Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年12月31日(金) |
平井堅の「瞳を閉じて」 |
紅白歌合戦をNHKラジオを聴きながら、積雪後のバリバリと凍った国道17号を東京に向かって。 平井堅の「瞳を閉じて」。 ふいに、歌詞が素直に入ってきた。平井堅の歌声、力量、誠実な表現。泣けた。「記憶の中に、きみを探すよ」。・・・。
きのうまでは「ひとみを閉じて君を想う、それしかできねーんだろうが!この甲斐性無し!貧乏人!それだけでいいんだったら、歌ってんじゃねーよ、物欲しげなウザいオトコやのー。」と、街の有線に野次を心の中でとばすわたしでした。 ごめんね、堅ちゃん。
昨日は予定よりも4時間はやく仕事を終えたので、友だちと築地で「江戸前寿司」を食べた。回転寿司じゃない寿司は何ヶ月ぶりだ。 28時間続けて仕事をしたあとなのに。美味くて疲れが取れるのである。癒されるのである。 あのきゅんとちんちんの根元のこうもん付近の筋肉がきゅんと締まるような中トロとブリの美味さであった。白子の味噌汁にも感涙なり。
食べたくなくなるような表現をしてしまった。オンナコドモには喰わせん。
2004年のロヴァ耳アワードベストCDは、 アルバム部門は高橋悠治の『バッハ:ゴルトベルク変奏曲』 シングル部門は坂本真綾の『Feel Myself』に決定しました。
2004年12月29日(水) |
耳の師匠たちに誓う年末 |
つれづれなるままに。
来年は。わたくしの歴代耳の師匠のコトバ(教え)の数々を実践する年にしようと思っておりまする。
「一期一会の真剣勝負としてジャズと対峙しなさい」
「ただくん、ホンモノを聴きなさい、名盤を聴きなさい」
「ジャンルの耳の造成を第一に、クロスジャンル聴取を幾様にも聴き取りなさい」
「いかに無責任になれるか、だ」
「ジャズミュージシャンがジャズの歴史のために、ましてやただくんのために演奏しているわけがない」
などなど、ほかにもいくつかあるのですが。内田樹せんせいの著作に触れて「師」の存在にいまさらながらに気付かされた今日この頃。
本日は横浜の長者町界隈某所で一晩じゅうオールマンブラザーズバンドのフィルモアライヴに酔いしれておりました。
「アルバム有馬記念2004」24作品の最終選考に入っているのですが、やはり岡村靖幸とJOJO広重とサイモンナバトフを入れるとすると、ユーミンが脱落してしまうのー。 で、ベストアルバムのほうは・・・高橋悠治、アジカン、ブライアンウイルソン、ミスチル、テオマセロ、田村夏樹、の、どれかです。 ベストシングルは・・・坂本真綾、三善晃、あがた森魚、パットメセニー&ヨペク、ハルカリ、アジカン、菅原洋一、松平健、の、どれかです。 ひええー、楽しみー。 ロヴァ耳アワード会場に次々に登場してくるノミネートされたアーティストの立ち居振る舞いを勝手に想像しては、はあはあはあ、と、息をしてうれしい気持ちになっています・・・。このひとたちが一堂に会するのよー、わー、おざけんがニューヨークから『刹那』のノミネートで会場に来ている!高橋悠治と三善晃と後藤くんと櫻井くんとおざけんと田村夏樹と菅原洋一と松平健が並んでプレス向けに撮影しているー、おっと、今年のプレゼンターは昨年の覇者デヴィッド・シルヴィアンと中島美嘉ちゃん、きゃー。
みなさま、よいお年を。
2004年12月28日(火) |
『除夜舞27周年』のお知らせ |
師走、年末、災い多くして、突如現れたテロ対策(まじだぜ)という激務を上手出し投げ、の、その前に前褌(まえみつ)をひいて相手の体を起こそう、と、しているときに、そいえば昨夜切ろうとしていた左足中指の爪が、この場合キケンではないのか、進退窮まれリと、思案している間に、数人の友人たちに電話で年越しのごあいさつの様相で。
楽しい年間ベスト決め独り遊び「アルバム有馬記念24頭」「シングル有馬記念24頭」の出走馬たちを決めながら、手帳に書き込んでは。
元旦より、島根県方面へと美女3にん(いずれも耳のセンスもいい)を従えて温泉と美術館とグルメツアーへ。「車の中で聴く選曲CDRを作ったわよ」とか「サンボマスター聴かせてあげるからね」とか。
そいえば友だちにmixi(■)というウェブネットワークに入れていただくことになっております。
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信頼すべき音楽評論家で大正琴演奏家の竹田賢一さんより『除夜舞27周年』のお知らせが届く。
擬制は、終焉したのか・・・・ ある意味において、擬制は、擬制をかさねた。 私達の子供は、いつしか、動物園の鰐や河馬よりも ディズニーランドのワニやカバを愛していた。 このメディアの中で、心に化粧をすれば 他者と出会えるのか・・・・ (ガン)
と、書かれている。
ふと、斎藤かぐみさんの先見日記(■)を連想する。
キッド・アイラック・ホールのスケジュール表→■ 大晦日の夜9時から元旦の午前1時頃まで。
2004年12月21日(火) |
JOJO広重の『ぼくはもう歌わないだろう』(2004) |
歌詞における詩性と、現代詩における詩性のあいだには、深くて渡れない川がある。・・・なんだそれ。
君が死ねって言えば死ぬから みんな死んでしまえばいいのに このまま死んでしまいたい 生きている価値なし 怒鳴り散らすぼくの声はあまりにも小さい ぼくはもう歌わないだろう
上から順に、JOJO広重のソロ・アルバム・タイトル・発売順である。
ヤクザの親分(あくまでメタファーだろう)が見初めた若い女性との邂逅の一瞬にすべてが注ぎ込まれたこの新作『ぼくはもう歌わないだろう』。
音楽を、鳴っている音像の「行間を読む」ように、接しているわたしにとって、 このような“行間”だけで構成された表現には濃厚なジャズ性を感じるところがある。 すばらしい作品だ。
2004年12月20日(月) |
詩の雑誌『るしおる』54号を読む。 |
詩の雑誌『るしおる』54号を読む。 ■
わたしの耳の師匠にオフコースの『ワインの匂い』を聴かせていただく。
鈴木康博のハーモニーに対する感覚は、当時のニューミュージックシーンにあって突出していたことが納得させられた。 鈴木康博は当時ギタリストとしても相当なレベルにあったものらしく、楽理もカルト的に習熟していたもので、オフコースの成功は決して小田和正ひとりによるものではないと師は力説された。まさにそうである。小田和正主導になったオフコースは、サウンドに翳りや深みが欠如している。「さよなら」以降のオフコースはメロディーメイカー小田だけが肥大し、やがて小田はソロに転向した。
師匠いわく、オフコースの最高傑作は『ワインの匂い』である。
『ワインの匂い』と『ジャンクション』は、高校1年のときに、となりの席のとも子ちゃんにカセットでプレゼントされた重要な作品である。 カセットのケースの中はイラストの紙がきれいに折り込まれてて。曲目なんか便箋に手書きだぞ、便箋に手書き。
思い出すぞ。 「ね、途中まで一緒に帰らない?・・・」と、出し抜けに言い放った下校時のふいに二人だけになった教室。 「・・・うん。ちょっと待って・・・」ととも子ちゃんは言った。 あわててカバンに教科書を詰め始めたとも子ちゃん。みるみる真っ赤な顔になったとも子ちゃん。
キター!!
やがて。ふたりとも掃除当番じゃない曜日には互いに待ち合わせて一緒に帰るようになった。 そして、ぼくの部屋に遊びに来るようになっら。おっと、とちった。来るようになった。
そんで、わしはクイーンIIのLPをターンテーブルに乗せて「ネヴァーモア」をかけて雰囲気を盛り上げて、何度も何度も盛り上げるのだが。 そのたびに間の悪い小学校2年生の妹がわしの部屋に闖入してくるのであった。「おにーちゃん、くらいところでなにしてるのー?」
とも子ちゃんへのほっぺたへの初キッスが何度この妹によって阻まれたことであろうか!27年ぶりに仕返ししたいぞ。
ほっぺたへのキスは1度だけ達成された。しかし、とも子ちゃんは困った顔をしていた。
時は流れて。23さいになったわしは、北海道のどこかの博覧会でコンパニオン姿のとも子ちゃんにふいに呼び止められたのである。「ただくん!ねえ、ただくん!」。パビリオンの制服に身をつつんだとも子ちゃんだった。「2年生になってから、わたし、悪い子になっちゃって、突然くちをきかなくなって、ごめんね」と言った。ちょっとたどたどしいくちびるの動きがどきどきさせた。
「じゃあ、いいこになって、くちでなにしてくれるのか」とは、さすがに当時純真な貴公子であったわたしは言わなかったが。で、その後の展開がどうなったかはここでは触れない。
模倣的な犯行が懸念される、と、言おうと思い、「模倣犯がたくさん出そうだよねぇ・・・」と言ったつもりだった。 「たださんは、こーゆーとき蒙古斑がたくさん出るんですかー?」と笑うか。いまどきの19さい女子は。 不謹慎だとは思わないのか。おまいの蒙古斑みたるぞ。
わたしは自慢ではないがメガネフェチとはぐきフェチと蒙古斑フェチの三種複合である。世界に誇れるマニアだと言ってよい。
小谷美紗子のライブは2時間半の彷徨の果てに、アンコールの2曲だけ聴けました。ホットコーヒーブラックで暖を取りながら聴くクリスマスソングはそのようにぼくに届いたのです。たぶんそれは予定通りに。
12月の南青山MANDALAのスケジュール表には、岩崎良美、遊佐未森、山本達彦、知久寿焼、鈴木祥子、柳原陽一郎、斎藤ネコストリングカルテット、原マスミのライブがあった。
部屋で電気ストーブにあたりながらブライアン・ウイルソンの『スマイル』を聴いた。
『スマイル』は、音楽そのものを聴いてはおそらく何も得られないと思う。
演奏は妙にきちんと上手で、これは技術者による再生演奏なのである。 演奏者の意識を60年代半ばへと、転換しなければならない。技術的未熟からの冒険といった成分で組み替えなければならない。 ブライアンの声も『ペットサウンズ』直後にまで戻して聴かなければならない。 70年代からの出来事を知らない意識で、この音楽の骨格を再構成しなければならない。
『スマイル』はそのようにして、聴き手に到達しなければならない。
そして、聴き手はしくじりの甘美と永遠に遠い過去のワンシーンを想起する、その想起の仕方を懐かしい気持ちで手に入れるである。
あしたは、小谷美紗子(おだにみさこ)のコンサート『Trio LIVE '04冬』@南青山MANDALAです。
『うたき』と『宇宙のママ』は、ほんとうにすごい作品。(最新作『Then』のほうはあまり聴かないままでごめんなさいです)
げ。なんやねん。エクスワイフからエンピツフォームメールなんて届いているやんか!読むな、ボケー。 なになに、また病気が始まった?子どもに遺伝していないか心配だ?アンタがバンプのファンだとはねー?ステイン■のDVD2まんえん、くれ、だと?。あのなー、おまえが藤原くん似の彼氏を見つけるんなら、おれは小谷美紗子似の彼女を見つけたる。あした見つけたる。そっくりやで。ほんもんやで。ほんにんやで。あー、たまらんなー。少しは見習わんか。
なになに、あんたにガネリントリオやミシェルポルタルやセルゲイクリョーヒンやフリッパーズギターや綿内克幸やドノバンやジャックスやマイナーデテイルやブラックやコミュナーズやジョージシアリングやカスケードやマヘリアジャクソンやアジカンを教えたのはわたしだって、
そのとおりでござりまする!
さねよしいさ子の『スプーン』を聴いていた。
「ひみつ玉」
平和台の夜空は広がって、大倉山や月夜野までを見渡せる。
ぬあー!『夜光杯』なんて新譜が出ていたのか。2003年に出ていたのか。たのむ、おれにも買わせてくれ。
※そーそ。ミスチルファンは、『沿志奏逢(そうしそうあい)』で「幸福のカノン」を聴いたですよね。オリジナルもいいんだよー。 そーだそーだ。『沿志奏逢』をオリジナル音源を曲順に焼いたCDR『オリジナル沿志奏逢』を作るんだった。時間ねー。
2004年12月09日(木) |
ありがとう、ミスターメシニー。 |
メセニーに会ったのは何年前だったろう。ソロアルバムを出す前のライルメイズにインタビューを申し込んだECMファンクラブ時代だ。 そのメセニーから、新譜が届いた。
わたしのメセニーに対する耳は厳しい。 メセニーの最高傑作は『シークレット・ストーリー』と『カルテット』である。 『イマジナリー・デイ』はピカソギターに基いた習作に過ぎぬ、ジム・ホールとのデュオでは後ろを取られまくってとほほと苦笑いしているメセニーを看破してしまうわたしは、ルーティン化された興行にも厳しく接するようになり、やがて、接しなくなってしまった。 思い返すと、『オフランプ』は特別な作品だ。スタジオ録音を聴いているのに、あまたのライヴ演奏を同時に脳内再生させてはあはあ息をしてしまうくらい好きである。
そして21世紀になって、メセニーは彼の経歴を統合してあまりある傑作をここに呈示してきた。
なんという怖ろしいオトコだ、パット・メセニー。 キーワードは転調とシンコペーションだろう。 おそらくここ10年単位の音楽史の俯瞰しなおしが我々音楽リスナーに要請されることであろう。 そこには、ミューヨークのメインストリーマーたちが格闘する響きに対する熱気とか、ブライアン・ウイルソン『スマイル』の奇蹟の浮上や、ミスチル櫻井の「天頂バス」に見せた本能までが、同一直線上に見渡せるところ、と、言えはしないだろうか。
たぶん、「ファースト・サークル」の完全調和感に圧倒された時以来のモンだな。
ただもんだいはひとつだけ。わたしはトラック1を聴いてアルバムを最期まで観終わっていた。 トラック1を3回聴いて、4日間は心拍と乱数と調性の色彩で意識が展開し続けてしまった。 これは直感的な物言いなのだけれど、ぼくの意識のまわりに4つの進行軸が空間的に配置されていて、わたしは併走しながら高速飛行するような面持ちなのだ。 この歓びを、たぶんあたりまえのように知ってしまったぼくたちは。
メセニーが投げかけた核心はこのカンジなのか。ありがとう、ミスターメシニー。
新札は、どれもみんな正気を失った目をしている。
2004年12月07日(火) |
岡本真夜似のなつみちゃん |
岡本真夜似のなつみちゃん24さい彼氏なし募集中時給840円いわく、「たださんも、アジカン好きなんだあー。わー、バンプも好きなのー?わたしたち趣味あうわねー。そうねー、「チキンライス」は貧乏くさくてびみょーねー。あ、いまわたしレンジの「花」が大好きなんですよ。」
とっさに「うん、いい曲だねー。一緒にアジカン行った息子も大好きでさー。」「いいですねー、親子で一緒にライブに行くなんてー。」
「わたしたち趣味あうわねー」という文言(もんごん)だけが晴れ渡った師走の大空に映し出されているではないか! わたしたち、というのは、いくらソシュールが抗弁しても、なつみちゃん自身が語った“なつみちゃんとわたし”のことだ。 なつみちゃんの「一緒に」「いく」の音声をサンプリングして耳の中でループ&ループしてしまうぞ。
なつみちゃんと・・・、ケンカして、愛し合って、いろんな壁ふたりで乗り越えたいぞ!どんな壁があるというんだ。年齢差19。モンダイ無し。まったく無し。今日は、いい一日だぞ。がんばれ、オレンジレンジ。なつみちゃんが好きなら、わしも好きじゃ。なんやおまいら、文句あるのか?そもそもきみたちにとって音楽とは何なのかね。趣味があうわたしたちの前では、なんときみたちの無力なことか。
こんどなつみちゃんにミスチルが好きかどうかきいてみよう。おざけんを知っているかきいてみよう。おお、近づくクリスマスにおざけん『LIFE』を渡しちゃったりして。「おそろいのダッフルコート着ようよ・・・」なんて言われたりして。「大人のキス、知ってる?」なんて言われたりして。
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そえいば、ミスチルのシフクノオト・ツアーの横浜アリーナの録音が手に入っていたんだった。
6・12 「Mr.Children Tour 2004“シフクノオト”」@横浜アリーナ 1. 終わりなき旅 2. 光の射す方へ 3. PADDLE 4. Innocent world (MC) 5. 花言葉 6. 口笛 7. 抱きしめたい 8. Pink〜奇妙な夢 9. 血の管 10. 掌 11. ニシエヒガシエ 12. Image 13. overture〜蘇生 14. youthful days 15. くるみ 16. 天頂バス 17. Hero encore 18. mirror 19. タガタメ 20. sign
コンサートのオープニングに鳴り響いたのは、「終わりなき旅」のイントロだった。それは、力強く鳴り響いた。 「えっ、どうして?」 この曲は彼らの長期休養明けの、“自分探しの途上”を象徴するシングルだった。苦悩の旅路をメタファーとするアルバム『DISCOVERY』。彼らは、その後『Q』『It’s A Wonderful World』そして『シフクノオト』へと、トンネルを抜けるようにして辿り着いたはずだった。 しかし。「終わりなき旅」の、この圧倒的な、力強い躍動と光に満ちた肯定感。 「息を切らしてさ」 ・・・祝福を帯びるように、この楽曲は横浜アリーナ全体を高揚させていた。そして理解した。何を?・・・いま、を?
ざっくりと言って「口笛」「蘇生」「Hero」「くるみ」「タガタメ」へと到達した彼らにとっては「終わりなき旅」も「光の射す方へ」も過去の軌跡として位置付けてしまっていたぼくは、このライブのオープニングで続いて演奏されたことによって、過去の歴史が現在に二重映しのように生きていることを感じたのだ。
『沿志奏逢』のシークレットトラック2種を含めて焼いたCDRを要望する中2の息子からの電話があった。 「終わりなき旅」も「光の射す方へ」も、テーマは同型であると彼は指摘した。あ・・・たしかに、言えてる。 前者が基本的な態度として一途な倫理性を持っているのに対し、後者は快楽至上主義者の態度であり享楽的である、に、過ぎない。
ミスチルの欠落は、「だらだらサボってテキトーに流そうぜー」「もうけもうけー、だまされるヤツがバカなのよ」とは決して歌わないキマジメさなのだし、そこがウザいと言えばウザく、教条主義的なバンドの筆頭に挙げられるゆえんでもあるのだろう。
2004年12月06日(月) |
オレンジレンジ、ハンコック、長木誠司、季刊誌『前夜』、高橋哲哉、ピーターバラカン、ハルカリと谷川俊太郎、など |
「はん・なん・びん・らん・のん、よおに・・・」(鼻つまんで納豆くちに入れて歌うんじゃねー!蓄膿か、おめー。・・・歯、磨け!・・・髪、切れ!) 「ケンカして、愛し合って、いろんな壁ふたりで乗り越えて、生まれ変わっても、あなたに会いたい。」、くわっ!、おめーたちにとってだけの“壁”を乗り越えるんやろ?ドレッシングの趣味が合わないわねー、とか、読売新聞の勧誘に負けちゃったわー、とか、おっぱいかじりながらいれてほしいのー、とか、となりのダンナよりはやく出世してねー、とか、ネクタイはわたしの趣味に合わせてねー、とか、そんなどーでもいー壁乗り越えて、もー生まれ変わったらおめーら風呂場のなめくじじゃ、熱湯でとろろんじゃ。成敗したる。
んで、曲のタイトルは「花」だって。「花」ってタイトルを、どういう覚悟で使えるのか。知らんやろ、おい、こら、オレンジレンジ。殿中でござるぞ。 ・・・と、ここまで書いといて。・・・ま、中学生以下が好む曲だというなら、いいですよん。
「チキンライス」とかいう曲は・・・こんな曲を“聴く”というだけで、半径10メートル以内には近づいてほしーない。年令不問。誰の曲や? 「きみの好きなひとと百年続きますように〜」、無理無理、不可能。おまえら何歳まで生きられるん?誰の曲や?
平原綾香のシングル「Blessing祝福」の4分52秒目(たしか)と5分20秒目(たしか)にケータイの着信音が鳴るって知ってた? ほとんど意味のない音加工ゆえ、制作上のミスなのであろう。
さて、昨日はアジカンのライブに行ったわけだが。はっきり言って40過ぎてアジカンにはまっているオヤジなんてのは、状況的に痛すぎ。身の程を知れ。40過ぎてアジカン聴いている、つうのは、郊外のスーパーで遊戯王デュエルモンスターカード対戦に小学生相手に真剣にカードを繰っている40過ぎのオヤジ、と、同等に、キモい。まじ、キモい。じっと手を見る。わしじゃ。
どうなんだろうねえ。ハービー・ハンコックの新譜聴いてそれなりに慰みを得るようにうなずくオヤジよりは百倍は上等だと思いますが。フューチャーショック、って、将来こんな作品で持てはやされ続けたジャズ演奏家がいたことに驚かれる、ということなのかー。残念ー!60過ぎてもう指動いてませんからー!ウォーターメロンパン斬りー!
アジカンを、日本語の、現代詩の、辻説法の、語り芸の、可能性といった文脈で接している40過ぎに限り、聴取を許可する。以上。
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おい、まことくん。いま、音楽批評は必要とされていない、と、きみはいうが、どういう意味なのか、その意味するところを語彙から含めて初歩からご指導ねがいます。
レコード芸術12月号をめくっていたら。 現代曲のコーナーで、長木“ミスターエクスムジカ”誠司さんが、現代曲のスタンダードばかりを集めたピアノ作品集をリリースした新人ピアニストに対し、たぶん、演奏家として二度と立ち上がれないほどの罵倒に感ぜられる批評を呈示していた。読んでみたまえ。結構な読みごたえ。 公開処刑。公開屠殺。 彼はきっと死刑廃止論者ではないだろう。
これくらいの批評を、ジャズの批評界はついに果たせないままのようである。よく吠える犬のようなひとがパッチワークをしているが。
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きのう予告したピーターバラカンさんのこと、って、バラカンさんが書いた記事を見つけたという情報です。
季刊『前夜』■の創刊号、に、群馬県太田市の本屋で遭遇する。特集は「文化と抵抗」。 高橋哲哉のロングインタビューが掲載されている。 高橋哲哉と小室哲哉は似ている。名前だけではない。 実はそれぞれの分野で史的に重要な仕事をしているにもかかわらず、一般的にそうは思われていないふしがあるところがそっくりである。 もちろん顔なんかもそっくりであって、入れ替わっても誰もわからないはずである。見てわかるのはわたしぐらいかもしれない。 あ、ときどき入れ替わってるな。 「王子と乞食」だな。 どっちが乞食なのだ?予想されている収入から推察するにおのずと答えは出てきそうなものである。
そんなオバカなハナシをしようと思ったのではない。
この季刊『前夜』・・・、って、このタイトル。あ。・・・よあーけわーちかいー、と、歌った岡林信康の思考の遺伝子を持っているのではないか? すなわち、この雑誌で語られる抵抗という概念は、岡林信康の背景としてのキリスト教のもたらす諸力を補完しているのではないか?
やだな。文化と抵抗、なんて、カビくさい固くなったカステラのような用語は。アクチュアリティに欠ける。楽しそうじゃない。面白そうじゃない。 闘う、と、言ったときに、相手の所在に行き当たれない、わたしの心臓をわし掴みにして苦しめているこの凶悪な腕を左手でナイフを突き刺したら、それは自分の右腕だった、自慢の右腕だった、という、そんな中にあって。 複素数と微分方程式の世界にあって、1たす1はー、と、10進法しかも自然数の世界で、そういう世界とも知れずに考えているような。
読む前に“抵抗”をおぼえてしまったぜ。また話題がズレたな。
幼少の頃、音楽好きのお母さんがビリー・ホリディの『奇妙な果実』を聴いているのを、そばで体験しながら育ったピーター・バラカンさんが、この季刊誌『前夜』に寄稿している。 タイトルは「プロテスト・ソング(抵抗の歌)10」。10曲のプロテスト・ソングをDJ形式で紹介している。
曲目はここでは紹介しない。この季刊誌を書いたまえ。それが礼儀じゃ。バラカンさん、このコンピレーションCDを作ってほしいです。
ちなみに、季刊『前夜』のアンケート回答者の中に平井玄さんの名を発見したゆえ、コンプリート指定となりました。 なんかこのテキストは好きだ。 「破局前夜が新生前夜となる 戦争前夜が解放前夜となる その希な望みを、私たちは棄てない。」 万馬券をどかっと買う、あの途方も無い、ほとんどありえないゴールシーンの幻視状態、の、ウキウキに似ている。 ・・・きっと直線一気ごぼう抜きだ・・・
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ハルカリのニューアルバムに谷川俊太郎が参加している。わかってらっしゃる。お互い。
2004年12月05日(日) |
アジカン“No Member, November”ツアー最終日@日本武道館! |
アジカン■@日本武道館。 ツアー“No Member, November”の最終日となった。
そっか、アジカンって、タテのりジャンプ大会バンドだったんだ。 長いインディーズ時代を経て辿り着いた日本武道館、という位置付けもあったやも。下北沢シェルターを模してステージセットをあつらえたとも。「長かったですね、ぼくたち結成して9年、CD出すまで6年で・・・。」という後藤くんの素朴なMCに泣けた。
アンコール前の本編のラストは「海岸通り」。この曲だけバックに12人のストリングスが登場した。
アジカンの『ソルファ』について、10月29日の日記に書いた 「ジャケの少女が手にしているのはオープンリール・テープ、つまりアナログ、つまりアンチ・デジタル、という姿勢である。 歌詞カードは縦書きで印刷されている。後藤正文の書く歌詞は、いまもっとも読まれている現代詩である。」 これはミュージックマガジンの高橋編集長も指摘していたので気をよくしていたのだけど、 日の丸が掲げられた日本武道館のアジカンのライブで歌詞を叫ぶ若者たち、は、どんどん日本語の価値を身に沁みているようだった。 声を出して読みたい日本語と大人たちは周回遅れで後追いしているのでした。
アジカンの缶バッジセットの「君の街まで」をスノボジャケットに付けました。色彩的には白地に赤と金が基調のデザインです。 ツアータイトルの“No Member, November”のアルファベットの“O”の部分は真っ赤なマルでした。 そして日本武道館の天井に掲げられた日の丸。
と、ここで、アジカンと日本の右傾化をつなげて考えてしまわないようにしてほしーです。 国民総背番号制で脱税を防ぎ、法人監査をしっかりとし、労働基本法の遵守もしっかりとし、相続税率を強め、社会の再配分機能を高めるのがいいのではないかと考えているわたしは右なのか左なのかわからないのですが。
あ、そうだ、後藤くんがライブで曲の最後に「アトゥー!」と叫ぶのは、「ありがとう」の意だったのでした。今日のライブで理解しました。
あしたはピーターバラカンのことについて書きます。
2004年12月03日(金) |
副島種臣の書の図鑑がほしー! |
吉増剛造と新宮一成と今村仁司が参加しているスーパーユニット・・・つーか、寄稿している季刊誌『文字』■の5号に出会う。 この季刊誌『文字』は石川九楊さんが責任編集をしている。石川九楊さんが50代後半になって創刊した、直感的にわかる日本文化の再生行為だ。20世紀に書かれたことがらをいったん保留して、まっさらな雪の道をすすむ思いがする。 これはもうコンプリートをしなければ気がすまない。
気付いたときにはすでに品切れ状態となっていたこれ↓ 『蒼海 副島種臣書』石川九楊 ・編集 ■
こいつがすごい。
「副島の書には力強さ、魂の震えがあり、時には音楽的で子どもが一番分かる書だという。」というレビユも見受けられるが・・・ 子どもでわるかったな。
この書の天才、副島種臣さんは、こーゆーひとでもあるのか!>■
副島隆彦は種臣の子孫にあたるのかー!おもしろい。
前衛ジャズ評論家の副島輝人さんはカンケーないのだろうか?あってもおかしくないぞ、この天才の家系なら。
2004年12月02日(木) |
230点の商品の万引き、というレコード樹立 |
競馬の馬券を買うように。 毎号購入しているCDジャーナル、ミュージックマガジン、ストレンジデイズ、ジャズ批評、レコードコレクターズ、ロッキングオンジャパン、レコード芸術、クッキーシーン、英WIREを俯瞰して毎月30枚のCDを購入する。 中古盤屋でも一日1枚のペースを越えないように過去の遺産をライブラリーに補遺する。
それがわたしの望む生活である。 で、さらにそのパイロットとなるべき行為が、耳達者な友人知人たちから毎月送付されてくる編集CDRである。
単なる中毒じゃん。倫理もへちまもない快楽主義者への道。
早朝に捕獲した万引き犯は、まさに万引き中毒患者だった。店内の商品であるリュックにがんがん詰め込み、リュック2こ、手さげトートバック2こに持ちきれないほどの荷物を抱えてそのまま店外へ逃走。わたしは左うででノゲイラのヘッドロックのように首をへし曲げ、ぐったりさせて連行し、警察に通報。その後、5人の警察官にひきわたしたのに、途中で逃げられたという。捕獲したとき、ついでに足を捻挫さしとくんだった。
230点の商品の万引き、というレコード樹立になった。まいど。
2004年12月01日(水) |
ガチンコジャズサイト“Jazz Tokyo”の特別企画「2004年、私の一枚」、わたしの大予想! |
今年生まれたばかりのガチンコジャズサイト“Jazz Tokyo”の特別企画「2004年、私の一枚」。
この12枚×2=24枚、ど、ど、どーよ・・・。 フルゲート24枚、何を軸にして何点流す?
今年のジャズ、菊地雅章テザートムーンの『トスカ』はいいとして。ジャレットもいちお入っているか。 ブラッド・メルドーも、ブランダン・ロスも、コンボ・ピアノも、田村夏樹も、入ってないのはまずいなー。
わ。これらを全作購入する、つう話はなかったことに。
う。やばい。林栄一関連が2枚も!ノミネートされてる、つーより、まだ手に入れてない、って、まずくないか、おれ。
このサイトに注文すればすぐに手に入る、というシステムを、わたしのために早急に整備していただきたい。
で、わたしの買い目(結論!)は。
ジャケとタイトルのセンスからは決してぼくはレジへは運ばなかったであろう、これ↓ 『権代敦彦作品集/きらめく光のとき−−祈り(When the Light Shines − a player)』 いっきに聴きたくなった。 これを軸に、 対抗は『Martin Kasik/ALLEGRO BARBARO』 。これはかなり良さそう。 ・・・どっちも選者は同じひとだった。そそるレビューだ。 んで、 あとは林栄一の2枚。クリスマスはこれで万感にむせぶことにした(いみふめー)。 『林栄一[に]小山彰太/セネストパティー』 『峰厚介 ミーツ 渋谷毅 & 林栄一/ランデヴー』 あ、林栄一がわからないひとって、結構いますね。音楽を耳で聴いているひと、って多い。音楽って、耳で聴くんじゃないのか、と真顔で言わないでください。 えー、そんでECM近傍としてこんなCD出ていることすら知らなかった『Arve Henriksen/Chiaroscuro』。
わたしがベストに挙げたテオ・マセロ、『テオ・マセロ/テオ・フォー・トゥー Vol.1』『同 Vol.2』、も、マストアイテムです。
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