Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年05月31日(水) ágætis byrjun / sigur rós




うつくしい瞳をした。ほそおもての。クリーム色地に花柄。の、ワンピース。交差点からの並木道を。瞳からくちもとにかけての凛とした表情。33分。うすいむね。

いつか遠くからおちてくる粒子。ビルを透明にして机の上を青空にする。
国際興業のバス。

10年後、足元から歩道はつながって、もみじマンションの鉄筋を通って、ダイクマの駐車場をまわって穴を掘ってすすむ。奥の6畳間から深夜に回路ができた瞬間に(約1800メートルがつながる)、穴は二階の屋根から柱をとおって彼女の枕の裏側にとどく。カーテンレールがきちんとつながっていなくて、接触不良の音がする。おとうさんがドライバーでねじをまわすまで何年かかるのだろう。そんなわけで、びんせんに印刷されていたローマ字だけをひろってかえる。

長女への救援物資を。レンジでチンしておいしいもの。グラタン。シチュー。牛乳と玉子。さとうのごはん。ごはんですよ。

坂本美雨か。聴かせろ。小谷美紗子と松任谷由美とプリンスをおおくりいたす。
テストで間違った問題にたいしてどれだけ解答力補強対策をほどこすことができるか、クールにがしがし取り組めるか?

ジャズ系音楽ウェブマガジン『Jazz Tokyo』。と、ジャズ、系、なる表記をする。
今週のこのCD、よさげです。このアーティスト、聴いたことありません。うきうき。




Jazz Tokyo、主幹が悠雅彦。コントリビューターに山下邦彦、稲岡邦弥、丘山万里子とともに、清水俊彦。清水俊彦の名が刻まれている。ものすごい敷居の高さである。わたしなんかめったに書けない(今回のスティーブ・コールマン評は前週が悠さんだったのでびびって書いた)。そ、そこで寺島靖国「わたしはイキなジャズファンになりたい」です。すでに論争は終わってしまいました。
福島哲雄さんがメアリー・ジェーンで行なったライブのアーカイブとか、アンソニー・ブラクストン国内盤のレビュー復刻とか、読みたいぞ。
ジョン・ヒックスが亡くなってた>望月由美さんの写真、貴重なものですねえ。

司修が装丁の小川国夫著『アフリカの死』を読みはじめる。
ふええ。小川国夫はゲイだったのか。なんとなく、わかるきもち。

ジャック・デジョネットの新譜は、ジョン・スコフィールド(g)とラリー・ゴールディングス(org)とのトリオ。いけるはず。

なんでかシガー・ロスのジャケ。21世紀の傑作。


2006年05月30日(火) ジャマル師匠より超然と弾くのが菅野邦彦(70)なのだ





ジャズ系音楽ウェブマガジン『Jazz Tokyo』。
と、ジャズ、系、なる表記をする。

で、ジャズはポピュラー音楽とは一線を画する特別な価値を有する、クラシック音楽とも一線を画するし、民俗音楽とも、うんぬん、という言説に、だったらクラシック音楽をわかっているのか、ポピュラー音楽を、ロックを、パンクを、民俗音楽を、浪曲を、広沢寅造をわかっているのか、と、反語で応じるわけにはわたしはいかないものである。
わたしはジャズを擁護するものである。
わたしは一貫して、ジャズ以外の音楽の万華鏡的な価値を認証してなお浮かび上がってくる、ジャズの優越と特質を擁護しているのである。

トートツに熱弁してしまった。すまない。つい、めぐみちゃんに「たださん、て、ジャズファンじゃない、んですよね、だって、1ねんまえに、ぼくはちっともジャズファンじゃないんだ、って、いってたもの、ね」、と言われて、猛然と反撃したのであった。「あのねえ、ジャズというものはだねえ・・・、これを読みんさい・・・」

『JAZZ“名盤”入門!』(宝島社新書)>新書になって持ち運び利便に。『ジャズCDの名盤』(文春新書)と併用のこと。

で、最初のジャズ・アーティスト、が、ピアニスト、アーマッド・ジャマル師匠!なのね。
(ジャマル師匠を推挙したり、ジャレットにエレピを弾けと檄を飛ばす中山康樹の耳は、天性に正しい)

で、ジャマル師匠より超然と弾くのが菅野邦彦(70)なのだ。

失敗したー!6月2日にライブがあるではないの。>、気づくのが遅すぎた、仕事休めないっ。
菅野邦彦を聴ける現在にわたしは感謝したい。7月にはぜったい行くぞ!

・・・あ。バルカンの刺客ボヤン・ズルフィカルパシチのピアノはプロの耳にかかるとドビュッシーまがいなのか。

写真は『モスラフライト / 高木元輝』。かえすがえすも、これを感じることができる日本のジャズファンとして、かみさまに感謝します。

ありり、日記みかん未完・・・


2006年05月29日(月) フランスとドイツの感覚のみぞ。高橋悠治が指摘した、フランスの脆弱。




オーケストラ・コンサート「武満徹の宇宙」@東京オペラシティ・コンサートホールで、3作品
「カシオペア Cassiopeia(1971) 〜独奏打楽器とオーケストラのための」
「アステリズム Asterism(1968)〜ピアノとオーケストラのための」
「ジェモー Gémeaux(1971-86)〜オーボエ、トロンボーン、2つのオーケストラと2人の指揮者のための」
を聴く。
開演前に「アステリズム」の楽譜を見せてもらっていたもので、クライマックスのクレッシェンドを明確に聴くことができた。
しびれた。武満徹の、極限の響き。
これがまた美しい楽譜だったわけだけど、パンフレットに掲載されていた「ジェモー」のタケミツ直筆の楽譜のほうも、古代文書のような太古の化石のような美しさ。
現代音楽は、楽譜やコンセプトや仕組みを理解する行為、と、音そのもの、に、よって形成されている。と、思う。
ジャズと即興と現代音楽の先鋭的な、と、思われている領域は、そうである。ぼくは、そうは能力的に聴けない、のでは、ある。
楽譜の夢、が、鳴っている、ように、思う。夢、というよりも、ヴィジョン、か。
それにしても。
パンフレットに掲載された作曲家・権代敦彦と高橋悠治の対談。
フランス。オーケストラ。タケミツ・トーン。武満徹の孤独。
「ジェモー」の終わりの短い持続音の、形式に寄り添うトーンに、その孤独の痛み、諦め、を聴く。
高橋悠治のことば、「友だちだからね」。
若き日の武満徹と高橋悠治が、黛敏郎によるおたまじゃくしを楽譜に見せる水槽を覗き込んでいる写真。
ぼくも、その日の夢をみることができる。
「アステリズム」の前半に、オーケストラの中に武満の顔が3メートルぐらいの大きさで。ぼくの眼に映った、のは、気のせいに思ってくれていいのだけど、いつもそういうことは不意にやってきて。

聴く者は、勇気をもって、この夢みたかたちを、未来に投影して、生きて、ゆく、ことは・・・。できる、できない。

フランスとドイツの感覚のみぞ。高橋悠治が指摘した、フランスの脆弱。

スプーのえかきうた
おにいさん絶句、なおかつ失笑、収録しなおし、しないNHKの懐の深さ!それにしても・・・、おねえさん、さいこー!・・・
ヤフーオークションにフィギュアにまでなってる>
14まん6せんえん・・・


2006年05月28日(日) 『星繁き牢獄の提督たちへ / あがた森魚』




『星繁き牢獄の提督たちへ / あがた森魚』

1. オー・ド・ヴィ~Ending~
2. 太陽コロゲテ46億年
3. Song Cycling
4. シャドウレス・ア・ポカリプス
5. 太陽のラルティーグ
6. 珊瑚魔術師の弟子
7. 風光る朝
8. 二十四時間の瞳
9. マッチ工場とあじさい
10. 河童
11. 碧緑サルガッソウ
12. ラム酒の大楽隊
13. 航海V
14. ノオチラス艦長ネモ
15. バス通りには朽葉色

あがた森魚の『ピロスマニア海へ行く』にあった小樽の祝津(しゅくつ)・・・地元では「しゅくづ」「しくつ」と言う比率のほうがおおいようです・・・の水族館には昨年行きました。

80年代末あたりから毎年クリスマスの時期には池袋サンシャインのプラネタリウムへ「プラネッツ・アーベント」を観に行ってました。

シングル「ジュリエッタの夏」の頃にぼくは結婚したのだった。

長女は18になり、わたしは水虫と競馬新聞と赤ペンとロングピースが似合う誰にも相手にされないじじいになり、
あがた森魚の映していたイメージだけが色褪せずにこころに灯って日々が過ぎてゆく。
25年前に感じた永遠と20年前に感じた永遠と10年前に感じた永遠と今日の永遠と、ぜんぶ一緒に手を触れることができる。

オークスはシェルズレイ、キストゥヘヴン、テイエムプリキュアだと思ったんだけどな。
ダービーはジャリスコライト、アドマイヤメイン、ロジック、エイシンテンリューだと思うんだけどな。


2006年05月27日(土) 武満徹『ジェモー』



2006年05月26日(金) prince 3121



2006年05月25日(木) 小谷美紗子『CATCH』




うたはつづく。

小谷美紗子の『CATCH』を聴いている。
きちんとお金を払って音楽を買って、そのミュージシャンを支えるんだ、って、そんなこと、まず、思わない、ふつう。聴きたいから、買うだけなんだ。
資本主義とかグローバリゼーションとかマルチチュードとか、コンセプトで理解することはもちろん重要なことで、
だけど、小谷の歌を聴くと、「ねえ、なに食べる?」
「おいしいね、これはどこのだいこんなのかなあ、どんなひとがつくっているのかなあ」と。

で、とりわけ「奇跡」という曲。
これは小谷にしか作れない歌だ。
間奏にあたるワルツリズムの詩情は、アルフレッド・シュニトケがピアノ五重奏曲で亡き母の想い出を象徴させたワルツリズムに匹敵するものと聴いた。

歌詞だけではない意味を、小谷はその声と歌い方と、そしてこのトリオのサイドメンの演奏が、伝えてくれる。

ひとはうまれてからしぬまでずっとひとりぼっちなんですな。ほんとうは。

と。

ごはん、つくろ。

しいたけとかにぼしとかわかめでだしをとって。いつもまいにち。そうやってくらしてゆくんだ。


2006年05月24日(水) マイルスの『セラー・ドアー・セッション・1970』



上半期ベストを考えてみます。
マイルスの『セラー・ドアー・セッション・1970』、プリンスの『3121』、『武満徹・響きの海─室内楽全集(全5巻)』、センティ・トイ『私の運命線』、小谷美紗子『CATCH』、ハナレグミ『hana-uta』(これは昨年作か・・・)、これですでに6議席が埋まってしまいます。
ハルカリの「Tip Taps Tip」・・・おろ?ハルカリ、ニューシングル「Twinkle Star」なんてリリースされてる!しっかり見逃してしまっていました。



こんなシングルがあったの、知らなかったよ。フリッパーズの「GROOVE TUBE」のカヴァー。
へたにアレンジせずにオリジナルのサウンドなのがうれしいというか正解。



軽やかな速さとタッチの優雅さで言えばブラッド・メルドーの最高時を凌駕しているジャズ界のマリア・ジョアン・ピリス、ジャズ界のウイニングチケット、アーマッド・ジャマル師匠のこんなCDが出てきたので即ゲットでござりまする。みなさま。


2006年05月23日(火) こどものとも6月号「つぶむこ」




本屋で立ち止まる。
「こどものとも」6月号。
「つぶむこ」
お話は類型的なものだけど、小林輝子さんの採譜したコトバ(方言)のありようが音楽になっているし、なによりも
飯野和好さんの絵だ!>
すえのむすめがつぶむこをぼうでたすけるシーン、なぞ、静謐に夢幻的とでも言おうか、夢の中にあるシーンである。

藤枝静男である。


2006年05月22日(月) in a silent way / miles davis




そいえばけいま、おまえブラバン部員になったんだっけな。

2006年の今、高校一年生が聴いていて、最もカッコよくて先鋭的でスタイリッシュでクールでゴージャズなジャズアルバムの組み合わせ・・・、そうなんだよ、組み合わせ、こそが、ポイントなんだよ、わかるだろ?

マイルス・デイヴィス 『インナサイレントウエイ』
ブラッド・メルドー 『ラーゴ』

あと、これだな>
・・・って、おれ、持ってねーし、聴いてみてーし。

未完


2006年05月21日(日) 菅谷梨沙子をberry工房から独立させて、筒美京平作曲で、ソロ・デビューさせろ!




菅谷梨沙子をberry工房から独立させて、筒美京平作曲で、ソロ・デビューさせろ!
いい声してるんだぞ。
小西真奈美(3段目の中央写真がよい)と姉妹風デュオも要検討。

コーヒー豆の買い付け業者をコヨーテと呼ぶ。へええ。

こないだ聴いたジョニ・ミッチェルの「コヨーテ」。『逃避行 hejira』を買おう。

キース・ジャレット『ステアケース』を聴く。
「アワグラス パート2」のイントロや中間部、トレモロ部分、同時脳内再生になる。



この超越状態のジャレット、を、もっと世界は認識すべきだ。
ジャレットも認識すべきだ。生きた古典、とは、この作品だろうに。
『ジャレット・プレイズ・ステアケース・アゲン』を制作するように。
楽譜も出版してマリア・ジョアン・ピリスに弾かせてニューシリーズで出すように。


2006年05月20日(土) アート・アンサンブル・オブ・シカゴの67年・68年




今日聴いてたCD、
ルイ・アームストロング。グレン・ミラー。武満徹。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ5CDボックス(写真)。
「夜明けのオクターブ/坂本真綾」。

アート・アンサンブル・オブ・シカゴの67年・68年というのは、
あれです、
まるで大学の軽音楽部の部室の中で演っているような、未熟さと意気軒昂な気持ちと若い肉体から繰り出す瞬発力でもって、
彼らもこんな演奏をしていたんだなあ、と、
じつに感慨深い、そうめんと風鈴が似合いそうな、時間でした。
マラカイ・フェイバースがこんなにチャーミングなベースだなんて。


2006年05月19日(金) 桜井くん、そんなに911テロを絶賛しなくていいのに




だから911はアメリカの自作自演だ■田中宇の国際ニュース解説って、最初の一瞬で言ってたでしょ!

で、だから「蘇生」は911テロ実行犯の歌だ、って。
「World’s End」はサウンドもさることながら、「蘇生」を詳述した内容の、これでもか!という曲、でしょ。

DVD『MR.CHILDREN DOME TOUR 2005 “I LOVE U” 〜FINAL IN TOKYO DOME〜』
ライブでは、「蘇生」「World’s End」を続けて演って、最後のポーズは手をひろげて十字架。
キリストのポーズで静止する桜井くん、だ。

そして次の曲が「Hallelujah」。ライブDVDなのに、会場で聴こえてないコーラスサウンドをかぶせている。欺瞞な演出。
続く「and I love you」はカップヌードルしかイメージできないわけだ。

「蘇生」「World’s End」「Hallelujah」「and I love you」
この、一貫した911テロ擁護イメージの陳腐さの横溢に、ファンは無邪気に感動なんかしていたりする。

『It’s a wonderful world』はディズニーランドであり、ディズニーランドの不吉さは矢部史郎と山の手緑の『愛と暴力の現代思想』が鮮やかに描いたとおりだと思う。

こんなふうにミスチルがイヤになってきているミスチルファンはおれいがいにはいないのだろうか?


2006年05月18日(木) 矢部史郎と山の手緑の『愛と暴力の現代思想』




矢部史郎と山の手緑の名著『無産大衆神髄』に続く、『愛と暴力の現代思想』

おもれー。

最初にある「恐怖力」だけでも読んでみたまえ。

平井玄著『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』以来の。

タイガース・ファンがマクドナルドなんか食べてちゃいけないと思う。かっこわるいと思う。タイガースを応援するスピリットに矛盾する。それはタイガース・ファンではない。

トランスフェアのコーヒー。

北海道の牛乳を飲もう、とも、わたしは自分だけキャンペーンをはっている。

どんな想いを持って消費活動をするのか(もちろんしないですませればしないほうがいい)、は、

だいたいテレビだけ観てラジオから聴いてCDを買ってるだけ、の、怠惰な行動でもって、音楽好き、とは、言えない。
こんところのおれのことだけど。


2006年05月17日(水) 東京スカパラダイスオーケストラと小沢健二が95年に共演した「しらけっちまうぜ」




東京スカパラダイスオーケストラと小沢健二が95年に共演した「しらけっちまうぜ」という曲!を、はじめて聴いた。
こ、この曲の存在自体を知らなかった!・・・おれとしたことが・・・

武満徹の15年かけた大作「ジェモー」を、はじめて聴いた。
これが代表曲と言えるのではないだろうか。

3000えんの焼肉に少しも満ち足りた気持ちになれず、
特売198えん(うおお!)の「揖保の糸」を「創味のつゆ」(定価913えんを780えんで入手)で食べる幸福に、
うっとり。


2006年05月16日(火) ミスチルがライブで「抱きしめたい」以外の『Kind of Love』収録曲をやらないのには




ひとりぐらしをする長女に荷物を届けて「じゃ、ね」と手をふったあとに見上げた風景。
ケータイの写真なのに。言語化できない情感というか感覚が映ってしまう写真という媒体は恐ろしいものなり。

「その瞬間」というのは、ミスチルが『Kind of Love』で歌っていた「虹の彼方へ」や「車の中でかくれてキスをしよう」や「星になれたら」や「いつの日にか二人で」に、通底している意識の瑞々しさ、情緒の持ちようのきらめき、つまりそれはその時期以降は二度と持ち得ないところのもので、
そう、いまの長女には、いまこの瞬間にしか出会えない。この宇宙の中で。

「遠くまで旅する恋人にあふれる幸せを祈るよ 
僕らの住むこの世界では太陽がいつものぼり 喜びと悲しみが時に訪れる
遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らし
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる」 from ぼくらが旅に出る理由/小沢健二

師匠!はい、わたしもそのように精進して過ごしております

それにNokkoの声には、特別な周波数が含まれていると思うのです。
80年代の松田聖子、hitomi、小谷美紗子、SalyuそしてNokkoには相当なものを感じます。
意味ないことを書いております。

つまり、ミスチルがライブで「抱きしめたい」以外の『Kind of Love』収録曲をやらないのには、やはり、「その瞬間」を彼は大切にしていて、それはもう、倫理としか言いようのない、態度だと、もちろん、ファンとしてはライブで聴いてみたいけれども、今の桜井くんが歌うというのは、「その瞬間」に対して、これらの音楽に対して、もうしわけがたたないというか、そもそも表現が成り立たないとでも申しましょうか、

だからですね、来日したジャズ・ミュージシャンに、最新作ではなくて、20年も前のLPにサインを求めたりすることなど、そんなのファンの自慰行為であって、ですね、あなたの何年の何という作品は最高傑作で、その後低迷して、ブラジル音楽に活路を見出して現在の表現に到達しました、と、それって、誰に向けて言うのですか、と、そんなの自慰行為でしょう、ね、どんなことばでだれと、そしてミュージシャンと、そして放たれた音楽に、やはり、ぼくたちは、祈るような気持ちで。


2006年05月15日(月) 「イノセント・ワールド」は、バンドは演奏だけでオーディエンスが歌詞を全部歌いきってしまう




日本橋交差点にて。

え?・・・トドワラに行って、それから?そう簡単には教えられないな、ゴールズワージーの「林檎の木 The Apple Tree」に勝るとも劣らない美しい初恋の物語じゃし。
お、この本のアマゾンでのレビュー文に、このようなフレーズがある。
「愛は脆くもあり、崇高でもあり、純粋でもあり、偽善的でもある。」
見事な定義の仕方である。・・・この一文のような歌曲といえばCocco(真喜志智子)の「強く儚い者たち」か。

リッチー・バイラークの「サンデイ・ソング」がシンボルな美しい恋もあった。

どうしてこう、思い出す昔の恋人たちは笑顔ばかりなのだろう。

「陽のあたる坂道を昇る その前に また何処かで 会えるといいな その時は笑って」

陽のあたる坂道、とは、天国への道である、人生の末期の走馬灯である、と、解した末次安里さん、あ、メールに返事だしてないや、そう、こう解しなければ、その時は笑って、という歌詞と歌唱が内包する表現が釣り合わないのである。

DVD『MR.CHILDREN DOME TOUR 2005 “I LOVE U” 〜FINAL IN TOKYO DOME〜』で、
この「イノセント・ワールド」(1994年6月発売)は、バンドは演奏だけでオーディエンスが歌詞を全部歌いきってしまう。
これがすごい。
宗教の持つほんとうのちからというのは、こういう瞬間に発生しているものだと感じる。

「いまの この気持ち ほんとだよね」、と、小沢健二が歌った、こと、と、つながっている、と、感じる。


2006年05月14日(日) 『北海道ジャズ物語』(柘植書房新社)




東京新聞の書籍広告に『北海道ジャズ物語』(柘植書房新社)が掲載されていた。北海道のジャズファンは熱くてゆるくてあったかいぞ。

そいえば20代のころ道東の(どの街かわすれた)ジャズ喫茶をたずねてコーヒーのんでマッチもらってきたことがあった。
・・・たしか、伝言ノートが置かれていた。
ううむ、伝言ノート。いま考えると、ちょっと痛いかな、とも、思うけれども、この日記を書くわたしと、実は大差ない。ハナ差かクビ差。ジョニーが来たなら伝えてよ。

札幌の4プラ近所に「アクト」というジャズ喫茶があった。
帰省したある夏に、ドアを開けた瞬間にパット・メセニーの「オザーク」が鳴った。
ズン、チャン!ライル・メイズのウイニングチケットのジャパンカップでの差しあしを思わせる(今、思えば、です・・・)華麗なピアノ・ソロ!




トドワラ

あみんの岡村孝子似のじゅんこちゃんが北海道家族旅行から帰ってきて、ぼくの部屋で小声で言った。
「ねえ、ただくん。・・・わたしのこのワンピースと同じ布地をリボンにして結び付けてきたの。」

トドワラへ向かう上野発の夜行列車。


2006年05月13日(土) エドガー・ヴァレーズ




音楽サイトmusicircusのトップ更新が、フランク・ザッパもジョン・ゾーンもチャーリーパーカーもが最大級のリスペクトを献ずる現代音楽の作曲家エドガー・ヴァレーズ。
(ねえ、この文章が意味する重要さ、なんです)

堀内宏公さんとの出会いは、彩耳記1>エドガー・ヴァレーズに在ります。

欧州いちのベーシストであるバリー・ガイへの記事取材をしてて、人生の5枚を挙げてもらったところ、アイラーの『スピリチュアル・ユニティ』を挙げたのに、よしっ!とわたしはガッツポーズ、さすがバリー・ガイはわかっているな・・・(おれってなんてせんえつ)、んで、あとは?・・・って、エドガー・ヴァレーズって誰やねん、それ?・・・江戸川馬齢途・・・、なに独りあそびしてんねん、もとい、

エドガー・ヴァレーズって、どんなんかわたしに理解できる水準で記事にしてください、と、お願いしたのがこの彩耳記1なのであります。


2006年05月12日(金) 皇居の夕刻




12日、皇居の夕刻。

長女とバーミヤン。
そんなんでいいのか、あれもくえ、これもくえ、ぎょうざもどうだ、あんにんどうふもどうだ、ちゃんとたべているのか、にくるいはたべているのか、みずはたくさんのんでいるのか。
気がきかないことでは関東一であるわたしが、なぜにこう、くちうるさいオバサンモードになっているのか自分でも、つい、これはね、利己的遺伝子のなせるわざでね、ドーキンスという学者がね、と、語り始めるに、怪訝な表情の長女に。

求愛の場面で、これは利己的な遺伝子のなせるわざでね、と、説明しはじめるオトコのようなものか。

DVD『MR.CHILDREN DOME TOUR 2005 “I LOVE U” 〜FINAL IN TOKYO DOME〜』
あまり好きじゃなかった「隔たり」、の、歌唱にぐっときてしまう。歌詞が違えばもっといいのにな。

スティーブ・コールマンの新作『象徴としてのジャズ〜weaving symbolics 』2CDを聴いている。この説明したがるサックス、かわいくはない。この水準の高みはどこかウイントン・マルサリスの見せ方を想起させる。パット・メセニーが彼を自分のグループに入れればきっと面白いと思う。

師より編集CDR『オール・シングス・マスト・パス』が届く。
「ジャンク」を作ったポールがこのタケミツを聴いたらきっと嫌な顔をするんじゃないでしょうか。
ポールはジョージになった気持ちで「オール・シングス・マスト・パス」を歌っているように聴きました。ジョージの、旋律を置いてけぼりにする優しさ、といったもの。サービス精神旺盛な、旺盛なゆえの天才性で生きるポール、が、まなざすジョージへのいつくしむ気持ち。
ぼくにとってのジョニ・ミッチェル体験は、かりやさんからもらったカセットで聴いた「Case of You」の武道館ライブアコースティックギター1本でのヴァージョン。どの音源かわからないのだけど、もう一度聴きたい。
どの曲も聴き逃せない真剣勝負が編集CDRにはある。

こないだ車中BGM用に作ったCDRはルイ・アームストロング、キッス、坂本真綾、ジョンレノン、キース・ジャレット、遊佐未森、「サークル・ゲーム」はジョニ・ミッチェル・・・あの写真は田柄バス通りを光が丘へ向かう夕暮れです。


2006年05月11日(木) 「ain't that peculiar」『Gentlemen Take Polaroids / JAPAN』




ジャパンの『孤独な影Gentlemen Take Polaroids』、のCD音質が不満足なのですが、
なんといってもだいすきな「ain't that peculiar」。
(オリジナルは60年代モータウンの smokey robinson & the miracles のヒット曲だが、はずかしながらも未聴なり)
冷徹な削ぎ落としの果てのシルヴィアン流ファンク。シルヴィアンにとってジャパンのこの時期は、売りを意識させられながらの制作であったゆえにお気に召さないようであるが、このシンプルな高揚の構造はただごとではない。
リマスターして、いい音で聴きたい。

ず、どんどん!・・・ず、どんどん!・・・エンザッペキュリャー!ず、どんどん!

文字にするとまぬけだわ。

図書館でBCRのベストをかりたの。ベイ・シティ・ローラーズ!
「青春に捧げるメロディー」!
イアン・ミッチェルがヴォーカルのヴァージョンも聴きたい。
あたし「バイ・バイ・ベイビー」のシングルが出たとき(北海道砂川市で買ったわ)からのファンだし。

「イエスタディズ・ヒーロー」「You Made Me Believe In Magic」・・・たしか、BCRファンを公言していた男子は学校中でわたしひとりでした。

「ただはどのバンドが好きだ?」「レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、ジューダス・プリースト、イエスかな」「お、いいねえ、あとは?」「クイーン」「ふーん・・・あんなの好きなんだ、あとは?」「ジャパン、ミスター・ビック、パリス、パイロット、ウイングス」「そんなの聴いてんだ・・・で、手に持ってるそのLPは?」「いや、これは・・・、たえこちゃんにかりたんだけどね・・・ベイ・シティ・ローラーズの・・・」

ぜんぜん公言してねー。


2006年05月08日(月) めがねだい、よんまんえん!?

高校生になった長男がめがねをかけることになった。いいなあ。おれもかっこいいめがねかけてみてーなー。

・・・な。なに?・・・めがねだい、よんまんえん!?

いいか。牛乳瓶の底を2つ切り抜け。

お、おまえなー、よんまんえんかせぐのにおれはいったいなんじゅうじかんはたらかなきゃならないとおもっているのだ。
なんじゅうまいの国宝級名盤CDをがまんしなければならないのだ。

いいか、おれがCDを買うのは、人類の遺産を後世に残すために、あらゆる快楽を犠牲にして、身銭を切って、だな、
日夜、汗水を流して、人類の至宝を守っているのである!
そ、そのおれのポケットから、だな、よんまんえんという天文学的数字の金銭を奪うという行為はだなー、
法隆寺に落書きしているような、
バーミヤンの仏像を破壊しているような、
そういう行為なのである。

わかっていればよろしい。



2006年05月07日(日) 「Tremolo e.p. : To Here Knows When / My Bloody Valentine」 (Creation)1991




上野駅。マイブラ「トレモロEP」を聴く。ひさしぶりに聴いた。やっぱこれだな、無人島3枚の一枚は。無人島に番号をつけなきゃ・・・。
Tremolo (February 1991)
A1. To Here Knows When (5:48) KS,BB
A2. Swallow (4:54) KS
B1. Honey Power (4:32) KS,BB
B2. Moon Song (3:25) KS
この音楽の恍惚については多くのひと、91年に16から24さいぐらいだったひと、が書いている。
音楽史がとろけたような衝撃を受けた。
1969年、パンク、このCreationレーベル、エレクトロニカ、と、だいたい10年サイクルで音楽感覚の断層はあるのかな。




Jazz Tokyoの5枚
ニコラス・レパク(て読むのか?)、武田和命(たけだかずのり、と読む)、グローブ・ユニティ、買わねば。
『Dave Liebman/Steve Swallow/Adam Nussbaum/We Three ― Three For All』(Challenge Jazz/Challenge Records)
『グローブ・ユニティ/コンポジションズ』(JAPO-ECM/ユニバーサル)
『Nicholas Repac/Swing-Swing』(No Format/Universal Jazz)
『武田和命/Live at 柳川「ファンクール」』(CARCO)
『Irene Schweizer/A Film by Gitta Gsell』(Intakt)

「イスラエルで考える」>
Tzadikのラディカル・ジューイッシュ・カルチャー・シリーズで聴くくらいしかわたしには手がかりがないのだけど。どんな響きなのだろう。


2006年05月06日(土) 『YOGI JAZZ ヨキ・フロイント・セクステット』




う。
『YOGI JAZZ ヨキ・フロイント・セクステット』>が澤野工房からCD化された!
エバーハルト・ウエーバーが参加してた、ツインベースの作品。聴いたことがないんですぅ。ウニヨンに貴重盤で入荷しても3・4万できかない高値が付いていましたもので。

買わねば。

復活してくれ!エバーハルト・ウエーバー!き、きみのいないECMはもうだめだ。

10ねんは聴いてないぞ、時代を席巻したECM名盤『サイレント・フィート』



2006年05月05日(金) 『Anthony Braxton 23 Standards (quartet)』(CD LR 402/405) 2003




ブラクストン。アンソニー・ブラクストン。ジョン・ゾーンも天啓を受けたアルトサックスの金字塔『For Alto』のブラクストン。
最近のブラクストン、誰も聴いてないだろ。
おいらもチャーリー・パーカー・プロジェクト以来聴いていない。
・・・お。調べてみると>、新装CD化されているではないか。
『Anthony Braxton’s Charlie Parker Project 1993』(hatOLOGY 2-612)
アルトッサックス史上、もっとも知的であり致命的に音がきたないアンソニー・ブラクストン。
が、チャーリー・パーカーを演る、という、「どう革新は神と和解するのか」という、致命的に無意味な命題に立ち向かうような、まさに、阪神ファンの琴線に触れるような、無鉄砲な勇気、そして、格闘の成果。これはすばらしい作品である。

・・・いいから、だまって買え。耳をふさいで聴け。・・・

もし、かみさまがブラクストンにデズモンドの音色を与えていたら、ジャズの歴史は変わっていたと思う。まじで。わたしはわたしの耳をかけてそう言いたい。

ブラクストンがスタンダードを演った4枚組CD、が、英レオから出ているというので、聴いた。
これが。なかなか、いい。サイドメンは若手。若手の演奏センスが、今風というのか、現在を演奏している。ラップトップミュージック経過後の耳で演奏しているのがわかるから、この与えられた試練でのズラしと推進が心地よい。そして、ブラクストン、わざとなのか、狙いなのか、ちょっとズレているところがかわいい。おじいちゃん、がんばって。

ふーん。ブラックストンはファウンデーションを持ってBraxton Houseというレーベルを発足させているのか。


あ。

なに?ECMレコード(USA)という単独作品があるぞ!なんだ!なんだそれ!


2006年05月04日(木) 『Albi Days : The Contest of Pleasures / John Butcher, Xavier Charles, Axel Dörner』(potlatch P205)2005




そうそう、あやちゃん、「くじであなたがてにはいるならー」とうたう曲名、おしえてください。きのうの日記、続きを書こうか>

深夜に帰ってきて、ごはんを炊いてあさりとわかめのみそ汁を作る。

フランスの即興レーベル、ポトラッチから届いたCDを聴く。

『Albi Days : The Contest of Pleasures / John Butcher, Xavier Charles, Axel Dörner』(potlatch P205)2005
管楽器(サックス、クラリネット、トランペット)の即興演奏をそれぞれ2つのマイクでひろって音量を自在に操って制作されている、ように聴こえる作品。ジョン・ブッチャーはエマネムの2枚で、エヴァン・パーカーの『モノセロス』以降もっとも重要、とまで言われるのか。ミシェル・ドネダのウラだとおれは思うけど。ブッチャーの飄々としている自在さ。

午前4時にごはんの炊ける音とみそ汁が煮える音と換気扇のうなる音とこのCD。至福な時間。


2006年05月03日(水) 東京オペラシティの武満徹の交響曲3作品、ひとつは高橋悠治!聴きに行くんだー。




いかん、いかん。すでに赤字だと?今月の財政はピンチである。削減計画をたてねば。干ししいたけのランクは落としたくないし、東京新聞の購読もやめたくないし、ロト6はあたんないし、デルタブルースはこねーし。

そうそう、初台の東京オペラシティの武満徹の交響曲3作品、ひとつは高橋悠治!聴きに行くんだー。CDじゃだめだ、ホールで鳴るタケミツ。ときめくー。>

いまライブに行きたいのはSalyuと沢田研二かな。あがた森魚も。ポール・モチアンなんか、来日しないかな。今年のAp Bank Fes 2nd 2006 は交通費がかかるからね、ダービーまでの戦果いかんかな。

つい2週間ほど前にアート・アンサンブル・オブ・シカゴのボックスCDが残部僅少(ざんぶきんしょう、と読むことをいま知った)てゆうんで、あわててネット購入した記憶が・・・。どのボックスだっけ?>・・・あ、そうだ、そうだ、この『The Art Ensemble』と題された初期の音源集だ。これはもう人類の至宝、音楽のビックバンとされる1969年あたりの演奏する意識だ!ご、5枚組!なんと。眠れないぞ!

あ。自動車税の納付書だ。やべー、来月も赤字確定ではないか。JazzTokyoの副業レビューでなんとかならんか。そいえばスティーブ・コールマンの2枚組CD(わたしの定点観測によると傑作・力作・問題作であるのはほぼ確定だ)が届かないぞ。


2006年05月02日(火) 『チャングムの誓い』16話から22話まで一気に観る。





『チャングムの誓い』16話から22話まで一気に観る。
「どのコがいい?」「おりゃあグミョンかな」「うん、チャングムよかはだんぜんグミョンだよな、でもグミョン、ねちっこくて嫉妬ぶかいぞ」「じゃ、多田はだれがいいんだ?」「おれ?チェゴサングンにきまってるだろ」「まじかよ」「わかってないねえ、彼女の深みを」「足腰たたないばあさまだよ」「やることしかかんがえてないでしょ」「ちがうの?」「あのねえ、ガールフレンドなら皇后、生涯の伴侶としてはチェゴサングン」「ほんと?」「チェゴサングンに社長やらせて、おれあそぶの」

「編集CDRで“競い合い”をやるの」「お兄様に極上の音源を仕入れてもらうのでチェサングンが有利で」「マイルスのブート音源を仕入れてもらってて?」「こっちのあるのはシャッグスとムーンドックのCDだけ」「そりゃ、ひどい」「で、王様から出された課題が“沈黙の次に美しいサウンド”」「チェサングンはECM音源ばかり並べる?」「工夫なさすぎ」「で、チャングムはムーンドックを入れて王様はいたく感動して勝利をおさめる」「これこそ沈黙の次に美しい!」「そう」

「で、最後の課題は“王様に捧げるもっともすばらしい音楽”」「チェサングンは一族の財力でレコ芸特選盤を揃える一方で、ハンサングンのCD棚のCDをすべて盗んでしまう」「ハンサングンはエグベルト・ジスモンチとジョン・ブッチャーとマリア・ジョアン・ピリスのCDを捜しにタワレコ渋谷店に行くんだけどSJ編集部員に拉致されてしまうの」「それでもチャングムは裏庭から掘り出した坂本真綾の「Feel Myself」とアサチャン&巡礼の「日の出マーチ」をお聴かせして王様をいたく感動させてしまう」


2006年05月01日(月) Kくんはのぐそをした

小学生のころ。

外であそんでいたら、Kくんがくそをしたくなった。

Kくんはのぐそをした。しゃがんでいっぽまえにすすみながらのぐそをした。

かみがないのでそばにあったはっぱでふいた。

はっぱがやぶれてしまい、ゆびにうんこがついてしまった。

うんこをふりおとそうとおもいっきりうでをふりおろした。

そこにきのさくがあった。

ゆびをおもいっきりぶつけてしまった。

いたくておもわずゆびをくちにいれてしまった。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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