Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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週末の発熱から回復し、たまりにたまった洗濯物をほしたが、仕事中に柔軟体操しすぎて足腰が火照って痛いのだ。
なにが、音楽には演奏者がいるという神話だ、書くも書いたりだが、また一歩、音楽がわたしを聴いている、に、近づいたようだ。
ECMジャケやマイルスとかミンガスとかの写真でおいらには有名な内藤忠行さんと話したことがある。
「でもねえ、たださん、どんな偉大な芸術も、自然には敵わないのです」
十年も思い出さないでいたコトバがやってくる今。
2010年09月27日(月) |
音楽には演奏者がいるという神話 |
ジャズ耳とインプロ耳でも救うことのできないECMトラックをECMのハードコアと名付けてみたのだった。
しかし。
このECMを受容する耳のアンテナもしくは構えは、福島恵一さんが連続講演した「即興のハードコア」と実は同じなのではないか? と一夜明けてひざを叩くおいらなのだった。
「即興は最初から音響をモンダイにしていた」というキーセンテンスがあった。
おれ、思えばベイリーやパーカーやドネダを、語法や語り口に追求して聴くジャズのサックス奏者のようには最初から聴いてなかった。 いや、まったくそうは聴いていない、とは言わないけど。
ガルバレクなんてジャズで聴いたら何も言ってない。極めてサウンド的に捉えている。
ドネダなんかサウンド的に、息の奔流として、ざわめきの中の音響運動として、聴いていた。
ああ、そうか。アトス山に向かうのは、途中にあれだけ多彩な即興音響やホセマセダやブラクストンがあって、の、耳の理路だ。
だから原田正夫さんは即興のハードコアとECMには共通点があると看破していたのだ。 ジャズ・即興のポストモダンをいちはやく通過してECMが視えたのだ、アイヒャーは。 『フラグメンツ』の素晴らしさの謎が一歩前進したような気がしている。
ECMもインプロも「誰かが演奏している」というふうには聴いていなかったのだな。極論すれば。
2010年09月26日(日) |
純喫茶ECM来場御礼 |
40にん弱のみなさまが会場にいらっしゃったということです。ご来場ありがとうございました!
同い年のドラマーのてんぽうりんさんもクリステンセンに大反応。でしょー!
講演後誠実そうなひとりの青年から「あの・・・ヨン・クリステンセンの作品では他に何がおすすめでしょうか」と質問を受ける。 ああ。またひとり、人生の階段を踏み外したばかりの青年が。親御さん、ECMの深い森にさまよう者に地上の幸福はないのです。
何をおすすめしたかはないしょ。
アップリンクは海原になった。
ラルフ・タウナーの『ダイアリー』のジャケが、フリードリヒの「海辺の修道士」に酷似している、北方ロマン主義の系譜、という福島恵一さんの指摘、を、改めて鑑賞してみて、この絵画は人間の孤独をテーマにしているという通説、だけれども、孤独どころじゃないんじゃないか。厳格な修道院で生涯修行をしているはずの修道士が制服を着たまんまこんな荒涼とした海辺に彷徨っていることなぞ、とんでもないことなのではないか。そこには狂気に触れるようなギリギリの精神のありようが暗示されているのではないか。
わたしがジャズ盤やインプロ盤を手にするとき、基本的にはパーソネルだけがモンダイであり、ジャケやタイトルはあくまで副次的なものになっている。だけどもECMを聴くときにはその構えが解除されている。ジャケのものものしさ、を、手がかりにしているかもしれない。ジャケの図像、色彩、イコン的なるもの、言語を介在させない意味といったものの伝達があるかもしれない。
ブレイ、モチアン、フリゼールの『フラグメンツ』は、これがたとえばJMTとかウインター&ウインターというレーベルで録音したら違う演奏になっただろうという感覚がある。『フラグメンツ』のジャケにはサイ・トゥンブリの影響がある「落書き」「自動筆記」的な描写があるけれども、それは「演奏者がそれを演奏する」から離れた音楽のありようを示唆しているかもしれない。
『海』など、これは4にんのミュージシャンが演奏しているのではなく、アイヒャーというもうひとりのコントローラーが介在しているように感じられる。アイヒャーは時に演奏家とのディスカッションを経て音楽を作っていくものだが、音楽のために演奏家を使っていくという点では、マイルスに似た資質があるのではないか。思えばジャレット、コリア、ホランド、デジョネットというマイルス・バンドからのピックアップがECMの土台を築いている。
ECMのすべてのCDには冒頭に5秒間の無音部分が置かれている。この沈黙には、思い詰めるものがある。サイレンス、沈黙と言っても、国ごとに概念は異なるだろうと思うですが、ECMのサウンドにはいたるところに沈黙があり、その背後には、叫び、望郷、亡命者、郷愁が詰まっているように思える。これらの音楽にはアイヒャーが隠れており、ECMはアイヒャーとともに終わる。ECMのサウンド総体の背後にいるアイヒャーという存在に惹かれ続けている。
2010年09月23日(木) |
今週の日曜、26日、渋谷アップリンクでの純喫茶ECM、へのお誘い 2 |
ECMは迷宮である。ECMには魔物が住んでいる。そんな曲ばかり選んでしまった。
21世紀の耳をもってして、復活してくるデモーニッシュな響き。演奏者も制作者も意図していなかった聴取によって。
渋谷アップリンクのオーディオルームの暗闇に鳴り響くときに、あたりは海原になっていることだろう。 ■タガララジオ14 ■タガララジオ15
麻雀競馬コンサートでお年玉も捻出できないワーキングプアな父親しか知らない子どもたちに「おとうちゃんはプロの芸術家と音楽評論家と並んで講演をするんだぜ見に来い」と誘うと、親権を保持するエクスワイフから「子どもたちの人生を踏み外させるつもりですか!次男は来年芸大を受ける受験生なんですよ!」と抗議がはいる。ECMの怖さをよくわかっているのはさすがだ。ECMの深い森にさまよう者に地上の幸福はない。
いくつものECMジャケを思い描いては夜空を見上げる。わたしはジェンナーの心境なのだよ。これを知った者は、もはや若い女性とか一万円札とかウニイクラ丼とか出世の歓びとかモダンジャズとか、そのようなものに人生を棒にふることはないのだ。
さあ、出撃だ。伊武雅刀の「子供達を責めないで」が耳に鳴る。
わたしはECMファンが嫌いです。うん。わたしはECMファンが嫌いだ!キース、チック、パット、好きなものしか聴きたがらない。スイングするものにはフタをする。リバーブをかければいいと思っているところがズルい。タウナー、ガルバレク、ジスモンチ、どこがジャズなんだ!ワタシは知的です、というあの目がいやだ。いかにもアートですというあのジャケがいやだ。不愉快だ。やたらジャズを語るECMファンも嫌いだ。AEC、ビルフリーゼル、デイブホランド、ルイスクラヴィス、ポールモチアン、マークターナー。熱を奪っているじゃないか。なにがクリスタルサイレンスだ、なにが部屋の温度が5度下がるだ、計ったことあるのか、なにがソングオブノルウェーだ、なにが愛のカフェオレだ、なにが心の瞳だ!なにが沈黙の次に美しいサウンドだ!わたしはほんとうにECMファンに生まれなくて良かったと胸をなでおろしています。わたしはECMファンが嫌いだー!
2010年09月22日(水) |
今週の日曜、26日、渋谷アップリンクでの純喫茶ECM、へのお誘い |
純喫茶ECM■まで、まもなく、です。 ジャレットプレイズスタンダーズ、とか、ポリーニプレイズ平均律というくらいな、 福島恵一プレイズECM、という知的触発も体験できるという、おいらもいい演奏をするつもりであるが、稀有なレコード鑑賞会だ。
タウナー、ダウナー、クリステンセン、ハルト、ガルバレク、ビョルンスタ、ヴェサラ、ギーガー、リピダル、バイラーク、ボウイ、ノルダン、ダーリング、カヒーゼ、アンデルセン、メセニー・・・
あの空間で、あのスピーカーで、ECMのコアな選曲を響かせることができるのだ。
福島恵一さんがブログ「耳の枠はずし」■で、「ECMの音の眺め」という記事。
わたしは何度もECMファンをやめて(小沢健二、ジョー・マネリ、菊地雅章、ミシェル・ドネダ、マーク・ターナーの衝撃時などなど)は、インプロ者に、ジャズ者に、はたまたクラシック愛好家にどっぷり旅路を進めていたのですが、福島さんに誘われて昔懐かしいECMを一緒に聴いてみたら、見上げるような空間が瑞々しく輝いて音がリアルに鳴り響いていることに思わず声を上げるような感興に至った6月なのでした。
「空間」が生まれていた、というのが、今になってはっきりわかったのでありました。
今抱えているコンテンポラリージャズの視野、インプロを感受するアンテナ、を、持ってしても、わたしが聴き逃していたECMはあるし、次々と現れる感覚に耳が・・・何と言うか、「拡がって」いる。
オーネットがフリージャズなど演奏したことなどあっただろうか(福島恵一)、だよなあ!と、輪郭が与えられて覚醒する。聴いて感動することにかけては最強なおいらだが、原田さん、福島さんに話していると、何かこちらの耳が触発されて驚き感嘆し感動する。
2010年09月13日(月) |
アンドラーシュシフ、宝示戸亮二、笹久保伸をぜひ聴きたいと思う |
なんで今月の家族4台のケータイ代が3まん9せんえんにハネあがっているのだ?いつもは2まん7せんえんだのに。 この1まん2せんえんの支出は痛いなー。 ・・・と、思っていた矢先にカジモトイープラスから来年2月のアンドラーシュ・シフ(ピアノ)の先行チケット情報が! 紀尾井で1まん2せんえんでシフを聴ける!一度は聴いておきたいシフ!シフ!シフ!
今月は21日新宿ピットインの宝示戸亮二(ピアノ)ライブに出かけます!■ 衛星ラジオ「ミュージックバード」(来年7月に放送終了とのことだが)で聴いた宝示戸亮二のピアノ演奏に、ジャレットやブレイを感じた時と同じ聴覚映像を感じたものだった。『A MAN FORM THE EAST SERIES』3枚組ボックス■からの選曲で、すかさず購入した。 その後、雑誌の取材で札幌に飛んでお話をうかがい記事にする機会にも恵まれた。 欧州即興の観賞文脈で耳にするものではないような気がする。それは、ユーラシアから北海道につらなる過去の土地の精霊の呼び声なのではないだろうか。
10月22日(金)には、笹久保伸(ギター)のリサイタルがあります。■ ■ これは複数の耳のアンテナから体験を薦められているミュージシャンです。
911に摩周湖に行っていたのです。
前日、朝7時に札幌を出て、砂川で墓参し、 午前11時半に遠軽町に着いてガンボウ岩を25年ぶりに見上げる。 阿寒湖温泉で一泊し、摩周湖へ向かった。
2010年09月09日(木) |
純喫茶ECMのチラシ |
なんという美しい画像なんだ。ECMの音というのは、視線なのだと思う。
ECM備忘ねた
ブリューニングハウスの「コンティニウム」、ハルトの「ジス・アース」はアイヒャーの指示で日本国内盤の発売が止められた
スタンコの「バラディーナ」のセカンド、エイエ・テリン(tb)のリーダー作は、トリオ・レコードから告知されたが、リリースはされなかった
ヨン・バルケは、ECM録音はしたけれども出来に納得ができずに、作品化を差し止めたことがある
2010年09月05日(日) |
マイケル・ピサロさんのレーベルが「Gravity Wave」 |
おいらのbiglobeメアドが使用できなくなって3週間ほどたってしまいました。 おともだち、知人のみなさま、このページから再度メールをいただけるとさいわいでございます。
岩波書店の岡田温司著『半透明の美学』はそのうち図書館で読めると思います。 『千のプラトー』が河出から文庫化されました。十数年まえにブノワ・デルベックがこのミル・プラトーに言及した作品を出していたり、ミル・プラトーという面白いレーベルがあったり、と、そういうことしか憶えてませんが。日本の強力な融通無碍、と、同型では?
わたしの音楽にはジャケも、タイトルも、書体も必要なのです。 LPの特定のトラックは、再編されて、編集CDRとして奇怪な世界を描く、とも、日本人の口内調理とも、イッツアスモールワールドとも。
「おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました」
感触的、浮遊的。
そうそう、座間さんとこのマイケル・ピサロさんのレーベルが「Gravity Wave」というすばらしいネーミングで発進のようです。 ■ 重力の波、揺れる重力、眩暈や陶酔に、生死の境目に、脳溢血や脳卒中、走馬灯、未来と過去と現在。 これはコンプリートしなければー。
「日本琵琶楽大系」なるボックスものが22日に発売とのニュースも。
2010年09月04日(土) |
アリルド・アンデルセンとECMファンクラブの重鎮ハル教授 |
アリルド・アンデルセンとECMファンクラブの重鎮ハル教授。番号を言えばタイトルからパーソネルから録音スタジオまで出てくる。
かー!このTシャツ着て行ったんですねー。 『シムリ』の西ドイツ盤を6枚所有するアンデルセン好き積年の邂逅。
2010年09月02日(木) |
嵐の「モンスター」のアレンジは |
群馬のエクスワイフからのご教示メールをいただく。 モンスターとポップスターのアレンジは同じひとによるものではないようです。
↓Monster編曲
佐々木博史(ささき ひろふみ)は、作曲家。主にBEMANIシリーズに楽曲を提供している。ピアノの演奏に長けており、クラシック音楽に造詣が深い。コナミ(現コナミデジタルエンタテインメント)に所属し、『GUITARFREAKS』及び『drummania』シリーズの制作に参加していた(現在は退社している)。通称「プログレ部隊ピアノ隊長」。
↓Pop star編曲
亀田 誠治(かめだ せいじ、1964年6月3日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク生まれ(生後1年で帰国。)のベーシスト、編曲家、音楽プロデューサーである。2004年からバンド『東京事変』の正式メンバーとして参加。妻は歌手の下成佐登子。
2010年09月01日(水) |
嵐の「モンスター」のアレンジは? |
タガララジオ14が更新されました。 ■
嵐の「モンスター」が素晴らしいと思って聴きながら、 これって平井堅の「ポップスター」と同じひとのアレンジではないでしょうか? ストリングスの扱いが同じところがあります。 だれかおしえてください!
次女のきよちゃんが嵐のファンになっているのにこれまたびっくりー!
ECM「海」のあとに、なんでマイラバの「hello again」を書いているんだろう、とは思っていましたが、 「hello again」の歌詞がちゃんと海であることに気付く執筆者です。 「だけど新しい扉をあけ、海に出れば、波の彼方にちゃんと果てを感じられる」
好き勝手書いているのって、こわいわ。でも、たのしいわ。
「夜の間でさえ 季節は変わってゆく」・・・小林武史、すばらしい歌詞ではないか!
タガララジオ14の表紙画像は夜のスカイツリーです。 見えない不適な画像ではないか?と明度について調整提案がありましたが、 このスカシのような暗さとライトの赤い点がポイントです。
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