑張ってきたつもりだ。
結婚した途端、主婦になって、主婦は主婦業ができて当たり前的な考え方、できないのは努力が足りない、というのはどうなのだ?
主婦は主婦なりにスペシャリストになるよう、苦手なことも得意になるよう死にものぐるいで努力しなければならないのか?
極端な言い方だろうが、そう言われているような気分になった。不愉快だった。
ついこの前、家庭は安らぐ場所なんじゃないのか?
と夫に尋ねた。
その時、夫は沈黙していた。
沈黙していた、ということは、返す言葉がなかったということでもある。
私はそう解釈していた。
違った。
安らぐ場所じゃないんだ。 だったら続けられない。
好きで一緒になった。
でも、こうでなければならないとか、こうであるべき、とか、 努力が足りない、とか、10年以上経っても未だなお言われ続けるのであれば、 もう無理だ。
私は、私なりの方法で頑張っているんだ。
食費を頑張って節約するのも、家族で映画を見に行ったり、遊びに行ったりするため。 300円の生地を買ってミシンで枕カバーや掛け布団カバーを縫ったり、まあ、生地がかわいかったからっていうのもあるけど、気が向いたからっていうのもあるけど、私にとっては滅多にあることじゃあなくても頑張ったことなんだ。 網戸だって張り替えてやるから置いておけ、というのに全然やってくれないから、自分で張り替えたし。 組立式の家具だって自分で組み立てたり、冷蔵庫だって自分で運んだり、大きな本棚だって自分で動かしたり、私なりにやってきたんだ。 ディズニランドに行かせてあげたいから、旅行に連れてってあげたいから、私も行きたいからっていうのもあるけど、寝ないで仕事だって頑張ったりしてるさ。
私なりの方法ではダメだということなのか?
もうやめよう。
実は、ホームページを閉鎖しようかどうしようかずっと考えていた。 今年は本当にいろんなことがあって、精神的にも滅入って、夫を思いやる気持ちも欠けていたように思う。
結局、私がつらい時に、ずっと側にいてくれたのは夫なわけで、 だまってずっと横にいてくれたわけで、 私が言葉を発すれば喧嘩ばっかりだけど、 それは自分の言い方とかもいけないわけで。
いつだったかなあ。
夫はいつのまにかインターネットもそれなりに使えるようになって、私の友達の日記を毎日のようにネットで読んでいたことがあって、読書好きの夫、もともと本を読んで面白いと、その人の本をどさっと買ってきて読みあさるみたいな。 そんな人だから、知人だったこともあって心に入ってくるものがあるんだろうな、って思った。
そういう夫を目の当たりにしていたら、なんだか自分は夫にとって興味がない存在なのかなあ、と思ったりした。
言い合いになって喧嘩することは毎日のようにあるけど、優しい部分もいっぱいある。だけど、なんていうのかなあ。それは夫婦が上手くやっていく上での義務でやっているだけで、私自身については知りたくないのかなあ、って。 私が日々何を思い何に悩み、何に苦しんでいるのか。 それを言葉にしようとしても、夫は聞いてはくれないし、喧嘩になるだけだから、私は日記に書いて自分で消化して自分で前に進まなきゃと思っていたんだ。
ねえ、私の日記はどうして読まないの?
履歴を見ても私の日記を読んでいないのがわかる。
「ずうっと前に読んだことがあったよ。でも止めた。俺の美意識が壊されるのに耐えられなかったから。」
要するに、てめーのことばっかで、俺の気持ちなんてこれっぽっちもわかってねえじゃねえか、独りよがりで好き放題書きやがって、ということか?
日記だもの、そりゃそうだろう。
なんだかまた論じ合いになった。
夫は自分の気持ちを誰かに相談したり話したりしない。誰も俺の気持ちなんてわかるわけがない、と思っているし、人なんて信じられない、と思っている。私のことも信じちゃいない。
なんたって、夫がすぐ口にするのは、
「お前はいいよ。顔がかわいいからってちやほやされていたんだろう。」 「どうせお前は俺がいなくても生きていけるんだろう。俺が嫌ならさっさと出ていけ。」
いくら私が言葉で「好き」と言っても、 言葉ではいくらでも言える、という感じだ。 もう10年以上にもなると、かなり面倒になってしまっている自分がいた。
もういい加減にしなよ。
そう、私もこんな言い方がいけないと思っている。 でも、
もうしゃべらないで。
こんなことまで言ってしまうのだ。
そんなことを言う自分も嫌で、面倒だと思う自分も嫌で、もう存在自体が嫌で嫌でたまらなくなってきていた。ああ、なんて生きるって面倒臭いんだろう。
愛とか、恋とか、一時だけ楽しんでいれば、そうでいられたら、楽だっただろうに。 だけど好きになっちゃったんだし、一緒にいたんだし、そんな自分が腹立たしくてたまらなかった。
もう止めようよ。
何をやめるんだ?
私の気持ちをひっかき回すことよ。 本当に勘弁してほしい。
「お前はいいよ。自分の言いたいこと好き勝手に書いてよ。俺がお前を訴えたらどうなるんだ?」
名誉毀損ってことか?
「私、誰が読んでもいいように書いているし。書いてないこともたっくさんあるよ。自分なりに選んで書いているつもり。パパのことなんて、私はこんなに夫を愛していますって言っているようなものじゃない。だから悩むんでしょ。苦しむんでしょ。パパは私の気持ちを聞いてくれない。話せば喧嘩になる。だったら私はどこに気持ちをぶつければいい?どこかに気持ちをぶつけなければ私は壊れちゃう。」
「ほんとに自分のことばっかな。 俺が何した? 俺は精一杯やってるよ。」
「パパは精一杯やってるよ。すごいと思うよ。でも私は同じようにできない。無理したらまた入院になって、結局迷惑かけることになる。だから疲れたら休むようにしてる。家は安らぐ場所なんじゃないの?無理しなきゃここにいられないのならもう無理だよ。若い頃は好きだけで一緒にいられるものだと思ってた。でも違ったんだよね。好きだけじゃ一緒にいられない。 もう疲れた。大声出されてびくびくするのも、優しくされるのも、私は嫌われてるのか、好かれているのか、わからなくなる。頭がこんがらがっちゃうよ。存在自体が否定されているような気持ちにさえなる。」
夫は黙っていた。
黙って、黙って、黙って、
「まっ、所詮、物書きなんてそんなもんだよな。」
とポツリと言った。
なんだか心がひっくりかえった。
あまりにも予想してない言葉だったからだ。 なんだかどこかにワープしてしまったような気分になった。
今までの話と、この言葉とどこがどう繋がったんだろう。
そういや、ここのところ夫は食事の支度をしてくれる頻度が多くなった。 そういや、朝、寝ている私の頭をずっとなでてくれていたりする。 そういや、結果的には子どもたちが食べちゃったりするけど、私に食べさせようと私の大好物を買ってきてくれたりする。
言葉にしなきや伝わらないって思ってた。 どんなに夫婦長くやってきたって。 言葉が大事なんだって思ってた。
だからずっと日記を書いていたんだ。
夫はずっと、言葉なんていくらでも言えるって言ってた。
もう一度考える。
俺はどんなに喧嘩しても、これで死んじゃったら後悔するからって喧嘩しても翌日までには仲良くなりたいんだ。
私の中では解決していなくて、喧嘩したらもう白黒つくまで口も聞きたくないんだけど、朝にはヨシヨシしてくれているんだ。
ひっくりかえった心は、ひっくりかえりっぱなしで、わけがわからなくなった。
日記を書くことも、なんだかバカらしくなった。
私は何のために書いていたんだ。 自分の気持ちの整理のため。
もし私が危険な方向に行っていたら、誰かが止めてくれるかもしれない、なんて他力本願な気持ちもないとは言えない。
私、何だったんだろう。
自分だけが苦しいと思ってた。
夫が苦しんでいることもわかってたけど、自分は夫より苦しいと思ってた。
なんだかわからなくなっちゃったんだ。
夫も夫だ。
言葉なんて何とでも言える、と言いながら、言葉で私の心をひっくりかえしてしまった。
でも、ひっくりかえったのは、きっと言葉だけじゃなくて、そう、、言葉はきっかけなだけで、それまでの行動あってのことだったことに間違いない。
私、なんで日記なんて書いてたんだろうって思った。
思って、思って、考えた。
書きかけの日記。
田舎に行ったこと、まだ途中しか書いていない。 おばあちゃんが亡くなったこと、映画も観たり、お笑いのライブも行ったり、書きたいことは山ほどあったのに、おばあちゃんのところでひっかかってた。それでこれだ。
「もう誰も死んでほしくない。」 「じゃあ、俺はお前が死んだ翌日に死ぬよ。それがいいや。」
夫は生きていてもしょうがない、とか、俺はこんなに長く生きる予定じゃなかったんだ、と言っていたのに、嬉しくてたまらなかった。
もう日記なんていらないや、って思ったんだ。
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