Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年12月31日(水) |
砂川中央市場でミュージシャンをみるゆめ |
石狩川の支流を砂川市内に入った橋のたもとにある木造の砂川中央市場が、 4階建ての天上桟敷になっていて、 最上階から見下ろすと、通路にベルトコンベアのステージが流れてきており、 上砂川や歌志内から駆け付けた煤だらけの多くの労働者たちがファッションショーのように流れてくる音楽家たちに拍手と声援を送っている。
老人になった二本線のジャージ姿のポール・マッカートニーと、カメラスタジオの青いスタジャンを着たマンフレット・アイヒャーと三人でその光景を見下ろしている。 ふたりともこんなところまで来ているんだ、と、思いながら、 おれは最上階の木造の木の窓枠や柱がぼろぼろになっているのが気になって、 はやくここを抜け出して中古レコード屋に行かなければならないと思っている。
流れてくるステージで、アルゲリッチが指揮台に乗って棒を振っている。 「彼女らしい指揮だね」とおれは二人に話しかけている。 マッカートニーが「エリオット・ガーディナーが流れてくるよ」と視線をその向こうへ。 おれはガーディナーのそのあとに友部正人が流れてくるのが見えて、 「ははは、ガーディナーさん、と、歌っているよー」と言う。 アイヒャーが「ディラン?」とドイツ語で言っているようで、 おれはディランよりすごいんだと「モア・ディラン」などと言いつけている。
中古レコードのエサ箱がそばに流れてきて、 「ラスク」と「ラスク2」と、見たことのないワダダレオスミスの2枚組LPをその中から見つける。
アイヒャーにこのLPについて、どうしてCDで出さないのかきこうとしたら、建物がぐらついてこのまま雪の中に投げ出されたらLPが濡れてしまうとあわてた瞬間に目がさめた。
2008年12月25日(木) |
おいらの偏狭な現代ジャズ・ヴィジョン |
『ポール・モチアン・トリオ2000+2/ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード Vol.II 』 定価¥2,625(税抜価格¥2,500)BOM25007(ボンバ・レコード)
この盤を今年のベストに掲げるにあたって、ひとこと言いたい。ジャズはもういい!・・・、あ、まちがった、おいらの偏狭な現代ジャズ・ヴィジョンは今日の作文でひと段落つけたい。だって今行きたいクラシックのコンサートがたくさんあるのだし、来年はクラシック漬けになってほっぺたぴかぴかになりとうでごわす。2008年は指揮者の井上道義62さいとグスターボ・ドゥダメル27さい(ベネズエラ)にコンサートで出会いましたし、三善晃作品全国駆け付けプロジェクトも4年目を迎えまする。ジャズは若いひとにまかせまする、・・・と言いつつJazz Tokyoサイトのジャズ部長代理にもなってしまおうかと虎視眈々。・・・そんなアンビバレンツな心境の中での海外盤ということですが、まー、演奏の驚異という点では、まさにグールドスタンダードを40年ぶりに更新する演奏だったセルゲイ・シェプキン、解像度、スケール、技術、動き、速度、フレキシブル、これはもうハイヴィジョンのゴルトベルグだと言っていいもので、そのCD「シェプキンのゴルトベルク」だったりする。このCD、メジャーから出たものじゃないところにも応援魂が宿る。「シフのECMゴルトベルク」と「高橋悠治76年ゴルトベルク38さい」と併せて今年は記憶したいのだ。
で、今年のJazz Tokyoベストには、『The Remedy: Live at the Village Vanguard / Kurt Rosenwinkel Group』 ArtistShare (2008)を掲げることにさっきまで決めていた。ところがこの盤についてわたしが書いた新譜レビュー(おいらならではの形容がうまいぞ)が次回更新で掲載されるので、同じヴィレッジヴァンガードのライブでもモチアンのほうを選ぶことにした。わたしは昨年の年間ベストに掲げた『Night Songs / Ferenc Nemeth』 Dreamers Collective Records (2007)に続いて、そろそろ出てきたマーク・ターナーの真髄を聴ける(メジャーでのリーダー作は音がタキシード着てて明らかな制作上の無理解がある)作品を示す意図があったので記憶しておいてほしい。そして、それぞれArtistShare、Dreamers Collective Recordsというすばらしい名前を持つ新興レーベルからの作品であることも。
『ポール・モチアン・トリオ2000+2/ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード Vol.II 』 このWinter & Winterの総帥ステファン・ウインターが「ヴィレッジ・ヴァンガードでのポール・モチアンTrio2000+Twoによる忘れられない一週間のライブの模様を記録している。ウインター&ウインターはこの一週間にアルバム三枚分を録音した。」と宣誓するように録音されて昨年から発表されているものだ。「音楽はいつも生まれる時と場所に深く関わっている。17世紀のような非凡な時代とヴェネツィアのような特別な場所が独創的な芸術の生まれるきっかけとなる。アントニオ・ヴィヴァルディの活気溢れ、間違えようのないバロック音楽は、その時と場所の非凡な組み合わせなくして存在しなかっただろう。人種のるつぼニューヨークと20世紀とくればジャズ。そしてニューヨークの中心にあるヴィレッジ・ヴァンガードはこの音楽の最重要機関のひとつである。・・・」ウインター自身の書きっぷりが自信に満ちたものである。みんなは当然知っているだろうけど、ウインターは80年代にJMTレーベルを興してM−BASE一派をドキュメントしたプロデューサーだ。ちなみにJMTの日本制作サイドBambooレーベルは五野洋プロデューサーであった。
トリオ2000+2のメンバーをおさらいしておくと、クリス・ポッター、ラリー・グレナディア、ポール・モチアン、が、トリオ。「+2」の部分、つまりゲスト待遇は、Vol.Iが菊地雅章とグレッグ・オズビー、Vol.IIが菊地雅章とグレッグ・オズビーとマット・マネリ(!)である。そうか!マット・マネリがとうとうモチアンの耳にかなう展開となったか!思えば、95年のECMスティーブレイク制作ジャズ盤『三人歩きThree Men Walking』、ジョー・マネリ、ジョー・モリス、マット・マネリ、を、いち早くおれは彼らの価値を認め、98年にはユニバーサルのECM担当者に面会に行き「ジョー・マネリとルイ・スクラヴィスを国内盤にして出す責務がある」と談判しに行ったくらいにして、スティーブ・レイクはLonely Night-time Rolly Driver(おれはそう自称した)に過ぎない極東のECMファンにいろいろメールで教えてくれたものだ・・・。
そうそう、最近はベースばかり弾いているけどギタリストとしてのジョー・モリスへの注目もあった。当然、デヴィッドSウエア、マシュー・シップ、ウイリアム・パーカーのNY沸点カルテットを軸とした90年代ジャズの耳の視野もあった。21世紀に入ってウエアとシップは失速した。ロブ・ブラウンのピュアなアルト、サビア・マティーン、ギレルモEブラウン、といった猛者もいた。景気悪化のNYで彼らはどんな年末を過ごしていることだろう。
昨年Jazz Tokyoの多くのコントリビューターが掲げたマイケル・ブレッカーの遺作。ハンコック、メルドー、メセニー、パティトゥッチ、デジョネットとの生前友人葬。どこがいいんだ?闘病する父親に子どもがつぶやいた言葉を曲にしたTrack 5の5分45秒からのブレッカーの演奏には、同じ父親として感ずるところがあった、にしても。詳細に5回も聴いたが、とてもジャズとして寂しい思いしかしなかった。ゼニはひとをおとすものだとつくづく思う。生前ブレッカーは発言していた。注目しているサックス奏者はクリス・ポッターとマーク・ターナーだと。おれはさすがだと思ったよ、ブレッカーは誰に現代ジャズ・サックスのバトンが渡っているのか自覚していた。
クリス・ポッターでベストだとおれが思うのは、トリオ2000+2がヴィレッジ・ヴァンガード・ライブの前に出した、『Paul Motian Trio 2000+One On Broadway Vol.4 : Or The Paradox of Continuity』 Winter & Winter (2006)での演奏。クリス・ポッターの若いのに大胆不敵で涼しげで自由闊達でゆるゆるな振る舞い、だ。おじさんたちはたじたじなんだよ。この盤、グレナディアの奥さんレベッカ・マーティンのヴォーカルがスタンダードを歌うトラックもあって、じつに聴きやすくもある。ここでのプー(菊地雅章)、もちろんプーはいつだって最高なんだが、凄まじい沈み込みを見せている。おれは後悔してんだ。2006年のベストにこの盤を掲げそこねた、ってね。
ポール・モチアン。今年はヴィレッジ・ヴァンガードでポール・モチアン・オクテット(!)というスケジュールがあった。 Paul Motian Octet Tony Malaby-sax, Chris Cheek-sax, Steve Cardenas-gtr, Ben Monder-gtr, Matt Manieri-gtr, Jerome Harris-b, Ben Street-b オクテット。ギター3台だぞ。2サックス。2ベース!。エレクトリックビバップバンドの編成にベースとギターがさらに1台加わっている。モチアンいわく「今度のOctetはちょっといけてるぜ。」だと。77さいのじじいが言うセリフかよ。たまんねーなー。
モチアンは来年の3月25日で78さいになるんだぞ。いいのか?ジャズ・ジャーナリズムはモチアンの言葉をたくさん残しておかなくても。 (jazz.comに、FMラジオWKCRで今年の9月4日に収録されたモチアンへのインタビューが載っている。今年ESPレーベル65年のローウェル・デビッドソン23さい・トリオ、ミルフォード・グレイブス23さい、ゲイリー・ピーコック30さい、が、復刻されているが、モチアンはこのピアニスト、デビッドソンの才能をすごく買っており、76年には一緒に録音までしたという。それがすごいんだ、と、モチアンは言い、そのテープをモチアンはアイヒャーに渡してあるんだが、アイヒャーにきいたらどこにあるかわからんと言われたとこぼしている。こらアイヒャー、ラヴァとボラーニにあんなデュオを強要録音、おまえが監視してるのがわかるような作品じゃないか、してるひまがあったら、このテープを徹夜して探せよな。あとモチアンは55-56年ごろにテオ・マセロのもとでエドガー・ヴァレーズと録音をしていたと述懐している。ヴァレーズを、じゃなく、ヴァレーズと、だと?で、そのバンドは8・9人編成でアート・ファーマーもそこにいたという。あ?アート・ファーマー、ですか?・・・あと、80年にメセニーと演奏していて、まじか?、メセニーにギタリストを推薦してもらったのがフリーゼルだったとも語っている。尊敬しているタイコはケニー・クラークで、やっぱり!、パーカーとギグしているのを夢中になって聴いたという。トリスターノとのハーフ・ノート時代のことも語ってほしいぞ。まさにモチアンこそ生きたジャズ史ではないか。)
78さいの闊達で最前線なジャズのドラマー、って、どうなのよ。次世代のドラマーは誰かいないのか。ポール・ニルセン・ラブもジム・ブラックもナシート・ウエイツもマヌ・カチェも本田珠也もエリック・エシャンパール(Eric Echampard)もギレルモEブラウン(Guillermo E. Brown)、ハミッド・ドレイクもいいが、おれはひそかにノルウェーのトーマス・ストローネンに期待している。ストローネンは音楽が視えている稀有なパーカッショニストだ、おれはこの未知数である単勝万馬券に賭す。ストローネン、いいからはやくニューヨークに出て来てジャズと向き合え。
この作文を。ウイリアム・パーカーにささげる。ニューヨークのジャズ・シーンの中心的な存在であるベーシスト、バンドリーダーだ。会ったことはないけどその人柄はおびただしい数のCDの音に残されている。いや、さ、いまWilliam Parkerとぐぐって彼のサイトにアクセスしてみたら。音楽が流れてきて、おいおいおい、これだよ、と、聴き始めたら泣けてきた。ニューヨークのジャズは鳴りやまない。なんかねー、盆栽の広告文のようなわが国のジャズ業界は恥ずかしいよ。ジャズはもういいわけないです。
2008年12月17日(水) |
グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO) |
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グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(SBYO)
「ブラボー!」
おれは感動しないつもりでいた。シラけるつもりでいた。若きラテンアメリカ人たちが何が悲しくてタキシード着て地球の裏側まで来て、開演いきなり国歌「君が代」を演奏しなければならないのか。人類の歴史は学習していないのか。欧州文明システムでそれは文化の被植民地化ではないのか。1にち2ドル以下で生活している30億の民との連帯はどうしたのだ。文字どおり地球規模でセンセーショナルな興奮を巻き起こしているベネズエラの若きオーケストラ、これがまた人数が多い、ステージが満員状態だあれは100名ちかくいる、と、貴公子ドゥダメル27さいの指揮を聴いて来た。日本とベネズエラの国歌が開演と同時に鳴り響き、超満員の聴衆は総起立状態。おれは冷静に「君が代」がなまっているのを聴き逃さない。得がたい味わいの「君が代」、ラテン風味だ。聴いてみたいだろ、彼らの待望の初来日はNHKによって収録されたのでお楽しみに。ラテンはフランスだ。フランスのジャズ即興シーンではラテン風味は身体化している。フランス音楽に潜むラテンであれば、1曲目のラヴェル「ダフニスとクロエ」が、ツボを心得たあんまに反応するみたいにびくんびくんと飛び跳ねるのはサマになりすぎる。このポリリズミックに反応できるオケと、アルゲリッチが共演したがるのは、昨年のナカリャコフらとのショスタコ盤の熱気からすると至極とーぜんだろう。だけどこのオケ、若さと勢いだけでイケイケどんどんですき間が見える、とまでは言わないが、個々の力量を人数と統率で見事にカバーしているというあんばい。ドゥダメルの指揮はマジックだ。足が地についていないのではと思うばかりのステップで踊る。こ、これは井上道義の南米ヤングヴァージョンと言えるのではないか?お、い、井上道義62さいが4列目に座っているではないか。一瞬、これは千代の富士が初めて貴花田と対戦して歴史のバトンが渡ったシーンを連想したが、まだまだ井上は断然の横綱だ。チャイコフスキーは・・・、彼らは演目は何でもいいのである。チャイコフスキーである必然のないチャイコフスキーのクライマックスの狂騒に満ちたラテンの爆発があれば、わたしたち観客はブラボー!と総立ちになるしかない。もう、やられた。ドゥダメルの指揮ぶりに感染してしまったおれは、山手線内回りの中でドゥダメルになってしまっている。このまっすぐに淀みのない圧倒的な熱気がホールをおおうコンサートに、おれは宗旨がえをしてもいいと考えた。音楽が世界を変える。ベネズエラではこのオケの教育システムで、少なくとも麻薬や犯罪を予防しているのもあるが、ラトルの「子どもたちには他人を批判するという習慣がないのです、励ましあい誰かがミスをすると笑い飛ばします、責めることをしないのです」という発言が示す単純な構えに、なにげに小学校時代のキャンプファイヤーの一瞬に連れ戻される。世界を変えるのはチョムスキーやハートの言説によることではなくして、この音楽のようにおのれの生活を伝播させることによるものではないのか、と、思わされた。そうだなー、楽しむことを至上とするコンサートはドゥダメルや井上のようなちからがないとダメなんだよー。勇気もらった。元気でた!
翌日の朝日新聞に公演の記事があった。ベネズエラ、チャベス大統領って、反米政権なのを知らなかったが。 米国がまたもベネズエラ反米政権に軍事挑発か/週刊金曜日(2008年5月の記事) 「アメリカがベネズエラの反米政権を潰しにかからないのは何故ですか?」■
『エル・システマ 音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策』 (教育評論社)
山田 真一 (やまだ しんいち) 1963年東京生まれ。シカゴ大学大学院博士課程修了。大学教員を経て、文化創造研究所を設立。文化事業コンサルティングやマーケティング、シンポジウム、セミナー等を行う。全国誌、一般誌への寄稿コメント等多数。著書に『アーツ・マーケティング入門』(水曜社)、『オーケストラのマーケティング戦略』(日本オーケストラ連盟)。
目次 序章:音楽は貧困の子どもたちを救うか 第1部:ベネズエラの社会とオーケストラ 第1章・・・遠い国ベネズエラ 第2章・・・貧困の子どもたちとオーケストラ 第3章・・・貧困、犯罪、騒乱の国 第2部:街の合奏教室から社会運動へ 第4章・・・「演奏せよ、そして闘え」−国立ユース・オーケストラの挑戦 第5章・・・音楽教室の指導法−スズキ・メソードの導入 第6章・・・エル・システマ始動 第3部:貧困、社会問題との闘い:オーケストラと社会政策 第7章・・・国民オーケストラの完成 第8章・・・オーケストラを使った社会政策 第9章・・・音楽による貧困からの脱却、社会への貢献 第4部:"芸術後進国"でクラッシック音楽が可能か 第10章・・・400の青少年オーケストラ−エル・システマの現在 補章・・・ベネズエラの経験 終章・・・エル・システマを形成したもの
2008年12月16日(火) |
けいまがでてきたゆめ |
おれはジャンボジェット機になって空を飛んでいる。 うまく風に乗れているのは、いま受けている風向きにある角度と推進するちからとをバランスを取れているからだと体感している。 うしろからもう一機のジャンボジェット機が飛んできている。 バランスを取りつづけていると左旋回をしてなおかつ速度を126から212まで上げることが必要になることをおれは自覚していて、 体を左にひねって前進するちからを肩にこめている。 おのずと螺旋状に上昇していっている。 後方の一機が同じような軌跡を取り始めているのが見える。
これは衝突する可能性があるぞ。
そう思ったとたんにおれは部屋の布団の中にいて、 なぜか不精ひげを生やしたジャンパー姿の小太りのおやじがそばにいて、 ほら、飛行機から落下するように手のひらを使って風をさばきながら 体勢を変えてゆくんだよ、そうしたら空中で向かい合って挨拶したり 輪を作ったりできるよ、やったことあるよね、と言われている。 いやおれはそんな経験はない、と答えると、 そうなのか、この仕事をしていてそれが未経験なのは珍しいよ、 と言いながら、部屋の中にあるおれの本をいくつか取り出して見ている。 自分の蔵書をチェックされているのはあまり気持ちのいいものではないな、 と思いながら、そろそろ起きようと部屋の中を見渡してみる。
テレビの横の本棚に2こ入りのおいなりさんのパックが見えて、 これをこのおやじと分けて食べようと思う。 おやじが、台所の電球が切れているので買いに行こうと言う。 じゃあ起きて駅前のダイクマへ行き電球を買って そのあとライフで夕食の材料を買いながら いろいろ話しながらこのおやじの素性を知ろうと思う。
すると玄関のドアが騒々しく叩かれている。 おれがドアを押し開けて、だれだ乱暴に叩くのは!と声を荒げると、 見知らぬ180センチくらいの高校生が制服とランドセル型のカバンを背負って部屋に入ってこようとしている。 その高校生のうしろに同じ格好をした長男が追っかけてきた様相で、 おい、そこはおれのおやじの部屋だろ!と叱りつけている。 何の事情があるかわからないが、この高校生の行為は無礼であるから、 おれはそいつを押し返し、胸ぐらをつかんで洗濯機の横の壁に押し付ける。 おまえ何やってんだ?と押さえつける。 何言ってんだ、あんたは息子のそばにいられなくて駅前で肩を落として泣いていただろ、とその高校生は言う。 まったく思いあたるふしはないが、そばで長男も見ているわけで、 ばかやろう、息子と離れて暮らしている父親の気持ちなんてそういうものだろ!どこがいけないんだ!と高校生に向かって叫ぶ。
おい、タカヤマ、それはおれの父親だぞ!おれじゃないぞ!と長男が叫んでいる。
この高校生は気がふれているのか。
2008年12月14日(日) |
『The Remedy: Live at the Village Vanguard / Kurt Rosenwinkel Group』 |
(CD評)
『The Remedy: Live at the Village Vanguard / Kurt Rosenwinkel Group』 ArtistShare (2008)
Kurt Rosenwinkel(G), Mark Turner(Ts), Aaron Goldberg(P), Joe Martin(B), Eric Harland(Ds)
DISK1 1 Chords 16:21 2 Remedy 11:37 3 Flute 14:23 4 A Life Unfolds 17:54
DISK2 1 View From Moscow 12:51 2 Terra Nova 11:42 3 Safe Corners 17:10 4 Myrons World 19:13
さあ、がんばろうぜ、みやもとひろじの歌声にのる。春先のある日のディスク・ユニオン新宿店午後7時、おれはジャズのライブ盤が店頭で流れているのをずっと聴いていたのだった。カートのヴィレッジ・ヴァンガード・ライブ2枚組だ。モチアントリオ2000+2のヴィレッジ・ヴァンガード・ライブVol.2(マット・マネリまで参加してんぞ!)、それにブラッド・メルドー・トリオのヴィレッジ・ヴァンガード・ライブ2枚組、と、3種を並べて品評してみたい誘惑に駆られる。・・・つうか、ジャズのジャーナリズムはふつーそうやって話題を盛り上げるだろうが。マガジンのクロスレビュー形式のページを作って。いかんせん、カートのこの2枚組はartistShareという強力な新興レーベルからのリリースで、ネット配信にも長けており、CDの価格も20ドル程度という展開をしている。あ、なんだすでに本盤はグラミーにノミネートされているのか。で、国内盤になっていない。メルドーの2枚組もノンサッチ・レーベルからのリリース(日本配給権たしかワーナー)なのに、国内盤になっていない(あ、こっちは15ドルで買えるみたいだ)。モチアントリオ2000+2のほうはボンバ・レコードから国内盤が出ている、が、ボンバは雑誌広告媒体をあてにしていない(意味わかるね)。したがって商業誌にこの3種が並べて議論されることはないのは自明なのであった。はー。何かいてんだろね。おれはいんだよ、自分でできるから。だけどこれからジャズを聴いてみたい若者、とくに美少女、には、この場をかりてリアルジャズ歴25年のおいらが老爺心ながら下心まんまんで書いておきたいのだ。
カートのヴィレッジヴァンガード2枚組(本作) ローゼンウィンクルといえばターナー、ターナーといえばローゼンウィンクルである。双頭クインテット。2006年1月のライブ。すべて11分から20分ちかくのトラックで計8曲収録。いい感じでだらだら熱気を熟成させるジャムバンドの感覚もロックの感覚アリのまごうことなきジャズ・ライブ。70年代にアイヒャーはブレイキーのジャズは要らないと言ったが、00年代においらは新伝承派は要らないと言える。サックス奏者として今さらながらジョー・ロヴァーノの影響の大きさである。ロヴァーノのトーンがターナーを生んだ。これまでターナーの録音でいまいちなものばかり聴かされてきたが、CD1の1曲目のターナーのソロは3つ星半だ。2曲目のターナーのソロは4つ星だ。で、4曲目のターナーのソロはほとんど5つ星に近い4つ星半だ。4曲目の6分28秒から9分39秒までの、このだらけた巨大なきんたまぶくろがずるずるバスロープをはいずりまわるようなソロを聴いてみてくれ。鼻血が出そうだ。あほ過ぎる。美しすぎる。諸君、これが現代ジャズだ。
・・・続けて、モチアントリオ2000+2とメルドーを書こうと思ったが、これでおしまい。おれが昨年、年間ベストに挙げた『Ferenc Nemeth/Night Songs』もターナーが吹いていたが、そろそろターナーもいい録音が出始めたということだ。artistShareという新興レーベルはたいしたものだ(みんなウェブで確かめてね)。
2008年12月13日(土) |
いましばらくは頬を火照らしたクラシックのコンサート通い小僧でいこう |
いましばらくは頬を火照らしたクラシックのコンサート通い小僧でいこう。 「おやじカンタービレ」の出稿ペースの確立をうまく体調管理とあわせてゆかなければならないです。 このところ休みになると24時間寝ていたりする。
寝て、食べて、2・3時間本読んでまた寝て、夢見て、夢が面白くてまた寝て夢の続きを見れたりするものだから。
テオドール・W・アドルノの『新音楽の哲学』(平凡社)\3200 市田良彦の『ランシエール〜新<音楽の哲学>』(白水社)\2600
そいえば1ヶ月以上前に書いた『The Remedy / Kurt Rosenwinkel』ヴィレッジヴァンガードライブ盤の新譜レビュー、 すでにJazz Tokyoにアップされていると思いきや、まだみたいー。
CDレビューはしのごの書かないと文字数が足りない気がするわけで、おれなんか50字でいいのに、 たとえば
『ユニバーサル・シンコペーション2 / ミロスラフ・ヴィトウス』 こたえはこう。ヴィトウスの“あと出しじゃんけんウエザー・リポート・ヴィジョン”。壮大な1曲目「Opera」で耳を疑うばかりの21世紀のウエザー・リポート然とした音響、ジョー・ザヴィヌルが亡くなったあとだから・・・ ヴィトウスがウエザー・リポート発足時にザヴィヌルと見ていたヴィジョン、ヴィトウスが潜ませたウエザー・リポートの核、を、・・・
『聖地への旅 PILGRIMAGE マイケル・ブレッカー』 レーベルを越えて集結した豪華すぎるメンバーによる『80/81』(ECM1080/81)フォーマットによる生前友人葬だろ。まあそう言うなよ、デジョネットとメセニーがいるからと言って。ギルゴールドスタイン生花店が祭壇担当で。だからさ。坊主がハンコック、見習い坊主がメルドー。いいかげんにしろ。みんないいプレイをしている。Track4のデジョネットの叩きで歌われるメセニーのギターシンセ、Track9のハンコックによるエレピとキーボードの二色染め、を、はじめ。2007年の年間代表作になったマイケル・ブレッカーの遺作・・・
程度の。
2008年12月12日(金) |
「21世紀のジャズ批評」の地平を拓くサイト「コンポスト」が登場! |
いーぐるの後藤さん益子さん村井さんの対談が掲載されていると教わった。 「21世紀のジャズ批評」の地平を拓くサイト「コンポスト」が登場!ついに。■ このまま雑誌になればいいと期待。
対談の中で、後藤さんは益子さんにポール・モチアン、ジム・ブラック、クリス・ポッターを教わったそうなので、 やはり益子さんがいちばんするどいアンテナがありそうだ。 平井庸一のライブのときテナーの若き天才・橋爪亮督に紹介されてご挨拶だけしていたんだ。 一時の座間裕子がニューヨーク・シーンをドキュメントしていたけど、通ずる感性のありようだと推察する。
おれはもうその辺りは決め打ちしているので、聴牌煙草をくわえているだけの老境に至っている。 今年の海外ベスト(@Jazz Tokyo)もそのセンで選考しあとは作文するだけです。
こないだむすめと大井町でジンギスカンを食べたけどやはり松尾ジンギスカンの古い味じゃないといまいちなんだよな・・・。
海外ベストに本音で挙げたいのは「シェプキンのゴルトベルク」だったりするんだ。 「シフのゴルトベルク」と「高橋悠治76年ゴルトベルク38さい」と併せて今年は記憶したいのだ。
日本ものの年間ベストはこういうふうに原稿をまとめて過ごした。
『ソウル・アンド・ロック / 石川晶とカウント・バッファローズ』 コロムビア・ミュージックエンタテインメント COCP-34681 \2100(税込)
年間ベストにこれを挙げてもいいじゃないか。この時代がかったジャズロックなドラミングに惑わされてはならない。いいか、69年の4月に、このフリージャズと即興がジャズロックの体裁に潜んで、しかもこの一見ダサい選曲!で、ミックスの試行が行なわれていたことを、いいか、『クリムゾン・キングの宮殿』が録音された69年の6月に、2ヶ月先行していた!ことだ。そこが重要だ。タイコの石川晶が辣腕ミュージシャンを集結して結成したカウント・バッファロー(ズ)の最初の録音だ。あの佐藤允彦がピアノと作・編曲で参加しているぞ。おんなこどもが好きなレノン=マッカートニー「ミッシェル」を骨格は崩さずにフリージャズと即興でアレンジして聴かせるか?ふつー。このつぎはいでそのまま出してしまう無造作が男気がいさぎよすぎる。もしくはただの熱血おばかさんだ。彼らの代表作はおそらくA面すべてを佐藤允彦が作曲した『エレクトラム』なのだが、おいらは激レア盤であったこちらを挙げてみた。今年、小西康陽の監修で、コロンビア音源和モノ名盤発掘シリーズとして紙ジャケット仕様で再発されたのだ。味わい深いぞ。サンマのわたどころではないぞ。おれはじじいになって、これに酔いしれる。朗々とした「ヘイ・ジュード」のうしろで別次元でフリージャズ演奏してんじゃねー、笑うしかないー。タイコもベースも強靭に上手いし。清原・長渕ファンは心意気で聴け。
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