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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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ハッピーエンド
2002年04月30日(火)

今、天童荒太の『永遠の仔』を読んでいるところ。
影響を受けやすい私は児童虐待について思いをめぐらせている。
まだ途中で最後どうなるのかわからないのだけど、ラストも救いはないんじゃないのかと、思われる。

だけど、ハッピーエンドじゃない小説ってなんの意味があるの?

といつもながら思う。

リアルさ、心を揺らすこと、嫌悪感、確かに小説に必要なことかもしれない。

だけど、もし私が小説を書くなら、ある種のハッピーエンドには絶対しよう、と私は思う。
嘘は書いてもつまらないけれど、心に希望を抱かせない文学の意味がどうしてもわからない。


話は変わるが、この『永遠の仔』を読む前に読んでいたのは土屋賢二のエッセイだ。
お茶の水女子大の哲学の先生なのだが、ユーモアエッセイを週刊文春で連載していて、かなり面白い。
電車の中でひとり読んでにこにこ(にやにや、か)していた。
すきなのは、
「神(以下敬称略)は……」
というところなど。
神様のネタって私はすきだ。


この土屋賢二のことは、後輩のNくんに最初、本を貸してもらって知った。


関係ないけど、Nくんに前に、
「みんな、欲求だけあって、才能がないから困ってるんです。書きたいという欲求だけがあって、でも才能がないから、みんなHPに日記なんか書いたりしてるんじゃないですか。キューさんも、そうなんじゃないですか?日記を書いてウサをはらしてるんじゃないですか?」
というようなことを言われて、ショックだったことがあった。


欲求だけあって、才能がない、
それは、悲劇じゃないのか。


だけれど、文章に限らず、ほとんどのことがそうなのだ、欲求だけあって、才能がないのだ。


人生は悲劇なのだろうか?


だけれど、ある種のハッピーエンドで終わりたい。



久しぶりです
2002年04月24日(水)

日記書くのすきだったのに、ずい分、間があいてしまいました。
これからは毎日書こうと思っているので、見捨てないように。
色々書きたいこともたまっているので、書きます。今度。

今日、渋谷駅でヨミネちゃんに偶然会った。相変わらずかわいい。バイトに行く時だったので少ししか話せなかった。



わからない
2002年04月01日(月)

何だか、まったく、何を書いたらよいのかわからない気持ちになってしまった。
胸がいたい




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