Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年02月28日(水) |
リロイ・ジェンキンスが2月23日、74さいで亡くなったとのこと |
JCOAやレボリューショナリー・アンサンブル(ジェンキンス、シローン、ジェロム・クーパー)で70年代初頭にニューヨーク前衛ジャズ・シーンで活躍していたジャズ・ヴァイオリニスト、リロイ・ジェンキンスが2月23日、74さいで亡くなったとのこと。 Pi Recordings■からのメール情報。
↑しかし、レボリューショナリー・アンサンブルの再結成写真。じじいになっても30年前と同じことをする鬼気迫るカンジが伝わってくる。救世軍から昼食の配給をもらおうとしている某公園のみなさまの写真ではないので御注意。
↑そいえば、Pi Recordingsのゴールデン・カルテットというのもメンツがすごい。メンツだけがすごい。 左より、マラカイ・フェイバースMalachi Favors Maghostut、ワダダ・レオ・スミスWadada Leo Smith、ジャック・デジョネットJack DeJohnette、アンソニー・デイヴィスAnthony Davis。
ライ・クーダーの新譜のレビュー、レスターボウイズブラスファンタジー『アヴァン・ポップ』の紹介文、 書くことは頭の中にはある。
キラパジュンのCDに囚われる。
2004年7月に作成したCDR、伊武雅刀、小坂明子、プッチモニ、バンプ、YMO、スガシカオ、椎名林檎、ニールヤング、リンダマッカートニー、アトミックという曲順。ほとんど覚えてない曲順。けど、すげーいい。「オンリー・ロンリー・グローリー」はやはり名曲だ。
「子供達を責めないで」
私は子供が嫌いです 子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で 前向きな姿勢と 無いものねだり 心変わりと 出来心で生きている 甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする オジンだ 入れ歯だ カツラだと はっきり□に出して人をはやしたてる無神経さ 私ははっきりいっで絶壁です 絶壁です!
努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない 人生の深みも 渋みも 何ーにも持ってない そのくせ 下から見上げるようなあの態度 火事の時は足手纏い 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児 そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ
私は思うのです この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと 大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう 私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています
私は子供が嫌いだ ウン! 子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです 身勝手で みがっ・・・足が臭い! ハンバーグ エビフライ カニシューマイ コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン 好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする 泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ
スクスクと背ばかり高くなり 定職もなくブラブラしやがって 逃げ足が速く いつも強いものにつく あの世間体を気にする目がいやだ あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ 何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちな つぶらな瞳だ
そんな子供のために 私達おとなは 何もする必要はありませんよ 第一私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか? これだけ子供がいながらひとりとして 感謝する子供なんていないでしょう だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ ありがとう! ネ! 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう!
子供はきらいだ 子供は大嫌いだ 離せ! おれは大人だぞ! 誰が何といおうと私は子供が嫌いだ 私は本当に子供が嫌いだああああ
2007年02月26日(月) |
ギター・高柳昌行、チェロ・翠川敬基と詩人の吉増剛造と1984年に録った『死人』、発売! |
沖縄でバカンスをたのしんでおるのじゃが。わたしの遺伝子の一部がね。・・・
ゆうべお泊りの彼女が沖縄に行ったという意味なのか?て、すごいことかんがえすぎ。その場合、遺伝子の一部じゃなくて、遺伝子そのものと書くし。・・・
や、や、ありえないから。
ピアノ・渋谷毅、ベース・川端民生が詩人の吉増剛造と録った記録がある!という。な・・・・。なんという。
このたび、ジンヤディスクから、ギター・高柳昌行、チェロ・翠川敬基と詩人の吉増剛造と1984年に録った記録が発表された。 CD、『死人(しびと)』。■ この3にんの名前をきいて、おののかないのか。彼らの演奏に駄作という概念は無い。
ECM1002番がこっそりと、かなりのレベルで更新されているのでお読みください。>■ それにしてもハルトはなんで韓国にいるのか。ハルト=ゲッペルスの作品のCD化はされているのだろうか。ハルトについては、秘蹟めいた作品がECMに存在し、それについては、この1年くらいのあいだにぼくは執筆しようと思います。
『パット・メセニー=ブラッド・メルドー/クァルテット』がアップされました。■ これ以上きちんとしたレビューを商業誌に書けるひとはいない!とじぶんでは思って書いています。
2007年02月18日(日) |
トーマス・ストゥーヴサントさんの訃報記事 |
ECMの1002番『Just Music』のことをやりとりしていたら、トーマス・ストゥーヴサントさん(須永さんのテキスト参照>■)の逝去の記事を見つけた(ノンサッチの総帥、ボブ・ハーウィック−ECMで働いているうちにメセニーやフリーゼル、ジョンアダムスらを引き抜くように転職した−が執筆しています)。稲岡さんに記事を連絡。トラックバックがなされた。■
けっこう好きかも。『Just Music』。
のちにハイナー・ゲッペルスとのデュオ、クリス・カトラーらとのレコメン系ユニット「カッシーバー」で才能を見せることになるアルフレッド・ハルト(1949−)、Japoレーベルの制作などECMのスタッフとして働いたトーマス・ストゥーヴサント(1947−2006)、が、参加していた西ドイツ(当時)の即興集団「ジャスト・ミュージック」のファースト。集団即興演奏としては緩く、コンセプショナルとしては焦点が不明な、時代を感じさせる演奏がA・B面1曲ずつ収められている(早くもモンド!な即興演奏だと言える・笑)。オリジナル盤は朱色で渦巻き状に手書きされているデザイン。セカンドは翌年CBSから『Born Free』としてリリースされている。 >あ、このテキスト、ミュージサーカスに投稿します。
2007年02月17日(土) |
平井庸一グループ(a.k.a. Hirai Youichi Lennie Tristano Cool Jazz Project)、20日(火)にライブ! |
平井庸一グループ(a.k.a. Hirai Youichi Lennie Tristano Cool Jazz Project)に出会ってかれこれ7年になる。ドクタージャズこと内田修先生、音楽誌編集者末次安里氏、荻窪グッドマン店主鎌田雄一氏、チャーリー・パーカー協会辻バード氏とそのお仲間、ジャズ評論家の瀬川昌久氏、岡村融氏、佐藤秀樹氏、そしてさらにウォーン・マーシュの息子(!)にまで注目されている、という彼ら。こないだ平井くんは、ディスク・ユニオンでジョー・マネリ(カルテットものを)とポール・モチアン(80年代のリーダー作)とハービー・マン(ムード音楽的ジャズロックにソニー・シャーロックがペションペションの音でグギャグギャ演る某怪盤)のCDを探してうろうろしていたら、いきなり若い店員に「まだCDは出さないんですか?CD出すときはCD発売記念ディスクユニオン店内ライブをやりましょう!」と言われたという。名も問われずに語りかけられた未経験ゾーンに、さすがに怖いもの知らず彼も照れたという。これだけ機が熟しているのに、ね。20年以上前に終わっているピアニスト、チック・コリアとリッチー・バイラークの駄盤がレコード会社の献金で金賞銀賞を獲得することに「さすがECM出身ピアニストはすごい!」と知たり顔でのたまうことにためらいがない美しいこの国だ。もとい。平井庸一のクールジャズコンセプトは、それをそのようにカテゴライズして聴いた途端に聴こえなくなるものだ。新宿ピットインのライブを会場最前列でDAT録音している篤志家のおじさんから、あるとき彼らは自分たちのライブ音源をもらったという。そしてこれが素晴らしい出来であったため、それを自主制作CDRにしてライブ会場で販売することにした。ここにはレニートリスターノがいる、と思わず唸ったピアノの都築猛、最新リーダー作がユニオンで品切れ状態のサックス橋爪亮督をはじめ、かけがえのない個性たちが舞うような演奏だ。どのトラックも10分くらいの演奏なのに、拍子の僅かな変化やソロの距離感の取り方の妙、複数の音色のブレンド感がスピード変化を伴なって時間感覚を失ってあっという間に聴いてしまう演奏ばかりだ。そうそう、変拍子を含むビートに依拠した演奏は、いわゆる器楽演奏的である、かもしれない。マッチョで力まかせに過ぎないモード的演奏をジャズ的というならば、激しくさえあればオッケー的なヘヴィメタ野郎とどう違うのか?ましてや前衛というクリシェにもいいかげん飽きてほしいし。ここにはモチアン〜ロヴァーノ〜フリーゼルをはじめクールジャズの現代的継承(具象の中に聴こえる抽象、「カラダで感じろ!」とは対照的なベクトル、といったコトバがわたしには生じるけれども)が聴こえる。彼らの演奏は、世界的に見ても比類がなく、個々の卓抜した演奏力がそれを支えているところに特別な価値がある。2サックス、2ベースの編成で、2月20日(火)、4月20日(金)、いずれも新宿ピットイン昼の部(14:30スタート)でライブがある。
多田かおなしA、という編集CDRをあたまで組み立てながら仕事をして過ごす。そんなんでドキドキして、うれしい。音楽が好きだ。
ヘルゲ・リエン・トリオの『トゥー・ザ・ラジオ』をかかりつけの図書館員にリクエストして借りる。 レインボウスタジオ、ヤン・エリック・コングスハウグ、ECMをもろに意識した音だ。ピアニズム、音楽性については、アイヒャーがヘルゲ・リエンを録らなかった理由がよくわかる、というか。 真似をしたり、あこがれている姿勢によるものというのは、おそらくどんなジャンルでもそうだと思うけど、だめなのだ。 このごろ、そういうことがよくわかるようになった。
同じ月を見てた■ 高速で線路を走る映像がいい。結婚式の場面はいらない。 この二人の親のような心境で見て、なみだがでてくる。おれもじいさんになったなあ。
きよちゃんのたんじょうび。でんわする。「いくつになった?」「くさい!きゃははは!」と底抜けに明るい。
ミスチルが歌うYesterday Once Moreとか、インディーズ時代の録音、KANとの共演曲、などが入ったCDRが出てきた。ミスチル関係者からいただいたんだっけ?インディーズ時代の曲のうち2曲に、デビューした頃の新鮮な感じが冷凍保存されていて、聴いてて胸が苦しくなる。それは当たり前といえば当たり前なのだけど。現在のミスチルが決して出せない、あの切なくて若くて純粋な感じ。けいまにやるよ。
3月の新譜『メセニー・メルドー・カルテット』を聴く。Jazz Tokyo用のレビュー(妄想文)を書く。
吐くほど、聴く。
というはなしを日記で書いたことあるっけ? 好きになった曲は、それこそ、聴きたいという気持ちに任せて、聴きたいだけ、リピート再生して、そのうち、聴きすぎて、吐きそうになるまで。
わたしは、それは言うまでもない、当然のことと思っている。
ランナーズハイという現象があるらしいが、同様にリスナーズハイというのもあって
そういう経験によって、音楽はわたしたちの人生をつらぬくのだと思う。
きのうのお月さま、とくに午後6時42分、も、お経の世界のようにうつくしいものだったけど。 きょうのお月さま、も、もっとすてきだ。今日は2月2日。
千と千尋の神隠しがテレビでやるそうですねい。これから六本木で朝まで仕事。黒人どもとの格闘。つうか、あいつら、黒人のくせして、 かおなしごっこ、うめいて手を出してお金を無心している、ような仕事を、夜通ししているんだぜ、ヒルズ族相手に。 香水をぬったくったあせ。
音響派の耳で聴いたら、経年劣化によるテープ再生の揺らぎをもってして、過激なライブでもあるのだった。 アグネスの「ひなげしの花」。 ■
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