Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEXpastwill


2008年01月30日(水) 歴史は作られた2




天国のストラヴィンスキーせんせい。
あれから50ねん。
白髪をあたまにアデランスして思うのです。
わたしは、ほんとうにこれでよいのでしょうか。
いまさら作曲者が楽譜を介在させて描いた音楽の生命を表現をしたいだなんて言えないんです。
本も書いてるし。それで名をなしてしまったし。


2008年01月29日(火) 歴史は作られた




「ス、ストラヴィンスキー先生、こ、ここの楽想は、やはり楽譜どおりにカッチリとカンペキにやりたいんですけど・・・。」
「(うおおお)きみはカンペキ(なハゲ)だねえ、若いのに。」
「あ、ありがとうございますっ!解釈など一切いたしませんっ!」
「(とほほ、まいっか)で、きみの名は?」
「ブーレーズといいますー。」
「(わはは、ブレない、ってことだね、で、ブーレーズ、なんちて・・・)自ら(の名前)が示すままに前に進みなさい。」
「わっ、わかりました!」


2008年01月28日(月) 指先の手湿疹と「しょうが紅茶」



2006年10月から2007年8月ころまで、指先の手湿疹にかかっていた。

手湿疹にもいろいろな形態があるようなのだけど、おれのばあいは、指先の皮膚の一部が米粒大に痛痒くふくれてきて、皮膚が破れ血が噴き出し、その破れが周りに伝播してゆく、それが止められない、という、おそろしいもので、これから破れてゆく皮膚、破れた直後で乾いてゆく皮膚、再生してゆく皮膚がまだらの様相で、指先の第二関節まで。両手の小指を除く8本のうち、つねに3〜5本がその症状。親指と人差し指はつねに主戦場となっていた。

皮膚科に通ったが、ステロイドを出されても、余計にひどくなったり、かなり強力なステロイドまで段階的に使用もした。でも、治らず。

治ったのは、いちおう石油成分を含まない石鹸やシャンプーを使用したことも一因としてあると思うけど、決定的に思われたのは「しょうが紅茶」だった。

ティーバックにお湯をそそぎ、市販のチューブ入りのしょうがを3〜5センチ(も!)入れ、純粋ハチミツを適当に加えて辛くないようにするもの。

毎日寝起きに飲んでいたら、1週間ほどで症状が改善されていった。

「しょうが紅茶」は風邪のひきはじめに飲んだらいいとか言われている。からだが内側から温かくなってくるのがいいのだと思う。

46さいにもなってくると、運動をどれくらいしているかとか、睡眠はどんなだったかとか、そんなことが気持ちのありようや言葉の選びかたとか、音楽を聴くときの受信状態をまで左右しているのが、なさけないかな、実感する。元気がないときは「しょうが紅茶」を飲むと1時間もすると仕事に行けるようになる。会社でもへこんでいる同僚がいると「しょうが紅茶」を一緒に飲んだりしている。

音楽を聴くときは、その体調であることが前提条件で、もうひとつ、聴くまでの気持ちの引き金がいるのだけど、それについてはまだわからない。


2008年01月27日(日) 新交響楽団第200回演奏会 黛敏郎/バレエ音楽「舞楽」



新交響楽団第200回演奏会
2008年1月27日(日)14時開演
曲目 芥川也寸志/交響三章
   黛敏郎/バレエ音楽「舞楽」 
   ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」 
指揮 小松一彦
東京芸術劇場大ホール

ストラヴィンスキーの「春の祭典」を一度はライブで聴いておかなければならない、と、
46さいになったわたしは気分は「おやじカンタービレ」状態になって、睡眠時間を削ってまで聴きに出かけるのであった。
というか池袋の東京芸術劇場大ホールは、寝床から席まで28分。・・・でもな、おれはこのホールの音はぜんぜんわからん。

おれが感動した「春の祭典」は、ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団、のほうではなくて、
ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団、のほうだ。CDで音楽が見えるような経験はそんなにない。

出会ったのが黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」、これって雅楽そのままじゃね?と聴いたら、解説にそう書いてあった。
黛敏郎は天才だね。黛敏郎作品はちょっと追っかけしなければ。


2008年01月25日(金) 都響・第657回定期演奏会 三善晃:オーケストラと童声合唱のための「響紋」



待ちに待った25日。

都響・第657回定期演奏会Bシリーズ

ブーレーズ : ノタシオン
三善晃 : ヴァイオリンとオーケストラのための「アン・パサン」(通り過ぎながら)
三善晃 : オーケストラと童声合唱のための「響紋」
ディティユー : 交響曲第1番

サントリーホールで聴く。

年末に聴いたNHK東京児童合唱団のコたちに再会するとは。
あたりまえか。
にしても・・・。100人を越えるおんなの子たちによる「響紋」。

これまで幾度と「響紋」を聴いた方もこれだけの規模のものはなかったとのこと。

これはもう出来不出来など物を言うところのものではない。
クラシックというのはすごいな、こういうふうに永遠の生命を持った作品、というものを、その場で再現される表現として、存在させる、のか。

ぼくの座席は三善先生のななめ前で、「響紋」のステージ設営を見守る三善先生の瞳の表情を拝見することができた。
ぼくはいろんなことを考えた。


2008年01月24日(木)



24日。
午後6時すぎ。灯油とガソリンを補給してドトールでイタリアンパニーノのペスカトーレをたべたあいだに、地平線の団地のすきまぎりぎりにわずか浮かび上がった丸い月が、暗いオレンジ色がかった不吉な光を放っていたのが、500メートルも上空に移動していて、今夜はバンプの1曲目を入れた編集CDRを作れば?と言う。何を発信している?おまえ、ゆうべはどこへ行っていた?

昨夜午前5時15分の暗闇にヘッドライトをつけて仙川二丁目で右折した。
三善先生がおられた桐朋学園の前を通り過ぎた。


2008年01月23日(水)



ポール・モチアン・トリオ2000が2年連続してリリースした『Paul Motian Trio 2000+One / On Broadway Vol. 4 or the paradox of continuity』Winter&Winter 2006、『Paul Motian Trio2000 +2 / Live at Village Vanguard, Vol.1』Winter&Winter 2007を最初の2枚に。

ポール・モチアン(ドラム1931〜)、ラリー・グレナディア(ベース1966〜)、クリス・ポッター(サックス1960〜)。
ビル・エバンス+スコット・ラファロとの伝説的なピアノ・トリオから、ポール・ブレイとのトリオ、キース・ジャレットのアメリカン・カルテットを経て、80年代になると若きジョーロ・ヴァーノとビル・フリーゼルを抜擢したトリオ(彼らはニューヨーク・ジャズ・シーンの演奏モードを変えたとさえ言われている)を始動させ、さらに菊地雅章とゲイリー・ピーコックとのトリオ“テザート・ムーン”、自己のエレクトリック・ビバップ・バンド(ここでの若手登用の炯眼もすさまじい)、と、今年77歳になるとは信じがたいジャズ界のマイスターぶりを示すポール・モチアン、その彼が99年に第1作を出していたのがこのトリオ2000で、グレナディアはすでにブラッド・メルドー、パット・メセニーとの重要な仕事を成していたにせよ、サックスのクリス・ポッターについては、よくもここまで化けたか、と、思わせる、泣く子も黙る出来。

前者、トリオ2000+One、は、このトリオにレベッカ・マーティン(ヴォーカル グレナディアの奥さん)、菊地雅章(ピアノ)のどちらかが加わったトラックにより構成された作品。選りすぐりのスタジオテイク集であり、奇跡的なものさえ感じる演奏ばかりだ。1曲目、どうしてこう何気なく吹き始めたようにしてポッターは、痺れるようにスローな、まるで寝起きのカップルの愛撫のようにたどたどしくも語ってゆくのか、演奏する4人とも「あ、これは訪れているな・・・」と感じたに違いなく、2分30秒に菊地が絶妙に受けて続ける、しばし、3分12秒のところで菊地が手放したソロのあとのポッターの受け、この受け、そして菊地とポッターの併走の夢のような時間。4・5曲目は「Never Let Me Go」を菊地からインするか、ポッターからインするかの違いで、続けて収録されて1曲にも聴こえ、どうしてそんなに物怖じせず自由なのか?ポッター、ここでの4者の演奏が一番すごいかもしれない。11曲目の「I Loves You Porgy (8:07)」は、頼むよプーさん、どんだけえー、というくらいの沈み込みと痙攣美に冒頭から。この曲、どうしたって、ジャレットが闘病後にパーソナルな愛情を綴ったグラミー賞『The Melody At Night, With You』を連想せずには聴けないだろう、彼らもまたよもやとも思う菊地の世界、菊地渾身の突き詰めた現前、世界に放つ唸り、しかしそれだけでは奇跡に一歩足りない、そこで、だ、3分42秒に入ってくる、だらけてはいるけど大きいんだおいらのちんちんはだから大きくしておくれぼくのハニー、と、まさに言わんとするポッターの登場が驚きなのだ。これは大物だ。いやー、それを受けてのこの4者のまとめかた、祝祭が入る、ミーハーだけど、おれはこのトラックを一番に買う。レベッカ・マーティンのトラックに触れないですまない、彼女の他作品は知らぬが、ここでのヴォーカルは見事にカサンドラ・ウイルソンを外強襲ハナ差まで詰め寄るもので、彼女のトラックとの相乗効果も、この盤をチーズとトマトが挟まったハンバーガーのように支えている。プーとだけのトラックで埋めなかったモチアンの創造に対するバランス感覚と読む。

アイラーをして、天才だという。天才だとしか言えないのか。ウタゴコロである。オモテに出てこれないウタゴコロを内側に秘めるテクネー、生まれ持った技法が彼のヴォイシングであり、それはコードや学理という外側からの分析定規からはこぼれ落ちる。ズレが生じる。瞬間的な運動体としての図形・ヴィジュアルな美、としか言いようがない現象に対して。放っている音自体そのもの、と、弾く者が知覚の内側で動かしている瞬時に釣り合わせている論理のようなもの(落ち着きどころ、黄金比、楕円における焦点、放物線の頂点、微細により決定する踏み越えのトリガー)。ポッターのサックスの運び。菊地雅章のピアノ。それはスイング感というものにもあてはまる。ポール・モチアンがコントロールしているスイング感。内側で成り立つスイング感。時間の伸び縮み。・・・というふうに言わんとするところは言い得ない。コトバもまたオモテの分析定規か。ではない、おれの未熟だ。

後者、トリオ2000+2、ヴィレッジ・ヴァンガードVol,1。
モチアン、グレナディア、ポッターの3人に、グレッグ・オズビー(アルト)、菊地雅章(ピアノ)。クインテットとは名乗らない5人のライブ演奏。最初に書かせてくれ、1曲目、の、モチアンの叩き、は、ポール・ニルセン・ラブだぜ!こ、これが76さいのジイさんの演奏か?
Winter & Winterレーベルの創立者ステファン・ウインター自身ががライナーを「ヴィレッジ・ヴァンガードでのポール・モチアンTrio2000+Twoによる忘れられない一週間のライブの模様を記録している。」「ウインター&ウインターはこの一週間にアルバム三枚分を録音した。」と誇らしげに記述している。ステファン・ウインターは、言うまでもなく85年にJMT(Jazz Music Today)レーベルを立ち上げ、スティーブ・コールマン、ティム・バーン、グレッグ・オズビー、カサンドラ・ウイルソン、ジャン・ポール・ブレリーらのM−BASE一派をシーンに問い、テザート・ムーン、マーク・ジョンソン、ユリ・ケイン、ジャンゴ・ベイツを手がけた、「おそらく後の歴史家は、20世紀の音楽としてジャズについて多くのページを割き、パーカーやマイルス、コルトレーンの名とともに、三人のドイツ人プロデューサーの名前を並べることだろう。アルフレッド・ライオン(ブルーノート)、マンフレット・アイヒャー(ECM)、ステファン・ウインター(JMT〜Winter & Winter)である。」という存在。
ポッター、オズビーとサックスがツインだぜ。ライブの鬼、菊地が取り乱してしまって焦ってさえいて、トラックと時間表記する?、オズビーと菊地があくまで客演扱いされてはじめて互角の創造力学関係が築かれているモチアンの狙い、繰り返す、モチアン自身の目の据わった叩き。どうするよ。
おれはもう今日は書き疲れた。

なぜ日本のジャーナリズムでポール・モチアン・トリオ2000が等閑視されているのか、と、闘病中の師匠にこぼすと、なに、背景には、Winter & Winterレーベルを日本でディストリビュートしている会社がユニバーサルでもEMIでもないことがある、ボンバだろ、ボンバの社長は雑誌媒体はアテにしていない、店頭のジャズ・ファン、耳で探すジャズ・マニアに手が届くようにしているだけ、と、それこそがジャズ的であるだろうに、と、言われる。

ちょっと。ベースのグレナディアについて書いてないな。『パット・メセニー=ブラッド・メルドー/クァルテット』




やた。品川区立品川図書館でヴィトウスの『ユニバーサル・シンコペーション2』を借りれた!メンツ的にはノーマークなのだが、ドイツ批評家大賞をとったというのでいちおう検証しておかなければならない。・・・遠くジャズから呼ぶ声が聴こえ。ジャズサイト『Jazz Tokyo』の2007年この一枚に年間ベストを発表した。多数決でいくと、マイケル・ブレッカー『聖地への旅』、藤井郷子ミンヨウ・アンサンブル『風神雷神』を検証しなければならないところであるが、聴いてない。渋谷毅の2種ピアノソロも聴いてない。どどとおる、というピアニストも聴いていない。すべからく東京都の区立図書館のみなさんの仕入れにかかっている。(E,S,Tとかバッドプラスとかつまらないことはいたいほどよくわかったのでそろそろ仕入れをやめてね。)


2008年01月18日(金) 25日はいよいよ三善晃作品が。



秋葉原。再開発されたあたり。

インフルエンザから復帰してから。
「ロヴァ耳日記@練馬平和台」を「Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo」に更新することを検討しています。

年間ベストについての作文から始まる、として、「左から、藤原基央(バンプ・オブ・チキン)、ポール・マッカートニー、マーク・ターナー、三善晃、小沢健二、渋谷毅。」と記したこと、この個々のミュージシャンではなく、この空想、に、ぼくのあたらしい一歩が始まったような気持ちになっている。

一歩もひいてはいけないラインを地球の裏側にいる友だちとさぐっては、毎日黒板消しをそうじする。

18日。
都響の『日本管弦楽の名曲とその源流』を聴いてきた。
上野駅公園口前の東京文化会館大ホール。
たくさんのはげた後頭部をした60年代に青春を送った負け組にならなかったおじさんたち。激動の日本経済を泳ぎきって、伝統ある東京文化会館。
武満徹。
ストラヴィンスキー、春の祭典、の、巨大さ、を、昨年の秋に知った。いままで知らなくてごめんなさい。
「地平線のドーリア」をCDでいままで4回くらい聴いたことがあったけれども、どういうわけかおなかがすいてしまうだけの(それってドリアに反応してるんだ?)恥ずかしいリスナーでありました。
「弦楽のためのレクイエム」を聴いて、ストラヴィンスキーがどのように武満徹の弦楽のアンサンブルの動かせかたに感嘆したのか、この日のライブで手にとるようにわかった。なんか次々よくわかって手持ちのタケミツ作品への聴きかたが一気に視界が開けたかんじ。この世のものとは思えない、ような、いい出来の演奏ではたぶんなかったような気もするけど、この作品が保持している音楽のヴィジョンは明快に示した演奏だった。
ベルクが何考えてたかもわかったような気がして、わくわくして同時にいとおしい気持ちにほおがゆるんだかんじになりました。
武満が書いた「系図―若い人のための音楽詩」は後退といったリニアな定規ではなく、三善晃へのリスペクトを含んだ、作曲家自身が聴きたい響きを谷川俊太郎の詩にちからを借りて、おそらく自分の子どもとか孫に向かって描いてみせたものとして感じる作品。

25日はいよいよ三善晃作品が。サントリーホールで。
若いひとで、現代音楽なんてくそくらえと思っていて、ケヴィン・シールズの恍惚とか、たゆたうマーク・ターナーとか、この世のものとは思えない、ような、響き、の、現出、という可能性、に、賭けて。チケット、もうないのかな?


2008年01月13日(日) 東京ヴィヴァルディ合奏団



いろいろ事情があったのだ。

2008東京ヴィヴァルディ合奏団ニューイヤーコンサート「第21回<新春は「四季」を聴きたい>」、を、長女とみてきた。
品川から築地経由して勝鬨橋を渡って晴海のトリトンスクエアにある第一生命ホール。昨年エグベルト・ジスモンチが公演をしたホールで、音よし。
東京ヴィヴァルディ合奏団、出だしに6・7の弦奏者が「ふわん」と響かせただけでうっとりー。やぱクラシックこそライブだ!

ソリスト鍵冨弦太郎(若くてハンサム21さいバンプの藤原くん似)くんに曲芸をさせるためにあのテンポを選んだのでしょうか。
不愉快なテンポでした。ミスなく弾ききった未来ある彼にただただ拍手です。アンコールまで「春」やってるし。

ほとんど気分は、ディープ・パープルmeetsムーディー勝山、のようなコンサート。
われながらストライクな形容だ。

当日、同時刻に北とぴあで4合唱団による三善晃「海」があったのだけど。エクスワイフプレゼンツ娘との成人式お祝いデート企画には勝てないのだ。
トリトンスクエアのレストランはすごい美味しかったー!家族では入れん料金じゃがの。

都心からくるまで行くに便利な銀座ベイエリアの上質ホール、観客なめてたらあかんでー。


2008年01月10日(木) 木霊



この正月に屋久島に行って撮った写真に木霊がたくさん写っていた。
たいせつなときにまもってくれます。


2008年01月09日(水) インフルエンザA型



「たださん、陽性でした。」
・・・えっ?そんな・・・。せ、先生、いきなりじゃ恥ずかしいわ。心の準備が・・・。いま何ヶ月目なの?予定日はいつ?・・・

「インフルエンザのA型ですね。」
・・・ああっ。そんな・・・すてきな名前。Aはエースと呼んじゃう。たいせつにそだてるわ・・・。

「今日から少なくとも4日間は仕事に出ずに、タミフルのんで・・・、たださん?だいじょうぶですか?39度超えてますよ!」


2008年01月05日(土) 新春狂言、和泉流「花折」



岩手の菓子「ミニかもめの玉子」。郡山の菓子「ままどおる」もおいしかった。おいらはずっと仕事だったからみんなに配るお菓子はないの。

正月2日の朝にフリーズしてしまって見とれた新春狂言、和泉流「花折」。なんなんだ、この演奏、この発声。あらためて。
狂言をモダンに現代モードで演出するとか、歌舞伎でも、そういう邪道、まさに邪道、比して、この伝統の凄み、深遠さ、幽玄、変わらずに継承する永遠の現在。
中学のとき、狂言なんて鑑賞させて何考えてんだ文部省は!ビートルズだろ、クイーンだろ、ツェッペリンだろ、と、ののしった自分がいた。
・・・そう考えると、人生に無駄なものはひとつとしてないものなのだなあ、などと。


2008年01月04日(金) 原田知世の『music & me』はいいな



大晦日の朝、皇居の平川門あたり。

おいけいま。こないだ買ってやった原田知世の『music & me』はいいなー。プロデューサーの伊藤ゴローの仕事がすばらしい。
テルミンをこんなふうにソフトに使うあたりもただものではない。
8曲目のピアノなんてたまんなくいい。このピアニストはだれだ?クレジットされてないか?


2008年01月03日(木) キュージョンでいちばんはショッカー+キューピー



キュージョンでいちばんはショッカー+キューピーのこれ。
ブランド品を身にまとった大人な彼女でもこのストラップならあわせられるしおちゃめな感じがかなりセクシーかも。

今夜はシャープでチャーミングな三日月が冷たい冬の夜中を照らして天空では夏祭りをしているような。

ピー、ピー。信号。通信します。

6年ぶりに甲州街道を調布から府中へ飛田給(とびたきゅう)、調布飛行場と味の素スタジアムがある、あたり。

おれはそのときリマスター盤ツェッペリン4のB面をかけていたのだ。なのに不意に。

道は音楽を憶えていた。

おれが西武多摩川線を越える陸橋をゆっくりと加速してゆくと、道はトミフェブのファーストと宇多田ヒカルのトラヴェリングを差し出した。

同時に2つが聴こえた、という現象ではない。
その音楽が存在した、サウンドのリアリティだけが脳に再現されている状態、と、言えばいいのか。911事件あとの最初の年越し、に、手元にあるどの音楽にもピンとこないままに過ごしていた、ままに、そのような状況にコミットしえた音楽はJポップのその2つに、我に返るように音楽が聴こえ始めたのだっけ。

おれになにをおもいだせというのか。

「旅立ちの唄」がBGMで6年前に立っていた場所に鳴っている。そして友だちに電話をした。お正月なのに前に進めないようなかんじ。
ものがたりは経緯を逆走するようにして小さくなって閉じてゆくものなのかもしれない。そこにはひとの意志のちからや希望の力学なんてものはない。

年末ラストに耳にしたCDはジャック・ブルースの

ピエトロ・ドレッシング。398えん。いちばんだいすき。


2008年01月02日(水) おくさんにそのカーラ・ブルーニのCDをもたせろ



おおー、まつしま、賀状ありがとー。

わかいころ、ろっぽんぎでくすりをやるかくれがのよなすぺーすでピンク・フロイド初期のサイケデリック40分演奏映像を聴いた以来に。
いまでもサイケデリック・トランスという仕分けがあるけどどれもそこそこで、やはりあのサイケデリックには敵わないものだ。
最初に出現したものには敵わないのだ、なにごとも。なにごとも開祖がえらいのだよな。

マイクロソフトに勝てないのは、日米構造協議のせいだけどな。
日本がすでに開発していたトロンという日本人が開発したマイクロソフトより使い勝手のよいしかも著作権フリー宣言までしていたコンピューターが存在したのに!
すまんついでがらしのネタを書いてしまった。

なに?最近はカーラ・ブルーニとかバンプしか聴いてない?
いいじゃないかー。松山晋也さんが推奨する音楽は間違いないというのは常識だって。
それにJポップはバンプ聴いてりゃ間違いないって。おれなんかはっきりいって「オンリー・ロンリー・グローリー」がテーマ曲だからね。

おまえけっこんしてたのか。りこんはしないのか。あかちゃんはどうした。つくりかたしらないのか。おれがおしえてやるからおくさんをいっしゅうかんかせ。おまえいままでいろいろおしえてやっただろうが。おんがくきくこととこどもをつくることにかけてはてんさいだぞおれは。おれにまかせろ。おーぶねにのったきもちで。おくさんにそのカーラ・ブルーニのCDをもたせろ。すかーとはおれがよういする。


2008年01月01日(火) ダダ



ぶお、ぶお、ぶお。
おれはだだだ。ただだけど。


足利の怪獣展覧会で。
「そいえばなー、こどものころ、怪獣ごっこをすると、いつもダダをやさられてなー。多田はダダやれ、てさ。ダダは弱いのでとてもやだった。すぐにしんでゴモラになってウルトラマンにかかってったけどな。」
「なんだ、親子二代でダダやってたのかよー。」(長男)
「おれもだよ!」(次男)
「親子三人ともダダなのかよー(笑)」

なんかほのぼの。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

My追加