明治神宮にお参りに行った。 それから卓球大会が品川であった。 卓球。 面白いけど、予想通り自分は下手だった。 しりとり卓球なら出来るかも。
妹も、そろそろ進路のことを考えるらしく「大学は哲学科に行こうと思うの、どう思う?」と言い出した。 妹が、 「でも、哲学科行っても就職につながらないと思うし、変じゃない?」 と聞くので、 「変じゃないと思うよ、哲学科ってふつうの人多かったよ。それに大学は学問をするために行くのであって、就職するために行くなら専門学校の方がいいって言うし、すきなことを勉強するのが一番だと思うよ」 と私が答えると、最近私に厳しい父が怒っちゃって、 「大学行っても就職しないつもりだったのか?なんのために大学行ったんだ?」 等々ぎゃんぎゃん言うので、 「人生を豊かにするためだ」 等々言い返したが、 父はきっと、自分のやりたいこと、なんて考えた事もなく、私たちのことを育ててくれたんだ、と思うと、なんとも言えない気分になる。 ところで、哲学をやっている人が就職のことをがたがた心配したり、ってちょっと変だな、と思う。 どうも、形而上のものが現実レベルに降りて来ないのっていうのは、よく考えると不思議だ。 みんな、一体どんな世界に生きているのだろう? 哲学的に物事を考える人でも、生活の中では異様にこどもっぽい、ということがよくあると思うのだけど、それって不思議だと思う。 別問題ってことなんだよね? 思考レベルと生活レベルは全く違くって、世界がリンクしてないのだよね? 現実レベルで悩んでいるのが、いけない、というのではなく、 そういうものなんだ、って思う、頑張れ、って思う。 人間はまじめに生きていると矛盾をきたすと思う。 生きるのって困難ですか?
前髪の短さに犬のように憂鬱。 自分で切ったら、コケシだ。 半袖でむちむちでしごと。 人間国宝になるのが夢だ。
おととい、大学の時入っていたサークルの演奏会を聴きに行ってきた。 上手くて、びっくり。 楽しく聴いて、帰りにモスコちゃんとごはんを食べてきた。 久しぶりに色々おしゃべりできて、女の子同志っていいなあ(なんだそれ)、と思った。 女の子同志で他愛ないことしゃべるのって、女の子同志じゃなくちゃね、って。(ほんと、なんなんだろう) ところで、ショッキングなことに、BBSがへんなんなってる。 故障らしい。 データが破損とも言ってる。 なんなんだ。戻るのかなあ。 書いてくれた方々ごめんなさい。 治るといいのですが……。
最近、骨太に憧れる。最近、骨太に憧れる。ああ、二回書いた。 「説明できないこと」イコール「無い」というわけではないということがわかった。 例えば、私は今まで、過去って1秒前のことでさえ誰にも証明出来ないらしいから、無い、ということじゃないのかな、と思ってた。 思い出は食い違うし、過去は後から修正可能のように思えた。 でもあるのかも。決定的に過去はあるのかも。 というのは、「無い」ということも証明出来ないから。 説明できるできない、証明できるできない、というのは、存在の根幹に関わることではないのかも。 ソフトの部分には重要なことだけど、ハードの部分には関係ない、ということか? 私は人間だから、ソフトが全て。認識が全て。だけども、認識出来ないからって、在るとも無いとも言えないのだろう。 例えば、説明できない気持ちは、「無い」ってことになるのかって、そんなことはない。 ちゃんとあるでしょう? 説明なんて古臭い技法は使わないで、伝える方法がないのかなって思う。 泣けばいいんじゃないかな。
また関内に、友人のライブを聴きに行ってきた。
今日は高尾山にヨミネちゃんと行ってきました。 これはその、山道です。 画像に触れると、花が出ます。 この花はシャガという花で、いたるところに咲いていました。 川の中に石がぽつぽつあって渡るのと、吊り橋がよかった。 やはり、川の水音って気持ちがいい。 それから、山うさぎを見た。 可愛かったが、ふつうのうさぎと変わらない。 山鳩もふつうの鳩だった。 ところで、ロマンポルシェって、うける。
私は今まであんなに「すきじゃない」と言い張っていた松浦あややのことが、最近可愛く見えて仕方ない。 可愛い、なんか、自分、おじさんの目で女の子を見るようになってきたか。
今日は内藤剛志に本を売った。 昨日は金八先生が来た。 帽子を被っていたが、明らかに、目立たないようにするための帽子ではなかった。 目立つための帽子だった。 肩こりは首の後ろから、腰まで続き、明日には嵐になるでしょう。 もう、肩がこっている、という段階は超えている。 頭がいたくなったり、気持ちが悪くなったりもするのですが。 先生!
鎌倉に行ってきた(またもや) 今回は泊まってきた。 海が見たい、と思って、夕方出かけて、一人で夜の海にいた。怖かった。 次の日は、長谷寺や大仏、鶴岡八幡など周った。 中でもすきになったのは、鎌倉文学館だ。 鎌倉ゆかりの文学者の展示物などがあって、行った時は武者小路実篤の特別展示があった。 建物や庭も、バラ園もすてきな上に、昔の本の装丁にうっとりした。 今って、音楽は商業化している、と思ってたけど、本だってそうなんだな。 昔の本って、本当に見るだけで、どきどきするし、うっとりするし、所有したいって気持ちになるもの。 本の未来がどうなるのか、私にはわからないけど、情報で勝負するならコンピュータに負けるのだから、情緒を押さえて欲しい。 最近の本て、ベストセラーとか、「うわあ、欲しい」って思って買ってないよね。 あと、武者小路実篤がさ、 かっこいいよね。 若い頃とか、同じクラスだったら惚れてたね。 で、年取ったら、太ってくるし、顔もかっこよくなくなってるんだけど、 80歳くらいになっても、奥さんにラブレターを書いてるんだよね。 読むと、泣きそうになる。 やっぱり、かっこいい。 それから、夏に座禅した円覚寺をちょこっと見て、渋谷に帰って来て、 マンドリンの話し合いで、ごはんを食べて、 その後、友人とお酒を飲んだ。 あと、連休で、電車などで子供をたくさん見た。 子供って鼻血出る。 可愛いよなあ。 騒いでても、腹立たないもん。 大人文化なんか気にせず、子供文化で突っ走ってくれ、大して迷惑じゃないから、お母さんも気にしないでくれ。 しつけって大事だけど、おおらかではいたいよね。
人と話す時に必要なのは、相手を思い遣る気持ち、相手を尊重する気持ち、だろう。 相手を大事な人だって思う気持ちだろう。 この世界にこの人が存在しているってことは、実は奇跡で、誰にとっても喜ばしいことのはずだ。 たとえば、どうしても自分と上手くいかない人がいたとしても、その人も誰かにとってはかげがえのない人だということを覚えているようにしたい。 そして、相手の欠点を嫌だと思わない人って大人だと思う。 誰かと話していれば、 大抵、自分と考えの合わないところ、意外な子供っぽさ、エゴがぶつかる、 といったことが出てくると思う。 それを受け止められると、大人って思う。 考えが浅いと、 「この人って、こうなんだ」 ↓ 「あんまりすきじゃない」 って、程度のことになってしまう。 でも違うと思うのだ。 人のことって、沢山の角度から見ることが出来るし、 一回何かあったからって、 「こうなんだ」 なんて、評価を決めてしまうのはもったいない、と思う。 もっと多角的に人を見たい。 そして、たとえ付き合いづらい面があったとしても、 どうすると上手く付き合えるか、知恵を絞る価値はあると思う。 乗り越えられると思う。 相手を自分に都合の良い人間のように思うのが一番いけない。 付き合いやすい人が、優しい人ってわけじゃないと思う。 相手はただ、生きているだけの人だ。 真面目に、色々傷つきながら、生きている人なのだ。 優しさを求めたり、 ちょっとした食い違いでいちいち落胆したり、 タイミングが合わないからだめだと思ったり、 そういうのって、ばかだ。 もっと鷹揚に構えたい。 人と話す時に、もう下らない冗談を言うのを止めようと思う。 もっと真っ直ぐ、人と向き合いたい。 その人が、世界にひとりしかいないってこと、そして、奇跡的に同時代に生まれて、奇跡的にこの場所で出会えたということ、 そういうことを意識出来たら、と思う。 ガラス細工に向き合うような気持ちで、人と接したい。 薄氷を踏む思いで、会話したい。 難しいことだけれど。
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