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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

10年
2010年12月23日(木)

この「微炭酸ニッキ」は、2000年12月22日から始めたようなので、
今日で丸10年が終わったことになる。

とはいえ、作家生活はまだ丸6年しか行っていない。
これは大学3年生のときに、遊びで作ったものだ。
こんなに続けるとは思わなかった。

最近は、文筆活動の発表に関するお知らせを書くことが多くなっているが、
はじめの頃は、本当にただの日記で、
中盤では、思いついた好きなフレーズを書いている。
ちょっと読み返したら、
一番面白いのは、作家デビューする直前の2004年ぐらいの記事だった。

小説を書くから、日記などをあまり書き過ぎない方がいいという話も聞くが、
スポンジのように、搾った分だけ、次のものが吸収できて、また搾り出せる、という話も聞く。
だから、これからはいっぱい書きたい。
私は海綿体になりたい。

大学3年生のときは、10年後の自分がこんな風になるとは思っていなかったから、
これから先の10年も、今自分が想像しているよりももっとすごい場所にいるのかもしれない。




澱が溜まって
2010年12月17日(金)

木々が色づいていきます。

日記を書かなくなって久しく、
その間に読者が離れてしまったのではないか、とどきどきしているところです。

どうして書けなかったのかというと、
もしも知人がこのページを開いたら、
「小説が書き上がらないのに、どうして日記は書けるんですか」とか、
「メールを返さないで、日記を書くのはどういうわけなのか」とか、
お怒りになられるのでは、と、
私は小心者ですから、びくびくしていたのです。

でも、小説を書くときに、
知っている人が読まない前提で書くのと同じように、
(私は、普段の感じと、仕事の感じがすごく違うので、
普段会う人に文章を読まれるのが恥ずかしいのです。
人を意識して自由さがなくなっても困りものですし。
だから、遠くの人が読む、ということだけ考えるのです)。
これからは、この日記も、知っている人がどう思おうが気にしないようにしたいな、と思います。


私は、近くの人に対して冷たい人間だな、と思います。情が薄いというか……。
メールが書けない。
ただ、直接に会うとお喋りができるのです。
最近、本当にメールが書けなくて、なんで書けないのかな、って思います。
ほかの人にはこういう心理って、ないんですか?
私はできるだけ、知っている人には、直接会いたいです。


私は年内に短編小説と中編小説を書くことにしていて、
あと、秋に書いた中編小説の直しを来年頭にやって、
連載二つもあるから、
小説のことは常に考えているのです。
ただ、人とは会いたいです。

最近は、エッセイを書いたのだとか、連載小説だとかがあったのですが、
日記を書いていなかったので、お知らせするのを忘れました。
どこかに書いたものがあると思うので、見かけたとき、お好みに合いそうだったら読んでみてくれたら嬉しいです。
今出ている「フラウ」の、五話のショートストーリーが最終回です。
「シュプール」の書評連載は先々月くらいにラストでした。
あとは、「群像」と「フィガロジャポン」の連載小説があって、それくらいかな。

今年は、本の出版をほとんどしなかったし、中編小説を書かなかったから、
周りからいろいろ言われることが減って楽でした。
来年は四冊か五冊は出版したくて、
そうすると、また周囲から誤解されることに耐えなくてはならない日々が始まりそうでつらいな、と思います。
でも、書く楽しさがそれを上回るでしょう。
書きたい、とも思うし、
人と会いたい、とも思うけれども、
休みが欲しい、ひとりになりたい、ともよく思うから、ひとりで旅行にでも行こうかな、とも考えます。

よく、澱が溜まっていってから小説を書いた方がいいと言いますが、
澱ってなんですか?
ワインの底に溜まるという、ウワサのものですか?




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