Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2009年02月28日(土) 副島隆彦と佐藤優の対談本『暴走する国家 恐慌化する世界』



こないだ太田のブックマンズアカデミー(本屋)で
副島隆彦と佐藤優の対談本(!)を買った。

『暴走する国家 恐慌化する世界』(日本文芸社刊)

なるほどね。オバマは4年前にすでにロックフェラーから大統領に選ばれていたのであったか。
恐慌化するアメリカで暴動が起こることも折り込まれてて、それに対処する政府の表紙としてのオバマ、は、2年程度で、
その次はヒラリーが大統領になるという。

じつにリアルな分析に満ちている対談だ。

副島隆彦の学問道場にもあっけにとられる。


副島隆彦については、おいらが代ゼミの事務員時代から知っている。話したことはない。
講師室にあった授業のモニターで副島せんせいの英語の授業をよく聴いていた。本質への迫り方が尋常でないオーラを漂わせていた講義は、カルトな人気があったし、おいらも隠れ副島ファンとして、おれは英語を上達したい気持ちはなかったけど、なにやらありがたい説法を聴いて、その語り口の静かな鋭さに居ずまいを正されるようにしていた記憶がある。

『英文法の謎を解く』という著書が出たのは、おいらが代ゼミを辞めたあとだったか。
今では買って読んで感銘したことを憶えているだけである。

数年前に船井総研の船井幸雄との対談本『日本壊死』を読んでいた。
副島は熱海の磁場オーラがある土地に転居したという。そうさな、場所が人間に影響を与えているというのは、あると思う。


2009年02月27日(金) パウル・ザッヒャーの80歳を祝って作曲された『第一旋法によるティエントと皇帝の戦い』



『Christobal Halffter : Orchestral Works』 (col legno) 

なんだかさー、80年代のはなしだけど、
NHK−FMで評論家でナレーターだと思っていた近藤譲の息詰まりの知性トーンで紹介された
「第一旋法によるティエントと皇帝の戦い」という曲を、
六本木のWAVEに行くたびに探していた記憶があります。

静かで穏やかなオーケストラが、毒がまわったように不協和音の嵐に呑み込まれていった、と、思いきや、能天気な皇帝お迎えマーチになってしまう、という、現代の分裂症ここに極まれり、というスケール感、ダイナミックな曲だった。
放送で聴いたのは。80年代的な歴史喪失のなんでもアリ感で、とっても良かったんですね。

最近HMVのサイトで見つけたのでさっそく入手して聴いてみたのですが、
作曲者本人の指揮によるものであるのに、ちっともダイナミック感が出ていない。ぜんぜん良くない演奏だった。

これは矛盾する事態なのだろうか。作曲者、当の本人が「この曲はこうなんだよ!」とCD化してみせたヴァージョンが、
かつての、おそらく初演時のどこかの国の放送協会提供の録音テープ、に比して別物のように劣っているという事態。

“パウル・ザッヒャーの80歳を祝って作曲された『第一旋法によるティエントと皇帝の戦い』はバーバーのアダージョのように穏やかに始まり、次第にクラスターの嵐になるかと思えばイギリス王朝の儀式を思わせる典雅な音楽となる、変化にとんだ面白い作品。”
とHMVのトレーダーは記述している。

おお。パウル・ザッヒャーではないか。おれもよく知らんが、20世紀を代表する目利きのパトロンだったひとではないか。
ECMにも彼に捧げられた作品があった。でも、どしてハルフテル(アルフテル)はこんなキテレツな作品にしてしまったのだろう。



2009年02月26日(木) 桜井和寿が出てきた夢を見た

桜井和寿が出てきた夢を見た。

ジョナサン・キャロルの『死者の書』が翻訳されて20ねんになるけれど。
夢の中にいくつかの都市というか街が出来上がっている。
街の原型は部分的に砂川だったり函館だったり原宿だったりするけど、夢の中のいろいろな出来事が建物やエレベーターや遊園地に蓄積されている。

以前持っていたケータイの画像が良くて、日記に貼り付けていたのが、新しいその場しのぎのケータイに代えてから、すっかり画像をアップすることができなくなっていた。

夢の中の街を歩く。
片側3車線もある大きな通りの横断歩道を渡っていると、桜井和寿が後ろから話しかけてきた。
「写真、撮ったほうがいいですよー」
「ちょうどおれもそう思っていたところなんです」
「なんか、こう、いまひとつですよねー」

(いまひとつなのは、おれのことなのか、桜井が自身のミスチルの活動についてなのか、どっちにもとれるよなー)
と、おれは思いながら、道を渡った先にあるビル、
おれの夢の中のビルには中古CD屋と本屋ばかりがたくさんある、
1Fの中古盤屋が70年代フリージャズのアナログ盤を箱に並べてセールをしているのを見ながら、
(いまさらLPを漁る気分じゃないしなー、それにミスチルがどうこうと、もうおれは足を洗ってるよー)
とも、考えながら歩いている。


2009年02月25日(水) コラムでオノ・セイゲンがとても正しいことをわかりやすく

1月6日に函館で庄司紗矢香のリサイタルがあるのを知ったとき。
こういうコンサートに飛行機で行って湯の川温泉のホテルに泊まって海鮮たべてくるのがおれの正しい行動だと思ったが。

ゼニのもんだいをいまだに解決できないでいる。
大富豪の未亡人がおれをツバメにしてくれる前提となる身体的資源も枯渇しつつある。
人生は厳しい。

ぜにずら。


タイショウン・ソーレイ(Tyshawn Sorey)のCDはまだ買ってないけれど、
マーク・ターナーと演ったこのキテレツなソーレイの人力ドラムンベースのアート化とも言っていいのかわからんが。


マーク・ターナー

フリージャズや完全即興するひとたちを抹殺するような演奏におれには聴こえる。

Jazz Tokyoのコラムでオノ・セイゲンがとても正しいことをわかりやすく書いている。
ジャズを神棚に飾ってうやうやしく儀式をとりなして民衆からジャズを遠ざけているのにおれは加担してはいないだろうか。


2009年02月24日(火) 3年4ヶ月ぶりの渋谷メアリージェーン

東大駒場駅の下見ついでに渋谷に出た。ホテルではたばこを吸えない。渋谷で行くところはひとつしかない。

渋谷メアリージェーンに行くのはいつ以来だろう。
3年4ヶ月ぶりだった。
こういうやりとりがあったのをすっかり忘れていた。

メアリージェーンのおねえさんは「なんねんぶり?きよちゃん、げんき?」と3年4ヶ月まえと同じなのがうれしかった。

なにげにおいらはこのところの体重増で78.9kgという人生最高体重に迫っているのがはずかしかった。

カフェオレでロングピースを4ほん吸うあいだにかかっていたのは、ドン・ピューレンとコートニー・パインだった。



ドン・ピューレンは93年の『Don Pullen & The African Brazilian Connection: Live...Again-Live At Montreux』で、サックスのカルロス・ワードを従えてアフリカのパーカッショニストを土台にした素晴らしいジャズを演っていた。ピューレンのトレードマークである千手観音奏法ではなく、実に狙いすましたジャズピアノを弾いており、おれ、ピューレンだとわからなかった。ピューレンは95年に亡くなっており、晩年の演奏はキップ・ハンラハンの千夜一夜で聴いた記憶があったが、こんな豊饒な音楽を作っていたとは、ますます惜しい。

カルロス・ワードはあまり知られていないがダラー・ブラントとドン・チェリーと3にんで制作した名盤『The Third World Underground』(1972) で学生時代に大好きになった記憶がある。これ、トリオ・レコード制作で稲岡さんの仕事じゃないか。レア盤になってしまっているんだー。メンバーのセレクトがすごいだろ。出来もいいんだ。CD化してほしいなあ。

コートニー・パインはデビュー時に話題になって聴いたきりだったけど、00年に発表された『バック・イン・ザ・デイ』を聴いた。ロンドンのジャズ/クラブ・シーンで第一人者となって00年には大英帝国勲章まで与えられているという。ヒップホップやクラブミュージックに乗せて吹くサックスにはもう興味はないわ。だって、そういうのってスティーブ・コールマンがMystic Rhythm Societyで演った次元の探求にくらべたら、どうしても耳は不満になるものだし。


2009年02月21日(土) Jazz Tokyoカートのレビューに加筆して掲載しました

いや、さ、それでartistShareのサイトを見たら、クリス・ポッターも居るでないの!おら、びっくり。現代サックスの二強が揃っている。そいえばポッターもヴィレッジ・ヴァンガード・ライブ盤出していたよね、2007年だけど(クロスレビューにこれも入れるべ)。それでartistShareでポッターはいくつかのダウンロード限定作品?を置いている。なんだこれ。だれか購入して教えてくれ。おれはプーと演っているポッターにのけぞったクチで、その水準のポッターであるのかこわくて手がでん。

そのプーというピアニストからおととい、タイショウン・ソーレイ(Tyshawn Sorey)というドラマーとピアノ・デュオ(!)をしたときのこととかきいていた。誰だいそれ?とYou Tubeをチェックするとマーク・ターナーとの演奏が観れたりして、それもなかなかいいんで驚いていた。

ソーレイは2枚組のリーダー作『THAT/NOT』を最近出していて、それはマーク・ラパポートさんがミュージックマガジンで年間ベストに選出されているんだそうだ。マガジン読んでないから知らんかった。さすがラパポートさんだの。2007年にラパポート=マガジンが年間ベストに挙げたデヴィッド・トーンのクズ盤ECM事件というのがあって、もう参照しなくていいかと切っていたが。そうか、ソーレイは、『何語で?/ヴィジェイ・アイヤー&マイク・ラッド』に近いサーキットの人材なのか。

ソーレイはきくところによると、映像記憶Photographic Memoryの持ち主らしい。現在28さい、この世代の代表との見方をされている。映像記憶というと、モーツァルトや高橋悠治が持っている才能だったろ。おれも音楽は映像的に聴いてる気がするが、そうじゃない聴取を想像できないのでなんとも言えない。おれは何よりもCPUではなく、メモリーが足りないのだ。記憶力がぜんぜんない。

ゆうべ行ったコンサートでは高橋悠治の合唱作品があって、これがすばらしい作品だったのでその分析を急いでいるが、この日のあとの二人の作品と決定的に和音の狙いの次元が異なっていたように聴いた。おれ20だいのころ新宿の三宅榛名と高橋悠治のピアノデュオ・・・夜の時間という連続公演だったか、行ってましたが、三宅榛名の作品はそいえば最近聴いてないですねー。おれが初めて現代音楽のオケが美しいと思ったのはトーキョーミュージックジョイの三宅榛名の作品だったんだ。あれ、も一度聴きたいなあ・・・。

脱線しまくったけど、とにかく音楽は面白いよ。


2009年02月20日(金) 「新しいうたを創る会」の第14回演奏会「出遇いつむがれる声の種々相」

四谷区民ホールへ
「新しいうたを創る会」の第14回演奏会「出遇いつむがれる声の種々相」を聴きに出かける

音楽としては高橋悠治の曲が優れているように聴いたが、
この作品は取り組む合唱団による組み立ての比率が大きい作品なので、
曲のすばらしさは合唱団の手柄か。

間宮芳生の《焼かれた魚》は詩人・小熊秀雄(おぐまひでお1901-1940)の童話をもとにしている。
小熊秀雄の詩集を買い求める。


2009年02月18日(水) スピッツの新曲は「ボサノバ」というタイトルで

いきなりスピッツの新曲は「ボサノバ」というタイトルで

「きのうときのうへと向かう夕日にとびだしたから
ぼくらはいまここにいない」

という歌詞だという夢をみた。


おいけいま、わせだになんかゆくのだったら上智へゆけ。
おまえと話していただろう。これぜんぶおれたちのものだな、と。
信じられんくらいにかわいい上智の受験生たちがすずなりになって歩いているのをふたりで見つめながら。
ところでなんであん時おれをにらんでいたのだ?


2009年02月17日(火) イシドロ・バリオのゴルトベルク変奏曲

ワークシェアリングという名の減給減俸に苛まれる末端労働者であることはわたしも例外ではない。

すみだトリフォニーへイシドロ・バリオのピアノを聴きに出かけた。
こないだのシェプキンと同じ「ゴルトベルク変奏曲シリーズ2009」の公演だ。

弾き始め、まあさすが外タレだけあって上手いわな、と、その続きの「激情の」なり「天衣無縫の」なりのピアニズムを待つものの、
なんかただ時々ふらついて酔いどれている揺らぎを見せるかな、程度の、個性に過ぎなかった。
アンコール聴いて、「なあんだ、彼のピアニズムの核心というのはフラメンコのパッションを潜ませているだけじゃん!」と看破したところで、やれやれとなる。

答えは公演の新聞広告に書いてあった。
「今、色んなところで話題になっている。彼の《ゴルトベルク》は、ちょっと凄い。」
文字どおり、ちょっとすごい、くらい、でした。


2009年02月11日(水) 上原彩子 ピアノ・リサイタル

上原彩子 ピアノ・リサイタル

2009年2月11日(祝) サントリーホール 大ホール 

一柳慧:ピアノスペース
グリーグ:抒情小品集より
第1集 第1曲 アリエッタ Op.12-1
第8集 第6曲 トロルドハウゲンの婚礼の日 Op.65-6
第9集 第4曲 山の夕べ Op.68-4
第9集 第5曲 ゆりかごの歌 Op.68-5
第10集 第3曲 小妖精 Op.71-3
第10集 第6曲 過ぎ去りて Op.71-6
グリーグ:ピアノ・ソナタ ホ短調 Op.7
グバイドゥーリナ:シャコンヌ
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第8番 変ロ長調 Op.84
アンコール;
リスト:愛の夢
リスト:鬼火
ラフマニノフ:前奏曲op.23-5

すばらしいコンサートだった。プロコフィエフって、こんなに奥深いものなのか。上原のピアノが、プロコフィエフの音楽にある扉を次々に開いてゆく。

まずは上原彩子のこのプログラムに驚いていた。一柳慧、グリーグ、グバイドゥーリナ、プロコフィエフ、という、おいらの耳の中では全部違う引き出しに入っている作曲家たちである。おぜうさん、なにゆえ?会場でいただいたパンフレットに上原は「今現代曲と呼ばれている音楽もあと何十年か後にはそう呼ばれなくなることを思うと、やはりその曲が創られたのと同じ空気の中で皆さんと共に音楽を楽しむ素晴らしさを強く感じ」演奏することにしたという、なんともすがすがしいたたずまい。これら、を、それぞれ、テクニックの突出を感じさせずに歌う感触・・・。文章でこう書くのは簡単だが、すごいことなんだぜ、みんな。

一柳慧の曲は現代音楽のコンサートでどのように弾かれると十全であるのかがすでに確立してしまってるだろ。おれもう聴こえるよ。んで、よくできましたね、という具合の。ところが上原の演奏は、そんな確立されたものには触れていない。作曲した一柳慧も想定していない美しさを弾いたんだが、その美しさをうまく言えねえ。何てんだろうなあ、カンペキなのに初々しくてきらびやか。それじゃ、わかんないか。上原は大切なものをいとおしむように扱う。おれ、なぜか想起していたのが小学校の頃、押入れの布団の間にあったケセラン・パサランを発見したときのこと、この世とあの世の境目に光り輝くような沈黙にじっとしていたときのことをを思い出していた。上原の弾いた一柳慧はケセラン・パサランのようだった、と、おれはおれに向かっては書けるけど、みんなに向かってはさすがに書けない。たぶんなー、シフだって一柳をこうは弾けないだろう。一柳は来ていなかったのか。どうだったかきいてみたい。

グリーグにしたってそういうところがあった。グリーグらしいグリーグというのもそれこそ山のようにあったわけだけど、やはり上原の演奏は数段違う。楽曲のキモの部分と足元の部分と、そういう二分があるともほんとは言えないんだが、足元の部分、旋律のおしまいや一瞬の間に、扉が開かれている。開かれていると書くとそこに空白があるように思われても困る。上原の指の一音は、どこの部分にも強さと優しさがピタリと合っている。自問する、こんなにも耳が離せないでいる、というのはどういうことだろう。

グバイドゥーリナも現代音楽感なしである。グバイドゥーリナがどういう躍動を描写したくてこのスコアになっていたのか、上原はちからづよく、しかし、おれはそもそも楽譜が見えるような演奏は評価しないが、上原はグバイドゥーリナの創造を魔法のようにヴィジュアライズした。いかんな、つい魔法のようになんて小学生みたいな形容をしてしまうが。おれは悪口は得意だが、どうも素晴らしいのをうまく言えない。

東芝EMIから出た最新作『プロコフィエフ作品集』のピアノに片腕ついてうつむいているジャケを見ながら、どういうお嬢さんなんだろうと思っていたが、ステージで初対面した上原は子どものような笑顔で、おなかには赤ちゃんが宿っているようだった。そこで母性がどうこう言ってはならんのだけど、おなかの赤ちゃんも聴いているんだな、と、やはりおれはこのグリーグの素晴らしい演奏に思うんだよ。上原は言われたかないと思うだろうが。そして、妊婦であることがなにか演奏をゆがめているところなぞ微塵も感じさせない、彼女の演奏だったことは強く書いておく。

プロコフィエフのピアノ・ソナタというのは、そうか、なるほど強鍵奏者たちの歴々の名演奏に飾られてきたのだ。おれなんかそういう名演をCDで聴いてきては、「あ、そう」てな程度よ。今まで感動したことないよ。ごりっぱねー、と思うだけでいたの。ところがねー、この日の上原の演奏は真っ白の状態から一瞬ごとにプロコフィエフの楽曲にひそむ閃きが次々と立ち現れてきているのがヴィジュアルに感じられるようなもので、ぼくは演奏を聴きながら時間を忘れて上原と一緒に歌った。歌ったというのはもちろんメタな表現で、上原と一緒にめくるめく旅を体験したとも言える。プロコフィエフのピアノ・ソナタは重層的で奥が深い。フォルテをガツンと決めればプロコになってるなんて、ないから。


2009年02月09日(月) テレビ番組「銭ゲバ」1〜3回を観た



先週4日の夜に群馬へ行ってDVDレコーダーに残っていたテレビ番組「銭ゲバ」1〜3回を観た。
7日の夜はECMファンクラブの会合があって第4回の放映を観ることができなかった。

おいこい、1〜4回の放送をDVDに焼いてくれ。1000えんやる。

ジョージ秋山の原作。ジョージ秋山は足利出身。
『デロリンマン』『花のよたろう』『浮浪雲(はぐれぐも)』『恋子の毎日』は読んだなあ。

展開が早いのね。にしても、酷い差別的な設定が何の引っ掛かりもなく、さも当然のように前提とされているように感じる。
顔にアザのある妹を、詐欺的手腕で引っ掛けている。とか。浅ましいおとこだ。
しかし、酔いどれで貧乏で母親を苦しめた親父は、あのままでは終わるまい。
びんぼー人がいなければ金持ちが困るんだよ、と、ハケンの身で言うかっこよさ。

それにしても、世の中、おんなのほうがゼニに対してシビアだとおれは思うが。

おれはこれから本社へ呼びつけられたので、給与と残業手当についてテッテ的に交渉してくるのだ!強気。
ワークシェアリングという名の減給とか、言いがかり的な退職勧告でなければいいが!弱気。

ぜにずら。


2009年02月08日(日) カウンターカレント / 日野=菊地クインテット

9日午前2時31分。たばこを買いに外に出ると、満月が真っ白に輝いて円環を放っている。
気温は3度くらいか。
夕刻から寝くさっていて腹が空いて起きたところ、風呂で温まって死者の書を読んでいると、おれもよみがえってくるようだ。
お湯につからんと元気になれないだけなんだが。
風呂で読めるプラスチック製の文庫で読む折口はすぐに練馬を生死の境にしてしまう。



カウンターカレント / 日野=菊地クインテット

まずこれは、聴かれなければならない。菊地雅章がピックアップした新しい才能、サックスのマイケル・アティアス、ベースのトーマス・モーガン、この二人を擁した、タイコはマエストロ、ポールモチアン、という、菊地雅章カルテットでの瞠目すべきジャズ演奏が並んでいる。足を引っ張っているのが世界のヒノテル。ソニーは伝説とも言うべき日野=菊地クインテットをリリースしたんだと思うよ。企画会議はそれで通るだろう。

1曲目、このベースとタイコの始まりの不穏な雰囲気は絶品だろう。菊地がインして、さあ、と、行く末をうかがう。2分30秒すぎあたりで日野はインするタイミングを逸している。トリオで5分30秒すぎまで進んでアルトのアティアスが入ってくる。アティアスは先導する役割しか担っていない前提でソロを進めて、7分になってようやく御大日野がカブく。それで終わりに向かう9分34秒。

2曲目、アティアスと日野が揃ってイン。そして日野が先導する。菊地がバトンを受けて走る。4分50秒すぎに作曲者のクレジットがあるアティアスにソロがわたる。このシチュエーションではアティアスも気が楽というか、ふてぶてしさをさらけ出していられる。6分30秒あたりから菊地に戻って、続いてモーガンにわたり、最後の1分強をアティアスと日野がまとめて終わる9分9秒。

3曲目、菊地のピアノの独壇場。ピアノトリオの演奏。モーガンの力量を感じさせる。

4曲目、アティアスが主で日野が従となる2管テーマ出しのフォーム、これがもっともこのクインテットが安定するもののようだ。菊地・モーガン・モチアンの中核が聴こえる。ここでの日野はいいソロを入れて牽引している。アティアスのソロもこれがいちばんいいかな。それにからむ菊地も最高だ。

5曲目、12分10秒の演奏。これがこの作品のキモだろう。1〜4曲目で提示されたこのクインテットのフォームのありようをアウフヘーベンして、個々の演奏が一体化を聴かせているのだ。うおおー、気持ちいい!

そこで考えてみるんだが。日野のトランペットというのは、ほんとうに彼のヴォイスがするところがすごい。日野=菊地クインテットを名乗るのだから、がつがつリーダーシップを取ってもよさそうなものだが。日野のトランペットをライブで初めて聴いたのは99年あたりだし、往年の鬼気迫る凄みはむかしのLPでしか知らない。それは日野の円熟でもあろうか。

不思議な盤である。菊地が連れてきたアルトとベースの力量はとても無名なミュージシャンのものではない。菊地もモチアンも、まったく年齢を感じさせない鋭さを放っている。日野は日野らしい、と、言うべきか。6曲目、7曲目を聴きながら、おれは日野を待ってスイングしはじめているのに気付く。この不穏なスイングに耳をゆだねながら日野を待つ。おれが冒頭で書いた「足を引っ張っているのが世界のヒノテル」は、最初に通して聴いたときの率直な感想だ。日野だけが、4にんの外側に居るように感じたのだ。しかし、ある意味不在の日野が4にんの演奏を規定している、または牽制している、そういう図式に宿っているこのセッションだけの引力がある。

くりかえすが、これは聴かれなければならない。メソッドとして確立されたジャズの方程式を安易に適用しただけのジャズ演奏ばかりがリリースされている現状にあって、ジャズが孕む謎を保持するような演奏をしかしたくない5にんが残した録音として。日野=菊地クインテットの現在というのは、単純ではない。


2009年02月07日(土) ニセコロッシJAPAN 2008の陣容が決まった

たしかアファナシエフのシューベルト新装盤は蓼科高原のロッジを保有するおねえさんにあげたんだ。

宮長レコード『しずくたち』高野昌昭を聴かせてもらう。
その体験後は、風の音は聴こえるは、パソコンのモーター音、指と指がこすれる音、
さまざまな深夜から早朝の練馬区春日町の外の気配の音までが聴こえてきて、気持ちが楽しくて覚醒してしまって眠れません。

ガルバレク〜マズール。本田美奈子

HMVで購入
ハルフテル、クリストバル(1930-) / Orch.works: Halffter / Frankfurt Rso
Julia Hulsmann / End Of A Summer
Enrico Rava / New York Days
シューベルト / Piano Sonata.21: Afanassiev

声明の公演の抽選に申し込む。

アイラー    日野菊地 カート   ぬばたま クリスボッティ
ダヴィッドソン 潮田益子 シェプキン モチアン ショーター

ニセコロッシJAPAN 2008の陣容が決まった。

そうなんだよ、おいら堀内さんと2007年3月30日の名古屋、あの「三善晃の詩篇頌詠にノックアウトされたコンサート」、あの時にヴァイオリンの竹澤恭子を聴いていたんだよなー、と、昨年の本稿を読み返している。・・・自分のを読んでしまって、恥ずかしくなってる。

ニセコロッシJAPAN 2008の陣容が決まった。

10枚のCDの演奏家たちがステージの上に嬉しそうに集まっている。シェプキンと菊地雅章とショーターが、なんとジョージラッセルの楽譜を手にした小山薫をうしろから覗き込んで言葉を交わしている。ショーターがアイラーに語りかけ、ダヴィッドソンに握手を求めている。お、ローゼンウィンケル・ギターとボッティ・トランペットと潮田益子・ヴァイオリンが即興演奏を奏ではじめるじゃないか!客席から本田美奈子と高野昌昭、マット・マネリ、マーク・ターナーが。バックステージから三善晃とクリストバル・ハルフテルが。


2009年02月06日(金) バール・フィリップス夫妻が住む南仏のサント・フィロメーヌの映像



バール・フィリップス夫妻が住む南仏のサント・フィロメーヌの映像があった。>
これは、藤原敏史さんが
「バール・フィリップス(『インディペンデンス』の音楽の作曲家)の孫娘の誕生日プレゼントとして作ったパーソナル・ムーヴィー。フィリップス夫妻が暮らし、孫娘が夏休みに訪ねていた、南仏の山の中にある中世の城郭跡の風景と、そこを照らしだす夏のまぶしい光を捉えようと試みた。」という
『サント・フィロメーヌの光 The Lights of Ste. Philomene (2002)』という映像作品。

なんつか衝撃的に癒されます。意識がその場所に飛んでゆきます。

ここで『アーカス』や『アングルス・オブ・リポウズ』が録られたのだ。

ECM 1862
ジョー・マネリ/バール・フィリップス/マット・マネリ
アングルス・オブ・リポウズ

ECM1678という傑作に屋上階を重ねるセッションは可能かという疑問は杞憂だった。バール・フィリップスが暮らす南仏の山の中にある中世の城郭跡、サント・フィロメーヌ、ここはフィリップスとバリー・ガイが即興ベース・デュオの傑作『Arcus』MayaRecordings1989が録られた場所でもあるが、そこでの響きというシチュエーションの作品。もとよりジャズに限らず、場所の響きという関数は重要であり、それはフィリップスの弦の残響の特異にとどまらず、即興の生成を深く規定している。ここに聴かれる沈黙は特別なものだ。(多田)


2009年02月05日(木) 上智大学はソフィア・ユニバーシティSophia Universityだ

上智大学正門前午前9時01分到着。使命を果たしたなり。

おいけいま、今朝のおれの発言に間違いがあった。

「て、哲学科だと?いんじゃねーの。
上智は英語で言うとフィロソフィー・ユニバーシティだし、な。フィロソフィー=哲学、の大学。」
「そうか。」
「で、おまえ哲学してどうすんの?」
「神学をおさめて日本人で最初のローマ・カトリックの枢機卿になるんだ。」
「ふーん。なんかモテそうだな。枢機卿になると機関車トーマスに出れそうだな。」
「おやじー、それ、トップハム・ハット卿だろ!」
「あれが枢機卿じゃねえの?どうでもいいけど上智のおんなは知性があってかわいいぞ。」
「だろな。」
「おとうちゃんにもかわいいこ紹介してくれ。」
「まだ着かないのか。」
「なんでよ。」
「・・・しょんべんしてー。」
「蓮田サービスエリアで休憩すればよかったな。あと15ふんくらいだ。」
「15ふんなら・・・もつ・・・かな・・・」

すべてのやりとりが間違っていたのではないか、とは、言える。

ただし、おれが訂正しときたいのは、上智大学はソフィア・ユニバーシティSophia Universityであったということだ。
ソフィアは原語はギリシャ語で知恵を意味する。


2009年02月03日(火) タンジェリン・ドリームのLP『浪漫Stratosfear』

3月下旬に慰安旅行を計画していて、経費捻出がきびしい中、またもやCD大量ウニヨン売りの画策は、
横尾忠則が2008年2月に刊行された『温泉主義』(新潮社)で
「温泉嫌いのぼくが、温泉に取り憑かれた」なんていう、横尾1936年生まれ、が、

理由は数年来何をやってもだめだった神経痛が草津温泉でピタッと治ってしまった!

という単純な一言による。

草津温泉、て、遠いじゃんか。新宿発のバス1泊で行けないのか?

おれはたしか高校1年のときに横尾忠則がタンジェリン・ドリームのLP『浪漫Stratosfear』のコピー
「タンジェリン・ドリームは僕のイマジネーションを喚起させる最高の導師(グル)である!」
を音楽専科で読んで音も知らずに即買いしていた。
「境界線午前3時」とか、イマジネーションふくらましてベッドで上向きに寝て瞑想しながら聴いていたのだ。

高校1年のときから、女性は足首だ、という悟りはそこで得た、すごいだろ。うそです。

LPの帯の文句に吸い寄せられて買ってしまう、のが、ECMで人生を棒に振る第一歩になろうとは、横尾忠則め、にくいやつ。



2009年02月02日(月) 三善晃の作品が2公演あった

東京フィルハーモニー交響楽団の2009-10シーズン定期演奏会の新聞広告をチェックすると
三善晃の作品が2公演あった。

7月5日(日) オーチャードホール
・三善晃 / 管弦楽のための交響詩「連祷富士」(1988) Litania pour Fuji: poème symphonique pour orchestre 

9月11日(金) サントリーホール
・三善晃 / オーケストラのための「ノエシス」(1978) Noesis pour orchestre 

合唱+オーケストラの、いわゆる「詩篇頌詠形式」、おれだけが言っている「詩篇頌詠形式」の公演はないのか!

浦和第一女子高等学校音楽部(女声合唱)のみなさまはどうなさっているのですか。
埼玉県有数の進学校であることは存じておりますが、受験勉強をしているばあいですか。


2009年02月01日(日) 横尾忠則の銭湯ポスター

へやのなかをあるくのに腰がかがんでいた、り、
ろーがんメガネを何日もどこにあるのかわからなくなってた、り、する。
バスの運転手になるのが子どものころの夢だったなー

黒湯の銭湯、大田区の池上温泉の脱衣所の天上ちかくに掲げてある2枚のポスター、
丸尾末広かと思っていたが、
銭湯のおばちゃんにきいたら「よこおさんよ」という。

横尾忠則だった。
2002年の最初の制作がすごい。
銭湯の幻想がそのまま画になったような動かなさがある。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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