サークルの練習に、安曇さんやおずさんやまろんさんや左将軍や少佐が来てくれていた。 その後お酒を飲むと言うので私も参加してみた。 大変楽しく過ごせた。 今日はトランジスタが発明されたらしいが、トランジスタってなんなんだろう。
またわけわかんないことを思いついてしまった。 納会で俺の作った「フリスク」を演奏したいな、と思ったのだ。 あと一週間なんだけど。 でさっきまでアレンジしていた。 七夕バージョン。 とりあえず、フルート、1st、ドラは出来た。でも合わせてないからなんとも言えない。 そして演奏者が集まるかどうか。たぶん各パート1人ずつは弾いてくれる予定(私の中で)なのだが、募集中なのでK大の方、やってくれる人はいませんか?簡単なので2年生でもできますよ。 俺みたいなわけわかんない奴でも曲って出来るもんだなあ、まあ、変かもしれないけど。 それで、ちょっと振ってみようかな、と思ってるのだが。 出来たらいいなあ。 そういえばだいぶ前だけど、「あいのり」でりんごが帰った時は泣けたな。 ところで「ただ水を飲んでもスイート」って言葉を見かけたので、題名をそれにしようと思ったのだが、スイートっていうのがなんだか恥ずかしくて書けなかった。
細部にこだわれ。 となんとなく思った。 ディティールこそが命。 どこまでも自分好みに。 はああ。 真面目に、こ あれ…何書こうと思ったんだっけ? まあいいや。 就職活動といえども、活動って出会いだなあ。 となんとなく思った。 そういえば、昔は人生に一度であろう就活なら、変な会社とか意味無くまわって、面白い思いをしようと思ったけど、まあ、そんなことしてないな。 前髪ちっとも伸びない。
やりたい事がたくさんありすぎて、生きている間に終わらないように思う。 長生きしたい。 就職してもいいけど、やりたい事が他にもたくさんあるのにどうしたらいいんだ!!!(エクスクラメーションマーク) !!!って程でもないが…… でも生活において「マイペースほど大事なことってない!!!」(!!!って程でもないが)と考えているので、私のスピード(大分のんびり)で生きてくんだろう。 そんなスピードでやってれば、やっぱり時間が足りなくなるだろうな。後悔するかな? 後悔しない生き方ってあるのかな。 ああ、わからない、でも。 あと生活において気を付けているのは「世界が小さくなる事だけは避けたい」ということだ。 目に見えている世界だけがほんとうの世界じゃないんだぞ、というか。 私の世界はこんなもんじゃない、というか。 例えば、サークルにはまっているけど、サークルだけが世界ではないわけだし。サークルの人を見て世の中の基準を作ってはいけないし、通用しないと思うし。部員だってサークルで見せているキャラクターだけでは見たくないし。自分だってサークル以外のとこに行けば違う役割すると思うし。 それから目に見えない世界もほんとうの世界だと思う。思索の世界とか読書の世界もあるし、えー、それから、色々。 そして世の中ってもっとすっごく変わっている人もいると思うし、そんな人を想像しながら生きていきたい。 ところでテルミンを弾いてみたい。(弾くって言うのかな) デル・セルゲルヴィッチ・テルミンというロシアの人が作った、世界最初の電子楽器だそうだが。 むかし小山田圭吾が弾いてた。
卒論の第二次題目の事を先生と話したので、サークルの練習をお休みした。 何故か夜の8時半の約束になってしまったから。 私は源氏物語の浮舟について書こうと思っているのだが、浮舟ってご存知だろうか。 源氏物語の二部、宇治十帖の最後に出てくる。(宇治十帖はおまけで完成度が低いとか言われるけれど、淡々としていて私はいいと思う) 浮舟は源氏物語に出てくるのに別にいい女って訳でもなく、個性的でもなく、ただひたすらはかなげで少女っぽい。 でも、更科日記の孝標女が夕顔と並んでこの、浮舟に憧れている。 やはり、ばかな文学少女の孝標女、はかなげな女の子が好みなのか。 気持ちはわかる。 私も憧れる。 浮舟って二人の男の人(薫と匂宮)に求婚されて、どっちか選べなくて悩むかと思ったら、そこでは悩まずどちら共といとなんじゃって(いとなむっていうか)、あげく思い悩んで自殺しちゃうっていう奴だ。ばかだ。 しかもたぶん、ほんとうは二人とも浮舟の事をそんなにすきじゃない。 匂宮は、コンプレックスのある薫と張り合いたかっただけなのだろう。 薫は、元々、浮舟ではなくお姉さんの大君が好きで、その大君が死んでしまった後、大君に似ている浮舟と出会ってすきになっただけなのだ。 浮舟は「お姉さんの代わり」の域を出ない。 要するに薫は浮舟を、人形のように可愛がっているだけだ。 実際は誰も浮舟のことなんて見ていないのだ。 この「似ているから好きになる」というのは源氏の最初の方にもある。 源氏が、すきだった継母に似ている若紫を、引き取って育てて妻にする話だ。 この同工異曲がなぜ描かれたか考えないといけない(とか先生が言ってた) わからないけど、紫の上は美人で知性もあって、源氏と結婚して、一番大事にされて、幸せそうだけれど、でもだから何というか、 女の人生ってそれでいいのか?という感じで。 反対に浮舟の方は川に投身自殺を謀ったのに死ねず、僧に助けられ、出家してしまう。 生きている事を知った薫が手紙を出してくるが、無視する。 そんなに幸せそうでもないが、この冷めた感じが、いいな、というか。 浮舟は確かに最初はなよなよして、どうしようもないけれど、最後には強く冷めるというか、そこが魅力。 宇治十帖というのは、確かに政治の闘争や、恋愛沙汰も、前編ほど描かれていないし(恋愛ですらない気がする)、読む人によっては終わり方が中途半端だと言われたりもするかもしれないけれど、そういうのって男の人の意見なんじゃないかな。 女の子の生き方の問題なんじゃないかって思う。
前から思っていたけれど、俺はリーダーシップってのが、苦手だ。 取るのも取られるのも苦手。 誰の事も引っ張りたくないし、誰にも引っ張られたくない。 昨日も書いたが、ほんとうのリーダーシップっていうのは、自分が、と出て行くのではなく、みんなの話しを黙って聞くことが出来る事じゃないかと思う。 一人一人の良さを引き出すことが出来る、そして上手く流れを整えていくことが出来る、自分は控えめでいられる、そういう事が出来る人じゃあないか、と思う。 先頭は切らない、様子を見て後から付いて行く。 それにしたって、よく就活でリーダーシップのある人って受けがいいように思うけれど、ほんとうはそんな人ばかりだったら、仕事進まないだろう、と思う。 色々な人がいないとどうしようもないのだ。 集団というのは、微妙なバランスで成り立っていて、一人でも抜けてしまったら、違う集団になってしまうと思う。 別に情に流されてもの事を考えている訳でもないが、世の中はそうシステマティックなものでなく、目に見えないものすごく色々な物が絡まって、微妙なバランスと絶妙なタイミングで進み、今の状況があるのだと思う。 まあ、なににせよ、俺はリーダーシップなんてものより、深く物事を考えたり、自分の考えでひたすらマイペースで行動したり、マイペースでいながら人の気持ちには敏感でいられる、そんな事が出来る人に魅力を感じるな、という事を考えた。 そんな人になりたいな、と。 まあ人それぞれってことか。 スピッツのラズベリーの音を取ってみた。 ちょっとエッチなとこがいい。 あと、ミーコがどうのって歌。題名わすれてしまった。 遥かと冷たい頬も少し。 ボリス・ヴィアンの日々の泡を読み返してみる。 俺の好みはロマンティシシズムの地平を離れない。 曲も本も、うっとりするもの、せつなくなるもの、がすきになる。 それにしたって音楽は不思議。 卒業するまでに、もっと音楽について知っていく事が出来たら……と思う。
考えるのに時間のかかる人がいたら、他の人で話しを進めた後、しばらくしてもう一度その人に「さっきのことで、いいアイデアあった?」なんて聞いてみると、すごくいいアイデアを喋ってくれる時がある。 何もみんなの前でハキハキ喋れたり、中心になれたり、そればかりがいい事ではない、というか。 そういう事をしない人の中にも、いい物を持っている人は沢山いて、だから、そんな人に水を向けてみるといい意見が聞けたりする。 自分から話す、積極的に、みんなをまとめる、そういう事も大事かもしれないけれど、私はそういう事をしない人の話を、もっともっと聞いていきたい、話し易い雰囲気を作れる人になりたい、と思う。その方が絶対面白い話を聞けるはず。 ちょっと話がずれるかもしれないけど、「みんなの意見を聞いていたらまとまらない」って思うかもしれないけれど、まとめるのってそんなに大事なことなの? 雑なまとまり方になったとしても、沢山の意見を聞いた方が、もっともっと大きないい集団になると思う。だってそれだけアイデアが増えるのだから。 それに話を聞いてもらえるだけで、その人のやる気は随分かわるはずだ。 一部の人でことを決めて進めて、他の人はそれについて行く、なんていうのは、僭主制?よくわからないけれど、専制政治じゃない。 みんなの国じゃない。 と、かなり離れて国まで行ったのでこの話題はやめよう。 でも、思うけれど、小泉首相とかのことだけど、そりゃあ、意見に対してぱっと切り返せるとか、言葉で人を惹きつけるとか、そんな感じですごいって思うし、政治家ってそういうの大事かもって思うけど、なんか「上手いな」の域をでないというか。 精神異常者に対する刑法を見直すとか、なんか変だと思う。 ところで、今日は「オリーブ」の復刊の日だ。高校の時にずっと購読してた雑誌なのだが、休刊してたのが、6/18に復刊、という事で、楽しみにしていたのだった。 ちょっと大人のオリーブに、なんてコピーだったから、ふうむ、と思ったが、可愛くなくなってた気もする。前はもっとちっちゃくて薄くって紙質もぺらぺらだったのに。それに広告もかわいいのばかりだったんだよなあ。 広告。私は雑誌にいやな広告が入ってるのが、どうも嫌で。 ところで、新聞にいい科白があった。 「本当に美しい音楽は大声で語らない。表現したいのは『気配』」 というの。
毎日海日、迷ってばかりだ。 梅雨前線もお休みね、と母が。 ふっ。 前から思っていたが、友人っていらない気がする。 いや、いてくれたらそれはそれで嬉しいのだけど、いないと駄目ってこともないし、ひとりも楽しいし。 雨降りの話なんかをずっとしていたい。 「最近雨ばっかり」なんて、当たり障りの無い話好きだ。 日曜の朝って、特別な感じがする。 氷を沢山入れてカフェラテを作る。自分でカフェラテと思っているだけで、つまりはコーヒー牛乳か。イタリアのカフェオレの意味だって聞いたけど、何か違うのかな。 目玉焼きがあったのでケチャップをかける。(前にみんなで「目玉焼きになにをかけるか?」って話をした時にみんな醤油って言っていて、私も醤油だ、と思ったのだけど、それじゃ話が盛り上がらないと思ったので「やっぱケチャップだよ!」と無駄な嘘を付いてから、ケチャップにした) 代々木で筆記テストを受ける。難しい。
私は自分にものすごく自信がある。 就職しなくても、いい気がする。 私はまわりに思われているよりも、ずっとしっかりしているし、1人でもきちんと生きて行けるような気がする。 経験者は後輩に、アドバイスをしてはいけない。 以上
コーラはプールの味がする。 プールを飲んでるようだ。 すうっとお腹に水をため、塩素を投げ入れる。 音のない水の中で息をとめ、鼻に水を吸い込み、つんとさせる。 小さな私は胃の中で、じっと座禅を組む。 意外と、詩人の瞑想という曲は、いい曲だ。 今日は一日、詩人の瞑想が耳のうずまき管をぐるぐるしていた。 今日はシケモクさんの誕生日だった。 本人は否定していたが。 それから、Kちゃんがちょっと感じが変わっていた。 5限は職業に貴賎はない話。 ところで、自分って公共のものだな。 色んなものが流れ込んでいて、自分で決めたことなんて何一つない。 モナに「キューさんはフリーターになるじゃないですか…」と言われて、びっくりする。就職するよ。 ちょっとむっとして、急に就活にやる気がでるも、どうしていいかわからず、帰ってから、部屋の掃除なんて始めてしまった。
こうして、HPを作っていると、変な気がしてくる。 他のHPを見たりして、知っている人なら、その人のPCに向かう姿が目に浮かぶし、知らない人でも、ああ、どこかにいるんだろうなあ、というような、うまくいえないが、世の中の変な成り立ちというか、ああ、わからない。 生活。 だろうか。 働くってだけが、生産活動なのかな、とふと思った。 経済活動じゃなくっても、やり取りしてるものって、ある気がする。 目に見えないものとか。 こうして、HPを作ったりして、これはお金にはならないけど、活動ではあるし、アクションを起こせば、リアクションもあって、やり取りというのは、やはり、ある。 ばかばかしい事に血道を上げていても、やはり、やり取りというのはある。 サークルをやっていても、すぐに卒業だし、いつか、この日々も泡のように、無くなってしまうとは思うけど、後輩たちの彼方に私の記憶が残ってくれたり、私の中にも何かが生まれていたり、そういうのが、生産活動じゃなくって何なんだろう。 普通に歩いていたり、お喋りしているだけで、何かを生み出しているような気がする。 目に見えない。雰囲気のようなものを。 所詮、会社だって、お店だって、いつかは消える、泡のような存在で、だから、普通の生活だって、泡のようでも価値のある、立派な生産活動なんじゃないかなあ、と。 こんな私でも、少しはまわりの雰囲気作りに荷担できているような、そうだとすると、それでいいんじゃないかと。 職業にしたり、お金で返ってきたりしなくっても、いいのじゃないかと。 ふと思う。
練習におずさんが来てくれた。 久し振りで緊張してちょっとしか話せなかった。
はらじゅくが腹じゅくでなく耳じゅくだったら面白い。 みみずく。 今日はN谷くんが発表をするというので、その授業にこっそり出ると、N谷くんが、「Nタニくん」と呼ばれて普通に返事していた。 N谷くん、左義長について語る。 左義長って、どんど焼きみたいなものらしいのだけど、みなさん知らないですよね。 東北ではポピュラーなのか、授業直前に「左義長なんて聞いた事ないな」と言うとびっくりしていた。「習字とか焼くやつですよ、みんな知ってますよ」とか「くまでとか」と言うので「くまでなんて買わないよ」というと「ええ!!」とすごくびっくりしてて面白かった。 あげく「左義長って始祖鳥みたいな」もんですよ」なんて言ってた。 で、発表、面白かった。いつも通りのN谷くんだった。 それから、この世は相変わらず地獄みたいだ。 いや、別に悩みがあると言うのでもないが、ああ、でもみんなそうなんだろうなあ、暗闇の中を手探りで歩いているというか、まあ、楽しいし、生活も悪くないと思うのだけど、ときどきすごく怖くなったり、わからなくなったりするのだが。 自分が気持ち悪くなったりとか。 罪悪感みたいなのが湧いて来たりとか。 なんか大人なんだからもっとちゃんとしなきゃ、とか。 アフリカの子供に何か出来ないのか、とか、病気の子供は今も苦しんでるのに、とか急に考え出したり。 最近、雨がよく降る。 雨って、ぼんやり見ていると線だけど、雨に合わせて目を動かすと粒になる。 ああ、なんか隣の犬がコケココーって鳴いてる。 こりゃ、コケココーだな。
擬声語、擬態語が多いというのは、日本語の特徴らしい。 英語とか、インドヨーロッパ語族の言葉には、例えば蛙がぴょんと跳ぶ、のぴょんに当たる言葉がないらしい。 そういえば、しょっちゅう聞く、ぴょんだの、さっだの、わいわいだの、どきどきだの、英語にはなさそうだ。 で、この擬声語、擬態語というのは、意味よりも音が、重要らしい。 つまり、ぴょん、の「軽く飛ぶ」(?)という意味よりも、♪ピョンという音に、伝える要素があるということか。 言葉というより、むしろ音楽なのだそうだ。 確かに、ぴょん、と言われた時、言葉として受け取るよりは、その言い方、口調を楽しんで受け止めているように思う。 ぴょっん、とか、ぴょーん、とか、微妙に違う言い方だったり。 それに実際に音がしないもの(蛙が跳ぶとか)を音で表現する(ぴょんとか)って実はすごいかも。 言葉って、意味ばかりじゃなくって、耳触りというか、リズムなんかにも伝える力があるんだろうなあ。 それで、どうも、この擬声語、擬態語を妙に多く使う人が俺の周りに多い気がする。 たまに、「ぴょんって」「それでちょこって」「で、どかん」とかいう擬声語、擬態語だけで会話が終わってる時すらある。 会話って、たぶん、意味じゃない。リズムかも。 話しは変わるが、俺の人生の敗因は思い込みがつよいことじゃないかと考えた。 昨日、俺は自分で決めた事で成功したことってないかも、と書いたが、そもそもいつも目標をたてた時点で間違った目標をたてていたような気がする。 で、俺は思い込みが強いから、決めるのも、すぐ決めちゃって、迷いがなくって、まっしぐらに突き進んで、ばんって壁にぶつかって、わあんって泣いて、まわりの人に助け起こしてもらって、やっと他の道が見えたりする。 色々な事、大体そのパターンだった。 そういえば、昔から、俺は悩みってなかった。 不安、とかはよく感じるのだけど、どっちにしようかとか考えた記憶がなくって、たぶん、思い付きで決めて、なぜか自信満々に突き進んでた気がする。 だから、人に相談なんかもしないから、自分でも間違いに気付かないのだろう。 大学だって、俺はサッカーを見てて、「勝ったらここ受けるか」って決めたのだ。 昔は自分の事は自分が一番わかってる、と思っていたけれど、他の人の方がわかってくれている場合もあるかも、と最近思った。 どうも、俺は自分のことがよくわかってないんじゃないかと思う。だから目標や選択を間違うのじゃないか。精進しよう。
自分で骨壷が作りたくなった。 よく陶芸習って、骨壷作るって言うじゃない?あれだ。 骨になったらどんなんに入りたいかなあ、と考えるに、思い付いたのは、自分のコーヒーカップ。 あんなんでいいや。ふた付けて。 はいんないかな。 まあ、ゆっくり作ろう。 それで、あと思ったのは、始める前から楽しいってことはないよな、ということだ。マンドリンだって入る前は全くやる気なかったし、流れで入っちゃっても、しばらくは辞めようか続けるかずっと考えていた。それが、合奏するようになってから、急に楽器にはまっちゃったのだ。人生はわからない。就職だってそうだろう。 村上春樹が言ってたのだが、「人生は、自分が選ぶ事よりも、人生から選ばれる事の方が遥かに多い」って。 確かにそうで、考えてみると俺の人生、俺が決めた事ってどうも1個もないっぽい。 それでも、志望する大学じゃなかったけれど、今の大学に入れて良かったと思うし、なんとなく入っちゃったサークルは楽しいし、入った後に第一志望になるというか。 やってみないとわからないんじゃないか、と。 だから、やる前に、自分がこれを好きかどうか、なんて考えても、あまり意味がないかもしれない。 まあ、そんな考え方、良いのかわからんが。 前、就職テストみたいの受けた時も「貴方は人生を流れに任すきらいがあるので、もっと考えて決めましょう」とか書いてあったから、良くないのかも知れない。 意固地に見えてすぐ人に影響されるし、考えてるように見えてわりと思い付きで行動してるし、そうゆうの、治そうかなあ。 でもいい。 笹舟に乗って、気になる島が見つかったら、そっちに向かったりして、気ままに行こう。
すでに何かの媒体で表現されているものを、他の媒体に移して表現するのは難しいなあ、と思った。 というのは、譜面に練習番号をふるのに、譜面を見せてもらって写せばスムーズなのだろうが、口で言われると、どこのこと言ってるのかわからないから。 「次のmpがBです」(mpっていっぱいあるじゃんか) あと、読めない記号を適当な英語読みしたりするから、おかしい。 それで、え?と思ってるうちに次にいっちゃってるし。 それで、昔カウンセリング講座というのを受けた時に、6,7人のグループでそれぞれ地図の断片を持って、それを見せ合わずに、口だけで伝え合って全体図を完成させる、ということをしたのを思いだした。 あと、例えば、小説で表現されていることを、音楽で表現するとかも、おかしいよなあ、とか。 でも、音楽をやっていて、弾けばわかることを、あえて口で説明してる時は、妙に楽しい。 なんだかんだ言って、伝わらないっておもしろいよなあ、と思う。 コミュニケーション不全ってなんだかくすぐったくってくすくす笑っちゃう。 うまく言えないがそんな事を考えていた。 そんな感じで、あとで見たら、私の譜面の練習番号はほとんど違う所に付いていた。 それから、1年生がどんどん上達してく。 面白い。 もうちょっと出席してくれたらなあ、とも思うが。 きょうは星空のなんとかと、詩人の瞑想を、初めて弾いた。 わりと詩人の瞑想がすきだった。 星〜はミューズの時、かめやんに何度も教えてもらったリズムがある。 はんちょうが具合が悪くて帰ってしまった。
自分の年齢がこわくなってきた。 年を取るのは、どんどん諦めていけるから、楽しくていいのだけど、 諦めるといっても、まだまだ諦めない方がいい事も沢山残っているような気がして、心配だ。 若くて可能性が何処までもある、という程の年齢ではないし、もう諦めた方がいいという年齢でもなく。 けっこう、瀬戸際のような、きっと後になって、大学4年の時あれやっておけば良かった、とか、あれ始めとけば良かった、なんて思いそうでこわい。 子供の頃からやりたいと思っていた事、夢、とか沢山あったのに、大学入ったらあれやろう、ということも、あったのに、諦めちゃうのかなあ。 就職なんてしてる場合じゃないんじゃないかな。 わくわくすること、本当にやりたい事をするために、知恵を絞らなくっちゃ、という気分。 もっと、自由なはずなんだよ。 大学4年だから就活して、とか、人生ってそんな単純じゃない気がする。 私は他の人と違う事をするのは全然こわくないなあ、というのも思った。 なんでかな、と考えるに、私は今までも、人生で「これは上手くいった!」ってことは、たぶん1つもなくって、例えば高校、大学受験も失敗が多かったし、部活やサークルでも挫折とかって多くって、だから思い通りに行かない、とか、他の人と足並みが揃わない、という事に、慣れているというか、びっくりしないし、平気。 どうにかなるだろう、という感覚がすごくある。 その上、いつまでも夢見勝ちというか、浮世離れしてるとういうか、小説や詩の世界も、現実の世界と同じ位の価値で考えているから、なんか、ほんとに、もっと自由なはず、という思いが強いというか。 友達なんかも気にならなくって、私は私、という思いも強いし。 旨く言えないが、「もっと私らしい生き方があるはず、他の人の流れには合わせたくない、もっとちゃんと考えて生活したい、やりたい事をやりたい!!」と思う。 こんなもんじゃない、と思う。 こうしている間にも、宇宙は膨張して、エントロピーは増大して、今が過去になって行くと思うと、こわくてしょうがない。 そう、上手く行かない事や、失敗する事は全くこわくない、やりたいことをやらないで時間が過ぎてゆくのがこわい。 お金がないのも、こわくない。そんなのどうにかなるだろう。 もっとこわいことがあるはず。 もっと動かないと。 そうすれば新しいアイデアが浮かぶのかもしれない。 じっとしてても答えが出る訳無いし。
お腹が痛い。 死ぬのかなあ。
「あの日は暑かった」 という思い出になりそうな新歓ハイクだった。 上野公園で散歩する。 俺はC班で、コヒロヒラハさんが班長だったので面白かった。 下町民俗資料館というとこと、動物園に行く。 前者は剣玉や知恵の輪で童心に返って遊べる穴場で、後者は面白いのと面白くない動物がいて、炎天下のため最後はくたとした。 動物を見ていて思うのは、「やっぱり好みがあるなあ」ということだ。 何故だか惹かれる、とういう動物と、みんなが可愛いと思うのはわかるけど俺は別に、という動物がいる。 惹かれたのは、ペンギンと蝙蝠とスローリスとかいうの。 ペンギンの中に置物が混じっていた。全く動かなかった。そして、走って滑って転んでいる奴もいた。計算とわかっていながら可愛いと思ってしまう自分にがっかりだった。 あと、トラ。トラは犬科だ。 というか、全部犬科だった。 その後あまりの暑さと寝不足と頭痛でテンションが低くなって申し訳なかった。 ボートに乗ってる子もいたが、俺らはぼんやりしていた。 あんな感じでよかったのだろうか。 それから地下鉄で一年生がいなくなったので、放送で呼び出ししたのが面白かった。 その後、渋谷でお酒を飲む。 1年生のみんな来てくれてありがとう。 雪ちゃんはじめ2年生の方々おつかれ様。楽しかったです。
昔は重音は嫌いだった。 勝手に単音で弾いたりしていた。 というのも、私は子供を産むなら一人っ子がいいと思っていて、何故なら、沢山の子に手をかけるより、一人の子に気を使って大事に育てた方がいいなあ、と思うから。 色々な音を出して、微妙な音を出すよりは、一つでも綺麗な音の方がいいではないか、と。 でも、今は重音に夢中。 重音って決めのとこで出てくるではないですか。 がんっと出せたり、ぐわああ、と出せたりした時の気持ちはたまんない。 兄弟もいいやね。 今日から、サークルの後期の練習が始まったので行く。 ドナウの模範演奏を聞いてから、アルバマと風のテープを聞いて、風の合奏をした。 それにしても、トマトは美味しい。 夏だなあ。 最近いつも、冷蔵庫に入っているので、よく齧ってる。 それから、サンドゥイッチにしたり。 トマトは生命の味がする。 さて炭酸コーヒー。 私は炭酸コーヒーで就職するぞ。 炭酸コーヒーとはなんぞや。次回につづく。
すてきな女優さんがいる。板谷由夏。 ところで、よく「人に迷惑かけてはいけない」なんて言うけれど、ほんとにそうかな、と思う。 意外に迷惑かけられると嬉しい。 やっぱり、寛容だねえ。 世界は寛容で成り立ってるんだから、人の失敗なんて、平気で許したいし、わがままも、砂地に水が染み込むように聞き入れたい。 わがままとか、いいと思う。 わがままな人と付き合うのは得意かもしれない。(自分もそうだからか?) ひとりで生きてるんじゃなくって、みんなで生きてるんだから、迷惑って当たり前だと思うし、迷惑かけてもいいんじゃないのかなあ。 それから、謝ったりとか、しなくっていいよ、と思う時もある。「ごめんなさい」とか、「すいません」とか、言って欲しいって人もいると思うのだけど、私の場合は言われなくても平気だ。 たぶんココロの中で悪かったと思ってるんだろうな、と想像出来ると、別に言葉にしてくれなくっても許せる。 「ありがとう」も言わなくっていいよ、と思うけど、でも「ありがとう」はいい言葉だと思うので、自分では割と使うようにしている。 「ごめんね」って卑屈な言葉でそんなに良くない言葉だと思う。 「ごめん」を使うシーンで、代わりに「ありがとう」が使える時ってよくある。 例えば「遅れてごめん」を、「待っててくれてありがとう」と言い換えて言ってみると、言う方も言われる方もいい感じな気がする。 そんな感じ。。
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