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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

これからは能動的に
2003年11月30日(日)

受け身をやめようって思う。

私は、大学だって、志望したとこを落ちてあの大学に入ったのは、きっと自分でそうしようと思って、選んでそうしたんだと思う。
私が好きになった人は、私を好きになってくれたから好きになったんじゃない。私が決めて全部そうした。
生まれてくるときも、お母さんに産んでもらったんじゃない。
自分で生まれようと思って、自分で這い出てきたはずだ。

この一瞬も、次の瞬間も生き続けようというのは、自分で決めているはず。
そうしないことなんて簡単なんだから。
ちゃんとこうして生きているのは、生きたくて生きてる訳で。(訳で)

人生で起きることは、全部、自分の責任だ。

そう思うと、今まで私と関わってくれた人に、感謝の言葉しか出てこない。

人生は徹尾徹頭自分の思うがまま、ルールも私が決めている。

コントロールしているっていう自覚が、あるのとないのとでは大違いだ。

私はこれからの一生、被害者になることは絶対ないはず。

加害者になっちゃうから、気を付けよう。

うまく言えないけど、これからは能動的でやろうと思うんだ。



深川
2003年11月29日(土)

清澄白川の深川江戸博物館を見に行って来た。
江戸時代の家にあがれたり、作り物猫がいたり、堪能した。
この時代に暮らして、長屋の複雑な人間関係にまみれてみたいものだ。易者の占いを無視したいものだ。いなりずし立ち食いしたいものだ。蕎麦屋の女の子をからかいたいものだ。

出てから、本物の深川を探そうとしたが、無く(想像上の川なのかもしれなかった)、別の川(小木ナントカ川)を見て、これを深川とした。川の上に真っ白な空があったので、後輩が「この空がいつか絶対晴れるなんて不思議ですね」と言っていた。

川崎に行った。先輩らとカラオケに行った。後輩が小沢健二とスピッツを歌ったので、かなり満足した。

それからヤキトリを食べた。

この後輩はとてもいい後輩なので、いつか幸せになるようにと、姉のように祈る。

先輩も、後輩も、みんなみんな幸せになれ、と思う。


関係ないけど、ケータイ第2世代から第3世代へ、なんていうCMの、松下由紀はかわいそう。松下由紀にも幸せになって欲しい。



蟹よ
2003年11月26日(水)

蟹よ

この緻密な肉

しみでる肉汁
蟹フレークよ

サラダと食べたい蟹フレークよ

私は蟹で生きて行く

蟹食べたい。

ところで、一重目蓋ってかわいいよねー。




サロメ
2003年11月24日(月)

Bunkamuraで、映画「サロメ」を見た。
ダンスしていた。かっこいい。
私はワイルドのサロメを読んでいたから、話がまだわかるけど、知らない人はダンスだけなのでわかるのかな、と思った。
かっこいいんだけど、科白がないので眠くなった。バカなんだと思う。

あと、人に感謝した。



六義園
2003年11月23日(日)

駒込の六義園に行った。
もみじがたくさんあったが、スプレーで塗ったとのこと。

赤くなるな。
柚子みつを飲む。

渋谷でラーメンを食べた。

後輩が詞を書いているのを見せてもらったら、胸に来たのでコピーさせてもらったら、すぐ無くした。
申し訳なかった。



太陽
2003年11月22日(土)

てるてる家族で、妹に、何でスケートを頑張るの?、と問われて、「自分の太陽は自分の中だけにあるのよ。それがちょっと見えるの。そしてまた隠れるの。でもまた見えるのよ」と、姉が答えていた。
自分の中にあるってのはわかるな、と思う。






懐古
2003年11月16日(日)

後輩二人と、学バス前で4時半に待ち合わせて母校に行って来た。
地下に降りた。
何も変わっていなかった。
破れた椅子。落書きだらけのカレンダー。懐かしい譜面。
電気を消して座っていたらとても落ち着いた。

それから屋上に上がった。
工事中で、屋上は半分消えていた。
ライトアップされた東京タワーとビルたちが見えた。
お喋りした。

ライフに行って、おすしの詰め合わせと助六と焼き鳥(ナンコツとねぎま)とシューマイを買って、氷川神社前にできた公園で食べようとしたら、すでに閉門していた。
私たちは石段におすしなどを並べて立食パーティーをした。
この年でこんなに若いことをするとは思わなかった。

老人のように懐古した。
階段も廊下も楽器倉庫も中庭も屋上も何も考えずに見ることはできない。

マフラーマンさんはこれからインドに行く。
幸運を祈ろうと思う。



80歳になっても
2003年11月08日(土)

過去にいつまでも囚われていたって仕方ない。
うらんでもしょうがない。
仕返ししてもしょうがない。
見返してもしょうがない。
誰かにわかってもらってもしょうがない。

自分の人生を誰かにわかってもらう必要なんてない。
誰かに自分の成功を見せる必要はない。
私が人の成功に無関心であるのと同じように、
人は私の成功に無関心だろう。
私が「自分の人生は成功した」と思うことができればそれでいい。

私は金持ちにはならない。
結婚なんて絶対しない。
すてきな洋服も着ない。
宇宙飛行士の夢はあきらめる。
ダイエットは絶対しない。

余計なことは全部あきらめる。
よく考えれば、したいことはふたつだけだ。

①文章を書き続けること。
②私のことを大事にしてくれて、かわいがってくれる男の人を見つけること。そしてその分その人を愛してあげること。

そして、それは先が見えなくてかまわない。
不安定でどこに行くあてもなくてかまわない。

80歳になっても、何か書いていたい。
80歳になって、現役で恋愛していたい。

そして、それらは、それ自体が目的ではなく、私らしく、よく生きること、
が目的だ。

そのために書くし、そのために人と出会う。

ひとりでしっかり立つこと。誰もあてにしないこと。
その上で、書き、人と出会うこと。
自分の悩みを考えず、人の悩みを考えること。



いい日旅立ち
2003年11月03日(月)

とうとう11月3日だ。しかしどうということもなく。

31日は会社のとなりの席の人が退職したので、送別会があってオールでお酒を飲みました。

そのまま帰って少し眠って、大学の後輩二人(一人はマフラーマンさん)と約束があったので、上野に。マフラーマンさんはこれから3ヶ月間インドに行くとのこと。
公園でけんだまのプロを見た。すっごく面白かった。それから美術館食堂でオムライスを食べて、散歩した。あと、浅草の仲見世で、人形焼とおせんべいと冷たい抹茶を飲んでとてもおいしかった。お参りもして、みんなが楽しくなれますように、今会えない人も、元気でいますように、とお祈りした。
おみくじをひいたら、私は大吉だったのだけど、後輩の子は凶で、私はしまった、と思って、もう一回私がひいてあげる、とひいてみるとまた凶でフォローがしきれなくなった。でも3人で大吉も凶も分割することにしたから大丈夫だ。それからお蕎麦を食べてまた少しお喋りしてから帰ってきた。

昨日は恵比寿でひとりで映画を見た。マグダレンの祈りというもの。
すっごく重かった。はじめのシーンで憂うつになって、見なければ良かったと思った。でも終わってみると、見てよかった。淡々と、過度の説明や、感情の表現もなく、結論や答えもなく、ただ重さが胸に残った。これはこれでよかった。すごく考えさせられた。

明日会社行きたくない。




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