Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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自力で空に浮かぶ夢、ブレーキがきかなくなる夢、走っても泳ぐようにしか前に進めない夢。 電話がつながらない夢。 夢の中にある街、の、あのマンションの、あそこに住んでいるひと。
日本語を使っていても、思考の組み立てはすっかりグローバリズムの起動ソフトの根幹たる西洋哲学さらにキリスト教。
いつも風景から人工物を消去してみる。 アパートにいても空が見えて春日町から田柄にかけての地形が浮かびあがる。 事務所にいると地上6メートルに浮かんで市ヶ谷の地形が浮かびあがる。流れていた川が見えはじめる。
新宿の高層ビルの39階で打ち合わせをしたら怖くて心臓とひじが痛くなる。
だれもがはだかである、とすると、彼は何をしているのだ?そのこは何に悩んでいるのだ?そのアダルトDVDはなんだ?その仕事はなんだ?そのコトバの作用はなんだ?その意図はどんなものだ?
そうしてでも聴こえてくる音楽というものを捜しているような気がする。
2006年06月27日(火) |
中山康樹著『大人のジャズ再入門―マイルスとブルーノートを線で聴く』(朝日選書)、 |
岡村靖幸の「ファミリーチャイム」ばかりが耳に鳴るなあ。
夜勤者なので日中に、ここ数日は連日ひやむぎそうめん揖保の糸で爆睡する、に、ちょっと汗だくになって起きた。練馬の気温は31度まであがったらしい。となると閉め切りにしておいたわたしの寝室は推定36度なのである。これからは網戸にして寝なければならない。
ミーハーですが、万人安心的な、わたし的には「書を捨て町に出る」サウンド、s club 7。
中山康樹著『大人のジャズ再入門―マイルスとブルーノートを線で聴く』(朝日選書)、 マイルスを年度順に。状況考察が加わって、とても面白い。大人のジャズ再入門、というタイトルは、この真摯な執筆に対して失礼な感じがする。線で聴く、という部分がこの著作の輝きだと思う。レトロなデザインは好き。中山康樹が選ぶ80年代以降のジャズ名盤、というのを読みたい。ポストパンク時代の(に輝いた)ジャズ名盤、という感覚。ただし、中山さんは「そのような盤はなかった!と断言する」と言いそうな気も。
そいえば。初めて買ったジャズのLPは「カインド・オブ・ブルー」だったのを思い出した。 1981年に新宿西口広場で行われた来日公演に行ったです。チケット7・8千円してたっけ。よくわかんないサウンドがえんえん続いて、ようやく出てきたマイルスが一発吹いただけで、サウンドの色彩が変化したこと、動いているマイルスを目撃したという意識、それしか記憶にない。2枚組ライブ盤『We Want Miles』を聴いて、こんな演奏していたのか!と、あとから驚いたりして。
2006年06月26日(月) |
・・・ランタンパレードの「ひとりの求愛者 立春編」、 |
virgin beauty / ornette coleman
ジダンがゴールを決めたので。 マルセイユ・ルーレットならぬ、練馬春日町ルーレットをサッカーボールで決めてみたいのだが。サンダルなのに。 中学ん時と35ん時にサッカーやりました。いまはボールを蹴って光ヶ丘公園を歩いてるだけで楽しい。
昨夜は師匠からの編集CDR『墨田妖児の主成分』■を復習し、またフランク・ザッパとヘンリー・マンシーニに耳が釘付けになってしまうのであった・・・。
お。わが息子より。■ 小松未歩って、だれやん・・・。なんと、GIZA Studioやんけ。愛内里奈と三枝夕夏IN dbと倉木麻衣の、かわいいこに歌わせればいいとだけ考えているGIZA Studioやんけ。上原あずみは中古盤で狙ってるんですが。 ・・・親子でGIZA Studioを聴いているなんて、わしは哀しいぞ、もとい、嬉しいぞ、・・・もとい、哀れ、・・・
Nくんからの編集CDR、75分強×2枚組、『beautiful』『瞬間』■への感想文をそろそろまとめます。
・・・ランタンパレードの「ひとりの求愛者 立春編」、この世界にたった独りで宇宙を背負って求愛する、いわゆるコクる、いわゆるそれは宇宙の開闢(かいびゃく)、ビックバンへのジャンプ、踏み越え、もはやアナタは女性でも固有名詞でもなく、もはやボクは男性でも固有名詞でもない、そこには光があるのだろう、そういう確信と、宇宙が消滅するような絶対零度の46億年の不安、の揺れ。なかなかあなどれない現在形のサウンド。
『ACROSS THE ENDING / HAWAIIAN6』
2006年06月21日(水) |
それにしても、『Me-imi』は素晴らしいのだ |
光ヶ丘図書館へサッカーボールを蹴りながら出かけると、フリーマーケットがあって、岡村靖幸2枚、エアロスミス2枚、ラブサイケデリコ1枚を各100円で購入。 『家庭教師』『禁じられた生きがい』を久しぶりに聴くけど、こんなに音がショボかったっけ、こんなに詰めの甘い楽曲だったっけ、と、なんともがっかり。リマスタリングして、作品を復活させるべき。 それにしても、『Me-imi』は素晴らしいのだ。初回限定盤のDVDをまだ観てないけど。それにしても、また部屋の中でどこかへ行ってしまった。冷蔵庫の上の2つめの段ボールん中か、トイレ扉前の5段重ねプラケースん中か。
今月中に渋谷メアリージェーン■に行くぞ。 ベニー・モウピン・アンサンブルとか、ノルウェーのクインテットFlorebiusのCD『House of Flour』■とかが。どんなんだろう。
去年の夏のある夜だったか、一晩中オールマン・ブラザーズ・バンドのライブを聴いて仕事したことがあった。20代のギターをやっているバイトくんと「さいこーだねー!」と言葉を交わした、横浜は港山下界隈での星空。 CD買っておかねばね。デラックス・エディションなんてのがあるのんねえ・・・ 『フィルモア・イースト・ライヴ+6(デラックス・エディション) / オールマン・ブラザーズ・バンド The Allman Brothers Band』■ オールマン・ブラザーズ・バンドについて>■
2006年06月20日(火) |
井上陽水が「ブライト・アイズ」というカバー・シングルを出していた |
あれは1980年だった。 創造性はピークに達しつつもセールス的には明らかに落ち目に映っていた、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」もまだ作ってない時期の井上陽水は「ブライト・アイズ」というカバー・シングル!なんてものを出していた■。 この曲はアート・ガーファンクルのオリジナルで、前年に全英No.1ヒットになっている。 アニメ映画『ウォーターシップダウンのうさぎたち』の主題歌、とのこと。 こんなに背中の寂しい陽水の歌声はこの時だけである。
なんとも淡く儚げなメロディーである。失敗とか不成功とか失意とかしくじりを暗示する旋律である。
このバックサウンドのオーボエだかファゴットの響き、は、フリッパーズ・ギター「ドルフィン・ソング」に聴こえるんだよね。
そして、あからさまに「神のみぞ知る」を旋律引用した(パクったとは言わないで)「ドルフィン・ソング」が“ほんとのこと 知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり”と歌い終えるとき、ブライアン・ウイルソンの「サーフズ・アップ」に意味をピタリと合わせてくるあたりに、20代小沢健二の恐るべき天才性に思い至り、実はファゴットの響きに込められた失意の暗示もまた小沢はわかっていたのかもしれない、小沢もまた「ブライト・アイズ」をそのようなものとして聴いていたのかもしれない、と、ぼくは思うのだ。
そんなに荒唐無稽なハナシだろうか?
話は変わって。昨日言ったホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラブ」が入ったCDRには、エイフェックス・ツインの「Girl/Boy Song」も入ってて。
テクノ界のモーツァルトなんて言われてたリチャードDジェームス、ぼくはこの曲だけでこの種の音楽の視野は了解し切ったところがある。
あと、ガスター・デル・ソルの『Upgrade & Afterlife』だけで、音響派の行く末は読めたし、この作品を聴いた96年の時点で、ぼくは「アコースティックの復権!」を主張していた。FADER誌がディレク・ベイリーを取り上げるのも、同時代の耳にとっては必然があった。そもそも即興耳はそこに焦点が当たってしかるべきだった。読み飛ばされてきた、のか。“新しい聴取”として新装開店したような、“新しい”モード。
となると、この10年、新しいものなど何もなかった、か。伝統的なもの、が、美しく蘇えってきた10年。 “ぼくらは 古い 墓を あばく 夜のあいだに” 「colourfield」 (小沢健二)
2006年06月19日(月) |
あったあったホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラブ」。 |
きよちゃんが赤ちゃんのころ寝息をたてていた掘りごたつに、近所の猫がある日入ってしまって仔猫を生んだのだった。 なまえはココアとミルク。
あったあったホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラブ」。 デュルッティ・コラム■の「リップス・ウッド・ザット・キッス」も入ってるし。ビョークの「ハイパーバラッド」、パット・メセニー■の「ディスマントリング・ユートピア」、フリッパーズ・ギターの「ドルフィン・ソング」、マイ・ブラディ・ヴァレンタインの「スーン」、フライング・ソウサー・アタックの「オーシャンズ」、ウィレム・ブロイカー・コレクティフの「イマジナリー・シンフォニー・オン・ジ・エア」■・・・
このCDRはまことくんちで作ったのだ! あれ、これ、それ、と、まだ編集CDRを作れなかったぼくの指示で、まことくんは必死になって部屋中のCDをかきまわして作ってくれたのだった。 なぜかラストナンバーがボブ・ディランの「風に吹かれて」だったりするところがかわいい。
2006年06月18日(日) |
Tokyo No.1 Soul Setのシングル「ヤード」 |
2週間前にTokyo No.1 Soul Setのシングル「ヤード」を、不意打ちのように再入手して聴いたのだった。
上の歯と下の歯がどうやらうまく噛み合わない、とか、その歌詞の部分になると、歯がはえはじめてきた長女のはぐきを指で押さえた感じ、とか、上の歯と下の歯を噛み合わせてクリクリと音をたてていたその表情とか、が、脳裏に浮かぶようなのだ。
この曲は96年に発表された、と、ある。なるほど、それでは長女、長男、次男の歯のはえはじめ、を、ぼくはいとおしんで過ごしていた時期である。子どもの歯のはえはじめ、は、特別に感動的であり、野性の顕現であり、その子の人生の行く末を祈るしかないような途方もない気持ちにさせられ、歯が出てくる疼きを親は身勝手に想像してもみる。
5〜6さいまでは、子どもは親の身体の一部のようなのであった。
そういったことを、「ヤード」だけが、リアルに想起させる。音楽だけが、そういったちからを持っている。
16才になった長男が作った編集CDR『after 10』の1曲目が「ヤード」だった。それを聴いたのは、長女をうしろに乗せて品川へ向かう途中、東北自動車道の館林インターに入ろうとする頃だった。18才の長女が何かを言ったような気がするが、うまく聞きとれなかった。
2006年06月17日(土) |
「テイルズオブアナザー」 |
うおおー。みんな待ってておくれー。おいらがこれから作成する新作編集CDR。5枚組くらいで行くぞー! 息子への教育的配慮も兼ね備えるために、必聴アルバム1枚まんまをざっくりと入れてしまったり、 聴くにあたっての究極のポイントを述べるライナーノーツ!(うおお!いい響きじゃっ)も執筆するぞ。
・・・あいつも高校一年だし、「インナサイレントウエイ」と「スピリチュアルユニティ」と「テイルズオブアナザー」を入れとくかー。・・・もうしわけないなー、人生をぼうにふってしまうなー、こんなすごい音楽聴いてしまうとなー。
実はCD1は作ってしまったのだ。ボヤン・ズルフィカルパシチ、プリンス、小谷美紗子、アジカン2曲、マーク・ターナー、クリストバル・ハルフテルそしてフリートウッド・マックの「セーラ」、キース・ジャレットの「ステアケイス・パート2」!
かー、たまんねー!「セーラ」の立ち上がり、7分すぎに時間が静止してしまう「ステアケイス・パート2」・・・
・・・
さて、1年越しの超難題であったロヴァ耳レビュー@ミュージサーカス、 日本音楽の巨匠シリーズ全25巻。■ 最初に手に取った1枚、豊竹山城少掾(とよたけ・やましろのしょうじょう)が年間ベストに確定してしまう衝撃。 全巻踏破をしなければなりません。
2006年06月16日(金) |
渋谷メアリージェーン・あるパトロンの肖像〜パウル・ザッハー生誕100年記念 |
おれはもうおじいちゃんなんだよっ!と体力の無さに逆ギレしていたわけですが、新宿ピットイン→渋谷メアリージェーン■→出勤の予定が頭痛のため果たせず。 しかし、この知るひとぞ知る最強のジャズ喫茶、渋谷メアリージェーンの新譜のラインナップに、 ジャズのときめきざわめきいんわいわいざつふおんなさっきをかんじて、おのれを恥じるぞ、イブ・ロベールの新譜だぞ!
・・・な、なんでわたしは土曜日に休めない仕事をしているのでしょうか。 8月26日(土)19時にこんな刺激的なプログラムがサントリーホールに予定されているのだー。
■ サントリー音楽財団サマーフェスティバル2006/MUSIC TODAY 21 サントリーホール ● あるパトロンの肖像〜パウル・ザッハー生誕100年記念<室内楽> ストラヴィンスキー :弦楽のための協奏曲 二調(バーゼル協奏曲)(1946) シャーンドル・ヴェレシュ :弦楽のための4つのトランシルヴェニア舞曲(1949) ハインツ・ホリガー :弦楽四重奏曲(1975) パウル・ザッハーを讃える12のチェロ独奏曲より ルチアーノ・ベリオ :言葉は消える...(1979) ベンジャミン・ブリテン :テーマ「ザッハー」(1976) アンリ・デュティユー :ザッハーの名による3つのストロフェ(1982)
2006年06月15日(木) |
明日は平井庸一ギター・トリオ!での新宿ピット・インだ。 |
明日16日、ギタリスト平井庸一がふたつのギター・トリオ(!)で新宿ピットイン■昼の部に登場する。 ■平井庸一(G)・増田ひろみ(As)・橋爪亮督(Ts) ■平井庸一(G)・都築 猛(P)・蛭子健太郎(B)
ジャズ耳に回帰しつつある今日このごろ、このライブを観に出かけられそうだ。このあと仕事があるのでスーツ姿で聴くのが難点であるが。
新宿御苑、新宿区四谷図書館、ダイクマでCDRとアディダスのサッカーボールを買って、公園でボールを蹴ったあと、魚屋路、ととやみち、で、回転寿司。
子どもたちの所有する4台のケータイ通話料が今月は合計で¥28919の請求だった。
マーク・ターナーの『バラッド・セッション』。
作曲家のリゲティ、指揮者の岩城宏之が亡くなった。
2006年06月14日(水) |
ECMマニアネタ2つ |
平和台駅前の通り。
ようやく小谷美紗子■の『Then』と『night』を見つけたので、まもなくはせさんじます、師匠! それにしてもぼくのまわりにおだにファンがたくさんふえているのがうれしい。
そいえばよ、長女の夢をかなえるために今月は6まんえんの臨時出費を覚悟したのであるから、よ、みんながまんしてくれよ、世界中の創造的なミュージシャンのみなさん、長女以外のわたしのご子息のみなさん、ならびにガールフレンドのみなさん、そして今月こそは協力してほしい、中央競馬出走馬のみなさん、ロトしっくすの玉のみなさん。
森まゆみさんのエッセイ『にんげんは夢を盛るうつわ』で。 ・・・どうしたらこんな粒立った音が出るのだろうか。 ・・・この静かなジャズは、死んだひとを悼む音楽のようにも聞こえ、心がゆれる。 と記述される作品がこれなのである。 ECM原盤は廃盤となったままであり、幸い世界中で日本盤だけがアマゾンで販売されている。■
日本テリエ・リピダル協会イタマキ星にお住まいの友人より、情報提供がありました。 レバノンの詩人ジブラーンの「予言者」■の朗読に、ケティル・ビョルンスタが音楽をつけ、テリエ・リピダルがギターを奏でる作品。■ ううう。ノルウェーでしか入手できないCDではないか。どうやったら手に入るのだろう。ノルウェー大使館の資料室にはあるのだろうか。だれか聴かせてください。
2006年06月13日(火) |
ブノワ・デルベックのソングラインからの新譜『Phonetics』はマーク・ターナーを含んだクインテット編成なのだった! |
こんばんは。新月グループ、さばさば組のたぬき、の、ただです。■
太陽グループ、そよそよ組のチータNishi9raくん■(ぼくとの相性100%!すげー!)からの編集CDR『瞬間』『Beautiful』(2枚同時リリース、ロヴァ耳親子贈呈対象、Jポップ+Jロック+洋楽の渾身の傑作)の紹介が遅れておりますが、その返信CDR対策に、プリンスの「3121」と小谷美紗子の「奇跡」をつなげてみたら、あまりに良くて鼻血が出そうになった。なんでこんなに気持ちがええんや。ぐええ、いつだかの高柳昌行〜ポール・マッカートニーの曲順に匹敵し凌駕する展開である。・・・ひとりで楽しんでおります。
この10年に頭角をあらわしてきたジャズ界の才能、マーク・ターナーとカート・ローゼンウィンクル。それぞれのリーダー作を改めて耳にして、感覚の新しさと現在の表現を必然とするその厳しい覚悟といったものの所在に気付かされた。 このふたりはジョー・ロヴァーノ、ビル・フリーゼルと音楽的伝承のラインを描ける存在であることは留意すべきである。
そんなことを思ってネットをいじっていたら・・・思わず息をのんだ。
ブノワ・デルベックのソングラインからの新譜『Phonetics』はマーク・ターナーを含んだクインテット編成なのだった! Benoît Delbecq Phonetics(SGL SA1552-2) Benoît Delbecq, piano (& sampler); Mark Turner, tenor sax; Oene van Geel, viola; Mark Helias, bass; Emile Biayenda, drums
う・・・。おととしのリリースだが。 このCDがジャズ界の話題にならない時点で、世界のジャーナリズムは終わっていると思うぞ。 これはいわば言うなれば21世紀におけるジョン・ケージ、ミーツ、レニー・トリスターノ、ウォーン・マーシュ的展開なのである。天才ブノワ・デルベック、まんをじしてジャズ界に登場。うおおお。 ジミー・ペイジとロバート・プラントが新しいバンドを組んだ、に、匹敵するようなニュースではないか。はやく聴きたい!
2006年06月12日(月) |
プリンスが夢に出てきた Someday My Prince Will Come |
スウェーデン・チームのベンチに若き日のペーター・ブロッツマンがいたぞ。
丘山万里子「カミロのガーシュイン」■を読む。 ・・・ユダヤの「ブルー」については、彼らの国歌『ハティクヴァ』を思えばいい。・・・ 聴いたことがないのである。この曲、アマゾンで検索しても売っていない。来週光ヶ丘図書館に行ってみよう。どんな曲なんだろう。聴いたことはあるのだろうか。聴いたことはないのに、聴いたことがあると思ったりするのだろうか。
イスラエルががんばってワールドカップ決勝トーナメントに出られれば国歌を聴くことができるな。というわけで、今からがんばれ。
ボヤン・ズルフィカルパシチが来日する。>■
ディスク・ユニオンの告知、岡島豊樹「ジャズを深く知れば知るほど、ジャズとバルカン・トラッドは共通する......」 ■
ジャズ即興系CDを月に60枚以上を購入し120枚は聴取する、それは同好の友人先輩たちとの毎週のCDセッション、富山の薬売りまがいのカラーボックスにCD詰めてレンタルごっこ、CD屋のおねえちゃん、ジャズ喫茶のおじさまのハイコレ、も、含めての熱狂ぶり。 20世紀中のぼくはそのようだった。 「このレーベルで見るラディカル・ジャズの現在」■は、これで宿題はおしまい、の、気持ち。 ここで示した10レーベル、もはやなつかしい、としか思えない、のは、ぼくには旅に出る理由があったからなのだった。
また夢をみた。プリンスが出てきた。
うちの会社には20代30代の筋肉もりもり武闘派な輩がわんさといるのであるが、みんなで集まって、木造4階建て築30年といったアパートのような建物を取り囲んでいる。 建物にはところどころ碁盤の目の木枠に板ガラスがはさまったままに、何年も密封された状態のまま放置されていたのだという。どうやって詰めたものか、建物いっぱいにゴミや家具や布団やがらくたがほとんどの空間を埋めるように詰まっている。これらゴミごと建物を解体しなければならないというのが今日の使命だということだ。今日にかぎってどうしてそんなことをしなければならないのだろう。そんで、建物の中には板ガラスを通して、1センチほどの半透明状態のノミが無数に充満してうごめいているのが見えるのである。 若い連中は「今からやりますんで、たださん、指揮のほう、おねがいしまーす!」と、さわやかに言って動き始めてしまう。 「ちょっとまってくれよ」と、逃げるところ逃げるところ、早くも解体した建物の破片や家具の一部や布団のかたまりが次々と降ってきては、かおじゅうくびじゅううでじゅうせなかじゅうに半透明のノミにたかられてしまう。 「たださん、はやく指揮してください」と声がする。 逃げまわって途方に暮れていると、この解体作業に従事できない人員が避難する四畳半部屋というものが設置されている。 中には白黒テレビがあり、大相撲中継が放映されている。 見ると顔なじみ数人がごろごろしており、「今日のところはおれもこっちのグループだよなー」と言いながら入ってゆくと、武闘派な連中のひとりが「きみたちはなんでこの作業に従事できないのか!」と怒鳴っている最中だった。 「そうは言ったって、ひとには適性があるからさ、もう、やめなよ」と命令する。 「いやあ、おれ、こういう仕事は引き受けないねー、まいったまいった」と缶コーヒー(赤ワンダ)を買ってきて座布団に座ろうとすると、小柄のプリンスが寝そべっているのにつまづいて抱きついてしまう。プリンスは無言のまま大相撲中継を観ている。 ぼくはプリンスのおへそからちくびのあたりの体毛をなでながら、怒鳴っていた部下を見上げて「おまえさ、このひとを誰だと思ってんだよ!プリンスだよ!音楽の神様だよ!・・・ええと、・・・おまえら音楽聴かないのかよー!」と、どう説明していいものかしどろもどろになって困っているうちに夢のつづきがわからなくなってしまった。
2006年06月11日(日) |
「うれしい!たのしい!大好き!」 |
音楽曼荼羅にはバッハを中心にチャーリー・パーカーやブライアン・ウイルソン、ジョン・ケージ、ビートルズ、ミスチル、豊竹山城少掾などがとぐろを巻いているのですが、はじっこにではあるけれども、ドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」は入っているのです。わたしのばあい。
音楽曼荼羅は高野山に行った昨年の京都のホテルでぼーっと曼荼羅をながめながら考えはじめました。中心にいるのは誰だろうと問うとバッハだと、それもそうだろうと。
2006年06月10日(土) |
the sea / ketil bjornstad (ecm1545) |
断続的に。推定30時間以上は寝て、たな。 二人乗りの自転車で高速道路をものすごいスピードで飛ばしていたり、空中歩行していたり、 よくわからないナイトシアターで映画を観ていると観客のうしろのほうでフレッドフリスが腕を組んでいたり。 フレッドフリスとCD棚を物色してみて「じゃあ、六本木のWAVEの1990年に行ってみよう」と話がまとまり、 わたしのガールフレンドが運転するイギリス型のキャブに乗り込むわけだ。 なぜか地下にある狭いジャズ喫茶ばかりにキャブは突っ込んで行き、そのたびに「ここでコーヒーを飲んでいる時間はないのですよ」と彼女を叱責するうちに、彼女は怒ってしまって、ぼくとフレッドフリスはふたりでコンクリートでおおわれた地下水道をとぼとぼと歩き始める。 地下道が狭くなったり、迷路になったり、空中で行き止りになっていたり、壁が動いて挟まれそうになったりしているうちに。 はぐれたフレッドフリスがヨンクリステンセンに変わっている。 遠くに見えたはずの月が空いっぱいの化け物のような大きさの月に変わっていて、「これをちゃんとケータイで撮らないといけないよねー」とヨンクリステンセンと手をつないで困っていると、 丘の上にオレンジ色の看板を立てたジャズ喫茶が見えた。 「疲れたから、あそこに行こう」と歩いてゆくと、クリステンセンが暗闇に立っている長身の男に「ケティル!」と呼びかける。 「タダじゃないか!」とケティルはほほえむ。「8年前に大使館で会ったよね、きみはぼくの演奏をわかってくれていたよ」と、ああ、そうか、ケティル・ビョルンスタだ、ここでクリステンセンと会えるなんて、すごく嬉しい。 話してみると、ビョルンスタとクリステンセンはふたりで録音することをマンフレット・アイヒャーに禁止されている、ということなのだった。そうだね、ふたりが演奏してしまったら、世界が壊れてしまうような美しい演奏になってしまうよね。 「でも、日本じゃふたりの演奏を録音できるスタジオはないよ、その技能を持つ人材は日本にはいないよ」と、ぼくはふたりに話している。 困っているうちに、この夢の続きはわからなくなってしまった。
2006年06月09日(金) |
『ファンクラブ / アジアン・カンフー・ジェネレーション』 |
またたくまの陶酔。 アジカンにはジンタと辻説法と変拍子パンクロックが含有されている。 (こにたんにはのりぴーが。小西真奈美には酒井法子が含有されている。)
アジカンの登場で次第に精彩を失ったのはミスチル、ラルクを筆頭にJポップのビックネームであるような。 ことにミスチル。アルバム『シフクノオト』の「Paddle」、シングル「Sign」以降は。
でも・・・。 おれ、先月だよ。「Sign」に本気に感動したの。まじ遅いですが。・・・ね。
「たいせつにしなきゃ」とちいさく笑った。・・・ううう。・・・こんな彼女がおいらにいたらなあ・・・。
緑道の木漏れ日が君に当たって揺れる 時間の美しさと 残酷さを知る
うええん。ワープロ打ちながら泣いてしまったよ。すさまじく、いい曲だなあ。 桜井くんがライブで、「残酷さを知る」と歌うときの真剣な目。アーティストとして、すごいところまで、行っていると思う。
ふと思ったんだけど、ジャレットはミスチルを知らないだけであって、知ったらさいご、「わたしは、ミスター・サクライのメロディーを知って、即座にスタジオに飛び込んだ。わたしのピアノとの出会いに運命を感じた。音楽の魔法がそのままかたちになっている素晴らしさ。これを教えてくれたクニヒコ・ヤマシタに感謝する。それにしても、キクチは同じ日本人なのになぜサクライを弾かないのだろうか。」と言うのは、歴史的必然なのであーる。そして、発表されるキース・ジャレット『チルドレンズ・ソングス』5CD。チック・コリアが、「な、な、なんでよ」と、度肝を抜かれるべな(同タイトルのピアノ・ソロ作品を20数年前に発表している)。
・・・アジカンを大絶賛する目的で書き始めた今日の日記でしたが。何かご質問でも。
昭和40年の冬。函館本線。夜に。滝川〜砂川間を走った蒸気機関車2台連結の100をこえる長さの貨車。 ふぶきの白光色。
ぼおおと降る吹雪の音に混じってえんえんと続く貨車の響き、が、40年間つづいている。
いっしょにいた祖父は22年前にいなくなってしまった。
いま、そこに戻るというのはどうだろう。
定山渓。支笏湖。朱鞠内湖。深名線。
2006年06月06日(火) |
南インドのカルターナカ宮廷音楽に酔いしれております |
南インドのカルターナカ宮廷音楽に酔いしれております。■
森まゆみのエッセイでバイラークのサンデイ・ソングのことが書かれていて、どきとする。
坪内祐三の『同時代も歴史である/一九七九年問題』(文春新書)。このひと、すごいな。
くるまから降ろしたCD8まい。
2006年06月05日(月) |
「不思議な体験」が好きでのー |
おいこら。■ ユーミンはこんなもんかな、だと? あのな、はっぴいえんどとユーミンがいなかったらいまのJポップはないんだぞ。 おとうちゃんとおかあちゃんがいなかったらいまのおまえはいないんだぞ。
それはそうとして、「不思議な体験」が好きでのー。20ねんぶりに聴きてえー。
ケイト・ブッシュの『魔物語』にいきなり行くか。ファーストから聴かせてやるよ。「少年の瞳を持った男」「嵐ケ丘」から、だよ。
2006年06月04日(日) |
ジュディ・シル(Judee Sill)のセカンドは中古LPで買ったことあったー! |
ひさしぶりに小谷美紗子の『うた き』と『宇宙のママ』を聴いた。 いろいろわかるところ、アメリカンポップスの影響、とか、このアレンジの良さと限界といったもの。 小谷美紗子は、昨年の『adore』と今年の『CATCH』で、またさらに美しい蝶になったよう。
ジュディ・シル(Judee Sill)のセカンドは中古LPで買ったことあったー!どんな歌だったか忘れた。ファーストのジャケがとても1971年には思えない鮮烈さ、だが。セカンド、は、めがねジャケとの初体験。セーラーマーキュリー?ううん、あやなみれい。
コリアの監修するバド・パウエルを聴くわし。クレオパトラの夢がない。
2006年06月03日(土) |
高橋悠治の『フレデリック・ジェフスキー:「不屈の民」変奏曲』(写真)がCDになっていたので、あわてて買った。 |
ギタリスト宮之上貴昭1985年の傑作『ウエス・モンゴメリーに捧ぐ』2LPを完全版として(できれば当時の未発表テイク入れて)CD化してほしいです。
舘野泉ピアノの『ノルドグレン:小泉八雲の怪談に』を聴く。 雪女が老人に冷たい息を吹きかけて老人のそばで子供がおびえているジャケがいい。 しかし、このピアノ、の、表現。・・・舘野泉のピアニズムの視野、とか、マリア・ジョアン・ピリスのピアニズムの丘、に、立つと、キース・ジャレットとか高橋悠治、ハービー・ハンコック、グレン・グールド、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ボヤン・ズルフィカルパシチ、ヴァレリー・アファナシエフ、坪口昌恭などのピアノが児戯に思えてくるから不思議だ。・・・ごめんねみんな、チック・コリアを筆頭にすでにピアニストとみなしてないピアニストがたくさんいるのよ。・・・あ、ブラッド・メルドーは図抜けて見えるな。 立っている場所によって風景は変わること。
高橋悠治の『フレデリック・ジェフスキー:「不屈の民」変奏曲』(写真)がCDになっていたので、あわてて買った。 あ、『いちめん菜の花』もCDになっている。 「6月には高橋悠治の70年代の録音の多くが紙ジャケCDで再発されるという」■ 武満徹の『カシオペア』はツトムヤマシタを、『アステリズム』は高橋悠治を、『ジェモー』はハインツ・ホリガーとヴィンコ・グロボカールを、それぞれ想定して作曲された、と、最近知ったです。
『ジェモー』のふたつのオーケストラはもう少し離して聴きたいし、オーボエとトロンボーンという音のボリューム格差からすると、オーボエは3歩前へ、トロンボーンは3歩下がってオーケストラにまじって、ほしいです。
『ジェモー』を、やはりここはホリガーとグロボカールでもって、ECMで、ライブ録音、してみてほしいです。岩城さんの指揮で。こういうことは実現可能性があるうちにやっておくべきだと思います。おおい、アイヒャー、これだけはかなえておくれよー。
それにしても、 日本の現代音楽のオーケストラものは、ほんとにホールで聴きたい。 ジャズはCD聴けば、わかるんですよ、じつりきもじょうげんちも。ジャズはライブじゃなく、CD!いいオーディオでCD! クラシックはCDじゃだめなんですよ。現代音楽はCDじゃなく、ライブ!ホールに響きわたる空気の揺らぎ!作曲者はCD再生なんてぜったい念頭に置いてない。
ホールでオーケストラを聴くとき、ニセコアンヌプリを見上げている気持ちがするの。
ごめんね、好き勝手書いて。
2006年06月02日(金) |
ソウルフラワーモノノケサミットのセカンドを聴く。 |
高1の息子から「送ってきたプリンスってなに?」とのご質問に「ルイ・アームストロング、マイルス・デイヴィス、マイケル・ジャクソンに匹敵する現代のポップスターである!知らんのか!」と応じたが「世代が違うからねー」と涼しくかわされた。 まあいい。小谷美紗子の「奇跡」という曲に感動してくれれば、おまえの耳は超一流である。 あ、いけね、奥田民生を送るの忘れてた。
今年の上半期ベストのアジカンの『ファンクラブ』を数え忘れてた。いけない、いけない。 きみの細いうでをぼくはわすれない、のだ。
ソウルフラワーモノノケサミットのセカンド(写真)を聴く。
リーダーの中川敬も40さい。■ 好きなアルバム ビリー・ホリデイ『レディ・デイの肖像』、ローリング・ストーンズ『メインストリートのならず者』、マイルス・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』、アルバート・アイラー『スピリチュアル・ユニティ』、アルタン『アイランド・エンジェル』、シャロン・シャノン『イーチ・リトル・シング』、エリス・レジーナ『イン・ロンドン』、チャールス・ミンガス『直立猿人』、オーティス・レディング『ライヴ・イン・ヨーロッパ』、スペシャルズ『モア・スペシャルズ』、etc……
こ、ここでも、スピリチュアル・ユニティ! おれ、マンフレット・アイヒャー、バリー・ガイ、山口孝、平井玄、四方田犬彦、そして中川敬。
2006年06月01日(木) |
このジャケ、首切られるのを連想してしまう。くるりのニューシングル「Birthday」。 |
ぐうう。休みなので、寝まくってた。藤枝静男70代のだめだめなエッセーを眺めては、読んでいる途中から自分の妄想が始まってしまってそのまま夢になってしまう、つまり本をひらいたまま眠ってしまう、という、至福なんだか単なるボケジジイなんだか、よろよろと起きてまた揖保の糸をゆでて食べる。
ランドフスカのゴルトベルクを聴く。 「こういう演奏がクラシックなんだったら、おれ、ぜったいクラシックファンだったぞ!もうー!」、はやく言ってよ、じれったい。
小学校低学年のとき、母親が世界名曲シリーズとかいう毎月1枚のソノシートとブックレットがセットになった教材をおれに押し付けてきていた。バッハとかモーツァルトは毎日テレビのうしろに流れているような気がしていたし、白鳥の湖なんてチャゲアスやビーズやコブクロを聴いたときのような鳥肌がたった。さすがに運命の第4楽章ばかりはハマってしまい、ランドセルを背負って登校する中、第4楽章をずっと脳内再生させていたら、校門直前の横断歩道が渡れなくなってしまった。朝の七重浜の方角の空模様。体育館では全校朝礼が始まっているらしいが、どうしてこの視界に見入ったまま動けなくなったのか、こどもごころに「このままじっと動かないでいても、せんせいにおこられたり、ママにおこられたりするだけで、ぼくのなかのなにもかえることはできない」というようなことを感じていたのだろうと、思う。
担任教師が激怒し、ランドセルを取り上げて「職員室まで来い」といわれた。そのまま家に帰ったら、夕方にその担任がランドセルを持って家までやってきて、わたしは母親にしこたま叱られた。足じゅうがあざだらけになるほど竹のものさしで叩かれ続けた。・・・
このジャケ、首切られるのを連想してしまう。くるりのニューシングル「Birthday」。 初回盤のみ「水中モーター」のLIVEテイク収録。買わねば。しかし、今月はもう金がない。安田記念、ハットトリック、カンパニー、アサクサデンエンで魚沼産こしひかりゲットを狙う!
ふえ。中島美嘉がコステロ〜トゥーサンの共演なんてあったか!見逃し三振であった。■
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