朝、寝坊してしまい、慌てて娘を起こす。 今日は休日だから、時間変更で、塾は朝からあるのだ。 8時10分には家を出ないといけないというのに、8時10分に起きてしまったのだ。 でも、以前の教訓で、きちんと朝ごはんを食べさせなければならない。 食べないで行かせると、気持ち悪くなったり、勉強どころではなくなるのだ。 ご飯にしらすをかけ、蒸し鶏サラダ(昨日の残り物である)。娘は昨日は実家でご飯を食べてきているので、新鮮なおかずにうつるというものだ。
娘はしっかり朝食を取り、いつもよりはトイレタイムも短く、支度はかろやかに?、8時25分には家を出て、さらに忘れ物をして戻り、30分には本当に出かけていった。塾に電話して15分ほど遅れることを伝える。
風呂に入り、支度をして、弟の四十九日の法要に向かう。 私は一人で孤立してしまうかと思ったが、周りがいろいろ気にかけてくれた。一番は弟の娘っ子(4歳)だ。ずっと私の傍にいて、ちょっかい出してくれて、話しかけてくれて、甘えてくれて、手をつないでくれて、そのお陰もあってか、お嫁さんのお母様が、「もしよろしかったら。」と、弟宅に誘ってくれた。私はお嫁さんの弟さんが運転する車の後部座席で、弟の娘っ子を膝に乗せて一緒に帰った。その間も、ずうーっと私の腕にうずくまったりしながらはしゃいでいる姪、私が会うことは数回しかないのに、こんなになついてくれるなんて、弟が何か細工でもしているんだろうか、と思うほどだ。
私は小さい頃、ずっと弟の面倒を見てきた。自分が悲しくても心細くても、弟のためにこらえた。泣きたくても、ずっと励まし続けた。弟を励ますことは自分を励ますことでもあった。泣いている弟をよくおんぶした。怖いと言えば歌を歌った。今の自分の息子と同じ年だ。小学校3年生で、子どもだけで留守番をし、3歳下の弟の面倒を見る。とてもじゃないけど、うちの息子にはできるはずもない。6年生の娘にだって無理だ。よく無事に生きてたと今更ながらに思う。
昔のことを思い出した。私を信じて後をおいかけてくる弟。弟の子どももまた、何の不安もなく、私に甘えている。もう今は小学生でない大人の私に。とっくに忘れていたあの頃の自分が、心の奥で眠っていたあの頃の自分が、目覚めたような気がした。それが何を意味するのかまだわからないのだけど。
娘が塾のテストから帰ってきて昼食を取り、弟宅へ向かう。 先月19日、弟は交通事故で亡くなってしまった。
明後日の29日は弟の四十九日の法要である。 お通夜とお葬式は私と夫との二人で出席。 四十九日は私一人での出席である。
私はどうしても子どもたちに、私の弟が存在していたことを忘れないで欲しいと思っている。そして自分たちの「いとこ」がいることもこれから先ずっと忘れて欲しくないと思っている。だから、四十九日の前に、弟宅に連れて行きたかった。
奥さんは、私たち家族が行くことを歓迎してくれた。
弟の子(4歳の女の子)も、会うなりなついてくれ、いっぱいいっぱいスキンシップ。絵本を読んでくれたり、幼稚園のこと、お友達のこと、いろんなこと話してくれた。はっきりいってうちの小3の息子より読むのが上手い。私たちの方が遊んでもらっているという感じだ。テーブルの下に隠れて私の足をトントンと触ってくるので、覗くとニッコニッコ笑っていたりする。人見知りしがちなはにかみ屋さんが、心をオープンにして向かえてくれるのはとても嬉しいものだ。
弟の写真を見せてもらいたい、と頼み、彼らがまだ結婚前の初々しいアルバムを見せてもらった。10年前の弟は大学卒業してすぐの頃で、まだ少年のようだった。結婚して娘が生まれ、まだまだお父さんとしては成長過程だったのだろう。
いつの写真も幸せそうに見えた。娘の赤ちゃんの時のアルバムにある、父のコメント欄に弟が書き込んでいたものも見せてもらった。達筆な字で、父親らしいかっこいい言葉が綴られいた。これから先、何があっても味方だから、何かあったら相談しなよ、みたいなことが書かれていた。相談しなよって、あんたもういないのに、どうやって相談しろっちゅーねん!と、涙が出そうになったが、弟の字の上手さに助けられた。
めちゃくちゃ字が上手い。いや、昔の人なら当たり前なのだが、最近の人としては上手すぎる。上手すぎて驚いた。父も母も上手いから、上手い子どもが生まれて当然の結果なのだろうけど、私が字がめちゃくちゃ下手だからである。夫には、お前の字は読めない。暗号のようだ、と言われるくらいだ。字が上手いと感嘆する自分が、悲しみより勝って、涙が落ちる前に止まった。
夕方になって近くの公園に一緒に行き、まず滑り台をすべる弟の子。私の息子はブランコに乗ったり、自分の好きなように遊んでいる。結局、砂場に落ち着き、子どもたちは制作に励んでいる。夫もトトロなんぞを作っている。
弟の子は、自分の手を汚してまで、私の座る場所を確保してくれ、ほら、こうすれば座れるでしょ、と砂場の周りの砂を払ってくれる。
そろそろ帰ろうか、と言うと、うちの子たちはそのまま手を洗いに行ってしまったが、弟の子は「危ないからこうしないと。」と、深く掘った穴を埋めて平らにしてから手を洗いに行く。ホント、エライ子なのだ。
弟の家に戻り、そろそろ帰るね、と伝え、子どもたちに後片付けをさせ、車に向かう。弟の子は、座ったまま動こうとしない。さっきまでの明るい表情がなくなっている。弟のお嫁さんが、「最近、バイバイしなくて。」とすまなそうに言う。
さみしいんだろうな。と、思い、そのまま笑顔で「またね。」と、車に向かうと、追いかけるように階段を下りてきて、最後は笑顔でバイバイしてくれた。
約1時間ほどで自宅周辺に戻り、最近行ってないから行こうよ、と言っていた安楽亭で食事。クーポン8枚使って、6000円ほど。息子は期間限定のクレヨンしんちゃんセットを頼み、ご機嫌。
夫が、 「(弟の家族と)夕食一緒に食べようかどうか考えたんだけど、距離があるからなー、と。」
そうか、そんなことも考えていたんだ、と少し嬉しくなった。そうだよな、二人で食べるより、大勢でワイワイ食べた方が楽しいものね。今度は一緒に外食するのもいいかもなー、と思った。
2003年04月24日(木) |
塾の先生と話したようだが |
今日は久しぶりに鼻炎がひどく、知人宅に遊びに行ったものの、くしゃみのし通しだった。途中で薬をもらったけど、一向によくなる気配はなく、ひどくなる一方。家に帰ってお弁当作って送り出してからは、横になっていた。
8時過ぎ頃、塾のクラス担当から電話があった。終わってから(娘と)少し話したいのですがよろしいですか?という内容だった。
毎日の計算を全くやっていなかったこと、そのため、ここ数日、私が一緒に問題を解いていること。どうして四角1の問題がこんなに計算ミスだらけなのかもよーくわかった。ノートの書き方が汚い、数字が読み取れない、6が次の計算で0になってしまっていたり、桁を間違っていたり、0.75が、4分の3であるということもとっさでわからない。わざわざ100分の75とか書いたりする。とんでもないことだ。5年の時にあれほど一緒にやったことなど、何も身になっていない。こいつ、こんなにバカだったっけ。心底そう思ってしまうのだ。
問題をよく読みもしないのに「わからない」と言ったり、投げ出してしまったり、どっかとっかかりから崩していくなんてこたあ、試してもみない。たった5問の問題に1時間くらいかかって解いてたりする。アホか、こいつ。やる気のなさがにじみ出てくる。
受験するのはお前だろ、と言いたい。塾に行ってるのはお前だろ、と言いたい。なんで私があんたと一緒に問題解かなきゃならんのか。
先生には、「毎日の計算は、私がつきっきりでいないとやらないこと。夜中の2時に何をしているのかと思えば隠れてマンガを読んでいること。」などを話した。
娘が帰ってくる。先生と何を話したのか、順序立てて話すように聞くが、
どういう風に勉強しているの? 算数プリントをやります。
「基礎は?」 「やります。」 「共通は?」 「やります。」
「その他は?」 「できなかった問題をもう一度やります。」
「そうか、そしたら栄冠への道も、こんなプリントもやる時間ないよねー。」 「はい、ないです。」
なんなんだその会話はーーーーー。 だが、仕方がない、とにかく聞くようにする。
「じゃあ、時間を計ってみようか。一週間後にどのくらいの時間でやっているか教えてくれる?」
となったそうで。。 本人は毎日の計算をやれなんて言われなかったし、と言う。さらに、やっている子なんていないと言う。人がやるやらないにかかわらず、自分はやるんだ、という意識がない。
時計の針の追いつき算もすっかり忘れてしまっていた。忘れたのなら考えてみろよ、計算しろよ、だ。
お世話になっている会社の営業さんが、バンドのベースを探していると知り、 私のバンド時代に大変お世話になった(当時スポンサー的立場で支えてくださった)お師匠さんの存在を知らせた。
私がまだバンド一筋で、仕事といえば、イベントコンパニオンとか、そんなことしかやっていない時期に、だ。知人でモデルをやっている子から紹介してもらった。 お師匠さんは自らもバンドマンで、ベースの達人、当時のバンド仲間はお師匠さんがちょろっと弾くだけで絶賛しているほどだった。
お師匠さんは、Macのデザイナーさんで、レコードジャケットのデザイン等を主に仕事としていた。当時の私たちバンドのポスターやステッカー、デモテープのデザインなど、本当にいろいろ協力してくれた。いつか彼のようなドットで仕事ができるデザイナーになりたい、という夢を抱いていた。
今日、営業さんから仕事の電話があり、そのついでに「セッションしましたよ。」と話してくれた。いい人を紹介していただいて、と喜びの声に、こっちまで嬉しくなった。 そしてお師匠さんに喜びのメールを送った。
すぐに携帯に電話があって、お師匠さんもこの出会いを喜んでいる様子がひしひしと伝わってきた。すごくすごく嬉しかった。
1時間くらいしゃべってた。懐かしかった。私の環境はめまぐるしいくらい変わったのに、その時のままのお師匠さんがいた。いまでもお気に入りの若いミュージシャンを応援しているらしい。もっぱら育てることを楽しみとしていたお師匠さんが、自らもまたステージに上がる日が来るのだ。
私といえば、日々忙しく時間に追われてこなし、そんな時は家事には手が回らず、育児もいっぱいいっぱい状態。仕事が落ち着いているときに、手が回らなかった家事をまとめてする、という具合だ。 実母が、 「一緒に住んでいたら食事の支度も掃除も洗濯も、全部やってあげるわよ。あんたは仕事さえしていればいいのにね。」 と言うが、そんなことにでもなったら、夫に申し訳ない。妻が家事をすることは、夫への愛情とさえ思っている人だから。それができなければ愛情が足りないということになってしまう。今でも時々そういうことで夫がキレてしまうというのに、全部母に任せてしまっては、エライことだ。
本来は、クリエイティブな仕事もしたい。とことんこだわってとことん納得のいく仕事がしてみたい。そのためにもいろんなこと勉強をしたい。いつもギリギリのところにいる自分。限られた時間の中で、ひょっしたら出来ないのかもしれない、私の仕事生命これで終わりかもしれない、という恐怖の中での仕事。ひょっとしたら才能さえもないのかもしれないと思う時もある。
もう出会ってから15年近く経つのか。
お互いがお互いのバンドマンとしての技術を上手だと褒めている。 営業さんもただものじゃなかったということだ。
つくづく年のせいにしてちゃ駄目だって感じた。 40代を楽しく生きるために、今できることを頑張らねば。 子どもがひとり立ちしたら、夫ともいろんなところに出かけたいし、 夢のオーロラも見たいしなー。 油絵もやりたいし。 やりたいこといっぱいあるんだよねー。
昨日の夜中、何度か壁にぶつかるような物音がした。 気になって何度か起きて子どもたちの部屋を見回る。
娘の部屋を覗くと、慌てて電気を消す娘と目が合う。 「トイレ行ってね、寝るところなの。」 と言う。
それが3度続き、おかしいなと思い、バッと布団をめくった。 分厚い漫画があった。 読んでいたのだ。
「何時だと思ってるの!夜中の2時だよ。だから朝起きられないんでしょ。」
「いつもは違うもん。」
そういうもんだいじゃないだろ。
「早く寝ないさい。」
と漫画を取り上げ電気を消した。
いつもは月始め頃に生理が来ている。 先月は精神的に滅入ったこともあって3週間くらいだらだらと続いた。 そのせいか、今月は昨日やって来たというわけだ。 生理は本当にひどくて、こんにゃくゼリーほどの大きさの物体が、一度に3粒分出てしまうこともある。それが潰れたらもうアウト、なのだ。 だから生理が来て2,3日は滅多に外に出ないようにしている。家に居てもすぐ通ってしまい、何度も着替えることになる。 身体もだるくて、腹も痛い。朝もしんどくて起きたくない。 でも、息子が特別クラブの金管バンドに入ったので、お弁当を作ってもたせなければならない。
息子は3月から金管バンドに入った。上の子がやっている時は「やりたくない。」と言っていたくせに、去年の運動会でドラムセットで叩いている子を見て、自分もあのドラムが叩きたい、やりたい、と言い出したのだ。娘の時と違い、息子は自分から朝6時前には起きて、6時にはもう学校に行こうとする。学校までは3分で着く。7時35分までに学校に行けばいいので、早すぎるから7時15分より前には行くな、と言い聞かせるほどだ。早すぎると危険だ、という学校側の指導もある。
そんなわけで、息子は朝練も楽しく行っているし、土曜日の練習も楽しみなのだ。まだ基礎練習で腹筋やらしかやらないみたいだけど、それでもいつの日か叩ける日が来ると夢みるとそんな練習も楽しくてたまらないようだ。
だから私も頑張ってお弁当を作らねばならない。8時50分までに学校に行けばいいので、ギリギリの8時20分には起きる。おにぎりとフライドポテトとウィンナーと卵焼きを作り、水筒に氷水を入れ、持たせて行かせる。
友達が通っている塾の成功勉強会というのが今日の10時から横浜であって、それは休もうかどうしようかギリギリまで悩んでいたが、行くことにした。
息子を送り出すと、シャワーを浴び、できるだけ身体の中の血液を出す。塊がいくつか出ると、少し安心した気になる。生理さん、お願いだから今日は半日だけ我慢してね。
現地に着いてもなんてことはなく、会場のドアは締切という貼り紙が貼られた。うーん、これでは気軽に出られそうにない。ずっと大丈夫で、帰りも大丈夫で、階段を上って電車に乗った瞬間、ヤバイ予感がした。大きなものが出た感触があったのだ。友達が察してくれて、「心配? 見てあげようか。」と言ったが、電車の中で他の人も目もあるし、そのまま一目には触れないようにドア越に背を向けて立った。 駅についてトイレへ直行、とんでもなくエライことになっていた。ナプキンを取り替えたところで、太股は血だらけだった。下着も真っ赤でもうどうにもならない。とてもじゃないけど、これをもう一度履こうという気にはなれない。なれないけど、どうしようもない。座ったら最後、スカートにも染みいってしまう。泣きべそ状態だった。
友達がお弁当屋さんに寄ると朝から行っていたので、私も一緒にお昼を買い、友達に一声かけ、友達を待たずに家に向かった。普段使う駅より1駅遠い駅を利用していたので、自転車で来ていた。自転車には座らず、ずっと立ちこぎのまま、頑張って家に向かい、そのまま風呂場に直行した。一命をとりとめた気がした。
もう生理がひどい時は、外出するのはやめよう、と再度心に誓うのであった。
いくら言っても公開模試の復習をしない。 月曜日に友達と一緒に復習してたみたいだが、 それ以来手をつけていないよう。 聞いてもまだ終わってないと言い、他の勉強ばかりしている。
5年の終わりからずっと放っておいた。 一人で机に向かっていたし、そのまま見守っていた。 でも我慢できなかった。
学校から帰ってきて塾までの時間。。
ホーページに載っていた公開模試の解答を見ながら娘の問題用紙をチェックする。四角1からして1つしか合っていない。唖然としてしまった。
「ねえ、ひょっとしてこれしか合ってないの?」
「そう。」
「はあ????? 四角1なんてねー、一番簡単なんだよ。 それで見直ししてないの、どうして。 ここでやっておかなかったらまた同じことを繰り返すよ。」
恐ろしくなった。 間違いだらけだ。 本人はテストの後は笑顔ですら帰ってきた。 算数で解けなかったのは4問だけで、後は解いてきたという。 じゃあミスを入れても平均点は行きそうだね、 なんて話だった。 とんでもない。 算数でこんな点数は始めてだった。
「怖くてできなかったの。」
「やらなくて受験落ちる方がよっぽど怖いでしょうが。 やらないからできないの。どんどんできなくなるよ。 できないことがわかってよかったじゃない。 気づいてよかったじゃない。 できなかったのって一生懸命見直ししてるなら許せるけど、 あんたがやってることは何なの? ただ逃げてるだけでしょ。 何も変わらないよ。 とにかく今日は塾から帰ったら寝ないで勉強しなさい。 学校は遅刻していってもいいです。 それくらいの気持ちでやりなさい。」
塾から帰ってきてご飯食べさせ、算数をやらせる。
「テストは家に帰ったら必ずまた解くこと。答え見ないで自分の力で解くこと。テストでちゃんと解けてたら時間もかからないでしょ。まずは四角1、あなたなら簡単に解けるはずです。」
私はそう言うとPCに向かって仕事の続きやる。数分後、
「できたよ。」
チェックするとすべて正解。
「いい?これがテストでできていたら、5点×6問で30点です。 こんな簡単な問題、これをしっかり解いてくるだけで、 平均点は超えるのよ。 平均点超えれば偏差値も50以上取れます。 他の子たちはちゃんと解いてきます。 いくら最後の問題を解いたって前半間違っているようじゃ、 受かりません。 ひらめきだけじゃ、受験はできないのよ。 努力している子にはかなわないの。 社会ができない分、算数でカバーしなきゃだめなのよ。 簡単な問題はしっかり解いてくること。 あなたなら数分で解けるでしょ。 はい、次。」
四角2の消費税の問題もできていない。 もう呆れてしまう。 散々やったじゃないか。
「わからなかったら身近なことを考えなさい。 あなたがいつも言うでしょ。 50円のものを2つ買うのに、一緒に買うより別々で買った方が得なんだよって。」
50円だと52円×2で104円、100円だと105円、1円の得、 よく娘が言っていることだ。
消費税はどうやって計算するの?
「あっ、わかった。」
「そうでしょ。身近なことで頭働かせればこんな問題わかります。 はい、正解です。次」
(7)電車の追い越し算の問題、 なぜこんな問題も解けないかなー。
前回も出て散々やったでしょ。 校庭一周の場合で同じ地点から違う地点に向かった場合はどうしたんだっけ?
「それは、わかる。あ。。わかった。 その時は足したんだから、今度は引けばいいんだ。 秒速25mと秒速15mだから、1秒に10mずつ。 1秒にどれだけ進んだかって計算するんだから、 30秒なら300mだ。Aの電車が100mなんだから答えは200m」
「でしょ?わからなかったら書きなさい。書けばどういうことなのか想像できでしょ。必ず解けます。」
(8)規則の問題
「『あるきまりがあって』って書いてあるよ。 あなた、規則性得意でしょ?」
「決まりは18なんだけど、その他のきまりが。」
「その他の決まりなんかいらないじゃん。 何日後は何曜日とかいうのと同じだよ。」
「あ、わかった。割って余りだ。 18で割って、と、答えは左の小指。」
「はい、正解です。」
結局、全部解けてしまった。 もちろん、私のヒントがあるから解けたことで、 これがテストの時に自分でできるようにならなければ お話にならない。
そのためには、何回も解かないと駄目なんだよ、と言って聞かす。
本人も今回ばかりは肝に銘じたようだ。
もう寝ていいよ、と寝かせる。
春期の第2成績表を持って帰ってきた。 まとめのテストだけあって、どの教科も全体正答率が高くて平均点が高そうだ。 久しぶりに平均点を計算して調べてみる。 社会80点?! マジかよ。
娘は48点で先生に褒めてもらったそうだ。 よく頑張ったってさ。 は〜。
唯一平均点より上回ったのは理科だけで、 国算は平均点にあと1問足りなかった程度。 仕方ないと思うしかないのかな。
相変わらず、時々ドアの隙間から部屋を覗くと勉強しているようだが。。 授業の後は毎回居残って遅く帰って来るが。。
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