Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2018年12月26日(水) あがた森魚2018年ニューアルバム『理想の靴下と船』




あがた森魚2018年ニューアルバム『理想の靴下と船』


1.オリオンの腕/2.にげるんだ有楽町/3.シドバレット造船所 am/4.ゆあ原っぱ/5.空を想う日のこと/6.エリック・ホッファー造船所 pm/7.影法師あねったい/8.初三郎又三郎/9.理想の靴下と船/10.ゆあひっとぱれいど2018


今日26日発売、どこで売ってるのだろう、自分へのクリスマスプレゼントで買うのだ、アマゾンじゃなく、


Spotify に jazztaketaro ホソダさんが作った素晴らしいプレイリスト『Turtle in December』をBMWで鳴らして、皇居、丸の内、銀座、御成門、東京タワー、港南図書館、内神田のタリーズ、


どうやってこういうプレイリストができあがるのか、


ECMウォルフガング・ムートシュピール盤、アキンムシーレ、メルドー、グレナディア、ハーランド、格違いの演奏力、


67-97、若い女の子のような血圧ね、おばさん看護婦、健康診断、


5ヵ月ぶりのりゅうぽん3さい、うるうる、かいだん3だん跳び、じゃーんぷ、じゃーんぷ、


銀座二丁目の交差点、やなか珈琲店東銀座店のある、ラーメン萬福、函館ラーメン船見坂、酒造秩父錦のある、


朝の始動にまずは米本珈琲につけてアイスラテテイクアウト300自家製シロップ、お店にはいつものポールモーリア、一日のはじまりにうきうきする、


同い年のモリさんにオランダヒルズでカーペンターズの新録をもらう、期待していなかったせいかとっても良い、昭和36年生まれのぼくたちは中1のときに毎日ラジオで何回もかかったプリーズミスターポストマン、函館の亀田港の借家で一町向こうのオオツカくんお母さんは美人英語教師、と、あの日の空、




2018年12月18日(火)




さんさいおたおめりゅうぽん

http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20151218


2018年12月17日(月)





東京もいきなり冷たい雨が降るようになって、な、妹とまりえんが札幌の火災をラインで22時すぎにやりとり、ピロピロうるさいがな21時にご就寝なされる早寝早起きジジイ、まさのりジイさん、月曜火曜木曜金曜19時~23時は麻雀Mリーグ集中視聴に忙しく、


宇多田ヒカル12年ぶりライブツアー千秋楽デビュー20年記念日に、ファーストラブと初恋を聴いたことで、その前にはタイション3CD、そんな胸いっぱいの愛を状態だったので、聴き離れを起こしてしまっていたがな、



ふとベーシスト蛯子健太郎のライブラリを聴きたい、気持ちが起こって、そしたら来月のタダマス年間ベスト会のゲストは蛯子健太郎だということになり、なんだか耳の元気が出てきた、詩人三角みづ紀は世界的に活躍するようになったからなかなかライブラリ公演はできないのかな、



くるりやユニコーンを聴いて、師走の















2018年12月16日(日)









【告知】

2019/1/13 (sun) 何処でもSound Café dzumi

アートや表現されたものが出来るだけ事実にもとづいて伝わっていけばいいという思いから、音源を言語化した「解説」ではなく音源そのもので伝えたい。そんな思いで泉秀樹さんが語れば何処だってSound Café dzumiになる。知らなかった音楽や興味のある音楽を聴きながらの話には、たくさんの驚きと発見がある。今回は今井和雄も話に参加しますがどうなる事やら。先ずは残念ながら先日他界された小杉武久さんが参加していた「グループ音楽」の音源を聴いて話を始めたいと思います。

open: 14:00/ start: 14:30-16:30
charge: 1500 yen + drink

トーク:泉秀樹

音/映像プロデューサー。68年草月アートセンター勤務。雑誌『JAZZ批評』の編集にも携わる。73年広告代理店I&S BBDOの前身㈱SPNに録音技師として入社。数年後にはセゾングループの企業CI広告制作を担当。同時に六本木「WAVE館」の設立に関わり、Video+Book『ボイスinジャパン』制作を含む数々の音/映像関連の制作プロデュースした。サラリーマンを終えたのち、Other Voices, Other Silenceをキーワードに研究所機能のあるSound Café dzumiを9年間運営。

https://www.facebook.com/SoundCafedzumi/

聞き手:今井和雄
70年代から即興を始める。
1976年即興集団「イースト バイオニック シンフォニア」に参加。
1991年にソロ インプロヴィゼーション シリーズ「ソロワークス」を開始。
1997年より集団即興の為のプロジェクト「 マージナルコンソート」を企画。
2005年にフリージャズの為の「 今井和雄トリオ」結成。
その他、即興を中心に国内外で活動している。
https://www.facebook.com/kazuo.imai.music/

喫茶茶会記: http://gekkasha.modalbeats.com
東京都新宿区大京町2-4 tel: 03-3351-7904






2018年12月15日(土)


神田のマニアックな塩生姜ラーメン大盛り食べたら風邪が暴走して夜中唸った、風邪薬倍付け呑んでたまごご飯夜中3時迎えにして乗り切る、ランチは行列のできる内神田「うてな」千円和定食、11時先発入店、料亭な味わい背中までシビれる、


12月だな、年間ベストをまとめてこの一年を振り返る楽しいひとときを、





文藝春秋1月号平成30年史全証言、2冊目買う、発売日に買っていた1冊目は社長に話の流れで、
貴乃花光司にグッとくる、





なかむらしょういち FB 投稿

大岡山から帰ってきました。とても楽しいイベントでした。今日はそのことについて書こうかな・・・ と思っていた矢先に、大事な方の訃報が入ったのでまずはその思い出について書こうと思っています。
館山の真空管アンプで有名なレストラン「コンコルド」とその主である佐久間駿さん(http://www10.big.or.jp/~dh/sakuma/index_j.html)は私にとってかけがえのない貴重な存在でありました。館山という千葉の最南端から発信されるその音楽と音は私にとっては未知の世界を数多く切り開いてくれたのです。
私が最初に佐久間さんにお会いしたのは忘れもしない、あのタワーレコード渋谷店のエレベーターの中でした。その時佐久間さんはご家族と一緒におられたのかな?「カルロス・ガルデルのCDを探しに東京に出てきたら何かエレベーターの中でこっちをジロジロ見ている奴がいるな と思ってたんだ(笑)。」というのは「コンコルド」に行くたびにネタにされた話でした。私の亡母が健在で一緒に「コンコルド」に伺った時に出た話題ですからもう10有余年前の話です。
それからというもの、私は千葉の方にツーリングで行くたびに「コンコルド」に足を運んでいました。5年くらい前まではほぼ年1回くらいで伺っていたんじゃないかな。私の母もそうでしたが、最初にノックアウトされたのは樽に入れられたローサー(ラウザー)のスピーカーから出てくるジョニー・ハートマンのヴォーカルでしたね。コルトレーンと組んだ名盤から「ラッシュ・ライフ」でしたか・・・マッコイのピアノに続いてハートマンのヴァースが聴こえた瞬間に「くーっ!参りました」という感じでした。
その後、アルテックのA5や蓄音機のような箱に収められた同軸のスピーカーから流れる音楽の数々を聴かせていただきましたが、そのどれもが佐久間さん一流の美学に彩られていたように思います。それは「良い音楽ってのは重心が低くなくちゃね」という事です。当時の私はその言葉にふんふんと頷いているだけの客だったのですが、佐久間さんがこよなく愛されたクリフォード・ブラウンにしても、フルトヴェングラーにしても、そしてカルロス・ガルデルにしてもその「重心の低さ」というキーワードが持つ意味は今の歳になって分かってきたような気もします。
佐久間さんは常々「アンプ作りでは森川忠勇さんが、音楽では池田圭さんがオレの師だと思っている。」と話されていましたが、ガラードのターンテーブル+グレイのトーンアームに付けられたDENONのDL102から流れる音にしても、そしてスピーカーはモノーラル一本しか使わない=ステレオ音源でもトランスで左右を合成してモノーラルでかけておられました にしても、そういう良き時代の良き人の記憶を音と言葉で語ってくれた、素晴らしき先達だったと思っています。
今夜はそのハートマンとコルトレーンのアルバムでも聴きながら、そして、佐久間さんの思い出のフォトが表紙に飾られた「音楽三昧放浪記」(https://amzn.to/2Glocv9)のページでもめくりながら、今は幻となってしまったレストラン「コンコルド」の音と、佐久間さんのイタズラ小僧のような屈託のない笑顔に思いを馳せたいと思います。佐久間さん、本当にありがとうございました。
では、おやすみなさいまし。

フルトヴェングラーの第九も大好きな佐久間さんでしたが、これもこだわりがあって、1942年の戦中録音のみ、しかも(ほぼ)第1楽章しか聴かない、というのが佐久間流でした。

「(第九の)第4楽章は不要な音楽だったとオレは思っている」と目の前で断言されたときにはさすがの私も焦りました、というか、ベートーヴェンファンなら皆焦りますよね(^^;; でもそういう率直な佐久間さんの言葉は好きだったなぁ。












2018年12月14日(金) 厚生労働大臣表彰 浅草の江戸時代から続く「蛇骨湯」が来年5月に終了



ある聴取状態への旅、ちょっと今までの語彙から離脱してみるための、



キースの『沈黙への誘惑/夢幻 Invocations / The Moth And The Flame』、だれかCDもってない?
以前 Spotify にあったので The Moth And The Flame Part II はファイル化しておいたので編集CDRには使える、最近 Spotify から消えた?のかな、



浦野由幸 FB:
晴れて障害者自立更生等厚生労働大臣表彰式で更生援護功労者受章の栄誉に恵まれました 式のあと皇居の東庭で記念写真 北溜りで両陛下の拝謁と夫婦にとりましては感激と感謝のひと時でした ご支援いただきました皆様に厚くお礼を申し上げます



日本中の温泉をめぐる同行二人、の心意気でいるのだが、さっぱり飛び回れない人生を送っている、そのうち社長が海外出張するだろうから飛行機で砂川詣でするぜ、来年は!、



浅草の江戸時代から続く「蛇骨湯」が来年5月に終了することを、丸の内みみまんからラインで知らせてきた、これはもう浅草の歴史と価値を随分と下げる残念なトピックだ、浅草のヤーサンが斬った張ったした生傷を蘇生させるトロトロした皮膚ケア湯なのに、刺青の怖いじいさんも入浴しているよ、



おれが認定していた池上温泉(廃業)、蛇骨湯、武蔵小屋清水湯、都内三大温泉の二つ目が消えるではないか、



日本中の温泉を巡って、CD聴いて、ラジオ聴いて、ライブとコンサート、お水取り、高野山、という仕事はないものだろうか、





2018年12月13日(木)




はー、BMWオーディオで
初恋やマイバードパフォームス、ビターフューネラルビーア、


幕張メッセ入り口で涙目だったよ、
この一年はほんとに気持ちは彷徨ったのでした、ヒッキーが忘年会だよねーと言う、
ファーストラブと初恋を続けて歌う、泣きながら歌いました、


三菱UFJ系運転手の会社よりいい会社に57さい正社員に入れてもらえて70なっても80なっても居ていいまで言われて、どっしょーかなぁ、てか、山ちゃん代表取締役に就職祝いしてもらわないと、北綾瀬でスキヤキ大会、りゅーたそ半年ぶり詣で、ボヘミアンラプソディー観に行く会、


よったんから陛下のお茶会に招待されるお話を伺う、なんという名誉、わが血族のレンジは広い、オレもここでくすぶっているわけにはゆかない、世界に打って出なければ、な、おやじおふくろオレの背中にしっかりとつかまっているんだぜ、


キースのモスアンドフレームパート2が耳に鳴る、


淡路町うお幸でさばの味噌煮定食、豆香房で本日のコーヒーホット、タリーズでカフェモカ、米本珈琲アイスカフェオレテイクアウト、、、コーヒー飲みすぎてるな、月光茶房とラテスト行きたいなぁ年内は無理だ、


若林恵編集未来の銀行本、そう、オレたちの民主主義は投票行為なんかではなく、何を買って何を買わないか、何を聴いて何を聴かないか、に、未来は拓けていることを信じさせてくれるハナシだ、すごいことになってきた、








2018年12月10日(月) 現代能楽






『「現代能楽集」の挑戦 錬肉工房1971-2017』 岡本章編著 論創社 2018


”現代能楽”という刺激的な概念があるとは、あまりにもトロける魅惑に図書館でビビった、ふと思うのだが、能楽そのものは生涯かけても届かないようなところにあるものではないのかしら、


『レクチャー:第一次世界大戦を考える
「クラシック音楽」はいつ終わったのか? 音楽における第一次世界大戦の前後』
岡田暁生著 人文書院 2010

なるほどな、第一次世界大戦で現代は用意されたのだ、ふと思うのだが、それ以前に人びとが生活の営みにおいて大切にしてきたエートスというか、そういうものによって再生するしかないのではないかと、



2018年12月09日(日) Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018>のファイナル公演






幕張メッセ、エッラとおい、副都心線に乗ってたのに気付いて新宿三丁目で丸の内線乗り換え、東京駅、600mも歩いて京葉線に乗ってさらに40分、


「宇多田ヒカルがデビュー満20周年の記念日となる12月9日、国内ツアー<Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018>のファイナル公演を幕張メッセで開催した。」


「First Love」~「初恋」、








2018年12月06日(木)






空知産の蕎麦粉十割のたかね蕎麦を食べてるんだって、え?わかりました福島県の蕎麦打ち名人のところにこれから行くのですか?、


恐れ入りました、旨い蕎麦とは、こんなものを知ってしまったらお財布の身が持ちません、


絵本の中の街で、夜の図書館、美少女の貸し出し係り、稲垣足穂的な静寂、可能な港区、






2018年12月05日(水) なんとEl Intrusoから批評家投票への参加要請が益子博之に!





ミルトジャクソンのオパスデジャズとかミントンハウスのチャーリークリスチャンを聴くと、身体が1984年になります、視界とかアトモスフィアの再現能力はすごいもんです、年とると動けなくなるのも当然、


今日はビッグなニュースだ、一面トップだ、


『なんとEl Intrusoから批評家投票への参加要請が益子博之に!』


It will be a pleasure for us to know your opinion about your favorites in these categories (no more than three choices in each category) (All categories are optional except Musician-both-, Group-both- & Album of the year)

Musician of the year
Newcomer Musician
Group of the year
Newcomer group
Album of the year
Composer
Drums
Acoustic Bass
Electric Bass
Guitar
Piano
Keyboards/Synthesizer/Organ
Tenor Saxophone
Alto Saxophone
Baritone Saxophone
Soprano Saxophone
Trumpet/Cornet
Clarinet/bass clarinet
Trombone
Flute
Violin/Viola
Cello
Vibraphone
Electronics
Others instruments
Female Vocals
Male Vocals
Best Live Band
Record Label


益子博之が世界レベルで日本人トップのクリティークであることが、名実ともに明らかになった、正義は果たされたのだ、

わたしたち銀河系の平和を守る耳のウルトラ5兄弟、まさお兄さん、けいいち兄さん、おれ、ひろまさ幹事長、益子博之、福地店主、ううー、港区の夜景をレクサスを飛ばしながらメセニーをかけてて飛び込んできたニュース、

おれが投票するとすると、全部門タイションだ、




2018年12月03日(月)




五野洋さんのFB投稿記事


ポール・モチアンとパウンドケーキ

ポール・モチアンに初めて会ったのは1988年1月厳寒のニューヨークだった。
前年、念願のジャズ担当になって初のニューヨーク出張だ。取材インタヴューとカメラをお願いした故成田正さん(2017年11月17日に亡くなったのでもう1年経ってしまった)が同行してくれたので心強かったが、初めてJFK空港に降り立った時はさすがに緊張した。成田さんとタクシー乗り場に向かって歩いているとタクシー・ドライヴァーに声をかけられ車に連れて行かれた。イエロー・キャブではなかったので、まずいんじゃないですか、と成田さんに言ったが、料金48ドルは妥当らしく、そのままスタート。ところが、空港を出て直ぐに止まりもう一人仲間らしいのが助手席に乗って来た。これは怪しいと感じ料金を再確認すると一人48ドルだから、二人で96ドルだと最悪の展開になって来た。成田さんが外を見ながら道は合っている事を確認、ひとまず身の危険はなさそうなので諦めて大人しくしているとミスター・オーはまだ巨人の監督か、などと聞いてくる。適当に答えている内にマンハッタンの夜景が見えて来た。映画でよく観た高層ビル群の林立だ。この時ばかりは怖さも忘れ初めて観るその迫力に圧倒された。目的のホテルに着いたので、悔しまぎれに釣りはいらないよ、と1ドル札を出したら、ドライヴァーの顔が豹変したので慌てて100ドルを出し「レシート・プリーズ」と叫んだのだった。初ニューヨークの授業料は高かったです。

初めてのニューヨーク出張なのであれもこれもと予定を詰め込み過ぎ2週間の強行軍になってしまったが、メインはポール・モチアンのインタヴューとカサンドラ・ウィルソンのレコーディング。
ポールとはプロデューサーのステファン・ウィンターを介してマンハッタンのレストランで食事しながら取材する事になった。ポール・モチアンはビル・フリゼール(g)、ジョー・ロヴァーノ(ts)とベースレスのトリオを組んでおり、このトリオでセロニアス・モンクの曲を演奏したらユニークな面白いアルバムが出来るに違いない、と話は盛り上がった。タイトルは「モンク・イン・モチアン」。この時成田さんが撮影したポールのポートレートを本人もプロデューサーも気に入り、後日そのアルバムの中に使われた。
翌年、九段会館のジョルジュ・グランツ・コンサート・ジャズ・バンドの来日コンサートでポールに再会した。日野元彦さんのトラで参加したのだが、ポールのドラムはビッグバンド向きとは思えず、楽屋で会った本人もさかんに照れていたのを思い出す。
ポールとはその後もオン・ブロードウェイ・シリーズやビル・エヴァンス・トリビュートなど数々のアルバムを作った。一見とっつきにくそうだがジョーク大好きで童心を忘れない素晴らしい人物だった。一人暮らしのポールは留守電の使い方もユニークで、電話しても留守電から何の音もしない無音状態が続く。初めて電話した人は変に思って切ってしまうので迷惑電話の防止になるそうだ。ポールのあのユニークなドラミングにも通じる変則留守電だ。
ビル・フリゼールもジョー・ロヴァーノも今や世界的なミュージシャンになったが、ウォルフガング・ムースピールやカート・ローゼンウィンケルなどポールのバンドから巣立った若手も多い。
一方でキース・ジャレットやチャーリー・ヘイデンなどとも長い付き合いで、あの自由なドラミングに包み込まれると誰でも癖になるということか。
一度キース・ジャレットのニュージャージー自宅取材をした折、キースが録音したばかりで発売するかどうかわからないというDATをかけてくれた事がある。トリオのライヴでベースは明らかにゲイリー・ピーコックだがドラムがジャック・ディジョネットではない。素晴らしい録音と演奏でニヤニヤしながらキースと目が合った。ポール?と聞いたら、ニヤっと笑って頷いた。若い頃から演奏して来たディアー・ヘッド・インというペンシルヴェイニア州の小さなクラブに急遽出演、ジャックが無理だったのでポールに頼んだら大正解、これは世に出すべきだよね、と興奮しながら語るキースは上機嫌だった。

ポール・モチアンはスコット・ラファロと参加したビル・エヴァンス・トリオでの活動が有名だが、初来日は1968年5月のチャールズ・ロイド・トリオ。ジャック・ディジョネットがマイルスに引き抜かれたため加入したが、キース・ジャレットは日本ツアーには参加していない。

ポールは前記した「モンク・イン・モチアン」から新レーベルBamboo (JMTとポリドールの共同制作)に新作を積極的にレコーディング、1991年自己のトリオ初来日コンサーを東京ソニービルにあったソミドで行なった。そのライヴ・レコーディングは「モチアン・イン・トーキョー」としてリリースされた。来日中の3月25日ポールは60才の誕生日、還暦を東京で迎え、当時のポリドール・ジャズ・チームでささやかな誕生パーティーを開いた。家内手製のパウンドケーキをプレゼントしたら、大変気に入ってくれたので、帰国時にお土産としてもう2本差し上げた。後で聞いたら機内で1本全部平らげてしまったそうだ。それ以来、ポールが来日する度にパウンドケーキを差し入れるのが習わしになり、我が家ではパウンドケーキのことをポール・モチアン・ケーキと呼ぶようになった。














2018年12月01日(土) 19時20分のみなと図書館、




夜の港区、19時20分のみなと図書館、新入荷コーナーから3冊、


『シュルレアリスムの25時 日常の魔術 フルーリ・ジョゼフ・クレパン』長谷川晶子著 水声社 2018
デュビュッフェに見出された63歳突如神の声によって描きはじめたクレパン、

『共産テクノ ソ連編』四方宏明著 合同会社パブリブ 2016
前ページフルカラー、ジャケ満載、四角い図像はすべてジャケに見えてしまうビョーキのため、

『アート・セックス・ミュージック / コージー・ファニ・トゥッティ』 Pヴァイン 2018
Throbbing Gristle 聴いてないしww、


東京タワーを見上げて、高層ビルの灯りに照らされた芝公園、





Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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