Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年02月29日(金) 高田泰治フォルテピアノリサイタル@東京国立博物館法隆寺宝物館



中野振一郎のチェンバロは図書館通いの日々にゴルトベルクのCDで聴いた。
初めて聴いた瞬間からファナティックな雰囲気が漂う抗い難い強度があった記憶がある。

上野の東京国立博物館にある法隆寺宝物館で中野振一郎の弟子である高田泰治のフォルテピアノリサイタルがあった。

法隆寺宝物館はニューヨーク近代美術館(MoMA)の新館や東京都葛西臨海公園展望広場レストハウスや慶應義塾幼稚舎新館21を設計している谷口吉生(よしお)が設計している。音響的に設計しているわけではなさそうだし、四角のガラス箱の中にフォルテピアノを持ち込んだわけだから、多少はきんきんするかも。

開場して宝物館に歩いてゆくのはなんともいい気持ち。調律師がフォルテピアノを鳴らしている。

座席について開演時間になっても調律師がフォルテピアノを鳴らしている。耳がへんになってきたし。それに調律はだいじょうぶなのか?

演目はハイドンとモーツァルト。

伝統と現代性の交差する建物で現代ピアノの前身であるフォルテピアノが奏でられる場合、おそらく作品を忠実に再現するようなアプローチの演奏に現代性をどう反映させるかというかなりハードルの高い演奏を期待していたのだけれど、個人とか個性にしか帰着させられない表現に起伏のある演奏におどろいた。24日に聴いた関野直樹の破格さにはダイレクトに演奏者の意思が伝わるものがあったが、この日の演奏はとても疲れた。


2008年02月28日(木) 女たちのシアター・ピース 『コワレタイ −昭和の少女たち− 』@紀尾井ホール



モテットの2曲目の響き、だったかな、見た目はおばさんたちだけど、音楽の神さまはおんなだというのは言えてるよなー、と、
ひかりを感じたな彼女たちに、と、スッと感じたところから、すでにこの日のプログラムは仕掛けられていたのだろうか?

『月夜の木馬 女声(童声)合唱とピアノのために 作詞:鈴木敏史 作曲:寺嶋陸也 』(2007)
信州・諏訪の詩人、鈴木敏史(としちか)、の、詩。うおお、野口雨情をこえるこのラインの詩人がいるのか。この、シンプルさ素朴さという形容では済まされない、コトバの結晶。

寺嶋の作曲が、それにまた合っているのだ、おいらはもうコンサートの前半を終わったら速攻でCD売り場に行って「おねえさん、いまやった曲のCDある?」ときいた。おねえさんは「まだCDにはなっていません」という。寺嶋さんのピアノの・・・と思ってCDを手にしていたら、「この2つはすばらしいですよ」ととなりからこの世のものと思えないうつくしい女性が話しかけてきて、「合唱は入ってませんけど」などという。

なんと!それは寺嶋陸也のピアノリサイタルライブ盤2CDとコジマ録音の作品集『大陸・半島・島』という2つのCDだった(写真)。泉鏡花の高野聖になったような気持ち。

女たちのシアター・ピース 『コワレタイ −昭和の少女たち− 』 (2008年女声合唱団彩委嘱新作初演)
詩・台詞・演出:加藤直  曲:寺嶋陸也
「目を閉じて耳を澄ますと」「夢を見る・1」「尻尾」「四日目のデクノボウたち」「男か女か?」「夢を見る・2」「隣のミツハルさん」「コトバ・別のワタシの」「コワレタイ」「ワタシとウタとツキ」「ツキがない−平成の少女たちが歌う」「千の同じ顔をした少女たち」「マイニチ オンナ」「シンゴオ」「終章」の15のパートに分かれている。
踊るわけではないからオペレッタではなくてシアターピースになるのかな。ドレスを着た合唱団ではなく、それぞれ女性としておしゃれをした衣装、和服からジーンズまで、10代から60代までのさまざまな女性たち、が、語り、歌う。ときに昭和の詩人・エロジジイ金子光晴の詩を歌い、語る。コワレタイは「壊れたい」と「乞われたい」であり、「恋われたい」でもあるのか。加藤直が「もしかしたらボクは古代ギリシアの喜劇アリストファネス「女の平和」の現代版を書こうとしたのかもしれない」と書く。
終章で、満月の夜、すべてを投げ出してオンナたちはママチャリに乗って公園に集まる。その集まるシーン、には、それぞれのオンナが投げ出してきたものが彼女たちの歌う声や洋服の柄に映るようなところがあった。寺嶋のピアノがミニマル的だったのでフィリップ・グラス『コヤニスカッティ』さながらに、それぞれのおばさんたちの人生の絵巻物がラッシュする。
いやいやいや、これは加藤直さんの創作ですから。いえいえいえ、合唱団のおばさんたちの絵巻物が見えましたから。

なんともオジサンとして聴いていてひとりひとりのおばさんがいとおしくなるようなすばらしいコンサートでした。

「でもね 子供というのは謎だわ。このお腹の中に 命が芽生える訳よ。勿論 私の子供だわ。 大切に育てるわよね。 けれど 一人前になるかならないうちに そいつ 或る日突然 プイッと見知らぬ他人になってしまうのよね。」
なんか心に残りました。まあ、人間もまた単なる遺伝子の乗り物に過ぎないのではありますから、おれなんかも子どもができた時点で生きる任務終了してんだが。女性にとって、コトバにすると、そんなカンジなのかな・・・。いえいえいえ、加藤直さんの創作?いやいやいや。

こないだ日記で三善晃と宗左近の対談にあとで読もうと思ってリンクを張っておいてて、さっき読んだらなんだかおれが感じたことと同じよなことを話していて、ことさらアマチュアの合唱団を持ち上げてプロをバッシングするつもりはないんだけど、
やはり、合唱団を率いる栗山文昭さんとピアノ・作曲の寺嶋陸也さん、このふたりがまずはすごいんだと思う。プロの板前とホンモノの包丁とまな板みたいな。材料の新鮮さは、合唱団のみなさんの情熱とか楽しみとか熱意といったものなのだ。

パンフレットに栗山文昭さんが書いた短いテキスト「オバ讃歌」、から。
「コワレタイ、コワシテホシイ、コワシテアゲタイ、コワシテヤル、という散弾は、カワイイ少女よ、お母さんです、妻ですわ、どうせオバサンさ、という居直力の強い火薬を装填され、他人というあなた目がけて発射される。その被害の甚大たるや予想すらできない。
当然、あなたの大切なガッショウやら何やらかんらやもコワサレル。
悪夢?でもご安心 みんな「真冬の夜の夢」ですから・・・と言いつつ、昭和のオジサン、平成のジジイは笑いながら去っていきました。
おしまい 」

なんともいい文章。

わたしがこの日読んでいたのはアラスター・グレイの『哀れなるものたち』(ハヤカワepiブックプラネット)で、医者が女性を作り出してしまうゴシック奇譚。オトコとオンナは人類最大の異民族であると寺嶋はパンフレットで書いているけど、思えばオトコが理想のオンナを作り出すというSFはあっても、その逆はない(よね?)。

久しぶりの紀尾井ホール。アンナー・ビルスマとか、フレットワークスを聴いた以来、かな?響きかたが好きだな。

さて、これからは金子光晴のようなジジイになろっと。
(金子光晴が放浪旅で金を得るために描いた春画はなかなかうまい。おい恋ちゃん、高校へ入ったらその画力で春画をたくさん描け。)


2008年02月27日(水) あしたは紀尾井へ寺嶋と合唱を聴きに




あしたは合唱団彩のコンサートにいくぞ。紀尾井ホール、音がいんですよね。
ちょとハンパじゃないピアニスト寺嶋陸也は、作曲もするのかー!
北海道の上砂川炭鉱の黒曜石のようなピアノであることは必至なのですう。これはおすすめです。

おお、紀尾井ホールのアンドラーシュ・シフのバッハ。ぬえええ。こ、これはなんとしても聴かなければ、って、完売だったー。当然かー。
紀尾井ホールでは邦楽もやっているのですね。ほんものの邦楽、義太夫とか長唄とか、聴きたいモードにスイッチが入ってしまったー。

先月の平井庸一グループはベース2タイコ2サックス2ピアノギターというよだれもののクール変拍子複式だったのを失念してしまっていた。
来月はいつやるんだろう。というか、最近の演奏録音を聴かせていただきにまた高円寺に出かけよう。


MOTETS
曲         Victoria

月夜の木馬   女声(童声)合唱とピアノのために
詩         鈴木敏史
曲         寺嶋陸也

女たちのシアター・ピース
コワレタイ −昭和の少女たち−
   (2008年女声合唱団彩委嘱新作初演)
詩・台詞・演出  加藤 直
曲         寺嶋陸也


2008年02月26日(火)



ぼくがいつかお茶碗になったら建物のずっと向こうに見える高くて大きな送電線に乗って。

そうだった、そうだった。そんなふうに同じ曲を何度も聴いて、何度も聴いて聴きすぎて吐き気がするほど聴いてぼくたちは。

Musicircus で更新したコラム、長井明日香さんのベスト10、の文体、に、そんな空をおそわったのだった。

Jazz Tokyo の更新はジャレットインタビュー2と清水俊彦さんの剽窃問題。

インタビュワーの須藤伸義さん、すばらしいインタビューを読むことができて感激です。おいらの質問も取り上げてくださって感謝です。

清水さんの生の軌跡にはそういうことも含めてあったのだな。ジョン・ゾーンや大友良英のライブのほとんど最前列で聴いていた小さなおじいさんの背中の記憶がよみがえる。ぼくは孤独だった。演奏者も孤独だった。清水さんも孤独だった。それを言えば誰もが孤独だったなかで、放たれた音が、演奏者を、清水さんを、おれを、あいつを、あのこを、この未明のひとときにつなぎとめている、ような、甘美な、何かを支えあっているような、起こっていることに身を削がれるような痛み、と?、それはどんなジャンルの音楽にも言えるのだろうたぶん、さあ、おれたちはイカサマだぜ、ただ、この音の真実ってもん、に、


2008年02月25日(月) ゆうべ新宿に向かう途中、J-WAVEでパイロットの「マジック」がかかった




「マジック」は入っていないけど最高傑作トータルポップアルバム「セカンド・フライト」のジャケ。

ゆうべ新宿に向かう途中、J-WAVEでパイロットの「マジック」がかかった。
大学受験で東京にはじめて出てきた夜、男と女が噴水をはさんで裸で向き合う質屋のオブジェ広告に圧倒された高田馬場、
高田馬場は明治通り沿いにある毎日新聞奨学生フロアの2段ベットで、
受験の不安をわすれたくて聴いた携帯カセットデッキ(まだウォークマンは登場していない)、で、「マジック」を。
その時間を思い出した。
28ねんぶりに。
そして明治通りを28ねんぶりに、「マジック」がかかっている間に、その場所を通る。
あのときの「マジック」と、いま聴いている「マジック」が。
つながる。


ちあきなおみがファドを歌ったCDをかりてて。
ゆーちゅーぶで、あった、、これー>
これ、彼女じゃないと歌えない、でしょう?別れの乾杯に毒をもって、です。
これはなつかしい「喝采」> 映像がいいよお


2008年02月24日(日) 関野直樹のピアノ・リサイタル ベートーベンとリストのピアノソナタ



前日の夜からの暴風、地上を走る電車は徐行か運休、練馬区は砂が飛んで風が黄色いのだった。

関野直樹のピアノ・リサイタルを聴きに東京文化会館小ホール。
上野駅公園改札を出るとコンサート会場になっているし、上野公園を見ながら100えんドリップコーヒーで一服するのもだいすき。



・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番 へ短調「熱情」 作品57
 L.v.Beethoven : Klaviersonate f-moll op.57 "Appassionata"
・リスト:ピアノソナタ ロ短調
 F.Liszt: Klaviersonate h-moll S.178/R.21

こ、これは破格な演奏。パンフレットの謳う“情念のソナタ”とはうなずける。
賛否が分かれるんだろうけど、おれは思いっきり買いです。耽溺していると形容してもいい楽曲に対する想い、かなり伝わってきました。
このピアニストが持っている資質はECM的なリリシズムとの親和性が高いものだけど、彼の目指しているものはどこか暖色系なイメージ。
デフォルメされたスピードとの落差による快感と、今後どう付き合って前に進んでゆくのか、また聴きたいピアニストだ。
ジャズや即興に進みたくなったりはしないのだろうか。ハンガリー在住という環境はそうはさせないか。・・・そうか、リストの研究家でもあるのですね・・・。ハンガリー出身というとフェレンク・ネメスがいるぞ・・・。


2008年02月22日(金) 東京混声合唱団第214回定期演奏会、【三善晃+谷川俊太郎の世界2】



指揮の山田和樹。

22日。東京混声合唱団第214回定期演奏会。東京文化会館小ホール。
プログラムは【若手作曲家委嘱シリーズ2】として2曲、【三善晃+谷川俊太郎の世界2】として4曲。

プロの合唱団というわけでさすがに声の出力は違うなーと聴く。少女たちの合唱団は生命力を前に投げ出すようなすごさがあるけど、プロは出力の輪郭を明確にして差し出している落ち着きがある。おにいさんやおっさんの声の前に座ったのも影響しているかも。

だけど、合唱団がほとんど指揮者を見ていないのはおれには納得できない。楽譜と歌詞を追っかけているだけでこれだけのカタチにできるんだぜおれたちはプロだからね、と、言われたとか、そう読んだとか。指揮者の動きが合唱につながっていないようにも聴こえたけれども、つながっていればよかったかもおれにはわからない世界だけど。

どうも谷川俊太郎の詩は若い頃読んだせいか響いてこないアウェー感。
こないだの宗左近の詩による強烈なイメージがあって。おお、こんな対談が>

三善晃の『その日−August 6−(2007)』を聴きながら、弾いたピアニストのポピュラー音楽的な明るい表現ゆえに、もっと無機質で冷徹な楔を打ち込むようなタッチに変換させて聴いているうちに聴き終わっていて、あとからこの曲がつい最近(昨年)に作曲されたものだと知って、なにか聴きのがしたような気持ちになった。このピアニストたぶんジャズも弾けるしウタゴコロでできてるいいタッチ、でもね。

森山智宏の『これが俺達の音楽だ』を、この日はすべて三善作品だという誤認によって聴いていたため、「三善先生はこのような平たい実験的な形態の作曲もした時期があったのかー」「コルトレーン、レイ・ブラウン、リロイ・ジェンキンス(!)の名が歌われる詩を作曲していた時期があったのかー!」「詩からすると70年代か?」と、おどろいて聴いてしまったあとで、新人作曲家の委嘱作品だと知って、耳の整理がつかないようなあとの祭りに。

篠田昌伸の『「Opus」による5つの断章』は、朝吹亮二の詩に惹かれるばかりに過ぎた。

山田和樹のおれなりには好感の持てる(再三言うがわたしはこれでも中学校で全校優勝を果たした指揮者の経歴があるのだ)指揮ぶりなのに、ことに男声団員は曲の始まりと終わりにくらいしか見ていないというのは、この若き指揮者は正副でいえば副ではあるし、甘いマスクでおねえさんおばさん女声団員にはもてもてなのだし、こそっと東京混声合唱団のHPで公演日程を見れば、あぜんとするよな広大なレパートリー、全国津々浦々への旅芸人な毎日、もしかして初見合唱してる、若き日々の個々の作品への想いは奥羽山脈や阿武隈川の景色に溶けて、酒ぐせの悪いのやおねえちゃん遊びにうるさいのや新興宗教やるのやいびきがうるさいのやつきあい悪いのやホームシック、家庭崩壊、長男反抗、老人介護、有休消化、定期昇給、そうはやすやすと芸術に身を捧げさせてくれない、でもプロだものこのクオリティは歌いきったる、というのは男声のおにいさんおっさんから聴こえてもいるおいらの妄想。



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森山智宏:作曲
MORIYAMA Tomohiro(1977-) : <混声合唱組曲>
「これが俺達の音楽だ」(2008年委嘱作品)−初演−
I.これが俺達の音楽だ(ジョージ・レオン:詩/水崎野里子:訳)
II.ラブ・ポエム(ユリ・カゲヤマ:詩/中山容:訳)
III.空っぽの空間(アブラハム・ヴァーゲーズ:詩/水崎野里子:訳)

篠田昌伸:作曲
SHINODA Masanobu(1976-)
朝吹亮二:詩 : 「Opus」による5つの断章(2008年委嘱作品)−初演−
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三善 晃:作曲
MIYOSHI Akira(1933-)

谷川俊太郎:詩 :
<混声合唱組曲>
五つの願い(1988)
I.春だから 
II.子どもは・・・ 
III.願い−少女のプラカード
IV.若さのイメージ 
V.空に小鳥がいなくなった日
<混声合唱曲集>
木とともに 人とともに(1997-2000)
I.木とともに 人とともに 
II.空 
III.生きる
<混声合唱とピアノのための>
やわらかいいのち(2006)
<混声合唱とピアノのための>
その日−August 6−(2007)
(※演奏順未定)


2008年02月21日(木) スウェーデンで活動する若きパーカッション奏者、竹原美歌のリサイタル レビュー




躍動する複雑なリズム、を、彼女は息せき切って演奏を進めていった。おれはこのあいだ聴いたアルゲリッチとナカリャコフとヴェデルニコフのショスタコーヴィッチCDの興奮と同じく、音と一体化していた。プログラムの最後に持ってきたリンドグレーン作曲『メタモルフォーズ I (1985/99)』は、太鼓群、ログ(丸太)、ドラムのそれぞれのリズムが力強く揺らぎ合い、トニー・ウイリアムスのように!、解説にはリズムが時に対話し時に対立しと書かれているがそんなやわではない、彼女自身が作曲者と同体となったごとくの“音楽の手に入れかた”だった。

スウェーデンで活動する若きパーカッション奏者、竹原美歌のリサイタル。北欧の現代作曲家の作品に惹かれて東京オペラシティに出かけた。

スウェーデンの作曲家シンメルードの『WO』は、マリンバ、ヴィブラフォン、コンピューターのために作曲されたもので、サンプリングされた音素材の在りようは、北欧の音響的な音づかいをするロックやジャズの分野の表現者との共通点が窺えるものだった。
2曲目、どういう作品か知らないけれども、金属楽器や竹の鳴る音、太鼓の革の音色、水から空気が立ち上る音、それらの音との戯れあい、に、(彼女が過ごしている)スウェーデンの“自然”が彼女を通じて響いているのを、わたしは明確に認識した。それは単に原始的な音のイメージから来るものではなく、彼女の演奏の音と動き(叩く、こする、耳をすます、何かを想う、何も想わない)、の中に。確かめると、この曲は武満徹がイタリアの美術家ブルーノ・ムナーリからプレゼントされた「読めない本」に想を得た作品とのこと。
ノルウェーの作曲家ヴァリンの『トゥワイン』は、ルードヴィッグ・ニルソンのマリンバと竹原のシロフォンによる、ミニマル音楽の効果を構成した曲。ニルソンのマレットさばきのほうが上手すぎてバランスがやや欠けていたように思う。
ウェールズの作曲家ミーラーの『シャドウ・アンド・シルエット』。マリンバの響きをこれ以上なく引き出したものはない、というとおりの、5オクターブマリンバによる竹原の演奏、テクニカルに走らずロマンチックにも堕しない誠実な演奏ぶりは素晴らしいもので、感動した。
バッハのリュート組曲をマリンバで演奏した後半1曲目。竹原は武満徹のギター作品をマリンバで演奏する中で、撥弦楽器とマリンバの相性の良さに気づいたという。
スウェーデンの作曲家イェスパー・ノルディンの『ロウ・インパクト』。アンナ・ペトリーニのコントラバス・リコーダー、背丈ほどもある床に置いて吹くリコーダー、初めて見て初めて聴くが、打楽器の竹原の演奏と、さらにエレクトロニクスが音を増幅するという実験色の強い作品。音の耳新しさを追いかけているうちに演奏は終わってしまった。
そしてプログラムはリンドグレーン作曲『メタモルフォーズ I (1985/99)』に至った。

竹原美歌のプロフィール、サイトウ・キネン・フェスティバル松本で来日もした小澤征爾の秘蔵っ子、でもいいけど、「スウェーデン王国から4年に一度演奏家一人だけに与えられるインゲマンソンプライスを受賞」、こっちのほうがすごくないのか?

この日のプログラムは、ほんとうに多彩で楽しいものだった。特筆すべきは武満作品とミーラー作品、リンドグレーン作品で聴くことのできた竹原のピュアな演奏の輝かしさだった。透明で芯の通ったその演奏には、・・・彼女の個性という物言いはクラシックではマイナスなのか?、そこにはコンポジションの由来や表現力、北欧の空気のようなもの、が、不可分に存在すると思うが、聴く者をまでを透明にするちからがあると思う。今年PhonoSueciaレーベルよりブリッタ・ビーストローム作曲の打楽器コンチェルト《The Boran in The Trees》のCDが発売される予定とのこと。

彼女がアンコールでマリンバ演奏したのはケージの『ドリーム』。ここだけは北欧のイメージではなく竹田の子守唄のように聴こえた。なぜだかわからないが胸が熱くなるものがあった。


2008年02月20日(水) 「風の谷のナウシカ」を小学生(たぶん)が器楽演奏したヴァージョン



65さいのジミー・ペイジ。
若者へのメッセージは「ガールフレンドは3にんつくること。2人じゃケンカになるけど、3にんだとあきらめられるから。」だと。
いえてる。

「風の谷のナウシカ」を小学生(たぶん)が器楽演奏したヴァージョンを聴く。
この演奏コンセプトを、ギャビン・ブライアーズが試行した未熟な演奏家たちによるポーツマス・シンフォニア、に、つなげて聴くことも可能で、
ブライアーズといえば「タイタニックの沈没」という彼の代名詞的作品があり、祖父がタイタニックに乗っていたという細野晴臣、
その細野さん作曲の「風の谷のナウシカ」なのであれば、・・・という音楽史的な意味も含めて聴くことができるもの。

昨日は初台の東京オペラシティでスウェーデンで活動する若きパーカッション奏者、竹原美歌のリサイタルを聴いてきた。
これがとても素晴らしいものだったので演奏評を投稿しようと思っている。


2008年02月19日(火) ギャツビーのCMの曲、スタイリスティクスの「愛がすべて」。



おれが買ったヴァージョンのシングル盤ジャケ。なつかし。

ひええー。たまんねー。
スタリスティックスのヴォーカルの声、>(この曲が「愛がすべて」ではないけど)
このひとなんていうひとなの?

次男が「ギャツビーのCMの曲」というので、アイチューンで買えば?というと、150えんだった。
ダウンロードできるのって、便利だー。次は音質の供給にどう対応してゆくかだけだと思う。
スタイリスティクスの「愛がすべて」。

聴いていたら中2んときの自分になってしまってあせった!

なんとおれが札幌で聴いていたベストテン北海道のチャートがネットに転がっていた。ち、中2のおれがリクエストしたんだぞっ!

HBC ハロー!ドライバー、ベスト10北海道 1975年12月チャート
12/20 曲 名 アーティスト
1 愛がすべて / スタイリスティツクス
2 ザッツ・ザ・ウェイ / KC&サンシャイン・バンド
3 ディスコ・ベイビー / ヴァン・マッコイ&スタイリスティックス・オーケストラ
4 オリーブの首飾り / ポール・モーリア・グランド・オーケストラ
5 チャイニーズ・カンフー / バンザイ
6 ハッスル / ヴァン・マッコイ&スタイリスティックス・オーケストラ
7 ワインカラーの少女 / ポール・マッカートニー&ウイングス
8 ハイジャック / ハービーマン
9 二人はアイ・ラヴ・ユー / ジョージ・ハリスン
10 バイ・バイ・ベイビー / ベイ・シティ・ローラーズ

えっ!なに?
先月スマスマでスマップとスタリスティックスが共演したんだって?
んぐあー、っ。どっかに画像おっこってない?


2008年02月18日(月)




日曜の朝の学士会館。

品川へ長女を迎えに行き、品川区立中央図書館、杉並区立中央図書館。太田へ行って新田のジョイフル本田、回転寿司日吉丸、太田コープ。次男が高校受験前日。長男インフルエンザ。

『悲劇と福音−原始キリスト教における悲劇的なるもの』佐藤研著。
『ラカンはこう読め!』スラヴォイジ・ジェク著。


おっと、原稿提出の区切りがポッターについて書き出すこと、と、フェレンク・ネメスの『ナイト・ソングス』をつなげる仕儀となりました。


『 図書館通い 1 』 
Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review

小沢健二がマーヴィン・ゲイ・トリビュートに参加したあとスポーツ新聞で「オザケン、モータウンと契約か」なんてファンとしてはにんまりな気持ちを過ごしたあれは何年前なのです?図書館から『M.P.G./マーヴィン・ゲイ』(モータウン1969)借りて、オザケン王子さま期との音楽的リレーを実感している。ミシェル・コルボ指揮の『J.S.バッハ:ヨハネ受難曲』(エラート1977録音)が、四十肩にわなわなふるえながらCDを借りに出かける「気持ちはオッケー、だけどどうしてかせいいっぱい」なわたしのよるべなさとかを漂わせていてはしませんか。

フリッパーズ・ギター解体後にオザケンがソロになって歌った「天気読み」、この曲は月日が経つにつれて新鮮に聴こえる、と、図書館に通うわたしの2008年2月の雪が降った日。ブライアン・ウイルソンが失意のままに「サーフス・アップ」を、伝説『スマイル』を作り上げられなかった「積もり積もった破滅たちがドミノ倒し」と歌った



『ユニバーサル・シンコペーション2 / ミロスラフ・ヴィトウス』

こたえはこうだ。「ヴィトウスの“あと出しじゃんけんウエザー・リポート・ヴィジョン”がこれだ!。」
ヴィトウスがウエザー・リポート発足時にザヴィヌルと見ていたヴィジョン、ヴィトウスが潜ませたウエザー・リポートの核、を、







2008年02月15日(金) 『ホアン・コンドーリ / ディノ・サルーシ』



長男が母親にもらったウルトラマンチョコレート。あれえ?今年はだれもおれにチョコはくれないのか?

図書館で借りたCDをただ聴いて返しているのはなく、なにかコメントつけて、musicircusに掲げるようにしたいと思っていて、
だけどすごく不親切なメモ程度にとどまるような気がして、というのも腰をおちつけて書く時間がないままなおいらのライフタイム、
手がかりだけでも残しておいて、あとできちんと書くからね、どきんちゃん。



『ホアン・コンドーリ / ディノ・サルーシ』
Juan Condori / Dino Saluzzi Group
91年の『モホトロ』は鮮烈な印象を残すアルバムだった。83年のショックに近かったECMデビューソロ作品『カルトラム』との2枚をおれはサルーシECMのベストだと考えている。で、別格としてクリステンセンとのデュオ『センデロス』、これについてはこう記述した>(もうちょっとうまく書けなかったものか、だけどジャズのフィールドで年間ベストに掲げられる代物だったんだ)を挙げる。
『モホトロ』は、サルーシの弟や甥、息子からなるファミリープロジェクトによる作品で、アルゼンチン録音だった、と、さっき知った。そだったっけ。16年も前のことだから忘れてしまった。いかん、作品の鮮烈な印象のデテイルもなんかうろおぼえになってるし。まずいじゃん、それ。
で、この『ホアン・コンドーリ』は、そのファミリープロジェクトの91年の『モホトロ』以来の作品、なのであった。
「サルーシは判っている。アイヒャーECMでのこのファミリープロジェクトの響かせかた、を。」と、最初に書いておいたほうがいいだろう。CDジャケの、夏の空に向かって聴取を投げかけたくなるような魅惑的なイメージ、まるで北海道のニセコアンヌプリを連想するような、カラーで見せてみろ、と、言いたくなる・・・、なるほど、カラーでないところが意図と一致か。このファミリープロジェクトが本来所持している生々しい演奏の欲望(カラー)は、アイヒャーECMの録音場所にあって抑制されている(モノクロ)のが演奏の背後に聴きとれる。で、それはそれで製品の当然の成り立ちであって、否定するところではない。生々しい演奏の欲望のままだと、けっこうつまらない作品になる可能性だってあるわけで。16年ぶりの『モホトロ』、ということでは、あの鮮烈さはない。このジャケをながめながら聴いていると、どこか哀しくもなるような暖かくもあるようなノスタルジックに浸れて気持ちがいい。でも、それでいいのだろうか。おれがECMリスナーを飛び出してジャズや即興の座標軸を手に入れようともがいたのは、この自閉の心地よさ、に、原因があったのだけど・・・。うへえー、なんなんだよ最終トラック「チリガーノ」のスローな陶酔感はよお・・・、エレキベースのつまびきに導かれて、おまえらいい仕事しすぎだって。でもおれ買わない。


2008年02月14日(木)




サイモンとガーファンクルの「アメリカ」の歌詞のように。

ぼくは眠っているかのじょに言う、
``kathy, i'm lost,'' i said, though i knew she was sleeping.
``i'm empty and aching and i don't know why.''

はじめてのようにおんがくをきく。

どんな表現で、聴いた音楽の成り立たせているポイントのほんの一部でもいいしそこに至っていないのはわかっていても引きたい補助線みたいな指摘でもいい、書けるか。いいセンいってると思うときもあり、しかしすぐにごみのようにしおれてしまう。はじをさらしているし。

きよちゃんたんじょうびおめでとう

トニー・ウイリアムスの『スプリング』をきく。
ウェイン・ショーター サム・リヴァース ハービー・ハンコック ゲイリー・ピーコック トニー・ウィリアムス


2008年02月13日(水) 『Shostakovich: Piano Concerto No. 1; Piano Quintet; Concertino for Two Pianos』




『Shostakovich: Piano Concerto No. 1; Piano Quintet; Concertino for Two Pianos』

Alexander Vedernikov (指揮), Dmitry Shostakovich (作曲), Mischa Maisky (Cello), Swiss-Italian Radio Orchestra (オーケストラ), Lilya Zilberstein (Piano), その他


悲鳴が聞こえるような名演だ。さぞかしショスタコーヴィッチはおのれの所作に驚いただろうし。いきなり乗らされたジェットコースターにつかまったまま、手を持ちかえるいとまなし、聴いた者は唖然とするだろう。で、なにこのペット、ナカリャコフまんまな深剃り鋼鉄製な鳴り、クラシック界というのはおそろしいところだぜ、こんなペットがうじゃうじゃ居るのか?・・・(CDのクレジットを確認する)、なんでえ、ペットはナカリャコフ本人じゃねえか、それはさておき、いずれにしてもアルゲリッチの独壇場、ディズニーアニメの最速のピータパンの駆け、美女と野獣の格闘シーンをミックスコラージュしたかのような、まさにヴィジュアルなオーケストラとのこの一体感・・・、一体感?、そんなんじゃない、演奏家全員が音楽の速度になってしまっている、ことに、聴衆も、おれも、演奏が終わった瞬間に、知る。そして、思わず悲鳴をあげて拍手をしてしまうのだ。

すごいなあ。すごいよ。指揮者、オーケストラも。


2008年02月12日(火)




ウィルコムのあたらしいケータイの色はガルバレクの『Rites』の色。

2月20日に発売される岩崎洸(チェロ)の『バッハ:シャコンヌ 無伴奏チェロ作品集』にはマユズミ作品が収録されているぞ。ぞ。
と、アマゾンからメール。ひえ。かせがねば。

きよちゃんのたんじょうびだし。くりのべてきた4にんの子どもたちへのお年玉の支給もそろそろ限界だし。

ポトラッチ・レーベルから中村としまると誰だかのデュオというのが出ててさっきまで聴いていたので、聴きながら考えたことを書こうとしているうちにもえないゴミだしの日だと気づいてゴミだしているあいだにせっかくいいフレーズが思いついたのにわすれてしまって。

古川日出男の『アラビアの夜の種族』を数ページ。これ、まじやばい。

ねえさんにおそわったまめもやしのプルコギを作ってたべた。うですぎ。みずきりぶそく。でもおいし。

林光の『アイヌの歌』(1960)を聴く。おれ、アイヌの歌は現地で聴いてるんだけど。ど。どうなの。


2008年02月11日(月) DVD『Play Your Own Thing: A Story Of Jazz In Europe』




全国3000にんの隠れアイヒャリアン(盲目的ECMファンのこと)のみなさんこんばんは。日本支部長のただです。

ヨーロッパジャズの歴史を映像化したすばらしい作品があるという。先輩アイヒャリアンよりおそわった。
アマゾンより安いHMVでは3月8日入荷らしい。

DVD『Play Your Own Thing: A Story Of Jazz In Europe』

サンプル動画のイントロはスクラヴィス!おおお、太ったけど、演奏がすごくなってる。
案内役はガルバレクが英語で。だそう。
スタンコの演奏を見守るアイヒャーの場面もあるとか。

『ドイツの映画監督ジュリアン・ベネディクトによる、ヨーロッパ・ジャズシーンの変遷を描いたドキュメンタリー。ジャズがヨーロッパに渡った第二次大戦後から今日に至るまで、本場アメリカから受けた影響やヨーロッパ独自のジャズに発展するまでの流れをたどる。Chris Barber, Jan Garbarek, Jullette Greco,Stefano Bollani, Till Bronnerほか、ヨーロッパ・ジャズメンのアーカイブ映像を多数収録。Miles Davis, Louis Armstrong, Duke Ellington など本場の大御所たちの顔も見られる。本作はベネディクト監督のジャズ・ドキュメンタリーの3 作目。高尚すぎることなく、かといって旧作の焼き直しになるわけでもなく、むしろ自身のジャズへの思いがこめられた映画作品といえよう。珠玉のパフォーマンスが堪能できる秀作。』


登場するミュージシャンたち

Arild Andersen Georg Baselitz Django Bates Stefano Bollani Till Bronner Dee Dee Bridgewater Richard Cook Wolfgang Dauner Karl-Heinz Drechsel Manfred Eicher Jon Falt Jan Garbarek Michel Godard Dexter Gordon Dusko Gojkovic Juliette Greco Arve Henriksen Anders Jormin Krzysztof Komeda Joachim Kuhn Paul Kuhn Slawomir Kurkiewicz Gerard Lavigny Albert Mangelsdorff Marylin Mazur Palle Mikkelborg Pino Minafra Michal Miskiewicz Niels-Henning Orsted Pedersen Enrico Rava Antonello Salis Klaus Schultz Coco Schumann Louis Sclavis Martial Solal Tomasz Stanko Bobo Stenson Stan Tracey Rene Urtreger Christian Wallumrod Marcin Wassilewski Ben Webster Richard Williams Robert Wyatt Joe Zawinul


2008年02月10日(日) ミルハウザーの『ナイフ投げ師』




ミルハウザーの『ナイフ投げ師』(白水社)(翻訳:柴田元幸)がいい。
図書館通いしていて、ウィリアム・サマセット・モームの『ドン・フェルナンドの酒場で』(原書房)以来にいい。

駅前のあゆみブックスで、松岡正剛コーナーが特設されてて、「遊」の1008号「音界生命束」が売っていた。
秋山邦晴と阿木譲の「音の補聴記」という10枚LPレビューをやっている。往年のフールズメイトだなこれは。
おれにとっての「遊」は、まりの・るうにいの挿画だったのだ。

松岡正剛の『日本という方法―おもかげ・うつろいの文化』(NHKブックス)を買う。
これは大学受験をひかえたけいまくんに読ませよう。

丘山万里子さんのカデンツァ「評論/ジャーナリズム/音楽ジャーナリズムを考える」を読む。
ここでもでてくる松岡正剛。
ああ、そういえば。いーぐるの連続講演会へは皆勤賞ものだったのだけど、アウトゼアやめてからだから7ねん行ってないなあ。

今日も土星は音を聴いている。稲垣足穂がいたときと同じに。


2008年02月09日(土)



グルジアの響き。行けなかったー。

あさ9じはんに布団に入ったんだが。
ついアニメ「しゅごキャラ」を観てしまい、エンディングテーマが、ボーノ!の新曲になっていて!つい、こうふんしてしまい・・・(ここで38分睡眠時間ロス!)

寝入りばな。
グラナディアのつづきを書かねばならん。ヨハネ受難曲て、ヨハネの伝記を読まないと。駐車場のヨハネ、町田町蔵+北澤組。町田康は作家でなくやっぱ歌つくってほしい。岡村靖幸のCDはいまのうちに買っておかないとな。動くアイヒャーやECMミュージシャンが観れるDVD、2まいは注文しとくか。ほんとスティーブ・レイクはいいひとだ。カンチェリの作品で「深甚な悲しみが微かな一音で決壊していく」というのは、ど、どんなひびきなのだろう・・・。

・・・ばくすいしたままだった。ごご1じに起きれなかった。

なに!「グルジアの響き」には、悠雅彦さんも、グルジアのお相撲さん3にんも、聴きに来ていた、という。・・・さ、サインしてください。

こないだヴィヴァルディなんて聴きに行ってから、あの甘い響きと、才能ある若きヴァイオリニストがマーケットに応じている痛々しい実際と。

せかいせいふく。


2008年02月08日(金) 「大キライなフュージョンで泣けそうな自分が嫌」




雪が降り始めたひとりで歩く夜の歩道で。
太陽肛門スパパーンのサウンドとバタイユの「太陽肛門」テキストが交差している、そんなかんちがいはおれだけか?
おれが住んでいるところは、「尾崎豊が過ごしたのは光が丘、豊島園、自衛隊駐屯地をむすぶトライアングル」というところ。

岡村靖幸が復帰したとたんに3度目の麻薬所持で捕まる。J-POP史の痛手だ。

ミスチルの「Surrender」で、「大キライなフュージョンで泣けそうな自分が嫌」という歌詞があって。
仕事も見つからなくて部屋にはふとんとラジオしかなかった午前中、ラジオから鳴ったパット・メセニーの「フェイズ・ダンス」、『アメリカン・ガレージ』のスタジオテイク。
これのことです。

メセニーの新譜が出るのか。

ぜんまいざむらい、じゃん、じゃん。


2008年02月07日(木) ECMファンに告ぐ トビリシ弦楽四重奏団公演案内



全世界のECMファンのみなさん、こんにちは。コンサート情報です。

ト、トビリシ!
ヤンスク・カヒーゼおじさん(Jansug Kakhidze)が心臓発作から生還して故郷トビリシを想って歌った「ムタツミンダの月The moon over Mtatsminda」が耳に鳴り出す。この曲は、アイヒャーが何かの機会にガルバレクに聴かせたところ、即座にガルバレクは涙し、この録音を収録した自分の作品を作ることを決意し、アイヒャーに申し出たという逸話を持つ、特別な曲。ガルバレクは集大成となる2枚組『Rites』を発表する。自分の関与しない録音物を、自分の作品、それもキャリアの集大成を図る作品の中核に据える、という、それくらいの曲。ずばり、ガルバレクはこの作品ののち、すさまじい即興を放つサックス奏者に、それこそ、老境に至りて、なお神がかったというべきか。ガルバレクは鳴るものが聴こえたのだ。

グルジアの響き。

うー、夜勤シフトさなかの午後2時に上野かあー。行けるかなー。行くぞけんけん。わんわん。


トビリシ弦楽四重奏団結成10周年記念東京公演 
「グルジアの響き」
トビリシ弦楽四重奏団 & 田隅靖子(ピアノ)
2008年2月9日(土) 2時開演
東京文化会館小ホール
一般4000円 / 学生2500円
企画:冬チェンバロの会

< 演奏曲目>

ヴァジャ・アザラシヴィリ : 弦楽四重奏のための「祖国グルジアの風景」より
Vazha Azarashvili : 5pieces for String Quartet from “The pictures of my country”
イメルリ/あなただけに/ラブ・ソング/ユーモレスク/チェラ

スルハン・ツィンツァゼ : 弦楽四重奏のための8つの小品
Sulkhan Tsintsadze : 8pieces from “Miniatures for String Quartet”
スリコ/インディミンディ/チョングリ/サツェクバオ(舞踏曲)/ツィンツカロ(早春)/
ソプルリ(田舎の踊り)/蛍/口うるさい女房

ヨセフ・バルダナシヴィリ : ピアノ三重奏曲 「ビゼーの思い出に」
Joseb Bardanashvili : Trio piano violin and cell “In memory of G. bizet”

オタール・タクタキシヴィリ : ヴァイオリンとピアノのための3つの小品
Otar taktakishvili : 3miniatures for Violin and Piano

ギア・カンチェリ : 弦楽四重奏曲「夜の祈り」
Gia Kancheli : String Quartet “Night prayers”


2008年02月06日(水) 『ねこ鍋』




『ねこ鍋』って写真集。くー、たまんね。

また、ねこかいてー。

こないだ中国行って、サルの脳みそ食べる、て、
注文受けたら、即、そこいらはしりまわっているサルをつかまえたと思ったら、
額のまゆ毛の上あたりを水平にスパンと刀で切り飛ばしてしまって、
サル、何されたかわからずに、目をきょろきょろさせてて、
額の切り口からじわっと血がしたたりさがるような状況に、
丸見えになった脳みそが鼓動に合わせてうにうに動いている、
それをスプーンですくって食べるわけだけど、ひと口たべてやめちったわ。

と、知り合いが話していた。

ほ、ほんとですか。


2008年02月02日(土) 更新されたECM新譜情報




ガルバレクとマズールのデュオ、このジャケが人工美とエロティックを放っていて、美術ではこういう作家いたような気がする。おしっこのプールに花を入れて撮った写真とか?ちがうか。
ECMジャケの新時代を感じさせるような1枚。

なんか、ECM好きのかつてのおれの耳がうずきはじめているぞ。

いまのガルバレク、とんでもなく強くて微細で、ほんとすごいソロをとる。なんだろ、ジジイになって、化けた。その意味でデュオというのはいい選択。マズールは野生味たっぷりなおおざっぱな推進をするはずなので(マズールは繊細に叩いてもごろごろうるさい)、ガルバレクがどう神輿に担がれるかが聴きどころ。

更新されたECM新譜情報。>



マリリン・マズール Marilyn Mazur 《エリキサ(錬金薬) Elixir》

マルチン・ボシレフスキ・トリオ Marcin Wasilewski Trio 《睦月 January》

キース・ジャレット/ゲイリー・ピーコック/ジャック・ディジョネット
Keith Jarrett / Gary Peacock / Jack DeJohnette セッティング・スタンダーズ「ニューヨーク・セッションズ」
《Setting Standards New York Sessions》

ミシャ・アルペリン Misha Alperin 《ハー・ファースト・ダンス Her First Dance》

ケティル・ビョルンスタ/テリエ・リピダル Ketil Bjørnstad/Terje Rypdal 《ライフ・イン・ライプツィヒ Life In Leipzig》

ニック・ベルチュ:ローニン Nik Bärtsch's Ronin 《ホロン Holon》

チャールズ・ロイド Charles Lloyd 《雲のかけら Rabo de Nube》

エヴァン・パーカー Evan Parker トランスアトランティック・アート・アンサンブル Transatlantic Art Ensemble
《ブーストロフィードン(犂耕体[りこうたい]・牛耕法) Boustrophedon》

ノーマ・ウィンストン/グラウコ・ヴェニエル/クラウス・ゲジング Norma Winstone / Glauco Venier / Klaus Gesing
《ディスタンシズ Distances》


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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