岡崎京子のマンガで、今まで一番すきだったのは「Pink」という話です。 これはホテトルの女の子がアパートでワニ飼う話。 でも最近、「私は貴兄のオモチャなの」が抜きました。 彼女のマンガは初期の頃はポップで音楽みたいに楽しいのだけども、後期になるにしたがって重くなります。 昔は明るいのが好きだったんですが、最近は、重い話も、いいなあ、と感じるようになりました。 岡崎京子のことなら、熱く語れる。 マシューTVでの、東野幸治が「ゴルゴ13」について語るくらい語りたいです。 フリップ出して、「バーン」とか。 「この絵の雑さがいいんです」 「ここは、大島弓子のパロディなんです」 だとか。 「私は貴兄のオモチャなの」は短編集です。「でっかい恋のメロディ」「虹の彼方に」「私は貴兄のオモチャなの」「3つ数えろ」の4つが入ってる。 どれもいいです。 「『生きることは召し使いにまかせろ』とリラダンは言ったわ。でも現実にはあたしが召し使いなんだわ」 「だって愛とかわかんないんだもん。みんなわかってんのかー!って聞きたいよ。よくみんな口にするけどさああ」 なんて科白。 一番好きなのは、今までも何回か書いたのだけども、 「失恋やココロがキズついたときはぁ、友情と文化とセックスしかないっす」 って科白。本当そうだなって思う。 ストーリーはわりと救いがなくって、昔は「何でこんなマンガ描くんだろう」と思ってたんだけど、最近はなんとなくわかるような気がする。 きっと愛って、そんなキレイなもんじゃなく、エゴイスティックなものなんだ。 でもそこにあるものだから、みんな頑張ってんだ。そんな感じ。 「私は貴兄のオモチャなの」なんて、あんまりにも男の子がひどくて、何でこんな男が好きなんだ?と思うのだけども、こんなものか、とも思う。 昔は、友だちの話なんか聞いてよく「何でこんなひどい男と別れないんだろう。バカじゃねえのか」と思ったものだ。 だけど、きっと、ひどいという理由で人を嫌いになることはできないように人はできているのだろう。 オモチャになってもいいって思える位、好きな人がいるのっていいかも。 まあ、そんなヘビーなこと本気で考えているわけでもないんだけども。 こんなマンガみたいに重いものはそんなないかもしれないけど、誰だってそれなりに困ったこと抱えて、明るく生きてるのかかもなあ、って思います。
議員の経歴偽造のニュース。 こういうときに、マスコミの風で、一般の人もいくらでも悪口を言えるというのがすごい。 日本人の性なのだろうか? こういう性が、戦争に走るときなど、役立つのだろうな。 私が思うのは、こんなニュースに時間を割き過ぎじゃないかってことだ。 もっと大事なニュースはないのだろうか? どうしても、くだらないことに思えて仕方ないのだが。 中学生の虐待のニュース。 児童相談所が動く、ということは日本ではとても難しいことなのだろうと思う。 法律面でもっと変えていかなくてはいけないのじゃないだろうか? 私が思うのは、日本は、子どもに対して親に権利がありすぎるってこと。 現状では「親が『なんでもない』って言っているのに、家に踏み込む」というのは大変なはず。 「子どもにはたくさんの権利があるということ」そして「子どもはみんなで育てていく存在だということ」、こういう感覚が必要なんだろうなって思う。 それにしても、しょっぱいものはおいしいですね。 なんでしょっぱいものはこんなにおいしいのだろう。 お菓子よりしょっぱいものの方がずーっとおいしいですね。
オレは常にふざけている。 ふざけるなと言われてもやめないだろう。 タオルのループは全部切る。 そうしきでも冗談を言う。 先生に怒られるときは、 いつも下を向いて笑っていた。 口角を上げて笑う。 甘皮でもないのに剥く。 犬は撫でる。 雨降りでも萎えないプライド。 親指の自由のない靴。 横から口出されるのが大嫌い。 インクの代わりに粘土。 嘘はいくらでもオレの口を回すが、 小心のため、あとで何度でもあやまりに行くだろう。 折り鶴のしっぽは全部顔にする。 オレは横断歩道の白い部分は踏まない。 丸いマンホールも。 オレは土管をくぐっても、 地下の世界には行かない。 マスクをしている人の話は注意深く聞く。 大きい声を出す人の話には耳を塞ぐ。 オレは100円自販機を常に探してる。 神様の横腹つつく。 食パンの耳はまーるく残す。 タクシー運転手の首の裏を、 いつまでも覚えている。 オレは歯医者の音のCDを持ってる。 マフラーのフリンジを触られるとキレる。 オレはバスに乗るだろうか? 月面着陸するだろうか?
私はもともと気ままで気まぐれだったはず、と思い出す。 私のみみずの十万の大軍が陸を駆け巡る。
ヨミネちゃんと紅茶を飲む。 ヨミネちゃんの書いた小説を少し読ませてもらったら、すごく面白かった。 家に帰ってきたら、くうと眠ってしまった。 どうやら風邪を弾いたらしい。 くらくらして、のどが痛い。 でもすぐに気力が湧いてきて、夜中にカレーを食べた。 やがりバカなのか。
暑い国へ行きたい。 とことこ歩きたい。 夜に詩集を読みたい。 日焼け。 骨接。 水玉模様のひとつひとつに世界が入っている。 「真実のマレーネディートリヒ」という映画を見る。 泣いた。そんなに泣くものでもなかったとも思うが。 最近読んでいるのは「長距離走者の孤独」。ライ麦みたいな感じだ。 りんごの芯の窪みのところに何か入ってる。 奇数のボタン穴。 ファスナーというファスナーを滑らないようにしてやる。 おみくじに全部「大」と書き込み。 バーコードを読めるんですか? 今年こそ、聖書の謎を解読。
最近、頭が重いときがあるなあ、と思っていたら、気が付いた。 おだんごにするのにあめ玉みたいなゴムで結んでいたから、これが重いのだ。 それで髪を切ってしまった。 新宿の美容院が開いていた。 そしたらキノコみたいになった。 なんでかなあ、と思うに、丸顔だからだ。 でもこれはこれでかわいいかな。 美容師さんが最後にあめ玉みたいなゴムを返してくれた。 あめ玉みたいなゴムはきらきらしていた。
腕をくにゃりと曲げて、 妙な姿勢で横になっているとき、 このままミイラになったら面白いな、 化石になったら後世の人が笑うか、 と思う。 ミイラになるとしたら、 このおっぱいもなくなるのか、 と、指でつついてみたら、 プシュウと空気が抜けていく気がした。 いや、これは本当のことなのだ。 私は確実におばあさんになってしわしわになる。 その前にも、30代になったら体の形が変わるだろう。 いまの形はつかの間の夢か。 ああ、だめだ。このことを考えるのは。 宇宙の芯に吸い込まれそうだ。 このことを考えるのは怖すぎる。 考えてはいけない。 空気の抜けた後の体が、彼方にふっとんで行く。 ブラックホールに飲み込まれそうだ。 何でこんなに怖いのだろう。 実は体型に自信があってそれがなくなるのが怖いのか、 あるいは、 女でなくなることが怖いのか。 いや、 おっぱいだけでなく、 脳みそだってなくなるのだ。 いつかは中年女性のような考え方をするようになるのか。 そして消えてしまうのか。 私は幻影。 クリオネのように半透明の体に感じる。 おっぱいは、幻影。 二本くっ付いている足は、 どこへも歩いて行かないから、幻影。 手は、パソコンしかいじってないから、幻影。 髪は、もうすぐばっさり切ってしまうから、幻影。 目は、コンタクトを通してしか見られないから、幻影。 舌は、舌ばかでおいしいものがわからなく、雰囲気で「おいしい」とか言ってるから、幻影。 睫毛は、マスカラを塗るから、幻影。 おへそは、使っていないから、 最初から使っていないから、生まれていないから、幻影。 例えば、ここに赤ちゃんの写真が一枚ある。 この赤ちゃんが私であるという証明はできるのであろうか。 私は赤ちゃんではなかった。 最初から幻影だった。 若い気でいるけれど、今も私はおばあさん。 私は半透明。 くらげ。 あの、大量発生して漁師を困らせている、 魚の網に引っかかっている、汚い半透明の。 あれが私だ。 女でもない。男でもない。思考もない。 この瞬間も私はおばあさん。
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