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■ 記憶の断片
私が子供の頃、父は感情の爆発しやすい人で、 家族全員が毎日毎晩ビクビクしながら生活していた。
自分の背丈より長いデッキブラシで、 全身をボコボコに殴られたこともあったっけ。 天気のいい日曜の午前に、 住宅街にあった王国会館の駐車場で。
私があんまり泣き叫ぶから、 さすがに母が止めに来てくれたんだ。 「集会所に筒抜けでみっともないから」って。 地元の会衆がその当時使っていた王国会館は プレハブ小屋を改装しただけだったし、 第二会場が無かったから。
その後私は心を閉ざす術を身に付けたから あんまり体罰を受けることはなくなったけど、 奔放な性格の妹は高校生になっても体罰を受けていた。
でも、高校卒業間近のある夜、 ついに妹が父に反撃したっけ。 その数ヶ月前からインターネットを始めて 日本中のJW二世の肉声を聴いていたから、 妹は自分の口で「体罰反対」って言って殴り返せたんだ。
それ以来、父はめっきり老け込んで、 会衆内のトラブルに巻き込まれたこともあり 半年後には鬱病を発症してしまった。 父はある夜に突然、 家中の窓ガラスを割って飛び出して行った。 「川に飛び込んで自殺する」っ言って。
1960年代に『真理』を学び、 40年近くJWとして生きてきた父にとって、 自分の子供たちの反乱とJW組織の変容は 人生をまるごと覆す出来事だったのだろう。
今はすっかり穏やかになった父の白髪を見ていると、 私は感情のやり場を無くして泣きたくなる。
2002年05月23日(木)
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