Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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妹が柩に入れる?ときく、おいら形見にもらっとく
兄ちゃん、持ってな
なんかずいぶんいい時計な気がする、宝石時計かな
指先の骨が10本(個)とも揃って残るのは大変珍しく年に1・2体しかない と、マニアックな下村さんが説明している
2013年11月28日(木) |
本家分家にかかわらず入りたいひとは入ってよろしい |
なんと大沼公園から高速道路が整備されていて、函館〜札幌はすごく近いんだわ。小学校の遠足とかで5回は登ったなつかしの駒ケ岳。西側から眺めるアングル。
CDプレーヤー搭載した!イヤホンは音楽ぢゃない。ホーンが振動してなんぼだ。 ひさびさに「 Fell Myself / 坂本真綾 」をかける、はっはっは、このグランディス、空飛ぶ仕様になったぜー
10日ぶりに音楽を耳にするせいか、感動に置いてけぼりを食らっている。「灰とダイヤモンド」も「サラウンド」も「ソラニン」も、昨日のように聴こえない。
仕事に復帰して体力が回復するのを待つかな。
WIREDの10号と新書を2冊。ごろごろして読みながら寝てばかりいる。
お墓のことを考えさせる私信があったので、書いてみようかな。
本家というのは長男一家、分家というのは次男以下の一家、で。「本家は本家の墓に入り、分家は分家の墓を新たに建てる」が伝統的なのかな。
(おれには墓石屋と坊さんの営業にしか思えないけど)
「本家は本家、分家は分家」と考えている本家の長男にとっては、一方的に分家の嫁が墓を建て直してそこに入り込んできた事態というのは、まさに他人に乗っ取られた心境になるのではないだろうか。・・・そういう心境は当事者にならなかったわたしには気付けなかったけれど。
「本家は本家、分家は分家」原則のほかは、「本家分家にかかわらず入りたいひとは入ってよろしい、別墓建てるのも良し、共同墓地に行くのも、自然界散骨もよし、来る者は拒まず去る者は追わず」が緩やかでよろしいとわたしは考えている。
本家の嫁が入らなかった、とか、出戻りで苗字が変わったけれど入る、とか、そういうことがあってもいいではないか。
おれが墓の始祖であったなら、我が子たちの係累がごちゃごちゃ入って来るのはにぎやかで楽しいだろうと思う。生前はいろいろあったけど、まあ、一緒に鍋つつこうか、という風情で。
本家の長男が遠方に住んでいて、分家は地元に住んでいて人数が多い、という場合、本家の墓には分家のひとがたくさん入って占拠されてしまう心境になってしまう、というのは理解できる気がする。
でも、わざわざ「本家は本家、分家は分家」原則でもって、墓石屋と坊さんを儲けさせなくてもいいではないかと思う。
「本家分家にかかわらず入りたいひとは入ってよろしい、別墓建てるのも良し、共同墓地に行くのも、自然界散骨もよし、来る者は拒まず去る者は追わず」
で、このおれはどうするのだ?と思考するが、多田家の墓は北海道で寒いよなあ、みんなで部屋じゅうに新聞紙を敷きつめてジンギスカンやるか!やるなら入る!
2013年11月27日(水) |
さだまさし 「遙かなるクリスマス」 |
みすず書房、バーニー・クラウス著『野生のオーケストラが聴こえる サウンドスケープ生態学と音楽の起源』■、文字を追いはじめて数分で論旨の平坦さというか・・・。わたしたちは、音楽に音楽以上のものごとを聴き取るようになってきているという接点をこそフォーカスしてほしいのだ。
しかし、無料試聴音源がすばらしいではないか! (65種の音風景が聴ける音声再生用ウェブサイトがある)
こないだジョン・ケージの4分33秒がカラオケ曲目表示されているのに度肝抜いたけれど、音楽のゼロは無音ではない。・・・だったら何なのだ?
危険に身構えたり未来を察知したり、兆候を知るのだ。
北海道・東北・福島と南下したとたんに雪が降っている。
通夜のさなかにみわこさんの肩に触れた俊夫の霊だったか。おれは運転疲れでわからなかった。
夏に大通公園で焼きとうもろこし食べながらアイフォンで隠し録りしたパパの声を聴いていると、死んだなんて思えない。初期設定として、胃がんの末期になるまで気付けなかったというのは、本人の医者嫌いが原因だ。身体を温め免疫を高める入浴も避けてた。夏過ぎに、激しくなる腰痛を「寝ていても痛い」つまり外因性腰痛ではない、と申告していたら、とか、検査入院では一般人と同じ要領でレントゲンを撮られていたが始終痛みの苦悶を訴えており(鉄棒で上下左右に揺らされるのだ)、病室で寝たまま撮れるレントゲンは存在するのに、その物理的な骨の軋みに癌は深く浸透した可能性はある(んがおー!)、レントゲン行為以降の医師も驚く骨髄がん転移の進行速度ではなかったか。検査入院からたった45日の旅路だった。
葬儀のあいさつでは、伯父さんがこれを機縁として親族のつながりが生まれるのが願いであるという、あまりに見事なフレーズを奏でてくれたので、喪主のわたしは変奏のアドリブを放つことができた。強烈な両親であったこと。両親の結婚までの薄氷を踏むようなやりとり、駆け引き、軌跡。おれがハネムーンの霧の摩周湖畔の宿で受精する奇跡。
衰弱してゆく父親の前で「花は枯れるのさ。種子はできるだけ遠くまで飛んで発芽するんさ。」と発言する、「兄ちゃんがあんなこと言ってるよ!」と妹に笑われていた。あの自然発生的な兄妹の語らいを父が聞いて頷いたりわからんと言ったりしていた時間。
おれと正反対で、ズルをしたりウソをついたり、道理に背いたり長いものに巻かれたりよそに好きなひとを作ったり家族に暴力をふるったり、ああしろこうしろとは一切言わない、そういう父親だった。それはそれは見事な人生だ。半沢直樹を地で行く反抗的な銀行員、闘う銀行員だった。「倍返しだ!カッカッカッ」とミユキばあちゃん譲りの笑顔で闘病を開始していたのにな。
野球帽を反対にかぶって組合員のキャンプで笑顔で振り向いている写真がある。
末期がんを告知したのもおれだし、死んだら肩に乗れと死神のように冷徹な言葉を突きつけたのもおれ。ひでえ息子だよな。
葬儀を終えて妹とふたりで居間で話していたら、「あんたたち、仲いいねえ」と、おふくろの声。
年齢も距離も離れているからだよ!
パパもママもいなくなったねえ、と、4にんで暮らしていた風景の中にいて、置いてけぼりをくったような気持ちでいたんさ、泣きそうな顔をして笑っていたんさ。
東京から車に乗って、青森も函館も札幌も、地面がつながっていることを実感したかったのだ。高速道路を走らずに砂川と函館を走りたかったのだし、それらは親族との記憶の再現であった。
清志伯父さんが函館から砂川へ向かう途中の黒松内で事故に遭い(昭和44年頃か?)、そのときの輸血で肝炎を患った経緯があるけれど、このおれが黒松内で一瞬睡魔に襲われそうになったのにはびびった。
仏壇が真っ黒で見えずその前は水面で炎が漂っていた。ママに助けを求めてしがみついた。工場の二階の台所の窓から黒焦げの男性が斜めに硬直してぼくを見下ろしていた。
幼年期にみた霊夢が、70数年前の納屋の全焼に起因していることはわかっていた。振り返れば端的に、俊夫が一族を救っていたのだが、墓を吉相に建て替えただけでは一部しか解決していない。ぼくはそれらをすべて背負い、果たして東大寺に運べば済むものだろうかと思案していたが、福島県の恵隆寺に呼び寄せられてそれらはすらららと消滅したのだった。福島県には寄るべくして、寄ったのだ。そうなのだ、練馬のアパートに運んでくるわけにはゆかない話なのだ、そんなものおれが数日でも抱え続けられるわけがない。センサーは時折はたらくが、耐久性はゼロだ。
多田家の墓へはみんな入ることでいいではないかと合意を得た、つうか、盟主に任せた。丸投げ。おれは墓には入らん。上野公園と東大寺二月堂と養老天命反転地と函館の亀田港と砂川の宮下と・・・、そんなことを考えていると寿命が縮むのでやめた。
おふくろの最期を迎える時期にはいろんな音楽がぼくの意識に流れたけれど、父親については今日まで音楽が鳴らなかった。車をオイル交換したついでにCDプレーヤーを搭載した。長男が作った編集CDRでさだまさしの「遥かなるクリスマス」が聴こえ、
それが俊夫の声であるように聴こえてきた
つまらない曲だと思っていた、さだまさしなんかだぜ、そんなの偶然だぜ、なんでなんだよ、
さだまさし 「遙かなるクリスマス」 ■
日本共産党員だった父に、内田樹が赤旗で投げかけた党への注文■を投げかけるんだった。
うん、それはそのとおりだと、言ったんだろうなあ。
2013年11月26日(火) |
洞爺湖・函太郎宇賀浦本店・恵隆寺の立木観音 |
父の葬儀を終え、帰宅しました。往復2212.4km走行。 みなさま、お世話になりました。
フェリーが函館に到着した早朝に、兄ちゃんが北海道に上陸したのを視てパパは今旅立ったんだね、妹の泣き声。
父親との記憶の大半がある函館の町を、落し物を拾い集めるようにして確認する。
冬のバスに転倒して足の甲がバスに轢かれてしばらく痛んでいたっけね、ここだよね。
おれが夏タイヤで北海道・東北・福島と帰ってきたとたんに冬将軍の到来みたいな。
帰りは時間と体力が不安なので丸駒温泉をやめて走ってたら高速から洞爺湖温泉が近いので寄り道。函館では漁火通りの函太郎宇賀浦本店、回転寿司、荒れる太平洋に面する厳しさを外に。フェリーは「揺れますよー」乗用車はおれ1台、爆睡して気付かず。青森のファミマでホットコーヒー。来るときは0度だった気温は10度、路面快適、飛ばす。
5年前に視える女性が「あそこの霊力はとんでもない」と絶賛していた恵隆寺の立木観音■のことを思い出したので、磐越自動車道へ右折して磐梯山・猪苗代湖方面へ、福島県を走る。朝日が輝いて、紅葉だ。
平日昼間の高速料金は割引がないので、猪苗代湖の南を抜ける県道を走る。あちこち除染作業。集落と集落をつなぐ道路は、時に一車線しかない。渓流と滝の美しい涼しさに、休憩。
栃木県の夜中に見上げた星空は、東京では見ることのできない輝きに満ちていて、茫漠とした時間がそこにあった。
2013年11月20日(水) |
夕方「あっこばちゃん効果で血圧回復」 |
早朝に血圧が80より上がらなくなった!と一報があり、長期休暇の可能性を模索しつつ、あわてて目黒区八雲図書館、品川区品川図書館、港区港南図書館、文京区小石川図書館を4じかんルートまわりしていると、
夕方「あっこばちゃん効果で血圧回復」タイトルのメール。ううむ、かわいい看護婦さんとハイタッチなぞをするカワイイとしおちゃんらしい現象だ。血圧120回復。ふつーのじいさんや。
おれもその看護婦さんとハイタッチしたいぞ、もっと踏み込んだ対応もしてもらいたいぞ。
夜には「仲良くやって。とにかく、仲良くやって。」と妹の手を握って繰り返しているとのこと。おれには?パパ、おれには?
11月16日(土)札幌ピヴォ店、みそっかす『三次元への回帰』発売記念ライブ 堀辰雄。アニタ・オディ。ピュア・マッカートニー。 松浦俊夫 Tokyo Moon Check My Machine (Nirobire-Edit) / Paul McCartney
映画『風立ちぬ』のヒロインが「菜穂子」である理由 冷泉彰彦 ■
小谷美紗子メールマガジンの廃止のお知らせでドキッとしたぜ。歌手活動は続けるのねー 12月14日発売ニューアルバム『us』先行発売フォトブック特別限定盤。3300円。買う買う。
★
朝日新聞デジタルに三善晃の記事があった。 「亡くなる前日、被災地で12月に上演される自作オペラのポスターが届くと、大きく目をむき、隅々まで活字を追ったという。」 写真のキャプション「食道楽で、酒もたばこも大好き。こと芸術には厳しかったが、笑顔は絶やさず、人生を楽しむすべも人一倍心得ていた」 ええっ?新作オペラ『カチカチ山』のことなのかい??? 三善さんはたばこを吸いながら80まで生きたのか。銘柄はなに?なに? ロングピースであるに違いないっ・・・
12月に仙台で上演されるのは『遠い帆』だそうです。 ■
「「遠い帆」は1990年から制作に着手し、99年に初演を迎えました。 この作品では、慶長遣欧使節の一人である支倉常長の苦難の旅と人生が、 三善氏の精緻で重厚な音楽、高橋睦郎氏の研ぎ澄まされた言葉によって 表現されています。
「和製オペラの代表作のひとつ」と評され、三善氏はサントリー音楽賞を受賞。
そんな輝かしい経歴をもつこのオペラに新演出で挑もうと、 出演者・スタッフ一同が12月公演に向け進んでいた矢先の訃報でした。」
★
北海道へはくるまで行きたい。スタッドレスタイヤをはいて。冬には雪国ドライブや温泉ドライブをするのだし。函館の冬を、冬の夜の街を、夕暮れからずっと走りまわってみたい。45年前のぼくや誰かに会える気がする。気がする。函館のコンサートを聴きに、湯の川温泉に一泊もいいものだ。
1982を聴く。近景と遠景が語り合う技法。そばだてる耳の、耳たぶのうしろで響く”ワタシ”の身動きと、彼方に存在するように、しかしながらロマンチックや郷愁に流れないでこちら側の”ワタシ”と「今ここ」を形成しあう瑞々しさ。かー、たまんねー。このノルウェーの演奏者は若々しいフォークなロックな肌触りも隠したりしない。これなのよね、ぼくがクラシックの室内楽やソロでの生演奏に味わいたい「今ここ」は、こういう精神の透明さと強さなのだけれど、ね、ね。この、1982、福島恵一さんのブログで記事あり。
ノルウェーのインストが運んでくる空気は、北海道と同じ「冷帯」の気候のもの。日本はね、本州以南が温帯で、津軽海峡をはさんで上が冷帯なのよ、中学校で習ったと思うけど。
2013年11月19日(火) |
ヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団第760回定期演奏会 |
東京文化会館(上野)へ、ヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団第760回定期演奏会。 Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra チャイコフスキー、マルティヌー、スークの「アスラエル」
32さいの若き指揮者ヤクブ・フルシャの渾身の指揮に震える。チェコ出身のチェコを体現する使命感すら感じるフルシャが、チェコの3人の作曲家を振る。わたしは、こないだ伝統のチェコ・フィルを聴いてきたばかりではないか。フルシャの健闘、都響の奮闘、出てくるものは、なぜにか伊福部昭のゴジラ出現のサウンドスケープだったりする。
敗戦のトラウマが放射能のゴジラを骸骨のウルトラマンを生んだ、そういう国だったか。美しい国を標榜する総理大臣も、グローバル仕様のおもてなしプレゼンも、わかるような気がする。福一の依然危険状況という、横っ腹にドスが刺さったまま血を流している。目は血走っている。戦後の日本語はそういうものだったと思う、二百年経ったらわかる。
オーケストラという様式を獲得し、チェコの指揮者でチェコのクラシックを弾いても、日本人が弾くとどうしても「日本(語)的なるもの」になってしまう。これは世界に追いついていないとか、本場に負けてるということではないんだ。(まあ、それはいいや)
ドヴォルジャークの弦楽だけの夜想曲、うっとり浮遊する映画音楽の開祖みたいなありがたさ、ありがたや、ありがたや。
マルティヌーは、オーボエ奏者のインタビューによる紹介が一等いい。ドキドキ、そのような曲なんだろうなー、と構えた。しかし、現代ジャズとか変拍子ロックとかでストレッチされている耳では、硬いカステラを味わっている感じ。クラシックだからな。前半部分の女性がたたく大太鼓が、やたら良かった。突出していた。マルティヌーには、ここ数年のコンサート通いで何度も感動している。
ECMでマルティヌーの室内楽?トラックがあったような・・・。もっかい聴いてみよう。
小ホールのほうでは、作曲家・平尾貴四男の没後60年記念演奏会をやっていた。う、う、う、内心こっちのほうに行きたいなー。プレス招待券交換できへんのかな。
練馬区光が丘図書館近くの黄色く輝く秋の光が丘公園。
2013年11月17日(日) |
小樽の子持ちハタハタの煮付け |
JT用に蛇油2とジャレットのノーエンドを入稿して、夜勤へゴー。
あっこばちゃん差し入れの米八のおこわのお弁当から始まって、白子入りなべ、レバニラ定食、フライドチキン、ほっけの塩焼き、わかめとキュウリの酢のもの、いよだのきぬた餅、写真は厚田のアオゾイ、羅臼のひらめ、小樽の子持ちハタハタの煮付け(なつかしー)、いずれも朝獲れで。食べてばかりいた気もする。
おれは母親から「アンタはおねしょの薬を飲み過ぎて、今晩が山だ、覚悟してくださいと医者に言われたことあるんだ、アタシャ覚悟したさ。その後、八卦見が、ああこの子生きてる、なら90過ぎまで生きると言っていた」と聞かされたことは1度や2度じゃない。父親にこのことを初めて事実確認すると、わからん、と、言う。え?知らんの?何故母親はそのような作り話を?
サハリンで、母方の祖母が長男の足の病気を相談しに、祈り屋さんに頼むと、うっと声を上げて、そのあと男の子が出てきて、「ぼく、男の子だよ!、ここにいたら大変なことになるよ」と告げたという。流産した児だった。祖母の強引なサハリンからの引揚げが、結果一族を救っている。初耳だぜ、おばさん。
病室に一晩泊まったんだが、小さなソファで。硬いソバガラの枕を持ち込んだ。深夜に二度抜け出してセイコーマートのカフェオレのみながら一服してた。朝方、信号の向こうでいつもの外套姿のおふくろが手を振っているのを見る。早く楽にして連れてけよ、と不謹慎極まりない語りかけ。
親孝行しなくてごめん、今まで助けてくれてありがと、おれもう大丈夫だから、がんばれよ、また来るから、もし死んでしまったらおれの肩にしばらく寄ってけよ、と、手を握った。返事が無い・・・父親の眉間に皺が寄って怒っている、あ!やばい!このひとは観念論ではなくて唯物史観のひとだった。妹が何言ってる兄ちゃんと睨んでいる、ごめんごめん、今のなし、また、来るね!
空手チョップを上げるサヨナラの仕草は、手のひらしか動かせなかった。
医者の話では、年を越すのは難しい、11月中もあり得る、との見解。
2013年11月16日(土) |
ばかなこと(言うんでない)! |
羽田に停めてた。空港から環七北上して練馬まで一直線。
今回は千歳空港〜新さっぽろ〜菊水と病室を往復した。新さっぽろで、アイフォンの画像をプリントしてアルバムを作った。病室の父親を喜ばせるために。新さっぽろの写真屋の女店員は親切だわ。
この辺りが原っぱの原野然としておりここに「新札幌」という駅ができた頃、高校1年になったぼくは友人たちとラジオで聴いたばかりのバウワウの『シグナルファイア』を買いに来た。片手にLPレコードを持って自転車をこいでいたことを唐突に思い出した。
砂川には6年、函館に7年、札幌で5年居た、それで18になるだろ?
病室で妹と、父親との昔話、父親の物語り、来歴の確認。3・4さいの俊夫が火遊びをしたのではなく、「アニキが」と発語したから、それが真実だろう。晩年にアニキのせいで経済的に火だるまになったのも、耐えた三男坊の必然かね。ミユキ婆さんは生長の家の活動家で演説していた人物だ。マサオ長兄は東洋高圧で電気の不具合で操業停止に陥った際に、その専門知識で即座に直してしまい名を上げ、北海道放送HBCに入社、重役の娘をもらったが、マルクス主義にものめり込んでいた、ノイローゼにもなるだろう。トシオは長兄からもマルクス主義を知った。函館時代には家族に隠れて早朝赤旗を配り始めていた。労働組合の幹部であった時期は札幌に居られたけれど、降りるとすぐに遠軽に飛ばされた。
ほとんどイエスとノーしか反応しないでいる父親に、「ばかなこと(言うんでない)!」と二度怒られたのだった。「子どもはかわいいねー、おれも新しいかあちゃんもらって・・・」と言った瞬間と、「おれは犬はキライだよー、犬見たら鍋にして喰ってまうぞ・・・」と言った瞬間に。「パパ、そんなにしゃべれるんかー」と喜ぶ出来損ない長男。
一気に寒くなった。吹き荒ぶ風、ではないかあ、、 手がかじかむ。 ジャレットのノーエンド宅録ECM2CDが届く。ほかにもCDがたくさん届く。かなみんから借りてるスピッツ新譜もある。岡村靖幸のニューシングルはぜひ買いたい。まずは蛇油2を書きます書けるかな。
明日昼の便で札幌へ。妹は年休を24日まで取れたらしい。金曜日にもっちゃんが見舞いに来てくれていたとのこと。ありがとー!
2013年11月12日(火) |
「めろん、おいちー」 |
会食が終ってふたつの家族が左右に。きよりんとお母ちゃんはターナー展へ。
かなみんと二人で浅草通りを歩く。15分くらい歩く。まーくんはいい若者だねー、コンサート評論のように話したり、ファミマのアイスコーヒーそろそろ飽きたい、どうでもいいことばかり話していたんだな、車に乗り込んで発進させる時、二人で歩くことってこの先もうないんじゃないかと思えて。
部屋に帰って、撮った集合写真で幸せそうに笑うかなみんの顔。
マレイペライアとチェコフィルのJT公演レビューを入稿した。
親父がベッドで上向きになって両手で新聞を広げて読んでいる写真が送られてきた。元気やんか!親父、「パパの点滴に重曹を1日15g相当注入してくれ!結果に対して医師に責任求めない。主張するだけ、主張してくれ、という気持ちじゃ。重曹を点滴に入れても全くオッケーだし、直接臓器を洗ってもいいんだ」というメールを看護婦の妹はとーぜん無視してよろしい、
仕事のやまが3つ越えたわ。やれやれ、あと2つだな。重曹のんでがんばれ、おれ。
北海道は雪。理事職のかずぼーが砂川の寒い写真をアップさせてた。
かなみんが3さいの頃、東京に来ていた祖父母に連れられて横浜中華街へ一日連れ出されていた。何食べたい?ときくと「フルーツパフェ!」と。中華街でそれを求めて歩きまわる3にん。孫を歩かせたくないと次々にお店を訪ね歩いたそうだが、ぜんぜん無いと、そりゃあそうだろ、中華街だもの。
「めろん、おいちー」と声をあげたかなみん3さいをいつまでも憶えているんだよ。
2013年11月11日(月) |
masuko/tada yotsuya tea party 選出2012ベスト 再掲 |
Best 10 CD of 2012:
1. Henry Threadgill Zooid Tomorrow Sunny/The Revelry, Spp (Pi Recordings PI 43) Henry Threadgill - alto saxophone, flute, bass flute; Jose Davila - tuba, trombone; Christopher Hoffman - cello; Liberty Ellman - guitar; Stomu Takeishi - acoustic bass guitar; Elliot Humberto Kavee - drums.
2. Rafiq Bhatia Yes It Will (Rest Assured RA 80322) Rafiq Bhatia - electric & acoustic guitars, loops, synthesizer, wurlitzer electric piano; Jeremy Viner - tenor saxophone; Jackson Hill - double bass; Alex Ritz - drums; Billy Hart - drums; Vijay Iyer - piano; Peter Evans - trumpet; Corey King - trombone; Joshua Rubin - clarinet, bass clarinet; Claire Chase - flute, alto flute; Nina Moffitt - vocals; Christopher Otto - violin; Caleb Burhans - violin; Victor Lowrie - viola; Kevin McFarland - cello; Alexander Overington – processing, synthesizer, wurlitzer electric piano.
3. Ryosuke Hashizume Group Acoustic Fluid (tactilesound records TS-001) Ryosuke Hashizume - tenor saxophone, loops; Motohiko Ichino - electric guitar, effects; Ryoji Orihara - electric fretless bass; Manabu Hashimoto - drums, percussion; Koichi Sato - piano (2, 3, 8).
4. Jeremy Udden Folk Art (Fresh Sound New Talent FSNT 410) Jeremy Udden - soprano & alto saxophones; Brandon Seabrook - banjo; Jeremy Stratton - double bass; Kenny Wolleson - drums; Will Graefe - steel-string guitar (2); on #9-10: Jeremy Udden - soprano & alto saxophones; Peter Rende - rhodes electric piano, wurlitzer electric piano; Brandon Seabrook - electric guitar, banjo; Eivind Opsvik - double bass; RJ Miller - drums; Nathan Blehar - nylon-string guitar (5, 10).
5. Eivind Opsvik Overseas IV” (Loyal Label LLCD 0011) Tony Malaby - tenor saxophone; Jacob Sacks - harpsichord, farfisa organ, piano; Brandon Seabrook - electric guitar, mandolin; Eivind Opsvik – double bass; Kenny Wollesen - drums, cymbals, timpani, vibraphone, marching machine.
6. Tomas Fujiwara & The Hook Up The Air is Different (482 Music 482-1079) Jonathan Finlayson - trumpet; Brian Settles - tenor saxophone; Mary Halvorson - electric guitar; Trevor Dunn - bass; Tomas Fujiwara - drums.
7. Tim Berne Snakeoil (ECM Records ECM 2234) Tim Berne - alto saxophone; Oscar Noriega - B♭ & bass clarinets; Matt Mitchell - piano; Ches Smith - drums, percussion.
8. Masabumi Kikuchi Trio Sunrise (ECM Records ECM 2096) Masabumi Kikuchi - piano; Thomas Morgan - bass; Paul Motian - drums.
9. Colin Stetson New History Warfare Vol. 2 - Judges (Constellation CST 075-2) Colin Stetson - alto, tenor & bass saxophones, french horns (4); Laurie Anderson - spoken vocals (2,6,10,13); Shara Worden - vocals (8,13).
10. Becca Stevens Band Weightless (Sunnyside Records SSC 1275) Becca Stevens - vocals, guitars, ukulele, charango; Liam Robinson - accordion, piano, harmonium, chamberlin, vocals; Chris Tordini - bass, vocals; Jordan Perlson - drums, percussion; Gretchen Parlato - vocals (10); Larry Campbell - guitar, cittem (2,4-6,11).
2013年11月10日(日) |
上野公園の中にある韻松亭、懐石・会席料理。 |
ああ、上野駅。クラシックコンサートの殿堂東京文化会館のある公園口なら、練馬のアパートの部屋の延長にあるような馴染みの場所だけど、正面から見上げる上野駅は。
上野発の夜行列車に乗って青森を目指した午後も、高速道路のゴミ拾うアルバイトの面接に来た夕暮れもあったけ。
かなみん25が来年結婚する両家の顔合わせは12時半の待ち合わせ。稲荷町と田原町の間にある休日路駐から15分くらい歩いて、仏壇店や線香屋の舗道を歩く。小さな信号も立ち止まって歩く。
上野公園の中にある韻松亭、懐石・会席料理。次女のきよりんも同席で。
25年前。生まれた生まれた!見える世界が脱皮した日。降り立った武蔵境の駅に降った3月26日の夕闇。降り注ぐ雪。
おれを継ぐ二代目まーくんに会うのは二度目だったけれど、彼の表情、瞳、言葉のイントネーション、いくつかのエピソードやわたしが知っていること、この現代の日本にこんなにピュアで真面目で愛くるしい青年が生存していることに、まず、感動した。
そしてご両親の持っているヴァイブレーション。三島由紀夫でもこんな美しい家族は書けなかっただろう。
こんな文章を書ける日が来るとは、思ってもみなかった。会食後の勢揃いショットは親権者の許諾が得られずここではお見せできません。
2013年11月09日(土) |
必聴 : 荒川修作レクチャー@藝大 「噴火し、遍在せよ!」 |
「地球がメチャクチャなことなっている時に藝術なんてやっている場合か!」
巨星荒川修作が藝大で200人の学生たちに喋った記録。91分。2006年。 ■
養老天命反転地に行って、そのあと荒川修作を知った。
ミュージサーカス musicircus 堀内宏公執筆 「2005年5月22日(日)の 日帰り旅日記」より 2.岐阜県養老町 『養老天命反転地』 ■
2013年11月08日(金) |
韓国ECM展の写真 撮影:原田正夫 |
2013年11月07日(木) |
ナマコがガン細胞を95%消滅させます |
ナマコがガン細胞を95%消滅させます!! という記事 ■
13時間に及ぶ夜勤だった。爆睡しているところへ
2013年11月06日(水) |
荒川修作10分間映像、再放送 |
こないだの荒川修作は地震速報で録画できなかったと認識していたが、台風情報だったのか。
NHK映像ファイル あの人に会いたい 荒川修作 放送日: 2013年11月9日(土) 午前5:40〜5:50 NHK総合 2013年11月15日(金)午前11:20〜11:30 NHK総合 ※11/15の放送は関東・中部・近畿地方は別番組になります。 ※事件事故などで急きょ放送日が変更になることがあります。
荒川修作ほど死ぬことから遠い存在も無いと思っていたが、亡くなっていたのか?いや、空海と同じように、荒川は生きている。また養老天命反転地へ行くぞ!
午前3時。久しぶりにパトカー6台警官10数人が捕り物をしているのだった。顔見知りに補足情報を伝えついでに「ね、ね、何あったの?」とすり寄っていったが、ま、ま、ま、ま!とはじかれた。ふんだ、タコとトマトのマリネとあじ寿司の夜食にしよ、新しくできたスーパーで買ったんだー、うおー、うめー。
妹からメール「兄ちゃんに昨日メールもらう1日まえに、夢で自宅3階でママと私が話している所に、階段の明かりがついて、兄ちゃんの声がして、階段を上がりながら、「飛行機取れた。」と言ってたの。正夢になったと思いました。夢での階段が、昔の家の階段の壁だったから、懐かしかった。」だから行ってたんだって。
昨日の下の画像はアイフォンが手をすべらせて回転落下する刹那に写していたもの。
あっこばちゃんがダンボールでできた柩に入ってみたとか言ってた。そのことを耳にして、意識の中でちょっと想像してみていて、あの世には身ひとつかあ、オレは何を欲しがっていたんかなあ。おれのヒットチャートナンバー1を網羅したタガララジオを完成させることだなー
などと思うのは、何と何を食べ合わせておなかが痛いのだろう?
あれ?胃だけでなくて腸も痛くなってきた、イタ、イタタ、なんか熱も出てきた、頭痛もする、
なんの天罰だろう、会社に休む連絡をして、でええ、背骨が痛くなってきた、心臓も苦しいいいい
(胃がん大腸がん背骨がん不整脈と両親の病の痛みを想う・・・んかっ、ママの声で「まさのり、アンタも少しわ私たちの苦しみを味わいなさい」と言われてるんでないのか???)
昔のプーさんの画像2点。EAST WIND の頃?
2013年11月05日(火) |
A very good review for Yeahwon Shin´s new album, |
山手通り松見坂あたりで工事しているのを見て、少し気持ちが元気になる。
今日午後送金があったので、エアドゥ航空券を予約しました。 11月14日(木)午後4時頃、病室到着で、16日(土)午後5時頃まで。 親父、元気でいてくれ。
週末は来年結婚するかなみん25の両家顔合わせ会食&美術館で、あまりラフなかっこで来ないでねお父ちゃんと言われとる。
おお、ほんとだ、ECM本社のFace Bookが 「A very good review for Yeahwon Shin´s new album, "Lua ya" from our friends in Japan:」 として、全世界18841人のECMファンたちへわたしが書いたイェーヲン・シンCDレビュー■を紹介している。
日本語がわからんはずなのにオカシイ。いや、日本語がわかればこのレビューのはしたなさ(電電公社のくだり)に紹介をためらったはずだ。稲岡頭取がうまく英文化して「ECM新時代を気付いたリスナーがいるんだぜ」とねじ込んだか。
わたしは良い友だちではない。あなたたちの金融庁みたいなものなのよ。
2013年11月04日(月) |
よったんおじさんおばさんとお嬢さんお三かた、まーちゃんおじさん |
FaceBookつながりのスペインのサンチェスさんが黒澤明監督の映像から?投稿していた画像。
今日は、よったんおじさんおばさんとお嬢さんお三かた、まーちゃんおじさんのお見舞いがあったとのこと。気持ちもはなやぎ、とても嬉しかったと思います、みなさん、ありがとー。
俊夫75、そんな機材まで付いてしまったか。鼻チューブ、小便チューブ、左右の腕に点滴。
夏にニセコのキャンプに行ったとき、「半沢直樹を観ている」と言っていた。それで、おいらも観はじめてた。録画して、最終回なんか10回以上繰り返して観ている。徹底的に反骨的な銀行員だったパパにはこの上ないエンターテイメントだったろう。
先月20日の検査入院まではだいたい週一で電話で日本ハム戦のこととか話していた。のにな。
自分の背広に鼻をつけると、パパの匂いがする。
銭湯でおのれの裸身を見ると、似過ぎだ。おれがこんだけ銭湯温泉入浴好きなのに、心臓が苦しいと入浴しないでいたな。おれの心臓はママの心臓だからな。
遠くの街からドアをあけて病室に入り俊夫75の意識の中に入り込む。
雨竜で、農地解放で作付面積は減ったが相当の大きな農家であった多田家が、 当時3さいだか4さいだかの三男トシオの火遊びによって全焼し、それで丸裸になった一家は砂川の町に出てきた、という場面なんだが、 三男トシオの火遊びというのはウソだったんだな。
ミサヲが墓の相が悪いと、晩年に押し切って建て替えをし、その墓に入っていったことは正解だったのかー。
こないだ俊夫75から新聞の切り抜きを預かった。この多田氏は曽祖父と似ている。四国高松。
おれは奈良県十津川村のほうだと考える。
多田家は浄土真宗のお西のほうだと、法事で知った。
曽祖父の兄弟には東本願寺の高僧になった者がおると伝わってもいる。この真逆は謎だな。
2年前に、おふくろを東大寺二月堂お水取り深夜の須弥壇に送ってきたが、西に向かえば物語りは終わるようであるのだ。
2013年11月03日(日) |
もっちゃんのおくさんとみつえちゃんがお見舞い |
もっちゃんのおくさんとみつえちゃんがお見舞いに来てくれたとのこと。
きれいなお花、ありがとう。
あっこばちゃんもお見舞いに来てくれていて、長居してしまったみたいだよともっちゃんのメールにあった。
おれも一緒に長居したかったぜ。
2013年11月02日(土) |
妹が小3の娘と泊まりの付き添い看護 |
『中世の狂気−十一〜十三世紀−』人文書院6400円を自転車職人Wくんに見せてもらって、豊島区中央図書館で借りたはいいものの。
おいらもまずはBjorkは挙げたくなっていたけれど、揺らいだり耳の焦点が合わない感じというのは、日本の現代音楽の合唱にそういう技法があったとか、そっちのほうへの連想が重い。女性の声という点では、明治学院でのバッハの公演で高校生が16にん並んで歌った声の、若い女性の声そのものの天国性に舞うことへ、あと、30年前の小平かの創価学会施設での千畳敷の畳の間で女子中高生だけが100にん以上もでお題目を唱えている迫力の記憶、そういう異次元に。芸能山城組もクリネックス以外も聴いた記憶があるが、どんな肝だったか・・・、ケチャか。
反例としてのエンヤ。レディオヘッド。命をすり減らしながら賭け金を吊り上げていく、コカインより効く究極のゲーム!
ステテコでベーコンエッグを食べてて、ももの内側にしょうゆのしみをつける。
カメラが神社の願掛け札を映してて、「××死ネ」の札にノイズが混じり若い女性がかっと見開いた顔がななめに映り込んだ、まさに「生き霊」が映っていた、さっきテレビでやってた。おおこわ。
なんか知らんけれど、平沢進のトラックを5つ並べて編集CDRに入れておる。
われ思う。「もはやジャズもインプロもロックもクラシックもフィールドレコーディングスも売り場の仕切り板になりつつある」という記述は安易だ。奏者は何を持ち、何を出し、何を狙っているのか、何がしたいのか。何に突き動かされているのか。
サイトウキネンオーケストラの今年の夏、3年ぶりの小澤征爾、を、観ながら寝る。冒頭に、ジャズピアニストの大西順子がラプソディーインブルーかなんか弾いて、小澤に「こうじゃないと、入れないんだよー」などと指導されている。良かったねー、大西順子、弾く場所が見つかって。大西順子は90年代日本のジャズピアノの頂点で、完成形のフォーム。
ジャックよ、「AKBとかももクロとか」と並べないでほしい。それは、ディープパープルとレッドツェッペリンを、ペーターブロッツマンとデレクベイリーを、チックコリアとキースジャレットを、パフュームとぱみゅぱみゅを、並べて語るような粗いものなのだ。
ももクロの「灰とダイヤモンド」ガイシホールを、耳をすまして、フィールドレコーディングを聴く解像度で、オーケストラの響き、ピアノの打音、ギターのストロークの、拡がる空間的配置を、そしてかなこの「ここはどこなんだろう」という歌声の入りを、味わっている。
スピーカーをどう鳴らすか、という言葉があるけど、鳴るサウンドを耳の受信する空間でどう配置し、どう解像度を設定し、どう鳴ってほしいかを渇望し、それを創造する。同じ音楽がいつも同じようには聴こえていないことは、この創造の可能性を示唆していた。
佐々木敦の『即興の解体/懐胎演奏と演劇のアポリア』を図書館から借りていた。最初のほうから、読めなくなってしまった。そのようには問題立てて聴いていないのだった。完全即興のテーゼとはうらはらに、ぼくにはパーソナルな演奏に、聴こえるわけだし。問題となっているのは、彼らは何を聴き、何を弾き、反応し、図形美なり色彩美なり強度としか言えない事態を引き起こしているか、だから。この本を読んで、若者たちは即興演奏の何を聴いているのだろう。
久しぶりに、チャールズ・ロイドの『ウォーターイズワイド』(2000)ECMを聴く。
画像は横浜駅2013。
妹が小3の娘と泊まりの付き添い看護。
「朦朧となりながらも、気遣っているところが、パパらしくて、めんこい。麻薬の副作用で、時々キレて、さわれないことや、外務大臣!!と言っていることもあり。他人には、子供のように泣く事があり、看護師さんに、おまかせして甘えていることも。パパであり、祖父であり、俊夫ちゃんでもあるのです。勉強になりました。」
2013年11月01日(金) |
耳の枠はずし「アンサンブルの解体/再構築の後に来るもの − 「タダマス11」レビュー」 |
箱根名産わさび漬、村上次郎商店。わさび漬きらいな天ぷら職人55が食べる別格もの。うまー。
福島恵一さんから、まさに瞠目すべき現代ジャズ論が提示された。 耳の枠はずし「アンサンブルの解体/再構築の後に来るもの − 「タダマス11」レビュー」■ (タダマス11=益子博之多田雅範四谷音盤茶会 Vol.11 )
Derrick Hodge のサウンドに、Masabumi Kikuchi TPT Trio の等価を視ていた。これは我々が提示できていた。しかし。
まず、アンサンブル・インプロヴィゼーションの「局所限定適用」と「全面適用」という腑分けが、鮮やか。このテキストに行き着けないでいた。
Mark Dresser は「古いでしょ?」、対してMary Halverson は「新しいでしょ?」とは、言えた。しかし。
『レイヤー的構築によるアンサンブルの解体/再構築のモデルは、これまでポスト・プロダクションによって獲得されていた地平(『In A Silent Way』)を、リアルタイムのアンサンブル・インプロヴィゼーション(Derrick Hodge, Masabumi Kikuchi TPT Trio)によって獲得すること、これにより、アンサンブルの「体感感覚」を更新することを目指しているように思われる。』
と、我々が快楽に基づいて掲げた後半選曲の「新しさ」のラインナップ (Mary Halvorson Dave King Trucking Company The Claudia Quintet Matt Mitchel)を、 こう、テキスト化することができなかった。
『先走った物言いになるが、』以降は、まったくくちあんぐり、な、現代ジャズに至るジャズ正史だ。
タダマスでかかる現代ジャズ盤の理論的な概念が基礎付けられたのである。
わたしの主張「わたしの快楽主義は速度と浮遊の技法に反応しているだけである。ケニークラーク、エルヴィンジョーンズ、ロイヘインズ、トニーウイリアムス、サニーマレイときて、ジャックディジョネット、ヨンクリステンセン、不可視化したポールモチアンという流れで見ている。」との対比。
タダマスは、Jazz Tokyo多田がcom-postの益子を読み、追っかけ、橋爪のライブで出会い、新譜紹介をなぜやらないと抗議したのが発端である。NYシーンに対する耳は、座間裕子と幸福な交差をして以降、わたしは孤独だった。単に“趣味がおんなじ”ということではないと思っていたが。益子博之のセレクトを追っかけている。
複数の耳による化学反応と、福島さんは我々をよいしょしてくれているけれど、このクオリティの立論、動かし難い定義。
いま、わたしの脳内には、ウルトラマンを中心に、左にセブン、右にエースがそれぞれにポーズを決めている映像があり。とても、誇らしい気持ちでいる。セブンとエースが、並み居る凶悪現代ジャズ怪獣たちに挑み、苦闘し、そこへ最期のとどめを刺しにマンがスペシウム光線を放ったのだ。(おいおい図に乗りすぎ)
(数年前、わたしセブンは、ゾフィー兄さんとジャックと京都へ鈴木昭男を聴きに行ったときだったろうか、いろんな話をしながら酔ったような勢いで「おいらには、音楽が聴こえるんだ」と発語し、「おいらには、あらゆる音楽の統一理論があると思ってんだ」は、たぶんあんまりなので発語しないでいた記憶がある。中井久夫の「踏み越え」だと直感していた。余談。)
「新たなゲームの時代の到来とこれにより再生される即興共同体」は、今後どのような展開に向かうのか。
演奏家たちは、個々の快楽の記憶を新たなゲームに織り込んでいるのだ。
多様化は熱死に向かうのだろうか?もはやジャズもインプロもロックもクラシックもフィールドレコーディングスも売り場の仕切り板になりつつある。
「新しい言葉が必要なのだ。」これは、出会った頃に益子の口から出ていたフレーズだ。
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