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1975年11月30日(日)

「カルト宗教のトラブル対策 日本と欧米の実情と取り組み」 山口広 中村周而 平田広志 紀藤正樹  教育史料出版会 2000年5月20日 1900円

P85より抜粋

1 フランス議会報告 (1995年12月採択)
 2.セクト活動の現状
  (1)内務省の情報
   500名以下の団体としては、霊友会、○○真光、世界基督教統一神霊教会(統一教会)、
   クリシュナ意識協会フランス同盟、OSHO情報センター、愛の家族(旧・神の子どもたち)
   など日本になじみなある団体を含め、・・・・・

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1975年11月29日(土)

「S界真光文明教団に対する奉納金返還請求を却下-地裁沼津支部」

静岡新聞 1990.04.19 朝刊 20頁

 教団からの説明通りにご神体をまつる「主座」が山頂に建立されなかった―として、信者がS界真光文明教団(田方郡中伊豆町冷川)を相手取り建立奉納金一億五千二百四十六万円の返還を求めて静岡地裁沼津支部に起こしていた民事訴訟で、十八日、秋元隆男裁判長は「法令の適用による解決は不可能」として原告の訴えを却下した。

 原告は宮城県仙台市の信者ら二百九人。訴えによると、原告らは、中伊豆町の丸野山頂上に主座を建立すると聞いて、昭和五十七年ごろから六十二年三月ごろまで奉納金を納めた。

 しかし、山頂付近は中伊豆町の所有地で、教団は六十一年九月十日に同町から山頂を使用させない旨の通告を受けていたが、その後も原告らにこの事実を隠して奉納金を集め続けた。結局主座は山頂に建立されず、山の中腹に巨大な建物を建築した。このため、奉納金の返還を求めていた。

 秋元裁判長は「(訴えは)法律関係に関する紛争の形式を取っているが、法令の適用による終局的な解決は不可能」と退けた。


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1975年11月28日(金)

「元幹部らに賠償命令 奉納金めぐる真光文明教訴訟で教団側主張通る-地裁沼津支部判決」

静岡新聞社 1992.07.30 朝刊 22頁

 宗教法人S界真光文明教団(本部・田方郡中伊豆町)の「内部分裂」をめぐり、本来教団に納められるべき信者からの奉納金を、教団の教主と対立する教団の元幹部らが、全国各地の礼拝施設である道場などに指示して教団に送金せず横領したのは不法だとして、教団が元の幹部や道場などの責任者ら四十一人を相手取り、二億七百万円余りの損害賠償を求めていた訴訟の判決が二十九日、静岡地裁沼津支部で言い渡された。

 秋元隆男裁判長(転勤のため新城雅夫裁判長代読)は「道場は教団の下部組織で、信者からの奉納金は教団に対するもの」などとする原告側の主張をほぼ認め、被告のうち元の幹部や道場長ら四十人に総額約二億百二十万円を支払うよう命じた。

 判決によると、教団が昭和六十一年一月に着工した「主座世界総本山御本殿」の建設や布教活動の在り方などをめぐり、信者や道場が原告派と被告派に分裂した。元幹部に同調した被告らの道場主の道場では、六十三年三月分の奉納金を送金しなかった。

 被告側は「奉納金を本部に送金しなかったのは、各道場独自の自発的な判断で行われた」「道場は教団とは独立した団体であり、奉納金は教団に送金するまでは道場に所属しているのだから送金しなかったのは不法ではない」などと主張していた。


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1975年11月27日(木)

最終更新日:2002.10.01


フランス、ベルギー等、海外における報告

○○真光は、フランスではカルト教団に指定されています。ベルギーの国会委員会報告では、「最も危険な団体の一つ」とされています。また、ベルギーにおいては法廷において解散請求をされたようです。

目次

・ベルギー国会委員会報告(抜粋)
・ベルギーにおける解散請求
・フランス政府によるカルト団体(セクト)のリスト
・ロンドンにおけるカルトのテロ行為への関与疑惑について
・真光教団のために使われた欧州連合の資金?



1975年11月26日(水)

ベルギー国会委員会報告(抜粋)

http://caic.org.au/eastern/mahikari/belgiump.htm

この報告書の中には,次の一文がある。

37) ***** Mahikari
According to a witness, it would be one of the most dangerous sectarian organisation in our country.

(訳: 証言によれば、○○真光は我国(ベルギー)の中で最も危険な団体の一つである。)

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1975年11月25日(火)

ベルギーにおける解散請求

簡単にまとめます。

ベルギーにおいて、○○真光は金銭の扱いに関する不透明さ(着服、横領、使い込みなどの疑い)から、非営利団体ではないとの疑いをかけられ、検察から出頭を命じられた(1997年5月29日)。検察は、非営利団体としての○○真光は解散して財産を清算するべきだと要求した。しかしながら裁判所は、検察が疑う理由は認められるが、確証がないということで検察の訴えを退け(1999年9月7日)、検察は控訴を断念した(1999年10月6日)。

http://www.hrwf.net/English/belgium99e.html#pub (リンク切れ)

The Public Prosecutor v. Sukyo Mahikari - Case closed HRWF (10.10.1999) -

 The non-profit making organisation Sukyo Mahikari in Belgium was summoned by the Public Prosecutor on the 29th May 1997 in the following terms: "whereas it results from the evidence heard (...) that the Belgian members of the Board of Directors have accepted to be appointed to their posts by pure connivance and have failed to exercise their functions, the Public Prosecutor demands the dissolution of the non-profit making organisation and the designation of a liquidator".

The case was heard on the 7th June 1999, but as the Public Prosecutor failed to present his conclusions, the other side did not present its case to combat the allegations.

In his judgment of the 7th September 1999 the Judge stated that "the claim against the organisation Sukyo Mahikari is admissible and allowable but unfounded".

The Public Prosecutor confirmed on the 6th October 1999 that it was not intending to appeal against that judgment.

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1975年11月24日(月)

フランス政府によるカルト団体(セクト)のリスト

http://www.cftf.com/french/Les_Sectes_en_France/cults.html#ici

この報告書では次のような要素のある団体をカルト(セクト)定義し、宗教とははっきり区別している。

- mental destabilization; (精神の不安定化)
- exorbitant character of the financial requirements; (法外な金銭の要求)
- isolation from society (社会からの孤立)
- danger to physical health (健康に対する危険性)
- embrigadement [bringing into the "troops"] of the children; (子供への勧誘)
- the more or less antisocial speech; (多かれ少なかれ、反社会的な発言があること)
- disorders with the law and order; (法や秩序の破壊)
- importance of the legal contentions;  (法廷闘争が多い)
- the possible diversion of the traditional economic circuits; (通常の経済活動からの逸脱)
- attempts at infiltration of the public authorities. (権力への浸透を試みること)

次に、

Cult Movements with from 50 to 500 followers: 
(信者数50-500人のカルト運動)

という項目の下に、***** Mahikari がリストされてる

つまり、○○真光はフランス政府によって公式に「カルト団体(セクト)」と認定されている。


また、別のHPでは、フランスが出したこの報告について、以下のような説明がある。
http://www.liberal-shirakawa.net/furukawa/totalitarianism.html

---------- 以下引用 ------------

こうした時代背景を受け、フランス国民議会(下院)の調査委員会がまとめ上げ、1995年12月に採択された報告書が『フランスにおけるセクト(=カルト)』です。

この報告書は、フランス国内はもとより、アメリカ、日本においても、カルト問題を考える重要な資料になっています。原本は140ページほどのものですが、「カルト」という言葉の定義から
始まって、その構成要件、そして、カルトに該当する団体の実名リスト、さらにはカルトの被害を未然に防ぐためには官民がどういうことをしたらよいのかということを、かなり具体的に書き込んでいます。

もし、フランス語がわかる方はフランス国民議会Webサイトのホームページ(URLはhttp://www.assemblee-nat.fr/)からもアクセスできますし、日本語の抄訳なら国会図書館にありますので、興味のある方はご覧になったらよろしいかと思います。

そして、この報告書には、フランス国内で活動している172団体を「カルト」と認定し、実名をリストアップしているのですが、そのうちの一つが、自・自・公以降、ついにわが国の政権中枢
に入り込んでしまった「●●●●」なのです。

この報告書では、それまで曖昧な形で使われていた「カルト」(フランス語では「セクト」)ということをはっきりと次のように定義づけています。

<(カルトとは)精神の不安定化を狙った操作で、メンバーからの無条件の忠誠、批判精神の低下を誘い、一般社会にある価値観(倫理的、科学的、公民的、教育的)との断絶をもくろもう
とする集団で、これは個人の自由、健康、教育、民主制度に危険を与える。この集団は哲学や宗教、精神医療といった仮面を被ることで、その裏にある権力の獲得や支配、メンバーからの詐取といった真の目的を隠蔽している。>

ここで、この報告書が画期的なのは、はっきりと「宗教」と「カルト」との間に線引きをした点です。私自身がフランスでの現地取材をするまでそうでしたし、まだ、日本でもかなり大勢の人が「宗教」と「カルト」を混同しているのではないかと思います。

---------引用おわりーーーーーーーーーーーーー

さらに、次の文献も参考になる。

『カルト宗教のトラブル対策 日本と欧米の実情と取り組み』
山口広 中村周而 平田広志 紀藤正樹 教育史料出版会
ISBN4-87652-381-9 C0036 ¥1900E 2000年5月20日初版発行


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1975年11月23日(日)

ロンドンにおけるカルトのテロ行為への関与疑惑について。

http://www.rickross.com/reference/mahikari/mahikari1.html

サンデータイムズ(ロンドン)/1998年12月27日付。
ライター:デービッド・レッパード、ジェシカ・ベリー、クリス・ヘースティングズ。

最後の審判の日と称し、ミレニアムを謳ったカルト、オウム真理教のメンバーが死者12人を出した地下鉄サリン事件で警察に逮捕されました。彼らは英国・ロンドンにも拠点を持ち、多くの成員が潜伏していました。昨年、崇教真光は危険なカルトであるとして、国会での公式な質疑応答で、地下鉄サリン事件の証人によって非難されました。「地下鉄サリン事件をもとにして、ネオナチと反ユダヤ主義の教えを広めていた。」と、元信者が告白したからです。

警察はテロリスト集団・オウム真理教のリーダーの命令によって、1995年に東京地下鉄に対するサリン攻撃を起こし、大量殺人を企てた何人かのメンバーを初めから疑っていました。日本至上主義を掲げる崇教真光の代表はそれに対して、「これこそが『火の洗礼』の神仕組みです。来年世界は滅亡します。そして私達信者だけが生き残ります。」とコメントしたのだと、イギリスで人道的保護を受けている崇教真光の元信者は証言しています。さらに、「地下鉄を狙った破壊活動が懸念されることを教団のブレインが予言し、そのことを組織的に編集した文書によって発表しました。そのため、イギリスの信者のうち何人かの成員は、社会的動乱か災害に備えて食物を備蓄しています。」とも述べています。

サンデータイムズのリポーターは、南ロンドンにある真光の拠点に極秘潜入取材を敢行し、そこで一か月を過ごしました。真光の代表者は、英国に300人を越える信者をマンチェスター・リーズ・北東英国・ウェールズに派遣していると主張しています。さらに信者は、教団のブレインが「早くとも来年には世界が滅亡することを予言している。」と言います。元信者にとって、それが何を意味するかといえば、2000年に向けて彼らがある種の行動を計画しているのだということです。三年前に集団自殺を遂げた「太陽の寺院」や「オウム真理教」をはじめ、破壊的宗教の共通点は、ロンドンにある真光の拠点の告発者が持っている終末論の影響を受けた書物を教義教理として採用していることなのだと元信者は語ります。

オウム真理教のように、真光は三流の専門家(例えば、顧問弁護士など。)に取り入ります。信者は、できるだけ早く現金を寄贈するように促進されます。極秘潜入リポーターも、二度目の訪問の時には寄付を勧められました。個々の信者たちも後の訪問においては、寄付が歓迎されるのだろうということがはっきりとわかりました。ロンドンの本部に配属されている信者は毎朝、小さな木製の祭壇にむかって、二回お辞儀をして三回拍手(かしわで)を打つ「二礼三拍手」のあと、天津祈言を奏上するといった異常な祈願儀式に参加しているでしょう。現金寄付用の空の封筒が置かれ、祭壇の前にある木箱へご奉納していました。情報提供者は、短冊に名前と名目ごとに指定されたご奉納金額を書くように求められました。ヨーロッパ、日本およびオーストラリアの元信者は、信者が高額ご奉納や、高価な品を寄贈することもしばしばあるのだと言いました。

五カ国の政府首脳や警察は、崇教真光の前身でもある、元日本帝国軍隊指揮官・岡田良一によって設立された世界真光文明教団に対する懸念を示しました。この系統の教団の拠点は既に、アフリカの1州から追放されています。彼は1930年代に、南京、中国で、200,000人の男性、女性および子供の大虐殺に深く関与していたという重大な責任があります。会計記録には、英国の拠点からは2万ポンドの奉納金をヨーロッパやアフリカの本部・ルクセンブルクに寄付させていると記録されています。この本部はアンセムバーグ城に拠点があるのですが、アンセムバーグ城はギャストン伯爵が76万ポンドをかけて1987年に建設しました。

申し立てによると、ルクセンブルクの本部は、カルトの建物の改装費用として欧州連合の資金が4万2千ポンド使われたというスキャンダルの渦中に既にあります。真光のベルギーの財務に関する告発のための新しい調査資料がこれから2週以内に警察からそこに渡されると予想されています。真光は、ベルギー国内では最も危険なカルトの一つとして関係者から評価されています。

真光はフランスの上院議員からの調査対象になりさらなる追及を受けました。フランス国会の委員会の報告書により、カルトの危険性があることがわかったからです。被害者とその家族の人権擁護団体の責任者・ルネ・ポー氏は、「真光の代表者を通じて役員関係者が中核となり、一万二千人のフランスの信者からお金を巻き上げました。莫大な資金が集められ、それが日本に送金されています。」と語りました。

しかしながら、崇教真光のスポークスウーマンは先週、オウム真理教に関与しているのではないかというクレームを否定しました。

「そんなのは全くの言いがかりです。オーストラリアのオウム信者の中に真光の元信者がいたことは真実です。しかし私はそのことについては、知るよしもありません。私達には終末論の妄想なんてありません。しかし、英国の拠点にいる何人かの信者が食品や防災用品などを備蓄することも含めて、天変地異を乗り切るための準備をしていることは事実です。しかし、そんなことをしているのはごく一部の成員だけです。私達の教えの書には教え主様による地下鉄サリン事件の予言が掲載されていますが、私達は別に反ユダヤ主義ではありません。」

と彼女は言いました。


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1975年11月22日(土)

真光教団のために使われた欧州連合の資金?

http://www.rickross.com/reference/mahikari/mahikari2.html

ラ・ムーズ(ベルギー)/1998年10月 22日
ライター:ジーン・ニコラス

ECHOおよび欧州委員会の周辺では、不正行為のスキャンダルについて、ますます騒動がエスカレートしています。何百万ベルギー・フランもの欧州連合の予算が、日本のカルト崇教真光(カルトに指定されている)に寄付されていたようです。ヨーロッパ下院議員ヴィヴィアン氏にとって、この事件は「もはや我慢の限界だ。」と述べています。「欧州連合の資金が、一体どのくらい日本のカルトの貯金通帳に入金されたのですか?」と、ヴィヴィアン下院議員ははっきりと尋問しています。

このカルトのヨーロッパとアフリカのリーダーであるアンセムバーグ城に住むギャストン伯爵は、コミッションとの外部契約によって、さらに利益の上乗せをしているようです。「苦しんだ人々を助けることを目的とした資金をよりによって、霊媒信仰で世界的に悪名高いカルトに対して融資しているとは・・・。もはや、我慢の限界です。」これは、欧州委員会に忠告するヨーロッパ・ルクセンブルクのヴィヴィアン下院議員によって書かれた文書の一部です。

先週の月曜日、パリ在住のマロウ・クリプス夫人は、欧州委員会から人道支援のための予算の使い道のことで呼び出され、数億ベルギー・フラン横領事件について尋問を受けました。さらに彼女はペリー・ラックス社との関係について、ルクセンブルグ警察からも尋問されました。調査官はその尋問内容について守秘義務を守り続けていましたが、ようやく、我々の情報と一致する部分を聞き出せました。

ペリーグループは3つのオフショア市場(国内の金融市場とは切り離し、非居住者間で自由に資金を取引できること。)として創設されたソフトウエア・システム会社で、AcadianとParkingtonはアイルランドにあります。そして、悪徳下院議員の癒着もあって、評判の悪いカルトに深く関与していました。
オフショア市場会社と崇教真光と不正を行った委員会の間には具体的な関係があります。クリプス夫人(この人はこれらの会社を管理していた)は崇教真光のメンバーで、一味であるクロード・ペリーの貯金通帳を利用して、クロード・ペリーと日本の崇教真光の本部あてに、数百万ベルギー・フランを自分の口座へ移したことで非難されています。

もぐり会社の存在

ヴィヴィアン下院議員の文書によって、ギャストン・ド・アンセムバーグ伯爵と呼ばれているこの人物が、資金癒着の三角関係を形成する上で重要な役割を果たしているのを知り、ルクセンブルクの調査官の興味を引き始めました。そうです、伯爵は不動産業と平行して、真光カルトの権力の椅子として、ルクセンブルグの小さな港町に城を構えています。

伯爵の城は、ヨーロッパの資金で最近修復されました。私達が所有している文書によれば、伯爵は、人道支援を目的とする数億ベルギー・フランの予算を11人の欧州委員と手を組み、伯爵の経営するワティンサート社を媒介にしてもぐりの横流しを行い横領しました。この癒着関係について、ヨーロッパの報道機関は、しばしば送り状を捏造していた偽契約者に電話取材を行っています。これらの11人の「公務員」は、欧州委員会で働く資格を剥奪されていたメンバーで、ワティンサート社に臨時に雇われた人々でした。彼らの取り分は度を越しています。彼らは、伯爵名義で借りたブリュッセルのビップラン通りにある、とある地域に住居を構えていることにして、架空の登録を行いました。実際には、彼ら11人の元欧州委員は、アンセムバーグ城にいて住み込みで働いていましたが、ペリー・ラックス社からはその後、賃金を再度払った2つのオフショア市場会社からワティンサート社を通じて、二重の賃金を支払いました。もちろん、これらの会社はみな元欧州委員からマージンを得ていました。この報告書から、彼らが搾取目的のために、欧州委員会の経営陣の目を盗んで不正な手段による人員雇用をしている様を想像できます。

現在、そのことはルクセンブルクの検察官事務所で疑惑をもたれていますが、アイルランドでの取調べを正式に委託されているJeannot Nies行政官と、とりわけルクセンブルクで一般的に参加されているこのカルト教団やヨーロッパのKirchberg地域にあるペリーラックス社にかたくなに拒否されています。

ルクセンブルクにある検察官事務所は非常に沢山の会社を通じてこの金融の「位置付け」と関連問題をよく知っています。そして彼らは事実解明を急ぐために、確実な目標を持っています。彼らはいくつかの不意打ちによって他の南ヨーロッパからの大きな派閥も含めて、いくつかのカルトの隠蔽された金銭的支援について暴露しようとしています。

この記事はヨーロッパで調査中の真光の報告書を参考にしました。



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1975年11月21日(金)

最終更新日:2002.10.01

マインドコントロールに関する情報

マインドコントロールに関する情報をまとめました。マインドコントロールとは、部屋に監禁して無理やり思想の変更を強いるような、そんな乱暴なものではありません。それと気づかれないうちに、知らず知らずのうちに心を操作する巧妙な心理操作です。マインドコントロールにかからないためには、それに関する知識が必要です。

目次

・マインドコントロール研究所
・「カルトか宗教かの見分け方」...軍事問題としての視点から。
・まず研究せよ――ダライ・ラマ発言の真意
・『超常現象をなぜ信じるのか-思い込みを生む「体験」のあやうさ-』



1975年11月20日(木)

マインドコントロール研究所  http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/index.html

「マインドコントロールとは何か」から始まって、様々な具体例まで取り上げており,とても参考になります。


例えば,真光系教団は、20世紀の終わりに天変地異が起こるという終末思想を持っていましたが、21世紀を無事に迎えた現在、予言は外れたと言えます。しかし、信者の多くはどうして教団を離れないのでしょうか?ひとつの答えが下の抜粋にあります。
「予言が外れるとき」
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/aum/99.7.7.html

<以下抜粋>

 アメリカの新興宗教に関する研究です。教祖様が、この世の終わりが来ると、信者を集めました。しかし、終わりは来ませんでした。入りたての信者は、がっかりして去っていきました。ところが、仕事も家族もお金も投げ出して教団にどっぷりとつかっていた人は、去るどころか、信仰を強めていきました。

 彼らには、帰る場所が無かったからです。何もかも投げ捨てて教祖にしたがってきた。その教祖がペテン師などと考えたら、心が壊れてしまいます。それに、教団を出ても行くところもありません。

 自分の心が壊れないために、自分の居場所を作るために、彼らは信仰を強め、ますます激しく活動したのです...

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その他,「カルト教団から家族や親友を守る方法」なども参考になります。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/03mamoru.html

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1975年11月19日(水)

「カルトか宗教かの見分け方」...軍事問題としての視点から。 http://www.kamiura.com/abc6.htm

<一部抜粋>

 ...一見するとこのような事は、個人の心や精神の問題で、軍事問題とはまったく無縁かと思われる。しかし実は、このような洗脳のやり方を、論理的に研究して応用したり、または逆に防止するような研究は、軍事部門の重要な研究項目である。軍事研究では心理戦というジャンルに入れられ、銃や戦車などの兵器を使わず、紙〔印刷物〕や電波(テレビ、ラジオ)、それに口コミや映像〔ビデオなど〕を使って、人の心を自由に操ろう(あるいは防ぐ)とする技術を研究することである。心理戦は戦時に限定されず、平時にも行なわれるために、マスメデアが発達した現代では特に重要性を増している。その心理戦の研究を行なっているが、小平市(東京都)にある調査学校の対心理戦課程である。

  カルトを軍事の心理戦知識で分析すると、さらに細部の特徴や、仕掛けを読み取ることが可能ある。戦後の時期に、旧軍の中野学校〔心理戦を教えた〕の卒業生が、自らが教祖になって宗教を興したり、新教宗教の顧問となって布教に尽くした連中がいた。カルト、洗脳〔マインドコントロール〕、心理戦、これらはすべて同じ土壌で養殖される人の心をターゲットにした戦争である。その心理戦の論理を知れば、「オウムや法の華」など子供だましの、詐欺士集団でしかないことがわかる。
...後略...

(注) 岡田光玉氏も軍人の出身であり、初期の真光の中枢幹部には軍人が何名かいました。立教は終戦から14年後の昭和34年。真光のマインドコントロールは、軍事における心理戦の知識を応用したものなのでしょうか?
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1975年11月18日(火)

まず研究せよ――ダライ・ラマ発言の真意 江川紹子ジャーナル:「オウムあれこれ」より
http://www.egawashoko.com/menu3/00061101.html

ダライ・ラマが、日本のカルト問題について質問されたときの回答である。信じる前に調べることが重要であると説いている。真光は、まず素直になって信じなさいと説く。素直に信じたほうが得だと説いている。これはダライ・ラマの言っていることと正反対である。

<以下抜粋>

人が幸福になるには、必ずしも宗教が必要だとは思わない。が、一つの宗教を信仰するのであれば、まずは正統に継承された教えを勉強すること。経典に書いてあるから信じるのではなく、分析的に確かめ、なぜこれが必要なのか、自分の頭でゆっくり考えることだ。そして、土台をしっかり築いて段階的に進むことが大切で、いきなり密教の修行に飛びつくべきではない。ましてカルトは危険である。
 師についても、その人が正統な教えを正しく継承しているか確かめ、その人格を含め、あらゆる角度から充分に調査することが必要だ。信じる前に、まず研究せよ。教祖然とした態度をとる者には警戒すべきだ。

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1975年11月17日(月)

『超常現象をなぜ信じるのか-思い込みを生む「体験」のあやうさ-』
 菊地聡 著、講談社ブルーバックスB-1229、1998年初版


超常現象をすべて否定はしていないが、理性的な思考が足りないなど数々の理由から超常現象を信じやすい人間の心理を、認知心理学の立場から平易に説き明かしている。「私は体験したのだから、不思議現象(霊でも超能力でも)はたしかに存在するのだ」と考えるとしたら、その「考え方」は誤りであり、体験だけではそれが不思議現象の実在を示すものなのか、認知的錯誤の産物なのか、区別がつかないとしている。

理性的な思考を屁理屈と呼び、体験のみを絶対化している真光の教えは、認知心理学の立場から言うと誤った判断を招く危険なものと言える。この本の中ではマインドコントロールとの関連は触れられていないが、自分の体験のみを信じて真光の矛盾に目を向けようとしない信者の心理が説き明かされているように思える。真光信者の方々にぜひ読んでいただきたい一冊である。

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1975年11月16日(日)

最終更新日:2002.10.01 HOME


G氏、N氏からの情報

ある掲示板において、G氏は「中外日報」、「宗教法学会報」などの専門性の高い資料からの情報を元に書き込みをされ、N氏は岡田光玉氏の立教以前の過去にかかわることを書き込まれています。私は私なりに情報を整理しなおしてから書き込みたかったのですが、内容の専門性が高く、私の力では情報を整理することが難しく感じられました。掲載しようかどうしようか迷いましたが、資料としては第一級の価値があると思います。そこで、お二人からの情報については特別にページをもうけ、不完全ですが少し整理をして掲載することにしました。お二人のご努力には、この場を借りまして深く感謝いたします。また、断りなく掲載しましたことを深くお詫び申し上げます。

目次

・真光裁判、八王子土地買占め問題、その他

・岡田光玉(岡田良一)の家系に就いて
・「世界真光文明教団 代表役員地位保全事件」
・ユダヤとエタ
・八王子市議会で土地の買占めを追及された真光
・オウム-真光コネクション
・教祖の死と現実
・教祖用御み霊
・田園調布・梅林旅館の会合
・関口氏提訴の経緯
・ラーム氏
・霊動
・光玉最後の御神示
・導士のセクハラ
・岡田光玉の御神示
・七億円余の横領を告訴
・参考文献


・岡田光玉氏の霊的系譜

・八幡博堂(顕正)
・千鳥会について
・御み霊の中身について
・心霊医学会
・八大龍王
・ラーム氏
・高山が日本の中心
・浮霊現象について
・愛人疑惑
・生長の家
・瓜谷社長の証言
・大峰老仙
・ス座
・人類の母国「神国日本」



1975年11月15日(土)

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真光裁判、八王子土地買占め問題、その他

注) 「>」で始まる文章は、G氏に対する質問等や他の書き込みからの引用を示します。

岡田光玉(岡田良一)の家系に就いて
 
岡田良一の父は、岡田稲三郎という。和歌山出身。
 
安政4年丁巳(1857年)に生まれた人なので、岡田良一出産時(1901年)に父は44歳であった。岡田良一は、父稲三郎が44歳の時の子である。

岡田稲三郎は、50歳のとき陸軍一等主計正になった。
  大正2年、主計少将に昇進。
  大正5年、10月28日死没。

息子・良一は2月生まれだから、16歳の時、父死亡。父の最期の位階は、主計少将相当官として、「帝国陸海軍将官同相当官名簿」古川利昭著に、進級・任官年月日が出ている。尚、岡田稲三郎に爵位はない。

主計少将の中で、爵位のある人は、川崎男爵・野田男爵の両氏である。教祖岡田良一の父は、陸軍の中でも、主計局という、会計畑を歩んだ人で、だから官位も相当官なのである。
 
教祖とその父という関係で、岡田良一の年譜と合わせ見て、興味深く感じたことは、昭和20年、良一44歳の時、つまり自分が誕生した時の父の年齢に達した時、岡田良一は破産の憂き目にあい、大負債を背負い込んだという偶然である。

この符合に、真光の宿命論(自分に災いを齎すものは、近親者であろうと全て悪霊→先祖悪霊論の如きもの)から察せられるような観念を考えると、どうも教祖の経歴というのは、教義を分析するうえで、抜きにしては語れない要素が、ちりばめられていると思う。

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1975年11月14日(金)

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「世界真光文明教団 代表役員地位保全事件」

宗教関係判例集成 第一書房 第4巻・第5巻 「世界真光文明教団 代表役員地位保全事件」
図書館のレファレンスで聞けば、すぐわかります。そこになくても、どこで見られるか所蔵図書館を調べてもらえます。

「宗教関係判例集成」 第一書房(肌色のハードカバー本) 第4巻・第5巻に 「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」の詳細が出ている。
裁判所の資料を直接閲覧したい場合は、原審が東京地裁であるから、そこで更に詳しくわかる。
( 昭四九(ヨ)第二〇四六号地位保全仮処分申請事件 )

「世界真光文明教団代表役員地位保全事件(一)」
 
 Ⅰ東京地裁
  昭和50年7月24日
  民事八部判決
  
  Ⅱあらまし
  教え主、昭和49年6月23日死亡
  その相続・後継者争い(跡目争い)
  養女・甲子VS関口栄

 Ⅲこの事件の本質
  跡目争い

 Ⅳ何をめぐってか?
  教団の人的支配権、金銭的支配権
 
 Ⅴこの昭和49(ヨ)第2046号で気付くこと
  岡田甲子本人が
  柳川、平手、清水いずれかの裁判官に尋問された
  ↑
  疑問・そのとき何才くらいに見えたか?
  疑問・気は確かに見えたか?(霊媒ということだが)
     岡田側は、自分達は「霊団」である
     という言葉を裁判で使っている。

昭和50年(1975)7月24日の判決から延々と最高裁の判決まで泥仕合がスタートする。なお、第一ラウンドでの判決文は、関口氏の訴え「却下」。一読して、第三者としても、関口氏が怒るのも無理は無いという内容だが退けられた。しかしこのままでは済まなかった。

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世界真光文明教団代表役員地位保全事件(一) 東京地裁 昭和50年7月24日民事第8部判決

裁判をより理解する為の資料として 「中外日報」 昭和57年9/3、9/6、 9/8、 9/15号がある。

この「中外日報」のみどころは、教団資金の大胆な動きが告発されている点。しかも信者以外の人間によって。また関口氏と甲子サイド幹部が、梅林亭という料亭のようなところか、そこで話し合うのだが、これを読むと甲子サイドでさえ、甲子を「あれ」などと言い捨て、全く尊敬の念など感じられない態度が、この教団がいかなるものかを知らされるのである。「中外日報」のこのバックナンバーは所蔵するところが少なく、首都圏では確か和田の立正佼成会図書館、禅の駒沢大學にあったと思う。関西はどこだったか?

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「宗教法学会報」昭和59年11月17日

これは宗教法学会で研究発表された論文であり、信者の人なら必ず興味をもたれる部分が論述されている。ずばり「御神示」と「教祖用おみたま」について。これも大學図書館や国会図書館にあるはず。バックナンバーが各巻まとめられている。

みどころは「ご神体?」の写真か。これがあきれたことにスイス製の製品高級時計。メーカー名もちゃんと出ている。これ見て入信する気になるか?当然の疑問として信者でもない司法関係者は写真とはいえ「おみたま神体」の正体を見ているのに(ご利益があるかはわからないが<笑>)一生懸命金を出し、奉仕をしている信者が、なんで見られないのか?教え主以外は誰も見ていない、見せていないというならわかるが。知らないことはいいことだ。

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世界真光文明教団代表役員地位保全事件(一)

これは当時崇教局長の関口栄氏が、世界真光文明教団と岡田甲子を訴えた裁判。 

関口氏は東京都台東区北上野2-13-8
宗教法人世界真光文明教団は東京都大田区田園調布2-25-10

岡田甲子は東京都世田谷区羽根木2-26-16
と所在を記して出ている。(宗教関係判例集成 第一書房)

唐突だが、オウム村井刺殺関連の暴力団羽根組とは世田谷のこの地域に関係あるのか?名前が教祖の元自宅住所に似ているのも嫌なものだろう。

さて、どうして、もめたかという経緯も奇怪である。

昭和49年6月23日岡田光玉が死亡。

死亡前6月13日光玉は養女甲子に後継者の指名を伝えた。

6月25日光玉の通夜の席上「6月13日光玉より関口を2代目にと指名があった。2代教え主用のおみたまを光玉より預かっているので関口氏に渡したい。」旨を幹部に発表した。

6月26日甲子は光玉の遺体の前で、関口におみたまを授与した。

ここまでは平穏であったようだ。

ところが、7月1日責任役員5名が甲子を教え主に互選し7月5日には甲子を代表役員として登記してしまう。

(教団規則第6条に1:代表役員はこの法人の教え主をもって充てる。2:後任の教え主は現在の教え主があらかじめ指名した者をもって充てる。あらかじめ指名していない場合は、責任役員の互選により選定する。 関口氏は責任役員ではなかった。 この2つが前提条件としてのポイント。)

しかし式典では関口氏がたてられ、7月13日日本武道館での光玉教団葬では1万5千人の信者・来賓に対して岡田甲子から関口氏指名を発表。続いて関口氏は2代教え主を受諾する旨の挨拶をした。

「神むき」という言葉があるそうだが、「表向き」と「裏向き」が言っている事とやっている事が違う状態で事態は進んで行ったと裁判資料の説明文でわかる。

ついに「御神示」を甲子が関口氏を呼んで見せ、これが有名な、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」である。

8月25日関口氏は教団本部に出仕せぬようになり、教団は事実上分裂した。49年9月18日関口氏は裁判を起こす。

その判決が50年7月24日に出たということである。

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それはさておき、という程でもないが、岡田甲子サイドのグループは、友森清晴、岡本洋明、天野正勝らで、特に教団顧問・天野正勝なる人物の存在は大きいのだが全容がわからない。影で操作する人物といえよう。

友森清晴は、旧姓を馬場清晴といい、陸士34期出身で戦後しばらく巣鴨プリズンに居た。鳥かご暮らしというのか。役職から言えば当然だが。個人的に抱き続けてきた疑問だが、K市の馬場医院と関係ない事を願う。

岡田甲子の素姓についても、この裁判資料集成では「養女」と言うに留めている。ただ、こういう法廷で挙げることだからウソではないだろうと思われる経歴は

*初代が昭和48年(1973、死の前年)9月に欧州巡行のとき岡田甲子を代理に選任し、光玉の補佐役とした。(これは48年から公式に一般の目に登壇したと考えてよいのかどうか)

*岡田甲子は特別研修を受けた唯一の者で、(このあたりは信者の人が興味をもつ部分だが)主神へのお念じお願い、ご神体(実はスイス時計)およびみ霊のご調整、伊都能売様の霊線つなぎの一切を行うことが出来るから2代教え主の指名を受ける資格を十分に備えている。と関口氏への反論を述べている。

*初代は岡田甲子を2代教え主に指名することを、平素から教団幹部に言明してきた。これも甲子サイドの裁判所での主張だが、「平素」とはいったいいつ頃なのか。関口サイドは「中外日報」で甲子を「天一坊」と呼ぶ。「天一坊」とは今まで誰も知らなくて突然ふってわいたような人物が「我は将軍也」などと言う場合に使う言葉である。これは海外の信者が証明する救世教関係者の娘という筋ともニュアンス的に少々ずれている。だいたい少女時代の写真が1枚も発表されないなど新宗教の世界でも、こんなばかな例はない。事件性でもあれば別だが。

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岡田光玉死後の奇怪な後継者争い。

この裁判では、岡田甲子本人の尋問も行われている。その他の証人は

債権者・関口栄側の証人。 

工藤岑碩
工藤みね子
植松茂
金子敏雄

債務者・岡田甲子側の証人。

友森清晴
山本昌彦
富田萬美
石毛省三
白崎智子

また裁判資料中、名前が列挙されている人物は、松平(定堯)事務長ー日本武道館に於ける光玉教団葬で関口栄がニ代に指名されたと、会場1万5千人の信者に発表。

岡本洋明

顧問・天野正勝

富田秘書課長

昭和49年8月4日、月始祭の第一次式典に続いて東京晴海の東京流通センターで挙行された第二次式典終了後本部局部課長および全国の指導部長を集めて甲子が教団の教え主であり、代表役員である趣旨の依命通達を伝達するはずだった人物。(しかし関口氏は「これは恵珠様と私との問題だから」とその通達書を、富田秘書課長から受け取り富田ではなく関口が、幹部一同の面前で読み上げて伝達した。)

有馬経理部長

49年6月26日、甲子の申し入れにより、有馬経理部長と富田秘書課長だけの立会いのもとに光玉の霊前で、関口が甲子から、おみ霊の授与を受けた。

白崎照明

南米方面の指導部長に任命されて8月8日、とりこみ中のところに出発の挨拶に訪れた。次の東京高裁での記述と照らし合わせると、状況が違う。

だが、フィクサーと呼ばれる教団顧問・天野正勝なる男、こいつがクセモノだなという感想を抱かせる裁判の記録である。甲子は男の人形か?という疑問を抱かせる。

中外日報で関口サイドが一番攻撃しているように感じるのは当時の教団顧問・天野正勝なる男である。「フィクサー」。

裁判資料中にても、甲子代表役員就任登記について関口氏が善処を申し入れたところ、その会談に同席した債務者教団の天野顧問が書面で回答したが、その回答において、右天野は、債権者(関口)を二代様と呼称し、月始祭でも関口を甲子より上位とするが、代表役員については現在のままとすることを示した。天野という男が、光玉教祖の周辺で強い権力を握っていたことがわかる。

腑に落ちない点は、教団資産(信者から集めた金)も、組み手ではない女が管理していたようだ。まえに出した中外日報のどれかに詳しく書いてある。

横道にそれたが、その他尋問された関係者は、

証人・鈴木稔・有馬富子・大川一二、木村一郎・佐藤弘子、と書き出されている。

このような裁判抗争の渦中に、昭和53年岐阜県高山市に誕生したのが現在の「崇教真光」である。

関口栄と岡田甲子の和解はもっと後であり、昭和57年7月10日、東京高裁第七民事部においてである。(7年越しの抗争)

実は甲子側は最高裁へ上告したのであるが、最高裁は、昭和52年9月22日、甲子の上告を棄却した。そこで和解への段取りとなったわけである。

何度でも問う。どうして信者でもない人間が、信者より詳しく教団の成立事情や教団幹部の名を知っているのか。「宗教裁判資料集成」第一書房に全部書いてあるからだ。全国、どこでも、誰でも、知ることができる。そういうことです。教団に金を一銭も出してなくとも知ることができる。

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1975年11月13日(木)

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オウム真理教幹部は高学歴殺人集団として各地でいまだに住民とのいさかいを起こしている。「堕ちたエリートたち」。彼等が笑われるのは、大學・最高学府まで出ていながら、中卒程度の麻原が説く神秘体験や病気治しを信じて家系の恥、大犯罪者になって死刑もしくは一生務所暮らしを終える尊卑逆転現象をおかしいと思わなかった点である。

昭和50年代に起きた世界真光文明教団代表役員地位保全事件。裁判資料に名の挙がった人物は、当時の教団のキーマン達であり、この裁判がもとで、崇教真光ができたのだから、崇教真光の存立にかかわったキーマンでもある。

証人として尋問されたり、氏名が挙げられている人物群。教祖と同じ陸士34期生が多い。ここは旧陸軍の同級生がつくった教団か?と顔ぶれを見ると思う。

松平定堯氏・石毛省三氏・友森清晴氏・植松茂氏(55期)・白崎照明氏(陸士34期の白崎嘉明大佐 18師団参謀長の御親族と推測する。)

中外日報を読むと一目瞭然だが、甲子は「あれ」と呼ばれる程度で、幹部どうし内部的に調停を図ろうとした形跡が見られる。決裂したが。裁判からわかるように、この教団では幹部が重要なのである。

松平定堯

朝日ジャーナル1991・4・19日号に、西前輝夫記者が「激烈『宗教ウォーズ』すんで戦線恐々の国会議員たち」の記事で松平定堯氏を解説している。イラストが本文をよく説明してわかりやすい。鈴木都知事をかつぐ立正佼成会・妙智会VSニュースキャスター磯村氏をかつぐ創価学会・崇教真光・世界救世教MOA派の似顔絵。副題は東京都知事選異聞!
 
この朝日ジャーナル記事によれば

「磯村氏を支援した崇教真光教は、岐阜県高山市に本部があり、磯村氏の叔父の松平定堯氏が顧問を務めている。松平氏は初代教祖とは近衛連隊時代の同僚で、最近まで真光教のナンバー3の地位にあった。」

「磯村氏は選挙戦中、松平氏といっしょに都内約20の道場を回った。」
 
「2月27日、東京の両国国技館で開いた初代教祖の「生誕90年式典」に磯村氏は参加した。(ところが)鈴木支持の原文兵衛参院議員が(なんと)式典委員長を務めていた。磯村氏はあいさつの機会も与えられずメンツをつぶされた。」
  
朝日ジャーナルはこのように書いてある。
  
だが、もっとも基本的なことは陸軍士官学校34期(野砲)出身。光玉と同期・同級生。同じ釜の飯を食った仲間。青春時代をともに過ごした仲間。ということだ。
 
松平定堯氏は、特務機関で職務にあたり、昭和17年中佐として、前任・赤堀道太郎のあと、チタ満州国領事館付き武官。敗戦の20年までその役職にあった。いわゆる情報将校である。
 
オウムのがきが、テロがどうのこうのとサリンやエボラウィルス、炭疽菌を皇太子御成婚の日に亀戸でまいたというが、真光の幹部っていうのは、軍事面ではプロなのだ。
  
世界真光文明教団代表役員地位保全事件。

証人として尋問された、友森清晴氏。

友森(旧姓・馬場)清晴。

陸士34期(歩) 教祖・光玉こと岡田良一と同期であるが格段の出世頭である。軍歴でいえば光玉は、こういっては何だが落ちこぼれ。更にその名は陸軍大学校卒業生名簿に出ている。第46期(昭和6年―昭和9年)

この人の最終の階級は大佐。西部軍参謀副長で終わる。陸軍大学校卒後、最初の参謀職務は、軍務局徴募課。昭和16年ー17年 軍務局兵備課高級課員。軍務局は軍政の中心部署である。陸軍省兵務局兵備課は太平洋戦争中、総動員 動員 兵役各班が新設された。国家総動員の総本山といったところか。

友森氏はこのような重職にあったので巣鴨入りだったようである。

昭和29年名簿では、まだ「(巣鴨)友森(馬場)清晴 東京拘置所内」となっている。同名簿では29年現在、岡田良一は、住所もなく行方不明状態。しかし29年といえば相当世の中も豊かになった頃である。戦犯として、入っていたのだろうか。それしか考えられないが。疑問。


友森氏は、光玉より俗に言うエライさんである。エリート中のエリートである。それがまたどうして「神が見える」ようになってしまった戦友の手下になってまでも、担ぎ出す気になったのか?

愚かで迷信深い女達から金を集める団体を設立するとは。皇軍の誇りと過去の苦労を捨て、マムモンの神(金の神)に屈したのか?

オウムは高学歴犯罪集団と呼ばれるが、陸軍大学校卒業というのは、今の大學など比較できないほどのエリート中のエリート。学士様どころではなかったはずだ。

石毛省三 陸士34期(重砲)
  
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世界真光文明教団代表役員地位保全事件

一債権者(関口栄)
 2証人工藤岑碩 同植松茂 工藤みね子、同金子敏雄の各証言および債権者本人(関口栄)尋問の結果を援用。

二債務者ら
 2証人友森清晴、同山本昌彦、同富田萬美、同石毛省三、同白崎智子の各証言および債務者教団代表者兼債務者教団代表者兼債務者岡田(甲子)本人の尋問結果を援用。

*( )は原文に今便宜上補足した部分。

これでわかるように甲子側、友森・石毛両氏は陸士34期。教祖と同期生。さて関口側、植松茂氏。このかたは、現在別の霊感商法裁判で娘が有名人。お気の毒である。

植松氏の例は、他教団と真光の関連を考察するのに意義深い素材であるので次に少々長文でアップする。
           
植松茂  陸士55期出身。

友森清晴のような大物ではないが、最近、娘の悪業によって2ちゃんねるで有名になってしまいお気の毒である。手かざしでジョウレイに励んでいたのに何故か。

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宝島30「霊能者 深見青山の素顔は『歩く幼稚園』?」
 
ワールドメイトという救霊師をたくさん抱えた新興宗教団体が教祖のセクハラ、霊感商法、脱税問題で追及されているが深見なる男の霊能者を操る年増女霊能者「植松愛子」は植松茂の娘である。

宝島30米本ルポによれば

「愛子の父、植松茂は世界真光文明教団の創立に力を奮った人で、家庭環境はもともと宗教的雰囲気に包まれていた。」

「(深見と愛子の)修行の内容は省略するが、生活費は稼がねばならない。当初は健康食品の訪問販売などをして糊口をしのいでいたらしいが愛子の兄・植松健税理士の宗教仲間(世界真光文明教団)である弁理師の栂村繁郎(虎の門特許事務所所長)がスポンサーとなり(株)三十鈴を設立し、予備校とポルノビデオ、健康機器の訪問販売のちに時計の卸を始めた。」

宗教的雰囲気で育ったわりには、「ポルノビデオ」販売など下品な事業を真光の宗教仲間と始めたものだが、よほど金がほしかったのだろう。

この項、続く。
          
植松茂の娘がつくった団体・ワールドメイトのからくりは信者からまきあげた大金が、皇大神社の受け口である栂村の口座にガバガバ入金されるシステム。

植松健や栂村は真光と、この記事ではわざわざ注釈されている。
宝島30p37を引用すると

「そのお金はまだ認可されていない人格なき宗教法人である「皇大神社」に転がりこんでいく。百億円の集金システムを説明しよう。まず、会員予備軍は深見青山とコスモメイト(ワールドメイトの旧名)の存在を本で知る。深見たちの本は大川隆法、麻原彰晃と同じ扱いで宗教コーナーの前面に品揃えされている。点数は合計約70点にのぼる。発行はコスモメイトの関連会社であり、東販、日販など取次7社の口座をもっている「橘出版」(社長は弁理士の栂村繁郎)が圧倒的に多い。」

末端信者が、どこの神様が正しいとか、験があるとかせりあっても、上層部は金のやりとりでtながていることを実にはっきり示している例である。こうなってくると、いくら心が清らかでも
一度出した金は、どこに流れていくかはわからない。その為に宗教法人法で財務の開示、場合によっては、信者が請求すれば、資産情報を開示しなければならないとしているのに信じきっているので誰もが一方的に金を出すばかり。

で、上のような現実がある。信じたい気持ちと、信じるにあたいする気持ちは断じて次元が違う。

この項続く。

ワールドメイトは会員や元会員が2ちゃんねるでいろいろ発言している。

http://mentai.2ch.net/psy/kako/975/975920900.html

WM基礎知識質問箱

  31>なぜ、「神事」やるたびに皇室に不幸が起こるのか

  34>昨年の伊勢の大神事・・・雅子様流産
    >今年おゴールデンウィーク神事・・・小渕元首相死去
    >今年の鹿嶋大神事・・・皇太后様死去
    >これほどスゴイ証が続出するワールドメイトの神事!
    >今年の伊勢に向けて3種の神器の秘密など
     解明(勝手に解釈)して新世紀を迎えても
     何になるんだかねえ。

このような発言が散見できる。だが、もういちど現実を確認すれば、こんな疫病神みたいな団体の金は、真光の弁理士の男が仕切っているのだから真光も、皇室の不幸に、かかわっているということか。真光幹部の娘がひらいた宗教であることだし。

ワールドメイトについての読み切れないほど多数のスレッドをたどっていくと奇妙なことに気付く。

ワールドメイトのライバルは幸福の科学と、新宗教の評論で言われているのに、スレッドの投稿の印象では、幸福の科学攻撃は希薄で、信者が意識しているのは、手かざしの真光であることがわかる。

ありていに言えば、ワールドメイト信者は手かざしをかなり馬鹿にしている。真光をやめた信者が馬鹿にする論法と違う。

どのスレッドか忘れたが、だいたい次のようなことが書かれていた。しかも複数の投稿者だったと記憶するから、おそらく教祖が内輪の信者に説いているのだろう。或いは著書に書いてあるのか?

「光玉は霊能力が途中でなくなり、困ったので、インドのサイババに霊能力を頼み込んで分けてもらった。」
 
途中でというと、ウルトラマンの光線が3分で切れるみたいなものか。インドのサイババからどうやって、オリンピックの聖火みたいに接木ならぬ接火ということか。できたとしたら真光のワザはインド系。インド人もびっくり。それで皇軍?
 
しかし手かざしという観念を、多少ではなく、マジで信じるというのが人格の境界線でもあるし、信者でなければ興味はない、突っ込めない話題か。

光玉がサイババから霊力を分けてもらったのが本当かウソかという部分ではなくワールドメイトという団体の教祖は、植松愛子が大幹部の娘で、しかも真光文明教団の税理士や弁理士を擁している。利益共同体である。ということから、自然、光玉の身近にいた人間のみが知り得る情けない話とか、弱みというのか、それを知っており、信者に「光玉なんぞ目じゃない俺」というのをアピールしているということだろう。

だったら何で「金」では文明教団の御仁と利益を追求しているのか?問いたいのは、そこである。裁判が多い宗教というのは、問題であり、真光もWMもそういう意味では対等ではないのか。

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1975年11月12日(水)

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昭和50年代(正確には昭和49年9月18日)関口栄氏が東京地裁に世界真光文明教団並びに岡田甲子を訴えた時点から火蓋を切った、光玉死後の執念の後継者争い。

この間、証人として尋問された幹部の経歴に、陸軍士官学校卒業生(34期)が多い事実。さらに他教団ワールドメイトとの関連を書いたが、次に挙げるのは、
所属組織の面で疑問のある幹部である。

証人・山本昌彦

山本昌彦氏は関口サイドからフィクサー呼ばわりされた元陸軍省兵備課高級課員・友森清晴のサイド。ところが、れっきとした右翼団体の資料に、しかも裁判当時50年代の資料に名前が出ている。

興民会。

たまたま同姓同名の人というのでも無ければ同会の主張から、理事をつとめて当然というか。山本は裁判に出頭する一方右翼団体興民会の理事として活躍していた。

どういう団体か。
メンバーを見てみよう。

崇教真光幹部が所属していた

右翼団体名 興民会
所在地   墨田区文花1-30
         文化団地18-304
役員
会長 永富以徳
顧問 榊 純義 
   三潴信吾
理事 山本昌彦 古谷多津男 熊沢義彰 井上春吉
  進藤恒一郎 山下好太郎 葦津英雄 吉川永三郎
  村田明比古 大垣末蔵
昭和維新をうたい、「民族戦線」という機関紙を出していた。 
    
 裁判当時、証人に出た幹部 山本昌彦が活躍していた
右翼団体 興民会

会長 永富以徳は、大日本生産党(玄洋社・黒龍会系)の書記長・永富次徳の親族だろう。

また顧問 三潴信吾氏は当時、高崎経済大學教授である。「愛国・憂国の士に訴える」と題し、万世一系の天皇の統治を唱え、「先ず祭祀大権を奉還せよ」と説かれている。いわゆる皇道の復活、純正右翼であるが、こういう御仁が、自分のところの理事の宗教・崇教真光という団体の本性を知ったら、卒倒するだろう。

http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/lameuse.htm

アップで写された麻原の写真とともに出ている新聞紙面には、「崇教真光はオウムセクトと関連づけられ、サギ事件でも取り調べ中」と書いてある。

*真光文明教団ではない。はっきり崇教真光と書いてある。

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ラ・ムーズ、Oct 22 1998、ラ・ムーズはベルギーの新聞。メジャーなABCニュースにも同様の、オウムとのリンクに触れられている。知らぬは日本人ばかりなり。

だいたい世界のマスコミが使う、オウム英文検索サイトに、
 http://www.rickross.com/groups/asahara.html
多数のアーティクルのNo94に、真光との関連が出ているのだから仕方ないだろう。
 
オウムは皇太子御成婚の日に、上佑の命令で亀戸道場にて炭ソ菌をまいたと報道された。(異臭騒ぎ・失敗)だが、これは成功していたら本当に大変なことなのだ。こういう男をどうして、刑期を終えたからと釈放していいのか。
 
また山本昌彦と同じ役職の右翼団体興民会理事 葦津英雄は60年安保当時、影山正治と並ぶ存在として有名な葦津珍彦の血縁者だろう。

当時、興民会の事務所の近くに日本正統会というもうひとつ右翼団体が有り、山本氏に関してよくご存知ではないかと推察する。

しかし、高崎経済大學教授・三潴氏も、同じ皇道といっても、真光のエセ皇道の中味、(もっとも上級信者しか知らないそうだが)知っていたら一緒にやっていられなかっただろう。共産党でも、これは呆れるだろう。

関口氏と岡田甲子の法廷闘争資料に重要人物として出てくるのが富田秘書課長である。

富田秘書課長

昭和49年8月4日、月始際の第一次式典に続いて東京晴海の東京流通センターで挙行された第二次式典終了後、本部局部課長および全国の指導部長を集めて甲子が教団の教え主であり、代表役員である趣旨の依命通達を伝達するはずだった人物。

KSDで失脚した村上正邦が全盛だった頃村上正邦の労働大臣室まで行って接触していた(富田局長はじめ東京都内の幹部。と教団自ら広告行為)

その、富田局長。村上正邦は生長の家から離れて真光についた。沈没した。験がない。あたり前だ。

富田氏については海外元真光、しかも高位の信者のほうが日本人信者より、ずっと詳しい情報を握っている。
http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/earlyears.htm
 Mahikari's Crumbling Foundations.

富田秘書課長
http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/earlyears.htm

Mahikari's Crumbling Foundations.「真光 その滅び行く組織」

クランブルという語感を生かすと、粉々に粉砕というかんじも盛り込まれているタイトル。これは、お買い得というか、一見の価値おおいにあり。光玉教祖の極秘写真が出ているのが目玉。5ページとコンパクト。読みやすい。

富田秘書課長

どうして富田氏が海外の記事にスポットライトをあびて登場するかというと、Chief of the Secretariat Mr.Kazumi Tomita 宛に、元海外信者が手紙を出して問い合わせたから。

別のH.P.では富田氏の返事まで、サイン入りだったから、返事そのままをアップしている。

富田氏への問い合わせの内容。

「なぜ、恵珠岡田は、彼女の第一秘書・富田を通じて次のこと、即ち、光玉岡田が SKK(世界救世教)の導士であった事実を否認したのか?」と。
 
1949-51年代の、SKK時代の光玉がSKKのお歴々と並んで撮った写真をアップして、こう書いてあるのだから。結果は火を見るより明らかなのだが。

「どうして恵珠は事実と違うと、富田を通じて言ってよこすのだ?」と突きつける訳だ。「うそつくんじゃない」と。写真を出してくる訳だ。

富田秘書課長

「どうして恵珠は事実と違うと、富田を通じて言ってよこすのだ?この、うそつき」という趣旨の、セクレタリー・富田にまつわる記事なのだが、しかし、否認しないわけには、いかないだろう。
 
この記事の先を読めばわかる通り、光玉はSKK時代、セックスの暴行で、SKKをたたき出された。とあるから。下半身にしまりがなかったのだろう。こういうスケベ騒ぎは、別に真光だけではなく、新興宗教の教祖につきものである。

問題は、いくら病を治してもらえるからといって、教祖のスケベな部分を承知で、ついていく気が、金を出す気が、あるか否か。過去の汚点も溶かし込まれたイヤシ光線でも、治るんだったら何だってOKよ。

それが、諾か否か。受け入れられるかどうか。信者のプライドの問題である。

「こんなのに治してもらわんでも良い」と言えるかどうか。猥褻セックス騒ぎという、恥ずかし事なので、特に女信者の場合は、影響力もあり、教祖の過去を加味した決断が大切だ。

しかし、光玉がSKKで女とどうのこうのなど、常識すぎて。問題は、もっと別に有る。

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裁判資料に登場する人名を追ってきた結果

1 この裁判は、元陸軍幹部連中 VS 民間人資産家による教団資産ぶん取り合戦の様相。しかも、元軍人の方が、謀略にたけていた。

2 御神体は、市販品の時計。

3 もと同級生の集まり。ということを念頭に入れて教団を評価すべし。青春時代から、寄宿舎制の学校で寝食を共にした同級生幹部にとって、心底、光玉を自分達とは違う「神」と信じられるか?人間の心理として、特に彼等はエリートの誇りがあると思うので光玉への心酔は、なかったと思う。


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「暴かれた真光」
 3.崩壊しつつある真光の基礎6頁に
 
「1957年(昭和32年)までは、S界救S教に所属して密接な関係を保っていたが。この頃、彼は妻と離婚している。S界救S教の熱心な信者であり、岡田氏に付き従ってS界救S教を去ったある一つのファミリーに所属し、後に岡田氏の養女となった、井上甲子という若い女性は、後に真光の指導者である岡田恵珠女史として知られるようになった。」
 
とあるが、この頃、岡田光玉自身の手による経歴陳述(家族歴)が残っているので、それを次に見てみよう。
  
岡田光玉自身による、家族歴の記述。

防衛庁の防衛研究所内、戦史資料閲覧室にある。公的機関なので、市民の閲覧可能。開かれた資料室なのだ。

昭和三十六年十月第三十四期生会々員名簿

P12 氏名 岡田竜道(良一)と先ずあり、
    2-2Gi と初隊号が記され、近衛士官であったことがわかる。
    さらに興味深いのは勤務先。
       L・H陽光子友の会々長
       多田建設KK顧問
    と記載。
    問題の家族であるが、
    妻亡、二女(長嫁 次女幸子)
    これは、このくい違いは、何を意味するのか。
    
断っておくが、この名簿は、手にとればわかるように、戦友の無事や消息を確認するための大切な名簿、友情の感じられる名簿なのである。粗末な紙に、几帳面に書かれた同級生の生死と現況の確認。今の業者に頼む名簿の感覚とは違う。そこで、こういう記述は何を意味するのか。

なお、意外な発見もあって、三好達治の名が同期として載っている。あの詩人の三好達治だと思うが、職業は、やはり、著述業と自己申告されていた。

靖国問題の迫っているこの時期に、観念的には語れない、士官学校の片鱗を書き込んでいくのは何なのだろう。


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1975年11月11日(火)

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ユダヤとエタ

崇教真光の教祖及び幹部は、皇軍の面汚しである。
 
最初、この外人信者のレポートを見て我が目を疑った。眼と腹が腐る教義。なんだと。何ということを言っているんだ。としか感想が出ない。外国人信者がインターネットで出した
崇教真光の皇室についての講演、研修メモ。「暴かれた真光」でも翻訳紹介されるようになったが、原文のH.P.を挙げておく。
http://ozemail.com.au^skyaxe/origins.htm

頁数は原文のNo

4/16<信者のノート覚書・要点>

16 ユダヤという名の起源はもともと日本語でエタだった。またイスラエルはいすずから来ている。いすずは三重県の聖なる河。
17 エタは日本のアウトキャストで、もともとは日本に来たユダヤの移民だった。

ここまでは、では真光の神は部落解放同盟の守護神かと思った。ところが読んでいくうちに4/16のメモ10-22及び14/16の「みおしえ」を照合すると。

ヘブライ語は日本の天皇からユダヤの民に与えられた言語である。モーゼは日本のプリンスで十戒は日本から来た。ヘブライ語は日本から送られたもので、歴史を通じてユダヤが迫害されるのは彼らのカルマである。旧約聖書はヘブライ語の翻訳である。日本のプリンスモーゼによってゾロアスターのゼンドアベスタから訳された。

ここまで来るとまさかユダヤのほめ殺し?でも待てよ。ちょっと待った。

ユダヤ→エタ。 ユダヤの王モーゼは日本のプリンス。ということは日本のプリンス→エタあるいはオリジン オブ エタと結局三段論法を使って言っていることになる。

何でもかんでも皇室から出たというところは、常なる霊的国防論でおなじみ。しかし皇室はユダヤの祖で、ユダヤ人をエタと言い切るところから雲行きが違ってくる。 
   
皇国史観を説きながら、なんともいやらしい論法で皇室の権威のおとしめを、クククッと含み笑いしてやっていたのか。だから、あんな皇室に対する冒涜写真を平気で得意気にばらまいていたワケだ。そういうことか。「みおしえによれば、エタはエダから来ている。」(シンタックス?)というが、もうガイキチ論はどうでもいい。

自民党の村上参院憲法調査会会長も「労働大臣に就任できたのは教え主様の手かざしのおかげです。」と喜んで総理観桜会や大臣室にこういう教祖及び幹部を招待した記事を自分で教団誌に発表したのも、今は昔。ロクなことがなかったな。この宗教。生長の家のほうが、良かったのではないか。政治家が、この教団にかかわると初めは良くてもあのようになる見本であった。


いまいましい続き。

エタという言葉が、日本文化の中で、江戸時代の部落差別の人口的造語であることは誰でも知っている。しかし同時にどういう嫌らしい使われ方をしてきたかも我々はよく知っている。

こともあろうに、そういう言語に付着した心裡的嫌悪を、ユダヤ人と天皇家の双方に因縁づける底意地の悪さ。相当のものである。どちらも「迷惑被る」と一蹴するはずだ。まるでエセ同和の論法ではないか?

「エタって実は君たちのことではないの?」手かざし軍団に向かって言う言葉はそういう事だ。いつも、けがれ、けがれと言ってるからに。

そうか、こういう教義ユダヤとエタと皇室のつながりを固く信じて、疑うこと無くんば、ますます手かざしで元気になるということだな。これは上級研修のメモだ。と元外国人信者は書いておった。

皇室の権威、ノーブルな存在を、おとしめてまで、ぴかぴか元気になりたいものかね?

普通の歴史をウソと信じれば、それが元気のもとで、手かざしもますます冴えるということか。


防衛庁戦史史料室に保管されている陸士34期生名簿と、スティーブアンドユミ・アラートン夫妻の、スペイン語版のより詳細な「真光ーある洞察」の原文を照合すると、実に乱れた家、岡田光玉の家の家庭崩壊のありさまが浮き彫りにされてくる。

昭和三十六年十月
第三十四期生会々員名簿
岡田竜道(良一) 2-2Gi 
家族 妻亡 二女(長嫁 次女幸子)

http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/spanishsite.htm

LA VERDAD SOBRE Sukyo Mahikari
Autores: Steve y Yumi Allerton
5/32 Nota;(ノート)
2) Koko (Sachiko) Inoue fue "adoptada" ya de adulta por Yosikazu Okada
  こうこ(さちこ)井上は成人してから良一岡田の養女となった。

英文"Mahikari an Insight"でもスペイン語版と同じく
 2)Kouko(Sachiko)Inoue was 'adopted' as an adult by Okada,
こうこ(さちこ)井上である。

陸士名簿は1961年10月現在の記録である。

「暴かれた真光」には1957年前後、岡田良一は妻を離縁と、救世教幹部同僚から指摘されている。

妻を離縁して4年後に書かれた同期生名簿の次女幸子とは、実子で幸子という人物なのか。それとも養女にきた甲子(幸子)を指すのか。

しかしこの同期生名簿をすなおに見ればずっと同居して今は亡くなった妻が、岡田光玉との間に2人の女の子をのこし、長女は嫁に行って別居だが、次女は幸子といって、父娘2人だけで住んでいるという家族構成だ。なぜ、妻と長女の名は書かないで、次女だけ幸子と書くのか。不自然である。

陸士名簿の額面どうり、幸子は血のつながった娘であったとするならもっとおぞましい可能性も出てくるが。成人してから養女にきた。と、くどいほど、「成人してから」がフレーズとして入れられるのも、淫行条例を意識したような感もあり、はたして何才だったのだ?養女にきたのは「成人してから」だと、付き合っていたのは「未成年」からと捉えるのが普通である。「成人してから」が無ければ、そうはとらない。まあ、家庭不和があったということは、よくわかる。

No680で書いたように、エタと皇室を因縁づける、特異な日ユ同祖論の教説を、上級信者にダケ説いていた、あきれた団体・崇教真光。

岡田甲子の正体を確かめるには、光玉の死後、自動的に発生する私的財産の相続人は、誰と誰であったかがわからないとだめだ。

代表役員地位保全事件では、岡田甲子という名が「債務者名」として使われている。だが陸士名簿記載を照合して(参照No707、No665)教団のうわさ話より、光玉自身による物証、
陸士名簿を信頼すれば、甲子は、戸籍名は幸子であり、代表役員地位保全事件でも、「岡田幸子」とならなければ偽証となる可能性も出てくる。

で、養女なのだから、光玉死亡時、私的財産がどれだけあったか知らないが、家屋・不動産の類、有価証券、現金など、二人の娘(長女と幸子)が、きちんと相続しているのか?

まさか実子の相続権まで、教団幹部がよってたかって取り上げたとは思えないが

「1957年前後 妻離縁」
        (「暴かれた真光」「崩壊しつつある真光の基礎」6頁)
という情報は、光玉死亡後の紛争を知りたい人にとってまことに重要な項目である。

なぜなら

1957年前後、本妻が離縁された。←救世教同僚の証言。

1961年10月、岡田本人は、妻離縁のタイミングからして、或いはまだ生存中かもしれないのに、同窓名簿に「妻死亡」と書いている。

この2点から、長女は自分の母親がたたき出されて、幸子がのり込んできたのを、心良く思うはずがなく、光玉のような著名人の死亡では、なおさら、教団の有名な跡目争いとは別に、
実子長女と甲子の間に、財産相続争いが、ふつうは展開されると思うが。(オフィシャルな教団資産でも甲子側は熾烈であったのだから)

どうして長女と妻の存在は、1961年~1974年6月23日光玉死亡に至るまで、都合13年間、ひたすら抹殺されてきたのか?

甲子の元の本籍・戸籍の解明は、教団紛糾防止には、本当は昭和50年当時、もっとも必要なものだったのである。


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1975年11月10日(月)

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八王子市議会で土地の買占めを追及された真光

1995年3月30日、オウムサリン事件後、國松警視庁長官が銃撃された。そのわずか2日前、3月28日、八王子市議会において、崇教真光教団による山林買占め問題が質問された。サリン事件の悪夢の直後、そして2日後に再度宗教がらみであろうと世間で推測される要人暗殺未遂、即ちテロリズムの発生。

さて、真光は地面師なのか、地上げ屋なのか、怪しい買占めを、市会議員によって追求された。この件は、週刊新潮1995、4、27日号にも掲載。なお、議事録は市役所で請求すれば誰でも見られる。

真光で重要なことは、お布施の金の使途不明に尽きる。海外での危険視も必ずこの点を追求される。「浄財とやらが、不動産に化けた例。都下八王子市からこれまた新興宗教による山林買占めが聞こえてきた。買占めに走る地元不動産屋のバックに手かざしで知られる崇教真光の名前が」新潮、小見出し。では議事録はどうだろう。次。

この質問の基本追及点は、

1土地買占めの目的。
2教団及び教団の手先と議員・市長の関係。
3国の道路計画(圏中央道)との利権関係。

こういうあたりを念頭に質問されており、また地域住民から疑念がもたれてきた。手かざし馬鹿の差し出す金が、いろいろな地域の迷惑になっている。八王子では環境アセスが踏みにじられようとしている。勝手な買占めが。手かざしに一銭も出さない方が世の為になる。

さて買占めが進んでいるのは、圏中央道(千葉・茨城・埼玉・東京・神奈川にまたがる総延長270キロの環状高速道路)構想がある、その計画上の八王子北インターチェンジのすぐ西側。上恩方、小津一帯。ちょうど北方に産廃で有名になった日の出町。南方には明治の森高尾国定公園が、この地帯をはさむロケーション。そのような東京の奥座敷的山間部であり、小津川の水源地ともいえる土地である。

買占めの実働部隊は、全日本不動産協会多摩南支部長(当時)村上生社長。不動産会社「大盛」社長。夫人、弘子さんが、熱心な崇教真光信者。仕事のことで、くだんの社長は「真光はいいぞ」と(金になるということか?)周囲に話していたと記事。

八王子市議会1995年3月28日・議事録より要点を挙げると。

→北インター周辺部、特に小津町や上恩方方面で、大量に買い占めが進んでいるようですが、市は実態を把握しているのか。お伺いをいたします。

→何の目的で山林を買い占めているのか、お伺いをいたします。

→どうも山林を買っているのは株式会社大盛という八王子の不動産屋のようです。代表取締役は村上生さん。(波多野)市長は村上さんをご存知ですか?

→市は小津や上恩方町の大規模開発を認めないはずですが、国土庁の計画はどうなっているのか?

→圏中央道八王子北インターを当てこんでの開発計画があるのではないか、お伺いします。

今、小泉政権下で、公共事業の見直しがはかられているさなか、このような、宗教がらみの大量土地買収、住民に疑惑をもたれる買占めなど、あまりにも杜撰。優先的に裁断のメスが入るべきである。 つづく

「特集、八王子に四十五万坪を買った崇教真光」週刊新潮1995、04・27号

参考写真が出ており、岡田恵珠と並んで写るのが如何にも嫌そうな、しかめっつらの河野元外務大臣が印象的。「ご交流」という頁。<「真光」誌で岡田恵珠教祖と並ぶ河野、伊藤両代議士>と説明されている。いくら票田に都合のいい女でも、ここで明かされるような積み重ねが正史なのだから、嫌そうなのも、無理はない。

ところで、私がある落選した国会議員のブレーンから、ロビー活動中に聞いたのですが、八王子インター問題に関係ある国土交通省の扇千景大臣も手かざしの崇教真光だというのですが、本当ですか?ガセか本当か。ご存知の方いらっしゃいましたら。

自然環境を守るための地元民の請願をバックに市議の質問は、環境影響評価書案をもとに更に続く。

→次に買い占め実態についてですが、買占め実態について実態把握をしてないというような簡単な御答弁でしたが、そのことは大変問題ではないか。

→市の方針で 開発をさせないとする地域であればなおのこと、そういう事実にもっと目を光らせていなければならない立場に市はあるわけです。

→何か意図がなければ大量な山林を買うわけはないのです。登記簿謄本上では約37万平方メートルが買い占められ、95年にも7000平方メートルが買い占 められているのです。調査が必要ではないのか、調査をするよう要望いたします。

→聞くところによりますと、山林を買いにくる目的はいろいろだそうで、国際会議場にする、採石場の資材置き場にする、森林体験の教育の場にするとか言って買い進んでいるそうです。例えば、きょう買いに来て、翌日には億の2けたの現金を持ってくるという、かなり荒っぽい買い方をしているとも聞いています。

→きょう行って、翌日、現金を持ってくるというやり方が本当であるならば、国土法の届け出がなされているんでしょうか。国土法の届け出がなされているのかどうかお伺いをいたします。

*扇千景大臣も、例えば、いくら同じ崇教真光だからといって、国土法の届け出をカバーは出来ないはず。やったら汚職。

>前に週刊誌に「伊豆が真光に乗っ取られる」という記事があった。
>崇教は高山市にお金を落とすが、文明はすべて関連企業が仕切っているらしい。
>これも、新潮だったかな。

真光の買占めから自然を守るため、質問は、違法行為を突く。それは、真光をバックにした買占めが、市の「市行造林」にまで手を出していたという点である。

→この株式会社大盛という不動産会社の代表取締役の村上生さんというのは、全日本不動産協会多摩南支部支部長をやっている方と聞いています。東京都副本部長もしていると伺っておりますが、そういう方の会社が買っているわけです。

→小津の市行造林まで買っています。45年間管理をするという約束で分収林にしているわけですから、チェックが足りないのではないでしょうか。市行造林というのは、林業の振興を図り、水源涵養、緑地保全を行うために市が行っている事業です。不動産業者が所有者になっていては、その目的から照らして問題だと思いますが、どうなのか。90年2月2日から45年間、八王子市が地上権設定した場所です。91年12月に転売をされている、明らかにこれは契約違反です。この問題にどう対処していくのか。

*「市行造林」という市が地上権設定し、緑地保全のため大事に管理するスポットまで荒っぽく買う。市の責任を問う質問。しかし法を無視した強引な買占めである。地上げ屋も顔負け。無法の教団。これでは嫌われるのも当たり前。こうして環境破壊は進むのである。信者が出した金の力によって。次は宗教と議員関係へと進む。
 
質問は佳境に。

→市長は何も御答弁されないのは何か理由があるんでしょうか。伊藤公介衆議院議員は82年に自治政務次官をしていました。前々回の衆議院選挙の折りに、波多野市長は、自治政務次官のときには便宜を図っていただいてという旨の応援演説をしたとも聞いていますが、ともかく古い話なのでどうなのか、覚えている市民もいるようです。それが事実といたしましたら、国土政務次官のときにも便宜を図っていただいたのではないかと言えないことはないわけです。国政報告と新春語らいの集いの御案内というのが、ことし届けられました。連合後援会の会長と御本人の連名の御案内ですが、その中で、八王子の事務所が変わりましたのでお知らせということで、八日町から中野上町へ変わった旨お知らせが書かれております。

→そこへ電話をしてみますと、八王子事務所はもう閉めたようで、電話は町田へ転送電話。八王子事務所はわずか数ヵ月で閉めてしまったのでしょ うか。しかし、一度は御案内を出したくらいですから、八王子に事務所を開いたことは明らかです。電話は転送になっているようですが、電話はそこにあるようです。中野上町一丁目のその所在地は、土地も建物も所有者は、株式会社大盛です。

→市長と株式会社大盛の村上さんとの関係はどうなんでしょうか。市長と伊藤公介衆議院議員との関係はどうなんでしょうか。村上さんと伊藤衆議院議員との関係には何の不透明な部分がないというのであれ ば、市長の責任において市民の前に明らかにしていただきたい。

*ここで週刊新潮の写真、真光教祖と並ぶ河野、伊藤公介 両代議士が意味をなす。村上・伊藤、真光宗教つながり。このようにして、宗教は政治にくいこみ、市の土地を「教団」と「議員」で私物化し、住民の知らぬ間に、おそらく利益ころがし計画でもプランするのである。政教分離は実質的に監視されなければならない。日本の恥。特に真光なんぞと寝るのは、紀宮様に手をかけた逆賊宗教とつるむという撤回不能の恥になる。

市長答弁は「御質問は寝耳に水」「不動産のことも全然関係はありません」市行政林への答弁は「これは、正式な文書等、残っているわけではございませんけれども」として「山林利用の他目的への利用は困難である」と説明したと。答弁というのは、不誠実である。やはり住民をなめているのだろう。クソ宗教など庇いだてして最後は名誉を失うことがわからないのだろうか。信者がもちまえの精気を取られるように。

あなたの霊線保持料が何に使われているのか知っていますか?教団の今年1年の収支決算報告会は開かれているのか?教団全資産(海外も含めて)の開示は信者に一覧表で通知されているのか? きちんとした宗教は、善意の寄付から成り立っていても、会計についてオープンである。
 
自分の家族が、もし隠し預金をしてたり、内緒でこっそり大金を使い込んでいたら、どう感じるか。ひょっとしたら、そういう事が憂いの元種で入信した人だって居るのではないでしょうか。霊線をくれるから、いいやいいや とは又別問題だと思います。信者だったら、安心して活動に励めるように、教団 会計簿の開示請求が法によって認められているのだから、いつでも疑念を抱え込 まないで晴らせる立場にあります。信徒は。一人では難しいのなら何人か連名で 開示請求もやり易い。会計について、信者は信仰者というより
 
株主代表訴訟における株主の立場に近いと思います。それは自分が投資している 団体の会計に、責任ある個人として正常な運営がなされているか監視するのは、 この世の義務だから。社会正義であり、信仰に反する行為ではありません。

1995年3月28日の議会。サリンの直後とて宗教団体に対する不信は各地で高まっていた。この翌々日に警察庁長官狙撃事件が起こり不信を更に確信づける。
質問は、いよいよ買収費用の具体的数字に及ぶ。

→買占めの実態についてですが、この3年間での買収費用は総額130億円を超えていると推測をされています。盆暮れには3万円程度のつけ届けが土地所有者に届き、大変熱心に買っているようです。

→買い占める価値のある場所なんでしょうか。

*100億円を超える額を自由にばらまけるとは、宗教団体とは金持ちだ。感嘆詞がつくぐらい。しかしその金も、教祖や幹部がドカチンをして稼ぎまくったわけではない。全部他人様から集めたお金でございましょう。地主につけ届けの3万円。これは、もしかして、入信にかかる費用とほぼ同額のお値段ではないか。教団を媒介として、ある人はタダで3万円もらえ、ある人は、次にもっと取られるために3万円払う。損の道がお好きな方といわれる一群が、世の中にはいらっしゃるらしい。その分け隔て、分水嶺はどこにあるのか。ひとえに手かざしの魔力に魅せられてしまったかどうかによるだけなのか。もっとその人の根本的な心情や生きる姿勢に問題があったのか。ひとつ言えることは、情報不足の弱者、の地位に甘んじられる体質。むしろ、それを心が和むと思える体質。実は深層で自分を底辺の人間と規定する傾向があるのではないか。なんだかんだ言っても、政治家でこういうのに心魅かれる人も、例外ではなく、かなりコンプレックスが強いタイプだと思える。生い立ちなどがそうさせるのか。血筋なのか、わかりませんが。またそういう人には霊術は、ことの他効きやすいかも知れない。だから女がかかり易いのです。
 
質問も詰めの段階に来て、住民不安の訴えに及ぶ。不透明な教団の行動に対する不審であり、オウム真理教が進出地域で引き起こした感情と基本ラインはいささかも変わるところはない。明白に出来ないなら撤退してほしい。

→北インターを当て込んでか、目的は何なんでしょう。ある宗教団体が資金源ではないかといううわさが飛び交っていますが、どういうことなんでしょうか。

→山林をキャッシュで買ったら、その分すぐに取引銀行の口座に同じ額の現金が入るなどと流れてくるうわさもあります。火のないところに煙は立たないということわざもあります。

→上恩方や小津一帯をどうしようとする意図があるのか、集票能力と莫大な資金源を持つ宗教法人が本当に存在するのか、市行造林と知りながら、そこまで買っていくのは一体何なんでしょう。

→村上さんが支部長になってから、波多野市長はその手の会合に参加をするようになったということですが、事実でしょうか。偶然でしょうか。不動産協会とは村上さんを通しての関係でしょうか。

→ことしの2月7日でしたか、ニューグランドホテルだったと思いますが、そこで開かれた賀詞交歓会にも市長は行かれたのでしょうか。

→マル秘の開発計画やプロジェクトを共有し合っているなんていうことは絶対にないでしょうね。真相の立証をしていただきたい。8000億円からのプロジェクトが予定されているなどとちまたではうわさになっていますが、市長の責任でこの買占めを明らかにしていただきたい。市の責任で買占め実態を明らかにしていただきたいということで、質問を終わりにいたします。
 
*答弁は市行造林としての位置づけは確かにあるが、民民の売買の問題として捉えている。周辺の買占め問題につきましても、現実にどうなっているのか、この辺については承知しておりません。やはり、民民の経済活動の中の議論であり、見守るしかないというふうに考えている、という答弁。

*最大の疑惑は、「マル秘プロジェクトを共有し合ってないだろうな?」「買い占めた一帯をどうしようとする意図があるのか?」「市行造林と知りながら(つまり違反を承知で)そこまで執着するワケは何だ?」これが、資金源・崇教真光及び関係者のふるまい・悪しきふるまいに対し、地元や環境保全に務める側が抱く疑惑である。

こういう問題が、信者の間でも知られており、「今度八王子に施設を作るよ」などせめて信者には知らされているなら、一般市民が知らないだけですね、もっと広報してください、という了解も可能だ。しかし資金提供の教団員も知らないとしたら、一般からも信者からも、活動実態に疑念を持たれて当然ではあるまいか。そこが、どういいワケしてもおかしい、と。両方に不誠実。信者を大切にしてない。軽んじている。

週刊新潮には、真光広報部から、明確な返事が来ない。と書かれている。ファックス回答はしている。文は曖昧模糊で「現段階として具体的なコメントを出せる内容がありませんでした」なんでファックスなのだろう。

また大盛の消息通が言うには、というかっこつきの情報ではあるが、「教団では経理担当の女性がこの件を担当している」との事。では彼女がタカダカいち事務員でありながら勝手に100億を越す金を自由に裁量しているということだろうか。同じ信者でも出すばかりで貧乏人になる人とエライ違いだ。

オウム真理教は金さえなければ、ただのオカルト馬鹿野郎集団である。それが、濡れ手に粟をいいことに、莫大な資金を蕩尽し社会のルールを混乱させた。違法行為がなければ「ほっとけ、あんな馬鹿」で一生占いだの、救いだのやってればいいだけだ。もともとそういう気性が信者にあったのだろうと。

しかし国の道路計画、1都4県にまたがる総延長270キロの圏央道といったら、大量の税金を投入する大型公共事業である。プロジェクトに疑惑をもたせる買収行動を宗教団体がやっていた。するとプロジェクト自体、没になっても、それは愚かな真光のせいだ、といわれてもしょうがない。宗教がルール無視の出すぎたまねをするからぽしゃったと必ず話題に昇るだろう。プロジェクトには常に賛否両論がつきもの。国土交通省がひいたレールの線引きの見直しの良い口実にもなる。この道路計画を見守る陣営というのは、たくさんあるわけで、北インター西の買占めの目的は何なのだと、1都4県の税金に影響ある問題だ。私たちも、これを知って「産廃かなあ?それにしては面積が広大すぎる。」

「原子炉?」「軍事関係か?例えば巨大電波塔を備えたような施設、しかし飛躍のしすぎ」「いずれにしても、秘密裏に運ぼうとしたのだから、嫌がられるものに違いない」と憶測の域は出ない。もっとも卑しげな、しかし現実的な路線として、「計画が進捗されれば、国が必ず買い上げてくれる土地で損はしない」といった線。そうすると議員と組めばマッチポンプ。関係者だけ損しない。反対運動の邪魔、地主から教団所有となれば、起こりにくい。又こういうサギが可能とも思えないが、地目山林で買い叩き、国の実行の直前に、「国際会議場を作る」だのと言い張って設計図(作る気は始めからない)のひとつでもボソボソ着工すれば、買い上げの値段も、まっさらの山林買い上げより色がつき、利ざやを稼げる。

ほぼ地上げ屋の手口。親方日の丸で。あくまで想像域を出ないシュミレーション。ともかく薄気味悪いほど意図がわからない例である。それをいいことに、何かまた着々と進めているのではないだろうか。信者さえ、金出さなければと、こういう例では痛感する。もっと教団を信者団体は監視した方が、皮肉な事に、世の中を浄化する。現実にはね。

何にもいいことなんかしなくていいから、教団に回すのではなく、御自分のために、御自分で、<心おきなく>、お金をお使いになった方がいいのではないでしょうか。それが為されにくいというのは、自分がお金使っていい思いをすることを誰かにとがめられる環境にいた?無言の圧力として。家族でも。

病気治しというが、ひょっとして自分が病気になったら、家族から治療費としてお金を使ってもらいにくい状況の人が惹かれるのだろうか。たとえ金があっても、厄介者のごくつぶし扱いが目に見えているなど。しかし、自分のために適正な支出をするのは生命を維持するために当然です。人間は社会的動物だから、なるべく良いものを食べ、身なりもととのえ、それを、ひが目で見る家族は、愛情がないと思いますが。それは愛情のない方の心に責任があるだけです。どうも手かざしへの動機には、こういう面を感じる
のですが。


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1975年11月09日(日)

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オウム-真光コネクション

http://www.rickross.com/reference/aum1.html
オウム真理教の海外レポート文献から検索され、そこに書かれている崇教真光に関する、元オーストラリア真光のトップ幹部、ゲリー・グリーンウッド氏の最も端的な指摘として有名な文献。タイトルは

MAHIKARI AND AUM:IN THE GRIP OF THE BLACK HAND
「真光とオウム:黒い手を握り合って」4/6頁をそのまま抜粋。

Aum-mahikari Connection
A feature in the Sydney Morning Herald on 29 May 1995,gives details of the Aum operatives'movements in Western Australia from late April 93,in their quest to purchase Banjawarn "to conduct experiments for the benefit of mankind." Here,they were assisted in their purchase of Banjawarn,to satisfy governmental prerequisites regarding foreigners owing land in Australian citizen,Yasuko Shimada. Her name appears on the title of ownership together with the Aum's founder Asahara. Who was she? Yasuko Shimada was also instrumental in establishing Mahikari in Australia around 1974. I knew her well at the time since I become involved with Mahikari in 1976 when membership was relatively small. There are around 2,000,000 members globally now with around 2,000 active members in Australia alone.

シドニーモーニングヘラルド紙 5月29日の特集は、1993年4月末からの西オーストラリアに於けるオウムの作戦行動の詳細を伝えた。バンジャワン購入への追及、人類のための実験を行うことへの追及である。ここで、彼らオウムはバンジャワンの土地購入で外国人がオーストラリアで土地を所有することに関して政府の必要条件を満たす為に、日本生まれのオーストラリア市民、やすこ・しまだに援助された。やすこ・しまだの名前は、オウムの創設者麻原の名と一緒に(連署)バンジャワン所有者のタイトルに表れている。彼女はどんな人物か?やすこ・しまだは、1974年近辺、オーストラリアの真光を創立するのにあずかって力があった。私(グリーンウッド氏)はその時彼女をよく知っていた。私が1976年に真光に巻き込まれた時。その時、会員は比較的少なかった。今、全世界で200万そこらの会員が居り、オーストラリアだけでも2000人の活動会員がいる。

http://www.rickross.com/reference/aum1.html
4/6頁続き

Japanese investigative reporter Yoichi Shimazu,notes how Yasuko Shimada is remembered in Tokyo as a short-statured, vivacious middle-aged woman by Aum members who practiced "muryo,"or secret yoga teachings, at the Aum's Setagaya training centre in late summer 1993. Yasuko Shimada was authorised to receive "fast-track" initiation by Asahara over a period of mere two weeks. By contrast,many other recruits trained for years before become monks or nuns. She is remembered as a very enthusiastic distributor of Aum literature, citing her more than 15 years of training as a Mahikari activist. A point to note is that Yasko Shimada was ordained as a nun, after she cosigned the Banjawarn property papers and immediately before the Aum leadership toured Australia. The Sydney Morning Herald reported that she was reputedly an orphan whose wealthy parents died when she was still young,and that she donated a gold ingot worth thausands of dollars to Asahara in order to join Aum. In short,a veteran members of Mahikari was the key person who guided and aided Aum Shinrikyo in establishing their sheep station in Western Australia,the site of the huge mystery
explosion and other experiments. there were also other connections between Aum and Mahikari that are currently under investigation in Australia and Japan.

日本の調査レポーター、よういち・しまずは記録している。いかに、やすこ・しまだが背が小さくて、陽気な中年の女性として、オウムのメンバーに東京でなつかしく思い出されているかを書いている。しまだを思い出すオウムのメンバーとは具体的には、「無量」の修行やシークレットヨガの授業をするメンバーで、オウムの世田谷道場に1993年の夏後半に居た連中である。やすこ・しまだは、麻原によるイニシエイションを僅か2週間かそこらでファストートラックを受ける権限を与えられた。彼女と比較して、たくさんのほかの新会員達は、修行僧になるには数年間練習させられた。やすこ・しまだはオウムの連中に思い出されている。オウム・ビラの大変熱狂的な配り手として。15年以上にわたる真光活動家としてのトレーニングを引用することで。注意すべき点は、やすこ・しまだは女性出家信者として任命されたことだ。彼女が出家者に任命された時期は、バンジャワンのオウムの土地所有証書に麻原と連署した後であり、オウム幹部たちが、93年9月9日オーストラリアに巡遊する直前である。シドニー・モーニングヘラルド紙は次のように報道している。

 彼女は世評によれば孤児である。彼女がまだ若いとき富裕な両親が死んだと。そして彼女は、金塊を、価格にして数千ドル相当の金塊を、麻原に、オウムと結合する為に送ったと。

手短に言えば、真光のベテランメンバーが、オウム真理教を導き助けたキーパーソンである。奇怪なバンジャワンの爆発事件と他の実験の用地である西オーストラリアのオウム羊牧場を建設する為のキーパーソンである。さらにまた、その他のオウムと真光とのあいだのコネクションが、現在オーストラリアと日本で調査中とのこと。

>私の親友が祟教の信者。
大好きな恋人が実は崇教の信者とうちあけた。俺はどうしたらいいのか。ショック。こういう投稿が過去にもたくさん出ていました。勧誘はされてないと思いますが、彼女からネックレスを見せてもらったということですね。彼女が勧誘しないということは、お嬢さんに「こういう事やっているのを親友に知られるのは恥ずかしい。友だちに変に思われるのは嫌だ。」という気持ちがあるのかな?彼女の宗教と、そのネックレスには関心をもたないように。興味を示してはいけない。

あなたご自身は信者でないのだから我が身には関係ナイと強く思う。これが大事。別に彼女を遠ざけるのではない。彼女の宗教に入っては、いけないというよりロクなことがない。運が悪くなるっていうことです。そうでなければ、どうしてこんな頁があるかということです。

別冊宝島461「救いの正体」という雑誌に(あなたは関係ナイのだから買ってまで読む必要もないと思うが)、崇教真光のような団体を「セクト」と言いますがセクト入信の後遺症に詳しい精神科医の斎藤環氏が、記者との対談で、「僕の患者さんにも新興宗教(やたらと「真光」系が多いのはなぜなんでしょう)の信者はいますが、彼らの多くが決まって口にするのは・・・」と精神科医が言うように、精神衛生上、大変危険な団体です。洗脳を使う団体です。催眠誘導と言います。普通。フランスでは、日本の国会にあたる国民会議が、崇教真光を、政府の監視対象にしており、ミレニアム(大聖年)の年、6月25日に、このような人権侵害セクトに対する厳しい取り締まりの法案を可決しました。社会科の勉強みたいになってしまいました。要するにそれくらい警戒すべき団体なのです。彼女ではなくてね。彼女を傷つけずに、自分を勧誘から守るには、親友が崇教真光という新興宗教に入っているということを、一応自分の母親ほか家族に知らせておくべきです。これで自分の身を注意してもらえる。No1228に書きましたが、なぜこの団体が海外で忌み嫌われているかというと、「こどもに洗脳」することなのです。彼女は精神的犠牲者。母親が信者かもしれない。しかし、あなたには関係ないことです。

マルチ&悪徳商法BBSという、悪徳商法の被害頁に苦情件数とともに出ている「崇教真光」の説明が、かなりノーマルでわかりやすいと思う。これがね、普通のおとなの考え方ですよ。世の中には、いいおとなと悪いおとながいる。未成年者を平気でたぶらかすバカなおとなもいる。これを知る良い機会にしてください。
http://www.netbugs.ne.jp/~sos/Maruti/m-mahikari.htm

ここには同時通訳を目指していた人が教団のおとなに「お前の人生の目標は同時通訳じゃない!お前はそんなものになる必要はない!」と神の名のもとに言われ、結局学業が中途半端でおわり、なりたいものになる勉強も出来ず、おまけにその業界の人から「きちんと通訳の訓練を受けていれば、あなたならなれたはず」文字通り「あとの祭り」的悲惨な実話が出ている。私見ですが、私がセクトの思春期に与える影響で、観察して一番こわいと思うのは、心の底からの「恋愛感情」が奪われる点である。あまりにも変な世界観をもたされ、それがつい出てしまう為、恋愛が成就しにくくなる。結局同じ宗教の人としか結ばれない運びとなるケースが多いようだ。その他、勉学意欲の減退ーこれは、心の中心が現実世界に向かなくなってしまうので怠惰(なまけもの)になる。神やインスピレーション、運・不運を非常に気にする人格になる。性欲の減退ー女子はわかりませんが

男子は、不自然なくらい御清潔になってしまい、不自然すぎてあわれである。どれも心の根底をいじられ、カリスマ的支配の奴隷となるため、必然的に生じる傾向だと思う。(本人だけ満足)勧誘だけは気をつけてほしい。

>わけのわからない道場長の話にうなずきまくるおばさんにあきれたり。

こういう衝撃の方がある意味では大きい。それで自問すべきは、きちがいをきちがいと言っちゃ失礼なんでしょうか?でも相手が狂暴だったり理不尽を正常な感覚の者に強いたりする場合は?度を越えた集団によるおおいなる人権侵害というのは、あるな。存在すると。しかも、そこにうそといつわりがあったとしたら。ある意味での精神病者が正常者を指導できるのだろうか?これが疑問だ。

このように人生がこれからのひとたちに、先住のおばさんやおじさんたちが被害を及ぼし続けるなら、こういうおばさんたちの病気など、なにひとつ、一生涯、治らないほうがよかろうかと存じます。頭をおかしくするくらいなら、ずっと病気のままでいなさいと。いつまでもぐちぐちと身辺のことで悩み続けていたほうが、よろしゅうございますね。そういう心のコントロールは、手かざしではなく、自分の反省プラス相手の反省。普通、人間どうしの歩み寄りと妥協で治すのが社会人でしょう?こういう中年たちは、ある意味、背骨の勢いを抜かれているんですよ。生き方において背骨のじゅ立が出来てないという言い回しがありますが、それだと思います。今後はリストラされた男性などがターゲットじゃないですか?


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1975年11月08日(土)

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教祖の死と現実


さて、昭和59年11月17日の宗教法学会における大野正男弁護士(のちの最高裁判事、家永教科書裁判で高名)による当該事件の研究発表が宗教法学会第5号(1986、11)に所収されているので、興味深いところを紹介します。そのまま抜粋がわかりやすいので。

「昭和49年6月23日に、岡田良一という初代の教え主、つまり宗教法人の代表役員が脳溢血で死亡いたします。」
→死因・脳溢血。

「熱海でその本山を建てる計画をしていたのですが、なかなか建築の許可がおりないので初代は困っていた事情があります。」
→何故、許可してもらえなかったのか、行政に。

写真1.として関口さんが受け取った御霊。
「関口さんが受け取った御霊は、どんな物であったかというのが1の写真です。これは実は、アメリカの1866年の、金貨を首飾りにしているようにみえます。しかし実は、金貨そのものではないので、中が開くのです。これはスイス製の高級時計なのです。スイス製の時計の中に、先代の書いたその「聖」という字がはいっている。それがご神体なのです。このことは後に訴訟になってから発見されたことです。」
→詳しくは後に。

「世界真光文明教団代表役員地位確認請求事件ー教義に関する事項を含む紛争について裁判所の審査権はどこまで及ぶかー」
宗教法学会第5号(1986年11月)

これは真光の関口氏と甲子氏との後継者をめぐる争いを担当した大野正男弁護士が宗教法学会で発表された論文です。一読して誰でも思うであろうことは、裁判所のほうが、一般信者が知らないことを、正確に把握している。というのは、この論文のサブタイトルにあるように、これが、教義に関する事項を含む紛争だったからです。具体的には神示と教祖用御霊について写真や解説がわかりやすく、裁判にこういう物証が教団から持ち込まれた場合、司法はどう判断し、何に介入すべきではないのかを述べられた論文です。

矛盾を感じますのは、およそ信者の誰もが教祖用御霊など見せてもらえないと思いますが、というのは、ここの投稿でも自分がもらった御霊を開けてはいけないというようなことが出ていましたので。しかし教団は、裁判所につまり一般人の目には、教祖用の御霊や光玉自筆の神示も見せている。あからさまに言えば、どちらが教団の巨額の財産と信者たちを相続できるかが、かかっているから。

例えば法学部に通っている学生なら、このような本を通して「これが教祖用おみたまというのか、なんだ時計?」と真光隊の青年が知らないことも知っている。そこでおみたま開けるとばちあたりという指導は何なのか?教祖おみたまをバンバン写真撮影させた教団は大ばちあたりになってしまいませんか?裁判所が中を開けたら「聖」という文字が書かれていたという。

さて、前にアップした教祖用御霊写真の続きですが、次のように解説されています。

「そしたら初代は、「私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ」こう言われました。そして自分が肌身にかけている御霊、それをはずして自分(甲子氏)にかけて
下さいました。「これは二代用の御霊である」そういわれた。もう一つ、ついでに私に渡して「これは父の御霊である」といわれた。つまり二つの御霊を渡して下さった。早く関口さんにお渡ししたい。」

こういう風に甲子さんは皆(幹部約50人)にその席上(通夜)で述べたというのであります。翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを
授与されるのであります。どんなものであったかというのが1の写真です。


ネット上なので今、整理すると
初代が肌身にかけていた御霊=スイス製高級時計、聖字入り=二代用御霊=関口氏
父の御霊=甲子氏にもう一つ、ついでに渡す
御霊は二つあった。


<登記について>
「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。7月1日に責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。甲子氏を含む5名の者が、責任役員会を開いて、教団の規則に基づいて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった」

*このように宗教法学会報に書かれている。ずるいなという感じがする。よく遺産相続でも、遠くに離れている、あるいはそりの合わない兄弟をつんぼさじきにして、相続を勝手に決めてしまうさもしい例を聞くが、規則とはいえ、5人で勝手に登記とは、これとおなじ事ではないだろうか?


初代の正式の葬儀が日本武道館に集まって葬儀を営むのでありますが、その時に二代の発表がありまして、初代は二代を関口さんにお願いしなさい、こういうことを言われましたという発表が行われました。このような中で二代の発表があったので、その後、色々な儀式は関口氏が二代として行っていたのであります。

ところが、一部の人々はその後甲子氏を何とかしなければいけないのではないか、色々な提案がなされますが、8月2日になって関口氏は、甲子氏から初代の本宅である熱海に呼ばれるのであります。そこで関口氏と甲子氏と二人だけで会います。甲子氏が関口氏に対して、こういう御神示がありましたよ、といって本人に見せたものがあります。それが写真3です。「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」と書いてあります。

甲子氏は自分が後継者の指名を受けていたという趣旨のことを、非常にあいまいな形ではありますが、関口氏に言いました。この時から紛争が表面化するのでありますが、一体この紙は何を意味しているのでしょうか。

*この弁護士さんの解説文は、教団が言っている内容より、ずっとわかり易いのではないでしょうか?暴かれた真光や海外サイトでも英文で、この重要な裁判の解説がありますが、宗教法学会の解説は、どんな信者にもわかりやすいと思われます。

*結局、表面上は関口さんを二代とたてながら、裏でとっくに登記は甲子と済ませていた。速攻。やったもの勝ちを良く知っているのか。駄目押しとして、熱海に呼びつけて、神示をちらつかせた。そして紛争表面化。ないしょごとの手口には、関口さんならずとも怒るのではないでしょうか。ぬかよろこびさせて、後で落とす。最初病気直しでぬかよろこびさせ、後でがっぽり頂きますに、どこか似ている印象さえも。

<裁判官のほうが信者より知っていた>

「一体この紙は何を意味しているのでしょう。「ヨ」というのは、教義に入って恐縮でございますけれども、現世を支配している霊魂をさすようであります。この教団の教義によりますと、アイウエオ、カキクケコと支配する霊魂が変わってまいりまして、今「ヨ」の世界で、その次はラの世界になるのだそうでありますが、しかし、この文章に続く筈の上も下もかくされていてわかりません。」

*なんと暴かれた真光にある、あの真の道ですか?ヨだとかラだとか。

*この解説文は、1986年のものです。甲子側の幹部が裁判所にアイウエオ・カキクケコ、ヨやラを説明したのでしょう。そうすると、ここは大事だと思いますが、説明した幹部そのものも、真の道の教えを知っていた、詳しかったということを、証明しませんか?幹部はそんなことわかっていて、信者は無知だから知らないだろうと何でも光玉先生は特別で、と真の道などかくしていたのだろうか?おばさんなんか、教養なくてだましやすいと思っていたのかもしれない。おんなこどもにゃ、こんなものでいいだろうと。
 
熱海に呼びつけられ、神示を見せられ、あなたはおよびでない私が後継者と、あいまいな表現で暗にほのめかす甲子側に対して、関口氏は抑えていた怒り爆発。ここから紛争表面化となる。よほど腹にすえかねたのか、関口氏も事業家で金もある。そこで、中外日報という宗教をおもに扱っている新聞に、意見を出していく。人名がガンガン挙がっているので、よほど腹に据えかねた憤慨が伝わってくるが、実名や金額を具体的にあげて批判しているので、関口側の一方的言い分とばかりいえないと思える。信者のように金を払っていたら、、かなりこれは腹が立つだろうと思える箇所もある。例えば、

「昭和54年5月17日、関口教え主は、岡田恵珠、友森清晴、有間富子の三人を相手どり、彼等が隠蔽した教団財産の一部である7億6千316万余円の業務上横領を東京地方検察庁に告訴した。告訴状によると、昭和49年7月5日、恵珠氏が代表役員に就任した旨の虚偽の登記を了し、代表役員であることを僭称し、「管長」と自称する友森氏と「経理部長」と自称する有間氏等三人は共謀のうえ、世界真光文明教団の財産を費消し、あるいは教団に損害を与える目的で、教団所有のお金を不法領得して、業務上横領したとしている。」

*「管長」と呼ばれる友森氏は、旧姓を馬場といい、初代と同期だが、初代より格段に出世した軍人である。「管長」という位は真光にあるのか。そこで関口氏は自称「管長」と非難しているのだろう。ともかくやり手なことは宗教以前の職歴と階級が証明している。

*検察庁に告訴というのは、一種の内部告発とみていいのだろう。

*図表もついていて、犯罪事実(2)として友森清晴へ5000万円送金、友森清晴へ3000万円送金、友森清晴へ7000万円送金と52年3月1日から17日の間にこのように教団の大金が個人に入金される日時が図示されている。これも一部分であり、全体はもっとすごい。また「教団の三井銀行自由が丘支店の普通預金から、恵珠氏等がほしいままに左の日時に4回にわたって払い戻して、同時にこれを十六銀行益田支店(岐阜県益田郡萩原町)の友森清晴名義の普通預金口座へ送金して、横領したものである。」

*最大の疑問は、なぜ、移した先が、ひなびた田舎の地銀なのか?

*なぜ、岐阜県益田郡萩原町の支店なのか?おかしい。

*益田郡萩原町は、岐阜県でも、高山というより下呂温泉に近いロケーション。なぜ馬場清晴は、ここに金をプールしたのか?恵珠の実の血筋の親族などが、益田郡に移り住んでいたとか、そういった類の秘密でもあって、唐突に益田郡萩原町とでもなるのか?恵珠の戸籍謄本、養女になる前の戸籍が明らかにされない限り、ひなびた田舎の銀行になぜ?の疑問は消えない。なお、友森氏は戦後持ち株整理委員会に、公職追放であろうから、まさかと思う が、人脈などあったのだろうか。

「これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座に送金されている。」

*これらのお金とは、犯罪事実(2)(3)として図示されるうちの明白なものに限ってということで、全体を示さないとわかりにくいがとりあえず。

*「組み手」ですらもない女が、組み手の女性達の差し出した金を自分の個人名義に入れていた。ということを関口氏は、当時、中外日報で告発していた。しかしこれは熱心な女性信者などにとっては大変悔しい記事ではないだろうか。

*関口氏は本当の被害者は組み手だと言っている。

*その他、印鑑の話なども。


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1975年11月07日(金)

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教祖用御み霊
 
「御霊を開けると死んでしまう?」すると、そういう所謂、「祟り」が怖くて、殆どの信者さんは、言うことを聞いてきたのですね。わたしは最初、祟り教真光と教団名を読んでしまったのですが、いろんな材料が出てくる昨今、この方があたっているのではないかと苦笑。あれやると祟る、これやると祟る、会館に来ないと祟る。こういうのをタブー、禁忌といいますが、それで人の行動をタイトに縛ることは可能ですね。

わたしは真光の神が祟るというなら、そういう威圧方法も、信者を制していく手法にあるだろうと思いますが、ここが大変ずるいとおもうのは、それを「あなたの先祖が」と今行動をタブーによって規制されんとする相手信者の死んだ身内のせいにかえしていくことです。真光に関する英文を、英語の達者な友人が訳を助けてくれましたが、友人は英文しか知らないからスッキョウと今も発音しています。

私が教団の預金通帳Noまで書いてある資料を出すのも、これが俗人は知っていて、信者さんが知らないというばかりではなく、「おみたま」それも「教祖用おみたま」の写真が、このような裁判の資料にでかでかと出ていたからです。

それなのに一方では、個々の弱い人たちに対し、「開けると死んじゃうよ」と言う。「教祖用おみたま」でさえ、司法関係者が手で開いて「ああ、中に字が書いてありますね。」など確認している。信者に言っているとおりだったら、もうその時点で、「教祖用おみたま」を裁判所に見せた岡田甲子以下幹部全員、その後死ぬほどの、ばちあたり続けの「苦難の道」があってもいいのに金はもうかった。

「おみたま」裁判所には中味まで見せ、信者には「開けると死ぬ」 それで不幸が起こったか、起こらないかという、いかにもこまされた思考回路ではなく、この相手によって態度を変える落差に注目するとはじめて、霊が霊がという心配から、憑き物がおちるように、離れるのではないかとおもうのであります。人をばかにするのも、いいかげんにしろと。日本民族の精神性の質が落ちると。

「教祖様用おみたま」は信者の方々にとって御神体なのですから、正しく知りたいところだと思われます。私が詳しいのではなく、中外日報という当時の宗教新聞に詳しく出ていたというだけです。宗教関係者なら皆、目を通している。いってみれば業界紙です。しかし宗教ですから、他の記事もまじめです。

先にご紹介した宗教法学会の、これは法曹関係者の雑誌ですが、そこでは、おみたまについて、報告者の大野正男弁護士は、「二代用の御霊」と「父の御霊」の種別を挙げておられます。誰から誰の手にわたり、それはどういう指示だったか。後継者はどっち?の争点となるしるしですから。ところが、中外日報で関口氏側が出した資料は、もっと込み入っております。

中外日報・昭和57年9月3日掲載の、「7月17日、18日の両日、発表に出席していた本部局部課長、方面指導部長に、文書によって確認し、署名、捺印を求めたもの。資料1」という文書写真が出ています。そこにこう書いてある。

「6月13日朝、父(初代教え主)にご神前に呼ばれ(中略)叱られたとおっしゃった。そして、父がかけておられた『父の御み霊(ペンダント型)』を私(恵珠)にかけて下さった。私が、もしお父様がご昇天されたら後はどうしたらよいでしょうかとお伺いすると、『二代は関口さんにお願いしなさい』といわれ『二代様用の御み霊』をお預かりしました。父は続けて、『この御み霊は、二代、三代と続くものである』とおっしゃいました。いつまでもお預かりしていると怖いので早くお渡ししたいのです。皆さん、私の言っていることをわかってください。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話いたしました。父は三つの御み霊をかけておられました。一つは、ラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父の御み霊です。そして父は、パリに行かれる前に、二代様用の御み霊を、私におかけになって『もし何かあったら二代目を嗣ぐように』と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、『預けておいた御み霊を返しなさい』と言われて、二代様用の御み霊をお返し致しました。私がおかけしている御み霊は、父の御み霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話致しました。以上右のとおり相違ないことを認めます。」

に続き課長・部長の署名・捺印がある。これが写真で出ている。ここから確認できることは、光玉はおみたまを3つ首にかけていた。2つについては裁判資料でもおなじみだが、ラーム氏から頂いていた分というものが、外人の名前であるので奇異だ。しかし甲子氏によればそれも大事なおみたまであるらしい。ラーム氏とは、では、外人の霊能力者なのですか?そこらへんは、信者の方のほうが詳しいでしょう。

教祖用おみたまのことでもありますし、突然ラーム氏っていうのが奇異だったので長い紹介をしました。その後の解説によれば、こんなしおらしい感じでは勿論終わらなかった。次に実際の御み霊わたしのトラブルが書かれている。

宗教法学会第5号(1986,11)には「御霊」に「おみたま」とルビがふられており、教団にとって格別の意味をこめられたものと解釈しています。法学会第5号に拠れば、甲子氏証言として、

「先代が亡くなる10日前の6月13日の朝に私は先代に呼ばれた。(中略)そこで私は、初代が怯えておられるのでこわくなって、『お父様にもしものことがあったら、どうすればよろしゅうございますか』と尋ねました。そうしたら初代は、『私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ』こう言われました。(中略)このように私は二代用の御霊をお預かりしています。おそろしいことでございますので、早く関口さんにお渡ししたい。」

「こういう風に甲子さんは皆にその席上(昭和49年6月23日初代、脳溢血で死亡後2日目の通夜の席。幹部50人くらいを集めた席上。)で述べたというのであります。幹部50人がそれを直接聞いておりましたので、だいたい正確にその話の内容を復元できます。そしてその翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを授与されるのであります。」

*裁判所は幹部50人という証人もいることから、甲子氏は確かに通夜に幹部を集めて「二代は関口さんと初代が言った」と確認したと、それで「だいたい正確にその話の内容を復元できます」という報告になる。この詳細を補う意味で「中外日報」記事をあわせて読むと、もっとはっきりする。

「中外日報・昭和57年9月3日号」に拠れば、「恵珠氏は二代用の御み霊を預かっているので怖いから一刻も早くお渡ししたいとして、その場で渡そうとしたが、その時、夜の11時を過ぎていることもあり、関口教え主が「もう遅いですから、明日、神殿で初代様のお柩の前でお受けしたい」と提案し、出席者全員の賛同を得て、翌26日に行われることになった。」

*通夜の重大発表は6月25日。特筆すべきは、甲子氏は大変怖がっていたということで、権威ある宗教者という感じはしない。非常事態におろおろする普通の女性に見える。

記事は続ける。
「26日早朝、上級幹部らは2階神前広間に集まっていた。ところが幹部を一旦2階から退出させ、恵珠氏の側近である有間たまえ経理部長と富田(萬美)秘書課長の二人のみが立ち会い、御み霊渡しが行われ、当日出席した幹部等は重大な立ち会いの席からはずされてしまった。」

「全幹部への二代発表が、急遽中止となり、変則的な形で『御み霊渡し』が行われたことについて、疑問を感じた幹部等は、中止になった原因を追求、その結果友森清晴警衛警備部長の指示によるものと判明する。その後の推移を見ると、この友森部長の”不可解な指示”が、後の謀反計画を想起させる。」

*甲子氏本人も6月25日までは「怖いから早く渡したい」との態度であったのが明くる26日に一変。幹部連をオミットし、富田萬美秘書課長・有間たまえ経理部長という側近だけを立会い人に限定し、関口氏にこっそり御霊を渡す段取りにしてしまった。関口氏への御霊は、この変更によって、あたかも私生児のような取り扱いをその後、甲子氏側にいちゃもんをつけられて辿る運命になる。しかし裁判所の確認によって関口氏にこれを渡すことは、「初代の意志」であったことは客観的に確かめられている。そして中外日報の記事では、関口氏側はこれを、友森清晴部長の陰謀と見ている。つまり甲子の黒幕。
 
この裁判が興味深い点は、病気を治す力があるといわれる霊能力者「初代の遺言・意志」などそれこそタタリなど恐れず、ねじ曲げてしまう、友森清晴部長という屈強なる精神の男によって、霊を恐れる岡田甲子がコントロールされてしまいには神示なる初代の直筆を法廷に持ち出して神示の勝手な解釈を財産争いの証拠にする点である。ここにこの裁判の醍醐味というか、霊とは何か、マインドコントロールによる恐れとは何かを考えさせられる材料がある。

教祖の霊能力など屁でもない男の画策によって、崇教真光は生まれた。そうであるのに、そこでは病気が治るといわれ、大勢の貧しい女達が集まり「こんなに病気が治りました」と言い合い、大金持ちの教団にのしあがった。

*なお中外日報記事に出てくる「富田萬美秘書課長」とは、海外の幹部信者が「岡田は救世教にいなかったか?」と問い合わせに対し「それはウソ話です」と答え、それが外国信者のサイトに富田のサイン入りで掲示されていた富田秘書課長と同一人物ではなかろうか。

*この人男ですか、女ですか?また側近有間たまえというのは、おそらく女性と思われますが、甲子氏も含めてこういういいなりになりやすい女たちが、友森氏のような黒幕男性の命令をよく聞いて、いかにも神がかり的ファッション で通してきたようですね。すばらしい作戦だと思います。人心工作のひとつではないでしょうか。満蒙政策で培った手法が生きているのか。教祖などより、友森氏のニヒルな感性と力量に興味がわいてくるものです。
 
「御霊渡しの怪」について中外日報・昭和57年9月3日は続けて次のように伝える。

「証言によると、友森部長は、初代教え主の亡くなった翌日、(24日)恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である。」


「24日に続いて、25日の遺言発表の直後も、友森部長と恵珠氏は、深夜の2時頃まで会談している。25日夜、自ら”二代は関口さん”という初代教え主の遺言を発表し、二代用の御み霊を持っていることに恐怖さえ感じ、早く関口氏に渡そうとした恵珠氏が、翌日の「御み霊渡し」、7月5日の虚偽登記へと大きく変節した理由を考えると、そこに友森部長の”意見”が大きく影響しているものと見られる。」

*関口氏側は、間違いなく甲子側の最大の敵を、友森清晴警衛警備部長と見ている。フィクサーと呼ばれる男とはどういう人間なのか。世界真光文明教団で警衛警備部長という地味なポジションについていたこの人物は、かつて国の作戦の中枢、陸軍省軍務局ー軍政の中心的部署と並ぶ陸軍省兵務局ー昭和11年軍務局から独立新設、の兵務局兵備課長をつとめた人物である。兵務局兵務課高級課員であり、そのポストの前任は、柳田元三・小松光彦・山崎正男・菅井武麿(武略字にて失礼)ときて友森清晴に至る。国を動かす中枢にいた男であり、兵務局長は阿南惟幾から始まり、友森の当時の上司は、田中隆吉の後をうけた那須義雄となる。

以上は動かしようのない事実であるが、ここから私の想像であるのでお間違いのなきよう。

このような経歴の男が、一介の民間人、関口氏の部下として警衛警備部長として使われることを自分に許せるだろうか?もし嫌なら無一文で出ていかねばならない。岡田だったら平気だった。それは同じ陸士34期の同期の男だから。岡田、通称光玉、本名良一が遺言として「二代は関口さんに」と伝えられた時、友森氏はどう受け止めたのか。「岡田、戦友を裏切る気か、俺達より関口を信用してたのか。俺達のことは考えもしなかったのか」と敗戦で軍歴のすべてを失い、巣鴨にまで入り、出てきたときは浦島太郎。ありついた教団という摩訶不思議な世界に身をおく他は行くところもなし。この安定した世の中で、もう一度放り出されるか、恥辱をうけるのか、もう御免だねと、だったらひと勝負と、通夜の席から岡田の遺言などクソクラエと反撃に出たのか。まったくの想像の域ですので誤解のないよう。友森氏は兵備課長であったが、合い並ぶ同時期の軍務局軍務課長は真田穣一郎であった。後の作戦部長真田少将である。ガ島将兵の撤収を主張し、インパール作戦の杜撰を指摘、反対した。真田元軍務課長は戦後一介の農民となってしまった。少将までいった人である。戦争については語らず、亡き部下の霊を慰める祈りの日々を静かに過ごしていたという。真光が説く皇国史観まがいはニセモノである。皇国愚弄史観である。こんなことを岡田は頭の中で考え続けていたのか?なぜ天皇とユダヤをエタに関連づける教義を上級メンバーの研修会で外人に説くのか。なぜだ?
http://ozemail.com.au~skyaxe/origins.htm
「ムー アンド エンペラー オヴ ジャパン」なんなのだ。この教説は。元帝国軍人の幹部が友森氏他大勢いるのに、なぜこのような教義を平気で説けるのか。そこに戦後失意のどん底に落ちた元将校たちの非常に屈折した思いを見るべきなのか否か。教団真光は、日本人の精神史を、中空になった戦後の「負」の部分を論考するうえで非常に興味深い題材である。戦後の激変に紛れ、日本人がみたくない日本人の姿をこの教団のすべての問題が語っているように感じる。

そのなれのはてが、「暴かれた真光」で既に知られる如く神経ガス殺人集団、オウム真理教とのリンクである。

防衛研究所図書館にある軍名簿には勿論、友森清晴の名はきちんと記載されている。防衛研究所資料に拠り、フィクサー友森のオフィシャルな経歴で、世界真光文明教団裁判の資料を補強する材料が1つある。それは教団の預金名義変更に関するものだ。

中外日報・S57・9・8
「犯罪事実(二)(三)については、教団の銀行預金を多額払い戻し、あるいは預金名義を変更するなどし、あわせて会計帳簿、重要文書類を隠匿したうえで、これら払い戻し金を費消したり隠匿し、あるいは第三者へ送金する等して領得されたものの中から明白なものに限って(二)の三井銀行の二億六千万円(三)の東京都民銀行の二億百六十八万三千六百五十八円について告訴(東京地方検察庁に)しており、これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴名義の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座へ送金されている。」

この記事、わざわざ「実の娘」という言い方がひっかかるので注目していたが、軍名簿には、戦没者・行方不明者家族あるいは遺族会との連絡の為と思うが、妻子の名前もきちんと書く欄がある。29年版では、友森清晴氏の妻は○○枝さんといい、友森氏は東京拘置所内と記入されている。

ところが36年版では、妻の名が変わっていた。つまり一番目の妻が○○枝さんといい、二番目の妻はまた別名。中外日報で「実の娘」とタダシ書きするのは、二番目の妻で知られる友森幹部の家族関係だと、この女性の素姓がわからないからだろう。当初16億の口座Noを預かっていた高橋美枝子とは、枝、エダという字が名前に入っていることから、推測として、一番目の妻○○枝さんの娘さんという可能性が強い。中外日報記事の少々不自然な言い回しが、防衛庁図書館のほうの資料で補われることになる。

昭和36年といえば、世の中がかなり落ち着いて豊かになった頃である。しかし友森氏は東大のそばの電源開発というところの寮に単身住まいであったようだ。自分だけ世の中の豊かさから置いていかれたような気持ちではなかったか。敗色濃いといえども、陸軍省内を闊歩していた過去。そこに再び岡田の死で、また路頭に迷うか関口の下でプライドを捨てるか。冗談じゃない、どっちもいやだ。ではなかったか?心情的には。友森氏はもっとドライでゲスっだったかもしれない。それだったらよほど真光にちょうどいいので構わないが。


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1975年11月06日(木)

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田園調布・梅林旅館の会合

中外日報という宗教に関心のある人なら誰でも知っている新聞に昭和57年というから1982年、二十年も昔に出ていたことが、なぜ知らされてなかったのか。過去の経緯を承知のうえで奉仕活動を団員はしていたのか・・・。

つまりどう見ても「崇教真光」の立教は、関口氏との裁判に負けて、そこにいられなくなったから岡田甲子は別教団を建てざるを得なかった。裁判さえなければ「崇教真光」なる宗教法人をつくる必要はありえなかった。神様が言ったからと、まさか教わっているわけではないと思いますが念の為。お告げじゃなくて裁判です。それは二十年も前にはっきり世間にこうして
公表されている。

宗教法学会第5号では、この経緯を次のように報告している。

「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。この御霊を受けてから一週間も経たない、7月1日に、責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。甲子氏を含む5名の者が、教団の規則に基いて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった。」

昭和57年9月3日中外日報では、そこが具体的に書かれている。

「ところが7月5日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦(裁判所資料では昌彦)経理局長、岡本洋明調査部長の4人は、『初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された』という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。」

*「遺言の如きもの」と恵珠氏側は言っているが、霊をかりにも扱っている団体であるのに「死人に口なし」とばかり教祖がのこした言葉を前言をひるがえして教祖が言ったのと違う意味にしてしまうとは、随分大胆なことよと思いました。しかもただの死人ではなく、霊能力あらたかと言われた教祖の遺言を、「どうせ化けて出てきやしないから」といわんばかりにねじまげるのは、無神論者でも、さすがにやらないことではないか。これはよほど、たとえ教祖だろうと死者など祟らないと確信してたのかもしれない。それならば、先祖の祟るを恐れ、そこで踊らされている信者とは何だろう。

中外日報は続けて次のように。

「関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、7月13日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)を迎える。その席上松平定堯事務局長から次のように発表されている。『恵珠様のおことばを謹んでお伝え申しあげます。救い主様(初代教え主)より二代教え主は関口さんにお願いしなさいといわれました。おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします』(当日の録音テープから転記)」

*宗教法学会の報告は、虚偽登記とはいわず、単に登記という言葉で説明。

中外日報続き。

「13日の公式発表、14日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。」

「17日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に5日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。」

「議事録(議事録記責任者、松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、」

*老獪である。「一切を引き継ぐ」なかにおよそ20億円の教団資産と信者名簿が入っている。企業でよく「人は財産です」などという人材の意味と教団の信者を財産とみる視点は違うと思える。いつまでもお金を与え続ける人たち。寄付せずとも大切にされるのかどうか。

「25日、金子明弘訓練教学部長補佐と工藤高裕同課長は、虚偽登記の事実経過を確認するため、田園調布の梅林旅館で、友森部長と会見し、真意を糺した。友森部長は、虚偽登記したことについて『僕も疑義があった。規則に抵触しはしないかと。実際のところ山本局長より、教え主というのは内部的なことで、代表役員は法律的なことである。本質的に違うという説明を受けて納得した。関口さんは二代教え主に間違いない、こっち(恵珠氏)を僕は教え主とは思わない。代表役員を関口さんに正さなければいかんと思っている』(同会談の録音テープの要約)と説明している。同説明を聞くと、(中略)主張しているのは山本局長で、友森氏は引きずられた形になっている。しかし、彼の法廷証言によると、友森部長こそ隠れた
”演出者”と見られる節がある。」

「証言によると、友森部長は、初代教え主の亡くなった翌日、恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である」

と先に紹介した部分に記事は続いていく。

*次に天野正勝顧問という人物が登場。この顧問は教団預金の名義変更図に登場する人物でもある。関口氏はその後恵珠氏本人と直接話そうと面会を申し入れたが拒絶。
ようやく29日面会実現。その様子は次の記事。

「席上、恵珠氏は終始無言で通し、ただ関口教え主の言葉をノートにメモするだけだった。同席した天野正勝顧問が受け答えし、関口教え主の問いに対しては、文書で回答(資料3)することを約した。」

*異様な会見の光景である。攻守必死の構え。

*異様な事態は続く。

「関口教え主は、8月末にはとうとう公式行事に出席できない状態に追い込まれ、9月度の月次祭では、斎主代行を事務長に命ずるという異常事態になった。」

「ことここに至ってやむなく関口教え主は、9月18日、裁判所への問題提起の意志を固め、関口教え主の代表役員地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分申請を行なった。(文中の役職名は当時のもの)」

*初代の遺言の通りにしないほうが、勢いがあったようである。

*病床にあった初代の指名をうけた関口氏への追い出しに拍車がかかったところで提訴されたという状況だろう。

「宗教関係判例集成」に出ている「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」を見ますと、東京地裁、昭和50年7月24日民事八部判決文にて、マインドコントロールにかかった人は、どのような行動を集団的にしがちなのかちょっと考えさせられる箇所があります。

「保全の必要性の有無」

「弁論の全趣旨により成立の認められる乙八号証の一・二、第一〇号証の一ないし二五、第一二号証の(中略)各証言、債務者岡田本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を一応認めることができる。すなわち、前記認定の幹部通夜の際の債務者岡田の発言および「おみ霊送り」の際の松平事務局長の発表にもかかわらず、債務者岡田を債務者教団の二代教え主(代表役員)として支持するものは、幹部および信者ともに極めて多数に達しており、債務者岡田は、昭和四九年一〇月二七日に開催された債務者教団の第一五回記念大祭において、債務者岡田が二代教え主に就任した旨の発表をした。そして、自分が債務者教団の二代教え主に指名され、したがってその代表役員であると信ずる債権者の心情としては、このような状態が許せないものと考えるのは当然である。」

*債権者とは関口氏。つまり、松平事務長が「おみ霊送り」という初代光玉の葬儀の大会場で組み手に「初代は関口さんと遺言しました」とマイクで伝えたにもかかわらず岡田甲子氏を支持する幹部、信者は極めて多数に達し、ついに甲子氏が「私が二代でございます」と秋季大祭で公言しても「初代の遺言は違いましたよ。おみ霊送りの遺言発表で聞いたことと違う」と組み手達は言わなかった。すると信者たちは上の言うことを、何でもいいなりに従った結果、何と教祖様の遺言でさえ、踏みにじり、甲子さんのほうが霊能力ありそうだから。病気治しに効きそうだからと、光玉の最期の望みも平気でつぶしてしまったのだろうか?判決文が「おみ霊送りの際の松平事務長の発表にもかかわらず」としたところが、普通の集団では考えられないところなのかもしれない。これには「情報操作」という経過もあるかもしれないが、ともかく、「おみ霊送り」で皆耳に記憶しているのだから。「病気さえ治ればいい」という信者の執念が、このような集団心裡を生み出し、結果、光玉の遺言なんてどうでもいいという方向に流れたのか?大変、皮肉な感じがします。

中外日報には、この時期の教団預金口座、そのめまぐるしい名義変更もレポートされており、原因は莫大な資金の争奪戦であることは暗黙のうちに誰でも読み取れることである。しかし裁判は代表役員の地位保全であり、誰が正当にそれを管理すべきかという問題である。

中外日報・昭和57・9・6に拠れば、「9月26日、仮処分裁判第一回審訊が行われた後、恵珠氏等は、裁判に有利な証拠づくりを画策し、10月2日、臨時幹部会を開く。その席上で、6月25日に恵珠氏自らが発表した「二代は関口さん」との初代教え主の遺言を否定し「二代は恵珠様」とする内容の確認書を作成する。」

「つくりかえられた確認書によると、6月25日に恵珠氏が発表した初代教え主の遺言は次のようになっている。6月13日の朝、父(初代様)にご神前に呼ばれまして(中略)二代のお代理用の御み霊をお預かり致しました。(中略)」

*関口氏に渡したのは、お代理用と言い直している。

*しかし初代の遺言は、記事に拠れば、

「6月25日の遺言については、7月17日、18日の両日、出席者全員が署名捺印した確認書(資料1)を提出(裁判所に)している。その一月半後に、その確認書を否定する第二の確認書をつくったわけである。」

*先の遺言を否定する第二の確認書をみんなでつくってしまったという事。

「その上、恵珠氏にくみした幹部等は、最初の確認書に対しては、次のように説明書をつくり、裁判所に提出した。『先般二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。(中略)改めて今回の署名捺印に及びました』無論、こうした真実を被い隠した言いわけ文を、裁判官が納得する筈もなく、真実は後の判決で明らかにされるわけだが、(中略)彼等は7月17,18日の両日、真実の確認書に署名捺印しているが数名を除いてあとは全て実印である。いやしくも教団幹部として組み手を指導すべき立場にある者が『内容も見ない中に早く早くと急がされて』大事な実印を押すものだろうか。」

「二通の確認書を見ると、一部語句の変更ではなく、『二代は関口さん』とあるのを、『二代は恵珠氏』と書き改めるもの。その無定見、無節操ぶりには驚くばかりである。彼らさえしっかりしていたら一部幹部がいくら画策しても、教団全体が翻弄されることなく、世界真光文明教団の”天一坊事件”も存在しなかったであろう。」

*これは俗にいう「遺産相続をめぐる遺言捏造」ということではないだろうか?

*注目すべきは、関口氏サイドが、甲子氏を、”天一坊”と呼んでいる点。つまり甲子氏は関口氏ら、古参の幹部にとって、降って湧いて出た目新しい女性だったのか?いつから初代の身辺、幹部連の前に娘ですと姿を現しはじめたのだろうか?既出の週刊誌などでも、元真光隊員だとか、元看護婦だとか、また「暴かれた真光」では元救世教で知り合った女性とか、
冷静にみていくとひとつとして確実なものはない。情報源はいずれも詳しい宗教学者、詳しい救世教幹部というふれこみであり、再検討すべきだと思われる。その中にあって教祖から二代にと指名された信頼あつかったと思われる関口氏でさえ、???の天一坊というからには、当時でもかなり秘密の部分があったように推測。いつからお父さまと呼んでいたのか。娘時代の写真が1枚もないなど、かなり不自然だ。

「こうして10月2日を機に大方の幹部が、教え主と自称する恵珠氏を、あえて”教え主”と崇め、一体化して恵珠氏をフキ上げようとした。」

*中外日報9月6日記事最期の文章はイミシンである。

「恵珠氏を崇め」は崇教真光の「崇」は恵珠を崇める意味かねと皮肉っているようでもあり、すると「フキ上げようと」のふきあげるを何故カタカナにしたのかなど、掛詞、例えば甲子の本名がフキという字があるなど。個人的疑問だが、岡田光玉は、熊沢天皇となのる人物が戦後幾人か出たが政経調査会関連の人物と接触はなかったのか?いやまさかと思うが。この部分は個人的疑問であるので惑わされないように願います。



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1975年11月05日(水)

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関口氏提訴の経緯

関口氏提訴の経緯について、宗教法第5号(1986,11)は客観的状況として次のように報告されている。

「この秘書課長というのは、甲子派の推進者の一人で、これにサインをしてくれということで、上の方に○というのは、関口氏が見たという印で、これによってこの通達書が道場長、その他に配られることになりました。そしてこの日以降は、甲子派が教団の本部を占拠して、関口氏は追っ払われて別の場所に行くということになりますが、これはあまりにひどいではないかということを、幹部の一部、特に6月25日の通夜の席で聞いている幹部等の何人かは非常に怒りまして、これでは教え主の地位を僭奪されたようなものである、こんな変なことはあるはずがない、黙っていてはこの教団は駄目になる、といって関口氏に理非をはっきりさせるよう迫ります。そこで関口氏は自分が教団の教え主であるということを甲子氏側に言い渡しましたが、もちろん向うは聞かない。東京地裁に代表役員の地位を定める仮処分を提訴したわけであります。」

*以上は法律家の集まり、宗教法学会で説明された関口提訴の経緯です。

*中立の立場の第三者から見た提訴の経緯です。

しかしなぜ宗教法学会で、この裁判が研究のため取り上げられたかというと甲子側が、二代は自分のほうであるという証拠に、裁判所に「ご神示」を提出した。「ご神示」という宗教的秘文、しかも厳密にいえば、書いた本人以外、正しく説明できる人はいないだろうと思われる「ご神示」を裁判所に出してくる。そこでこの研究発表の眼目は、本来裁判になじまぬ「ご神示」を紛争当事者がもちこんできた場合、どのように、教義には介入せず(信教の自由)、どのように取り扱ったらよいかということを実例から発表されている。

そこで当然、光玉氏の「ご神示」も甲子側からもちこまれた裁判資料ですから、写真と文が訳されて、この宗教法学会第5号で見ることができる。これを見て意外だった感想をひとつふたつ。神示というから縦書きと思ったが、光玉の神示は横書きだった。なんと横文字も入っている。→「gelkも?」という意味は不明だが単語が。光玉は数字だけはきちんと書く癖があったようだ。これは神示文中、混乱した文字のなかで、数字だけはきちんとした字体。こんなところにやはり元軍人なのだなあと感想。軍隊の日誌など、必ず正確な日時の記入が叩き込まれた名残か。もし光玉氏はどんな字で神示を書いていたのか知りたい人は、この宗教法学会第5号に出ているのでご覧になると楽しいと思います。

これらの資料には、ご神示を山本というハンコを押して封印してしまったことがレポートされておりますが、ご神示というのは信者の尊崇を受ける財産だと思われますが、こういうことをやってのけるという点、いささか面食らう次第です。

(アントニオ猪健)
>馬場氏のレスの資料は、私も持っているが(中外日報)これは、関口氏との裏の
>絡みがあり、はっきりいって関口側の資料である。
>関口氏は天一坊事件と言っていた>
>三ツ矢グループの息がかかった資料をつかうのはどうかな。
>素人は納得させられても、知っている人には通用しない。

私は、これを、光玉氏の最期の指示と言葉を、伝えるために書いているのではありません。部外者ですから、そういう義理立てはないわけです。しかし、書いていると、自然とそうなってしまう。それは、そもそも、この裁判は、光玉氏は、死のまぎわに何を言い残したかを争う裁判だからです。しかも最高裁まで。

つまり教祖であろうと誰であろうと、故人の遺言は、都合によって勝手に、ねじまげてはいけない。こういう相続に関する民事裁判なのです。もし、アントニオ猪健さんが、またしても否定するとなると、それは、かつて光玉の遺言をねじまげて、結果敗訴した、昔の債務者、岡田甲子氏たちと同じことをして、光玉氏の遺言を冒涜したことになりますよ。理性を働かせてください。

お読み下さってわかるように、私は宗教法学会の報告を軸に、当時の中外日報を、これは置いてある機関が今少ないので、ご紹介しております。

宗教法学会第5号(1986,11)。これは先に申しました通り、家永教科書裁判で最高裁判事をつとめられた大野氏が、お若い時、弁護士時代に研究発表されたものです。法学会レポートに書いてある次の点を抑えて頂きたいと思います。

「本件では、最初に「秘文」(ご神示)があったわけではない。幹部通夜での発表があります。武道館での葬儀の際の発表があります。これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意味を理解できることです。ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、「御神示」なるものを法廷にもち出した。この時に考えが分かれると思うのです。」

大野正男弁護士の解説です。つまり再三そのまま書き出しているように、甲子氏本人が「光玉が二代は関口さんにせよ」と私に言ったので、それを幹部の皆様にお伝えします。といっておきながら、後になって前言を翻し、「私が二代にふさわしいわけは、父の部屋を整理していたとき出てきたメモ(ご神示)に「ヨのみたま云々、娘に伝えよ」と書いてあるから私が後継者よと関口氏を熱海に呼び出して迫った。それで仕方なく裁判所も今まで見た事もない「ご神示」を証拠物件として扱わざるを得なくなった。しかし司法は内容に立ち入る事は許されない。そこで、内容に立ち入らず、「光玉は本当に最期には何といったのか」立証していく。これを大野弁護士は法律家達に報告している。

「二代は関口さん」。これは証拠、証人が出揃っており光玉氏はそう言ったと判断した、裁判所は。また組み手1万5千人ばかりも、大葬儀の会場で、松平事務長から、一万5千人が聞いている。証人というわけです。にもかかわらず、流れがいつのまにか「二代は甲子氏」に。それで裁判所のコメントにも、「松平事務長の発表を組み手は聞いていながら」というニュアンスの判決内容文がある。

アントニオ猪健さんも、かつて教祖の遺言を引き裂くような結果を招いた組み手と、同じことをしようとするのだろうか。ご都合主義も結構だが、このような否定が昔、教祖の必死の遺言さえ討ち落としてしまったことを、また性懲りもなくやろうとするのか?そうであれば、崇教の組み手というのは、救い様がない。


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1975年11月04日(火)

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ラーム氏

>>ラーム氏とは、では、外人の霊能力者なのですか?
>確かラ-ムというのは光玉の晩年の取り巻きの一人。 インド人のヨガか霊能者でしょう。


ラーム氏に就いて、ありがとうございます。甲子氏自身が幹部に語る言葉として、突然出てきたものですから、面食らってしまいましたところ、疑問が解けました。また位山についても、何だってこの山に執着するのかなあと思っておりましたが、そういう日本オカルティズムの伝統があるのですね。私は、陸軍演習等で光玉が懐かしい思い出として登った山ででもあるのかなと思っていました。

しかしながら、なぜ、日本の軍人の一部は、かくもオカルティズムに惹かれるのだろうか。それで私は真光の友森氏のように、全然こんな手かざしなど信じてもない行動をする幹部のほうが、人間くさくて健全という感じすらしてしまう。

だが一方、このような板に、「霊動がこわい」「霊動がとまらない」「真光に入ると気性が狂暴に、不安定になる」(海外のレポート)でも。こういう事が現実として存在する。だから欧州でも危険なカルト指定を受けている。裁判の経過は過去のまぎれもない事実だが、現在のまぎれもない事実に、「霊動への訴え」が存在する。

仲村さんのように、オカルティズムの歴史に詳しい研究者からごらんになって、信者さんが不安に思っている「霊動」は、どのように日本文化では扱われてきたのですか?私はそういう知識がありませんが、異常なことに思えますし、そうなってしまったら本人は尋常ならざる不安を起こすでしょうし、発狂でもしたら大変だと思うのです。みんなが割りとと知りたがっているこの点について、安心させてあげられる何か、その種の知識ございますでしょうか?

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1975年11月03日(月)

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霊動

>非常に危険な方向性だったんですね。
>真光は霊動《浮霊》を人工的に引き起こそうとしている訳です。
 
真光の教義事体が、霊動《浮霊》を引き起こす「方向性」を持っている。という解釈でよろしいでしょうか。仲村さんは霊術の歴史研究の見地からのお説だと思います。そういうフィールドからさえも「霊動は非常に危険」と指摘されることに注意すべきだと思う。

このように危険な霊術でも、それが一部のマニアックな秘密結社の人達の間でやっているぶんには、霊動が起ころうと、それで発狂しようと、好きで研究実践していたのだからと、仕方あるまいと諦めもつくだろう。しかし、現実として投稿の中にも、ふらっと誘われて入ったところ「道場で霊動・浮霊する人を見た。」そればかりか投稿者自身が「霊動がとまらなくなって怖かった」というのさえあった。それは仲村さんの指摘される「真光の方向性に霊動現象は教義の一部として内包されている」をまさに現実として裏付ける訴えである。

神道研究の見地からみても危険なものを、大衆化路線で広める(まぼえする)こと自体が間違っているのではないか。

真光の「霊動」という現象については、JDCCのような脱カルト研究会のなどのマインドコントロール研究団体は、どういう見地をもっておられるのか、是非「霊動」に関する見解を伺いたいものである。かなり大勢の人が脱会後もこれが気にかかって困っておられるのですから。そして治す方法はあるのだろうか?しろうと目に見ても、「霊動」など頻繁に起こしつづけていたら発狂してしまうんじゃないかと思えます。仲村さんは「霊動」は濁音の祝詞が起こす「暗示」と関係があるとおっしゃっているように受け取りますが、それでしたら暗示とは怖いものですね。人を一生縛り付ける。確かにゴクビ云々の語韻はゴクツブシといったののしり言葉などを連想させますが。濁音て、詩でもそうでしょう?

それともうひとつ大事な留意点は
>この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。
これを信者の方は見落とすわけには行きますまい。

つまり幹部も「俺も霊動ってよくわからないけど。起きちゃうんだよね。」とまあ見えない世界のことだから幹部もわからないで指導していることだってあり得る。しかし「霊動」について意図的に引き起こすことを、このある一名の幹部だけでも「知っていながら」やっていることに、「おまえ、罪の意識を感じないのか」と問いたい。
これが「危険」だということもこの幹部知っとるなと。そうしたら何ですよ、人が悪いね。

「霊動」はその動作だけ観察したら、薬物中毒者によくみられる現象と同じです。薬害を説きながら、ヤクも使わずヤク中と同じ現象を他人様のからだに引き起こしてどうするんだ。矛盾していないかと思います。あたかも副作用(霊動)の強い精神安定剤を安易に与える悪徳医者のような感じもする。

神道研究からみても「非常に危険」というなら、そもそも奥様方が「今日のおかずはきりつめて、あした浮いたぶんをお布施しましょう」などとお気楽に接して害の無いシロモノでは、決してないと思える。手かざしされること自体が、「霊動」を誘発するとすれば、では親が自分の子どもに手かざしして「霊動」を誘発してしまった場合は?神道研究家でさえ「危険」といって手出ししないことを、そこらの奥様方が、無知ゆえに、子どもにバンバンやっているとしたら社会問題だ。

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1975年11月02日(日)

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光玉最後の御神示

宗教法学会第5号には、光玉の最期のご神示が写真とともに活字化されて出ている。ご神示とは光玉氏の場合こういうものかと、よくわかる。よくわかるというのは、やはり所詮は書いたご本人しか真意は説明できないだろうなという暗号のような、メモのような体裁の文章だ。長文が掲載されているが、その一部を書き出すと、

「幸子に『あす11時だよ』と
 13日夜
 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ 
 しばらくくちゃくちゃ」

このような文章がずっと続きます。ご神示も霊動も、真光の主要アイテムですが、神示は書いたご本人、霊動なればそれを我が身に起こしたご本人がその時どういう感触と感情をもったかも大事なことだと思います。もし真光の霊動にしても、本人を安心させる後味だったら、元信者さんたちが霊動とは何ぞやと、気持ちにひっかからないと言えますまいか。後味がひっかかるから、宗教渡り鳥といわれていますが、他の似たような教団に行ったりするのではないか?後味がひっかかるから、外国信者の方もそうですが

ヨガや気功で真光の霊動と似たようなことはないか。調べなければ落ち着かなくなる。霊動について何か調べてみないと落ち着かない感じを多くの人に与えてきた側面がある。解明には、いろいろな説があると思うが、もし、霊動現象がさわやかで良い印象を与えるものだけであれば、人はそれについて調べ回らないと思う。また人前で、意識で制御できずに体が動くことを、セラピーと1対1なら兎も角、大勢に見られることは、人間の本能として、恥ずかしい感じ、屈辱感を抱かせるものではないか。人前で失禁しちゃったような。ある先輩の組み手が、自分の手かざしでそれを後輩に起こしたとする。起こしたほうは、他にさしたるとりえがなくとも、支配欲のようなものが、いくぶん満足するのではないか。

自分はこんな不思議なことも相手に起こすことが出来たと。霊動は起こさせたほうには強い自信となり、起こされたほうには服従心を植え付ける強力なアイテムとなりうるのではないか。起こされたらマケ。のような感じが致しますが。その後の教団内、人間関係にも影響するような。

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1975年11月01日(土)

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導士のセクハラ

ホームページを見ていると、ある道場で起きた導士のセクハラとか、年増の女導士が若い隊員に「今日、アタイを家まで送ってくれるの誰!?」などと運転手がわりに召使として使っている、なんだあの女はという書き込みもある。また道場長に施設拡大につかうからと金貸したのに返してくれない等。これは明らかに世俗の問題である。神を否定して文句を言っているわけではない。

ところが、困ったことに、そういう実態を見て、「辞めたいけど、おみたまどうしよう」と思う人が大半で、「開けても大丈夫でした」とか「教団に郵送しました」「ゴミにして捨てちゃいました」など、またまた、「おみたまの返し方」で議論が沸き起こるという状況である。「おみたまの返し方」は罪障意識をかきたて、ないがしろにできない信者の問題となっている。

指導者のマナーという世俗問題が「脱会」の段になるとおみたまという神力の問題に収束されるので、信者はがんじがらめになり、後退も前進もままならず蛇の生殺しのような状態にされる。これは苦しいことだ。教団内で発生した世俗の問題は、監督権のあるところにもっていき、そこから教団に指導してもらうしか、改善できないと思われる。

真光は単立宗教法人で、確か都道府県知事所轄ではなく、文部大臣所轄の文化庁文化部宗務課が窓口だと思う。確かめてないが。

文化庁宗務課では、各宗教法人の苦情件数というのを挙げているはずだ。そこに苦情として、道場のセクハラなどは実名をあげて言っていったらいいと思う。それで辞めたい人は、ついでに「おみたま」も文化庁に証拠として送ってしまうのも一考である。なぜなら、それが直筆か、印刷か、そこから光が出ているかなどで迷わされる教義なのだから、そういう証拠として所轄で調べてもらう材料に送ればあとは専門家の出番だ。

そこに奉仕してお金を奉納してきた信者の主張や疑問というのは大事なもので、文化庁にないがしろにされることがあってはならない。という風に建前はなっているのだから。金貸したの問題にしても教団の健全運営に関する重要なことなのだから、信者の強みというのは、監督官庁にもの申していく時に発揮されるのである。誰もが自分の人生を大切にしたいと思っている。そこに宗教があった。それなのにそこにいると自分を大切にされないばかりかセクハラだと!?と怒るのは当然だと思う。事例が重ならないと監督庁も指導しようがないでしょう?

宗教法学会第5にも、これは1980年代の資料ですが、すでに、「この事件(真光文明教団代表役員地位保全事件)は最初東京地裁の民事第八部、通称商事部に係属しました。東京地裁の八部というのは、会社関係の事件を扱う専門部なのですがそこの裁判官がいうには、今は株式会社に関する事件は少なくなって、学校紛争と宗教紛争の事件が多い、今や商事部は宗教部に化した、という話をしていました。」こういう傾向が1995年宗教法人オウム真理教のサリン事件につながっていく土壌であったのだと思う。


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