Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年10月31日(火) |
Bobo Stenson Trio『War Orphans』(ECM1604)〜「Oleo de mujer con sombrero」(Silvio Rodriguez) |
ボボ・ステンソン・トリオBobo Stenson Trioの『War Orphans』(ECM1604)の 1曲目シルヴィオ・ロドリゲスSilvio Rodriguezの曲「Oleo de mujer con sombrero」8分30秒は、あまりにも美しくて、胸が詰まってしまうのですが、(ヨルミンの樫の木を思わせる硬質て端正なベース、シンバルワークで執拗に静謐さの極みをみせるクリステンセン、この初作だけに漂うステンソンの余裕のある穏やかな優雅さ、これはこれで得難い一作なのであります)
このキューバの吟遊詩人シルヴィオ・ロドリゲスがこの曲を歌う動画がありました。 >■
いい曲ですね。 いやーJポップにはこの曲は出せないかなー。
で。この曲の歌詞の意味がわかんないので、どっかで歌詞翻訳付き国内盤CDなんてないのでせうか。
2006年10月30日(月) |
原由子の「いちょう並木のセレナーデ」、すさまじく、良い。 |
18の長女とイトーヨーカドー・デート。駅前の中華料理屋でレバニラ定食。一人前1200円、本格的すぎて不思議な味。 「いちょう並木のセレナーデ」をかけながら走ると、「なつかしー」と言っている。夜景に過ぎる風景と音楽がすてきな気持ちにしてくれる。 「すぐ近くに中華料理屋があるじゃん。ほら、あそこ。一度は食べに行ってみた?」「ええー?ひとりでなんか入れないよおー!」 ひとりで外食できないから自炊しているのか。こんど、焼き魚を食べたいという。 ほんだば、次回は居酒屋でほっけとかさんまとか注文するべ。ふたりともウーロン茶の客になって。サラダもあるよ、居酒屋には。
原由子の「いちょう並木のセレナーデ」、すさまじく、良い。 「学食の隅であなたが・・・」と、学食という発音だけで、この曲は・・・。 「You you you 忘れぬ日々 You you you, When I with you 」。 おざけんの炯眼に納得。
長女と長男がまだ5さいと3さいで、ふたりで競ってかけっていった13年前の散歩道。それも、ぼくにとっての忘れぬ日々。
2006年10月27日(金) |
俄然パラパラのらむちゃんは、天才てれびくんの細田羅夢(ほそだらむ)ちゃんなのだー! |
スマップの「ありがとう」という曲をどう思うか、と、わたしに質問するのはやめてください。
ap bank fes 2006のハイライト放映を見せてもらったっけさ。 ミスチル、Salyuちゃん、一青窈ちゃん、Boaちゃん、桑田佳佑さん、小田和正さん。いいね、いいね。 スキマスイッチ、ポルノグラフィティ、レミオロメン。まったくピンときません。 コブクロ、ASKA。ぼくの耳に聴こえたらだめですぅ。
59さいの小田和正がソロで歌うオフコース時代の「愛を止めないで」(1979)。おれは高校2年生の冬だったんだぞ!ともこちゃーん!
ニューミュージックとJポップの断層は明白だったわけだけど、 ミスチルはJポップ大将としてニューミュージックを含めたシーンの大連合に君臨している感。 このまったりとした窒息しそうなまとまり感がやだ。 で。 バンプ、アジカン、くるり、ハナレグミ、ポラリスなどは、ミスチルの属しているシーン(Jポップ)と断層を持って新しいシーンだと言える。 彼らをJポップと言うのには抵抗がある。
この断層について参考となるテキストはどこかで読めませんか? 断層は、911じゃないか?ちがうか。
『俄然パラパラ学園〜パラパラだよ!全員集合編』(DVD)購入唯一の目玉12曲目Y&Co.の「MONKEY DANCE」で踊る “らむちゃん”、わたしは彼女のダンスに神をみました、ダンスを見てシビれたのははじめてです、らむちゃーん!、 が、天才てれびくんレギュラーになっててブラウン管で見たときの衝撃ったらありゃしませんぜ、だんな。 なんと、細田羅夢(ほそだらむ)というのか。95年9月5日生まれ。■ なんか、羅夢なんて名前をつけるなんて両親は暴走族だったりするのかな。ヤンキー、ヤンママな両親なんだろーなー。
彼女は11さい。わたしは45さい。(だからなんだ?) うん、だいじょうぶだ。(なにがだいじょうぶなんだ!) 年下のヤンキー夫婦に向かって「おじょうさんをください」と言えばいいんだな。(おーい、ちょっとまてい!)
2006年10月26日(木) |
原由子の「いちょう並木のセレナーデ」(作詞作曲桑田佳祐)1983年 |
おざけんの「いちょう並木のセレナーデ」1995年は、 …原由子の「いちょう並木のセレナーデ」(作詞作曲桑田佳祐)1983年へのアンサーソングなんだって? いままでだれもおしえてくれなかったぞ! そっか、「愛し愛されて生きるのさ」で「10年前のぼくらは胸を痛めていとしのエリーなんて聴いてた」なんて歌ってるけど、ほんとにおざけんはサザンを聴き込んでいたんですね。
子どもの頃、小学校6年生だったかな、海辺でキャンプがあって。 高校生のお兄さんやお姉さんたちが何度もウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」をラジカセでかけてキャンプファイヤーを囲んでいた。 めがねをかけた少女が近づいてきて話しかけてきて、ほかに同年代の子どもがいなかったし、ぼくはめんどくさそうに相づちを打ちながら話していて、その子が「楽しいね」と言うから、「楽しいね」とこたえた。 夜更かしして真夜中の海を見て過ごすのは楽しかったのかな。 その子がたくさん質問してくるのにこたえてキャンプファイヤーの火が消えるまで。 「また明日の朝、ここでね」と約束した。 朝、目がさめると、すぐにぼくたちのキャンプの家族たちは車に乗り込んで出発するとばたばたしている。 遠くのキャンプファイヤーのあった場所にその子は立っていた。 ぼくはさよならを言いに走っていった。 その子はめがねをはずしていてとてもかわいい笑顔でうれしそうにぼくの名まえを言った。 「もう帰らなくちゃいけないんだ。」とぼくは言った。
夜は音楽の時間。
ほんとは夜だけにしか生きていたくはないのだが、子どもと公園で走りまわったりする昼があるのなら、昼はあってもいいよ。あれば。 うぐぐ。このところ夜勤じゃない、つうのが。 今月の健康診断でオールオッケー健康完全体に転化したから、昼に働く生活でいいんじゃないの?ただくん。ね、ただくん。
ひさかたぶりに会ったECM師匠が、『the sea』と『goodbye』をウォークマン用にリュックに入れていたんだ。 そして平和台のライフの雨の降る駐車場で、音楽をこえた音楽だよね、と、言ったのだった。 ぼくはバトンをわたすことに決めた。
中古レコードを売りに行ったら、学生時代のガールフレンドのマジックで書いたラブレターがどこかにはさまっていたらしく、 査定が終わって「これは査定ができませんでした」と返ってきたのだそう。 どうりで、査定結果をもらいに名乗ったときの店員の女の子の視線がちょっと微妙に、口元が微妙に、感じたそう。
こんなオジサンでも、若いころは、ね!ね!だよ。かえって誇らしかったんじゃない?
内田樹さん「教育破壊はどこまで続くのか」>■
つづく
ひるに向かってどんどんいい天気になってきた。 平和台には青空がひろがって、駅前のシャノアールの店内は暗くなり。
オーネット・コールマンの『Sound Grammar』という新作が出ている。 オーネットについては、パリコンサート(トリオ・レコードで2枚組LPで出たあと未CD化だぞ!)、ヴァージンビューティ、インオールランゲージズ、ダンシングインユアヘッド、ゴールデンサークル、ソープサッズがあればいいと思うので、マストアイテムにはならないと思いました。
Tiny Voices / Joe Henry Sound Grammar / Ornette Coleman "mu" first part "mu" second part / Don Cherry 長い夢 / YUKI Beyond The Missouri Sky (Short Stories) / Charlie Haden & Pat Metheny ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・シ・シ・ド・ル・ミ / 宍戸留美 Metheny Mehldau Charlie Parker at Jirayr Zorthian's Ranch, July 14 1952 / Charlie Parker コロムビア至宝シリーズ SP盤編 豊竹山城少掾 Nan Madol / Edward Vesala 箒星 / Mr. Children
ヴェサラのナンマドールをしばらくぶりに聴く。 意味も無くやみくもに衝撃を受けて感動していた20年前がよみがえる。 クラシックはヨーロッパの民族音楽だという見識の枠組みが耳にしみて以降にECMを聴くことは実際には辛くなってきている。常なる耳の脱構築機能を駆使しなければ、ニーチェがキリスト教こそ狂気のシステムだと呪った罠から逃れることはむずかしいのではないか。 ヴェサラの引用のパッチワークが見えてしまっても! 「教えない 知りすぎているから教えない 口に出すと悲しみは その悲しみを生むだろう」 だからヴェサラにありがとう、さようならを言うんだ。 ほんとに愛していたんだよ。 「知りたい それでもまだまだ知りたい 積まれた退屈をこえて その退屈をこえて」
たとえばぼくがこの音楽を記述する。だれかがこの音楽を記述する。たくさんのひとが記述する。どの記述も音楽をつかまえているわけじゃない。だけど、そのそれぞれの記述の示す方向の総体から立ち現れる、目に見えない光のようなものが、実際のその音楽だろう。 ラカンの心理学を著した新宮一成が黄金数として呈示して見せた「わたし」の図式に似ている。 そしてそれは刻々と変化する。
「でもね ぼくらは未来の担い手 ひとのかたちしたひかり」
だからひるまずにストレートに投げかけるんだ。ぼくの耳に起こった感動はなんぴとも否定するものでも変わるものでもない。 だけど、感動できなくなったらそのように記述を変更する倫理が必要になってくる。 老いるってすてきだ。 だっておれもうおじいちゃんなんだもー、って、毎日こればっか(笑)
「心配事ばっか見つけないで あわてないで探してこ いつか必ずかなうって決めこんで 路頭に迷った祈り」 箒星 / Mr. Children
2006年10月23日(月) |
編集カセット『たんぱくしつの里帰り<前編>』発掘 |
なんぴとも入れない部屋になってきたので、ごみはすてて、CDは売って。そんなふうに過ごそうと決めて、長女にメールをすると「生きてるお」「お米はまだある」というそっけない返信だの、今の若いもんは。
ぼくのコルトレーン開眼はたぶんいびつだ。エルヴィン・ジョーンズに開眼してないうちだったのだし。 だからたぶんアリス・コルトレーンの視点に近い場所からの観測だったのかもしれません。 このジャケに曼陀羅との出会いを音とともに感じました。マンダラ・バンドはすでに知っていたのにね。 だって、この音楽に出会ったときに、天空の木造建築物となった仏界の伽藍をカレイドスコープして飛ぶ夢を見たのです。
そんなことを偶然押入れから発掘された編集カセット『たんぱくしつの里帰り<前編>』から知ったのでした。
『インフィニティ』コルトレーン66年の演奏にあとからアリスコルトレーンがハープでヘイデンがベース、さらにストリングスでオーバーダブして発表された、なんぴとも名盤視しないわたしの部屋のようなレコード。
カセット『たんぱくしつの里帰り<前編>』 1984年作成 side A せいろがんサイド。 01. She Is Not Dead / Adrian Belew 1983 02. Amejelo (part of) from album “Mu First Part” / Don Cherry, Ed Blackwell 1969 03. 血を吸うカメラ / 鈴木さえ子 1984 04. Never Turn Away / Orchestral Manoeuvres In The Dark 1984 05. All God Children / Jon Anderson 1982 side B おおたいさんサイド。 01. Introduction 〜 Yaqui Indian Folk Song / Keith Jarrett Amerian Quartet 1974 02. 風の谷のナウシカNAUSICAA 作詞:松本隆 作曲:細野晴臣 / 安田成美 1983 03. I Get Along Without You Very Well / The Durutti Column 1983 04. Peace On Earth / John Coltrane, Alice Coltrane, Charlie Haden etc 05. Nebraska / Bruce Springsteen 1982
2006年10月21日(土) |
YUKIの「長い夢」を最初に聴いたときは |
YUKIの「長い夢」を最初に聴いたときは、こんなのビョークの「ハイパーバラッド」の亜流じゃん、なんて思ったの。
YUKIの愛息が1歳11ヶ月で亡くなって、そのあとに出されたシングルだと知ったの。
「寂しがり屋はだれだ 手をたたいては喜んでた」 「そこへ行くにはどうすればいいの 迷子になるよ 道案内してね」
ジュディマリ(YUKIがヴォーカルのバンドでした)の「小さな頃から」というナンバーは、小さな女の子であった自分の継続した将来についての夢について歌っていて、その10年後にはソロで母親として(と同時に女の子でもあるわけだけど)「長い夢」を歌っている。 YUKIは歌手として「長い夢」を歌う。いつものヒット曲のように。この歌唱を何度も聴いては、すごいものを感じるのだ。
「小さな頃から」も、オザケンの王子様黄金期も、ビョルンスタの『海』も、1995年だった。
編集CDR 『ながいゆめ』 2006.10.12 01. roses for You / Carlos Bica & Azur featuring Frank Mobus, Jim Black (enja) 1999 02. しらけちまうぜ / 東京スカパラダイスオーケストラfeat.小沢健二 1995 03. 戦場のボーイズライフ (ボーイズ・ライフ・パート2:愛はメッセージ) / 小沢健二 1995 04. The Sea I 05. The Sea II / Ketil Bjornstad, Terje Rypdal, David Darling, Jon Christensen (ECM 1545) 1995 06. 優しくなりたいな / スピッツ 2005 07. 小さな頃から / JUDY AND MARY 1995 08. Moon Is a Harsh Mistress (Jim Webb) / Charlie Haden & Pat Metheny 1997 09. klafter / john butcher & christof kurzmann (potlatch) 2006 10. Juke / Little Walter (CHESS) 1952 11. 長い夢 / YUKI 2005
お。あやちゃんのCDRを聴きたいぞ。よしっ、がんばって2枚組を作らなければー!
光が丘図書館の駐車場。
夜は音楽の時間。
いくつか気になることがあるので、今日は中秋ではないけれど、月はやはり水戸街道を北上するのに着いてくるものだし、メセニーとメルドーはほら、奏ではじめたし。池上温泉だ。寒くなったら、池上温泉に行こうよ、と、誘ったら、「うん」と発声してくれた、おやじ想いの18のむすめ。中華屋のレバニラ定食にはかなわないよね、と、話していたから、近くに捜しておく。
ルトスワフスキのピアノ協奏曲、クリスティアン・ツィマーマンのガラスの破片のような美しい音。
翌日に編集CDRが届く。なんと、奇遇なことにドレミファソラシド宍戸留美の楽曲が冒頭から5曲もしかも絶妙な曲順で連なっている。単にルトスワフスキと宍戸留美は1990年に聴いていたという、それって同時代性を言えるの?同時代音楽と言えるの?それってほめことばー?
6・7曲目。知らんけど、さいこー。 いいよな、CD買えて。いいよな、聴いても腹が立たなくて。いいよな、そんなこと書けて。いいよな、若くて。いいよな、ばかで。 レジにならびながら新譜のパッケージあけてしまったことありますか。 床にしゃがんでCDを見続けすぎて足がしびれて立てなくなったことありますか。 名盤を手にして悩んでいる若者のあたまをたたいてやりたくなったことありますか。 センスのよいCD選ぶのは決まって美人で、コブクロ好きはブスばっかだと力説したことありますか。
8曲目のインスト。ぜんぶ引用フレーズのサーフィンロック調。
9・10・11・12曲目。 朗読と音楽。とにかく素晴らしい。こ、これ、なんすか? 永遠に懐かしい未来派指向。あがた森魚ファンことにプラネ派(=雪ヶ谷日記派)は必聴もの。
13曲目。サーカスの「ミスター・サマータイム」。そ、そうか、この曲の成功の8割がたはこのタイコにあったことを確信せり。ユリイカ! 14曲目。岩崎宏美の曲。いいノリのタイコだなー。 15曲目。サザン。桜井くんはこの曲の冒頭の歌詞「鏡の真ん中に汚れたぼくがいる」にインスパイアされてイノセントワールドの歌詞にしたのか。 16曲目。サザンの「東京」。ぼく、これ聴くとなぜかいつもジョンの「I WANT YOU」を連想してしますのです。 17曲目。森高千里ミーツYMOみたいな曲。 18曲目。ううう。パイロットの直接的ルーツに聴こえます。黄金ポップ。 19曲目。Hitomiの名曲。この曲調、この歌詞観。おちんちんにけがはえはじめた頃の純情なおとこのこを応援するおねえさんのような曲がhitomiには似合うのである。え?わかんない?いやいや、これ宇宙の真実だから。
20曲目。おざけん「いちょう並木のセレナーデ」。うええええん。聴かせないでくださいよおお。 この歌詞のひとことひとこと。 そうだね。いつか。いつか。ぼくたちはまた地球に生まれ落ちるから。いやあ、この曲やっぱすごすぎる。
21曲目。ミスチル「空風の帰り道」。この曲は「HERO」のカップリングとして発表された、彼方に「HERO」が聴こえるシチュエーションを暗示する隠れた名曲なのである。
22曲目。「いちょう並木のセレナーデ」のオルゴール・リプライズ。
マヌ・カッチェの『ネイバフッド』を、そいえば、と、思い、最澄、空海、・・・もとい、再聴せり。 うおおお。映画音楽のCDだという前提で聴くと、・・・なかなか良いではないか。かなり、良いではないか。
ベストテイクの継ぎ接ぎ録音にはジャズは宿っていなかった、と判断した昨日の自分もまたやはり変化しないところなのですが。
「ECMはそもそもジャズとは言えなくて、器楽演奏的なんです、ヨーロッパ精神であり、クラシックであり、理性が制御する優越誇示なんです」などと、苦しい言い訳をジャズファンに向かって言い続けてきたわたしなので、2005年になって「こんなのジャズじゃないやい!」と言い出したのはどうかと思いますが、やはりそれはそれで断じて言わなければならないのです。
ロヴァ耳日記で書いているのは、風呂の中の屁に過ぎません。
『メセニー・メルドー』の最後の曲はメセニーのコンポジション。このトラック、お互いのどういう了解で録音し始めたのか。メセニーの底意地の悪さに吐き気がする。こんな演奏するんなら、ソロで演ればいいだろ、メセニー。おまえ、だめだ。このCD、自然な流れの1曲目だけ、でした。 メセニーのCDも、売るか、と、思い、『ザ・ウェイ・アップ』を最澄。これも1曲目だけが記憶に残るだけです。・・・なに、この国内盤はボーナスとして4分長いパートが含まれている、という。意味がない。 やばい、ECMの恥部、『想い出のサン・ロレンツォ』を20数年ぶりに耳にしてしまう。
『ファースト・サークル』、『シークレット・ストーリー』、『カルテット』以外は歴史に残したくないぞ。
メセニーのCD群のとなりにアイラーのCDが並んでいるのは、どういうわたしの趣味だったのだ。 耳の渇望に『スピルチュアル・ユニティ』に手が伸びる。 ・・・ふおおお。全身マッサージを受けながら温泉にどっぷりつかるような癒しの真のフリー・ジャズ。 清水俊彦せんせいがライナーを執筆している。 このCDに収められている「スピリッツII」というテイク(この曲は「スピリッツ」ではないのだが)は、初期にごく少数プレスされた盤にしか収録されていない、レアな代物である。 清水せんせいはこのCDのライナーを執筆した93年に、「ぼくの知る限り、どの文献・記事においても全く言及されていない」とし、これに気付き指摘したのは2種類のアルバムを所有している佐藤満夫氏であることを付記されている。
佐藤さんはぼくのフリージャズの先生とも言うべき方で、ブロイカーもシュリッペンバッハもベイリーも英国フリーの重要作品はすべて佐藤さんちのステレオで体得した。聴いた作品は復習のためにすべてカセットにして持たせてくれた。『Chine』(87年録音)を入手してスクラヴィスの才能に驚嘆したのは二人とも同時だったような気がする。
・・・メセニーのCDは全部売ってしまおう。
アイラーのとなりにあったのは、 イヴァ・ビトヴァの『44 Duets for Two violins by B. Bartok』(Rachot Behemot 1997 R0011) >試聴できるようです■。 これは演奏している意識が良ろしいというか。バルトークが楽譜に残したものが、巫女の声や弦の運びを通じてよみがえるような作品。 だけど、バルトークの意図した枠組み、の、時代性、とは、あまりにも離れている表現なので、2006年に聴くと、ちょっと痛い。97年の彼女らが痛い。 これもブックオフだな。
▼ フールズメイト誌の初代編集長だった北村昌士さんが亡くなっていたことを知りました。>■
▼ くるりの「オールドタイマー」「さよならストレンジャー」を聴く。
街は毎日が新しい。長女の部活費用その他、聴いてからCDを売ることにしよう。
2006年10月13日(金) |
『メセニー・メルドー』を聴く |
『メセニー・メルドー』を聴く。 メルドーがメセニーに影響を受けていたという視点で、メルドーの表現を聴いたことはなかったかな。 メルドーのピアノが持つクラシックの影響、それはもうほんとうに手くせの一部になるほどたくさん練習してきたのだな、と、思わせる。これを聴き手が、クラシックの断片に分解して聴いてしまっているというのもわかりやす過ぎて、よくわからない。 メルドーのピアノが醸す不穏な才気、というものは、わたしのように殺気とか気配とか武道家が見抜く気の色彩にさらされる仕事の人間には自明なものがあるのだけど。
メルドーのメセニー初体験が『トラベルズ』収録の「ついておいで」だったという。 かわいいー。 というか、正しい。まったく正しい。当時のジャズに限らずロックも含めたすべての新譜でこのライブヴァージョンの登場ほど、LP屋の雨漏りのしみあとが残る天井に夢を見せた音楽はなかった。 ぼくは大学の図書館で、閉館を知らせる放送のBGMがこの音源だったことに、見知らぬ選曲者に世界に向けて発音する自信の気持ちを送った。
『ザ・ウエイ・アップ』という最新作で、かなり次元の高い音楽に到達しているメセニーなのだけど、こういう録音もいいですねえー。なんにも新しいことは起こっていないし、起こらないこともお互いにわかっているし、ふたりの共演がどんなすてきな音楽になるのか最初からわかっているので、音楽に演奏させている、という、そういう演奏。
そうですね、音楽に演奏させられる、という次元のミュージシャンはあまりいないかもしれません。
こないだ宇都宮から1時間ほどの大田原温泉へ。飲める温泉。700えん。 今日は光が丘おふろの王様へ。足腰のしびれ、ふくらはぎの張りには断然の電気風呂。600えん。
運転しながらてきとーにCDをかける。なんだっけ、これ。 ジョン・サーマン、バール・フィリップス、スチュ・マーティンの『ザ・トリオ』2CD。はやくもCD廃盤貴重盤になってしまった。 むかしアナログで聴いた頃は衝撃的なものに聴こえていたのに、ね。
ジャズ・クラシック・マスターピス4枚組ボックスが2種ある。 東京に出てきた頃に通った水道橋の喫茶店スイングで聴いていたディキシーランド・ジャズを浴びたくてかけてみた。 ウイントン・マルサリスは見事だと思うものの、何が足りなかったのかというと、1926年とか1918年とかの録音の持つオーラというものなのだろう。マルサリスのほうが上手いし、音楽は正確で親切である。つい「ホンモノ」という言葉に寄りかかってしまいそうになるけど。
それに、1926年とか1918年とかの録音は、2006年のぼくの耳によって、聴かれているとはたして言えるのだろうか?
マディ・ウォーターズの最初期41〜42年のプランテーション録音の「カントリー・ブルース」に、いきなり耳が反応しすぎる。ジャズ・即興の耳で、ばりばりに感じまくってしまうのである。なんつう凄い演奏なんだ。2006年の極東の日本国において45さいのオッサンが聴いている41年のマディ・ウォーターの演奏は、聴かれているとはたして言えるのだろうか?
ミスチルの新曲は「しるし」というのか。
ミスチル「箒星」の間奏のギターに、 甲斐バンドの「ビューティフル・エネルギー」と渡辺真知子の「唇よ熱く君を語れ」、いずれも80年の歌謡曲作品、 が、反響して聴こえて仕方がない。記憶ってふしぎだ。
しばらく作れないかな、と、思っていた編集CDRを作った。
英WIRE誌の年間定期購読の更新を忘れていたのを挽回した。
能登半島の地図を見ては行ってみたいと思うのだった。 四国全図の地図を大きく貼ってながめていたいとも思うのだった。
反グローバリズム、マクドナルドへは行かない、と、言ってみているだけであって、イオンに家族で行ったりして、HMVのCDラインナップのひどさにはそれなりにその品揃えの枠内で何枚か買ってみたり、したり、成長する子供たちを見ているだけで、わたしはいいのだ。 もし日米安保反対学生運動が勝利を勝ち得ていたら、ロシアや北朝鮮になっていた可能性はあったわけだ。
即興サックス奏者ジョン・ブッチャーの新作を聴きながら月をながめる。枝豆がおいしい。
未聴CD、送付されてくるCDなど山ほどあれども、ふさわしいコンディションにならず。 こないだここで言及してたクラブエルフの新譜はレヴューする価値、あえて耳にする価値なし。
ヒットチャートにろくな楽曲がエントリーしないとか、なげくな息子よ。 これがだよ、価値ある楽曲、というものを想定してみ。神さまが判断するんかい?絶対的価値体系というものを。 で、その価値体系の定規がかりにあったとして、だよ。その順序どおりにランキングされて示されたとしてみ。
ジョン・ブッチャーのポトラッチからの新作は、サックスとループ操作の共演即興盤なのだけど、稲垣足穂の世界に親和性高し。
ユリイカの稲垣足穂特集号。 装丁はダヴレクシーとかときめかせていたひと。
ハウルは空海だよ、って、ぼくが言った意味を、ぼくはようやく見つけた。 空海は室戸岬で明星が口に飛び込んでくる体験を経ている。
ぼくが音楽を聴こえるようになった理由はみんなには教えない。
「roses for you / Carlos Bica & Azur featuring Frank Mobus, Jim Black」 「しらけちまうぜ / 小沢健二&東京スカパラダイスオーケストラ」 「箒星 / Mr. Children」 「Save Me / Queen」 「すぐに会えるかな? / 小沢健二」 「CANDY / Mr. Children」 「Children / Albert Ayler」 from “Ghosts”
「さよならなんて云えないよ(美しさ) / 小沢健二」 「強い気持ち・強い愛 / 小沢健二」 「ラヴリー / 小沢健二」 「ドアをノックするのは誰だ?(ボーイズ・ライフ・パート1:クリスマス・ストーリー) / 小沢健二」 「ぼくらが旅に出る理由 / 小沢健二」 「戦場のボーイズライフボーイズ・ライフ・パート2:愛はメッセージ) / 小沢健二」 「いちょう並木のセレナーデ / 小沢健二」
「戦場のボーイズライフボーイズ・ライフ・パート2:愛はメッセージ) / 小沢健二」
そしていつか夏のある日 太陽のあたる場所へ行こう 子供のように手をつなぎ 虹の上を走るように この愛はメッセージ ぼくにとって祈り ぼくにとって射すひかり いつだって信じて! いつだって信じて!
この愛はメッセージ 祈り ひかり つづきをもっと聞かせて
2006年10月03日(火) |
キース・ジャレットの『カーネギー・ホール・コンサート』 |
こっこの「焼け野が原」を初めて聴いた友だちが笑い出した。 「わはは、クレヨンしんちゃんみたいだ!」
・・・もう2度と「焼け野が原」を聴いてクレヨンしんちゃんを意識しないで聴くことはないのだろう。 ・・・こういう聴取体験に加えられた外傷について、わたしは後遺症障害慰謝料を請求したい気持ちになったものなのであるが。 ・・・わたしもむかし山下達郎の「メリーゴーランド」を聴いて「うしろでロシアのコサックが腕組んで“ウッ”と踊っている」と言ったがために、「ただくんなんて、きらい!」となみだ目で訴えられたことがあった。
編集CDR『Feel Myself - 2004 Feb.』 01. Feel Myself / 坂本真綾 (6:58) どうしてこの曲で世界はひっくりかえらんのじゃー。 02. The First Circle / Pat Metheny Group (9:18) 続くナンバーはこの天上サウンド世界しか、ありえねー! 03. 焼け野が原 / Cocco (4:18) 「雲はまるで燃えるようなむらさき、嵐が来るよ」、これはもはや『嵐が丘』の世界。 04. 主よ、人の望みの喜びよ / 高橋悠治 (3:03) バッハにしかリレーできない流れ。 05. うちゅうひこうしのうた/ 坂本真綾 (3:50) NHK『みんなのうた』で放映。宇宙飛行士と農夫のカップル、すてきだ。 06. ヒーロー / 坂本真綾 (2:49) デヴィッド・シルヴィアンの『Blemish』ばりの接触電子音的なアレンジがたまらん。ちとケイト・ブッシュ的。 07. evergreen / my little lover (5:46) まるでメセニーグループの音場感。マイラバはこのアルバムだけが傑出している。 08. I’ll Be (live version) / Mr.Children (10:01) ミスチル絶版ライブ2CD『1/42』より。このあと「花」に続くというハイライト部分だ。 09. Are You Going With Me ? / Anna Maria Jopek & Friends with Pat Metheny (8:41) 2月度MVP曲に認定せり。 10. Hero (inst) (4:04) オルゴールで演奏されたミスチルの「Hero」。 トータル58分51秒
キース・ジャレットの『カーネギー・ホール・コンサート』を聴き始める。 前作の『レイディアンス』のついては、サイトJazz Tokyoでわたしは絶賛した。レビューに一点の間違いはない。
そして『カーネギー・ホール・コンサート』についての結論だけ言おう。 これはジャレットの旅路のおしまいである。 アイヒャーがNYタイムスに「この録音は(キースの)過去と未来を完全に写し出す鏡のようだ。ふたりで旅を始めた頃よく耳にした懐かしい音楽がたくさん聞えてくる。ただし、音の佇まいやフォルムはまったく別物だが。彼のピアノは時の流れとともに長足の進歩を遂げている」と、言ってもいいが、エグゼクティヴ・プロデューサーの立場に留まったところにアイヒャーの誠実さ、「こんなもん、おれのクレジットでは出さんがね」が真意、を示している。
マガジンで松尾さんは7点なんて中途半端な点数つけているけど、信用なくすよ。
この作品を聴いてジャレットを認識する若きリスナーの不幸を思う。ジャレットの70年代の録音には、70年代のオーラ(としか言いようのないもの)が横溢している。これは、70年代を、追体験であれ、様々な音楽や文化現象の空気やモードを感得すればするほど、わかってゆくことだと思うので、リアルタイム体験者の優越に絶望するものでもない。 ここで聴かれる、70年代のオーラを纏わない、かつて70年代に視ていたヴィジョンを、解像度の高いピアノ技術でなぞられても、それはCG合成実写版サザエさんのようなもので(このたとえはへんかもしれないけどね)、音楽として、成り立っていない、のだ。
「パート7」には、赤いちゃんちゃんこを着たアメリカ人のジャレットが映る。ぼくは応える、「キース、もう、おじいちゃんになっていいんだよ、いままでほんとうにありがとう」。ぼくも万感の拍手を送るよ。そういうふうにわかりあった拍手だった。だから「パート8」には、赦しのような優しさが降りてきているのだし、そこには年老いた「ステアケース」もステージに並んでいたようですが。9と10はゴミです。1から6もゴミです。 「フォー・アメリカ」、失禁した老紳士がおむつからすえた臭いをさせてベランダで陽にあたりながら立っています。なんかポーズつけてます。エンディングは、それって醜いって、あれだけ自覚していたはずじゃなかったのかな、と、がっかりさせます。 「ペイント・マイ・ハート・レッド」「マイ・ソング」「トゥルー・ブルース」「タイム・オン・マイ・ハンズ」、聴く時間がもったいなかったかな。 これらは、聴衆からもらった音楽でもあります。ジャレットは哀しいピエロのようです。このきたならしい観客の反応は不快です。
ぼくの驚きは、『レイディアンス』と『カーネギー・ホール・コンサート』の落差です。 Jazz Tokyoを主宰している稲岡さんが『レイディアンス』のレビューはぼくに書くか打診があったのに、『カーネギー・ホール・コンサート』にはなかったのには。ぼくは、稲岡さんの信頼に応えられる耳でいつづけようと思いました。
2006年10月02日(月) |
the sea I + II / Ketil Bjornstad, Terje Rypdal, David Darling, Jon Christensen (ECM 1545) |
さいごに『海』を聴いてから、おおよそ3300日。 この15分23秒をすみずみまで憶えているけれども、 この15分23秒は、ぼくの耳の前で鳴るのでなしに、あれからの日々を連れてくるようなのだ。
いつのまに、それなりにジャズや即興を判断する耳を持ってしまったぼくは、 これがどのようにつまらない演奏なのか、どんな演出の程度なのか、演奏者の意識のあり方までが、手の中に収まるようで、
ぼくは、哀しくなる。
そして、ほんとうに、ほんとうを、もういちど、聴きたくて。
ほんとうに、ほんとうの、美しいことに、出会いたくて。・・・あわてて、手にしているものを捨てるんだ。
これは誰かにわかってもらうものではなくて、ぼくの中に輝いているもの。
リピダルがギターで海を現出させる。クリステンセンが乱打する。ダーリングのアルコが響く。ビョルンスタのピアノが漂う。
音楽は見えるものだとぼくは強く思う。
ちるミス名曲 世界ランキング 2006年10月4日付 01. 天使たちのシーン / 小沢健二 02. the sea I + II / Ketil Bjornstad, Terje Rypdal, David Darling, Jon Christensen (ECM 1545) 03. Feel Myself / 坂本真綾 04. くるみ / Mr. Children 05. 恋は夕暮れ / スピッツ 06. Souvenir / Orchestral Manoeuvres In The Dark 07. 雪ヶ谷日記 / あがた森魚 08. To Here Knows When / My Bloody Valentine 09. I’ll Be Seeing You / Billie Holiday 10. 心の旅 / チューリップ 11. Saturday June 2nd, "Lettres de Rodez", letters from Antonin Artaud lead us through the town of Rodez, with the Théatre2 l'Acte - Rodez Cathedral featuring Michel Mathieu, Chantal Riotte and Nadia Mouëza. (9:07) / Tetsu Saitoh, Michel Doneda 12. Strawberry Fields Forever / The Beatles 13. TSUNAMI / 菅原洋一 14.
あ、いけね、ペットサウンズを入れなければ。作り直し。
2006年10月01日(日) |
これってホメことば? ・ 「Terje Rypdal in studio1」 |
おこんばんは。 ジャレットの新譜をまだ聴いてないのですが。 ミュージック・マガジンで「その場にいたかったと思わない人には拷問だよ」と書いていた松尾史朗さん。 それってほめことば〜。それってほめことば〜。
「これってホメことば? うた:ことばおじさんとアナウンサーズ」 ■
「Terje Rypdal in studio1」 ■ うおお。 冒頭でコングスハウとアイヒャーが映っているぞ。70年代の映像だな。んっと、どのECM作品なんでしょ・・・ >わかった方おしえてくださいまし
あ、ジャレットやスクリッティ・ポリッティの新譜が届きました。ありがとうございます!この場をかりて御礼申し上げます。
なにげに、hitomiの復活に可能性を見てみたい気持ちが・・・。よく聴いてないけど。このコの声は特別なものがある。 Nokkoも復活してほしいなあ。
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