私のとっかかりは、「自閉症とわたし」という本だった。 今でこそ、ドラマなどで取り上げられ、ともさかりえさんが演じたドラマで話題になったが、以前は偏見や勘違いなどが多かったと思う。
その本と出会い、もっと知りたいと思い、パソコンを初めたての5年前にホームページであちこち調べた。その本の前に、新聞に自閉症は育った環境でなったり治ったりするものではなく、脳の障害だと書かれていた。だから、育て方で自閉症になるとか、自閉症だと子どもが診断された親に対し、非難するのは間違いだと思っていた。
夫の親戚のひとりが、ボランティアで自閉症の子どもたちを預かったりする活動をしているのだが、当人はその事を全く知らなかった。正月でその家に遊びに行ったときに、その親たちを非難する。私が新聞では先天性のものだと書かれていたから親の責任ではない、と言っても、イヤ違う!と反論するだけで耳を傾けなかった。夫も私の言っていることを新聞などから知っていたので、それ以上こちらが説明してもカドが立つだけとそれで終るようにたしなめ、私もそれ以上は口にしていない。
確かに、部屋を解放し、自閉症の子どもたちに新築したての部屋の壁を、好きなようにシールをはらせたり、それはそれは心が広く愛情を注いでいると言える。でも、間違った知識、いや、新しい情報を拒否することは避けてほしい。子どもたちに耳を傾け優しく会話するように、周りの情報にも目を向けてほしい。
「自閉症とわたし」を書いた筆者は、ともさかりえさんの演技について誉めていたことが雑誌などに書かれていた。わたしのとっかかりがこの本で本当によかったと思っている。
うちの上の子と同じ年の自閉症の子を持つ知人と、子どもの障害についての話題になった時に、その本の話をすると少し安心した顔をしたのが印象的だった。いつも明るかった彼女が、その問題に直面した時に、悩み、沢山の本を読み、やはり出会ったのがその本だったと言った。そこには高機能の本人からのメッセージがたくさんつまっている。
ボランティアをするなら、まず、勉強してほしい、それが夫の親戚であるために強く言えない自分の悔しさ、毎年 正月になると思い出す。どうしようもないこの気持ち。
2001年01月01日(月) |
「だからあなたも生きぬいて」を読んで |
夫がこの本が今売れてるから、と買ってきた本。いじめられ、その後極道の妻にもなり、その後勉強して司法試験に受かった、というもの。夫は途中で何度か泣きそうになるとか、すごく気持ちがわかると言って、私も読んだ。
私は一度も泣かなかったし、気持ちもわからなかった。途中で何度か腹が立って本を置く。いじめた相手に対してではなく、いじめられてる本人に対して。めちゃくちゃ他力本願じゃん。いい加減にしろ、自分で言えや、と腹が立った。○○が言ってくれない、○○が叱ってくれない、○○が、○○が。。ず〜〜〜っと○○が、他人がどうの。。ばかり出てきたからだ。
両親にかわいがられ、おばあちゃんにかわいがられ、何不自由なく暮らし、だから自立できていないんじゃないのか。親も親だ。子どもに蹴飛ばされ、ただうずくまってるなんて、どうして身体はってそれはいけないことだと教えてやらない。どうして子どもに気持ちをぶつけない。こんな親だけにはなりたくない、と思った。
いじめの内容は書くことに限度があるからかもしれないが、書かれている内容は大した内容ではなかった。無視や自分の物が壊されてゴミ箱へ入れらたり、転ばされたり、その程度だ。そんなの私だってあった。夫はお前みたいにみんな強いやつばかりじゃない、と言うが。自分しか自分を守れなかったから、私は自分で自分を助けただけだ。
暴力振るわれて、身体傷つけられて、絶えられなくてそれだったらいっそ死んだ方がいいと、自殺する気持ちはわかる。でも、その程度で自分の身体、自分で傷つけて痛い思いして、アホか、と思った。その度に本を置いては、少し気分転換し、最後まで読まなきゃ何も言えないと思って、最後まで読んだ。
途中から、筆者が自分はずっと他人のせいにしていたこと、自分がしたことは必ず自分に跳ね返ってくること、それに気付いた。だから、私も彼女を認めた。その分、すごい勉強し、結果、弁護士の試験に受かったのだから。彼女の過去があるからこそ、今の彼女がいるわけだから。
いじめられた子は、人に話さない。だから、いじめた方は調子にのるし、危機も感じない。助けを求めろっちゅー。必ずいる、きちんと耳を傾けて聞いてくれる人、それまで決して力を抜かず、あきらめず、ずっと自分を強く持ってほしい。決して負けないで、我慢しないで、強くなってほしい。
すごく仲良かった子が突然無視したり、その子はそれまでの子、そういう人もいるさ。でもそういう人ばかりじゃない。それを信じて頑張ってほしい。自分が死んだって、死に損だ。周りは何も変わらない。死んだって地球はそのまま回ってる。悔しいじゃない。生きてきたんだから。今まで頑張ってきたんだろうから。辛かったこと、苦しかったこと、もう限界だと思っても頑張ってる自分が今、いるのなら、もっと頑張れるはず。助けを求め、もっと大きな声で叫び、自分は生まれてきてよかったんだと、自分で自分を認めてあげる。
自分を大事にし、自分がしてきてことは、自分に跳ね返り、癒せるのも自分しかいない、と。自分を信じ、自分の存在を自分は忘れず、自分は自分だと生きている今を確かめる。
他力本願にならず、ああ言ってくれない、助けてくれない、そうじゃなく、自分から言う。それは間違っている、そうして欲しくない、私はそれは望まない、自分の気持ち、それは自分以外の誰も否定できないものだから、自分から言う。叫び、伝える。
私は親に虐待され育った。毎日アザが絶えなくて体育の授業が恥ずかしかった。片親だからといじめに合ったこともあった。上履きを隠され、無視され、転ばされ、つねられ、アザも絶えなかった。人を恨み見返してやりたいと思ってたこともあった。でも、何もしない親に反抗したことなどない。抵抗しない親を蹴ったりなど最低だ。どんな親だろうと、自分の親なんだ。今までかわいがってもらったならなおさらだ。自分が存在するのはその親のおかげだ。
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