2003年01月28日(火) |
【映画】壬生義士伝(ネタバレあり) |
【映画】壬生義士伝
いい映画だった。
前ぶりをよく知っていない私は、佐藤浩一さんのおじいさんメイクにちょっとびっくりしてしまった。佐藤浩一さん演じるおじいちゃんが、熱が出た孫を背中におんぶして、まもなく引越しする診療所の門を叩く。そこで若き日に共に戦った男の写真(中井貴一さん)を見つけ、昔を思い出す。その診療所の院長である村田雄浩もまた思い出し、二人の思い出が交差する。
こんな映画は始めてだった。戸惑ったし、先がわかるようなわからないような妙な気分だった。
新聞屋からもらった招待券で、久しぶりの小さな映画館、夫が雨で休みになり、一緒に行ったのだ。前評判がよかったので行ったんだけど、期待以上によかった。客席は年配の人たちが多くて、平日なのにそれなりに人がいた。やっぱりこの役者さんたちがいいのかな。
中井貴一さんの役は、田舎で武道を教えていたがそこでは食べるのもままならず、そこでお金が欲しいとも言えず脱藩し、新撰組に入って金を手にするために頑張っているというもの。ただ金に執着ししている様だけではつまらないのだろうが、彼のかもしだす田舎くささがたまらなくおかしい。大きな仕事をするたびに、「いくらになるか。」と聞き、たいそうな金額だと心から喜び、自分は贅沢もせず、それを大事に抱え一目散に家族に送る。 「おもさげながんす」「おもさげながんす」と頭をさげる彼は、 すごくけなげでかわいかった。
結局、最後に彼は死んでしまうし、妻は「お勤めご苦労様でした。」と言うが、 私は絶対こんなこと言えやしない。やっぱり死んだら駄目なんだ。
佐藤浩一さんを支える役を演じる中谷美紀の役は、泣いて泣いて仕方がなかった。一人ぼっちの自分を拾い上げてくれ、その人と離れなければならない、お前は生きるんだといわれても、一人では生きられない、生きてる意味もない、すごく伝わってきて、涙が止まらなかった。最後に「抱いてください。」って抱かれてる時なんて、声を出して泣きそうになった。それくらい大切な人なんだって伝わってきた。
三宅裕司さんの役も泣けた。「腹が減っては死ぬこともできんだろう。」と、自ら握り飯を握り、握り飯も食べずに、死んで行った幼馴染を前に、背負ってきたものすべて手放した感情で泣き崩れる。
佐藤浩一さんの役は、中井貴一の役を最初は嫌っていて、でも少しずつ惹かれていって、最後は「お前は死ぬんじゃない。俺には何もないが、お前には家族がいるじゃないか。お前は死んじゃいけない。」って。最後の一個のおにぎりを、中井貴一自身が食べずに自分に食わせたってすっごい怒って、こういうのが人間なんだよね。
むかついてもむかつききれず、自分の持っていないものを持っている相手を毛嫌いしながら惹かれてしまう。認めざるおえない。生き死にに直面すれば、生きてて欲しいと願う。 人間捨てたもんじゃないぜよって感情が伝わってくるんだ。
佐藤浩一さん好きの私としては、佐藤浩一さん演じる斎藤一役に感情移入してしまうっつーのもあるが。いい役者さんです。
本当にこの映画が観られてよかった。
成功ものとか、ファンタジーとか、冒険ものとか、アクションものとかもいいけど、たまにはこういう泣ける映画もいい。じーんと心に響くような、昔、500円を握り締めて三流映画館で観てた頃の自分を思い出した。
新聞屋さんありがとう。
私が強い口調のメールを父に送って以来(1月17日)、父からは何の音沙汰もなかった。 ちょっと言い過ぎたかな、とも思う反面、これでよかったんだと自分に言い聞かせていた。
そしたら今日、返事が来た。
メールが来た。
○マーケティング検索中に私の名前にヒットし、もしやと思ってメールを出したら当の本人で嬉しくて携帯に電話したこと。
○3月で60歳になる父は、これを機にもう一花咲かせようと思っていること。 そのために、今月会社を辞め、新事業を開始するにあたり店長クラスを探しているとのこと。
などが書かれていた。
よく父方の祖父が言っていたものだ。昔に生まれていたらお前はお姫さまだったんだよ、と。父方の姓、○○家を再興したい、などと書いている。
昔はエラかったのかもしれないが、それは昔のことだろう。今そんなことをほざいても何もならないことは本人もわかっていよう。夢でもなんでも見ればいいし、やりたいことあるならやればいい、だけど、私の心は乱さないでほしい。もう昔のことなんて考えたくないんだ。
文章の最後に、
昼食をできたらと思う。 横浜まで出向く。 日時、場所参加人数をお知らせください。
と書いてあった。
昼食はわかった。 横浜まで来るのもわかった。
日時、場所、参加人数っておい、仕事かよ。
会っても父の仕事にとっては何の得にもならないことを書き、丁重にお断りした。
彼は、彼の奥さんは、この日記を読むのであろうか。
お父さん、小さい頃に優しくしてくれてありがとう。 奥様、年賀状をくださったりいろいろと気にかけてくださってありがとう。
どうぞ、お幸せに。
本日、父からのメールで、投資ファンドだか著作権だかなんだかかんだか、 という難しい内容のメールマガジンやら添付書類が届いた。
それもひとつは父の再婚相手からだった。
昨日の今日でいきなりこんな流れで私は「なんだこりゃ」と思った。 20年も会っていない娘に、まずは久しぶりだとか頑張っているな、とか、どうだったか、とか、今の生活は、とか、もっともっといろいろあるんじゃないんかい?
そういう流れがあって、孫の顔でも見て、交流が深まって、実はね、というものだろう。
これは友達でもよくあることだけど、よくある宗教の勧誘とか、某宗教まがいの新聞取ってくれとか、選挙の時だけ友達づらして来るやつとか、食事に招待されて呼ばれていったら鍋を売りつけようとしてたりとか、そんなんと一緒やん、と思った。
選挙のお願いに来た時なんて、夜の9時過ぎに小さな子連れで来て、思わず 「友達として遊びに来てくれるのは一向に構わないけど、こういうときだけお願いに来るのは好きじゃない。申し訳ないけど期待には添えないよ。もう来ないで欲しい。」 と帰してしまった。 その友達は、当時の友達を順番に回っていて、今だれだれさんちだよ、次にだれだれさんちに来て。。などとルートまでみんなにいろいろ言われるはめになっていた。
要するにしつこいようだが、それと同じなんだよ、お父さん。
私は人間丸くないのだよ。はっきり物を言ってしまう傾向にある。時に人を傷つけるかもしれないが、嘘の優しい言葉を並べて裏で悪口言ってるよりいいだろう。嫌だから嫌なんだ、許せないから許せないんだ。
父親だということで余計許せないんだ。
そりゃー、あなたにとってはもうただ血がつながってるくらいにしか思ってないかもしれないが、子供にとってはあんたはいつまでも父親なんだよ。父親なら父親らしくしろ。いくら大人になったとはいえ、あんたの子供であることに代わりはないんだ。
いきなりこんなもの送ってきて意味がわからないこと、きんちと順序立てて説明すべし、そういうメールを送った
2003年01月16日(木) |
20年近く会っていない父からのメール |
小さい頃の父は、酒乱で怖かったけど、基本的には優しい父だった。 小2の時に年上の女を連れ込んできた時に、「どうしてママって呼ばない。」って言われた時くらいで、私に対して声を荒げたりすることはほとんどなかった。 小6か中1くらいの時かな、小2の終わりに田舎に預けられ、それ以降まともに会ったこともないのに、新しい女の人が一緒に、弟も一緒に、その中で一緒に風呂に入ろうと言われてビビったことがある。 いくら父親とはいえ、嫌だったもんな。断ったけどね。
10代の頃に新橋の居酒屋で働いてた時、そこのおかみさんが給料払ってくれなくて、母は父に相談し、父がその店まで内容証明だの書類を持っておかみさんとかけあったことがあった。父とは新橋の駅で待ち合わせしたのかな。その店に行く前にどこか他の店に入ったっけな。よく覚えてないんだけど。 地下の居酒屋の奥のお座敷に案内されて、おかみさんが慌ててた光景が目に浮かぶ。父はどっしりと構え、笑みさえうかべながらジリジリと裁判にも持っていけるような脅しとも言えるようなことを、優しい口調で淡々と話してみせる。こういう度胸はすごいと思うよな。この後、私がいくら言ってもお金を待ってくれって言ってたおかみさんが、すぐに払ってくれたんだ。
それ以来会った記憶がない。
その父から仕事で使用しているメールアドレス宛にメールが来た。 私はどこの誰だれです。仕事でリサーチ中に私の名前にヒットしたと。 旧姓は○○さん(母の姓)、もしくは△△(父の姓)さんではありませんか?
びっくりした。
正直、メール書けたんかい?
が第一声だった。
送ってもらったメールは仕事のメールで、他スタッフも読んでいるから次回から個人宛のこっちに送ってほしいこと。プライベートHPには父の悪口も書いてあること、仕事はこんなことやってて、まあ、それなりに元気にやってる、そんなことを書いた。
早速父親から私の署名にあった携帯に電話がかかってきた。 なんかデスマス調でぎこちない。 近々会えないかって話だった。
恥ずかしいから嫌だって言った。
私の子供の頃の父はかっこいい父だった。 だってさ、私はずっと父に似てるって言われてたんだよ。
母は綺麗で、いつも比べられては母に似れば美人だったのにね、と言われて育ったようなものなんだ。弟は目がくりっとしていてかわいしらしくて、いつも比べられて嫌な思いをした。
私が父に似てると言われる以上、父はかっこよくなければならないんだ。 父がブサイクだったら私の将来も終わりくらいな意味がある。
私は最近の父の写真は1枚も持っていない。私が小さい頃の若い頃の父の写真しか持っていない。私にとっての父はその時のままなんだ。つーか、そのままでいてほしいんだよね。これはきっと近くにいなかったからそんな風に考えてしまうんだろうけど。きっと弟からすれば何言ってんの? って感じなんだろう。
10代で会った時の父は、もちろんその当時とは違ってしまっていたけど、その年なりの貫禄があって、その貫禄はかっこよくも見えるものだ。
父親っていうのはいつまでもかっこよくいてほしい。
弟から「太っちゃってさ。」 と聞けば、太った父なんて会いたくねーな、と悪いけど思ってしまうんだ。
それは私もしかりだよ。 30歳前の私はまだ若々しかったし、細かったし、変わった自分も見せたくないしさ。
やっぱり会いたくない。
そういうわけだからさ、もしこの日記読んでたら、私は会わないからさ。 今の気持ちはそうだから、それは理解してください。
メール友達くらいなら相手してやってもいいよ。
まあそんなところだ。
夜中の12時に某サイトの更新をし、 今日は朝から仕事の打ち合わせがあった。
会社は9時から人がいるけど、 私はいつも10時くらいに行っている。 掃除して洗濯して、ってなったらその時間くらいになっちゃうんだ。
朝9時に電話が鳴った。 学校の保健室からだった。
上の子が具合が悪いので保健室で預かっているので迎えに来てください、とのこと。
今日は学年全体でスケートに行く行事があって、前々から楽しみにしていた。 それが多分校庭で立って話を聞いている間に気持ち悪くなったらしい。 彼女は小さくて細く丈夫な方ではない。 5年生にして24kgってめっちゃ細いのに、さらに痩せたいなどと言い、父親に怒られている。 「お前みたいなガリガリが痩せたいなんてとんでもない。もっとガンガン食え。」 って、彼女はたくさん食べているんだけど太らないんだ。
私もかつてはいっくら食べても161cmの45kgで、ラーメン3杯食べてやっと少し満足したかな、 くらいだったけど、30を過ぎたらどんどん成長してしまった。 夫は、60kgまでは全然オッケーだから食いたいもの食えっていうんだけど、 あきからに服が着られないんだよね。
仕方がないので、すっぴんでニット帽かぶって迎えにいく。 申し訳なさそうな顔してちょこんとベッドに座っている。 私の顔を見るなり泣きそうな顔して抱きついてくる。
昨日、あんたは私にあんな態度したでしょ、と思うんだが、 私は甘いんだろうか。 優しい言葉をかけてしまうんだ。
保健室の先生にも丁寧に挨拶し、 連れて帰る。
でも打ち合わせはあるわけで。
熱もないことだし、昨日買ったマンガもあるし、だらだらしてればいいじゃない、 と留守番させて出かける。
途中、腹へったコールが携帯に鳴り、とりあえず昨日のケーキでも食べてて、と言い、 モスバーガーを買って帰る。
息子は帰ってくるなり公園に行っちゃうし、私はまた夕方から打ち合わせがあったので、 出る時間までには帰ってきてよ、と言い、結局もう間に合わないと玄関に出たところで 帰ってきた。
今日はトイザらスがカードで買うと5%引なので、打ち合わせが終わって帰ってきたら 夫に車で息子の誕生日プレゼント買いに連れてってもらう予定だった。 だけど息子は納豆ご飯を食って寝てしまった。
私が帰ってきた時には息子は爆睡状態で、いくら声かけても起きなかった。 その後、息子は泣きそうな顔して起きてきたんだ。
その時はもう遅し。
酒のんじまったよ。>夫
かわいそうな息子。
今日は息子の誕生日だった。 誕生日に初の囲碁教室参加ということで、学校から帰るとずっと待ち遠しくて落ち着きがない息子。 時間近くには疲れ果ててしまったのか、テーブルの下で眠ってしまっていた。 床暖房で気持ちいいのだ。
時間だよ、 と起こすと、パッと起きて支度して出ていった。
息子が出て、早速、ケーキの材料を買いに行く。 卵,板チョコ,生クリーム,いちご。
本当は友達を呼んでパーティーがしたかったらしいが、 2年生になってから誰からも呼ばれていない。 呼ばれていない以上、こちらからも誘えない。 だって誕生日パーティーって相手にもお金を使わせてしまうから。 やっぱり気がひけるのだ。
囲碁教室では一番その教室で強い子ども(小5)に1勝したと喜んでいた。 教室のおばさんにも勝つことができたという。 先生には置き石6個でも負けたという。 ますます強くなりたいという想いに駆られたらしい。
暮れに、私の仕事の関係で、現場へ連れてった時、元旦着に間に合わせるための折り込み作業を、子供達も手伝っていた。 途中、用事で抜けるために子どもも一緒に連れていこうとしたら、「人手が足りなくなるから。」と子どもでも役にたったらしかった。 その後、仕事おさめで忘年会もどきをやり、11時過ぎに自転車で帰ってきた。 その帰り際、手伝ってくれてありがとう。と、子供達は社長から図書券をもらってきていた。
今日、月刊コロコロコミックの1月号を買いそびれていることに気付き、 15日に2月号が発刊になってしまうともう店頭にはないに決まっている?ので、 もしかしたら在庫はもうないかもしれないが、一応行ってごらんよ、と、 夫の仕事帰りにそのまま車で子供達を拾って本屋まで連れてってもらうことにした。
娘には「りぼん」「なかよし」「ちゃお」の代金分の図書券3枚=1,500円分を渡し、 それぞれ二人には「これでおつりが来るからね。」 と伝えた。
夫からの「家の前に着いたよ」コールで、、子供達を外に出し、 私はケーキの準備と息子がリクエストしていた「クリームシチュー」を作っていた。
しばらくしてチャイムが鳴る。 マンションのオートロックの画面に二人がうつり、雑誌をぶらさげているようだ。 「全部買えたの?」
息子は「うん。」 と答えたものの、 娘は「早くして!」 と怒っている。
家に入ってくるなり、娘は、 「恥かいた!ママのせいだ。お金足りなかった!」 と家中に音をたてまくり怒りまくっている。
雑誌1冊、400円くらいだ。 3冊買ったっておつりがくるはず。 足りないなんてことはないんだ。
私はどういうことなのかきちんと話を聞こうとしても、 私のせいだ、とまくしたてるだけで、ちっとも話にならない。
夫も、 「消費税がかかるからだろう。きちんと確認してやらないお前も悪いよ、かわいそうに。」
などと言っている。
私のせいなのか? 私が悪いのか?
私はシチュー用に炒めていた鶏肉をフライパンごとほおりだし、持っていた菜箸をキッチンのタイルに投げつけた。 怒ったままベッドに布団をかぶってうずくまっている娘を、ベッドをひっくり返って落としてやった。 もう壊れている。 もうどうにもならないのだ。
こんなことは初めてだ。 どんなに腹が立っても料理を途中で投げ出したことなどない。 それも息子の誕生日だ、腹が立つことより祝ってやることの方が大事なはずだ。
でも私の気持ちはおさまらなかった。
毎日毎日娘に怒鳴られ、怒られ、なんで私はこんな扱いを受けなきゃならないんだ。 私は母親なんだ。 私がいなけりゃ何もできないじゃないか。 掃除だって洗濯だって料理だって、学校行くのだって、一人じゃ何もできないじゃないか。 冗談じゃない。 私は娘の友達じゃないんだ。 私は母親なんだ。 私は娘より年上なんだ。 自分の機嫌だけでののしっていいのか!
「出ていく!」
焼き上がったであろうケーキをオーブンから出し、後は勝手にやっておいて、と言い、カバンを持って出ていくことにした。
夫が玄関まで来て、 「行くところなんてないだろ。」
「ホテルでも泊まる。とにかく今は気持ちがおさまらないから、頭を冷やして気持ちがおさまったら帰ってくる。」
本当に行くところなんてない。 実家なんてない。 母は再婚しているし、私の居場所なんてどこにもないんだ。 この家しかないんだ。 この夫しかいないんだ。 私の居場所なんて本当にどこにもないんだ。
今の自分の立場をすべて捨てられたらどんなに楽だろう。 今夜12時に更新なきゃならないページがあって、 明日新しい原稿の打ち合わせがあって、 今日は息子の誕生日でもあるんだ。
私がどこの誰でもなくて、このままどこか知らない街に行って、 飲み屋で雇ってもらったって何とか生きていけるかもしれない。 水商売やって、お酌でもして、それなりに生きていけるかもしれない。 本当にそれでいいのか、それでいいのか、それでいいのか。
とにかくホテル探そう。 ホテルがあるといえば桜木町の方だろうか。
家から10分くらい歩いたところに時々夫が連れてってくれるラーメン屋があった。 「平成夫婦茶碗」でもこんな気持ちの時にラーメンだったよな。 歩きながら涙が流れてくる。 私って何なんだろう。
食券買って一人カウンターに座り、やっぱり涙が流れてくる。 それも器用に右目だけ流れてくるんだ。 目が疲れたフリして涙をぬぐう。
食いながら考える。 420円,420円,450円,雑誌の価格だ。 消費税込みの金額だよな。 それにさ、消費税って500円でも25円しかつかないのに、 どう考えても1,500円以上かかるわけないだろ。 そうだよ、自分を信じろ、 いつも家計簿に書いているじゃないか。 娘の本代1200いくらって。
5分くらいで食ってさっさと店を出て、 携帯で夫にかける。
「ねえ、買ってきた雑誌を見てほしいんだけど。」
「あ。。マーガレット。。 あいつ、4冊買ってるよ。 なんだ、あいつのせいじゃん。 お前は悪くない。 今どこにいる?」
「ラーメン食ってそっちに向かうとこ。 よーく言っておいて。」
玄関のドアをあけると、夫が娘に言い聞かせていた。 自分が間違ったんだからちゃんとママに謝れ、とか、 ママがいなかったらお前は存在しないんだぞ、とか、 ママに対しての態度をあらためろ、とか、 ママが怒って当然なんだぞ、とか。
結局、私の家出は約30分程度で終わってしまった。
帰ったら息子宛にFAXが届いていた。 私の仕事関係の人たちから、ケーキの絵と共にスタッフの寄せ書きがいっぱいだった。
私は料理の続きをして、息子は私に、 「僕の誕生日がなくなっちゃうかと思った。」 「誕生日には間に合うように帰ってくるつもりだったよ。」 「よかった。」
9時に「ハッピーバースディー」を歌った。
クリスマスにヒカルの碁の碁盤をプレゼントされた息子は、 最近ではネット碁にもはまり夜遅くまで遊んでいた。
負けて悔しいらしく、もっと強くなりたいということで、 近くの囲碁教室に行くことになった。
前から気になってはいたんだ。 近くの囲碁教室。
1階では大人たちが対戦し、 2階では教室を開いている。
小学生のために週に一度教室を開いているようで、 入会金なしで月5000円だそうだ。
見学は自由だそうで、対局したい場合、子どもは500円とのこと。 月3000円で打ちたい放題だそうで、 最初は500円でやってみて様子を見たらどうかしら? とのことだった。
とにかく、今月9日の木曜日から行くことになった。
「今月の分は、お年玉で払ってくれる? それできちんと通えるようだったら、来月からの分は払ってあげるよ。」
「うん、わかった。」
「じゃあ、あーたん(義母)からもらった5000円で払うよ。」
「ねえ、今度の木曜日って何回寝たら?」
「えーっと、4回寝たらだよ。」
「9日だったけ、あっ、僕の誕生日だ。」
「そうだね、誕生日だけど行くの?」
「うん、行く。帰ったら誕生日(のお祝い)やってね。」
「うん。」
ということで、彼は8歳の誕生日から囲碁教室に通うこととなった。
冬期講習の後期スタート
午後、義母が年賀状の印刷を頼みに来る。 鳥の絵を色鉛筆で書いたのだが、何枚も同じ絵が描けないというので、 2枚のうち気に入った方を印刷してあげることになった。 スキャナで取り込んで修正して印刷して、 義父母たちは帰った。
夕方、夫の空手の先輩が遊びに来る。
いくら,昆布巻き,なます,ローストビーフ,ブリ大根など、 昨夜、夫の実家からもらってきた正月用のおもてなし料理を出し、
田舎から送ってもらったじゃがいもでフライドポテトを作り、 お釜に残っていたご飯で焼きおにぎりを作り、 田舎から送ってもらったブリでブリの照り焼きを作った。
先輩は居酒屋の調理場で働いている。 焼きおにぎりを出すと夫が、 「焼きおにぎりの達人に焼きおにぎりを出すとはいい度胸だ。」 などと言ったので、
「味は保障できませんが、愛情たっぷりですからその気持ちを受け取ってください。」
などと変な自信?でおもてなしをした。
ブリの照り焼きも夫は美味しい美味しいと食べ、 先輩も好き嫌いなくよく食べてくれた。
8時過ぎに、私&娘の友達がワンちゃんを連れてきて、 それでまた盛り上がった。
もうめちゃくちゃかわいくて、特に夫ははしゃぎまくっていた。
友達にもおもてなし料理をおすそわけし、美味しく食べてくれ、 11時過ぎには、友達も先輩も帰り、静かになった。
夫が先輩を駅まで送りに行って帰ってくると、
「ブリの照り焼きは今の時期、毎日何百匹も焼いているそうだよ。」 と言う。
「料理を仕事とする人の前で料理作らせるなんて。。」
と言うと、
「そんなの気にすることないよ。美味しかったよ。」
と褒めてくれていた。
気にさせるようなことを言いつつ、フォローしたりする。 不思議な気分だ。
ひとまずこれで私の嫁としての正月の仕事は全て完了した
|