Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年03月31日(水) |
フランス即興を聴きフランス歌曲リサイタルに行きそびれる |
フランスの即興レーベル、ポトラッチの新譜を聴く。 アルトサックスを用いており、息のコントロールや指の動き、で、共鳴する音を中心に出力している。共演者は、指先でコントロールされた微細な高音のノイズ、で、併走している。高音のノイズ、と、ひとことで言えばそうだけど、この音のヴァリエーションや反応が心地よい。何をどう操作して音を出しているのかわからん。ライナーではギターとマイクロフォンとオブジェクトとエレクトロニクスと書かれているけど。
ずっと反応しあっている、という点では即興のオールド・スタイルではあるけれども、反応の良さ、これは強い即興というより室内楽を思わせるものである、そしてサックス奏者の高い技能、それから選択しあう音色の感触が一定範囲に収まっているように予想される心地よさ、というもの、が、ある。
しばらくぶりに安心して心地よく最後まで聴き通すことができた即興盤である。フランスらしい感触がある。
夜はフランスの歌曲を聴きに出かける予定にしていた。そのために休みまで取っていたのに。 睡眠コントロールがうまくゆかず、昼に寝て翌朝4時までぐっすり眠ってしもうた。 今日はフランス漬け!という思惑でありました。
あーあ。なんとも聴きたかったなあ。こういう声楽の公演は録音物じゃだめなんだ。
小林菜美 ソプラノリサイタル〜フランス声楽作品の系譜2〜 2010年3月31日(水)19:00開演銀座・王子ホール 全席指定¥5,000 ピアノ:寺嶋陸也
ペルゴレージ 《奥様女中》より 「怒りん坊さん、私の怒りん坊さん」 グレトリ 《見かけの嘘、または嫉妬深い恋人》より 「おお、やさしい夜よ、おまえの安らかな蔭の下で」 グノー 《ファウスト》より 「トゥーレの王〜宝石の歌」 《ミレイユ》より 「私の心は変わらない」 マスネ 君の青い目を開けなさい スペインの夜 秋のセレナード 《エロディアード》より 「美しくやさしい君」 《ル・シッド》より 「泣け、泣け、わが瞳よ」 トーマ 夜 《ハムレット》より オフィーリア狂乱の場 「皆様のお楽しみに〜さあ、私の花をわけて差し上げましょう」
30年たってみて、音楽について言えば、時流的なものでもずっと支持されてゆくのもあるし、消費されて蕩尽されてしまうものもある、また、細いようで強度を持ってずっと聴き継がれたりとか、自分の中に残ったりしている音楽ってありますよね。まさに自分の好きだったジャズという音楽がかつてのクラシックのように殿堂入りから古典とよばれるようになってゆく瞬間を今体験しているんですが。30年というのは、意外と音楽の寿命というのが見えてしまう、という。すごく面白いなと思ったんです。だから、やっぱりあがたさんの音楽というのはいろいろ飛び火しているようでいながら、ひとつの統一感を持つというのは、やっぱり強度があるんだと思うんですよ。
「そう言われると、すごくうれしいですけどね。さっき言ったように、ひとには優しく接したいし、それこそヒーリング、っていうのは照れくさいけど、ひとを慰めたり、まあ慰めるだよな、傷付いていたり意気消沈していたりしたら、元気出せよと言ってあげれる音楽を基本的にはもちろんやりたいし。でも、現実のぼくらの置かれている場所というものは、それだけではやっぱり済まないということにおいて、同時にめちゃくちゃドンがっていたいし。じゃあ、ひとに優しく接してあげれることと、同時にトンがっていることと、それは曲によって別れたりとかね、ひとつの曲の中にそれを強度として封じ込めるというか盛り込むとかね、押したり引いたりああやってみたりこうやってみたりなんだけども。それがある種の柔らかさだけだったり、切れ味の鋭さだけだったり、それがうまくミックスしてあるものだったり、それがうまくいった楽曲もあれば、中途半端だった楽曲もあれば、アルバムごとにそういうことがあったりとか、いろいろなんだけども。でも、やっぱりぼくはリアルタイム性といつも思うし、今も聴いてほしいし、何十年後も聴いてほしいわけだよね。別にスタンダードになってクラシックの大家のように額縁になって音楽教室に飾ってもらうようなひとになりたいということでは決してなくて、でもやっぱり五十年後百年後にね、やっぱりぼくが十代の頃にポップス聴いて音楽にこう目覚めて、自分の生きてることとか自分の思春期のいろんなことをそこに凝縮されて育っていったよね。五十年後百年後の子どもたちが、たかだかあがた森魚の音楽聴いて、なんでこんなやつが五十年前百年前にいて、こんな面白いことやっていたんだ、って思ってほしいという欲はすごくある。うん。聴いてほしいし、もちろんその時おれはおそらくは生きていないだろうから、で、その時彼らと出会う、それこそ宇宙旅行するような、ものすごいシュールなロマンだと思うのね。つかのま、瞬間瞬間今の子どもたちにも聴いてもらいたいし、でも即座にヒットチャートに登るような音楽を作れるかどうかわからないし。自分のクオリティを落とさないで、自分の最低限のものを表現できるのは、あと5年なのかな、10年なのかな、とすごくシビアに考える。そうすると21世紀になったということも考えると、1年1年ほんとに大事にして気持ちを引き締めてやってゆきたいという思いはすごくあるし。」
ぼくはこのベスト盤聴いて、次にあがたさんがどんな活動をするのかというドキドキする期待と同時に、ぼくはあがたさんのライブの声をもっと聴きたいと率直に思いました。ぼくのまわりにはジャズを聴くひとが多くて、その中でのあがたファンというのが何人もいて、そういうタイプのファンにとってのあがたさんの魅力を考えたときに、そりゃあやっぱり、ヴォーカリストとしての、ライブでの声の瞬間的な、ジャズというか。ライブに行くときに、あがたさんの作った楽曲のこれを聴きたいというようは、この声のちょっとした間の外した瞬間とか、あがたさんのコンディションとか感情の起伏みたいのが、まさにインプロヴァイザーのそれのようで。LPよりもものすごい高いトーンで歌が始まってみたりとか、それにゾクゾクしてしまう感じで。以前発表されたシングル<アカシアの雨がやむとき><花嫁人形>、これには伝説的サックス奏者の阿部薫が参加する予定だったそうですが、これはまたヴォーカリストとして凄いものだった。その後、「イミテーション・ゴールド」というカヴァー集が出て、あがたさんの場合カヴァーがすべてオリジナルを越えてしまうという恐ろしいひとだな、と思っていて。その“生(なま)あがた”を聴きたいと思って。
「ああ、なるほど。今、ジャズ的だと言われて、以前も言われたことがあったかもしれないけど、改めてジャズと対比されて言われたのは新鮮だったね。ジャンルとしてはもちろんジャズではないわけじゃない、いちおうね。毎回毎回ライブ・パフォーマンスは違うからね。曲も、いちおうjasracへの登録があるから譜面に起こすけど、毎回違う曲を作曲して歌っているのと同じなんだよね、その意味で言ったらさ(笑)。譜面を歌いたいんじゃなくて、約束上ぼくも印税入ってこないと困るから(笑)登録するけども、ライブは、たった今の瞬間瞬間を見せたいというその思いなんだよね。」
永遠の遠国とか普遍的なものへのあがたさんの眼差しといったものは、実はあがたさんが普段やられている瞬間瞬間の行為の中にあると思うし、今回このベスト盤にイエロー・モンキーの吉井さんとかコメント寄せていますけど、いろんなミュージシャンの世界観に共通するものがあって。その意味で、今世紀もまたあがたさんには歌を歌い続けてほしいと。
「いや、わかります。そういえば小杉武久さんとやったのが面白かった。小杉さんはどんなジャンルに入るひとかわからないけども、あのひとこそインプロヴィゼーションのひとだね。ライブもやったことあるんだよ。『バンドネオンの豹』にも入っているんだよ、小杉さん。<博愛>だったかな。ああ、小杉さんの名前、こないだ挙げれば良かったなあ。」
「それで、なんか水を差すような言い方だけど、おれはいろんな矛盾したものを、表裏一体で、おれの中に無いものは無いだろうな、と思うの。つまり、とても清らかになりたい自分と、すごい根暗だったり…。ちょっと拡散するけど。いろんなものぼくは持っているけど…。ぼくの中で意外と無いのは、嫉妬の感情が無いんですよ。」
おお。
「恋愛してても。男と女がいるじゃん。普通、女のほうが嫉妬深いとか、実は男のほうが嫉妬深いよねとか、いろいろ言えるんだけど。でも、女の子って一人のひとを愛してしまうと「あなた何してもいい」と、許しちゃうところあるじゃない、そうとは限らないけど(笑)。」
ええ。寛容性がありますよね。
「男って、こう、意外と、男のほうが包容力があるように見えて…。」
実は…。
「実は、自分の好きな女が、浮気したりしたら、絶対に男のほうが許さないと思う。」
狭量ですね。
「男のほうがジェラシー強いと思う。ただおれは、自分が愛せる女は、何してもいいという…。それくらい、愛したいなというか。おれが出会う、ぼくが愛せる女はそういう女だぞ、と自分は思っている。だから、自分が付き合っている子が、なんか他の子と親しくしてたり、自分よりもそのひとを大事にしてたりしてても、そりゃやっぱり瞬間瞬間、え?とか、う!とかもちろん思うけど(笑)、でもふと考えてみて、そうか、アイツのほうが魅力あるか、でも、この女はぼくとも付き合ってくれている、そのことを良しとしなきゃいけないな、とか。ほんとにそのひとと自分が出会うべきあれだったら、どんな関係であっても、それは赤い糸じゃないけど、ちゃんとはまるようになっているんだね。だから、そこにはジェラシーなんて全然生じないだろうと、ぼくは確信している。自分の過去で、付き合ってきた関係の中でも、自分としてはそういう位置。」
へええ。
「さっきのジャズの話に戻ると、ミュージシャンになったのに、子どもの頃って、街で流れている流行歌とか、ハヤりのものにすごく鈍感だった。高校時代とかは、ほんとはみんなジャズとか聴いていた。でも、おれ、ジャズの良さ全然わかんなくて。結局65年くらいにディランに目覚めて、音楽に入ってゆく。早熟な子たちは、クラシックやジャズを聴いていたんだろうけど、東京に出てきて、みんなジャズ喫茶とかに行くんだけど、幸か不幸か煙草が吸えないでしょ(笑)。」
あがたさんのデビュー盤に『蓄音盤』て、ありますけど。ボブ・ディランの前にはどんな音楽聴いていたのかな、とか思うんですけど。
「うーん。…父親が買ったタンゴのレコードはいっぱいあったなあ。そういえば、タンゴをよくかけておふくろと一緒にダンスを踊っていたりしていたのをすごくよく憶えている。」
うわ。そうなんですかー!
「いや全然、上手じゃないよ(笑)」
そうですか、子供心にタンゴを聴いていたんですね。
「うん。タンゴはね、恐ろしいほどに、前提としておれの血の中にある音楽みたいな。ぼくの中では何故か。親が聴いていたというのもあるだろうけど、バンドネオンの持っている魔力もね。」
<赤色エレジー>というヒット曲の呪縛というか、封印しておきたいとか、それは外側が作っていて本人はそう思ってないのかもしれないけど。<赤色エレジー>を最初に体験した時に、決して大正ロマンだとかレトロだとかという感覚でなくて、やっぱりあの時代のひとつの青春像としてヒットしたということがあった。80年代のバブリーな時代の中で封印されていたのはある意味では当然なのかな、と思いました。そして世紀を明けて聴くときに、意外とリアルタイムになっているというか。
「ぼく個人にとっても30年経ってしまうと、何か別物というか、そういう感覚もあるし。それと、このベスト盤を買って聴いて下さる方は、リアルタイムにヒットした時から聴いて下さっている方や、ほんとにこのベスト盤で初めてあがた森魚を知る十代の人たちもいると思うんです。その人たちにとっては、逆に新鮮だったりすると思うし。まあ、一言で言えないところまで、もう来てしまっていますね。あの<赤色エレジー>を歌ってしまったあがた、というところからは逃れられないとは思うんだけども。自分の中には<赤色エレジー>ありきを大いによしとする、これがあったから今日のあがたもここまでやってこれたというのもあるし、逆にこのことによって社会に出ていきなり矢面に立つものすごさ、良くも悪くもものすごさ、そこがトラウマになっている部分もあるし。今回のベスト盤に初回だけ、鈴木惣一郎さんと15曲を解説するというブックレットが入っているんだけど、これはすごい…」
すごく濃いテキストですね(笑)
「ええ(笑)あの中でも少し話しているけども。」
このベストの選曲については?
「気取って言うと、ベスト盤なんか死んでからでもいいじゃないか、とか(笑)あったんだけど。実際には、自薦アルバムにしたり、というテもあったと思うんだけど。もちろんいろいろな切り口で自薦アルバムをつくるというのは企画としてはあるかもしれないけど、いきなりベスト盤を自分で選んで、というのは何か違うなと、自己満足的過ぎるんじゃないかなと。それで、今回は惣一郎さんにお願いしました。選曲していくとどうしても15曲じゃ収まらなかったりしました。アルバムタイトルを『20世紀漂流記』として、あがたの彷徨ったところがなるべくまんべんなく聴ける選曲にしましょう、と言いつつこういう選曲になったんですが。これはこれで良かったと思うんです。あと何曲か入れば、あれも入れたいこれも入れたい、とか思ったりも。自分としてちょっと残念だったなと思うのはヴァージンVSが1曲入っているんだったら、雷蔵も1曲入れたかったとか。あと矢野誠さんのプロデュースのものも入れたかった。ああ、そういうこともライナーノートに書いておくべきだったなあ。」
じゃあ、このインタビューで(笑)
「ええ。書いておいてください(笑)アウトゼアの読者の方にはわかっていただきたい(笑)」
90年に、立川市民会館で、シバと友部正人とたまと。
「あの時は、雷蔵だったよね。」
そうですね。あの時は「終わってゆく20世紀」というテーマがあって、あがたさんはどのように思っているのかずっと気になっていました。あがたさんを、タンゴ、雷蔵、ピロスマニアとコンテンポラリーなアーティストとして観るのと別のところで。だから20世紀最後のプラネットアーベントでどんなMCをするのか、とても興味がありました。「(20世紀のおしまいに)着いてみると、こんなところでしたね…」とあがたさんはおっしゃった。それで…、ぼくもそうだな、というか…。それ以上あがたさんにおききしたいとは思っていないんだけど…。21世紀になってみて、今あがたさんはどう思われているのかな、とか。
「いい質問ですね(笑)」
いいのかどうか…(笑)
「21世紀になってからね、4ケ月しかたってないけど、毎日が密度が濃くって、嬉しい悲鳴なんだけど。ぼくの中からいろんなものが湧いて出てきて、早くそれを音楽にして一日も早くみなさんに聴いていただきたいというのが素朴な大前提としてあるし。」
稲垣足穂のCD文庫も3弾まで決まっているとか。
「あれはあれで3ケ月ごとに出してゆきます。それで、このベスト盤を編んでくれた鈴木惣一郎さんとか、この1曲目をプロデュースしてくれた久保田真琴さんとか、雷蔵とか、まさに2001年を折り返し地点にしてまさに未来に向かっての次の展開を考えています。さりげないラブソングを中心にしたいと思ってますけど。これからぼくらはこういう方向に向かって、こういうふうにきっとやってゆきたいんだなあ、みたいなことを、今すごくぶつけたいというか聴いてほしいというか。年齢のことをいうとあれだけど、もう50を過ぎてしまったわけだから、たぶん自分が音楽に目覚めた思春期の頃とまったく一緒にいるわけにはもちろんいかないわけで、しかもいちばんぼくにとっては生涯にわたってつきまとう、何というか…、…、課題というか…。相対する、敵対するオブジェとも概念とも言えるんだけど、やっぱりテクノロジーの発達と自分との関係というのは、これは魔訶不思議なものがあるね。」
といいますと。
「割とプリミティブなことが基本的には大好きだし、で、まったく裏がえって稲垣足穂的、少年理科教室的な世界も大好きだし。だから、テクノロジーを愛しているようで拒んでいるし、拒んでいるけど概念的には大好きだし。今あるパソコンとかインターネットみたいなメディア、これはやっぱり愛しつつ拒み、拒みつつ愛している。素晴らしいメディアだと思うし、ただ、インターネットのみならず、もっと、たとえば原子力開発からクローンの問題に至るまで、それをよしとするのかしないのかということになると、おれは科学者でも政治家でもないから、やっぱり普通に日常を生きていて、それで歌うあがた森魚となった時に、その歌の行間から滲み出ることによってでしか答えられないんだよね。へんなこじつけに聞こえるかもしれないけど、1曲1曲ラブソング作ることによってでしか返事できないんだ。」
はい…。 「何か集会がある時に行ってシュプレヒコールするわけにもデモするわけにも…、まあ、たまに行くのもいいけど、そこでおれが何かやってもあまり意味がないし、違うわけだよ。たかだか「会いたい」とか「会いたくない」とか、「こういう君が好き」だとか「嫌い」だとか言う行間でさ、おれは今21世紀に生きている、そういう現代のテクノロジーがあり、政治があり、人間関係がありという中で、ぼくが何かこういうふうに感じてんだよ、だからおれは今の時代をこう思ってんだよ、ということを、そういう中からしかやっぱり表現できない。良くも悪くも。現象現象においては、そういう時代に今置かれていることに、何か、耐え切れずに、何かを問いかけたり、訴えかけたりする時もあるけども、結果は、歌う、歌ってしまっているあがた森魚、で、たぶん答えは出しているし、それをやることによってでしか、できないというか。
はい、わかります。
「それこそ、アナログで2チャンでしかレコードが作れなかった時代から出発してんだから。『乙女のロマン』の時が8チャンで、『ああ無情』の時が16チャンで、『日本少年』の時は24チャンで…、と、トラックだけで言ってもね。そういう流れの中で、大枠作ってきて、デジタルになりデジタル配信になり、どんどん進化してゆくんだろうけども、でもやっぱり生身の肉声で歌い続けるということは変わらないだろうし。いろんなエフェクトで曲によりヴォコーダー的にロボトミー的な声を出すことは不可能ではないけども、やっぱりどこかで肉声で歌うことや、アコースティックな楽器で音楽を生音でちゃんとやるという基本的な行為は、行きつ戻りつしつつも無くなることはないだろうし。だから、そういう意味では、テクノロジーがどんなに進んでも、基本は変わらないんだけどね。」
そうですね。
「人間とテクノロジーの関係というのは、フィジカルな意味も、概念的な意味も含めて、ものすごい可能性とものすごい試されているというか、その攻めぎ合いがすごいから面白いとも言えるし。わりと20世紀末は少年の犯罪が多かった、今もいろいろあるんだろうけど、ちょうど90年代後半は子どもたちが何を考えているのかわからない、あるいは子どもたちが持っている犯罪みたいなものですごくぼくたちは問いかけられたけども、それは、今日テクノロジーのみならずぼくたちが置かれている状況の中に問いかけられてきた現象だと思うんだ。それは、なんというか、ぼくたち大人が…、なんて偉そうに言うけど(笑)…、ぼくたち大人が、ちゃんと答えを見つけていかないといけないと思う。」
はい。
「おれはやっぱり、魯鈍というか、だらだらしているところがあって。そんなに急がなくていいのに。テクノロジーにせよ、何にせよ、そんなに急がなくていいのに、と。だから、21世紀に、百年あるんだから(笑)…ぼくらしいカレンダーの割りかたすればね、百年あるんだから、21世紀になったら3年とかさ5年とかさ、20世紀のおさらいをするだけで、みんな今やってることお休みというか、開発は全部やめて、5年くらいおさらいしたら、ものすごいいい勉強になるのに。…と、ぼくは思うけどね。あらゆる意味で。」
うん、うん。
「ここまでみんなが必死になって突っ走ってきた…、突っ走ってきた1980年代のバブル的な最後の大あがきというか、ものすごい誇大妄想まで含めて、やってきたんだから、ちょっと、ね。ぼくの感性としては、いつもそう思っているんだけども。つまりさ、時代がトンがり続けると、もちろん表現というものはどこかトンがっているものだけど、たかだかミュージシャンもね、トンがり続けなければ「あの人、もうダメになったね」とか言われるでしょう?いいんだよ、別に言われたって。でもね、トンがり続けるためにだけおれたちは音楽やっているのかという、素朴な疑問があるよ。もちろんね、トンがっていなければつまらないし、自分でもトンがりたいから歌ったり音を出しているんだけども。その根底にあるものが…。…。やっぱり、つかのまに今一緒に生きていることの歓びを確認することなわけだから。…。確認したいから、それが前提だから、「こんな世の中じゃ、冗談じゃない!」というトンがりであり、「こんな素晴らしい時代に、とはいえ、こんな時代にこんな人間と出会えている」歓びを歌っているわけであり。 たださ、こういう時代がさ、さらにせきたてられてくると、どんどんトンがり続けることでしかやってゆけなくなるとさ、ちょっとね。たとえば音楽にしても、映画にしても、文学でも、何でもそうだけど、もうちょっと子どもの頃に見たディズニーの映画をもっと見たいんだけど、とか。そういうことに、「何言ってるんだよ」というようなことにどんどんなってくるとさ、それだけではおれちょっとやだなあ、という感じがすごくあってね。 とはいえ、進んでしまったテクノロジーを遡りするというのはないことで。だから、おれは柔らかなゲリラ作戦というか、柔らかなアンチテーゼというか。メディアも大事だしテクノロジーも大事だし、あとなんだろ、ファッションとか、人間が集団になってあっち行ったりこっち行ったり右往左往することも、愛らしいことだけど。だからこそ、パソコンありインターネットあり、海外旅行もすぐ行け、新幹線、国内までも飛行機で行ってしまう時代、だからこそ、メディアの情報を頼らずに、自分で時刻表開いて、各駅停車や夜行列車に乗って旅したらいいのに、とぼくは思うわけ。人それぞれの人生は一回性だから、あなたのお好きなようにおやりなさい、でいいわけ。ぼくもそうしたいし、あなたもそうすればいい。メディアの中であっち行ったりこっち行ったりするのも人間の営みとして楽しい。ストーンズが来てビッグエッグ行って、その晩一晩みんなハイになるも、ロマンチックなことも、みんないいと思う。何でもありだと思うんだ。 ただ、ぼくならぼく、あなたならあなた、という一個人は、輪廻転生するかどうかはおれはわからないけども、少なくともこの20世紀から21世紀にまたがって、ぼくならぼく、あなたならあなた、という名前と肉体と感性を持って生きるのは、これが最初で最後なわけだから。それはもう、絶対、自分の、これが正しい、なり、こうして生きたほうが素直でいいと思うことを、ほんとに大事にして生きてほしいし、そういうことを見つける感受性を磨く練習をお互いにもっとしたいねー、というのが。ほんとね。 ほんと、たあいのないこと。みんな同じこと、実は、ほんとは気付いているし、思っているし、そうしたいと、そうしようと思っているわけなんだけどね。 それを、お互いにどう揺さぶりあうのかな、という。政治の側からも攻めてくるだろう、日本の企業や経済のシステムからも攻めぎあってくるだろう、それを全体ではすごくいやな言いかただけど、お金や権力構造やそういうものから若者たちやぼくらを、こう、規制してくるだろうし。これはもう、なかなかイタチごっこでさ。でも、自分をほんとになるべく一生懸命見つめようとしている人が勝ちだと思うし。自分を一生懸命見つめようとしている人は、そうやって規制されたり丸め込まれたりすることから、ちゃんと巧みに逃げて、自分の生きかたをやったりしていると思うし。 だからね、最近ぼくは男性論も女性論も考えるんだけども、いつも街の中、とくに東京で街の中、電車に乗って、いろんな女性、いろんなファッション、いろんな人を見かける。でもね、おれね、やっぱりね、「ああ、奇麗だな」と思う女性は、内省してるよね。自分を見つめている。これはね、パッと見るとわかるよ。ファッションでもわかるし、お風貌でもわかるし(笑)。 でね、やっぱり自分で自分を見る、イコール自分で自分を磨くことだけど。自分で自分を見ることをさせないようにさせないように、メディアでもテレビでもしてくれるわけだから。そことどう24時間闘えますか、なんて。そりゃ、いいガールフレンドとか、いいボーイフレンドとか、を、見つけたり、そういう人たちと何かつねに攻めぎあうことだと思うしね。 ここの読者も、きっとそういう人たちが多いと思うんだよね。まあ、そういう人たちは、是非あがたのコンサートを観にくると面白いよと言っておきたいけどね(笑)」
さりげないラブソングとか、女性の内省というと、まさにそれは「春の夜の手品師」なんですけども、ジェンダーの問題ってちょっとこういうところに来ているなと思いました。
「こないだ、とある雑誌で、あがたさんが影響を受けたミュージシャン5人と、それ以外の影響を受けた5人とかいって。まあ、ディランからいろいろ挙げたんだけど。そこで緑魔子さんを挙げたんだけど、緑魔子さんのみならずいろんな女性がもちろんいるんだけども。普通、50にもなってさ、なんかこう、それが歴史上の文学者とか、ジャンヌ・ダルク的なひとの名前を挙げるのはあれだけど、身近にいる人、お父さんやお母さんから始まってお友だち関係まで含めて、身近にいる女性に影響を受けた、って言いかたは、なかなか普段しないだろうな、と、言いながら思ったわけ。影響を受けたというと、たいていどっちかというと男性なんだよね。男性だったり、父とか母とか、偉人とかスーパースターとか天才的なひとのことを称するわけでね。もちろん緑魔子さんも、ものすごい天才的な女優だし、でも彼女の持っているところのすごさは、内省する力というか、自分を見る力。社会を見れば見るほど、自分を見る練習とかそういうことすごくしているひと。そういうベクトルを持ったり。ぼく自身もひとに負けずにそういうこと大事にしようと、思うよりも、本能的にそういうもの持っているから音楽やったりしていると思うんだけども。そういうことすごく大事なんだってこと、彼女ほどバイブレーションなり言動なりで突きつけてきたひとはそういないね。うん。 もちろん、直接会ったことのない、ディランなんか、音源とステージしか聴いたことないし、そういうひと、いろいろいます。あるいは、つぶさに会った細野(晴臣)さんとか早川(義夫)くんとか、(鈴木)慶一にしてもね、やっぱりすごいことやっているひとって、ものすごく好奇心持っていろんなもの常に吸収してるし、それを自分の中で人知れずものすごい努力して咀嚼しているし、イコール内省ということだけど…。 内省しづらい時代だし、へんに内省すると暗いとかダサいとか言われそうな時代だよね。でも、チッチ、だね、それこそね(笑)。結果、誰が得するか、それは、アンタがいちばんわかるでしょう?、みたいなことでさ(笑)。」
2010年03月23日(火) |
あがた森魚インタビュー (2001年5月、アウトゼア誌での取材) その1 |
あがた森魚インタビュー (2001年5月、アウトゼア誌での取材)
ベスト盤が出るというのをきいて驚いたんですけど。そういう反応はありましたか?
「うーん、いろいろ。出るのが驚きというよりは、ベスト盤といっても、どうまとめるんだろう、しかも1枚になるのか、ということで、聴いてみたら、非常にこの30年間が思ったよりもまとまりがあって聴けたのでびっくりした、という意見は結構あったね。」
ええ。
「30年って長かったですか?という質問もあったけども、束の間だったとも言えるし、やっぱり長いんだよね、はっきり言って。それと同時に、どれがいいということではないんだけど、いろんなことをぼくはやってきちゃったから。時期時期において全然違うことやっているから、確かに1枚になったときに、こう統一性が出るのかなあと。」
あがたさんは常にアルバムを出すごとに、その前のアルバムから違う方向へ向かうベクトルのエネルギーがあって、次々と新しい作品を出されてきた。それぞれが違う世界で。でも、ベスト盤を聴いてみるとなんか統一感がありました。ぼくがあがたさんの音楽を聴き始めたのは80年代に入ってからで、すでにヴァージンVSをやっていて、遡って「乗物図鑑」を聴きました。そしてプラネット・アーベントが始まったんですが。
「83年くらいだね、プラネット・アーベントは。」
プラネット・アーベントはどんなふうに始まったんですか?コンセプトとか。
「うーん。そうだなあ。平たく言うと、たとえばあがたの音楽を、シンプルなミュージシャンとしてじゃなくて、まあ、ぼくは歌い手なんだけども、同時に映画作ったり、演劇的な要素があったり文学的な要素があったり、絵画的な要素があったりと、音楽を外側から攻めているというか。外側のイメージから音楽を創っている要素がけっこう強いほうだよね。だから、プレイヤーが詞と曲を作り歌うというのではなくて、言葉なりイメージをどうやって音楽に集約するかということでやってきた。そういう才能とか資質であるあがたであるわけだから、それは良し悪しいろいろあるんだけども、そうするとたとえばちょっとステージに凝りたいとか、レコーディングひとつにしてもそうだけども、やっぱり実質お金もかかるし、労力もかかるし。といったところで、たまたまプラネというのは、何かの弾みで、池袋のサンシャイン・プラネタリウムで客の動員のことも含めて、落語をやったり、クラシックの弦楽四重奏をやったりとかしていたんですよ。」
プラネタリウムの中で。 「そう。それとかフォーク歌手、一番最初は友部(正人)さんだったと思うけど。フォークの弾き語りなんかにも企画が呼びかけていたりしたんです。友部くんがそういうことをやったときいて、あ、これはもうぼくがやらないと、と。」
いろいろ動かせますよね。
「うん。だから、そういう意味では、たまたま。こないだも、ちょうど閉館してしまったけど渋谷の五島プラネタリウム、あそこなんか一番最初やりたかったんだけどね。でもプラネタリウムというのはある種学術施設だからね。なかなか当時は貸し出さなかったし。池袋のサンシャイン・プラネタリウムも、当初はいろいろ制約があって。」
それは時間的にですか?
「枝葉の話なんだけど、通常の営業プログラムは絶対に削れないんですね。最終回が6時なら6時に終わって、6時から7時までに全部セッティングし直して7時半開演とか。前の日から仕込んだりいろいろたいへんなんだけど。時間の制約としては、終わる時間も決まっているとかね。あと、もうひとつは、たとえば通常の営業で観に来るお客さんに見せる星座の出しかたとか。まわりにいろんなスライドをデザイン的に投影されるものでも、これは著作権があるからとか、これは通常営業だけのためのものだとか、で、これは外からの企画にはお貸しできないとか。たとえば、イメージに合わせて天空の動きをこうしてほしい、逆転してほしい、と言うと、それは学術的にウソだからできないとか(笑)。」
フィクションには加担できないわけですね。
「ええ。いろいろ制約があったんですけども。考えてみると、それこそ20年近く。やっていない期間もあったけども、当時からの方もスタッフに残っておられて、いちおう、まあ。プラネット・アーベントは毎回満員になるんですね。それと、やっぱり、あがたがうってつけというのもあるんだろうけど、お客さんが帰って行かれるときに「ああ、良かったねえ」とか「あがた森魚とプラネタリウムのマッチングが良かった」とか「内容的にも感動した」とか声が、エレベーターで降りて行くお客さんの声を、プラネタリウムのスタッフの方が耳にして、それを伝えてくれるんです。「皆さん、感動してました」と。そんなことがあって、だんだん。いちおう規約はあるんだけども、それでも毎年クリスマスには楽しみにして下さる。ほんとはね、夏もやりたいんですけどね。いかんせん、現場の舞台監督さんとかうちのスタッフとかものすごく大変で。」
夏も観たいです(笑)。97年に再開したときには、もう嬉しくて心臓が痛くなりました。プラネタリウムという場所のほかに演ってみたい空間って考えたことありますか?
「ええ。いろいろなことは考えますね。よくね、プラネタリウムを見ると、ほんとうの星空の下でやってみたいよね、とか。何年か前にぼくの所属していた社長が、千葉の銚子の犬望崎の出身で、そこに360度見える展望台みたいみたいな喫茶店があって。そこでやったり。今度は屋外でやろうとか、そんな企画を出してくれたことがありますね。あと、たとえば…、いかにもだから、思いながらも成就していないことのひとつに、たとえば現在使われていても廃校になっていてもいいんだけど、全国にある昔ながらの木造校舎の小学校をまわるツアーのコンサートをやりたいな、とか。たとえば、荒俣宏さんと一緒に行って、対談しつつそこでライブをやり、ライブを録り、その小学校や中学校の校歌を必ず歌ってみる、とか。そういうのをCDにしたら楽しいんじゃないか、とか。」
それは楽しそうですね。
「それとか、昔「日本少年」を作った頃は、豪華客船に乗って、ライブをやりつつ世界をまわるツアーというのは楽しいんじゃないか、とか。たとえば捕鯨船に乗って、そこで波の音を録って、漁をしている時の現実音を録って聴いて、そこで何か発想した曲をそこで歌っちゃってもいい。じゃあそれをどうやって録ったらいいか、とか。なんか、そういう遊び心のある、それはライブなのかなあ。ねぇ、客船だったらライブとかにできるけど。」
ええ。
「それとか、野外でやってみたら面白いなと思ったのは、今回のベスト盤にも入っている稲垣足穂さんの「スターカッスル星の夜の爆発」だけども。これもまた千葉県の話だけど、鋸南町というところがあって、鋸というのはのこぎりなんだけども、のこぎり山の南側だから鋸南町というんだけども。ヴァージンVSの頃に、当時のファンクラブは結構活発で、一度「のこぎり山ツアー」というのをやったんですよ。バスを借り切って。面白かったですよ。みんなでバスの中で自己紹介して。歌うたうひとは歌うたったりとかさあ。それでのこぎり山へ行って、ロープウェイで登って、ほんとね、あそこは岩とか切り出しているから直線で切ったような谷間がいっぱいあるんですよ。ここにね、ステージ作って、ライティングとか仕込んで、そういう「スターカッスル星の夜の爆発」的なロック・オペラやると楽しいなあとかね。それはぼくひとりだけじゃなくて、いろんなロック・ミュージシャンとシナリオ作ってやったら面白いんじゃないか、とかね。」
うわあ、観たいなあ。
「そういうことは時々思うんだけども、現実問題、まずお金が追いつかないだろうし、やるともうそれからのお付き合いが大変になるだろうし。映画を作るのと一緒かもしれない。」
さっきの木造校舎の話でも、それこそJRと組んで、SLが走っているような町をツアーするとか。
「うーん。、鶏が先か卵が先か、なんだけども。あがた森魚で、1回企画して、まあ千人単位とか一万人単位とかでお客さんが来るんであれば。ま、一万人単位はおおげさでも、ほんと二・三千人単位でも客が動員できるんだったら…。」
いや、アリだと思いますけどね。
「うん、ちょっと、ちゃんとがんばって企画すればね(笑)。」
あがたさんがやられている函館の映画祭の企画のほうは何年目ですか。
「始めたのは95年だから、今年で7年目になりますね。」
続きそうですか。
「続きますよ。ぼくはやめることはないけども、死んだあとも続くんじゃなかなあ(笑)。」
今年の映画祭はどんなことを。
「今年はね、篠原哲雄という映画監督、彼は93年に「草の上の仕事」を撮って、去年は「死者の学園祭」という深田恭子さんが主演された映画を撮って。今や大御所、というとちょっとおおげさだけど。今年は「蝶の住む家」という朝丘ルリ子さんが主演の、これまた大作なんだけど、こないだ総合試写があったばっかり。この篠原さんを監督に迎えて、シナリオを募集していたものを映画化するんです。いちおう夏にロケということになっています。ぎりぎり9月のあたまぐらいからになるかな。そういう映画を作ります。 ぼくは、ここのところ「港のロキシー」とか「オートバイ少女」とか映画を作っているけども。自分が監督して映画を作ると、労力的にも金銭的にもすごくリスキーで。今回はぼく自身は、もちろん製作のほうには携わるんですけども、音楽ももちろんやりたいなと思っていますが、自分が演出するということじゃなくて、後ろからサポートする形になります。まあ、うちの映画祭に間に合わせるような形で完成させたらなあ、と思っています。」
こないだは北海道の美唄で栗コーダーカルテットと出かけていらっしゃたとか。『闇を掘る』という映画にあがたさんは音楽を付けられて。
「藤本さんが6年ほど前から夕張を中心に、道内のいろんな炭坑をドキュメンタリーにした感じで。ドキュメンタリーといっても、どんどん閉山していくから、その閉山後の炭坑に働いた人たちの追跡ドキュメント的な感じなんですけどね。たまたま藤本監督のほうから、映画撮るんで音楽やってくれと言われて、引き受けて。それで誰とやるといいのかなあと思ったのね。たとえば『日本少年』でとかいろんな形でお世話になっているいろいろな方々、たとえば矢野誠さん、矢野誠さんなら絶対ストリングスとかアレンジやったらものすごい仕事するのわかっているから、矢野さんかな、とか。いろんなひとの顔が浮かんだんだけども、栗コーダーカルテットがイメージに浮かんで。で、すごい仕事ができたね。栗コーダーさんとやって。」
そうですか。これはサントラのCD化の予定とかは。
「そうですね。サントラ、出したいですね。イメージテーマソングみたいのを歌っているんだけど。映画の中には使っていないんだけど。」
あがたさんは留萌出身で、函館にいる頃にディランを聴いて音楽を始められたということですが、その後もピロスマニアで小樽の祝津という地名が出てきたり、『永遠の遠国』の最初のヴァージョンでは函館から大沼への車内アナウンスが出てきたりと。あがたさんにとって遠国の像といったものは北海道にあるのかなと思ったんですけど。
「うーん。そうだねえ、そのあたり客観的に考えたこともないんだけどね。生まれ育ったところへの愛着とか親しみいったものは強くあるんだね。あまりそういうふうにしようしようと思っているわけじゃないんだけど…。北海道でもやっぱりぼくは港町ばかりで育ったので、海の見える場所への親しみ。映画なんかは特にね、『港のロキシー』とか。どうなんだろうなあ。自分でもよくわからないんだけども。ヴァージンVSのラストアルバム『羊ケ丘デパートメント・ストア』は鈴木慶一さんがプロデュースしてくれたんだけど、この中には<百合コレクション>が入っているんだけど。<寂しいトンガリ>という曲も入っていて、詩の作り方とか慶一くんの意見とかききながらいろいろやっていたんだけど。あがたにはいつも北の港町が多いから、と考えて、ここでは東京の湾岸っぽい歌詩をつけて、そういう景色の歌だったりするんだけど。するとね、作ってレコーディングする瞬間はいいんだけど、あたからまたライブでやろうと思うと、なんか気が乗らないんだよね(笑)」
どうしてでしょう。
「気が乗らないというのも変な言い方だけども、おれの原風景とちょっと違うなと思ってしまうんだね。」
どこか着地しないんですね。
「うん。だからね、それがいいのかわるいのかわからないけど、ものすごいこだわりを持ってしまっているんだろうね。自分が幼児体験として、北の港町を父親の仕事で転々としながら育ったこと。まあ、稲垣足穂的に言えば、表現というのは幼児体験の完成だ、と言ってるけども。とくにぼくの場合は揺るがせないところがあるかなあ。それが表現としていいことかどうか、たとえば、ぼくらは音楽を作る立場だから許されるとして、これがたとえば新聞記者だとかドキュメンタリー作家だったら現実を見なきゃならないわけだから。でも、これも時々話に出てくるんだけど、あがたさんってリアルタイム性が見えづらいとか、まあすごくレトロっぽかったり、レトロが逆転してフューチャーだったりとか、そういう方法がぼくは好きだから、ついそういうふうに見られがちだけど、でも実はものすごくぼくの中ではリアルタイム性というのは大いなる要であって。だから、このアルバムひとつだって、去年企画が立ち上がって、ぼく自身も20世紀中は出したくないと思っていたし、21世紀になって、20世紀というぼくの生きたキャンバスを見ることによってやっとベスト盤という形に。そこに最低限の根拠があるかな。しかも、今年になって1曲目に入っているボーナストラックを入れました、と。ボーナストラックを入れた段で、もうそれがひとつ入っただけで、ベスト盤、20世紀というくくりでありながらも、ぼくの中でリアルタイム性が目覚めるわけです。すると<赤色エレジー>が1曲目に入って今日まで順に並んでいるのではなくて、逆に、この新曲を入れて遡って最後に<赤色エレジー>にしたいな、とか。編集ものであっても、今現在どういうスタンスでいるのかというのは常に強く意識していたいな、と。」
これまた浅草とはいい街でござんす。 やーさんがたくさんいらっしゃるこわいまち、というイメージは、実際あさくさロックスのロビーでやーさんとネゴしたこと4度あるおいらとしては、あるのですが、 春からOLとなる長女は地下鉄の駅から徒歩40メートルのマンション住まいになった。
品川と浅草を3往復。 次男がビートルズをよこせというので『ラバーソウル』・『リボルバー』・『1』・『パストマスターズ2』・『青盤』を用意する。
浅草から太田へ向かう高速道路で、 「日の出マーチ」をかけるが不評のため、いたしかたなくメセニーの『オーケストリオン』をかける。 「おとーちゃん、センスいいな!」 ばかたれ! ほうらみろ、「日の出マーチ」をくちずさんでいるじゃねーか。
このところのメセニーは1曲目だけであとは不要であるし、高速道路のBGM以上の用途はないと思われる。 きくところによるとメセニーはこのひとり自動再生装置でもって来日公演をするという。メンバーいないからギャラ総取りでんな。 ジャレットも来日するらしく、S席12000円と、ほとんど何ら聴く意義を見出せないトリオであるのに。
2010年03月21日(日) |
生まれてはじめて彼女できた |
カタール(たぶん国名)の、海に流れ込む石英の砂丘、だそう。 今年の東芝のカレンダー2月の写真。
日曜の夕刻、品川の長女と池上温泉。 明日は浅草のマンションに引っ越すので池上温泉に来る機会は少なくなると思う。 品川で過ごした4年間。 スピッツの「楓」と「夢じゃない」をかける。 こんな切ない気持ちを抱いて静かに暮らしてゆくのだ。
夜10時半に長男と待ち合わせるがなかなか現れない。 11時になるという。 大西順子のむかしのCDに熱くなり、たばこを吸う。 「淡島通りを走ってきてくれ」と連絡が入る。 「どこだよ。バス停みつけておしえろ」と迎えに行く。 サークル仲間らしき女の子とばいばいと舗道で手をふっている。 乗り込んできた長男はふやけたスルメみたいな笑顔。 「おれさー・・・彼女できた!おとうちゃん、いま、見たろ?」 「いや、ありえん!おまえなー、おれの目はだませない。ふつーの練習仲間だろ、あれは。なにをいきなり見栄をはるかな、けいまくん。おまえに限ってありえねーから!」 「ふつかまえにできた!生まれてはじめて彼女できた!しあわせだー!」
2010年03月20日(土) |
小菅優の現在 Vol.1 デュオ&トリオ@彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール |
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小菅優の現在 Vol.1 デュオ&トリオ 2010年3月20日(土) 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール 小菅優(ピアノ)、ラデク・バボラーク(ホルン)、豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)
R. シュトラウス:前奏曲、主題と変奏 TrV 70 R. シュトラウス:アンダンテ ハ長調 TrV 155 F. シュトラウス:主題と変奏 作品13 シューマン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第1番 イ短調 作品105 シューマン:アダージョとアレグロ 作品70 ブラームス:ホルン三重奏曲 変ホ長調 作品40
ほとんど満席のホールに響きわたるホルンとピアノ。小柄でチャーミングなお嬢さんがピアノ、このコンサートの選曲から作りあげるというコンセプト。ピアニストが自己主張しているのではなく、シュトラウスが静かに流れてくる。それにしても・・・ピアノの音がこもって聴こえる。遠くから聴こえるよう。スコアをめくる紙がこすれる音のほうが近くに聴こえる。焦点が合わない映像を見ている気がする。
それにしても、バボラークのホルンがいい。ブラームスの「ホルン三重奏曲」の前ですでにピーピコ賞が確定する出来で、アンコールでの茶目っ気たっぷり、ウタゴコロ満載のパフォーマンスに圧倒された。
ヴァイオリンの豊嶋泰嗣の自然で寄り添うようなサポートぶりも光った。ピアノの小菅優も、楽曲から突出するようなところも見せずに、おとなしく楽曲に適切なアクセントを付け、プログラムを通して室内楽を堪能させる意図を充分に示していた。ピアニストを聴くというより、このトリオを聴くコンサートだったなあ、と、それはそれでじつに充実した・・・、などと思ってアンコールを楽しんでいたら、アンコールの3回目は彼女がひとりで出てきて度肝を抜くようなショパン24の前奏曲の18を弾いた。ピアノの音の輪郭がはっきりと、迫ってくるような速度と強度のあるショパンだった。ピアニストはプログラムを問い、最後に牙を見せたものか、と、とっさに思ったが、そういうものでもなく、シュトラウスでもピアニストを把握できていなかった自分の甘さだったかもしれない、と、冷や汗をかくような気持ちにさせられた。
ところでこのホール、ピアニストは児玉桃とゲルバーを聴いたけど、児玉は他のホールで聴いたときのほうがはっきり聴こえていた。おいらの耳の咀嚼力のモンダイか。
2010年03月19日(金) |
アンサンブル・ノマド第37回定期演奏会 |
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アンサンブル・ノマド第37回定期演奏会 時代を創造するパイオニアたちVol.3 〜クロードの夢:クロード・ヴィヴィエ特集〜 2010年3月19日(金) 東京オペラシティ・リサイタルホール
ギターのために(1975) Pour guitare サマルカンド(1981) Samarkand シラーズ(1977) Shiraz ボカラ(1981) Bouchara 神々の島(1977) Pulau Dewata
クロード・ヴィヴィエのコンポジションに内在する狂気を聴いたのはつい昨日のようだった(■)けど、2年も経つのか・・・。同じ場所でのヴィヴィエ特集に出かけた。
演奏者で素晴らしかったのはホルンの萩原顕彰、ソプラノの吉川真澄、フルートの木ノ脇道元かな。2曲目「サマルカンド」はピアノのほかは5管(フルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、ホルン)で、この5管のズレ・揺らぎがじつに良かった。だけども、どこかヴィヴィエにとってはミニマル・ミュージックの応用といった余技にも感じられる。4曲目「ボカラ」はそれを拡大した作風で、ソプラノの吉川の揺るがない丁寧な声のトーンが作品全体に一本のラインをひいた。打楽器の効果も面白かったが、曲のおしまいにはテープ音響が現れてはっとさせられた。
わたしが2年前に聴いたヴィヴィエは2人もしくは3人の演奏者による作品で、そこで聴いた旋律のギリギリの葛藤というか、古典的な楽想から破綻しそうになる美しいたゆみ、が、聴きものだった記憶がある。今日のコンサートで聴こえたヴィヴィエは、B級の現代音楽作曲家としての資質だけだった気がする。ガムランの現代音楽的応用である「神々の島」も演奏としては楽しめたけれども、これはヴィヴィエでなければならない作曲ではない。ピアノ独奏の「シラーズ」は、おそらく複数の時間のラインが作品にはあるように輪郭を把握したが、譜面を乗り切るだけであったように思う。
2010年03月16日(火) |
アルド・チッコリーニ@すみだトリフォニー |
アルド・チッコリーニ。1925ねん生まれ、84さい。 フランス在住のイタリア人ピアニスト。チッコリーニのつづりが好きだ。Ciccolini。 すみだトリフォニーへ聴きに行った。
アルド・チッコリーニ[ピアノ]ヴォルフ=ディーター・ハウシルト[指揮]新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽] ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番 ハ短調、ピアノ協奏曲第4番 ト長調
あたまの大きめな痩せこけた小さなおじいちゃんがちょこんと椅子に座った。 指揮者と目配せをしたあと、椅子の背もたれにくの字で寄りかかって両手をひざの上に置いて鍵盤を見ている。 オーケストラが鳴りはじめたのを聴いているはずなのに、ちょっと休んでいるようにも見える。
その枯れてる風情は、なんかシェル・シルヴァスタインの名作絵本「おおきな木」のおしまいに出てくるおじいちゃんに似ている。
前半の第3番。タッチや演奏の流れが軽やかに粒立つようで、まったく年齢を感じさせない。 ・・・聴いてて、つい、うとうとしてしまう。曲として退屈だったのか、おいらの気の緩みか、両方か。 チッコリーニのゴホンという咳で目が覚める。おや、ソロをとってるときに咳をしたのね。おじいちゃんだもん、当然だよね。
後半の第4番。これが素晴らしかった。第2楽章を筆頭に、ピアニシモで攻める・・・、もとい、ピアニシモを紡いでいる時間、 全部で5箇所あった、な。あの、会場全体が息をのんで美しさの、時が止まった空間に漂うこと。 ・・・ベートーヴェンでも、そんなこと、あるんだ。・・・無教養なひとことすいません。
おれさー、日曜のチッコリーニのソロ、リサイタル、寝坊してしまったのだ。 なんてたってチッコリーニがシューベルトD960を弾くんだぜ、ぜひとも聴きたかった。 プログラムの後半は展覧会の絵、これはもう曲がきらい。 曲順が逆だったら間に合ったのに!シューベルトのピアノソナタ21番は後半でしょ?ふつー。そんなことはないのか。
リスナーに秘かに愛されるチッコリーニの『スカルラッティのピアノソナタ集』、これを次回タガララジオでかけよう。
2010年03月15日(月) |
「あのときの感動を再び」というNHK交響楽団演奏会 |
日比谷公会堂(!)で、 「あのときの感動を再び」というNHK交響楽団演奏会が開かれた。
プログラムは戦時中1944年3月15・16日に 同じく日比谷公会堂で行われたもの。
蓑作秋吉 : 小交響曲 ベートーヴェン : ロマンス 第1番、第2番 チャイコフスキー : 交響曲 第5番
指揮 : 尾高 忠明 ヴァイオリン : 前橋 汀子 管弦楽 : NHK交響楽団
日比谷公会堂がかつてのコンサートホールの中心的な存在だった。 音はデッドで、しきりに井上道義は音が悪いねー!ごめんなさい!と言っていたけど、 ライブハウスのジャズの感覚で聴けばなんのなんの、 かえって音の圧力とか生々しさや演奏者の意識まで伝わってくる じつにすばらしいモノラル録音のビートルズみたいで、 さいこーに感動した。
66年前は尾高忠明の父親である尾高尚忠が指揮している。 尾高尚忠はヒロポンをひざに打って指揮台にのぼった豪傑で、 そのせいで39で亡くなったと息子はふり返る。 息子が振る日比谷公会堂、おやじはたしかに降りてきていたぜ!
2010年03月14日(日) |
カート・ローゼンウィンケル・トリオ”リフレクションズ”ツアー2010@新宿ピットイン |
カート・ローゼンウィンケル・トリオ”リフレクションズ”ツアー2010@新宿ピットインから帰ったばかりだ。ローゼンウィンクル皇帝、圧巻だった。一音だけでその音楽宇宙の片鱗を描けるギタリストとしては当代トップの存在だろう。昨年の『リフレクション』はトリオ編成でのジャズ・スタンダード集で、タイコのエリック・ハーランドの繊細かつ自在な叩きとの相乗効果でじつに深い演奏が詰まった名品だった。今回のライブは”リフレクションズ”ツアーだけど『リフレクション』のトリオではない、ややこしや、で、ハーランドの叩きを期待していたおいらには別物である。
平城京跡。寝過ごして単独行動なり。
奈良・東大寺のお水取り(修二会・しゅにえ)から帰ったばかりだ。まだくるぶしのあたりやみみのうしろ、ひだりてのおやゆびのねもとに疼く粒になった煤がいる。はなのあなは顔を洗ってもコメダ珈琲奈良二条大路店でヒレカツをたべても御在所SAでコーラを飲んでも、煤のにおいがキーンとしたままだ。ほおが火照っている。
往復1147.5キロ。
奈良に行って、東大寺にまで行って、大仏を観てこなかったことに帰ってから気付くたわけもの。
タガララジオ3を入稿す。
2010年03月12日(金) |
東大寺の修二会(しゅにえ) |
早春の奈良を告げる東大寺の修二会(しゅにえ)、お水取りに行ってきた。
読売新聞のウェブ記事「炎の大輪 春駆ける…お水取り「籠松明(かごたいまつ)」」の源幸正倫さん撮影の写真に赤いリュックをかついだおれがちいさく写っておる。
2010年03月11日(木) |
The Thirteenth Assembly: (un)sentimental |
さよならカザルスホールと銘打たれたオルガンのコンサートに行くつもりでいたが、 ゆうべのコンサートのはずれで気持ちがめげてたのと。 コンポストで八田真之さんが掲げていたCDとユリシーズ2号がアマゾンから届いたもので、部屋にいた。 奈良への深夜高速単独行軍への気持ちが高まり、お風呂の王様でからだを温め、いよいよ東大寺お水取りを観に行くのだ。
■ アマゾンに見に行ったら「1点在庫があります」という表示で、あわててさいごの1枚を購入。たしかにこれは面白い!
2010年03月10日(水) |
原佳大とウィーンの仲間たち@東京文化会館小ホール |
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原佳大とウィーンの仲間たち 原佳大/ジュゼッペ・マリオッティ/長松谷幸生による2台ピアノ・リサイタル ハンス・グラーフ教授没後15年によせて 賛助出演:水谷直子 2010年3月10日 東京文化会館 小ホール
ブラームス:5つのワルツ Op.39 シューマン:アンダンテと変奏曲 B-dur Op. 46 ショパン:ロンド C-dur Op.73
4にんのピアニストが組み合わせで2台のピアノを演奏するプログラム。ジュゼッペ・マリオッティの演奏が突出して良い。ウィーンの音楽風土を感じさせ、また、ピアノもよく歌った。ほかの3にんは、「弾ける」から先の説得力という、それこそ芸術表現における地獄の道のりでの格闘というか、それこそ天上の何ものかを見せるようなレベルにはないように思えた。原佳大とマリオッティによるラストのショパン演奏、これは良かった。この二人のピアニストの明白なノリの違い、原の持つ特色がなにやら楽曲をかきまわしているようなのだが、それがどのような作品「ロンド」に結実しているのか見定めぬうちに演奏は終わってしまった。
コンサートの後半に駆け込んだ。原佳大とジュゼッペ・マリオッティがカツラをかぶってモーツァルトとハイドンに模して、モーツァルトがハイドンに「どうしてあなたはいろんな国に行って演奏をするのですか?」ときくと「わたしの音楽は国を越えた世界言語になっているからだよ」と応じたという(有名らしい)エピソードを披露。・・・はて、それがウィーンの音楽の特殊性なり、ハンス・グラーフ教授なりに、どう話がつながっているのか、つながっていないのか、意図が判然としない。マリオッティが「ウィーンも寒いけど、今日の東京も寒いですね」と観客をなごませている。マリオッティが笛のようなものを吹くと、その断続的な音に反応するかのように客席左右に少女がふたりヴァイオリンと笛の奏者が立っており、鳥のさえずりを模するような美しい音色のやりとりがホールに響く。これがとても良かった。予期せぬところに音楽は舞い降りる。ジョルジュ・エネスクの曲だという。ほんの数十秒の音色のやりとりは、どこが楽譜からも離れ、即興のようにも響き、またドキドキとした初々しい奏者の意識までが交差するような稀有なものだった。
2010年03月08日(月) |
まだ間に合う!カート・ローゼンウィンケル来日公演@新宿ピットイン |
カート・ローゼンウィンケル来日公演! おいらは奈良から帰ってきて翌日14日(日)に出動する予定であります・・・
2010年03月07日(日) |
タガララジオ2のイラスト |
次男からタガララジオ2のイラストが届く。 真鍋博と中村佑介のラインにあるような秀逸なデビュー作と言えるだろう。
タガララジオだけ更新が遅れる見通しですが、まもなく、です。
2010年03月06日(土) |
行けなかったアル・ヘイグ特集 |
土曜の日中外出は。なかなか無理のきかないトシになりました。聴きたかったー、アル・ヘイグ特集。 四谷いーぐるの連続講演。かならずビビッとくる曲に出会えるのだ。 今日も行けなかったけど、13日はもっと無理。奈良東大寺のお水取りから東京に帰ってくると夜だし。
後藤さんの新ジャズ日記■<ダイレクトにリンクはれないけど、ここの「diary」をクリック も、あわせて。
第413回 3月6日(土)3時30分より ● アル・ヘイグ特集 解説 八田真行 第414回 3月13日(土)今回に限り4時より ● ウォーン・マーシュ特集 白人テナー・サックス奏者、ウォーン・マーシュは不世出のインプロヴァイザーです。超個性的なアドリブの鬼です。ただ、押し出しの良いプレイをしないので印象のもやもやしている人が多いのでは?世間的イメージとしては、理知的でクールな演奏をするトリスターノ派の中で リー・コニッツの影に隠れぎみのナンバー・ツーといったところでしょうか。彼、とても引っ込み思案なんです。その性格が反映したかのように奥に引っ込んで吹いているようなプレイです。ですが、それゆえに確保できた表現の奥行きというのもあるわけで・・・、そこに気付くと大きな快楽が待ち受けています。マーシュを聴いて、ジャズのアドリブの醍醐味を一緒に味わいましょう。 解説 鈴木洋一
2010年03月03日(水) |
19にちはアンサンブル・ノマドの「クロード・ヴィヴィエ特集」だー |
タガララジオの連載2回目は3トラックだけの短いものとなった。 告知したいコンサート「クロード・ヴィヴィエ特集」■があるので今回の更新に合わせて。 ほんとは10曲ずつ更新するつもりでいたけど、書くのがきまぐれなのに毎回の更新にプレゼンスを果たしたいと、わがままなのだし、出来高掲載というふうにしよう。 今回のタガララジオはヴァンクーヴァーオリンピックのチーム青森のレギンスのせいで、放送がみじかくなりました。
3トラックは・・・ ニュウニュウ(牛牛)、と、ヘンリー・スレッギル、と、アニャンゴ。
CDの売り場はちがうけど、ぼくにはおなじ、精神のありよう(到達とはちょとちがう)、といったもの、を、感じる。
『ニセコロッシ・コンサート・ツアー』連載のほうが途絶えている。 クラシックのコンサートの感想だってタガララジオに入れられるかな。
2010年03月02日(火) |
小沢健二ツアー『ひふみよ』に追加4公演が開催決定 |
小沢健二13年ぶりのコンサートの抽選にハズレまくっているわけで。 それはそれで。 マーヴィン・ゲイ・トリビュートのトラックを聴きかえしていたり。 縁がない、というか、訪れないこと、には、じっとしているのがしあわせ。 なんて思っていたら・・・「小沢健二ツアー『ひふみよ』に追加4公演が開催決定」なんてニュース。■ やっぱ、行きたい。
そうそう。毎日の環境学、って、ほんと、いいグルーブなんだ。あんな響き、ほかで聴けない。 そして、トラック1は、「愛し愛されて生きるのさ」が響いているのだし。ECM的なミュージシャンも参加しているのも自然。
”2006年3月8日、『Eclectic』以来約4年ぶりとなるオリジナル・アルバムとして、全曲ボーカルレスの『毎日の環境学: Ecology Of Everyday Life』をリリース。エレクトロニカ、クラブ・ジャズ、ラウンジ・ミュージック、インストゥルメンタルR&B、アンビエントといったジャンルに分類される作風。参加ミュージシャンは、Vincent Chancey、Marty Ehrich、Erik Friedlander、Arron Heick、Steve Kahn、Steve Nelson、Adam Rogers、Benjamin Love、Kenny Seymourなどのジャズミュージシャンのほか、、Mike Hampton(ファンカデリック)等のメンバーが名を連ねる。”
東大寺のお水取り。テレビのニュースでやってたけど3月1日から始まっているのですね。■
3月12日は、松明は通常より大きい大松明で、すべて欄干まで出る、しかも45分間という、 日程で最大規模になるために観るひとたちが殺到するようです。
今年は平城遷都1300年。 「お水取り」CDもなにげに味わい深い音響でよろしい。
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