Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年09月30日(火) |
作為が見えるのを下手という |
はっはー、維新の党の江田憲司くんの国会質疑がいいぞー。
なぜ猫は鏡を見ないか? 伊東乾著 NHK出版1201 2013 をめくる。
もっとも原初的な「耳」を持つ現存生物はクラゲ仲間だという。目も鼻もない多細胞生物であるクラゲが自己を定位するメカニズムとして「耳石器」を獲得している。
作為が見えるのを下手という 松村禎三のくちぐせ
トラウマ・心的外傷を抱えてうずくまり 「ポストモダン」は「トラとウマとに分かれて走り去る(坂田明)」
耳石器は、測線に進化。なぜ魚群は一斉に翻るのか。
あんな戦争を引き起こしてしまった人間という存在のすべてが、たった四種類の分子を組み合わせ、配列=セリーだけで決められている。それが人間の遺伝子の正体だとDNAの論文は主張していた。ここに芸術の未来があると、みんなが殺到した。でも程なく、単純な理論の限界もあきらかになってブームは去ったのだけれど。 ルイジ・ノーノ
旦那芸について (内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2014/09/03_1111.php
ああ月光茶房に行って音楽を聴いたり益子さんと現代ジャズを聴いたり隠れ家でスタンドバイミーみたいに秘密基地でCDを聴いたり丘の上のお方のレビューを追いかけたり。
この国でジャズと呼ばれる多彩な芸能ごとにも広義のジャズにも、おれは興味はない。悠雅彦が地歌にジャズを聴いたり、丘山万里子が三善晃オペラ遠い帆に批評の閃光を置いたのを読んだ。
CDレビューは、FarmersByNature2CDライブ、MaryHalvorsonオルタナ盤、マークターナー4ECM、アントニオサンチェス2CD。ううむ、やはりJazz Tokyo文字フォントが美しい。
マークターナー4ECMを一歩進んだ傑作であると、いち早くぼくと同じく指摘していたFB友人と親指マークを連打しあう。
イェーヲン・シンECMの特別な良さを指摘したのは結局たださんの一本だけだった、なんて唐突に言われたことは、数日経ってから嬉しく思ってくるわたしです。あはは、お茶漬け美味しかったー。
PC修理中につき画像の無い日記が続いています。
2014年09月29日(月) |
元日本コロムビアの本間孝男氏が解説 なぜヨーロッパではBlu-ray Audioが好調なのか? |
なにそれなにそれケータイauの銀行口座引き落とし60466円というのわー!
残金8714ってタバコ代しか残らないー。ああっ昨夜お大尽した翌日は地を這うのかあ。まるで運命の女神さまは、この神の耳のおれを生かさず殺さずだな。ちょこっとCDの10枚や20枚買わせてくれても良さそうなものだが。
ハイレゾの音は21世紀に必然のようだし、ブルーレイディスクにハイレゾ入れるのが主流になる可能性もあるらしー
元日本コロムビアの本間孝男氏が解説 なぜヨーロッパではBlu-ray Audioが好調なのか? 元洋楽ディレクターが分析する世界のハイレゾ事情 http://www.phileweb.com/sp/review/column/201409/25/373.html
ハイレゾ、いつか聴いてみたいな、よその国。おさびしやま。
2014年09月28日(日) |
秘密結社と婿どのと蛇骨湯 |
んんんと。土曜日は羽田空港お送り任務のあと、コアなECMファンお二人の隠れ家のような秘密基地に潜入、ヤコブブロやキムソクチュルやミックグットリックなどを聴く。これはもう秘密結社だな。
今日は浅草へ7月に結婚した長女夫婦とお寿司と蛇骨湯へ。婿どのとはじめて湯につかりながら他愛のない話、おれはこの年で8つ目の職場に転職できたけどいっときは喘いだもんさね、おとーさんは元気かいね。おお、今年お初のかなみん岩がきスペシャル、美味いか、そうか美味いか、合格か。
編集作業に関われなかったJazzTokyoの最終更新画面をみて、文字フォントの美しさにフェチな歓びを感じる。今回はCDレビューを4点書いていた。ペタペタとWordファイルに入力している他愛ないフレーズも、文字フォントで見るとそれらしく意味あるように映る。もちろん印刷物として流通するもののほうが格上なんだが。
タガララジオは入稿できなかった。タダマスの告知も、平田王子渋谷毅デュオ喫茶茶会記10/5告知もできへんかった。さびしー。
とにかく元気に仕事しよ。
2014年09月25日(木) |
ペペ・ロメロ ギター・リサイタル |
「セビリャーナ幻想曲」 トゥリーナ作曲 (6分15秒) (ギター)ペペ・ロメロ 「マドリード組曲 第1番から“エントラーダ”“レティーロ” “プラド”」セレドニオ・ロメロ作曲 (7分28秒) (ギター)ペペ・ロメロ 「キューバ風幻想曲(“アンダルシア組曲”から)」 セレドニオ・ロメロ作曲 (4分10秒) (ギター)ペペ・ロメロ 〜東京・浜離宮朝日ホールで収録〜 (2014年5月18日)
NHKーFMでペペ・ロメロのギター・リサイタルを聴く。後半3曲になみだする。乾いた柔らかくて強い音色。まったく知らないが、素晴らしい弾き手だ。アイヒャーECMは、このギターを録るべきであ。
FM聴いてこんだけ感動するのは岩崎洵奈のピアノ以来、1年半以上ぶりかなー。
ははは、ペペ・ロメロってめっちゃ有名な巨匠なのねん。おはずかし。おむすびやま。
2014年09月24日(水) |
4新宿ダグライブ、ディギン |
ホイーラー追悼でアイヒャーとスティーヴレイク連名のテキストを受領できるなんて芸当は稲岡さんしかいないなあ。東大ジャズ研つながりの二人の追悼文も愛情あふれる。おれは来月のタガララジオまでおあずけ。
アルバートマンゲルスドルフ4新宿ダグライブ盤、ユセフラティーフのドクター・イズ・イン・・・アンド・アウト Limited Edition、アントニオ・サンチェスのメルドースコフィールドロヴァーノ盤、ドンチェリー永遠のリズム。
おれの耳はジャズファンのものではないんか?
毎晩ざるそば大盛りに飽きて、ポテトサラダ大パックをむしゃむしゃ食べる銀座の深夜に。
益子さんがローレンスティルマン盤のブラドンシーブルックがスゴイと速報。
腰痛緩和。肘、膝の先の筋肉を調整。
SPIN's 20 Best Avant Albums of 2013 http://m.spin.com/articles/20-best-avant-noise-jazz-etc-albums-of-2013/ マハンサッパとかステットソンとか、入るのね。
PC修理中に篤志家の方がXP搭載のマックを貸していただけるとのお申し出。
クイーンの Somebody To Love のゴスペル仕様になみだする。この完成度。
ミスターデイブマンのラジオ番組ベストテン北海道、3位はクイーンの愛にすべてを、2位はベイシティローラーズのイエスタディズヒーロー、1位は青春に捧げるメロディー。
ガストに十年以上ぶりに入ったけど、オムライスにアボガドエビシュリンプサラダ、美味いではないか。デニーズはもとよりココスよりも、さらにロイホよりいい。
⒋月までは毎日8000歩は歩いていたが、ここのところ500歩も歩いてない気がする。13年振りのぎっくり腰だわ。あたたた。温浴と手足の小指ストレッチでなんとか。
へええ、FELTというバンドあったねえ、パンクの頃。来日公演なんてあったそう。
ふと一昨年?のニセコでのラフティング川下りの体感がよみがえる。おれだけはしゃぎすぎて、川に浮かんで背泳ぎスタイルで。耳がぱこんぱこんと水流の響きに漂い。あの、北海道の大地の一部になってしまって、北方神話の闇にアクセスしてしまいそうな、ウットリとした浮遊感。
ECMというのは音楽ではなかったのだね。
生きて大切なことは彼方に向かうことだけなんかな。
銀座のネオン街の空も、江ノ島海岸の夕暮れも、赤坂の日枝神社の暗がりも、鳥取県のトンネルも、奈良県のトンネルも、摩周湖の裏側も。
誰かの呼び声が聞こえる。何かの呼び声が聞こえる。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2014-09-22&ch=07&eid=88838&f=458
今夜は歌舞伎座の前でベストオブクラシックを聴く。 作曲家藤倉大の特集。1977年生まれ。海外での作曲賞受賞で著名になったのかな?とまあ、日本というのはそういう国なのだ。藤倉大のコンポジションをコンサートで聴いた記憶は何度もあるような気がする。ピーピコ賞を献上したくはなっていないはずだ。するする涼しい高度な技法、新しい手触り。
そもそも聴くワタシは何によって、グッときたり、身動きできない体験に陥ったり、意識が宙に浮いたりしているか、わかっていない。
見事な技巧の工芸品にうっとりと単純にすることが良くったっていいのではないのか。パッパー、蕎麦屋でかかるマイルスデイヴィスのザムーヴにちゃんちゃかちゃんと名人芸に身を委ねてもいいのではいか。しかしそれではむしろ日本ハム戦の生中継をじっと耳をそばだてたいかな、つまらない試合でも。
ホソダさんの編集CDRに湯浅譲二の葵の上:日本の電子音楽のトラックがあった。これの評価がたいそうむつかしい。葵の上そのものの音響だけで成り立っているものを何故に?それが当時の試行?とも思えるし。パンクやアヴァンギャルドの初歩的なものに過ぎなくも思えてくる。これは一度は聴いてみたかったぜよ!と大音量で銀座の深夜に騒ぐ自分もいる。
これはジャズであるジャズでないを声高に言うオジサンなんてのは、まさにこのおいらがそうなのだ。ジャズをロックやボサノバに置き換えたら愚行である、然り。いや、むしろジャズだジャズじゃないを言い出してしまう不可思議な特質がジャズにはあると観念してしまったほうが。
多田といういびつな聴取の反応体系は、ただ単に偏向した体験トラウマの累積系に過ぎないと観念したほうが。そうすると、いくつもの奇跡のような共感は説明がつかないよな。
何書いて寝るんだか。日記に写真がないとつまらん。
NHKでYUKIのソングスを観る。 小さな頃からと長い夢は好きな楽曲。 おれの妹の有希と1ヶ月違いで同じ函館で生まれていて、同じ有希という命名だったのかあ。1972年。あの頃、あの頃。
稲岡さんがヤコブ・ブロのインタビューを仕上げてきた。 ECM新作はこの来日に合わせてのはずが延びてしまっているのだと。
クイーンのライブ、たしか74年のもの、とても良いそうだ。うっわー、今月もCD購入計画は立たないずら。
でも赤字からは脱却できそう。失業中の健康保険料などを市役所で計画してもらお。
PC復帰は2週間から2ヶ月かかるそう。足元に寝かしててほこりまみれにしていて炎天下稼働で、加熱破損の可能性大、という。デリケートなのね。
編集CDR作れないのがつらい。内田修コレクションの高柳昌行復刻、マヌカッチェを聴く。月光茶房に出かけていろいろ聴きたいが24日までは無理なのだ。お金がないときは図書館めぐりに限る。
コンビニに行くのに田柄通りを渡る。電燈に照らされる田柄通りのアスファルトは、京都にも群馬にも浅草にも養老天命反転地にも高野山にも二月堂にも島根県浜田にも北海道にもつながっている。思い出につながっている。そして、未来にもつながっている。また会う友だちとつながっている。
ドンキ北池袋へ。半年ぶりの従業員とか買い物情報を輪になって。 顧客対応楽しかったし、辞めたくなかったよおー、でもねえ、転職できて土日休みの日勤でこれまた楽しくってさー、CD聴いてラジオ聴いてテレビ観て運転するだけしかできないよお!と東京大仏で絵馬書いて願ったら、ほんとにそんなお仕事があるのんね、神仏祖先さまに感謝だよ、PCお釈迦なのはそれはいまはそうして過ごしなさい、大相撲中継を観なさい、図書館の本を読みなさいCDを聴きなさい
くるりを聴く。
PC修理目処不明JT編集戦線離脱。PCにスピーカーつなげているから部屋ではタブレットで動画視聴するだけなの。
石川九楊の縦に書けを読む飯倉の高層ビルにて東京タワーの夜景は眩しく。
手書きでCDレビューと追悼文を書いてメール送信かなあ。タガララジオの新作編集は無理なのが寂しい。
逸ノ城を破る勢の一番にシビれる。
夕飯は今シーズン初のサンマだよ。
ヒューレットパッカードのPC、修理にしばらくかかりそう! そんなに負荷のかかる作業だったろうか、圧縮Zipファイルのジャンジャン作ったり、メールで送ったりするのはそんなに負荷だろうか?
タブレットで日記文字打ちやメールはできるけれど、ワードのファイル作成はできない。Outlookで共有ファイル上にして入力は可能といえば可能だけど、編集しづらいし。画像ファイルをダウンロードしてメール添付はできそうにない。タガララジオが書けない。CDレビューは…メールで打つ?そんなあ。
Radka DonefのことはECMファンからきいて聴いたことはあったけれどスルーしてたなあ。伝説の名盤フェアリーテイルがボンバから出ているのでアマゾンしてみた。YouTubeにもいくつか貴重なライブ動画とかあって視聴。時期的にアイヒャーの触手が伸びなかったかな。
コリンなんちゃらもニックベルチュもECMらしいなあとは思うけれども、ぼくのコンテンポラリー視野には残念ながら入らない。
ばたばたと父母が逝き転職し、気がつけば昨日ではない日々を過ごしている。どこかのホテルのショッピングウインドウに大柄の花のデザインの洋服が展示されていて、ママの好きな柄だねと思う。
思えば祖父母や伯父とか。死者の視線に囲まれて過ごしてきたのだ。年を経れば、そういう身体になっていて、そんなに悪いことはできないし、ずるいことやだますような振る舞いはできないというか。
日本橋蠣殻町を散策した。都内のすべての路地を走るんだー。赤坂の日枝神社は、すごいスポットだわ。都内はほんとうに神社だらけ。
2014年09月17日(水) |
境界の現象学 始原の海から流体の存在論へ 筑摩選書 |
興味深いことに、しばしば心と同一視される脳は、発生上も機能上も皮膚と同じ起源を持っている。それどころか、脳を持つ生物が限られているのに対して、広義の皮膚を持たない多細胞生物はいない。境界を作り出す皮膚という器官は、生物にとってもっとも根源的な臓器であり、脳はその変形である。
境界の現象学 始原の海から流体の存在論へ 河野哲也著 筑摩選書
傳田光洋 第三の脳 皮膚から考える命、こころ、世界 朝日出版社 2007
2014年09月16日(火) |
下高井戸シネマのレイトショウ! |
Nomadic Filmmaker - The World of Vincent Moon 旅する映像詩人 ヴィンセント・ムーンの世界 9/8(月)〜9/21(日) ※日替わり上映 連日 21:10〜 レイトショー 料金:1000円均一/会員800円
南米/ブラジル/ヨーロッパ/FROM ATP + Take Away Shows 傑作選/アジア/ 地中海・アフリカ/ウクライナ・クリミア・コーカサス
下高井戸シネマのレイトショウ!
おおお、観に行きたいな、若林さんがmusicircus年間ベスト寄稿で言及していた ヴィンセント・ムーン。
PCの電源が入らない。電源コード抜いて放電して、様子をみるしかない。 Jazz Tokyoの校了原稿は20本送ってあるから過半数は生きるとして、 おれの書きかけが何本か落ちる可能性が…、それもまた成り行きの運命なのか で、あきらめるわけにわゆかん、とりあえずCDきいてドライブドライブ
思い出のマーニーのサントラがほしいなあ。
勤務時間以外にクルマを洗うのははじめてなんだか、そしたら、練馬の蚊に刺された。数分でスネを5箇所。この駐車場、蚊が居るんか!デング熱になったら、どうするんだ!
ヤコブ・ブロ、トーマス・モーガン、ヨン・クリステンセン 渋谷公園クラシックスに行くぞ! ■ 10月4日(土)
ジャズザニューチャプター2が、想定以上に良い。 なんで?というコンテンツが無くなったのは、ちゃんと売れたので、より監修者の権限で通りやすくなったのだろう。 JTNCでECMレーベルがきちんと押さえられている。しかも若林さんはじめ、読みどころ鋭く感激で震える。Steve Tibbettsを現在の耳文脈で記すなんて芸当は、はなはだ尊敬ものだ。これまで記された最高レベルのECM論だし、わたしらの世代では福島恵一と堀内宏公がいるが、若い世代がポイントを押さえたなおかつ新しい着目を示すECM視野をこれだけの活字に展開したことは、まったくの快挙、おれも知らないことばかり、いやあ、若くて可愛いECMファンがたくさん増えるのではないかと思うと、ちょっとECMリスナー現役復帰しなければ、焦る!
2014年09月14日(日) |
お昼、晴天に花火の音が響く |
横井ねえちゃんが送ってくれた帯広のコスモス。親の介護、たいへんなんだ、がんばって!北海道は秋。
練馬は夏。光が丘のフレッシュひかり(ここは安くてモノがいい)に歩いて行って野菜炒めの材料を。
まっかーなバラと白いパンジー、子犬の横には、子犬の横には!あなーたー、 あなーたー、あなたーが、いてほーしーいー
居たくねーよ、犬嫌いだし、それに小さな家建ててオマエ入れるんかよ、そのからだ!
お昼、晴天に花火の音が響く。どっかで運動会でもやってるのかなあ。孫の運動会を観に行って、マサノリ差せ!差せ!と怒声をあげたい、だれかおれの名前を孫につけてくんないかな
ピエール瀧、本名たきまさのり ニセコロッシ、本名ただまさのり
JazzTokyoの編集をして過ごす。丘山さんにも校正してもらう、オレぜんぜん校正できてないー、向いてないー、でも招待券ほしーしサンプルCDききたいし。
はっはっは、ギョーカイ的にはNGだけどね、こんな感想文
Live Report #719
『JAZZ ART せんがわ2014』 調布市せんがわ劇場 2014年9月6日(土) text by 多田雅範(Masanori Tada) photo by 剛田武(Takeshi Goda)
調布市の仙川駅前の音楽によるお祭りとしては、画期的でとても素晴らしいものだった。
良かったのは坂田明、センヤワ、ヒカシュー、伊藤キムの順だろうか。声の発見、という視点が浮上し、じつに一本のスジが通っている。バラバラなものが、不定形なひとつの概念に収束してゆくような稀有な体験。忘れがたい感動だった。
あれれ?山本達久ってECM好きでこないだイベントでDJ選曲したばかりの奏者ではないか、同姓同名?
東京に住んで35年になるけれど仙川駅前には来たことがなかった。ところが、かの名門、桐朋学園大学の校門前の通りは、甲州街道から環八に抜けるのに五百回は通っている。あの辺りが仙川なのか、「せんがわ」と読むのか「せんかわ」じゃないのか。桐朋学園を、混同しないように「とうほう」ではなく「きりとも」と敬意を持って呼称している。カンケーないか。
仙川って、どうやって行くんだ?京王線か。桜上水とか千歳烏山とか、京王線は高架になっていないし駅前は再開発されていなくて商店街がごちゃごちゃしているんだよなあ。都心からは、吉祥寺(カフェズミがある)や大泉学園(インFがある)のロケーション、文化的であるのにちょうどいい。仙川駅前に着いてみると、区画整理されてスッキリしている。
クラシック界では芸大より格上な天下の桐朋がある、という仙川でジャズとアートというイベント。今後のジャンル混交を越えた新しい音楽が生まれる素地はたっぷりあると読んだ。
写真「伊藤キムとホナガヨウコ」 ≪13:30〜15:00≫ 〜eyes〜 伊藤キム(声と身体のパフォーマンス) ホナガヨウコ(ダンスパフォーマンス) スガダイロー(piano) 山本達久(ds,electronics) 坂本弘道(cello, musicalsaw, electronics) 〈directed by 坂本弘道〉
坂本弘道はオフノート99年の『零式』を楽しんだ記憶がある。即興演奏家ではなく、クロスジャンルのパフォーマーだ。スガダイローはフリージャズ界のスター。坂本、スガダイロー、山本のパワフルなフリージャズ演奏からスタートする。60年代にはそれなりのオーラがあったフリージャズ演奏も、パワーアップし洗練されて響く。大道芸、芸能、皿まわし、やかん回しの風情。いっせーのせ、で、持てる技能の投げ込みごっこ、ステージ壁の時計を見ながらね。一般市民へのお祭りなんだからそれでもいいのかもしれないが、何も起こらない音楽に「これで終わったらずいぶんなものだ」と思うもの。救ったのが二人のパフォーマー。ホナガヨウコの身体の動きは、とりとめのない演奏にコミットして充分に魅力的だったし、何と言っても伊藤キムの存在感だ。何が起こるんだろう、何を起こせるんだろう、と、全面不安な中、唐突に「出席を取ります!」、これにはまいった。即興的に言葉を発して行ったのだろう、面白い!テレビ級のオーラがある才能だ、第二のタモリはここにいる。「やだやだやだ」「もうすぐ終わるよー」の絶叫には、状況に突き刺さる諧謔もあって、腹をかかえて笑った。こういうのが、声の、コトバの、即興のちからだと思う。
写真「センヤワ」 ≪16:30〜18:00≫ 〜ears〜 センヤワ with 内橋和久 センヤワ [Rully Shabara(vocals)、Wukir Suryadi(bambuwukir,bamboo flute)] 内橋和久(guitar,daxophone) ヒカシュー witth 沖至 ヒカシュー [巻上公一(vocal,cornet,theremin)、三田超人(guitar)、坂出雅海(bass)、清水一登(piano,synthesizer,bass-clarinet)、佐藤正治(drums)] 沖至(trumpet) 〈directed by巻上公一〉
ジャワ島のデュオ・プロジェクト「センヤワ」が圧巻。ヴォイスのルリー・シャバラの、まったく欧米にも日本にも無い発声のコントロール。これこそ異文化との出会い。ヴォイス・パフォーミングの至宝、巻上公一が惚れ込むのも当然だ。裏声なのか吐き出す音なのか鳥なのか動物なのか、コトバなのか声なのか、時間を忘れる面白さ。知らず再結成していたヒカシューの現在も、ニューウェーブの心意気が生々しいままに熟成された名人芸と逸脱感のあわいに類まれなエッジを効かせている。内橋の存在も、いいバランス。なぜにここに老兵、沖至名人トランペッター、と思考するが、ブッキングの妙と言える、合いそうにないごちゃまぜごはんにいい味でわさびが聴こえる風情で、とまどいと熱演がこのステージの演奏全体に至福な祝祭感を加味していたのが印象的だった。
写真「坂田明トリオ」 ≪19:30〜21:00≫ 〜nose〜 坂田明 (sax) アンドレア・チェンタッツォ(drums,percussion)、 藤原清登 (doublebass) 〈directed by 藤原清登〉
藤原清登って、レコード会社の低音王だろう?スイングジャーナルだろう?即興演奏できるのだろうか、としか認識していなかったベース奏者。それがなぜに、日本のフリージャズを超えた神レベルの演奏家、坂田明と。さらに、来日するとは思わなかった伝説のアンドレア・チェンタッツォと。ヨーロッパの音楽祭で、チェンタッツォの共演者が家族の事故で演奏できなくなった時に、偶然この3人で即興演奏をしたのがきっかけだったという。そうだよなあ、フツー、この3人は出会わない、共演しないと思う。それぞれ違う生態系にいるように思う。ステージは、チェンタッツォのソロから始まった。オリジナルな打楽器と配列、ローテクなデジタル機器、老いても流石である。イタリアの、ヨーロッパの前衛知性の文化の土壌を芳しいまでに感じさせる打音だ。こういうのは学習や鍛錬では届かないものかもしれない。次に、坂田、藤原、チェンタッツォのトリオ。ひとしきりトリオ演奏を交感しながら、唸る坂田の独壇場へと。読経や練行衆の読誦や琵琶法師と地続きな、唸りの顕現。横綱相撲に圧倒される。熱を帯びて乱打する藤原のベースの奮闘具合も、このトリオでは動かし難いバランスに貢献している。チェンタッツォのクールな老境然とした突き放しも、絶品である。まったく不思議なトリオだ。わたしもジャズや即興のリスナーとして、誰と誰が共演するのかがモンダイだ、共演すればいいというものではないと本音辛口を言うけれども、このトリオは想定外の良さだった。音楽って、わからないものだし、知らず型にはまっていた自分の耳にも反省。
3つのステージを観終えたとき、ふと、伊藤キム、センヤワ、坂田明の声の多彩が一本のテーマとして浮上していたのに気付いた。翌日のトリは友川カズキだという。言わずもがな、な、声と歌だ。「生きているって言ってみろ」の絶叫が締めなら、出来すぎ君である(実際、そうだったという)。
声を主軸にしたクロスジャンルなイベントというのはいいかもしれない。最近感動していた田中悠美子とかイアン・ボストリッジとかも。
(多田雅範)
帯広の公園写真集。
いやあ、北海道、涼しそうだねー。
1. 5kmにわたって、北海道の究極の食材屋台が並ぶという、こないだラジオをきいた 旭川「北の恵み食べマルシェ」■ ちょうど今開催しているんだなあ。おー、行ってみてー。
ぼくのお殿様が北海道のトップだったときに、よく砂川のハイウェイ・オアシスに行ってね、という、拙者はその砂川の生まれでございますよ、ええっええっ、伯父が助役やってましたよ、ええっええっ、市長の次に偉い、そうそう、あそこはジンギスカンを食べられるサービスエリアなんですよねー、あれは伯父が作ったようなものです、そうか、きみは、そうか。
こないだテレビを観ながら、瀬戸内海の小さな町に住むのもいいねー、と同僚と話していたけれど、京都もいいよな、高知も、島根も住んでみたいな、北海道なら摩周湖の裏あたり、プログレ盤を集めたいな。北方幻想。石炭ストーブが切れるとすぐに凍死してまうぞ。北海道電力はさらなる値上げに踏み切るのかな、大丈夫なんかな北海道経済。
ジャズザニューチャプター2を買いに駅前のアユミブックスへ。
空がすごく大きい。
函館に住んでいた頃も、同じくこんな大きな空だったのだ。
思い出はモノトーンの映像として、記憶に残っているようなところがあるから。
大きな空の下に、記憶の映像を再構成して、身動きとか声とかを三次元で再現してみる。
そうやって1961年から、ゆっくり再現してみる。
しょーもないこともしていたし、美しい場面もあった。あの人、この人。そんな音楽も流れていたし、こんな会話もしていた。話している自分も他人のようだし、相手の心情も今ならわかるかもしれない。ああ、受け止めていなかったな、悪かったな、とも思うし、おれはひどいやつだなあとも思う。
今年の野菜炒めは消えてゆく。
彼も彼女も消えてゆく。
2014年09月12日(金) |
デング熱は2度目に罹ったときが |
桃をこうてきて包丁でにゃりにゃり剥く 台所で立って丸齧り、前歯の隙間に桃の繊維がはさまって爪楊枝がないのでやだ
なになに東大ジャズ研なのですか3にんに増えるのですねトリオですね フロントページオーケストラのページを作りたいね!ややこしいね
8:30〜27:00まで、勤務時間だった。羽田空港、虎ノ門吉野家並玉子、有楽町、品川図書館、麹町、茅場町たかね蕎麦、銀座四丁目、田柄。
怖いから敵にまわさないんだって。そんなんで長生きしてどうするんだ?
how do you sleep?
デング熱は2度目に罹ったときが、アナフィラキシーショックだとかみたいに重篤な症状になるのだってさ、銀座で立ち話をした同業者同年代、たばこを吸いながら深夜のネオン街大通り、銀座通り、リカちゃん人形みたいなお姉ちゃんが帰宅してゆく、午前1時を過ぎるとタクシーのムーブメントが変わる、笑顔ですれ違う名前も知らない人たち、いくらFB写メを変えても醜いひとは醜いなのだね、子どもにはこういうひとになってほしいというのはないけれど、こういうひとにはなったらだめだよと言うだけかなあ。
なすびとパプリカを炒めてお醤油かけるだけ!化学調味料はだめなんさ。
あのお方がほめていたよと勇気付けのウソを言ってしまったことを後悔している。もったいない才能なのだけどな。
2014年09月10日(水) |
のあのわ - "Hurry Up!" |
熱病のように。
のあのわ - "Hurry Up!" [MUSIC VIDEO] ■
ビョークの手法。エコーに響きゆく、プログレハードな懐かしいギターに萌える。
何かが足りないのに旅に出なければならない性急。新しい恋人。
朝5時から深夜24時30分まで、4任務。途中睡眠4時間確保。 洋物のいい硬さのソファがじつにいい眠り心地なり。
2014年09月08日(月) |
ドラマーのケヴィン・シーは只者ではない |
お殿様から下賜の御一品。
「メアリー・ハルヴァーソンのPEOPLE拝聴しました。一聴した途端に、こ、これは凄いと震えました。メアリーも凄いけど、ドラマーのケヴィン・シーは只者ではない。」
ケヴィン・シーって誰!ケヴィン・シールズではない。
デング熱で代々木公園、新宿御苑閉鎖、でしょう?マスコミが書けないのは、路上生活者の移動だと思うけど。居ないことになっているから。
アントニオ・サンチェス盤、飛車、角、金将を招いていい盤に仕上がっている。王道でスターダムな無菌のジャズというか。メルドー、スコフィールド、ロヴァーノ。
2014年09月07日(日) |
「LMFAO」と書く男子がいて |
ファーマーズバイネイチャー2CDライブ盤やメアリーのオルタナジャズ盤や石狩シーツや海の日記帳を聴いていたら
よくできたフツーのジャズ盤が聴けないのなんのって!
昨日仙川へ出かけるのに駅まで歩いてて心臓が苦しくなっての、おりゃー?これはパパの身体とおんなじかなあ、運転手控え室でラジオ体操はちゃんとやってるが。
仙川のデニーズで稲岡親父にサンドイッチをごちになって、そのベーコンの味にやおら元気が出るのは肉食ってないからか、と、ステーキ買ってきた。
メリハリをつけての重曹飲み、がんにはならねーぞ。
トムヴァーラインの醒めた炎とか、セシルテイラーの初期、マークターナーECM新譜。
中学生たちが書く好きな音楽の欄に、Sekai No Owariが多い。バンプ意外と少ない。「LMFAO」と書く男子がいて、お!
「LAFMS」を聴く中学生が居るのか!すごいな!と思ったが、ちょっと全然違っていた。
羅府夢衆展 − LAFMS (Los Angeles Free Music Society) and Their Friends in Slow Life Avant-garde ■
さてバンプ聴いて寝るか。
死んだ心をどうするんだ 忘れた振りして覚えてんだろう 突き放しても捨ててみても どこまでも付いて来るって事 闇に守られて震える 身に朝が迫る
置いてかれた迷子 遅すぎた始り さあ何を憎めばいい 目隠しをしたのも耳塞いだのも 全てその両手
ロンリーグローリー
2014年09月06日(土) |
仙川ジャズアートの初日に出かける |
アンドレア・チェンタッツォと、稲岡親父と横井姉さん。
仙川ジャズアート■の初日に出かける。 昼から3つのライブをはしごする。 Jazz Tokyoの書き手、剛田武さんとお茶する。
調布市の仙川駅前の音楽によるお祭りとしては、とても素晴らしいものだ。
良かったのは坂田明、センヤワ、ヒカシュー、伊藤キムの順だろうか。声の発見、という視点では、じつに一本のスジが通っている。
あれれ?山本達久ってECM好きでDJ選曲したばかりの奏者ではないか、同姓同名?
≪13:30〜15:00≫ 〜eyes〜 伊藤キム(声と身体のパフォーマンス) ホナガヨウコ(ダンスパフォーマンス) スガダイロー(piano) 山本達久(ds,electronics) 坂本弘道(cello, musicalsaw, electronics) 〈directed by 坂本弘道〉
≪16:30〜18:00≫ 〜ears〜 センヤワ with 内橋和久 センヤワ [Rully Shabara(vocals)、Wukir Suryadi(bambuwukir,bamboo flute)] 内橋和久(guitar,daxophone) ヒカシュー witth 沖至 ヒカシュー [巻上公一(vocal,cornet,theremin)、三田超人(guitar)、坂出雅海(bass)、清水一登(piano,synthesizer,bass-clarinet)、佐藤正治(drums)] 沖至(trumpet) 〈directed by巻上公一〉
≪19:30〜21:00≫ 〜nose〜 坂田明 (sax) アンドレア・チェンタッツォ(drums,percussion)、 藤原清登 (doublebass) 〈directed by 藤原清登〉
2014年09月04日(木) |
動物に例えると「ネッシー」です |
来月の赤字脱却のために、うまいぐあいに車夫任務は繁盛するのであった。CD聴いたり、ドライブしたり、アイスコで一服したり、たかねのざる蕎麦大盛り食べたりして、まるでおれのためにあるような仕事ではないか。
チャリでいろんなルートを作ったように、中央区千代田区港区の見知らぬ夜景をループ&ループ。
きよりんが大ウケらしい。
多田雅範を動物に例えると「ネッシー」です。不思議な性格。人とズレていることが多くある個性的な人。よく判らない、と人に言われるが、自分でも自分がよく判っていない。「ウサギ」の人と相性が良い。
「あなたを動物にしてみた」 ■
小学館のどうぶつ占いはよく当たっていたよなー。おれは「金のたぬき」。
不意打ちに聴く。
Egberto Gismonti - 7 Anéis - Live @ Teatro Bradesco - BH 2014 [Musical Box Records] ■
秋田から19さいの「ピアノはジャレットよりもジスモンチのほうが好き」というかなり美人な女子が東京のわたしの部屋に遊びに来た。86年には、それは稀有なことだった。めぐちゃんといったかなー。
Arve Henriksen @ Mengi, Reykjavik 27 March 2014 ■
思いっきり一人ECMファンクラブをやって余生を過ごしてもいいのではないだろうか。
福島恵一の批評を、今一度ジャズリスナーは考え直さなければならない。
”「Wynton Marsalis以降のジャズ史が描けない」というのは、フリー・ジャズによる切断を「新伝承派」というフィクションで糊塗し、ロフト・ジャズ・シーンにおいて、あるいはヨーロッパの即興演奏シーンにおいて進められたポスト・フリーの探求を一顧だにしないからではないか。”
ブラック・ミュージックに軸足を置いたスタイル変遷史としての「ジャズ史」が行き詰まっていることを思えば、「始まりとしての『ブラック・ミュージック』としてのジャズ」と「現在の帰結としての『世界音楽』としてのジャズ」の比重配分を逆転した、「反転したジャズ史」を思い描くことは可能であるし、また、必要でもあるだろう。たとえば『Jazz The New Chapter』の巻末にオマケのように添えられた「The Newest Map of World Jazz」を拡充して主軸に据え、黒人性の顕著な噴出を時代的・地域的な特質としてピックアップする構成が考えられる。たとえばHorace Tapscottや彼の率いたPan-African Peoples Arkestraは、Beaver HarrisらによるThe 360 Degree Music ExperiencesやLuther Thomasを担ぎ出したCharles Bobo Shawらの動き、Juma SultanのAboriginal Music SocietyやThe Pyramids等のIdris Ackamoor周辺の達成等を横断的に結びつけ、さらにSun Ra ArkestraやPhilip Cohranらの営みに遡る一方で、現在まで連なるAnthony Braxton, Leo Smith, Henry Threadgill, George Lewisらの試みを別のかたちの発露としてきちんと押さえていくといったような。 こうした見方はかつて竹田賢一が自ら作業課題として掲げていた見方に、あからさまに影響/触発されている(笑)。こうした布置の中でこそ、すでになかったことにされてしまった感のあるロフト・ジャズ・シーンの再検証・再評価や、『Love Cry』以降の後期Albert Aylerの再評価も、単にマニアックなディスコグラフィ検証等の「学術的」な研究よりも、はるかにアクチュアルなものとなり得るように思われるのだ。「Wynton Marsalis以降のジャズ史が描けない」というのは、フリー・ジャズによる切断を「新伝承派」というフィクションで糊塗し、ロフト・ジャズ・シーンにおいて、あるいはヨーロッパの即興演奏シーンにおいて進められたポスト・フリーの探求を一顧だにしないからではないか。たとえばECMレーベルの初期30作品は、こうしたポスト・フリーの空間の探求のカタログとでも言うべきものであり、そこにはDerek Bailey, Marion Brown, Anthony Braxton, Paul Bley, Alfred Harth, Barre Phillips, Paul Motian, Return To Forever, Circle等、驚くべきラインナップが名を連ねている。Manfred Eicherの「見者」としての幻視力に驚嘆するほかはない。先に述べた「拡充され主軸に据えられる『The Map of World Jazz』」の焦点のうち一つは、明らかにECMレーベルに据えられることとなるだろう。
福島恵一ブログ 『耳の枠はずし』 「ジャズにちっとも似ていないジャズの出現可能性、再び−「タダマス14」レヴュー」 ■ より。
もはや自分の時代ではない時代を、それを延々と生きるという運命を甘受しなければならなかった、ルヒャルト・シュトラウスである。彼が亡くなったのは一九四九年。もはやバルトークもベルクもウェーベルンもこの世にはなく、ブーレーズはピアノ・ソナタ第二番を既に構想し、アメリカではチャーリー・パーカーらが、ジャズをアヴァンギャルド芸術へと変貌させつつある時代であった。 『リヒャルト・シュトラウス / 岡田暁生』音楽之友社
シュトラウスのオペラ『エレクトラ』をライブに観たいぞよ。
サントリー・ホールさんに頼もう、佐治さん、頼むわ、ワシ、エレクトラ聴いてみたいわ。
え?サントリーの社長さんは、LAWSONの
2014年09月01日(月) |
74年のアイヒャーと植草甚一 |
74年のアイヒャーと植草甚一。 丸茂さん、悠さん、原田さん。
深夜の南青山の路上、銀座7丁目の路上、タブレットでYouTubeを鳴らす。イエスの『こわれもの』。Fragile フラジャイル。刈谷さんのミニコミの名前だった。 聴くと、街のネオンも濡れたアスファルトも消えて、宇宙空間に漂っているヴィジョンに居る。
蜂飼耳はかわいいな。
吉増剛造の『しばたやま』2CDを聴く。 「石狩シーツ」の渋谷毅・川端民生を従えた朗読ライブ。 石狩川に向かって転がってしまいそうになる、最初の記憶のことを書いたのはどこでだったかな。
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