Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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日記を書かずに過ぎると、何もしていなかったことになるようです。
24日は三軒茶屋の昭和人見記念講堂で日テレ「深夜の音楽会」■(サイトが更新されてないぞ)の公開録画を聴いてきた。この個人サイトに情報あった>■ 沼尻竜典の指揮での三善晃「ノエシス」。ばっちりクッキリの出来。こころもちゆっくり振ってくれたものも聴いてみたいが。
明日は新国立劇場へヴェルディのオペラ「リゴレット」、か、開演は午後2時!だった。夜勤明けでは行けないではないか。
先々週の健康診断では血液も体脂肪も異常なしの健康体へ1年ぶりに復帰したにもかかわらず。 指先の汗腺湿疹がひどくなって皮膚科へ行き、アレルギー性鼻炎もひどくなって耳鼻科へ行き。仕事のストレスだろな。
Jazz Tokyo へ投稿すべしと用意している原稿がたまっている。 仕事中はあれも書きたいこれも着手したいこれにも触れたいとやる気モードで、帰って風呂に入ると本を読んで寝てしまう毎日だし。
最新の投稿について、「おやカン」6・7と夏の能楽や現代音楽、内容はmusicircus>■へアクセスしてお読みください。
もう20日なのか。
昨夜の三善晃作品展II合唱作品のコンサートはただただ素晴らしかったの一言。 感動がまだ続いている。 からだが熱い。風邪ではなく。
焼いたサンマをはしでほどきつつごはんをほおばりながら、 昨日参加した合唱人を通じて三善さんの生命が続いてゆく、その環のなかに 自分もいて、これからも生活するんだと、 (これから夜勤なので)そんな壮大なイメージが台所にふりそそぎます。 たとえばそれが原爆で消えた人たちとつながっているかどうかまではわからない にしても、だれかの生命を思いいたるという心の営みは歴史の中で生きるワタシと してひつようなことだろう。 かみもほとけもころされた時代における、これはたいせつなことだと感じる。
おれは、ちょいとこの世にあそびにきているくらいの気持ちが基本にあり、 そのうち仏壇の位牌になって経文の墨文字の間を飛び回って、 先祖と語らい、祖父とあそび、生まれてまもなく死んだ弟とかたり、
2008年10月19日(日) |
今日の三善晃作品展、合唱編は、さすがにほぼ完売状態だという。 |
日曜の朝。 CDでビートルズ『ア・ハード・デイズ・ナイト』を聴く。 中学生んときに歌詞カード見ながら歌っていたので、いまでも気持ちよく車の中で歌える。
ゆうべの三善晃作品展の感想。
一見ひどい感想のように読めるけど、どの曲にも三善作品の構造の完成度といったものには感動していたことはある。
三善晃作品と特別な縁のある演奏家たちが終結したコンサートだった。
特別編成の弦楽アンサンブルを指揮した沼尻、4曲にわたって的確で鋭いタッチで三善作品を立たせた中川、「響象Ⅰ・Ⅱ」のあとの岡田の独奏で「珊瑚の唄」、に、特別な感動に震えた。ざっと振り返ると、1・2曲目、岡田のピアノでは合わない。3曲目はメゾソプラノの唄法で、そう、ではない。辰巳に委嘱された「鏡」は、パリの学生が分析してみせたバッハとの相似点という補助線はてんで浮かばない。「随風吹動」はフルートの中間部の力んだ演奏はその分結果ロジックが弛んだ全体性となってしまった。弦楽四重奏団は、かっちりとしていただけで揺らぎやサムシングをもたらすところのコンビネーションが不足していた。プレイアード五重奏団は若さを失って余白のない演奏になったところに5にんのそれぞれの現在が垣間見えた。「響象I・II」は中川が岡田をマークするかたちで終始リードしていた。その直後、岡田がアンコールで弾いた「珊瑚の唄」(曲:三善晃)の素晴らしさが「先生、ぼくはいまここにいます」という深い気持ちが伝わった。そして「弦の星たち」で沼尻が、パンフにあったメッセージ以上に熱いバトンを若き演奏家たちに渡していた。
演奏家にも生物系統図のような「系」はあるのだと思う。中川は現代曲を弾くと明らかに映える。岡田はグリーグやショパンなんか弾かせたら世界レベルだろう。演奏家の経年変化というバイアスも考えなければならない。ストリングカルテットのありようにしても同様に。
それで、演奏家を選ぶ作品という考えかたはありなのだろうか。その作品を素晴らしく弾ける演奏家というのは、その演奏家の実力というよりも、「系」に、より束縛されているのか。 和音的な音楽の許容度の大きさ、が、あるのか、それとも単に和音の快楽慣性によってドンカンになっているだけなのか。
今日の三善晃作品展、合唱編は、さすがにほぼ完売状態だという。
ドンキで1.5リットルのコーラがクーポン価格で98えん、を持ってきたく
たきたてのごはんとなっとうをたべながら「しゅごキャラ」をみる
みおわってごみだし
ロストロポーヴィッチがどんなかんじで亡命したのかよむ
『収容所群島』をまだ読んだことがない
派遣法成立後の労働者の現実は大差ないとは言えないのかもしれない
土曜日
朝から孤独な老人たちがあちらこちらでとぼとぼと散歩のふりをするように歩いている
2008年10月17日(金) |
みなのしゅう。明日明後日は午後4時からの得がたい三善晃コンサートである。 |
みなのしゅう。 明日明後日は午後4時からの得がたい三善晃コンサートである。■ どの曲も聴き逃せない、また演奏者もよくぞ揃えたラインナップ。
このところわたしの耳はゴーイング「同じ月を見ていた」とプッチーニ「誰も寝てはならぬ」が交代で鳴り響いている。
三善晃の人生を想像してさまざまなシーンをカットアップしてみるんだ。 東大仏文科の多感な青年がパリで感じた音楽へのヴィジョン。「レクイエム」が初演されたホール。おれが「響紋」にびびった小金井の二階の部屋。名古屋で聴いた浦和第一女子高等学校音楽部(女声合唱)が挑んだ『詩篇頌詠』。杏林大学病院での合唱の夕べ浅井道子のピアノ。
いまからでも遅くはない。予習不可。これまで音楽を聴いたことがなくたっていい。むしろそのほうがいい。 musicircusで>■朝日新聞、毎日新聞の記事も参照してください。
ここでご紹介するのが遅くなってしまった。今夜の上海カルテット@紀尾井ホールは仕事の都合で行けず無念じゃー。人生は一瞬先が闇である。闇を意識することが現在を輝かせている。月を見上げながらゴーイング「同じ月を見ていた」とプッチーニ「誰も寝てはならぬ」が同時に鳴り響いている。
なんとかやっていこうよ・このひとたちは退職金があるからいいけど という場面 輪のような濡れた口 あたまにどくへび? だちょうの子どもを襲う 首をかじるかぎ口の水鳥と 銭湯開店記念レース こないだ3位 40すぎて体を鍛えたら1位をとった 亀田港町(なぜか右上が上の坂になっている)は不景気である 取材した映像記録から決定的な静止画をさがす 仕事 「she loves you」と「from me to you」の違い 英語で言う40おやじが20代の女子のレンアイ対象になぞなり得ないと力説
バスの運転手 車とわたしと女を降ろす バスの運転手は車を図書館に停めて差し上げましょうと降りてくる どうぞ他の乗客のために行ってください ここの駐車場は慣れていますから 十二部屋ある借家 父親が「全部の部屋には無理だろう みなそれぞれ(プライベートも)あるし (ノート)パソコンなんてどこの部屋のものかわからなくなるし 」 5千円するLPレコードを仕方なく購入する 麻雀をしたあとの4人組という設定 パソコン使いのひとりと作家のひとりがこの部屋で会社を設立したと言っている 自分もその会社の一員だという おれが何の役に立つものか参加なぞできないと抗弁すると 3にんはひとりが細野晴臣であとのふたりもミュージシャンであった バンドをやればいいんじゃないの?おれは何もできないけど
2008年10月15日(水) |
「同じ月を見てた」のPVは「くるみ」のPVに接続している説(再掲載) |
これから新国立劇場へプッチーニのオペラ『トゥーランドット』を鑑賞しに出かけます。
ゴーイングの「同じ月を見てた」■
”「同じ月を見てた」のPVが「くるみ」のPVに触発されて制作されたことは間違いない。わたしが断ずる。「同じ月を見てた」がありていなハッピーエンドで閉じている未完成さ(凡庸さ)は、その「くるみ」との接続という先祖返り(痕跡のバトン渡し)をもって補完するしか成り立ちえない(救済されない)、のである。”■
わたしの妄想は間違いだったのですね。さきほど「同じ月を見てた」のPV制作の方から愛情のこもったご指摘を受けて照れましたです。
あの完成されたPV「同じ月を見てた」を未完成などと書いてしまいましたが、これはPV「同じ月を見てた」とPV「くるみ」が同じ強度を持つ作品である、接続するに相応しい、互いの物語りを補完しあいさらなる人生の深みを想像しうる作品なのだという、そういうことを書きたくもあったわけです。
ミスチルの「くるみ」■
2008年10月10日(金) |
ジャズの発火点は今年77さいのモチアンにある現在 |
あれから何日たった?
CDを13枚売っても3960円にしかならなくて、 1Fで四浦さんがヤコブ・ブロなるギタリストを推していて、たしかにターナーやスピード、ローゼンウィンクル、モチアンという共演であり、間違いがない、言わずもがな。 8千いくらCDを買ってしまったものだから、 長女とのデートは所持金3千円で待ち合わせる事態となってしまった。
新小岩へレバニラ定食を食べにくるまを走らせて。 お目当ての中華屋が休みで、南口商店街をぶらついてレバニラ定食を食べられそうなお店を探す。 中華料理としてのレバニラを出すお店だったけど、まいっか。 しょうゆ系のレバニラ定食はまたこんどね。 そのあと港南図書館そばのサイゼリヤでサラダを食べた。

ポールモチアントリオ2000+Twoのヴィレッジヴァンガードライブ2 が、国内盤。 モチアン、ポッター、ゲレナディア、というトリオ。 これだけで現在のジャズシーンの最強だろ? それに、オズビー、キクチ。 このふたりの猛獣を客演側に配置してのクインテットだ。 そ、そして、聴きたまえ、マット・マネリも客演しているのだ(!)。
おれはプーさんにターナーはどうだ?とか突っ込みを入れていたが、 ヤコブ・ブロ盤ではモチアンとターナーは演っているじゃねえか。
ジャズの発火点は今年77さいのモチアンにある現在。 いろいろジャズの未来について心配しても仕方がない。 ここにこれがあるとおれはこの場所で発信しているしかないではないか。
いろいろ整理してJazzTokyoでそれこそサイトを乗っ取る意気込みで 投稿活動をしたいとは考えつつ今日もとりあえず夜勤に向かう。
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