Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2015年06月29日(月)





ほんとは昨日は、昼過ぎに前橋文学館でライブラリを観て、夜は文京区で歌女を観るのが正しいオイラの耳生活のはずじゃったのやー。


週末に7万くらい使ってケータイ代が5万だったりしてヘコむ。


イエスのクリス・スクワイアー逝去のニュース。


おれ、海洋地形学の物語、めっちゃ好きなんだが。そうなん、ウェイクマンが嫌ってたんだー。


今日からローソンのアイスカフェオレ毎日3杯はのんでいた、やめる。セブンのアイスコブラックにする。


北村さんから万歳を収めたCDR5枚が届く。


益子さんからジャズのCD6枚おみやげ。





2015年06月28日(日) 東京都庭園美術館へ、マスク展









おとん、おそい!JKきよりんを初台にお迎えに行って、芸大に行く。

東京都庭園美術館へ、マスク展を観に行く。

めっちゃおしゃれな代官山蔦屋に初入場。コミックは置いていないぞ。でも、また来よう。

いちもん太田大原店でお寿司。暗闇の幹線道路を薮塚方面へ。こんな内陸で海鮮?立派に美味しかった。


マスク展は、あーマスクだなあと歩くうちに、浦沢直樹のマンガに出てくるような何かの存在であること、顔とは何ぞや、ワタシとは何ぞや、大きな藁を着てマスクをかぶって揺れ動く映像にそれはワタシの中にある本能でもあることに気付き。


ワタシが化け物であることを自覚して閉じること。ときに化け物になりきって時空に漂うこと。


まれであやさん(田中裕子)が言っていたこと。



2015年06月27日(土) ダン・テファー<ゴルトベルク変奏曲>すみだトリフォニーホール





“これは曲芸ではない。バッハは魂の共鳴をテファーに感じるだろう“
ニューヨーク・タイムス紙

すみだトリフォニーホール<ゴルトベルク変奏曲>2015
ダン・テファー ピアノ・リサイタル

即興する変奏曲《バッハ/テファー》
たった一つのゴルトベルクが完成する瞬間

3年前に益子さんからもらったCDを長男にあげてたんだな。悠さんがJTでレビューしていた。クラシックの鍛錬ではない、ジャズ・ピアニストらしい変奏に惹かれた。時々ジャレットっぽいタッチも見せるが。とはいえ、それらはこちらの耳の引き出しに囲われた物言いである。

長男に知らせると絶対行く!CDもYouTubeも激聴しているという。胎教だと長女も誘い、卒業制作缶詰の次男も誘い、4にんで出かける。

いい演奏だった。ジャズだから即興だと言うわけにはゆかないであろう即興をベースにした練り込まれたヴィジョンがプログラムされていただろう。ファンタジーはかたちをあらわにした。お終いのアリアの手前にはシビれた。

渾身のコンサートのあとにCD物販のサイン会という風習にはノー!という態度なわたしだが。



















2015年06月26日(金) 秩父宮ラグビー場駐車場で「郡上踊りイン青山」









第7回:〈テナーサックスの音色を変えた男〉マーク・ターナーのキャリアを徹底解説【トム・ハレル “トリップ” 来日公演記念】


北澤 敏 
大学在学中にモダン・ジャズを聴きだし、2011年に東京の会社に就職してからは現代ジャズに魅せられる。2014年夏、それまで務めていた会社を辞め、長野県の実家でイラストレーターとして再スタート。ジャズに関する文章のお仕事募集中。『Jazz The New Chapter 1-2』寄稿。


昨日聴いたトム・ハレル4@コットンクラブでのマーク・ターナー。マーク・ターナーについてはなんだか似たようなことばかり吠え続けてきたオイラであるが、キチンとマーク・ターナーの魅力を書ける若い世代のライターがいた。よかったよかった。おいらは引っ込むぜ。


思わぬ定時上がり、閉店まで月光茶房していようと幹事長を誘うと、秩父宮ラグビー場駐車場で「郡上踊りイン青山」みてるという。千駄ヶ谷ホープ軒で20年ぶりにニンニクたっぷりラーメンで景気付けて乗り込む。musicircus今年の10枚企画、明日香さん入稿メール。郡上踊りにゃうと返信すると、明日香さんが現れる。三人で、郡上踊りのグルーヴに酔いトランス状態に。ぜったいお盆に郡上行こうよー。行こう行こう。運転手にはお盆は無理無理。

だべってドライブは、霞ヶ関経由して中央道、圏央道で川越へ。

ロペスのラセルヴァを大音量でかけて圏央道の広いトンネルをとばす。雨も降ってきて、トランス・フィーレコ地獄絵図。

重ねられているフィーレコのレイヤー状態は、そのまま耳のフォーカスの偏在を可能にしている。このコントロールは技術革新の成果でもある。耳はでたらめに音を拾うのではない。兆しの察知を猛スピードで演算する脳。直滑降大回転のスキーヤーがわずかな凹凸に気付くように。










2015年06月25日(木) コットンクラブでトムハレル=マークターナー4のライブ






小樽には小樽の歴史がある。小樽運河。

小樽駅前の三角市場。

マサノリ、あんた、なに食べたい?
えー、あまとうだらけでいっぱいだよ、じゃあ、でっかいイチゴ食べたいかな。
ほれ、そこの三角市場行くよ、どっか停められるかい?アンタ、三角市場知らないのかい。小樽に来て三角市場知らないのはモグリだよ。笑
イチゴひと口食べるのに駅前駐車場に入れて老いた母の手を引いて歩く。母はすぐに商店主と仲良くなってしまって小樽や余市の昔話を大声で話している。


病院のベッドではよくマサノリとドライブしたことが楽しかったと話していた。


今日は東京駅トキアビルのコットンクラブでトムハレル=マークターナー4のライブ。
コットンクラブなんて飲み食いですぐに1万越えるので御招待でなければ行けない。こないだは札幌から来ていたアキちゃんとアーロンパークスを聴いた。

マークターナーの逸脱する狂気のソロだけを目当てに来た。

白髪トムハレル、背中が曲がったまま軍服のようにスーツのエリを立てて。能のようにしか動けない。ところが楽器が見事に鳴る。生命を削るように身体は微動して、鬼気迫る、が、音色は馥郁たる分厚さと官能。真っ白になった明日のジョー状態なのに。こ、これは、劇画だ。

サックス帝王マークターナーが。これは、レジェンドに対するリスペクトだ。このカルテットの演奏すべてが、トムハレルの作曲と演奏に対するリスペクトという男気によって支えられているのであった。

それ以外の聴取は間違いである。ベースとタイコは、まあ、海外からやってくるだけは、ある、という技術と熱気だ。




2015年06月24日(水) いよいよCDデビューみたいだ。岩崎洵奈






いよいよCDデビューみたいだ。岩崎洵奈、レコ発コンサート、東京文化会館!7月28日(火)

Junna IWASAKI - Quarterfinals 2011


Junna Iwasaki  Chopin: Waltz A-flat major op.42


ラジオでかかったのを聴いて、タガララジオでも耽溺ぶりを書いていた。


平田王子+渋谷毅もサードアルバムを録音し終えたとのニュースが飛び込んできた。


サリマン先生と150分。タガララジオを書けない理由をさぐる。タガララジオ46は、いま読めば終わりを予感していたフシもある。転職して生活サイクルが変わったこともある。校正作業をして吐き気がしたこともある。プーさんの新譜やラセルヴァ以外、受けつけない耳の変化がある。


松田聖子の「青い珊瑚礁」で1980年の新聞販売店タコ部屋から見上げた空を思い出す。それにしても、すごい歌唱力だ。


午後のNHKで小樽運河の番組再放送があった。小樽の駅前。何度も行った。




2015年06月23日(火)





東京逓信病院のカフェドクリエでアイスカフェラテテイクアウトしち。法政大学の女子学生もかわいく育ったものや。おー、戦争法案反対の演説とビラ配り二名、それじゃあヤマは動かんで。高橋源一郎の本買いに。


夕方から激しい雨が降るらしい天気予報、肌にまとわりつくような暑さとなるでしょう、て、とても気持ちいいお天気。


21時40分、練馬区集中豪雨。ずぶぬれの制服女子が信号待ち。
ゲスを大音量でかけてるオジサンは乗せてあげたいが、犯罪になるからごめんね。


蝶を解体して最後に羽をくわえて垂直のコンクリをのぼる。




2015年06月22日(月) 「まれ」を3回は観て、日本ハム戦を観る、毎日。






おいおい、日本対ソ連じゃない、日本ハム対ソフトバンクだ、三連敗だ。

松籟夜話3でフランシスコロペスのラセルヴァを耳にしてから

音楽的音楽の底が抜けたような世界にはみ出てしまったようだ。


「まれ」を3回は観て、日本ハム戦を観る、毎日。


きよりんがマスク展行きたいというから、今度の日曜日にね。
あ、ダン・テファー「ゴルトベルク」すみだトリフォニーは土曜日だったなー。

お。JT東大神野部長がマーク・ターナー@コットンクラブに連れて行ってくれるというので、テンション上がるー。25日木曜日。


矢野顕子×忌野清志郎 デイ・ドリーム・ビリーバー



3800円の霜降り国産黒牛パックが1000円だという。800円の上トロパックが半額だという。何やってんだ、外食するより高くついてしまった。


益子さんがNYから帰国。おみやげCDのお知らせ。ますますテンション上がるー。


デヴィッドシルヴィアン新譜、声がおじいさんで、今日の気分には合わない。フレイバとして器楽即興をコーティングしてあるようにしか聴こえないんだが。






2015年06月21日(日)








2015年06月20日(土)









2015年06月19日(金)






2015年06月18日(木)






2015年06月17日(水) ECM 1002 の Just Music の関連盤





早起きをすると35分での通勤。








原田正夫さんFB

Nicole Van Den Plas, Thomas Cremer, Alfred Harth, Peter Stock, Franz Volhard [ 4. Januar 1970 ] (Selfrelease/Record-Ton, 1970, limited edtion: 300 copies)
4枚目のアルフレート・ハルトのLPはサプライズ入店。
ECM 1002 の Just Music の関連盤というか双子のようなアルバムとしてECMを集めるのであれば知っていなくてはならないアルバム (と、かつて某氏に言われました)。
Just Music の渦巻きジャケと同じくハルトのセルフ・リリースだという点 (アルフレート・ハルトの公式WEBサイトにそのように記載されている) に加え、Just Music と参加ミュージシャンが被っている点、演奏は同じように片面一曲ずつの長尺の集団即興演奏である点、そして録音は Just Music が1969年12月13日、本アルバムの録音が3週間後の1月4日とほぼ同時期という点で「双子のようなアルバム」と言われる。
Just Music の渦巻きジャケと共に「超」と「激」の字が複数付くレア盤。
永いこと求めていて…昨日入店。文字どおりのサプライズでございます。
http://alfredharth.blogspot.jp/
ちなみに、Just Music にはライヴ音源があるのはご存知でしょうか。
[ Born Free: The 12. German Jazz Festival ] (Scout, 1970)
3枚組のジャズ・フェスのライヴ盤の side3に10分ほどの即興演奏が記録されています。
http://www.discogs.com/Various-Born-Free-The-12-G…/…/4803133







2015年06月16日(火) 矢野、サイコー





小学二年生の頃は毎週日曜日は函館市民プールへパパとバス乗って。ヨーイどん。バスを降りると広いので、ぼくのはるか後ろからヨーイどんをして、地響きたてて本気で駆け抜けて俊足を自慢したその名も俊夫だから仕方ないんだが。逝くのも速かったぜ。銀行には第二地銀、相互銀行、信用金庫などなど格付けがあると中学生のおれに教えるなよ。トップ行の雲助だよ駕籠担ぎ、そうなのか大名文化なんだね。日本ハム戦を何よりも優先させてるのもパパが背中に乗っているからか。

プロ野球も高校野球も、季節の風物音響として耳にすることをこよなく愛してきた自分だが、手に汗握って観戦するような日々だとは。バッティングセンターに行くとは。


唐は百済や高句麗を滅ぼした頃、たくさんの百済の人々が渡来してくれたからなんじゃね?
持統天皇歴史物語ヒストリア。天武天皇。里中満智子。




2015年06月15日(月)






2015年06月14日(日)






2015年06月12日(金) ジャパニーズアイス櫻花





おお、金曜日に定時上がり!ソファで午後のNHKみてて恵比寿でジェラートたべたいー
こないだ割引きチケットでラーメン食べに行った恵比寿にあったな
「ジャパニーズアイス櫻花」
店内は若くてかわいいOLたちで溢れているのでテイクアウトするしかない老人だ
かぼちゃ、かりんとう、まっちゃ。かな。

こりはサーティワンよりも美味いわ

月光茶房に寄って、ラ・セルヴァをクルマで聴けるようにしてもらお。


(以下FaceBookからコピペ)


福島恵一 そこは螺旋を巡るような動きがあるのではないでしょうか。つまり音色とか、音触とか、筆致とか、滲みとか、スパイシーな部分を食べている時期が続くと、もっとボディのある味わいが欲しくなったりする時期がまた来るのではないかと。それは前衛と旧守の間の振り子運動といった単純なものではなく、肉声の中に音彩を聴きとり、あるいは倍音の広がりに温もりを感じるようなかたちで、スパイラルアップしていくのでは。初期ECM30枚を遺伝子解析にかければ、another timbreやPotlatch、Unfathomless等のDNAはほとんど見いだせるのではないかと、今でも思っています(検証できてないけど)。そうした「耳のアルケオロジー」方向に掘っていき、以前には気付かなかった魅力を再発見する楽しみと言うのは確実にあると思うので、ここは早まらないでいただきたく。まさにそれってビブリオテカが与えてくれる悦びなので。
原田さんも多田さんも、日曜の晩に『熱帯雨林の毒気』にかなり当てられているので、ただいま様々な妄想や幻覚が去来しているところではないかと思います(笑)。すごい音楽を聴いてしまうと、「音楽なんて世界にこれひとつだけあればいい!」などと固く思い込んでしまったりするものですが、実際にはひとつでは足りないわけで。でも多田さんの言う「音楽的音楽の底が抜けてしまう」という感じはよくわかります。私も『松籟夜話』第三夜の準備をしている時に、「あー、もう『La Selva』だけあればいい‥」的なところへ落ち込んだりしたので。


原田正夫 FB投稿の【 ロード・トゥ・松籟夜話 第三夜 - その壱 】で取り上げた JAZZ TOKYO のコラムが2005年に書いたものなのでそのあたりがら徐々に始まった「耳」の変化だったと思います。一方、デレク・ベイリーと田中 泯の廃工場でのパフォーマンスの記録は聴いた当初からわけもわからずに興奮していた自分でもあります。
ジル・オーブリーとロペスあたりから「耳の変化」は速度を増し始め、反比例するように自分の中で「ジャズ度」は下がっていきました。益子さんのおかげで「ジャズ度」の目減りに一時ストップがかかったものの、先日のタダマスでは4枚目以降に何の興味も湧かなかった自分です。
ECMはそのすべてを処分することは無いと思いますが、全てを持っている必要は無くなったなと思っています。


30年ほど前の話だが、ある画家を紹介するテレビのドキュメンタリー番組を見ていた。自宅のアトリエで油絵を描く画家の姿が画面にしばらく映し出された。冬の午前中の陽光が射し込むアトリエに、キャンバス地をこするペインティング・ナイフの音、筆洗にナイロン筆を突っ込む音、画家の座る椅子が軋む音だけが静かに響く。BGMもナレーションも無い。室内の音のほかには、家の外の鳥のさえずりや遠くを走る自動車の音が時折、小さく聴こえるだけだ。屋外の物音の小ささと、それよりは大きい室内の物音の対比が、アトリエの静寂を際立たせていた。この時、言葉による説明はなにも無かったが、この物音のみの画面から、画家の作画への集中と緊張がより伝わってきて見ていてまったく退屈しなかった。
 どのような筆使いをするのだろう。ペインティング・ナイフの使いこなしは? 色の重ね方は?
 画面を食い入るように見つめるわたしの興味は、画家の作画の実際と彼の佇まいそのものだった筈だが、いつしかTVのスピーカーから聴こえる「物音」へと自分の注意が移っていったのだ。
 夏登山をしていて涼し気な川のせせらぎに耳を奪われる事などは、それはあまりにも自然な事として、その聴取のあり方を音楽と比較して考えた事などなかったが、この時の「物音」にはまるで面白い音楽を聴いているような興奮を覚えて新鮮な体験だった。表現を意図して発せられた音楽ではなくとも、感動を得る「音」と云うものがある。そうはっきりと認識をした最初の体験だったかもしれない。その時の画家が誰だったかは全く憶えていないのに、そのアトリエの中での数々の物音は今でもはっきりと耳に残っている。そしてその物音から想像させられるアトリエ内のひんやりとした空気や緊張感も、「音」の「付属物」として憶えている。

コラムを書いた時点で「30年ほど前」というのは、大学生の頃になります。
文中で夏登山にも触れていますが、川のせせらぎだけでなく、落ち葉や木の枝を踏みしめる足音、風に揺れる木の枝の音や、鳥の囀りなど登山では様々な音に囲まれ、その音のひとつひとつに結構気をとられるというか、山や森を歩いていて耳をそばだてている自分に気づくことが多かった。
文中にあるとおり、その「聴取」を音楽の「聴取」と同類に感じたり考えることは無かったけれど、この「アトリエ」の件で思い出すのは、そんな登山の「聴取」の折でも登山靴が木の枝や落ち葉を踏みしめる音や、川や湧き水の音には耳が吸い寄せられるというか、特別な何かを感じながらまさに自ら耳を向けて聴いていたのでした。
この「アトリエ」の件があっても、当時の自分はロック (当時だと渋谷のブラックホークに入り浸っていた頃です) ばかり追いかけていたわけで、すぐに実験音楽やテープコラージュやサウンドアートの世界に踏み入ったわけではありません。音を聴くことに関してはまだまだフレーミングされた中での聴取だったわけです。
ずぅ〜っと後になって、フィールドレコーディングやサウンドスケープなるものを知った時、真っ先に思い出したのが、この「アトリエ」体験でした。
「キャンバス地をこするペインティング・ナイフの音、筆洗にナイロン筆を突っ込む音、画家の座る椅子が軋む音だけが静かに響く。BGMもナレーションも無い。室内の音のほかには、家の外の鳥のさえずりや遠くを走る自動車の音が時折、小さく聴こえるだけだ。屋外の物音の小ささと、それよりは大きい室内の物音の対比」を聴くということは、今思えば「サウンドスケープ」そのものを聴くことでした。
この「サウンドスケープ」と「物音のテクスチャー」だけで成り立つ音楽 (それを音楽と言って良いのかわかりませんが) というものがあってイイんじゃなかと、この「アトリエ」体験の時に思ったのでした (このコラムの文章の後半でその事について書きました)。


















2015年06月11日(木)

ロシアのレーベル「ファンシーミュージック」

Soundcloudに試聴音源たくさんある

湯殿山注連寺 ヒストリア鉄門海上人


ロヒンギャ


仙台四郎


足立梨花


田中日奈子




2015年06月10日(水)











2015年06月09日(火) 『NOMMO』を十代の頃に聴いていなければ、私は













土取利行
「ミルフォード・グレイブスの一枚のレコード『NOMMO』を十代の頃に聴いていなければ、私はフリージャズのドラマーにはなっていなかっただろう。この「ノンモ」こそ神の精を持ち神の種をもつドゴン族の精霊なのだ。」


Milford Graves & Don Pullen - Nommo (Full album) [1967]




2015年06月08日(月) Radwimps のシングル12種が108円コーナーに







夜中のブックオフに行ったら Radwimps のシングル12種が108円コーナーにごそっと全部ゲット。「有心論」のシングルを2回買ったがまたぞろどこにあるのか不明なので、カップリングの「ジェニファー山田さん」をいい音で聴きたいのであったが、「有心論」は無かった。

内田樹のリベラルな本と、産経新聞過激系の本とで夜更かし。

集団的自衛権法案の国会審議が続いていたけれど、肝心なことには触れない茶番が続いている。その間、アメリカの司令官が就任して、中国を牽制すると明言している。中国はやりすぎだ。フィリピンやベトナムやマレーシアを何だと思ってんのや。とはいえ、そういう中国は英国米国EUに資本主義というアヘンを吸わされて大変な状況にあるのではないか。

素朴に、明日という字は明るい日と書くのね、と言って暮らしていられない。

麻生が銀行から金借りてまで設備投資していないから景気はまだまだだとじつにスルドいことを言う。

システムのシグナルを泳ぐ。おれはもう老後だからいいけどさ。





2015年06月07日(日) 松籟夜話 第三夜 に出かける。





駆けった、聴いた、熱帯雨林の謎。


マイクの違いだけでそれは加工されているという考え方もあるな。

なぜ熱帯雨林なのか。タイコや笛、ビリンバウみたいな楽器を単体で、つまりスタジオ録音だけで把握していたのは間違いかもしれない。鳥や虫の轟音のような鳴き声の気圧を、演奏によって空間を切り裂いているのだ、立体的にミカンの袋が空間に分割されているようなイメージだが、そういう営みこそが演奏行為なのだった。

耳を制圧するような濃厚さをたたえていたクワガタ盤が、スピーカーが異なるとじつにクリアに聴こえた驚き。じつに多くの鳥や虫が絶妙なタイミングでインしてアウトする、これはダビングによる構成ではないかと思うくらいに見事に完成されたコンポジション感覚さえあったのだ。

聴くたびに様相を変化させる音楽。

鳴っているのは同じもの。違うのは、聴くその時その日その瞬間のワタシの生命力とか免疫力とか空腹状態とかちんこの硬さといったものかもしれない。

あなたが音楽を聴いているのではない。音楽があなた聴いているのである。

資料には金子光晴をはじめ古今東西の熱帯雨林幻想が。言葉によって世界が拓けている。拓くのはワタシであり、じつはワタシはテキストなのではないか、と、告げられている。


「地形や大気の湿度、地表の材質の種類も、特定の空間にすむ動物と同じくらい本質的で明確な要素だ」

マイクの種類も、スピーカーの調子も、再生空間に誰が居るかも、ガラスの向こうから射す夕陽の反射具合も、思念と視線の触発もまた。



松籟夜話 第三夜 に出かける。


昼寝をしてしまったら17時30分の田柄通りサイレン。環八、青梅街道で57分に到着。





2015年06月06日(土) 長崎産赤むつ





長崎産赤むつというのは、のどぐろのことかい。北海道毛がに甲羅3貫、みそと身があえてあるやつ。久しぶりに銚子丸@光が丘。


交流戦とか言うて日本ハムと阪神がたたかうなんて、こころが引き裂かれそうや。初戦は1−0で阪神。無敗大谷翔平が初黒星。日本の宝である美青年大谷翔平に黒星がついてまうではないけ、打てや中田、打つなや鳥谷、崩れろやメッセンジャー、青い目の投手に鬼畜米英とこの日だけは日本中がアンチ阪神になっている電波状況、たぶん。


主さんを乗せて高速のカーブを右回りに、なんか上昇しているんだが、目を凝らしても目を凝らしてもフロントガラスにセンターラインが見えない。ハンドルにしがみつき前のめりにフロントガラスに頭ぶつけてるのに、見えへん!うぎゃ、このアクセルとハンドルをどないしたらいいのや、はっ、夢かい。


岩(がん)ちゃんやないけ、やっぱ音楽好きになってるな、ランチで集合しよ、LP話でもしようや、と受話器の向こうから話かけてられている。ふううん、おれ子どもの頃、岩と書いてがんちゃんと呼ばれていたんだー。なんでかな。部屋に工事の兄ちゃん二人、小柄の日本人と2m30cmの黒人が入ってきた。ランチに出かけると、お弁当箱が天井に二個吊り下がっていて、2mの60代黒服ヒゲおっさんが「らっしゃい、ワタシが取れば泥棒いらない」と言っている、待ち合わせている喫茶店、夢の中で来たことあるよなあ、これも夢。




2015年06月05日(金) 「コンビニに渡る田柄通りの深夜のアスファルト」





坂本真綾の曲を聴きながら、このドラムがマーク・ジュリアナやダミアン・リードに革新されたアニソンの新世界を待ってる気持ち?てゆーか。


musicircusの年間ベストにセレクトしなかったベビーメタル「イジメ、ダメ、ゼッタイ!」とアニメ「団地ともお」オープニングとエンディング。

中学3年の受験時にジューダス・プリーストのセカンド『運命の翼』を回しながら賭け麻雀やっていたメタラーだったわし。当時はメタルという語はなく、ハードロック。ツェッペリンよりもハードでシャープだったのだー。それにしてもベビーメタルには楽しんだー。

「イジメ、ダメ、ゼッタイ!」
お世話になった年上格上女性に対してメールで話すことかよ電話で済むハナシかよかよかよとクレーマー所業をしたライター事件への軍事介入をしてしまったのがそもそもの間違いだった、当事者ではないのだ。壊れてしまうものはしょうがない。

BABYMETAL - イジメ、ダメ、ゼッタイ - Ijime,Dame,Zettai (Full ver.)




神田駿河台の太田姫神社におまいりしたよ。おとといの夜だったかな。

生命の言葉平成二十七年六月
「ちはやふる 神の御坂に 幣(ぬさ)まつり いはふ命は 父母のため」
神人部子忍男



昨日書いた「コンビニに渡る田柄通りの深夜のアスファルト」は、この一年ずっとぼくを励まし続けた。ファミマでアイスコとロングピースを買う。仕事を探して待った日々も、ちょっとだけハードな任務を終えて帰宅する夜も。ほっとする。ぼくの心の中の大通りだな。

この道は、函館のあの借家での日々にも、東京に出てきて新聞配達した朝にも、かなみんが生まれた武蔵境の病院にもつながっている。パパが危篤だというのにわざわざグランディスで東北自動車道を北上したのも、すべての接続を確認しておきたい、いや、あらゆるものを今に接続したいという、今思えば、そういうことだった。




ロバートグラスパー3の新譜カヴァードを、あらま器用上手なピアノ!とひとしきり聴いた。友だちが「あれはダミアン・リードを聴くアルバムですね」と、的確すぎるコメント。ユニバーサルのサイトでは「伝統を背負い、いざ革新へ。」、グラスパーがだらしない英語でグラミー取ってなんちゃらと曲紹介して、これはどう聴いてもくつろぎの余技、くだらない暇つぶしだ。いろんな曲やっているから何だというのだ。CDジャーナルでは巻頭2枚ピックアップの左側にレビューが配置されている。こういう現象はニルスペッターモルヴァルのサードでもそうだった。傑作を作って評価されて人気が出て、枯渇した作品がメディアで大きく宣伝されるよくあるパターン。図書館にもいっぱい冠や前作の快挙を謳ったクズな新譜しか置かれていないSSWとか、ばかりだ。これはレコード会社とライターと雑誌の構造的なもの。そもそもグラスパーには何にも感じないでいたけれど、グラミー賞だってR&B部門だし、そうねえ、R&Bというんなら「ジャズより面白い!」と言えるのだが。


Dan Tepfer plays his "Goldberg Variations Variation" in the "Place au Jazz" festival, Antony, France


27日にすみだトリフォニーでダン・テファーがこのゴルトベルク公演をする。この動画からも推察されるように、クラシックとジャズでは鍛錬される指の感覚に、それこそ部族の違いを思わせるところがある。それこそ、文化の壁であるし、素晴らしさなのだろう。このダン・テファーの演奏は、その演奏する気持ちはわかるが居心地がよくないとも。はあはあ、でも、聴きたい。CDをお気に入りしていたみみまん連れて行くか。


2015年06月04日(木) 『松籟夜話』第三夜へのお誘い





右下に見えるのが武道館。

『松籟夜話』第三夜へのお誘い


フィーレコに耳のぞぞけがたつ、聴覚の鳥肌がたつ、耳が乾く、渇望するあの感覚の謎。

巨大な摩周湖を見下ろす。

真っ黒なスカイツリーを真下から見上げる。

クラウンでグラスパー3を聴く、プー4を聴く。

コンビニに渡る田柄通りのアスファルトが街灯に照らされている。

この道は生まれ住んだ故郷砂川の借家にも、高野山にも、鳥取県浜田の旅館にも続いている。

日本海オロロンライン


再放送見たい


2015年06月01日(月) 祝 ミュージサーカスmusicircus 2014年に聴いた10枚 第一弾更新




WE SHALL OVERCOME



ミュージサーカスmusicircus 2014年に聴いた10枚

第一弾更新

多田雅範/岡島豊樹/福島恵一/益子博之


続いて、原田正夫さん、北村卓也さん、長井明日香さんの更新を予定しております。













すごいよな、フォークの原液みたいな声の響き、野生?チガウなー、
どうしてもヨーロッパからの視線とか、英語の影響とか、いろいろとこう汚染されてるわけ、フツー。

Field Recording Series; He Xiu Dong (Dongba Shaman) [Lijiang, China]
サウンド・デザイナー森永泰弘のフィールド・レコーディング第三弾。本作は、中国・雲南省の少数民族、ナシ族におけるドンバ(宗教聖職者)のホウ・ショウ・ドンによる詠唱と儀礼を、森永が数回にわたり現地録音した作品。ドンの身体から放たれる圧倒的な肉声と精霊との対話が集約された前代未聞の世界初音源。


You Tube




Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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