Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年09月30日(金) |
はまあゆの「Heaven」について思うところを記す。 |
「あの日、きっと、ふたりは愛に触れた」という過剰な思い込み、妄想、が、この歌を起動させている。
その“愛に触れた”と認識した出来事というのは明言されておらず、さしずめホストの兄ちゃんが営業スマイルで差し出したインチキカクテルあたりが「ただあまりに綺麗すぎて、こらえきれず涙溢れた」というものだろう。クリーニング屋の兄ちゃんが差し出した50えん引きサービス券とか、部活の先輩が差し出した走り書きしたメモの筆跡のことかもしれない。 その程度の、オトコ側が到底認識できないささいな事象である。 そうであるから、「あの日、きっと、ふたりは愛に触れた」というオンナ側の一方的な宣言が成立する。 もしオトコ側との合意的な認識が成立している事象であれば、そっちを言質として、内容を歌詞に組み込むはずだからである。
このささいな事象を起点とした妄想が、一気に生死を賭した運命にまで置き換えられるダイナミックスさ、病理、が、この歌のキモである。
「信じて。愛するひと。わたしの中で君は生きる。」 この“信じて”は、相手に対して“信じてください”ではなく、自分に対して“カレはわたしの中でしか生きることは許されないことなのよ”と“信じて”いる、いのちをかけてえいえんに、というとても怖い宣言なのである。それは“君”という見下しの呼称が保証している表現である。
さらに、これまで給食を残したり学校サボったり万引きしたり家出をしたりクスリをやったり売ったり買ったり切ったり貼ったりしたことまで、 「時には自分を見失って」「私たちは捜しあって」この「運命と呼ぶ以外他にはない」ふたりの関係に合理化されてしまっている。
ほえっ?な、なんでですか、その思い込みの激しさは。オトコはおののくだろう。これはさしずめゴスペルの形式である。
はまあゆのヴィジュアルはエジプトの王妃の形象をしているので、この歌の超然さを定位させるのは可能だ。 これがもし倖田來未が歌ったならば「おいおいー、ブスがナニひとりで妄想してんだよー!ブスのくせにエロって腰ふってんじゃねーよ!」と、だあれも見向きもしない歌曲にとどまったであろう。
PVでは地下鉄のホームで歌うはまあゆの左右・背後を霊体がさまよう映像となっている。そんな世界にまでおりていって「あなたは生涯わたしのものなのよお〜」と勝手に想われてしまうオトコ側のことを考えると、はなはだ怖いものがある。
友人の弁護士から、満員電車で痴漢にあったと一方的に騒ぎ立ててサラリーマンから示談金と定職を奪っているとしか思えない瞳がイッっちゃっている若い女性の急増を危惧するエピソードをきくと、「そいつらみんなはまあゆのリスナーじゃねえのか?」と思う。
この歌は狂気である。はまあゆの歌ははまあゆを量産する。エイベックスは国賊である。・・・ ・・・とまでは言わないが、この「Heaven」のPV、観てしまうなあ。・・・地下鉄の轟音を、もっと地下鉄の轟音を!
2005年09月29日(木) |
はまあゆの「Heaven」、さいこー |
はまあゆの・・・。「Heaven」・・・。これはもうDVDのほう。 「Heaven」のPVのサビの部分で、ホームに立って歌うはまさきの映像にガガガーッ!と高速で入線する地下鉄がいいのだ。 高揚の瞬間に轟音が通り過ぎる快感。
早朝の空きまくりの湾岸をボリュームをめいっぱいあげてレインボウブリッジを飛ばす。
残念なことに、CDでは地下鉄の轟音が小さすぎる。エイベックスさんよ、リミックスしなおすように。
「えっ、たださん、はまあゆも買ったんですか?エグザイルに続いてはまあゆDVD付き1890えん新品を買ったんですか!」
2005年09月28日(水) |
ジャレット〜坂本九(アレンジ:渋谷毅)〜グールドという流れは聴いていて歓びについ涙が |
上原ひろみ(デビュー作はアーマッド・ジャマルがプロデュースしてる)、倖田來未のベスト2CD、ラッシュのベスト2CD■などを聴く。
師匠からいただいていた編集CDR。 初めて聴くマレイ・ペライアのピアノにとろとろにさせられる。この演奏はすごいというか、奇跡的なものを感じる。 ジャレット〜坂本九(アレンジ:渋谷毅)〜グールドという流れは聴いていて歓びについ涙が出てしまう、ちう、展開でした。
編集CDR『 FOREVER 』 1 キース・ジャレット/バッハ・ゴールドベルク変奏曲より“アリア” 2 マイルス・デイビス/スプリングスヴィル 3 OKI / ススリウカ 4 マレイ・ペライア/バッハ・イギリス組曲1番より“アルマンド” 5 ロジャー・ニコルス・アンド・ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ / ドント・テイク・ユア・タイム 6 健’z/フォーエヴァー 7 キース・ジャレット/バッハ・ゴールドベルク変奏曲より“第25変奏” 8 バート・バカラック・オーケストラ/サン・ホセへの道 9 バート・バカラック・オーケストラ/世界は愛を求めてる 10 ザ・デイブ・ブルーベック・カルテット/不思議な国のアリス 11 健’z/ダイアリー 12 バート・バカラック・オーケストラ/小さな願い 13 バート・バカラック・オーケストラ/ウォーク・オン・バイ 14 キース・ジャレット/イッツ・オール・イン・ザ・ゲーム 15 坂本九/見上げてごらん夜の星を 16 グレン・グールド/バッハ・ゴールドベルク変奏曲より“アリア”
2005年09月27日(火) |
Exileの「Exit」を買う。・・・買ってしまう。DVD付きだがこの1曲のために1800えんだぞ。たまご82個は買えるんだぞ。 |
万引きしそうなガキが3人組で入ってくると「エグザイル3」と暗号で無線連絡をする。これはわたしが作った秘密暗号である。 こおいうやつらはおしなべて金がない。万引きもするし、缶ジュースも長いほうを買う。そろってエグザイルの面々にそっくりな若者たちである。 これまで何人のエグザイルどもを少年院や留置場に送ったことか・・・。
そのエグザイルのCDを、このわたしが買う、ということは、そうとうなハードルがあったものである。 し、しかも、観たくもないエグザイルのDVD付きで1800えん。 ・・・天海祐希が踊ってんなら、4500えん出してもいい。・・・マルチアングルなら9000えん出す。・・・裏なら・・・。
TV『女王の教室』の最終回視聴率は25.3%を記録した■。続編制作は間違いないだろう。
「せんせい!アロハ!」
2005年09月26日(月) |
『ポール・マッカートニー トリビュート・アルバム』(1) |
師匠がこんな企画を妄想していた。さすが天才師匠である。 おざけんの「心のラブソング」!菅原洋一の「マイラブ」!たしかに死ぬほど聴きてえ!(笑)
『ポール・マッカートニー トリビュート・アルバム〜メロディの魔法(仮題)』 1 ハロー・グッバイ/ミスター・チルドレン 2 アナザー・デイ/スピッツ 3 アンクル・アルバート〜ハルセイ提督/黒沢健一 with 萩原健太 4 あの娘におせっかい/クラムボン 5 恋を抱きしめよう/BUMP OF CHICKEN 6 マイ・ラブ/菅原洋一 7 バンド・オン・ザ・ラン/坂本真綾 with 菅野よう子 8 ジャンク/UA 9 ゲッティング・ベター/カーネーション 10 ヒア・ゼア・アンド・エブリウェア/オフコース(再結成記念録音) 11 ペニー・レイン/Cocco 12 フィクシング・ホール/羅針盤 13 心のラブソング/小沢健二 14 夢の旅人/くるり 15 バック・シート・オブ・マイ・カー/岡村靖幸 16 ヘルター・スケルター/ゆらゆら帝国 17 アイ・ウィル/MY LITTLE LOVER 18 ウィズ・ザ・リトル・ラック/曽我部恵一 19 ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード/中島美嘉 20 ヘイ・ジュード/全員(永遠に続くラ〜ラ〜ラ、ラララ〜ラ〜♪) ★ 初回特典3曲入り超スペシャル・マキシシングル 1 フール・オン・ザ・ヒル/ジム・オルーク 2 レット・イット・ビー/エルビス・コステロ 3 ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ/ブライアン・ウィルソン
ぼくとしてはあがた森魚、友部正人、ポール・ブレイ、ジョー・マネリ、ホルガー・シューカイ、ケヴィン・シールズにも参加させたい。 このロヴァ耳日記読者で誰にどの曲をカバーしてほしいか、妙案のある方はメールくださいまし。
2005年09月25日(日) |
宇多田ヒカルの久しぶりの新曲「Be My Last」 |
宇多田ヒカルの久しぶりの新曲「Be My Last」。 ねえ、かあさん、どうしてそだてたものまでじぶんでこわさなきゃならない日がくるの? ・・・はあ?と問いかけたくなる歌詞。かあさんは藤圭子だろが。家庭不和をおおやけにするつもりか。天皇家や花田家への対抗心か。 一発芸的な「ああ、ああ、ああ」、と、「ああ、ああ、ああ」、と、あばかり並ぶとなんかみょうちくりんな風呂敷の柄に見えてきてへんだぞ。 この歌詞、意味わかんねー。旋律の一発芸だけで乗り切るヒッキー、重症かも。 おざけんに歌詞書いてもらえば? もすこし大人になればヒッキーのカバー路線はいいと思うぞ。 “宇多田ヒカル、藤圭子を歌う”なんて、聴いてみたいもん。 あ、“藤圭子、宇多田ヒカルを歌う”なんて、もっと聴いてみてー。
本家とパクリといえば、なんだか宇多田ヒカルにそっくりな歌い手がこないだ。なんだったけな、てっきり宇多田かと思ったの。 宇多田ヒカル→倉木麻衣、椎名林檎→矢井田瞳、安室奈美恵→倖田來未、というふうに、パクリのほうが断然売れてるみたい。
2005年09月24日(土) |
海童道宗祖(わたづみどうしゅうそ)の『法竹』とアヴァランチェーズの『シンス・アイ・レフト・ユー』の発掘。 |
わ!こんなところに落ちてた!ほこりまみれになって本棚のウラから発掘された海童道宗祖(わたづみどうしゅうそ)の『法竹』(ほっちく)■とアヴァランチェーズの『シンス・アイ・レフト・ユー』。 わたしの部屋は音楽樹海である。部屋じゅうにうっそうとLP箱が密生しており、どこにどんな貴重LPが眠っているのか、わたしも知らない。 樹海の中に海童道宗祖の音が響く。
海童道宗祖の音はタルコフスキーの『サクリファイス』で使われている>■ 実際のところ、音楽は楽理ではなく、気であり、念力であり、意識であり、態度であり、ひとなのである。 この点で言えば、早々に音楽から見切りをつけてしまったミルフォード・グレイヴスに、誰もが実はえいえんの遅れを取ってしまっている。 鬼籍に入った高木元輝や阿部薫はこのことを確実に現役時に知ってしまっていた。 高柳昌行なぞはその知見を前提に音を放っていた。
アヴァランチェーズを聴くと、渋谷を歩いて恋に落ちてゆく、かんじがする。 シンス・アイ・レフト・ユー、きみがいなくなってから。きみがいなくなったのに、この情熱的に切ない喧騒はなんだろう。音は示している、えいえんのせき立て。ラカンの心理学は、せき立てこそが人生を前に進ませている事象を浮き彫りにしている。 喘ぐように走るとき、ひとは生きていることをくちの中のうっすらとした血の味に求める。
たまごごはんばかりたべていたら、コレステロール値が健康診断でひっかかった。
即興演奏でモンダイになるのは、たぶんそこだろう。じゃない演奏はもういい。そんな即興はもういい。
肉はもういい!飲ま、飲ま、イエイ。
2005年09月23日(金) |
アイヒャーはECMレーベル耳の態度・構えを得、アイヒャーは父の名を、父の痕跡を隠し続けた。 |
エドワード・ヴェサラの『Nan Madol』
フィンランドのドラマー、エドワード・ヴェサラ(1945〜1999)。60年代に“ジャズがカッコいい”とのめり込んだ欧州の若者たちは、自由にジャズを解釈して、勝手に開花していった(伝播はリアルタイムではなかったから、国別・シーンごとに)。プログレも併走した。ヴェサラはジャズドラマーとして、同じフィンランドのヨハニ・アルトーネンやノルウェーのヤン・ガルバレク、ポーランドのトーマス・スタンコ、スウェーデンのアリルド・アンデルセンらとのセッションで地位を築いてゆくが、70年代前半のヘルシンキの放送局にこもって製作した実験的な作品『Ode To Marilyn』や打楽器によるソロ・アルバム『I’m Here』、自らのグループによるトータル・アルバム的作品『Nan Madol』(1974)を見ると、ジャズ・ドラマーと言うよりも極めて実験的かつ叙情的な表現をする音楽家であったことがわかる。そのメンタリティは完全にプログレッシヴ・ロックのひとだったと思う。ヴェサラが国際的な評価を確立した『Lumi』(1986)はギターに怪人ラウル・ビョーケンハイムを擁したジャズ、ロック、現代音楽、フォーク、タンゴを内包したジャンル混交でありながらひとつの世界観を示した傑作で、英国WIRE誌で年間ベストに選出されていた。ここでプログレと名指すのは、音楽の物語性と秘めた叙情性の特化を抽出してである。
ぼくがヴェサラの音楽と出会ったのは、80年代初頭に新宿のジャズ喫茶でジャズ評論家の大村幸則さんと青木和富さんをお招きしてECMのレコード鑑賞会を行なったときだ。青木さんが『Nan Madol』から1曲かけた。レコード係をしていたぼくは神秘的なジャケに見とれ、そしてこの音楽の主であるヴェサラのじゃこうねずみのような顔写真に身動きできずにいた。「・・・こ、こんな音楽がECMにはあるのか・・・」。
翌日、ぼくは都内レコード屋をめぐってその国内盤LPを探し買い占めた。生涯聴いても良い盤質が途切れぬよう。この『Nan Madol』の静謐な響きは、ヴェサラにとっての奇跡であり、不思議なことにマンフレット・アイヒャーがプロデュースしていないECMレーベル初期の作品である。この作品は、当初傍系レーベルであるJAPOからリリースされていたものを、同音源をECMに編入させた唯一の例だ。作品の冒頭、彼方から迫ってくる雅楽の響き、濃厚な笙の重層音、意識の静止。アイヒャーはこの作品に触れて、ECMレーベル耳の態度・構えを得たのだと推理する。アイヒャーは父の名を、父の痕跡を隠し続けたのではないか。そんな極点にある作品に思える。
97年にヴェサラが来日したときには群馬県太田市からヴェサラの全LPをライブハウスに持参し、「うおお、おまえはすごいファンだな、おれも、持ってねえぞ、これ。なつかしー、おれの写真若いだろ、ほら(と奥さんのハールラさんへ)、どうだ、最近のヤン(ガルバレク)の演奏をおまえはどう思う、そうか、だろ、ハートがこもってねえよな。ヤンはもうだめだ。おまえ、よくわかってんな。今日は来てくれてありがとう。」てな、ECMリスナー人生最高の夜に当然なるわけだけど。それで『Nan Madol』の意味を尋ねると目をぎょろっとして「日本人のおまえがわからないはずがない」と謎かけるような回答。結局わからないまま、2年後にヴェサラは逝去。さっき調べてみると太平洋赤道直下にあるポンペイ島の海上都市遺跡の名(ナンマドール遺跡)であった。
フィンランドの彼が、表現した、図らずも雅楽の響きに酷似したオーケストラ的な類い稀なる演奏。
『Nan Madol』を聴くと、ヴェサラが幻視していたものが聴こえる。 (アイヒャーはそれを拝借してECMを育てたに過ぎない。ニュー・シリーズこそがアイヒャーの手柄であり、ニュー・シリーズに熱をあげるECMの現在のありようは、とーぜん、なのだ。ECMはグラモフォン並みになるだろう。作品水準は、もう越えている、かな。どうだろ。わたしのニュー・シリーズ全作品の検証作業は50代になってからの予定となっている。)
奥さんのハープ奏者イロ・ハールラ、ヴェサラの薫風を受けたサックス奏者トリグヴェ・セイムの現在にも聴こえるのはヴェサラの意識の伝承であると思う。
2005年09月22日(木) |
アーストワイルからリリース予定の「cloud」 (erst 046-2) |
トゥイーカーTweakerの『The Attraction To All Things Uncertain』でデヴィッド・シルヴィアンの声を聴きながら、「・・・そいえば、ざまさん、デビシルがアーストワイルのスタジオに来るのよ、といってたっけ・・・」と思い出し、久しぶりにここ■をのぞくと。写真集出せるカメラのセンスにおどろく、し。
日記にすごそうなCDの告知があった。
「9月下旬にアーストワイルからリリース予定の「cloud」 (erst 046-2) の制作が完了しました。Keith Rowe (guitar, electronics)、Oren Ambarchi (guitar, electronics)、Christian Fennesz (guitar, computer)、中村としまる (no-input mixing board)のカルテット〈Four Gentlemen〉の、昨年のヨーロッパ・ツアーのライブ録音の中から、フランスのナンシーでの演奏(disc 1)とパリでの演奏(disc 2)を収録した2枚組です。」
高野山に行ってから、日本の伝統音楽のCDを聴いていて、思うところがあって、 ミスチルの新譜をはじめおおかたのCDが、どこか現在に触れていない、断絶を意識することしきりである。 しきりであった。 さきほど。 ウイリアム・パーカーのインディー系CD『Brooklyn Calling / WILLIAM PARKER and AD PEIJNENBURG』を捕獲して、久しぶりに“リアルなウイリアム・パーカーのベース”に耳が感応した。 啓示を得た。その曲は「Notes From Heaven」という19分56秒のベースとサックスのデュオ演奏。 次に耳にしたのは、『apogee / Musica Elettronica Viva & AMM』(Matchless Recordings MRCD61)2CD 2005。 これらのCDは縁で結ばれている。
ぼくはそもそもアーストワイル初期(って、2作目か)のローレン・マザケン・コナーズのこれ■で、「世界の淵に触れている奇跡的な/聴いたら二度とこちらへ戻れない盤」と確信して出会っていた。
“ It’s my direction ” (orchestral manoeuvres in the dark)
2005年09月21日(水) |
ミュージック・マガジンの『ソングX20周年エディション』と『KOプロジェクト』の評文 |
郡司正勝の『かぶき 様式と伝承』、児島襄(こじまのぼる)の『誤算の論理 戦史に学ぶ失敗の構造』を読む。
エドワード・ヴェサラについての小文をユーロ・ジャズのメルマガに投稿する。
ミュージック・マガジンの『ソングX20周年エディション』と『KOプロジェクト』の評文。 聴こえていないと白状するような評文。 わたしはJazz Tokyoにちゃんと書いてたもん、文章としてはやっつけで甘いけどさ。 音楽の感じ方は個々人の自由であり趣味嗜好にすぎなでいでしょ、って、あんた。東大模試現代国語の解答を採点してたわたしに言うわけ? 浅さ、て、あるんです。
て、ロヴァ耳日記がいちばん浅いよ。
2005年09月20日(火) |
『アイラブユー』と『トーマト』 |
ミスチル新譜『アイラブユー』。 トマトがつぶれたジャケの象徴は何なのか。 トマトが果実を作る理由は生命のリレーであり、“つぶれたトマト”は“つぶれた生身の人間”と等値。
ぼくはね、単にイエスの『トーマト』■を連想する。 「ARRIVING UFO」「CIRCUS OF HEAVEN」「ONWARD」あたりのBめんが好き。 CD化されてずいぶんいろんな曲が収録されているなあ。
中3のむすこから新譜を手にしたメールがとどく。 「僕らの音」に反応している。ふ。あたりだ。さすがおれの息子だ。 ミスチルのコンサート、行きてえなあ。チケットとれるかなあ。
師匠からもメールが届く。師もまた「僕らの音」を指している。
2005年09月19日(月) |
マーク・レヴィンソンとECMの不思議な関係 |
ふじきさん、じゅんさん、と、かつてニフティ版倶楽部ECMで死闘をくりひろげた登場人物たちからのうれしい便りがつづいた。 花巻のいとうさん(■)、元気かなあ。さいとさん、りりさん、なるとさん、はせがわさん、TKOさん、TAKEさん、あおひげさん、イタマキさん、石江さん、こーたろーさん・・・なつかしいハンドル名がうかぶ。 目の前にいないと存在もわすれるんだよね。ニフティのログって、たしか消滅したはず。
わすれないことばかりだよ。
おざけんの「かもん!」にぐっときてた中学生もしあわせなおかあさんになっていますように。
退院おめでと!とにかく、おめでと。
風のしるしのはいざらにロングピース。じかんとくうかんをずらして、指と指をかさねてみるんだ。いつのときも。
中秋の名月。銀座の天国(てんくに)そばで過ごす。電通や松下電気の高層ビルの向こうに「君が好き」のジャケみたいな夜。
2005年09月17日(土) |
わたしのゆめはロヴァミー賞の創立なのであーる。 |
Jポップ(group、male、female)、歌謡曲、インディーズ、ジャズ(mainstream、alternative)、英ポップ、英ロック、米ポップ、米ロック、即興、音響エレクトロニカ、プログレ、アヴァンギャルド、モンド、ブルース、現代音楽、ノルウェー、ECM、Tzadik、クラシック、古楽、日本の伝統音楽、中南米音楽、ロスアプソン、サウンドトラック、朗読、鈴木昭男、アニメ、ギター、ドラムス、ベース、プロデュース、ジャケット、アートワーク、タワレコ試聴機、Live in Japan、ベスト盤、新宿ピットイン、月光茶房、渋谷メアリージェーン、四谷いーぐる、musicircus、Jazz Tokyo、ロヴァ耳、温泉、美少女・・・
など、各部門でノミネートと受賞を発表するのである。各部門にはリッシュー部門も併設する。 発表はニセコアンヌプリのふもとにある温泉旅館でノミネート、受賞は高野山の一乗院で。連れてゆく女性は毎年選べる。ふっふっふ。
そして、それらを統一して10枚を厳選したリストを、その年の人類の遺産として月面に刻むのであーる。
どや。 各エリアにいる耳の達人からのアンテナを意識しながら、それでも毎日6枚はCDを聴かなければならないだろう。 それでも2200枚しか聴けない。何度も聴く作品もあるだろう。参照的に聴かなければならない作品もあるだろう。 すると、一日10時間は聴くだけで終わる。 ライブにも行かなければならない。音楽喫茶にも行かなければならない。耳の達人たちからいろいろ教えを請わなければならい。 すると、一日14時間はこれらの活動だけで消えてしまう。すごいワーカホリックである。
本屋にも行かなければならないし、女の子とデートもしなければならない。マージャンと競馬も続けなければならない。・・・
・・・死ぬな。
そっか、快楽と欲望の果て、究極は、死、なのだな。バタイユもバタヤン(田端義夫)も、主旨は同じか。
桜井くんがつけているからとファンも着けているホワイトバンド。 ホワイトバンドをつけているかわいいおねえちゃんの気をひこうとおれも着けたいと思わないこともないが。 こんなハナシもあるで。>■
「わたしはあほです」というホワイトバンドになりそうです。
2005年09月15日(木) |
「Jazz Today」編集長をされている末次安里さんのブログ |
ジャズサイトJazz Tokyo■に投稿した2まいがアップされました。 『藤井郷子4ライブインジャパン』が現代最強のプログレだというのは、すごい危険な書き方なのだけど、突いていると思うよ。「日本の伝統音楽との親和性をぼくは見てもいる。ジム・ブラック、吉田達也は、時間を切断して刻むドラマーである。ドレッサーはバール・フィリップスやゲイリー・ピーコックをあわせ持つ。」、この3文は、ひとまとまりの論旨、ね。わかりづらくてすません。 『ソングX20周年エディション』は、ほんと目ウロコな再発見。メセニーの進化をぼくはここに見るです。
こないだ友だちからこんなの見つけたよ>■ と、アウトゼア誌創刊号を見せられて。なつかしすぎ。 ぼくはこの創刊号を札幌の4プラ近くの書店でSJとレコ芸と同等に陳列されている光景を見ることになったのだけど、新譜紹介のページを創刊号から任されて、創刊号から番号をつけてCDを紹介する仕事を始められた、しかもこんな初々しい巻頭言を付けて、さ。>■、しかも、この9枚。もう、こんなふうに書けることはないのだろう。おざけん『LIFE』の心境。 この頃は新着輸入盤を毎月60枚は聴いてた。おれはこん時、世界を聴けてた。 ・・・いや、今も聴こえてるけど。坂本真綾「Feel Myself」に出会うまでの道程もあったのだが。で、ちょっとすごい編集CDR(2枚組みの予定)を発表する所存ゆえ、みんな待っててね。
現在eweイーストワークスエンタテイメントの広報誌「Jazz Today」編集長をされている末次安里さんからブログを始めた御案内をいただいた。 ■ このひとの耳もすごいのでお気に入りに入れておきましょう。
2005年09月14日(水) |
AFTER HOURS 21号 は音楽雑誌の歴史を変えたと言っていいすばらしい出来。 |
『アフターアワーズ的、素晴らしき音楽旅行号』とある。 小さな活字でミュージシャン名が並んでいて、先頭がポール・ニルセン・ラブ!。あと、ムームとか、TVパーソナリティーズとか。 CDRが三枚もついている。2520えん。安い。この内容、この価格、この誌面センス、ありえなくない?
もう音楽ファンはだいじょうぶだ。音楽もだいじょうぶだ。
これで小沢健二の「旅人たち」(『球体の奏でる音楽』に収録)をBGMに世界を眼差せる視界を手に入れられた。 ありがと! そしてぼくのあしたはまたはじまるんだ。さいならみんな。こんちはローランドカーク、リップリグパニック。
Infinity / John and Alice Coltrane (Impulse) 1965 を選ぶミュージシャンがいた!(109ページ)
氷川台のサミットストアで6きれ980えんの大トロを買ってきてたべる。涙がでるくらいうまい。回転ずしなんかで食べる大トロ、1かん500えんするのに、こっちのほうがうまいど。
2005年09月13日(火) |
ユリイカ臨時増刊号『オタクVSサブカル!』 |
岸野雄一さんへのインタビュー記事の最終部において語られる、 音楽との出会いについて、「直感」と「縁(えん)」という明言、これが2005年の音楽受容史的なものである。 インターネット情報、ディスコグラフィー、音楽史的名盤の研究、に、優位する、わたしの行動、耳の友人、CD屋とのコミュニケーション、偶然と必然。
2005年09月12日(月) |
担任の但田元(ただはじめ)せんせい |
『女王の教室』最終回スペシャル90分をリアルタイムで観るためだけに、犠牲になったわが職場のみなさま、当然です、上司はわたしです。 ドラマ的にいろいろ批評はあるんだろうが、作ってみ、おまい。
はっはっは。わたしは思う存分、4度も泣いてしまったぞ。生徒になりきってしまって、泣けるこの気持ち。すっきりしたー。 ラストシーン真矢せんせの笑顔。くー、たまんねー。
内田樹せんせいが看破した、国民は小泉首相の“弱者は醜いという哲学”を支持したのだ、というメンタリティに合致してるんだろ、これって。
おれ、小学校んとき、性悪ないじめっこでした。教室はわたしの天下でした。はい。 担任の但田元(ただはじめ)せんせいから何度殴られていたことか。「おまえの“ただ”にくらべて、おれの“ただ”のほうが稀少で高級なんだぞ!わかってんのか、このクソガキ!」、ボコッ!ガシッ!ドゴッ!。
小柄で色黒な転校生・福地くんが教室に入ってきたのを見て「なんだアレは!人間じゃねえぞ、サルじゃねえか!ここは5年の教室だぞ!どう見ても1年だろ、出て行けよー!」とクラス全体をはやし立てて教壇の上でフリーズしたままの転校生を指差していじめたわたしに、但田せんせいはその日の午後の授業をぜんぶつぶしてわたしを黒板の前に立たせ、罵倒・糾弾・追及・どつき続けたものです。肉厚な、頑丈な握りこぶしでした。
翌日のスキー遠足という遠足とスキーを合体させた学校行事を但田せんせいは休みました。「けっ、やってらんねー」とふてくされて参加していたわたしでしたが、スキー遠足の帰り道、但田せんせいは家族連れでスキーに来ていたらしく、学校行事に参加しない担任ってすげーなあと今さらながら思いますが、マイカーでクラスの列に併走してぼくにも「よお!」と声をかけたパパすがたの但田せんせい、きれいなおくさんと小さな女の子がふたり乗っていた赤い乗用車、そのハンドルを握る手もまた、肉厚で頑丈な握りこぶしなのでした。
わたしは何かを理解しました。
決して安易には笑わない但田せんせいでしたが、時おり見せた笑顔は真矢せんせのようだったことを思い出しました。
じつはそのときの同級生のますみちゃんが福田麻由子に似てたのだー。くー、たまんねー。 高校3年生になって再会したますみちゃんとらぶらぶになってしまってますみちゃんを追いけかて東京の大学にやってきてしまったわたしの青春の門に匹敵する大河ドラマは、また別の物語りなのである。
げ。あんにゃろ、函館市立潮見中学校長になってやがる。■ 「おれはこんな小学校なんかに来たくて来たんじゃねー!中学で教えてーんだよっ!わかってんのか、このクソガキ!」、」ボコッ!ガシッ!ドゴッ!、だったことをばらすぞ。
沖縄在住の老人が戦争体験を語る映像を観た。その語り口。 大阪西成区在住のごろつき兄さんがいちゃもんをつける言葉に対応した。その語り口。 ほとんど文化が異なると言っていい。方言である、と、ひとことで片付くものではない。 日本国といっても、ものすごくばらばらな文化がひしめく、すなわち方言・風習・習慣がマンダラのようになっているのが実際ではないのか。 世阿弥と能を基盤とするであろう日本文化の本質といったものは、かなりの局地的なフィクションであった可能性が高い。 白洲次郎と白洲正子のもとに集いし戦後の文化人たちがこぞってルネッサンスしていたのか。陶酔していたのか。
『女王の教室』で、天海祐希さまが、 「どうして勉強しなきゃならないんですか」「どうしてひとを殺しちゃいけないんですか」という問いにきっぱりと答えていた。
9月11日。 あのWTCの惨劇の映像。放映されなかったいろんな映像があると思う。 あれから飛行機が刺さって爆発するシーンとか、WTCビルが倒壊するシーンとか、 ぜんぜん観ないのだけど、「また観たい」とまじで思う。 それって内田樹さんの9月9日で指摘された日本人の病理とつながっているのか? ■
日本のあちこちの土地を旅して、その場所に自分を植えつけるようにして、じぶんがお茶碗になったときには、あちらこちらの水脈をたどって、さまざまな記憶を旅するようなことができるように
2005年09月10日(土) |
三瓶はリップスライムの一員になっていたものと・・・ |
リップスライムを観るたびに、(三瓶なのに、どうして決めちゃっているんだろう)と思っていました。 どうりで踊りが上手くなっていたものです。 わたしはてっきり三瓶は少しだけやせてリップスライムの一員になっていたものと思っていました。 ちがうようです。
2005年09月09日(金) |
福田麻由子・16日新宿ピットイン・『Spellewauerynsherde / Akira Rabelais』 |
相談を受ける。「20さいの年齢差って、どうですかね。彼女のことばかり考えちゃうんですよね。」 おれにしてみれば、24か。ぜんぜんオッケーなんじゃない?おれなんか、福田麻由子■ちゃん、1994ねん生まれ、年齢差33、血液型B、特技はピアノ、・・・だぞ。アファナシエフから、キース・ジャレット、千野秀一、ブラッド・メルドー、菊地雅章、ブノワ・デルベック、内田光子、ポール・ブレイ、菅野邦彦、ボヤン・ズルフィカルパシチ、舘野泉、エグベルト・ジスモンチのピアノを聴きあって、深く深くわかりあっちゃうんだぞ!ソファでくつろぎながら一緒に聴いているとCDの途中で(いまのところ、よかったね)と、瞳と瞳でほほえみあっちゃりするんだぞ。「麻由子の作ったアイスコーヒー、おいしい?」とか。「たださんが麻由子に作ってくれたCDR、5曲目にどきっとしっちゃったよ」とか。どうだ、うらやましいだろ。 「まじで?・・・そう。・・・いいんじゃないの。で、おまえ、なんさいだっけ。」 「32です。」 「・・・いますぐ想うのやめろ!は、犯罪だぞ!ほんとに通報するぞ。いや、おれもう上司に報告書あげる。これからそのコんちに行く!」
おっと、16日金曜日、新宿ピットイン■、昼の部(午後2時半から)、 平井庸一グループのライブがあるんだった。こないだは体調を崩して行けなかった。 しかし、日本のジャズリスナーて、あほやで。彼らを聴かんつうのは、こおゆう名盤■の良さとか、ちともわからんのではないか。 『Not in Our Name / Charlie Haden』(今年の名盤だぞ!)における2管の良さ、だって、彼らは持っている。 レコード会社の制作担当のひと、聴いてみんさい、観てみんさい。
デヴィッド・シルヴィアンのレーベルSamadhisound■の『Spellewauerynsherde / Akira Rabelais』が死にそうにいい。 アパートの前の家が取り壊されて、玄関を出ると、からんと青空が朝から水槽の中のように泳いでいたものだ。 そんなとき。ぜんぜん違う人生の風景にはみ出してしまったような、取り返しのつかない気持ちになる。 あ、これはぼくが4さいのときに国道をながめていたときの気持ちだ。
2005年09月08日(木) |
YES YES YES |
有線で、不意にオフコースの「YES YES YES」のシングルヴァージョンがかかる。 ・・・ぼくの!行く!ところへ!あなたをー!連れて!行くよ!・・・ んで、どこへゆくとさ。六本木のWAVEかね。高田馬場のタイムかね。水道橋のスイングかね。中野のいもはうすかね。 あほかね。言われるほうの身になってみそ。そげにりきんで言うことかね。めっさ、うじゃい。23さいのわしじゃ。
「YES YES YES」のエコーがたっぷりかかったアルバムヴァージョンが聴きたい。アパート住まいの23さいのわしは、大音量でかけまくった。 あまりにうるさくて自分でも耳をふさぎながらかけていた。 マイルスの『パンゲア』やジャレットの『心の瞳』、松田聖子の「ロッキン・ルージュ」、OMDの「愛のスーベニア」とか、かけまくった。 かけまくりながら徹夜マージャンばかりしていた。 となりに住んでいた独り暮らしのばあさんが引っ越していった。
マージャンと女の子とレコードだけの人生をめざしつづけて44ねん。いまだ、みち、なかば。 ま、だれもそんなところへ連れていってほしくないわな。
そや、そや、そや。
ああ、それが「YES YES YES」の意味か。
2005年09月07日(水) |
サンボマスター「あの鐘をならすのはあなた」・ふろむおすろ・レノントリビュートアルバム |
サンボマスターが「あの鐘をならすのはあなた」(オリジナルのクリススクワイアーばりのベースの凄み!知ってるか?)をカバーしている。 和田アキ子リスペクトとしてはクレイジー・ケン・バンドが王道をゆく表現をして、音楽の歴史にエポックを刻んだが、サンボマスターのカバーは悪いはずがないが、ちょっとした変化球であり意外なものではない。
ふろむおすろ、という、日本人女性のピアニストによるとんでもジャズCDをやはり聴いてしまうのだ。 タイコがヨン・クリステンセン、録音がオスロのレインボウ・スタジオ、録音技師がヤン・エリック・コングスハウ。 ECMの、北欧の音で録りたいという意図は明白である。 これをECMファンが手にしないのは難しい。 しかし。 どこにも北欧の音がしない。レインボウ・スタジオの音もしない。録音の定置もクリステンセンに失礼。すげーいじってんな。これはもはや悪意。 演奏も、このベースとタイコの人選の必然を見事に感じさせない音楽。いい曲もある。11曲目はいい。 クリステンセンはこのレコーディング中、毎晩酔っていたという。「おいおい、これが呑まずに演ってられっかよお!ありえねえよ。なんでおれが叩かなきゃならんわけ。ジャズピアニストだときいたんだぜ。」
ジョン・レノントリビュートアルバム「Happy Birthday,John」9月30日発売 参加アーティストはDREAMS COME TRUE(新録)、高野寛、ACID TEST(桜井和寿・小林武史・田原健一)(初CD化)、椎名林檎、槇原敬之(新録)、奥田民生(アルバム未収録)、Puffy(新録)、100s(新録)、宮沢和史(新録)、忌野清志郎&仲井戸麗市、BONNIE PINK(新録)、SAKURA、ナカコー(新録)、フジファブリック(新録)の全14組。(情報元:Rさん@BBS) とのこと。 ・・・ううむ、なんつううか、聴いてみたい。思いっきりブツブツ文句をつけながら。 そんなんダメだよ、理解してねえよ、へたくそ、アホ、まぬけ、ミュージシャンやめちまえ、と、言いながら。
ポールのトリビュートのほうが聴きたいんだけどなあ。楽曲の持つ可変性というか可能性、普遍性はポールのほうが上だよ。わかってる?
2005年09月06日(火) |
【求む】 ウジェーヌ・イザイが1912年にニューヨークのスタジオで録音したSP盤をCD化したもの |
台風が過ぎて、ごおおと雲が走るばかりの早朝の暗がり。せんたくものをする。
猪瀬直樹のメルマガを申し込む。■ 朝日新聞社の「一冊の本」定期購読を申し込む。■ 佐藤優×魚住昭による「ラスプーチンかく語りき」という連載が面白い。
ウジェーヌ・イザイが1912年にニューヨークのスタジオで録音したSP盤をCD化したもの、ドヴォルザークの「ユモレスク」を演奏したものを、誰か持っていませんか。聴かせてほしいです。売っていたら買います。
日本の伝統音楽CDのmusicircus全聴記、藤井郷子カルテット(現在北米ツアー中だ)ライブインジャパンのJazzTokyo用CDレビュー、ユーロジャズ系のメルマガから依頼されたエドワード・ヴェサラについての短文、を、抱えております。 と、ところが、こんなCDにつかまって抜けられないでいます。 パット・メセニーの『SONG X』20周年エディション■が、すごい。 未発表テイクが加わって、曲順からマスタリングまで、今のメセニーの到達によって蘇生した『SONG X』なのである。 不意打ちとはこのことだ。 こ、こんなにファンキーでおもろいセッションだったんだー! もう20年前のようにメセニーは弾けない。上手くも、獲得もしているし、と、同時に、喪失もしているだろう。生きる、って、そういうこと。
岡崎京子著『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』
そんなかんじ。
せいいをみせろっていってんだよお、おらあ。とか。なんなんだよそのたいおうわよお!とか。どうしてくれるんだよ、このおとしまえはよお、せきにんしゃとしてどうせきにんをとってくれるわけ。とか。きさらづのやーさんはだてにいれずみしているわけではなく、めのちから、きのちからがあります。こころのなかでぱんつをずりさげるしせいをとっては(そまつなものですが、わたしのからだでせきにんを・・・)とおもいながら。
よっぽどまんびきをおやにしられたくないのか、こじである、みよりがない、おやのぼうりょくからにげてくらしている、ゆるしてくれるならなんでもしますからかんにんしてくださいとさんざめく15さいのしょうじょ。こころのなかでぱんつをずりさげるしせいをとるようなきもちにはならない。
なぜなら。
言っておくが、わたしのストライクゾーンは、Berry工房■と32さいから44さいまでだ。 数学的に言うと、11から14、と、32から44、である。つまり二次方程式のグラフがエックス軸に取りうる範囲である。 音楽的に言うと、バロック音楽と60年代現代音楽(を視野にしたロックやジャズを含む)、である。あいだにあるロマン派とか、うざくてだめね。 ジャズ的に言うと、ディキシー、スイング、クール、と、オーネットの登場以降、である。コルトレーンとかモードとか、うざくてせこいだけ。 ECMがあつかうものは、かのようにわたしの嗜好にリンクしているのは、さすがである。
けいさつにいったら、ちゃんとしたおやがいるんじゃん。
いいだけどうじょうしてたいおうしてたもんだからつかれた。おじさんをだますでない。
2005年09月04日(日) |
岡村靖幸。すきやで。 |
あー、nishi9raくん。曽我部恵一@タワーレコード新宿店、そんなうらやましいとこにいってたんだあ。■
おもしろそうな編集CDR作ってますねえ。 それをもらうために、わたしもCDRをつくるぞ。 すごいのつくるぞ。 もうたださんのCDRはいらないですからどんどんおくるぼくのCDRをきいてくださいとおもわずさけんでしまうようなすごいの。
1きょくめはこれにしようかな。 ジョンテイラーとスティーブスワロウとクラリネット奏者の・・・あ、コレだ>■
それともジャックジョンソンセッションの・・・ ・・・すいません。それでは師匠■のものまねになってしまいます・・・
『ジャック・ジョンソン』の「ウィリー・ネルソン」ソニー・シャーロックのスライドギターに、『リメイン・イン・ライト』の「ボーン・アンダー・パンチズ」が聴こえていることを洞察していただけて感無量です。ジョン・ケージの作品を聴いているのに、「わ、こ、これは『ショナ族のムビラ』の世界ですー!」と反応して、それを御理解いただけた数年前を想起しました。お元気でしょうか。
Ap bankのHPにあるメッセージボードの内容の酷さ。そのとおりでございます。 わたしもですね、音楽と思想・人間性が別物だという、中学生が思いつきそうな幼稚な考えには与しませんことよ。
岡村靖幸。すきやで。
2005年09月03日(土) |
ニューオリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」。 |
ニューオリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」。
被災者の映像を見るたびに、思ってはいけないことを思ってしまうわたし。 (こいつらみんなサックス奏者なんじゃないだろうか、あ、オル・ダラ、あ、デヴィッド・マレイがたくさんいる・・・あ、ヘンリー・スレッギル、その横にアルバート・アイラー、そのとなりにウイントン・マルサリスとジャック・デジョネット!すっ、す、すげえ!)
2005年09月02日(金) |
M83の「Before The Dawn Heals Us」に、明白なマイブラ・メソッドによる恍惚感のサウンド演出 |
J WaveでかかったM83の「Before The Dawn Heals Us」に、明白なマイブラ・メソッドによる恍惚感のサウンド演出が認められた。
2005年09月01日(木) |
ミスチル新譜の曲目が発表された |
ミスチル新譜の曲目が発表された。モンスター、て、浦沢直樹、なわけない。なんとなく最後の3曲が気になる。
01.Worlds end 02.Monster 03.未来 04.僕らの音 05.and I love you 06.靴ひも 07.CANDY 08.ランニングハイ 09.Sign 10.Door 11.跳べ 12.隔たり 13.潜水
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