Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年11月28日(日) スピッツの「月に帰る」

午前6時に、東から西へまっすぐと伸びた国道を、薄紫から深緑のグラデュエーションにかがやく空に浮かぶまあるい月に向かって、
高校2年生のむすめを修学旅行で集合する駅まで送ってゆく途中の、30分ほどのときどき笑ったりする会話。

「月、見える?」「見えるよ」
スピッツの「月に帰る」に話題を振ろうと一瞬思ったけど、そんなあまりにもうつくしい会話をしてはいけないのだ。

たまにはこんな時間があってもいい。話した内容をすでに忘れているけど。


2004年11月27日(土) 7年前のエドワード・ヴェサラ来日公演記

ガルバレクのヒーリング路線ねー。とはいえ、欧州演歌の時代も、もういい、ってかんじだし。
7年前にニフティのECM会議室に書いたログがあった。書き直したら、少しはましなテキストになりそうだ。記憶は今も鮮明だし。



「ヴェサライン江古田」

1時間前に江古田は北口の日本大学芸術学部の校門前に車をとめて(^^;)
南口に出るとsightさんにバッタリ(^^)

バディのドアを開け店内に目を向けると、向こうに座っているヴェサラと目が合った(^^;)。ぼくはもうこの時点で「出会って」しまいましたね(もしもし?)。とりあえず、招聘された庄司さんを尋ねご挨拶。岡島さんが来ていたのでそちらの席に着く。

どうやら、岡島さんがヴェサラにインタビューし終わったところのようだった。
ジャズ批評に載せるんだろうか…。載せる意義があるのだろうか…(^^;)。

やにむにヴェサラのLPを数枚ひろげるワタシ(^^;)
それを見た若い女性、英語とフィン語?しか話さない日系の女性、フィンランド大使館の方?、が「エド!」とヴェサラを手招きした。
ヴェサラが近づいてきた。岡島さんがぼくを紹介してくれる。言葉にならない握手。

昔新宿でECMデイなるレコード鑑賞会をやって、青木和富さんがかけてくれた「ナンマドル」が最初の出会い。翌日、都内のレコード店を徘徊して入手した国内盤2枚。青木さんの文章。裏ジャケのヴェサラの顔。

ヴェサラはLPを見ながら感慨深げ。同行の女性も「見たことない」とか、「ロジーナ」の裏ジャケのヴェサラの勇姿にウケている。「アイムヒア」ジャケのイラストは娘さんの手書きで当時5歳で今は30代、ヴェサラは four daughters 4人のお嬢さんが居るのか!ハープとキーボードのIro Haalaさんは奥様だったのか!。

「アイムヒア」B面1曲目「Ode to Jan Garbarek」を言うと、ヴェサラは最近のヤンにはハートがこもっていない、ぼくに向かって自分の胸を示してしきりに「ハート!」を送った。ぼくもぎこちなくハートを返した(^^;)

最新作「ノルディック・ギャラリー」のジャケットはサイテーだわ、と、その若い女性。そう、全く同感。実はぼくは Nordic Gallery なる題にも疑問(アイヒャーの小細工)を持っている。このデザインの手抜きはBarbara Wojirschによるもの、Sleeves of Desire 刊行後おそらく暇を出されただろう彼女だ。まあ、そんなことはどうでも良い。

ハルさんとウルトラマン青山氏が現れた。

コンサートが始まった。最新作のライブ版だ。おお、この響きだ。
フロントが4人いるからといって集団即興として聴いたら、やはり違うだろう。曲はおおむね書かれており、ブレンドされた音色の醸成が主眼、ヴェサラがリズムを強調し、ギターとキーボードがアクセントを加える。入れかわり立ちかわり鈴や、ポコペンや丸い筒(?)が鳴る。これがフィンランド、これがヴェサラ。

2部では招聘した庄司さんのコントラ・バリトン・サックス、アルト・サックスとヴェサラとのデュオ。庄司さん、過激な広島弁が直感的にわかる凄じいソロを披露する。対してヴェサラは3メートルほどの竹の棒を持ち出しドラムセットを叩く。
なんとも笑える。ヴェサラは口笛と、ちょっとホーミー入ってる発声、ほんで驚くのが江戸屋猫八まっ青の鳥の鳴き声だ。フィンランド対ヒロシマ、というのがハッキリ!演奏は人なり!言語なり!コミュニケーションなり!

2部の後半はSound and Furyのさらに盛り上がった熱演となった。
太っちょのTapioちゃん(カワイイ)もさることながら、Sound and Furyの差異を加えて繰り返される演奏の波は、祝祭めいてくるのであった。「ワシはずっと55才」「ワシのタンゴを」MC。タンゴは、フィンランドという極北の地に辿りついてヴェサラに媒介された、なんとも壊れた涙目な味わい深さを残した。

いわゆるアメリカ的なモダンジャズは通過しなかった表現者としてのヴェサラは、単にフィンランド的なるものにも回収されないものを持っていた。それは、ぼくが遠い日本であこがれて神秘的に扱ってきたものとも良い意味で違っていて、胸を突いた。

演奏後、ヴェサラとぼくたちは記念撮影をした。フィンランドのレオ・レーベルはヴェサラのレーベルだと知った。no money…と言って微笑んだ。庄司さんは全ステージ、岡島さんは3ステージご覧になって、これは格別だと。そりゃ、日本を代表するメディアにインタビューされて、カルトファンが居たら燃えるか(笑)。写真にむかって口を大開けしてキメるヴェサラ、カッコいい!真骨頂!

江古田の駅前で庄司さんに挨拶して岡島夫妻を見送って、ぼくたちは駅前でタバコをふかして余韻にしたっていた。ふとヴェサラの一行が歩いてきた。ヴェサラはもういちどぼくたちにハートをジェスチャーした。

そう、love & peace & no money なのだ。60年代の表現者。コンテンポラリーとかそういう文脈から逸脱したままの。ECMは70年代のレーベルだったのだ。たとえば、ヴェサラもリュプダールもECMも、ジャズを表現しているのではないのです。過激なメルヘンと言おうか。演奏によって、ここではないどこかへ過激に飛翔しようとする、そういう試みだったと思うのだ。

ヴェサラたちは、閉店したパチンコ店の灯りの中を暗がりに消えていった。


2004年11月26日(金) 沢田研二、「大人のキス出来る?」、『ケルン・コンサート』、心の国技館

彼女いない歴=年齢、の、ロヴァ耳男です。いつも読んでくれて、おまいら本当にありがとう。
エルメスさんの「大人のキス出来る?」という、めっちゃリアル、ならでわのセリフ、に、胸がキュンとしてしまいました。
>そこはチガイますよロヴァ耳男さん・・・
あー、思い出すです、“大人のキス”をした歴代の彼女たち、わたしの心の中の国技館の天井に額縁に入って微笑む歴代彼女たち!
おお、光臨。光の権現。数々の優勝決定戦!名勝負の系譜!・・・それって二子多摩川?

しかし、「電車男」読了後に有線から聴こえてきたのはおざけんの「カローラIIにのって」。ばり似合うし!んで、そこはかとなく、感動。

でも2ちゃんねるって、こんな美しい雰囲気の出来事がほんとうにほんとうにあったのだろうか・・・?信じられん。

タイムスリップグリコ第2弾。チョコ菓子に復刻CDシングル(A面のみ収録)をセットにした商品。全20種+シークレット。コンビニで300円くらいだったのがドンキで税込100円。★の2枚が聴きたくて箱買い。15曲を1枚のCDRに焼いてみんなにあげまくた。

「時の過ぎゆくままに/沢田研二」★
「タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカ・バンド」★
「春咲小紅/矢野顕子」
「ハイそれまでよ/植木等」
「港のヨーコヨコハマヨコスカ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」
「経験/辺見マリ」
「モニカ/吉川晃司」
「季節の中で/松山千春」
「想い出のスクリーン/八神純子」
「スローモーション/中森明菜」
「時をかける少女/原田知世」
「ギザギザハートの子守唄/チェッカーズ」
「勝手にしやがれ/沢田研二」
「フィーリング/ハイ・ファイ・セット」
「イメージの詩/吉田拓郎」 →これがシークレットCDでしたー!もちろん収録はシングルヴァージョン

沢田研二の「時の過ぎゆくままに」は1975年。
ピアノの貴公子(当時)キース・ジャレットが『ケルン・コンサート』で世界中を席捲していた同時期に流れていたナンバーだ。
1975年にもエルメスさんのような女の子がいて「大人のキス出来る?」と言っていたかもしれない。
その翌年あたりに産まれた男の子はきっと今は30歳になっていてフリーターしてたり引きこもりしてたりしてるんだろうか。
戦場カメラマンになってファルージャの惨状を激写しているのだろうか。
郊外の山林に車をとめてみんなで七輪かこんでいるのだろうか。

朝に紅顔として産まれて、夕べに白骨と化す。なむあみだぶつだねえ。

あ。そいえば、沢田研二って、大手レコード会社から離れてほとんど自主制作のノリで捲土重来を狙っているのでしたっけ?
沢田研二の今、というのも気になるなあ。


2004年11月25日(木) アジカンのDVD『映像作品集 1巻』、げっとー

アジカンのDVD『映像作品集 1巻』、げっとー。
サイレンの2ヴァージョンとも収録がめっさうれしー。
シングル「サイレン」は「サイレン」という同一タイトルの2曲が収録されてて、ヴァージョン2という出来の「サイレン」と、まるで双子のように聴けるシングルです。アルバム『ソルファ』にはオモテ版「サイレン」のみの収録でしたが、ウラ版「サイレン」も、捨て難いというよりは、「サイレン」という1曲の楽曲の理解には欠かせない存在。

なに開店だかわかんねかきかた。

マーボー豆腐かけごはん。冷えたごはんゆえにはなはだ美味なり。ぐう。喰ったあとでも、腹が鳴るほどだす。

なんだかキレて殺人する事件が毎日のように起こって。ますます、ばくぜんと街全体をおおう治安不安を感じてしまいます。

電車男を読む。


2004年11月22日(月) 「2004 私のこの2枚」音楽サイトJazz Tokyo草稿

しかし、21日京都競馬場マイルチャンピオンシップ(GI)でデュランダルが直線一気33秒台でゴボウ抜きしたのにはシビれました。

高橋悠治のゴルトベルク、映像>
朝日浜離宮ホールに出かけたら、当日券はすっかり売り切れてしまっていました。なむさん。

ムーンドック(ルイス・ハーディン)のインタビュー>

日本におけるミスターECMこと稲岡邦彌さんが主宰しているジャズサイト“Jazz Tokyo”
わたしはコントリビューターとしていまだ籍を置かせていただいているだけの有様で、すっかり隠遁状態。実生活ではワーカホリック。
風邪で寝込んでいるところを、さっきも深夜に仕事に出ては1時間で片付けて、速攻でこのサイトへの投稿を仕上げる。

テーマは今年のベストCD。
アジカンもバンプもくるりもミスチルもハルカリもあがた森魚もオッケーだったあなたには、この2枚もどうぞ!と差し出す選りすぐり。
奇を衒った選盤と思われるむきもあると思うけど、いろんな音楽はいろんな音楽によって支えられているような気がするのです。
つねにオルタナティブなアンテナでいたいと基本的には思ってはいても、なかなか、ね。
Jazz Tokyoのコントリビューターが選盤したものは全部聴くつもり。そんでここで俎上にあげてみたいかな。お楽しみ、に。


「2004 私のこの2枚」

『black knight / Teo Macero』
ごく稀に、音楽が人を聴くことがある。テオ・マセロがニューヨークで無名のピアニストを発掘して録音した『black knight』は、次第にそのピアニストがテオ・マセロとなり、そして聴いている私になってしまうという奇怪な盤である。ことの顛末はこうだ。マセロがこの無名のピアニストの演奏に電流が走るような衝撃を受け、「即興を弾いてみてくれないか?」と依頼した。そのピアニストはスタジオに入り、数片のピアノソロ演奏を残した。ピアニズムは技巧的ではないが、なにげに深い表現の彫塑を露わにした無視できない重さを放つ。そしてそのピアニストは行方知れずとなってしまった。マセロは4人の演奏家、ジョー・マネリ、DJロジック、ヴァーノン・リード、デイブ・リーブマンの即興を加え、『black knight』としてリリースした。聴き手である私は、マセロの欲望や4人の演奏家を通じて、“ピアニストの不在”を中心として意識が旋回し始める。この(ピアノの)音は誰なのか、という問いは、やがてわたしを照らし出すようなのだ。

『七つの子 野口雨情作品集』
童謡というのは過激である。昭和初期のSP盤の音源を完全発掘した本CDは今年のリリースではないが、日本ものの今年のベストに『うたううあ/ううあ』(CCCDを外して再発すべき)は外せないとするならば、このCDは知られるべし。童謡は、日本の民衆の中から歌い継がれて残ってきたもの、ではなく、1918年(大正7年)児童文学誌「赤い鳥」の創刊を契機に大正期〜昭和初期に創作歌謡として爆発的に作曲されて普及させられたものでした。無防備な耳で初めて聴くように鑑賞してみると、これらの作曲の大胆さと、素朴な歌詞の衝撃、そして何よりも歌っている女の子(平井英子ちゃん)の意識に圧倒されます。「南京言葉」「あの町この町」の文学性は言わずもがな。トニー・ウイリアムスやハン・ベニンクを通過したジャズ〜即興フリークに「うさぎのダンス」のバックの演奏を聴かせては、耳が瓦解するカタルシスを提供する日々であります。二度と手に入れられない音とは、このことです。


2004年11月21日(日) 高橋悠治前日

咳が止まらない。喉がいたい。明日の高橋悠治のピアノリサイタル、バッハのゴルトベルク変奏曲、行けるかどうか。

高橋悠治のゴルトベルクはCDで聴いたことがある。所有しているはずだが、ここ数年見あたらない。樹海のようなわたしの部屋である。
彼のゴルトベルクは、飄々としたタッチで、いかにも高橋悠治であった。惹かれる名演だとわたしは断ずる。
しかし、彼の弾くプリペアドピアノによるジョン・ケージは、ひどくつまらないものだった。耐えられないものだった。

そこにバッハの楽曲が持つちからが潜んでいると考えることもできるし、ケージのコンポジションの過酷さを類推することもできる。

さて、老境に至ったであろう高橋悠治によるゴルトベルクである。
枯れても淡々として、やはり飄々とした高橋悠治なのであろうか。
「やっぱ、高橋悠治じゃんかよー、変わってねーじゃん!」と、歓んで聴いてしまう結果になるのだろうか。
「おおー、こんなんなった高橋悠治かよー、わかんねーもんだなー、びっくらこいたじょー」と、驚いて聴いてしまう結果になるのだろうか。

どちらにしても、歓んで聴いてしまいそうだ。確実にえっちできるデートに出かける心境と言えるだろうか。言わしとけ。

ぎょろんとした目を半分あけて、スターウォーズのヨーダのような風貌でくびのあたりをぴょこんぴょこんさせて弾くだろうことは確実である。
ヨーダ・プレイズ・バッハ、として販売するほうが売れるぞ。
そうか、高橋悠治は現代音楽界のヨーダだったのか。


2004年11月20日(土) 『沿志奏逢(そうしそうあい)』の価値・ユーミンの『VIVA!6×7』は「買い」である

あらら、日記すら更新できないー。

ゴリエが「Mickey」で踊るシーン、や、ハルカリの秀逸な映像センスに横溢した「ベイビーブルー」(これなんと、BOΦWYのカヴァー!)、や、
山本晋也監督?が意味不明なドラマを演じるアジカンの「君の街まで」、
の映像がかかると、職務を放棄して秒速80センチで液晶プラズマまで向かい、大画面で鑑賞するのを日々の愉しみとしているものです。

しかし、ハルカリ。目が離せないセンスをしている。こういう才能を天才というに相応しいと思う。たまらん。プロモ映像を集めたいぞ。

このところbank bandの『沿志奏逢(そうしそうあい)』ばかり聴いている。
このCDはまったくもって静かな嵐と言えるような、生活に侵食してくる作品だ。気がつくと何度もリピートして運転している。このCD、決してミスチル桜井くんの余技ではなさそうだ。

中島みゆきの「糸」と自作の「Hero」が続くあたり、あまりにも大きく、泣ける。
告白すると、中島みゆきの歌の偉大さを骨身に沁みたのは今回が初めてなんですー。

・・・と書いていると、師匠から入電。
ユーミンの新譜『VIVA!6×7』は「買い」であるとの指令を受ける。
「はい、尊師さま、そう指令があると直感し、購入しておりました。」「うむ、よかろう。」
師の耳は確かである。ジャズでも歌謡曲でもプログレでも現代音楽でも、判断の間違いがない。驚くほどに、ない。

『沿志奏逢』って、どうしてこんなに良いんだろう。聴くたびごとに良くなってゆく。
それは、「こんなふうにカヴァーして、(表現を)聴かせてやろう」という顕示がみじんもないところにある、と思う。
他人の曲をカヴァーするのに、力みや衒いがない。
桜井くん個人が、その曲と出会って想い描いた感情をそのままに映し出している、そういう歌い方であり、それが「伝わる」、歌唱なのだ。
中島みゆきも岡村靖幸も大貫妙子も井上陽水も、その個性すらも消し去ったのちに立ち上がる“歌のちから”、を、桜井くんはここに示せていると思う。
これはちょっとすごいことだと思う。

自分の歌い方だけで御満悦にひたる小田和正さんとの違いはそこにあると思う。また年末だから、やるんだろうなー。
歌わせていただきます、という言葉づらとは裏腹に、おらおらオレさまが歌ってやってんだよ!、こうやってー!、わかるかなー?この有り難味がー、この小田和正さまが歌ってあげてんだからさー、ちょっとゲストに来てさー、ひれふしてぼくの足のつま先でも舐めてくれてもばちはあたらないよねー、それにさー君たちのライブでもぼくの歌を歌いたい、と、まーそこまで言うんだったら、まっ、構わないつーか、内心歌えよ!、てな気持ちは、まー視線と事務所への圧力でわかってもらうとしてー、ま、おれくらいにならないと関口宏の気持ちはわからない、って。え?ああ、まあ、わたしはJポップ界の関口宏ですからねえー。<小田さん、アナタはJポップの領域には入っていないんです!

それはさておき。

桜井くんたちがbank bandとして果たしている役割というのは、“Jポップのスタンダード化”という事態である。
好きな曲をカラオケではみながそれぞれに好き勝手に歌っているように見えているけど、じつは情報操作されてて画一化しているのである。
桜井くんは、こんないい曲もあるんだよ、とは言わない。そんな押し付けがましいことはしていない。
すでに述べたように、歌のちからを示している。これは彼のフェアープレイ精神とも、ミュージシャンシップとも、言えるかもしれない。
あえて言えば、倫理、だろう。

『沿志奏逢』のすごさは、演奏の良さ、アレンジの的確さといったサポートの部分も主旨に沿っているところだ。こういうのはなかなか文章では伝わらない。親密に聴いてほしい。この演奏のように、仕事をしたり生活をしたいと思わせるところがある。

ここ数年日本各地にイオングループ・ジャスコの出店が続いている。こないだは戸田に開店したジャスコに行った。5・6ヶ所はジャスコに行ってしまったわたしであるが。わたしにはどのジャスコも廃墟になる未来が透けて見えるように思える。本屋やCD屋の品揃えを見るに、それがタワレコにしてもHMVにしても、ほんとうにひどい。どこもやっつけ納品、やっつけ陳列である。これに気付けないというのは盲目な消費者と断ぜられても仕方ない。多彩なだけの食べ物屋は2・3割高くて味は2・3割落ちる。これが便利で多彩で広くて駐車場がたくさんあるジャスコの内実なのだと、何度も失望を噛みしめる。だったら行くなよ、と、自分で突っ込むが、反撃のヒントと可能性は敵の中にあるのだ。

それもさておき。

桜井くんは、尾崎や長渕も好きだそうだから、この企画の続編も期待できると思う。・・・個人的には尾崎も長渕もびみょーだけど。
ただし、ちゃげあすやじあるふぃーやぽるのぐらふてぃやこぶくろやすたれびやさとうちくぜん、なんてのを歌ったあかつきにゃー斬首なりやで。


2004年11月13日(土) イスラエルの出入国のスタンプ

敬虔なクリスチャンで腕には十字架の焼き印までしていた、だけですでに入国はほぼ自殺行為だったのにー。
彼のパスポートにはイスラエルの出入国のスタンプ(!)があったというー。どっかーん。
なぜだ。どーしてだ。イスラエルの入国記録があれば、イラクでもヨルダンでもアラブ諸国には“入国にストップがかけられる”はずなのだ。
ずさんな出入国管理をスルーして入国できたとして。
このばやい。このような属性を示す人間であれば、どこの国の人間であろーとそくとさつは免れられなかったであろうと思われる。

やはりミッションを持っていたのであろうか。それが生きた証しなのであろうか・・・と、突っ込むにもほどがあるのでわないだろうか。
WTCに突っ込んだテロリストとの類推があるのでわないだろうか。

不可解はそれなりの理由付けがなされて安堵の澱みに打ち捨てられていく。

いっぽう。2004年の東京の夜の街はエグザイルみたいな若者たちがナイフを隠し持って徘徊しているようである。
何を考えているのかさっぱり不可解なプレイボーイのスエットとキティちゃんのサンダルにタトゥーにピアスにはまさきあゆみ。
街をおおうクリスマスの飾り付けがすべて毒が塗られたにせものに見える。

小学生の頃、函館の郊外の亀田港町で、銭湯帰りに夕暮れの風を感じた親密な安心感、といったもの、
を、失った世界に居るような気がしている。

80年代にECMファンクラブの残党で四谷いーぐるに集まってだべっては夜更かしして、あたたかい総武線の終電をホームで待っていた安堵感、といったもの、も、失った世界に居るような気がしている。

聴こえる音楽の聴こえもきっと変わってきてしまっているのだろう。

住民税と所得税を2倍払うから、のほほんと毎晩銭湯に(できれば池上温泉・笑)に通って暮らせる街に住みたいと思うぞ。
会員制の街、会員制の自治体。アイコンは土星。国歌は「いとしの第六惑星〜水晶になりたい」。国是は稲垣足穂。地名は雪ヶ谷。
・・・おー、すげーファッショな考えをするようになったものだねえ、ただくん。

うっふうん。それほどでもぉ。


2004年11月11日(木) 岡島豊樹さんによる「ミシャ・アルペリン特集」・平井庸一グループ告知

来たる11月20日(土)、四谷のジャズ喫茶「いーぐる」にて
岡島豊樹さんによる「ミシャ・アルペリン特集」があるそうです。アルペリンの旧ソ連時代のメロディア盤ピアノ・ソロ『自画像』もCD化されていましたから、その強烈な民族臭あふれるピアニズムも堪能できることでしょう。

アルペリンはノルウェーのオスロにある音楽大学で“中心的な存在”として若きミュージシャンを教え、影響を与えているようです。トリオトランのメンバーとノルウェー大使館でお話ししたときにきいて、ちょっとびっくりしたものです。
ジャズの歴史とヨーロッパ、とりわけ東方との参照関係は、まだまだ検証されていない分野であるかも。

平井庸一グループの新宿ピットイン昼の部公演
は、11月29日。
前回はお休みだったテナーの橋爪亮督が復帰、トリスターノの狂気を仄めかす都築猛の不穏も気になる、・・・
タイコの竹下宗男のグループ在籍は年内いっぱいである可能性もアナウンスされている、・・・ううー、なんとも。



ごめんみんな。たくさんの約束事を放置したままです。しばし、しばしの、しばらくのおじかんを。

敬虔なクリスチャンで腕には十字架の焼き印までしていた若者だったのですか。仏教的な心境ではなかったのですね、表情を誤読しました。
するってーと、ブッシュ大統領を支持した米国南部の国民のメンタリティにかなり近い若者だったわけだ、つーより、腕の焼き印によりブッシュそのものと彼らに読まれてしまったのか。
彼は崇高なミッションを持っていたのか。ブッシュ再選へのタイミングがびみょーに合っていた。


2004年11月09日(火) スティーブ・レイクさんからメールの返事がきた!

ま、ぼくたちのサイトへのいろんな許諾問題については、どれだけうれしいことなのか、まだぴんときてないかんじ。

それよか。
レイクさんに「即興のほうではさ、齋藤徹とミシェル・ドネダの価値をアンタがわからないハズはないだろう、はよ、出せや」
というような気持ちを込めた英文を送ったんだ。
したら。

Yes I am familiar with Doneda/Saitoh, but don't know Torazo Hirosawa. Sounds like something I might enjoy.

だと。さすが。
あ、でも、広沢虎造は聴いてないのか。まずいなー、ECMの未来を握るアンタが聴いてないのはまずいぞー。また送ったろか。

東大文学部出のともこちゃんに英文を作ってもらうか。彼女にはむかし微積を教えたんだ。20年ぶりくらいに遭遇した。「レコードばかり買ってるんでしょー」、って、オンナはするどいからきらいだ。


切なさ だけで、 哀しみ だけで、 君の街 まで、 飛べりゃ いい のにな

アジカンの最新シングル「君の街まで」。


PS
昨日の末尾にリンクした頭蓋骨粉砕写真のサイトって、「イマジン」と「世界でひとつだけの花」なんてのを行動指針にしている時点で、ぼくはお仲間には加われないのです。すいません。
「イマジン」て、まぬけなアナーキストの歌だし。いえいえ、アナーキストは必ずしもまぬけではありませんが。

そうせいくんは素顔のままきわめて仏教的な心境で運命を受け入れていました。
米国人が目と口にテープを巻かれてもがいていたのとは対照的です。


2004年11月08日(月) ライブ予告:高橋悠治、湯浅譲二、ミシェル・コルボ、小谷美紗子、平井庸一、アジカン

高橋悠治のゴルトベルクを弾くリサイタル、湯浅譲二の作品集コンサート、ミシェル・コルボ指揮によるマタイ受難曲の来日公演。行くぞ。
へっへーん。南青山のマンダラに年末の小谷美紗子ソロライブに行くもんねー。これはひとりで行くもんねー。

あれ。平井庸一グループのライブはいつだっけ。

あと、12月5日アジカン日本武道館、と。予定はそんなもんかな、今のところ。

はじめてスタレビと略し称されるバンドの楽曲を聴いた。仕事ができ尊敬している20代の若者からベスト選曲のCDRをもらったのだ。
彼に対して「なかなかの誠実な世界といったものがあるよねー」と笑顔で感想を述べる自分がだいきらい。ほんとうにだいっきらい。

スピッツの新曲「正夢」を購入。


2004年11月07日(日) 「インターナショナル」

うえ。昨日から32時間30分連続で働いてしまったようだ。
ウェッブの世界を見渡すとヨン・クリステンセンがブームのようである。

頭脳は明晰なのだが、疲労のせいか、ろれつがまわらなくなってしまったようだ。
「そんなん、矢でも天丼でも持ってこいって言うんだよおー」と発音していたらしい。知るかよ。わかったよ。言ったよ。天丼持ってこいよ。

内田樹せんせいのブログにもあるように『他者と死者』が売れているようだ。

太った米国人が屠殺される映像のバックには集会のみんなで歌う「インターナショナル」でしたねー。
こないだの日本青年のも観たけど。


2004年11月05日(金) 倉木麻衣と平原綾香とフレディマーキュリー

エレベーターに乗ってたら、ミディアムテンポの倉木麻衣の新曲が聴こえてきた。
やはり“ミディアムテンポで窒息歌唱”が倉木麻衣の醍醐味だろう。
歌い始めからすでに息継ぎが切迫している。苦しくて声が震えているのを、ヴィブラートに使うというのは驚異だ。

耐え切れずに平原綾香のシングル「Blessing祝福」を買う。
趣味が悪いと笑わば笑え。わしはこの曲めっちゃ好きやで。
この曲にはイントロからすでに、視界には故人となったフレディー・マキュリーが舞うのである。

歌い始める前からすでに息を吸い込む音声をリスナーに聴かせるのである。
歌い始めると声を出す音声以外に、息を吐き出す音声までも聴かせるのである。
ものすごい量の空気を使用して、平原綾香は歌うのである。京都議定書扱いになるぞ。

したがって。
平原綾香と結婚した場合に、いくら金があっても足りないくらいに、彼女はお金を使うのである。そういう声なのである。
一方、倉木麻衣は、納豆粒1つでスプーン一杯のごはんをほおばって節約する良妻である。そういう声なのである。

また。
平原綾香と付き合った場合に。「はい、百万円。今月はこれで聴きたいCDは全部買えるでしょう?」とおこずかいをくれるのである。
倉木麻衣は「どうしたのこのCD。いつ買ったのこのCD。どこで買ったのこのCD。いくらしたのこのCD。ほんとうにそれだけの価値があるのこのCD。」と3枚100円で売られている中古シングルCDにちくいち問われるものである。

それでも、ぼくはどっちも好きなのである。


2004年11月04日(木) 「I LOVE YOU」の間奏にどうしても感動してしまうというのか。

昼間は凶々しいとか書いた翌日には、みごとであっぱれで突き抜けるような秋晴れ。

保育園に子どもを送り迎えしている若いお母さんたち。クロネコヤマトの宅急便のおじさんのズック。公園の入り口の注意書き。
ぼくの知っているひとたちはみんなこの空の下で息をしているだろうか。

そして深夜になり、やがて明け方。
有線放送がオフコースの「I LOVE YOU」の間奏を、1980年の記憶を引き寄せながら空気を揺らしている。

「 だれも あなたの かわりに なれは しない から 」

「I LOVE YOU」の間奏。・・・浮遊するなあ。

でもねえ、たぶんまじめに聴いてみたら、ジョンレノンが射殺されましたっつーニュースのナレーションなんかが聴こえてしまってさ。
その瞬間、ゲロゲロだよねー。その程度のもんだよ小田和正。

でもだめなの。わたしの体が我慢できないの。


2004年11月03日(水) ブライアンウイルソンのスマイル・ライブ

地上とは思い出ならずや
という稲垣足穂の名言を知ったのは、とても辛かった頃でしたが。

ひかりの中にあなたが映っていたこと
記憶し続けること

昼間は凶々しい
月に照らされた時間にはいつもサーカスがやっているような気がして、だからかな、夜行性だし。

ブライアンウイルソンのスマイル・ライブは、サーカスなのかな

ぼくが3さいくらいの頃、は、北海道の炭鉱の町に住んでいたのだけど、父親がディズニーの映画(たぶん)を観せに連れて行ってくれていたことを唐突に思い出した。「ほら、寝ないで、観な」と(たぶん)言われながら、ダンボとか白雪姫とか(たぶん)を観るのだけど、ぼくはいつもすぐに眠ってしまって、決まって目が醒めるのが映画館からの帰りに父親に背負われて揺られている頃になった。「どんなお話だった」とぼくは執拗にきいたような気がする。父親はやれやれという心境だったことだろう。ぼくは父親が断片的に、たぶん面倒くさそうに話す言葉、その父親の言葉を背中にいて聴いていることが、実はいちばんの楽しみだったのかもしれない。

ブライアンウイルソンのスマイル・ライブはそんな音楽だった。

『ペットサウンズ』の犬の遠吠えは『サージェントペパーズ』の「グッドモーニング」の動物たちの騒音に継承されている。
ビートルズが後期の黄金時代に拓いた地平は英国文化の粋によって核心が規定されていた。
そこには“むせかるような腐敗の匂い”や“しくじりの甘美”や“月に照らされた時間”がない。“せきたて”と“狂気”がない。
ビートルズは昼間の音楽だったようだ。
スマイルライブの会場で61さいのポールマッカートニーは思ったことだろう。「ぼくたち4にんはここに来たかったんだ」。



星条旗に包まれた死体について、内田樹さん>
「ワニのいる川って、どんな感じがするんだろう」と思って泳ぎにいったらワニに食べられた人の旺盛な好奇心に対する敬意、とは、そだね。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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