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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

無口でわがままで、とげがあったり甲羅があったり
2003年12月29日(月)

私の夢の中には、「無口でわがままで、とげがあったり甲羅があったり」というものがものすごい頻度で現れる。
それが私っぽいものであることもあるし、他者であることもあるのだけども、「無口でわがまま」とそれに対してかならず思うのだ。つまり、うまくコミュニケーションがとれない、というのが最大の難関なのだ。

例えばこんな夢だ。

私は地味な女の子だ。
そして、10階建てのデパートで買い物をしている。
レジで私の前に並んでいる男の子は、背が高くて、体が大きい。坊主頭で、アロハシャツを着て、靴はセーラームーンの絵が描いてある子供靴のようなものを履いていて、ちょっと風変わりだ。
その男の子は買う段になって、自分の財布がないことに気が付いた。ハンガーのようなものを買いたいらしいのだけど、店員の前で、ポケットを探ったりしてあせっている。
男の子はパニックになっているようだったので、私が「じゃあ、私が払って置きますよ」と言ってお金を払った。
男の子は私に対してはうまくしゃべれないらしく、「〜〜〜」というようなことを言う。私にはあー、とかうー、とか言っているようにしか聞こえない。
でもたぶん、ありがとう、とか、ちゃんと返す、とか言ってるんだろう、と思って、住所も聞かないのに信じて、そのまま別れてしまった。
しかし、私は、エスカレーターで3階まで降りたときに、さっきの男の子の財布が落ちているのを見つけてしまう。なぜわかるのかはわからないけれど、私にははっきりと持ち主がわかるので、すぐにハンガーの売り場に戻ったのだけど、いない。さらにエレベーターを上り下りして捜すと、いた。
「財布みつけたの」
と渡そうとすると、「〜〜〜」と押し返す。
「どうして?」
と聞くと、走って逃げ出してしまった。
私は途方に暮れて、仕方なく財布をちょっと開けてみると、中は10万円ぐらいの札束だ。これは渡さなきゃ、と思い追いかける。
私たちは10階あるエレベーターを上り下りして追いかけっこする。
男の子は足が速い。
見失ってしまった。
10階の非常口階段を上ると、ひみつの11階があることがわかった。
11階は、なぜか普通の人の家だった。と言っても高級住宅風だ。
そして私の友達らしい設定の女の子がいた。その女の子は美人でブランドのバッグを持っていた。私はその子の聞き役のような設定らしく、急に二人で何かを話し始めた。要は、その女の子は今日、彼を自分の家に呼んだのだけど、現れない、なんなんだろう、と私に愚痴っているようだった。私は「わかるよ」とか「それは男の子が悪いよ」などと相槌を打っていた。
すると、さっきの坊主の子が現れた。
女の子は「なんなの?時間にも遅れるうえに、坊主は止めてくれって言ったじゃない。お母さんに紹介するのにアロハシャツってなに?その靴、なに考えてるの?」
などと怒る。この坊主の子が彼氏らしい。坊主の子は言われてることを気にも留めずに他の事を考えている風なので、私は可笑しくなってくる。
お母さんが現れた。
お母さんは中村玉緒だった。

他にもあるのだけど、今日はこれだけ書いて力尽きてしまったのでまたにします。今度、とげ、や甲羅、の話をします。

あと、今日見た夢はこんなだった。

私は年下の仲の良い女の子(らしい)を自転車の後ろに乗っけて運転している。
女の子がふざけて危ないので、つい、「おまえなんか死んじゃえ」と私は言ってしまう。
女の子は手を離して落ちようとする、私は必死に手を捕まえて「ごめん」「ごめん」と言うのだけれど、女の子は黙って落ちようとする。
恐ろしかった。

私の怖い夢は、決して私は被害者でなく、加害者だ。
何かに追っかけられる夢は見たことがない。おばけや怪物も出ない。
私が何かをやってしまう。



すばらしい日々
2003年12月24日(水)

すばらしい日々だの、ヒゲボーだの、働く男だのが頭に浮かぶので、ユニコーンのCDを借りてみた。

仕事が少し大変なのかもしれない。
15日から29日までは全出勤で休みがないので、多少やつれたか。
でも、戦争や甲子園に比べると、ぐっと楽で、精神的にも安定はしている。

「眠ることしかできない」って、どうってことのない詩のようでいて、かなりえぐってる。「世界一の悩める人さ」ってそんな大げさな、でもわかる。
「男には辛くて長い二つの道が」って、女だってそうだよ。

女子校の人は文化祭で、自分たちで考え自分たちで材木を運んでいる。
しかし、共学だと、男の子に重いもの持ってもらい、しきってもらい、女の子はスポイルされてしまう気がする。
よく男の方が力が強いというが、本当だろうか?
もし強いとしたらどれくらい?
客観的な数字もないのに、よく頼れたな、と思う。

女の子は楽なようでいて、わりとかわいい女の子でも、いつまでも味方でいてくれるような親は決していないし、いつまでも側にいてくれる男の子は絶対いない。

材木を運べ。

今の時代、ダンナが相当稼ぐ人でもなけりゃ、専業主婦になる人っていない。

離婚するにも財力がなければできない。

経済を置いておいても、精神的な面のサポートをしてくれる人というのは、はっきりいうが、いない。(絶対に現れないという意味だ)
自分で考え出し、自分で選び、自分で賛同し、自分で応援し、自分で励まし、自分で反省する。

AERAで若者の格差の特集をしていた。「負け組」だの「勝ち組」だのという言葉が大嫌いだった私だけれども、「この言葉は嫌いだ」というだけで済ますことができていた学生時代を懐かしく思った。

不景気といっても、まだまだ裕福な日本だが、生きていくというだけでも難しい。

そういえば、第二次世界大戦の死亡者と、今の自殺の死亡者は同じくらいだという。

サバイバルというのは、考えている以上に難しいのかもしれない。

一生このお給料じゃ子どもも産めない。(シングルマザーになる気満々なのだが)




もちろん悲観している訳でなく、やる気になっている。

誰かと出会い、誰かを大切にしたい。
食っていける程度、稼ぎたい。

なんだかんだいいてすばらしい日々ではある。




2003年12月23日(火)

時間が大切じゃない人なんていない、としみじみ思う。

電車のなかで、私はノートを広げる。これはあんまり他の人がしているのを見たことがないので、誉められたことじゃないのかもしれないけれど、車中で日記やら小説やらを書く。立ったままでも書ける。他の人にちょっとくらい見られても平気だ。よく「公の場の個室化」なんて言って、化粧する、などのことを批判されるけど、私もそういうことなのかもしれない。

まわりの人もいろいろなことをしている。勉強している人は意外と多い。環境問題、商品管理、語学、カラーコーディネート、美術品、薬学、顧客管理、その他さまざまな本やプリントを広げて人々は勉強している。もちろん、携帯をいじったり、ヤンマガを読んでいる人なんかも多いけれど、電車の時間を貴重に思っている人は実はかなりいるはずだ。
勉強している人、というのは学生ではない、明らかに働いている人たちだ。

おそらく、人というのはメシ食うだけじゃ生きられないのだろう。
勉強したい、というのが生きる上で必須なのだろう。
もしかしたら、南の島でなんかはそんなことはないかもしれない。
でも、日本でサバイバルしていると、勉強したい、という欲求を退けるのは難しいのだと思う。

私は、多くの人と同じように、勉強は嫌いだ。でも勉強したい。
それは、どこに行きつく当てはなくても、精神安定のために、「勉強している感覚」というのが必要だからだ。
日本にいて、文化と触れ合わず過ごすと、置いてけぼりの感覚を味わわずに落ち着いているということがかなり難しくなる。

30歳になっても、40歳になっても、それは変わらないだろう。

余裕があるから勉強しているわけではなく、かなり精神的にぎりぎりになったために勉強している、という人が多いのではないだろうか?


ところで、私は最近、松浦理英子の小説がすきだ。
それから、ガブリエル・バンサンの絵本。


空を見ていると、どこをみているのかわからなくなるときがある。
ビルを見る、木を見る、それならわかる。
でも、空はどこまでも続いている。焦点の合っているのは大気圏なのだろうか。
或は、宇宙までも見ていることになるのだろうか。



睫毛
2003年12月22日(月)

太すぎるうどんは細すぎるうどんと同じだ。

多すぎる肉は少なすぎる肉と同じ。

ところで、もうこれ以上モスで「クリスモス」という言葉を聞きたくない。




2003年12月21日(日)

Q温泉旅館の部屋に入ったときに最初においてある、2、3枚の甘いおせんべいが食べたい。
私はそれが大好きで、帰り際、親にねだって箱入りのを買ってもらったりするのだが、どうも味が違う。
部屋においてあるのがおいしいんだよな。

Qラップ調の寒いコーヒーのCMがあるが、あの寒さは決してラップのものではなく、米倉涼子のものだ。
その証拠に、サトエリと矢田のみのバージョンを想像してみて欲しい。幾分、寒さがやわらぐはずだ。

Q虎ノ門。
いといせいこうのクール過ぎる司会。
進行重視で切り捨てていくのは、面白いことは面白いが、やりすぎると、芸人殺しだ。

Q頭文字にQあることが気になっているかも知れませんが、まったくクエスチョンになりませんでした。






サブカルという言葉を使わないでそのことを説明してみろ。
2003年12月20日(土)

よく考えるとみんな靴を履いていて、裸足では外を歩けないなんてふしぎだ。
動物なのに。



マフラーマンさんからエアメールが届いた。
インドで毎日カレーを食べているとのこと。

帰って来たら、また怒涛のように書き込みして欲しいものです。


2003年は上田晋也か。






千円
2003年12月19日(金)

昨日、夜中に千円札を拾った。
くしゃくしゃに折りたたまれて、裸で道に落ちていた。
最初はラッキーと思ったが、しだいに、人のお金を持っていることにいらいらしてきた。
もとの場所にまた落としてこようかと思ったぐらいだが、それもばかばかしいので、今朝、会社に行く前に交番に寄った。
千円札を拾った、と届けた。会社に遅れたが気が済んだ。
もし落とし主が現れなければ、来年の7月に私のものになるらしい。
忘れそうだ。



お皿に残るスプーンの跡の名前が思い浮かばない
2003年12月18日(木)

あげく、赤いきつねのあぶら揚げが割れていた。


スーツ
2003年12月17日(水)

きょう、原宿のテレビ局に行って来た。
変な前髪のときに初対面の人と会うのは辛い。
スーツも全然似合わない。



ミス
2003年12月15日(月)

バットで頭を殴られた後、2,3日経ったような鈍い痛みが。




タップダンス
2003年12月14日(日)

カレーを食べて映画を見た。
とても楽しかった。
これから年末に向けて仕事が大変になるので、楽しくてよかった。元気が出た。よかった。

それにしても、フセインがつかまったという報告の場面で、ジャーナリストたちがこぶしを挙げて騒いでいたけれど(イラクのジャーナリストだろうか?)、あれはいいのだろうか?
ジャーナリストというのは、どんな場面でも中立でいるべきで、ああいう場面で騒ぐのは良くないんじゃないかと思うのだが。

先日、筑紫哲也のニュースで「ジャーナリストというのは国が間違った選択をしているときの歯止めの役割をするものでもある」「アメリカのジャーナリストは地に落ちた」というような特集を組んでいて、とても面白かった。

ジャーナリストというのは「ビジネス」という言葉だけではやれないものなのかも。


関係ないが、「前髪切り過ぎたときに、もとに戻せる薬」というのを発明したら、かなりの収益があると思う。

私は今非常に変な前髪をしている。




小さな別れ
2003年12月12日(金)

仕事が終わって、帰ろうとしたところで、デスクに「1、2分いい?」と呼び止められた。
私が辞める話だった。
このデスクは面白い人で、それに、私の生意気な話もしっかり聞いてくれる、ほんとうにいい人だった。
「健康に留意して」
なんて、おどけた調子で言うので笑ってしまった。
どうでもいい冗談ほど、人を苦しくさせる。
お世話になりました、と言うと、「まあまあ、そんなのは言わないで。Mくんじゃないけど、ぐっときちゃうから」と言う。
Mさんというのは、私の隣りの席の人で、3年半務めて、2ヶ月前に辞めたのだけど、最後の日に会社で泣いていた。
私は1年しか務めていないし、例のごとく心も開かず、それほど懇意になった人も現れなかったのだけれど、それでも、ああ、これって別れなんだ、と思うと、胸がおののく。
帰り際、デスクなのに、いつものように「どうぞどうぞ」とお姫様のように前を通らせてくれるときに、ああ、と思った。

私は別れに敏感な方だと思う。
お世話になった先生とは離れたくなかったし、大学で先輩が卒業するときは「卒業しないで」としか思えない。
小説を読み終わって本を閉じるときも胸がいたいし、毛先の開いた歯ブラシを捨てるのも嫌だ。

胸がおののくのだ。

この「おののく」というのは、寂しさや欠如感とは違う。
ものすごい勢いで何もかもが離れて行っていることを実感すること。
瞬間、瞬間でほとんどのものが消えてなくなっているのを知ることだ。

昔、大学に通っていたころ、駅のプラットホームの石段に、先輩がヒラリと飛び乗って座ったことがあった。
それを見たとき、私は胸がおののくのを味わった。
特別仲の良い先輩ではなかったのだけれど、思ったのは、こういうことだ。
こんなやんちゃなしぐさを見られたのは今の一瞬だけだった。
もうこの先輩はこの駅には来ないかもしれないし、来たとしても、もうこんなしぐさをする若者じゃないかもしれない。一年後にはもう、違う人になっているかもしれない。若いときに出会って、こういう一瞬を見れたのは宇宙の奇跡くらいのことかもしれない。
そしてこの一瞬はものすごい勢いで離れて行くのだ。

その人がどうの、ではなく、一瞬一瞬で何もかもが離れて行くことを感じたのだ。

こういった程度の人との別れは、はっきり言って、悲劇的なことではない。
その人はこれからも、また誰かに出会い、おいしいもの食べて、生きていくだろうし、私もまた然りである。
悲しいとは全く言えない。

別れに関する痛みというのは、大人なるしたがって、鈍くなっている。こどものころや、若いときのように、何が何だかわからない状態にはならない。
免疫ができ、学習し、どのように対処したらいいかがわかりきっているし、逃げ口上も知っているのでどうとでもなるのだ。

でも、胸がおののくのは止められない。

開いた歯ブラシがあれば、きっと私は新しい歯ブラシを買うだろう。
新しい歯ブラシを買った私は、きっと開いた歯ブラシのことを忘れてしまうだろう。

忘れるというのはどういうことなのだろう。

私は、この瞬間も、ものすごい勢いで、大切なことを忘れていっている。
今日よりも明日、明日より明後日、大切なことを忘却しているはずだ。
それが健康なことなのか、切ないことなのかは、わからない。

悲しいことではない。
でも、次の瞬間が訪れた途端、前の瞬間はすっかり消えてなくなっている。
もうどこにもみつからないのだ。



私は何もかもから離れたいのだろうか。忘れたいのだろうか。わからない。

でも、もう会わないだろうという人たちからもらった温かみが、今も私を温めている。



ところで、マレーシアに行って、それからシンガポールを抜けて、インドネシアに渡ってから帰って来ようと思っていたけれど、萎えてきた。
インドネシアは怖いし、面倒な気がしてきた。
マレーシアを周って帰って来ようかな。お金も時間も大事にしなきゃだし。

最近はゆず湯に入っています。
あったかい。



ウォルラス
2003年12月10日(水)

秋吉久美子のヌードが見たい。

ところで、ビートルズのアイアムザウォルラスを最近よく聴いていて、すると、日常で頭の中でよく回るようになった。ずっとこの曲が離れないというのはうっとおしいものですね。
私は彼らの曲では他に、ハローグッバイとヒアゼアアンドエブリフェアが好きです。
インマイライフは卒業しました。
ルーシーってば空の上みたいな曲も好きです。


ゼムクリップはいったいどの方向を指しているのか?

常備薬を持っている人がうらやましい。



葉っぱ
2003年12月06日(土)

黄色い葉っぱがちかちかするのは、まるで筆でちょんちょんと描いたみたいですね。

では、眠くなったので、また明日書きます。

みなさんの夜が寒くなり過ぎませんよう。



会社辞めます
2003年12月01日(月)


今日会社の男の子としたのは、会社に入る前に何をやっていたかという話。
私は、ここに来る前に変な学校に入ってお金損しちゃったし、はじめからここに入れば良かった、と話すと、
「でもそういうことがわかったことを、勉強と思えば。何でもそうだけど、1回目は勉強、2回目からが失敗。2回やらなければいいんですよ」
なるほど、と思う。

その後、人を信じるか、という話。
この人は、人間みんな裏がある、という。
私は、人間はみんな信用したい、という。(でもそうかな?)

とりあえず結論だしましょう、ということで、
「人間は信用する」
「これからはやりたいことをやる」
ということになった。

夜、辞めたいということを上司に伝えたら、この時期は人材が集めにくいので、2月くらいになるかもしれない、とのこと。2月か。

私としては1月末で辞めたいところ。

そしてマレーシア行きます!!




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