パーソナルコンピュータが、壊れる。 文藝賞のときいただいた副賞の金で買ったもので、 ゆうに6年は使っている。7年かもしれない。 寿命だろうか。 容量がいっぱいになったのかと思い、 メモリ増設をしたが、 電源を押すと、また意味不明な英語が出てきた。 オープニングシステムが見つかりません。 中の文章もすべて箱の中だ。 (メモリ増設は大変だった。 裏をドライバーで開けて。 ただ、その作業の最中に、 デジャヴの感覚が起きた。 もしかしたら、私はこの6年の間に、 増設したことがあるのかもしれない。 そうだとしたら、本当に意味のない作業だった)。 毎年書いているが、 この微炭酸ニッキは2000年の12月に始めたので、 もう11年書いた。来月から12年目に入る。 この間、母校で授業をしていたとき、 「私も、大学生のときは、イルミネーションをひと粒ひと粒潰したいと考えていました。そして、恋愛をしないままおばあさんになります」 と言った。私は、この日記に、そのことを書いた記憶があった。 しかし、今見返したところ、その記述が見つからない。 私の記憶は曖昧模糊としている。 今日は、年末感を味わうために、 オペラシティで第九を聴いてきた。 金がなくなった。 来年からどうしよう。 会社員と兼業できるか、模索した方が良いのか。 これは、携帯から書いている文章である。 携帯だけはいつも、どこにあるかわかる。 部屋の中で異様な存在感を示す。 私の脳の一部。 触ると痛い。 メールは書けない。 誰とも繋がらない。 だけどいつか開く。 何年後かに開いて、私をどこかへ連れていく。
お墓が夕日に当たるのを見る。 日光は墓石を撫でる。 毎日、何度も何度も撫でていく。
毎日苦しい。 ちっとも良いものが書けない。 もう皆に見捨てられたと思う。 今までは、「自信がない」と言ってはいけないと思っていた。 いろいろな人の手を借りて、仕事をするのだ。 本の表紙に名前を載せる自分が、「作品に自信がない」と言ってしまったら、 一緒に仕事をしている人たちはどう思うだろう、読む人はどう思うだろう。 本を作るからには「いい作品です。自信があります」と言わなくてはと思っていた。 いわれのないバッシングにも耐えられなかったが、顔に出してはいけないと思っていた。 ずっと地味な人生を歩んできて、本の作り手という裏側の仕事についたのに、 まるで表舞台にいるかのように、あることないこと言われることが苦しくて、泣いてばかりいた。 何か努力をしなければ、と思う。 この苦しさから逃れるために、 動かなくては。 ノイズに耳を傾けず、 作品に集中しなくては。 私の書くものは、 多くの人に読まれるものではない。 でもかまわない。 ひとりでも読者がいれば、書く。 たくさん読んで、 たくさん書くこと。 だまされてもいいから、 周りの人を信用すること。 文章を書くのは楽しいと思い出すこと。
光の粒をいつも、面白く受け取るけれど、それはどうしてなのだろう。 DNAが、太陽がなくては生きていられなかった頃のことを、思い出しているのだろうか。 目は光に対していつも、はっとする。 落ちてくる雨が街灯に当たったときだけ存在感を示すところ、 水道の銀色に映る蛍光灯が棒のようにのびるところ、 薄暗いバーで限りなく丸に近い多面的な氷が宝石のようになるところ、 じっと見ていると、 人生なんて幸せに作れなくてもいい、 という気がしてくる。 この世に生命として存在し、 80年程の歳月という贈り物を手にし、 せっかくもらったその時間をどう使うか考えて、 そうだな、幸せじゃなくても、人間関係が滅茶苦茶になっても、 光さえ見れればいい、と思う。 比喩の光ではなくて、本当の光のことだ。 この間、日食をを見たときに心が躍ったのだが、あれもそうなのだろう。 私は人間関係を築くために生まれたわけではない。 光を見るために生まれたのだ。
だいじょうぶになりました。
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