Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年10月31日(日) |
講談社から『アリエス』という月刊誌が創刊された |
イスラム武装組織によって香田証生さんは首を切られて放置された。 後頭部を射殺された遺体が間違いだったと、希望がわいて、その翌日。 小泉首相は「テロに屈することはできない」ときっぱりと言い、 そして水面下でなんとかツテをたよって金銭での、もしくは裏約束交渉(政治)に活路をみていたはず。こないだの3にんは助かってたしー。
バッサリ首を刎ねられて、遺体は星条旗で包まれていた。
講談社から『アリエス』■という月刊誌が創刊された。 編集長は横山建城(34)という講談社選書メチエを立ち上げた実績のあるひと。 「歴史に生き、思想を問う」を雑誌のテーマに掲げる。「思想に生き、歴史を問う」とは、逆であることに力点。 「姜尚中を“挑発”する」という特集をトップに持ってきているスピリットがいい。 さらに。 平岡正明の新連載コラム!、これだー、待ってました。20世紀最後の巨人!。 四方田犬彦にも平井玄にもコラムを追加してほしいぞ。 「しりとったりー!」と子どもたちの間で空前のブームになりつつある神田山陽の講談も。
2004年10月30日(土) |
前川清の「ひまわり」 |
NHKラジオで前川清の「ひまわり」をライブ歌唱にて拝聴する。 うすあじのしいたけのダシのような詩情。哀しくて切ない。前川清はJポップの地平も装備していたことだ。 これは買わねばなるまいぞ。
なかしー(中島美嘉)のCD2枚とフリートウッド・マックの『噂』(新盤)が見当たらない。誰かこっそり借りてないか?
紀伊国屋書店刊で『喪失と獲得』■という進化心理学の本が出た。な、なんやー、進化心理学てー。 ドーキンスの『利己的な遺伝子』から30年、その成果だという触れ込み。そそられる。 心理ほど環境からの学習的な獲得の比率が大きいものはないだろうに。進化するんか?
『へんないきもの』■バジリコ株式会社刊。なんやこの出版社名は。
強気を挫(くじ)き、弱きを扶(たす)く。ほー、こう書くんか。
マタイ受難曲とレミオロメンと平原綾香と湯浅譲二ーを聴きたい。
23日のアジカンの『ソルファ』についての追記。 ジャケの少女が手にしているのはオープンリール・テープ、つまりアナログ、つまりアンチ・デジタル、という姿勢である。 歌詞カードは縦書きで印刷されている。後藤正文の書く歌詞は、いまもっとも読まれている現代詩である。
2004年10月25日(月) |
オーネット・コールマンの『ヴァージン・ビューティー』 |
そいえばオーネット・コールマンの『ヴァージン・ビューティー』は90年の作品で。 グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが参加した楽曲もあって、このジャケ。■ クリックしてジャケを大きくしてみると、この女性たちの剥き出しの白眼の美しさが衝撃的だったです。ガイコツという死と隣接した美。 裏ジャケがヨーロッパの貴婦人たちの舞踏会のシーンであること。
思えば、オーネットは90年のこの作品がシーンの最先端に登場した最後であった。音楽的には。その後はいろいろと老後の褒章的活動。
ロヴァ耳「現代ジャズ90年代評定委員会」は90年代をヘンリー・スレッギルとジョン・ゾーンの活動を中心に据えて再定義を試みるものであるが、1枚目はオーネットのこの作品によってページはひらかれるのかー。 スレッギルは『Spirit of Nuff...Nuff』(1990)、『Too Much Sugar for a Dime』(1993)、『Carry the Day』(1994)の充実期。 ・・・ それにしても『Carry the Day』はいいジャケでしたー>■
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岡林信康の『わたしを断罪せよ』『見るまえに跳べ』を再聴してみて、「キリスト教アイテムの日本人への再強化に過ぎなかったわけだしー、60年代の終わりとグローバリゼーション受け入れ準備をしていた歌だったんだしー、あまり今聴く意味ないしー」と述べていたら、「ただくん、岡林の真価は『金色のライオン』(1974)を聴かなければならないものぞ」と師匠に叱咤されてしまう。誰か聴かせてくれー。
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先日の三善晃の「レクイエム」(1971)再演は、言葉にならないほどの素晴らしさだったそうだ。会場で悠雅彦先生たちが「ただくんも三善晃を聴くのか」と目を丸くされたそうな。大塚愛もアジカンもハルカリも聴くぞ。
友人が、その演奏の体験を語った言葉の中に、いまこの空間に存在する死者たち、といったものがあった。
特別養護老人ホームや葬儀屋や、深夜の霊が徘徊する現金輸送の仕事をしてきたわたしには多少は想像できるジャンルである。 ちょうど内田樹の『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』を読んでいるけれども、死者を弔う意味がわかってきたばかりだ(気のせいかも)。
新潟県中越地震を銀座にある巨大なビルの中で震度4ちょっとで体験しながら、911WTC崩壊で一瞬にして死体すら残らない死者となった現象を考えた。いてーとも思わないで死ぬなんて羨ましくないか?不謹慎な思考の「可能性」はないか。
ラカンは第二次世界大戦中、マルセイユとナチスドイツ占領下のパリに、正妻と事実上の妻(ジョルジュ・バタイユの正妻!)がいて、シトロエン5CVに乗って2週間おきに往復するような生活をしており、それぞれ同時期に妊娠したりしている。いやー、ラカンくん、あんたはえらすぎ。
カミュの『異邦人』のペストの暗喩、この歳になってわかりましたです。
サピオ10・27号のP42で『人口減少経済の新しい公式』松谷明彦著(日本経済新聞社)の著者インタビューが載っている。そっかー、子どもをたくさん作ってもだめなのかー。20年以上音楽を聴いてきたひと限定の音楽誌を10年後に作るぞ。Don’t trust under 40。
30すぎの未婚子なし女性を「負け犬」と言うことが定着しているそうである。 わたしが勝ち犬にしてあげようか。わたしは遺伝子だけは優秀である。実績もあるぞ。菊花賞を見たか。なにごとも血統だぞ。
ただし条件がある。週に一度は子どもと一緒にお風呂に入らせてほしい。従って首都圏在住の女性にしか応募の権利はない。 人生の三大楽しみ、新譜CDのパッケージ開け、恋愛トップモードでのえっち、子どもとのお風呂、である。
もう、これしか残っていないんだよな。
ソウル・フラワー・ユニオンの『極東戦線異状なし!?』■を開ける。 河内音頭みたいな「インターナショナル」、いいなーこれー!
2004年10月24日(日) |
アシュケナージが指揮中に指揮棒が左手の手のひらに刺さって折れて怪我をしたという |
アシュケナージが指揮中に指揮棒が左手の手のひらに刺さって折れて怪我をしたという昨日のNHKホール。 彼ほどのピアニストになると、一日ピアノの練習が途切れるだけで復帰までどれくらいかかるのだろう。
地震のニュースにまぎれて、“米国産牛肉、来春めどに一部解禁”というニュースが。
東京新聞は、中日新聞東京支社発行なんだー。来年からは阪神と中日を応援することにしよー。
今日はクラリネットとファゴットとウッドベースのコンサートを1メートルの至近距離で聴いた。しごく珍しい編成だと思う。
内田樹の日記、柄谷行人のNAMについて>■。
友だちにCDR詰め合わせを準備するのにECM『:rarum』ボックス2を手焼きしたり、8月に作ったCDR『マーチング・マーチ』を複製して過ごす。
2004年10月23日(土) |
中村佑介が描いたアジカン『ソルファ』ジャケのこと。 |
『不安の正体!』■ と、 内田樹せんせいの『他者と死者』を読む。
本ばかり2万つかう。
菅原洋一の『黒き汝が瞳 ハウゼと共に』、1200円盤を買う。 レコーディングデータも載っていない、7曲入りのあんちょくな編集盤。 声が若い。
『武満徹の著作集1』。はー、じっくり読む時間がほしー。
アジカンのセカンドアルバム『ソルファ』。ジャケ>■ 地上の、いまの等身大の日本の景色、トタン屋根、かわら屋根、コンクリートのビル、電柱や送電線。 それらをきちんと肯定している視線。 空に映るきみ。宇宙。 デザインに密教的なものも感じる。エロチックな、現代の林静一のような、インドの交接画も思わせる、彼女の肢体。 このジャケを描いた中村佑介>■
「おかしいやと言われてもいい、ただきみのヌードを、ちゃんと見るまでは、ぼくは死ねない。」(スピッツ・草野マサムネ)
アジカンの『リライト』も『君の街まで』も、旬のちからが作用して、すごくぼくの中でヒットしている。 時代を越える音楽性があるかどうか?そんなこと知らないし興味もない。この刹那のためにぼくたちは生きてきた、と、ファンは思うのだ。
2004年10月19日(火) |
『ソルファ』、『沿志奏逢』 |
米価が落ちている。わしら消費者に届く販売価格はほとんど下がっていないが。 米作農家は「・・・米の袋に千円札貼り付けて出荷しているようなもんじゃ・・・」と、膨らむしかない負債に絶望を隠せない表情。 じゃあ、と、外食でごはんを食べても、米作農家を助けることにはつながらない。
戦争の民営化、というタイトルの本が出た。アメリカはテロの民営化をずっと継続しているのだが。
アジカンの『ソルファ』と、ap bank bandの『沿志奏逢(そうしそうあい)』が出た。
『沿志奏逢』の隠しトラックが2種ある、ということの意味は、「友だちとコピーしあいなよ」、ということ。 友だちと聴きあって、トーストしあって、語り合って、そうした時間を30万人のリスナーに対して意図しているんだと思う。 CCCDを一貫して導入してこなかったトイズファクトリーのメッセージだと思う。
台風23号がいいラインを描いて練馬に向かっている。台風23号、アジア名「トカゲ」。アジア名って、あるんだ。
アマゾンのカートに入れておいた本とCDを注文する。といっても、クリックしただけじゃが。 『高橋悠治 コレクション1970年代』高橋悠治著 『武満徹:カトレーン - ボストン交響楽団』 『アンダー・プレッシャー / レニーニ』 『極東戦線異状なし!? / ソウル・フラワー・ユニオン』 『スマイル - ブライアン・ウィルソン』 『LIVE TOUR 「 UA SUN 2004 」 (仮)』
本やCDを購入するとき、世界に対していいことをしているような気持ちになりまする。
あ、編集CDR友だちへの発送をしなきゃ、いいかげん。ごめんごめん、と、ここであやまる。
2004年10月18日(月) |
武満は、死の淵にあって『マタイ受難曲』を聴いていたんだそうだ。 |
武満徹の『サイレント・ガーデン 滞院報告・キャロティンの祭典』という、死後に発表された闘病日記を読む。 ヨー・ヨー・マについて、「ヨーヨはちょっとコマーシャル・サクセスを気にしすぎる」と書き留めている。わはは、おれもそう思ってた。CD聴いてそれわかってた。 奥さんの手記に泣けた。 武満は、死の淵にあって『マタイ受難曲』を聴いていたんだそうだ。(>どのCDか誰か知ってる?) 容態急変の報せにかけつけた娘の呼びかけに、閉じた目から涙がひと筋流れたという。
そうさな、わしも死の間際には、成長した長女の「おとうちゃん!」という声を聴きたいものだ。
2004年10月17日(日) |
ドン・エリス(tp)〜ポール・ブレイ(p)〜スティーブ・スワロウ(b)と『スター・ウォーズ』サントラのドン・エリス |
ECMがヴァーヴから買い取ってリリースした『ジミー・ジュフリー3,1961』の翌月の録音。 が、 この『アウト・オブ・ノーホエア』(■)。
このドン・エリスというトランペット、は、もろデイヴ・ダグラスなのである。デイヴ・ダグラスはドン・エリスのパクリだったのかー、つうくらい。 きちんと定規で測ったようなお仕事はこなせるけれども作曲能力がまるでないダグラスに比して、先輩のエリスのほうは作曲もイケるし、演奏もダグラスよりスケールがふたまわり厚みがある。
ここでも、ポール・ブレイはポール・ブレイだ。ブレイもスワロウも、まだカーラには出会っていない。
『スター・ウォーズ』のサントラでメインテーマを演奏していたり、ジョーザヴィヌル先生がインタビューで彼への賛辞を述べていたことなど、 ここのサイトで知りました。>■ 『スター・ウォーズ』のテーマのトランペットを奏でた翌年に亡くなっています。
すんません・・・ドン・エリスのビック・バンドを聴いたことがありませんです。変拍子に特化していたというし・・・、モンド好きには良さげですな。
2004年10月16日(土) |
音楽とは、何であろうか。ババアの死の淵に引き込むようなのも。 |
音楽とは、何であろうか。 魅惑的な尽きない謎である。 音楽という指示言語が機能する社会において、認知されている音楽が音楽である。 社会は、最小単位は“あなたとわたし”である。あなたとわたしが音楽だと認識を共有できればそれは音楽である。 すると、わたしひとりが思っていてもそれは音楽ではない。
『七つの子 野口雨情作品集』を聴いて、わたしは深夜に独り、「こ、こりゃー、ムーンドックの世界ではないかー!」と、天を見上げた。
ギタリストの平井くんとジョー・マネリやジェリー・マリガンやアジカンを聴いたあとに『七つの子 野口雨情作品集』をかけると、 「この演奏はすごい。さすが、戦前の録音ですねー、見事なまでに和音、ハーモニーが排除されたユニゾンによる演奏。和音という概念が無い演奏意識の驚異。渋さ知らズがあれだけウケたのも、意図的にハーモニーを排除したサウンドだったことですよね、欧米人に刺激的だった点は・・・。」
なるほど。そいや、ムーンドックにもあてはまるし、ムーンドックの奥さんは日本人で彼女の歌声をそのまま録音してたしなー。
「ははは。このタイコ聴いて、オマー・ハキムのほうが上手い、と、言っても!」
音楽とは、何であろうか。 音楽の神様はミューズというおんなの神様であることは暗示的である。 謎めいた蠱惑的な成熟した女性の微笑み。 成熟してなくてもいい。 幼女の愛くるしいのも、ババアの死の淵に引き込むようなのも。
・・・あ、それで、近藤譲著「<音楽>という謎」を読んでいます。 シューベルトとビートルズの間、という章で、芸術音楽とポピュラー音楽を論じておられまするけれども、うーん、50年代ごろの古い出版物で書かれていたようなことかも。 ・・・現代音楽とエリート・コンプレックスは相関があるのは近藤さんに言われなくてもわかってますー。
ジョー・マネリはアメリカに亡命してきたシェーンベルクの弟子に教わって微分音の教授になった経歴があるのだけど、これまでブルーズ感覚といったものに依拠して聴いてきたマネリの演奏について、“1オクターブ72分節、1音5分節”を訓練したという前提で聴いた場合に、そこに音の確信(どこに音を置くかという技術)が見てとれて、その抑制がブルーズ感覚という情動に過剰な緊張感を与えている実感を持ちました。
平井くんいわく、「マネリの演奏を聴いたあとでは、どんなサックス奏者の演奏でも“ドレミとフラジオの単なる足し算”にしか聴こえない」。
言えてる。
チャーリー・パーカーとジョー・マネリを二極の座標軸としてジャズ・サックスの歴史は解消されてしまうのである。
ドルフィーの頭をごつんごつんぶつけている感覚、アイラーのブードゥーとカリブの明暗、エヴァンパーカー、コルトレーン、ブラクストン、デズモンド、コニッツ、ショーター、ガルバレク。しりとったりー。
さあ、どうするマーク・ターナー。でもやっぱりミシェル・ドネダ。・・・何が書きたいのかわかんなくなってきた。
『七つの子 野口雨情作品集』、これは衝撃的だ。これは今すぐアマゾンで購入しなければならないです、みなさん! わたしの今年のベスト1かもしれん。
エリック・クラプトン(59)がフランスでポルシェに乗って216キロのスピード違反。即めんとり。罰金約10万円。 やるなーおやじー。生涯現役。バイブを使わないで、「あんぷらぐどー」とか言っておネエちゃんと仲良くしてないだけあるな。
千葉の中古盤屋で、岡林信康のアルバム、『わたしを断罪せよ』『見るまえに跳べ』のCDを捕獲。 92年にCD化されていたのですね。ずっと封印されていたと思っていた。 20年ぶりに聴く。 わたしたちのー、望むものは。 音楽のためのわたしたちなのではなくー。 わたしたちのための音楽なーのだ。
部落差別を歌ったということで名高い「手紙」。 みつおさんが、お店をもらえることになったのに、わたしと結婚するなら譲らないと言われた、だから私は身をひく、というお話。 わしはみつおに忠告したい。ほんとに彼女が好きなら、店なんか要らんだろ! だいたい店という財産と恋愛ごとを天秤にかけられる心性というのはオンナのもんやろ。この歌の不自然さはそこだな。いったい誰がこの歌を作ったんだ。青いぞ。女々しいぞ。 それにな。わたしのすべてをみつおさんにあげたことを後悔していない、って、処女を捧げたことを「わたしのすべて」という、のか。あなたのすべて、は、処女であること、だけなのか?処女をあげたら結婚せにゃならんのか。店も込みでみつおさんに股ひらいたとでも言うんか。何が言いたいのかわしにはさっぱりわからん。
みつおって、相田みつを、とか、佐川満男ではないだろうな。・・・
・・・いたな、佐川満男。「今は幸せかい」。おー、そのセリフ、そのまま返してやるよ。
由紀さおりにも「手紙」という曲があったな。「なーみだでーつづりーおえた、お別れの手紙」。いい歌だったなー。
ミスチルにも「手紙」という曲があるぞ。これもいい曲なんだなー。
※岡林信康の「手紙」に歌われる男性は”みつおさん”ではなく”みつる”さんの誤りでした。花形なのか。
2004年10月14日(木) |
三善晃のコンサートに行けなかった・・・平井庸一のライブにも・・・ |
三善晃の合唱のコンサートが文京シビックホールであって、チケットも入手していたのに・・・。
平井庸一グループの新宿ピットインにも行くことができなかった・・・。 この日の平井庸一グループには、内田修せんせいも来場予定であったものであるから、余計に口惜しいものである。 グッドマンのマスターはいつも通っている。
その平井くんから、ジョー・マネリのレオ・レーベルの2枚組みライブCDを貸してほしい、と、電話がある。 昨年はジャンゴ・ベイツのCDを貸してほしいと言われていた。
ちょっと平井くんとオフ会でもして、ジャズを聴きたいモードを自分の耳に涵養しなければ・・・
2004年10月11日(月) |
今日のamazon.co.jp |
んあー。ブライアン・ウイルソンの『スマイル』とレニーニと、ソウルフラワーユニオンの反戦シングルを注文しようとして、アマゾンにアクセスしていたなのに。注文してたのは以下のとおりだった。
・本 『死と身体』内田樹(著) 『新版 映画は死んだ―世界のすべての眺めを夢見て』内田樹・松下正己(著) 『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』三砂ちづる(著) 『江戸っ子だってねえ―浪曲師広沢虎造一代』吉川潮(著) 『浮かれ三亀松』吉川潮(著)
・CD 『Rings Around the World / Super Furry Animals』 『Phantom Power / Super Furry Animals』 『Fuzzy Logic / Super Furry Animals』
人生は短いはずなのに。
2004年10月10日(日) |
なぜ、松平健は今年『マツケンサンバ II』という驚愕の変化へとジャンプできたのか |
バーバリーのスカート。 こげに欲情をそそるアイテムがこの世に存在するとは・・・。 ・・・暴れん坊将軍になってしまいそうだ。
・・・松平健は大地真央に向かって「あばれんぼうしょうぐんっ!」と仁王立ちさせたことが離婚へつながったのであろうか。 ・・・ふたりともヘテロのはんたいだったという説を採用すると、そのようなつまらぬ取るに足らない行為こそがトリガーとなる可能性はある。
さて、なぜ、松平健は今年『マツケンサンバ II』という驚愕の変化へとジャンプできたのか。
それは、時代劇ライバルである同じ“ケン”こと渡辺謙(■)がアカデミー賞助演男優賞にノミネートされる、という出来事を受けて、 これに対抗すべく、「ふっふっふ、やつが“お芸術”なら、こちとら“芸能”の本懐でもって世界に屹立するまでのことよ・・・」 と、さらっとやってのけたのが『マツケンサンバ II』だったのである。
これを見たまえ>■
以上、この秀逸な考察はわたしのエクスワイフが、同CDシングルを観て5秒後に語り始めた内容をもとに構成した。
・・・バーバリーのスカートを購入して部屋に吊り下げておきたいという欲望に囚われる10月10日体育の日であった。
2004年10月09日(土) |
「哀愁のヨーロッパ」を14人のギタリストにカバーさせてリリースしてほしいと思う |
NHKの子ども番組で「哀愁のヨーロッパ・バイソン」という、サンタナの代名詞曲「哀愁のヨーロッパ」をモチーフにした曲があった。
その後ついに本家サンタナの「哀愁のヨーロッパ」、を、CDで聴くことができた。なんとも歴史を貫く完成された楽曲である。 この完成度、というものは、ほかに、シンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」が思い浮かぶ程度で、そのレベルの楽曲をたぶんビートルズもツェッペリンもクイーンでさえも作っていないと思う。ブライアン・ウイルソンの「神のみぞ知る」は、入る。うん。このあたり、“他者がどのようにアレンジして演奏しても楽曲が勝ってしまう”というところが判断基準で、「きよしこの夜」「G線上のアリア」の水準である。
あ、連続射殺魔のCDボックスがたしかリリースされていたな。また聴きたいぞ、ノイズギターによる「G線上のアリア」。
「哀愁のヨーロッパ」の楽曲を強く再インストールされたわしの脳は、次々とお好みのギタリストに脳内演奏させて、ひとりで座りながら「はあ、はあ、はあ」と息をしてうっとりしてしまっているのである。これがすごい、いい!
テリエ・リピダルやベンチャーズ、ケヴィン・シールズ、グラント・グリーン、パット・メセニー、スティーヴ・ヴァイ、エイドリアン・ブリュー、なんてのは初歩。 かなりイケるのは、やはりと言うべきか、デレク・ベイリー、ジョー・モリス、そして、ノエル・アクショテだ。 ハンス・ライヒェルとか、キース・ロウもなかなかいい演奏だ。 ユージン・チャドバーンの演奏は名人芸でありながらかなり笑えるし、つい彼が口にしてしまうでたらめな歌もすばらしいものだ。 鶴岡雅義の「哀愁のヨーロッパ」はほとんど原型をとどめていない爆走ぶりである。なんでイントロが藤山一郎の「君を慕いて」になるかなあ、古賀政男先生をさておいて・・・やりすぎだよー。
2004年10月08日(金) |
宇多田ヒカルがUtadaとして全米デビューCDを出した |
だいたい、海外のミュージシャンが日本公演の際に「こんばんは・・・」(ジョアン・ジルベルト)とか「東京にまた来て、とても幸せです」(フレディ・マーキューリー)とか「日本のみなさん、こんにちは」(レーナ・ヴィッレマルク)とか、聞かされるの、って、不快だ。
・・・「香港から来たアグネスです」には、嬉しい反応をしていたことと矛盾している、か・・・
朝青龍はモンゴル語で角界を語るべきである。曙はハワイ語で、ロシアの力士はロシア語で語るべきである。相撲協会は字幕の予算を計上すべきである。どうせ、いずれにしても彼らを使い捨てるんでしょうが。それをわかって彼らも来ているんだし。
ドイツから来た現代音楽作曲家が日本のステージで、どーどーとドイツ語で語ったのは、これはこれで、むかついた。おい!この中のだれがそのドイツ語わかるんだよ。せめて英語でしゃべれや。たぶんこれは態度のモンダイなのだが。
海老蔵のフランス語での口上のモンダイは、何語を語るか、というハナシではなく、口上は“日本語の芸術”なのである。 さしずめ、フレディマー・キューリーがライブの全楽曲を日本語に翻訳して歌っているようなモンなのである。 それじゃあ、王様になってしまうのである。・・・
・・・あ、それはそれで、聴きたかったかもー。
宇多田ヒカルがUtadaとして全米デビューCD『エキソドス EXODUS』を出した。音楽はわからないし、ジャケも気色悪かった。 日本に住んでいて「すばらしい」と感じる判断は、おそらくローカルなものなのである。
2004年10月07日(木) |
大歓迎!台風22号東京直撃・海老蔵のフランス語での口上は国辱行為だ |
ここ10年で最大級の威力がある台風22号、が、うれしいことに東京直撃!沖縄を回避しているところもいさぎよい。 東京に直撃するという点では何年ぶりになるのだ?レインボーブリッジはもつのか?東京湾トンネルは突然水槽になり300人死亡、とか。 NHKで気象庁による警戒を呼びかける放送までしている。あーん、うれしー。
いまのわたしのBGMは、もちろん伊福部昭■(いふくべ・あきら)(1914〜)の『ゴジラ』。
海老蔵のフランス公演、なんで、フランス語で口上を述べなければならないのだ? 練習のとき、笑うんじゃねーよ、そこのフランス人よー!まじでコロすぞ。 でもこのフランス人は自分の基準で笑っているのだから責められない。あんらたの勝手だ。 しかし、何が哀しくて海老蔵はフランス語で舞台から語りかけにゃならんのだ?情けなくないか?
これから3日間、台風を味わうべく、旅へと出まするー。 日記の更新は台風のあとでー。 それではみなさん、よいお台風を。
“米、北朝鮮人権法成立へ 拉致解決、援助の条件 議会通過” (10月5日東京新聞夕刊トップ) “三菱自元社長が無罪主張 クラッチ欠陥「情報聞いてない」” (10月6日東京新聞夕刊トップ)
近藤譲のコンサートを聴いてレポートを書く仕事があって、無意味に張り切っていたら、都内名門女子高の制服を着た女の子を万引きで捕獲してしまって、あんなことをしたりこんなことをしたり、していたので、ついに近藤譲の肉声とコンサートを聴くことができなかった。 近藤譲よりもその女子高生の肉声のほうが良かったという説、これはわたしの中の十二使徒の四番目が主張しているに過ぎないのだが、あまりにかわいかったので、つい、行くところまでイッてしまった、いわゆる家庭裁判所であるが、彼女がバキッとルージュのパッケージを開けた音は、そのまま、彼女が人生を踏み外した音でもあった、で、それに匹敵した音を同日同時刻にサントリーホールに近藤譲は出現させることができたのか、という天秤する疑問。 近藤譲が若き天才として登場した頃、日本現代音楽シーンは最高に権威があったものである。「きゃー、ジョー!」と軽薄なノリではなかったものの、ジョーという名はガクトやハイドなみにカッコ良かったものであり、近藤譲の奥さんは現代音楽の近藤の名の価値をわきまえた良家の子女であったろう。 かようのごとく近藤譲には良家の子女の天秤がつねに残響している。 で、昨夜は、素晴らしかったそうである。 近藤譲の音楽というと、電子音楽の作品の記憶が強いのだけれど、オーケストラの作品は聴きたかったなあ・・・。
あやちゃんの編集CDR(10・4日記参照)更新との情報>■ レニーニ、って、ほんと、すごいねー!知らんかったです。
『七つの子 野口雨情作品集』(2CD■)を聴く。 過激だ。このわたしがあぶら汗を流して聴いてしまうほどに、スゴい演奏・歌唱である。オーネット・コールマンとの出会いを想起する。 すごい古い録音で、少女の快活で素朴な歌唱に過ぎない、のである、が、ものすごい前衛に聴こえる。ううあの『うたううあ』も児戯に聴こえさえする。
あれ?今は10月8日の朝です。
読売新聞の9面に「映画のヒトラー“人間性”論争」と題したコラム。 ヒトラーの最後の十二日間を描いたドイツ映画『ウンターガング(没落)』がドイツ国内で多くの観客を集める一方、人間としてヒトラーを描くことに国内外で反響を呼んでいるとのこと。 ヒトラーを演じるのはスイスの俳優ブルーノ・ガンツ。
ブルーノ・ガンツといえば、ECMはヘルダーリンの詩を彼が朗読したLP(1984年録音)をリリースしている。
ブルーノ・ガンツといえば、『ベルリン・天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース監督1987年)でおっさんの天使の役をしている。 『マイケル』でジョン・トラボルタが扮した天使ほど素晴らしくはないが。
アイヒャー、ECM、ドイツ、ドイツロマン主義、ブルーノ・ガンツ、世界に冠たるドイツ帝国、ヒトラー。
ユダヤ、フリーメーソン、ロスチャイルドが建国したアメリカ合衆国。
資本を目的とするか手段とみなすか。
手段に過ぎない。世界の消滅と自己の消滅を一致させようとするベクトル、を、くるくるまわす知恵。
知人が亡くなった。 国内盤になったばかりの『タブラ・ラサ』を彼のリスニングルームで聴いたことを憶えている。 日本刀をながめたり、小林秀雄の本を読んだりした。 彼の息子が中学生のとき、ぼくは『ノーザン・ソングス』をプレゼントした。 このCDを特別に気に入ってくれていたことをずいぶん後になって人づてにきいた。 その息子も父親と同じ精神科医になった。
2004年10月03日(日) |
編集CDR『dub,dive,drive to blue』 |
編集CDR『dub,dive,drive to blue』 1. 静かの海 / くるり 2. Rua da passagem (Transito) / Lenine 3. Relampiano / Lenine 4. Pescador / Mestre Ambrosia 5. Piano Interlude / Sun Ra and His Astro-Infinity Arkestra 6. 花火 / くるり 7. ズックにロック / ゆらゆら帝国 8. Disco Bhangra / Think Of One 9. 花の水鉄砲 / くるり 10. Silence / Carla Bley 11. Long Season (Part 1) / FISHMANS 12. Long Season (Part 1) / FISHMANS 13. My Love And I / Charlie Haden & John Taylor
深夜の晴海埠頭で聴く。やはり、どっぷりとはまる。
選曲者のコメントはここ>■
2004年10月02日(土) |
14才が作成したミスチル選曲CDR |
14才の息子がミスチル選曲CDRを作成した。 1、2、6、7、10なぞ、中学生が理解してはいけない楽曲ではないのか、成人指定をかけるぞ。 中学生がこういう選曲をするか?微妙に深読みしたい衝動に駆られる。 彼の両親は離婚している。わしのことだ。そんでもって1か。「混乱した愛情ゆえに友情に戻れない」。
不意打ちのように「君といた夏」に連れてゆかれてしまい、泣き声になってしまったではないか。
1. ありふれたLove Story〜男女問題はいつも面倒だ〜 2. 渇いたkiss 3. youthful days 4. シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜 5. Everything (It’s you) 6. ファスナー 7. 幸せのカテゴリー 8. 君といた夏 9. つよがり 10. Surrender 11. Over 12. 抱きしめたい 13. Drawing
2004年10月01日(金) |
アルゲリッチの弾く「花のワルツ」を聴きながらポーツマス・シンフォニアの演奏を背後に見たような気がした |
本日より、この日記は、サイト「musicircus」■のレギュラーに入閣することになりました。 わたしがネジ込んだわけではありません、で、この日記の内容・レベル・文体・風格・風味・渋味・嫌味・おそ松、その他もろもろが、このジョン・ケージの境地を名に込めた音楽サイト、に、相応しいかどうか、このわたし自身が躊躇・赤面・黙考するあり様、なれど、このサイトへの参加者の増加へとつながることができれば、などと、日記でメッセージを発する奇妙なご事態。
ウゴルスキの弾く「エリーゼのために」、や、マリアジョアンピリスの弾く「トルコ行進曲」、アルゲリッチの弾く「花のワルツ」を今日はじめて聴きました。指先まで神経が研ぎ澄まされて、からだ全体で音楽を味わう。
上野茂都さん(■)のCD4枚、間違いなくおすすめです。
『七つの子 野口雨情作品集』(2CD■)、聴きたいですー!(ひとりごと)
ひとはしばしば漂流する。 今日あやちゃんからもらった編集CDR『dub,dive,drive to blue』(全13曲)を聴きながら、環七から目白通り、永代通りへと彷徨う。 不意に楽曲に出会う、それ以上の、トータルな音楽観の呈示に、見知らぬ土地に旅をしているような気持ちになる。曲目やアーティストを見ないでずっと聴いていた。「え?これは?・・・お、これは?、ここはどこ?」と、未知のプログラムを進む。これが、今年いちばんのアドベンチャーな気がする。どっぷりと浸って、感動という言葉を越えた体験に至る。曲目はあとでアップします。
ポーツマス・シンフォニア(■)が奏でる「花のワルツ」、ラジオで一度だけオンエアされたことがあるらしく、以前知人の事務所で聴いた記憶がある。 ポーツマス・シンフォニアというのは、ギャビン・ブライアーズが組織した素人だけによるオーケストラで、ガイストが漂いまくるこの演奏の“素晴らしさ”といったものは、音楽の持つなにごとかを照らしていた。だれかこのあたり、論考してくださいまし。
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